2017年10月7日土曜日

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門のわきのベンチに「スメルジャコフ」が坐って、夕涼みをしていました。

「イワン」は彼をひと目見るなり、自分の心の中にもこの召使い「スメルジャコフ」が坐りこんでいたことを、そしてほかならぬこの男を心が我慢できずにいることをさとりました。

すべてがふいに光に照らされ、はっきりしました。

先ほど、「スメルジャコフ」と会ったという「アリョーシャ」の話をきいたとき、何か暗い不快なものが心に突きささり、すぐに反射的な憎悪をよび起したものでした。

そのあと、話の間、「スメルジャコフ」はいっとき忘れ去られたものの、依然として心の中にとどまりつづけ、「イワン」が「アリョーシャ」と別れて一人で家に向うやいなや、とたんに忘れていた感覚がふいにまた急速に表面に出てきたのです。

『あんなやくざなろくでなしが、これほどまで俺を不安にさせるなんて!』

抑えきれぬ憎悪とともに彼は思いました。

ここで分かったのですが「イワン」の憂鬱の原因は「スメルジャコフ」だったのですね。

これには少し驚きましたが「イワン」と「スメルジャコフ」の間には余程根深いものがありそうです。

要するに、実際「イワン」は最近、それも特にここ何日かで、この男がひどくきらいになったのでした。

この男に対して日ましにつのる、憎しみに近い気持ちに、自分でも気づくようにさえなっていました。

ことによると、憎悪の過程がこれほど先鋭な形をとったのは、最初、「イワン」がこの町に帰ってきたばかりのころには、事情がまったく異なっていたためかもしれません。

あのころ「イワン」は「スメルジャコフ」に対してふいに何か一種の特別な関心をいだきかけたし、彼をきわめて特異な人間と見なしさえしました。

自分と話をするように仕込んだのは当の「イワン」でしたが、いつも相手の思考の支離滅裂さ、というよりむしろ思考の落ちつきのなさにおどろかされ、いったい何が《この瞑想家》をこれほどたえず執拗に不安にかりたてるうるのか、理解できませんでした。

二人は哲学的な問題も語り合ったし、さらには天地創造のとき、太陽や月や星が四日目になってやっと作られたというのに、なぜ第一日に光があったのか(訳注 創世記第一章)、これをどう解釈すべきかということさえ話しました。

だが、まもなく「イワン」は、太陽や月や星などはまるっきり問題ではなく、太陽や月や星はたしかに興味深い対象ではあるものの、「スメルジャコフ」にとってはまったく第三義的なものであり、彼に必要なのは全然別のことであるという確信に達しました。

創世記第一章は以下の通りです。

「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。夕となり、また朝となった。第三日である。神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。夕となり、また朝となった。第四日である。神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海たる水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。夕となり、また朝となった。第五日である。神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。」

第四日目の「大きい光に昼をつかさどらせ」の「大きい光」というのは、「太陽」のことですね。

第一日目に「昼」が作られた後に、「太陽」が作られたことがおかしいという訳ですね。


別に「昼」が作られた後に「太陽」が作られてもいいように思います。


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