2017年11月13日月曜日

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ああ、なんというすばらしい書物、なんという力が、この本によって人間に与えられたことか! まさに世界と、人間と、人間の性格との彫像にもひとしく、すべてが名を与えられ、永遠にわたって示されているのだ。

そして、どれほど多くの、解明された明白な神秘があることだろうか。

神はヨブをふたたび立ち直らせ、あらためて富を授けるのだ。

ふたたび多くの歳月が流れ、彼にはすでに新しい、別の子供たちがいて、彼はその子供たちを愛している。

だが、「前の子供たちがいないというのに、前の子供たちを奪われたというのに、どうして新しい子供たちを愛したりできるのだろう? どんなに新しい子供たちがかわいいにせよ、その子たちといっしょにいて、はたして以前のように完全に幸福になれるものだろうか?」という気がしたものだ。

だが、それができるのだ、できるのである。

ここでは誰もが抱く疑問だと思いますが、そして非人情な振る舞いだとは思いますが、「ゾシマ長老」は、そんなことが「できるのである」と断言しています。

そんなことはしてはいけないのだと思うのですが、それができると言うのです。

古い悲しみは人の世の偉大な神秘によって、しだいに静かな感動の喜びに変ってゆく。

どうしてそんなことができるのかという、その答えが「人の世の偉大な神秘」だと書かれています。

こんなことは宗教者にしかわからないことでしょうか、しかし、人間とはそういうものであるということでしょう。

何だかよくわからなくなります。

そんなことは、臥薪嘗胆という言葉があるように常に自分の心に繰り込まなければならないとも思いますが、「人の世の偉大な神秘」によって自然に忘れ去られ、忘れ去られるのが自然であり、それが人の世の事実であり、そのことを肯定しているように思います。

沸きたつ若い血潮に代って、柔和な澄みきった老年が訪れる。

老年というものはそういうものだということですね。

あまりにも深い内容だと思いますので、まだ納得しましたとは言い切れません。

わたしは今も毎日の日の出を祝福しているし、わたしの心は前と同じように朝日に歌いかけてはいるが、それでも今ではもう、むしろ夕日を、夕日の長い射光を愛し、その射光とともに、長い祝福された人生の中の、静かな和やかな感動的な思い出を、なつかしい人々の面影を愛している。

それらすべての上に、感動させ、和解させ、すべてを赦す、神の真実があるのだ!

わたしの人生は終りかけている。

そのことは自分でも知っているし、その気配もきこえているのだが、残された一日ごとに、地上の自分の生活がもはや新しい、限りない、未知の、だが間近に迫った生活と触れ合おうとしているのを感じ、その予感のために魂は歓喜にふるえ、知性はかがやき、心は喜びに泣いているのだ・・・・諸師よ、わたしは一度ならず耳にしたことがあるし、最近ではいっそうよくきくようになったのだが、わが国の司祭たち、それも特に田舎の司祭たちはいたるところで、自分たちの少ない収入と屈辱とを涙ながらにかこち、なかにはわたし自身も読んだことがあるけれど、活字にしてまで、自分たちは今やもう民衆に聖書を講ずることはできない、なぜなら収入が少ないからだ、などとおおっぴらに断言している者さえあるようだ。

ああ! 彼らにとってそれほど貴重な収入なら、もっと多くしてあげたいと思う(彼らの愚痴ももっともだからだ)、しかし本当のことを言うと、もしだれかにこの責任があるとすれば、半分はわれわれ自身の罪なのである。

なぜなら、時間がないのならなくともよい、また労働と聖礼に始終追いまくられているという言葉が正しいのならそれでもよい、だがまさか年がら年じゅうというわけでもあるまい、せめて一週に一時間くらいは神のことを思いだす時間があるはずだからだ。

それに、一年して仕事があるわけでもないだろう。

一週に一度、晩に自分の家に子供たちを集めるがいい。

最初は子供たちだけでよい、やがて父親がききつけて、やってくるようになるだろう。

それに、この仕事のために会堂を建てる必要もない、ごく簡単に自分の小屋に迎えればよいのだ。

恐れることはない、彼らとて小屋を汚しはしない、たかが、一時間の集まりではないか。

その人たちにあの本を開いて、むずかしい言葉や、高慢な調子、見下した態度などなしに、感動を込めて和やかに読んでやるとよい。

その人たちに読んできかせるのを喜び、みながそれをきいて理解してくれるのを自分も喜び、みずからもそれらの言葉をいつくしみながら読み、ときおり休んでは、素朴な民衆にわかりにくいような言葉を説明してやるとよい。

心配はいらぬ、すべて理解してくれるだろう、正教徒の心がすべてを理解してくれる!


ここで、宣教のマニュアルのようなことが言われていますが、そういう意味では全くそのとおりだと思います。



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