アブラハムとその妻サラの話を、イサクとその妻リベカの話を、ヤコブが義父ラバンのところへ行き、夢の中で神と取っ組み合いをして、「ここは恐ろしいところだ」と言った話(訳注 創世記より)を、彼らに読んできかせ、民衆の敬虔な知恵を感動させてやるがよい。
それから、子供たちにはとりわけ、兄たちが実の弟であるかわいい少年–夢を占う偉大な預言者ヨセフを奴隷に売りとばし、父には血まみれの衣服を示して、野獣に食い殺されたと告げる話を読んできかせるとよい。
その後、兄たちは穀物を買いにエジプトに行くが、すでに国のつかさになっていたヨセフは、兄たちに見破られなかったのを幸い、兄たちを苦しめ、有罪にし、弟ベニヤミンを監禁した。
それもみな、愛するがゆえにしたのである。
「わたしはあなた方を愛している。愛するがゆえに苦しめるのです」
なぜなら、かつて暑い荒野の井戸のわきで自分が商人たちに売られたことや、自分が手を揉みしだいて泣きながら、奴隷として他国へ売らないでほしいと兄たちに哀願したことは、一生を通じてたえず思いだしていたものの、幾年月ののちにめぐりあって、あらためて限りない愛をおぼえたからだ。
だが、彼は愛するがゆえに、兄たちを悩ませ、苦しめた。
そして、ついに自分の心の苦しみに自分で堪えきれなくなり、兄たちのそばを離れて、自分の寝床に身を投げ、泣き伏す。
そのあと顔をぬぐい、晴ればれした表情で出てきて、兄たちに告げる。
「兄さんたち、わたしはヨセフです、あなた方の弟ですよ!」
さらにその先も読んでやるといい、老父ヤコブは、かわいい息子がまだ生きていると知って、大喜びし、故郷さえ棄てて、エジプトにおもむき、やがてこの他国の土地で、一生の間つつましい、神を恐れる胸の内にひそかにしまっておいた偉大な言葉を、末代までの遺言として告げたあと、死ぬ。
それは、自分の一族であるユダから、やがて世界の大きな希望である、全世界の救世主、和解者があらわれるだろう、というあの予言なのだ!
神父諸師よ、あなた方がとうの昔に知っておられ、わたしなどより百倍も上手に立派に教えておられることを、わたしがまるで幼稚な子供のように説いているのを、どうか怒らずに赦してほしい。
わたしは歓喜のあまり、こんな話をしているのだ。
ここで、一旦切ります。
やはり、「神父諸師よ、あなた方がとうの昔に知っておられ、わたしなどより百倍も上手に立派に教えておられることを、わたしがまるで幼稚な子供のように説いているのを、どうか怒らずに赦してほしい。」というからには「ゾシマ長老」が死の前の床でこんな長い話を実際にしていたのですね。
「アリョーシャ」が勝手にこのような文章を創作するとは思えませんから。
ということは、あらためて「ゾシマ長老」の精神力に驚きます。
わたしは「創世記」を通して読んだことがありませんので、そのうち読んでみようと思います。
しかし、この「アリョーシャ」の文章はまだまだ続くのですが、この小説全体を視野に考えるとこの部分の存在はどう理解すればいいのかわかりません、作者の意図は何でしょうか。

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