召使たちに関して、わたしは次のことを付け加えておく。
かつて青年だったころ、わたしは召使たちに、「女中の出した料理が熱すぎる、従卒が服にブラシをかけなかった」などと、さんざ腹を立てたものだ。
だが、そのときふいに、幼ないころ、なつかしい兄からきいた『この俺に、他人の奉仕を受ける値打ちがあるだろうか、相手の貧しさと無学につけこんでこき使う資格があるだろうか』という考えが、わたしの心を照らした。
そしてわたしは、きわめて単純で明白な考えがわれわれの頭にうかぶのがこんなにも遅いことに、びっくりしたのである。
俗世間で召使なしというわけにもゆくまいが、それなら召使が、かりに召使でなかった場合より、いっそう精神的にのびのびとしていられるようにしてやるがよい。
それになぜ、わたしが自分の召使に仕える召使になってはいけないのか、それも召使がそのことに気づき、わたしとしてはいっさいの傲慢さを、召使は不信の念を持たずにそうすることが、なぜいけないのだろう?
なぜ召使が身内の者同様になり、その結果、最後には家族の一員に迎え入れて、それを喜ぶようにできないのだろう?
これは現在でさえそのまま実行できることだが、将来の人々の美しい結合の基礎となるにちがいない、そしてそのときこそ人間は、現在のように、召使を探し求めたり、自分と同じ人間を召使にしようと望んだりしなくなり、反対に、福音書に従ってみずからすべての人の召使になろうと心底から望むようになるだろう。
人間は最後には、今日のように美食とか、放蕩、傲慢、自慢、妬みにみちた出世競争などといった冷酷な楽しみではなく、啓蒙と慈悲の偉業の内に喜びを見いだすようになる、これがはたして夢であろうか?
そんなはずはない、しかもそのときは間近であると、わたしは固く信じている。
人々は笑って、いったいその時期はいつ訪れるのか、訪れそうな気配でもあるのかと、たずねる。
わたしが思うに、この偉大な仕事はわれわれがキリストとともに解決するのだ。
そして、この地上の人類の歴史には、十年もの間とうてい考えられぬこととされながら、神秘的な時期が訪れるやふいに出現し、全世界に広まったという思想が、数多くあるではないか。
わが国でもきっとそのようになるだろうし、わが民衆が世界に光を放ち、あらゆる人が「創設者の捨てた石が、いちばん大切な土台石になった」と言うにちがいない。
嘲笑する人々には、こうききたいものだ。
もしわれわれの考えが夢だと言うなら、あなた方はキリストに頼らず自分の知力だけで、いつ自分らの建物を建て、公平な秩序を作るのか、と。かりに彼らが、反対に自分たちこそ統一をめざしているのだと主張するなら、本当にそんなことを信ずるのは彼らの中でももっとも単純な連中だけであるから、その単純さに呆れるばかりだ。
実際、彼らはわれわれよりずっと浮世ばなれした幻想をいだいている。
ここで言っている「彼ら」とは共産主義者のことでしょう、「公平な秩序」と言っていますから資本主義のことではないと思います。
しかし、資本主義者も「公平な秩序」言葉の上では言うのかもしれませんが、現実性を持つものではないでしょう。
そしてたぶん共産主義の主導者のことだと思いますが彼らを「単純な連中」と言っています。
公平な秩序を打ちたてようと考えてはいるのだが、キリストを斥けた以上、結局は世界に血の雨を降らせるほかあるまい。
なぜなら、血は血をよび、抜き放った剣は剣によって滅ぼされるからだ。
世界各国で起こっている共産主義の闘いが、実際にそうなっているので「血は血をよび」と言っているのですね。
しかし、キリスト教に関係する争いも「血は血をよび」ということは歴史上あきらかです。
共産主義もキリスト教も、どちらも理念的なものはあまり変わりがないと思いますが、どちらも言葉の定義からしていろいろと手垢が付いてしまい、本来のものから離れて行く傾向にあるのではないでしょうか。
だから、もしキリストの約束がなかったなら、この地上で最後の二人になるまで人間は互いに殺し合いをつづけるにちがいない。
それに、この最後の二人にしてもおのれの傲慢さから互いに相手をなだめることができず、最後の一人が相手を殺し、やがては自分も滅びることだろう。
おとなしく謙虚な者のために、こんなことはやがて終るだろうというキリストの約束がなかったら、きっとこうなっていたにちがいない。
当時、例の決闘のあと、わたしがまだ軍服姿でいたころ、社交界で召使の話をはじめると、今でも憶えているが、みんながびっくりしたものだった。
「それじゃわたしたちは、召使をソファに坐らせて、お茶を運んでやらねけりゃいけないんですか?」
そこでわたしは答えた。
「せめてたまには、そうしたって罰は当たらないでしょうに」
みんなは笑いだした。
質問が軽薄なものだったし、わたしの答えも不明確だったが、その中にもある程度の真理は含まれていたと思う。
ここで切ります。

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