兄は精神的にすっかり変った-実におどろくべき変化が突然、兄の内部に起っのだ!
年とった乳母が兄の部屋に入ってきて、「ごめんくださいまし、坊ちゃま。こちらのお部屋にも聖像の前にお燈明をともしましょう」と言っても、以前なら許さずに吹き消したほどだったが、それが今では「ああ、ともしておくれ、婆や。前には禁じたりして、僕は悪い人間だったね。燈明をともしながら、婆やは神さまにお祈りするのだし、僕はそんな婆やを見て喜びながらお祈りするよ。つまり、僕たちの祈りをあげる神さまは同じってわけさ」と言うのだった。
こんな言葉はわたしたちには異様なものに思われ、母は自分の部屋に逃げこんでは、のべつ泣いてばかりいたが、兄の部屋に入るときだけは目をぬぐって、快活な様子をするのだった。
「お母さん、泣かないでよ」よく兄は言っていた。
「僕はこれからまだうんと生きなけりゃ。お母さんたちとうんと楽しくやらなけりゃね。人生って明るく楽しいんだもの!」
「まあ、お前、楽しいだなんて。夜どおし高熱にうなされ、咳に苦しめられて、今にも胸が張り裂けそうだというのに」
「お母さん」と兄は答える。
「泣かないでよ。人生は楽園なんです。僕たちはみんな楽園にいるのに、それを知ろうとしないんですよ。知りたいと思いさえすれば、明日にも、世界じゅうに楽園が生まれるにちがいないんです」
兄のこの言葉にはだれもがびっくりした。
それほど異様な口調で断定的に言ってのけたのだ。
みなは感動して泣いた。
知人が訪ねてくると、兄は言った。
「やさしい親愛なあなた方に愛してもらえるなんて、そんな値打ちが僕にあるでしょうか。こんな僕のどこがよくて、愛してくださるんですか。それにどうして今まで僕はそれに気づかず、ありがたいと思わなかったんだろう」
部屋に入ってくる召使には、のべつこう言っていた。
「お前たちはやさしくて親切だね。どうして僕に仕えてくれるんだい? 仕えてもらうような値打ちが僕にあるだろうか? もし神さまのお恵みがあって、生きていられたら、今度は僕がお前たちに仕えるよ。だって人間はみな互いに奉仕し合わなけりゃいけないものね」
母はこれをきくと、悲しげに首を振って言うのだった。
「ねえお前、病気のせいでそんなことを言うんだね」
「お母さん、そりゃ主人と召使とをなくすわけにはいきませんよ。でも、僕がうちの召使たちの召使になってもかまわないじゃありませんか。あの人たちが僕の召使であるのと同じように。それからもう一つ言っておくけど、われわれはだれでも、すべての人に対してあらゆる面で罪深い人間だけれど、なかでも僕はいちばん罪深いんですよ」
ここにいたって母は苦笑した。
泣き笑いだった。
「どうしてあなたがすべての人に対して、だれよりもいちばん罪深いの? 世間には人殺しや強盗もいるというのに、あなたはいつのまに、だれよりも罪深いと自分を責めるような、わるいことをしでかしたの?」
「お母さん、僕の血潮である大事なお母さん(そのころ、兄はこういう思いがけないやさしい言葉を口にするようになっていました)、僕の血潮であるやさしいお母さん、本当に人間はだれでも、あらゆる人あらゆるものに対して、すべての人の前に罪があるんです。どう説明したらいいのか、わからないけれど、僕は苦しいほどそれを感ずるんだ。それなのにどうしてあの当時僕らは、のほほんと暮して、腹を立てたり、何一つ知らずにすましたりしてきたんだろう?」
こうして兄は日がたつにつれてますます感動と喜びを強めながら、全身を愛にふるわせて、眠りの床から起きだしてくるのだった。
宗教を馬鹿にしていた兄の「マイケル」は奔馬性結核のためこの春を越せないような状況になり、死を前にして突然宗教に目覚めたのでしょうか。
その変り方が突然すぎます。
気になるのは(585)で「実を言うとね、お母さん、これはお母さんを喜ばせて安心させるためにやってるんですよ」と言った兄の言葉です。
これは母に向かって言った言葉ですが、母親を喜ばすためだけにそんなフリをしているのでしょうか。

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