(G)祈りと、愛と、他の世界との接触について
青年よ、祈りを忘れてはいけない。
祈りをあげるたびに、それが誠実なものでさえあれば、新しい感情がひらめき、その感情にはこれまで知らなかった新しい思想が含まれていて、それが新たにまた激励してくれるだろう。
そして、祈りが教育にほかならぬことを理解できるのだ。
また、このこともおばえておくがよい。
毎日、できるときでよいから、『主よ、今日御前に召されたすべての人を憐れみたまえ』と、たえず心の内でくりかえすのだ。
それというのも、毎時毎分、何千という人がこの地上の生を棄て、その魂が主の御前に召されてゆくのだが、そのうちのきわめて多くの人が、だれにも知られず、悲しみと愁いのうちに一人淋しくこの世に別れてゆくのであり、だれも彼らを憐れむ者はなく、そんな人たちがこの世に生きていたかどうか、それさえまったく知らないからだ。
と、そのときおそらく、地球の反対の端からお前の祈りが、たとえお前がその人をまったく知らず、先方もお前を知らぬにしても、その人の安らぎをねがって主の御許にのぼってゆくにちがいない。
恐れおののきながら主の前に立ったその人の魂にとって、その瞬間、自分のためにも祈ってくれる人がいる、地上にまだ自分を愛してくれる人間が残されていると感ずることが、どんなに感動的であろうか。
そして神もまたお前たち二人を、いっそう慈悲深く眺められることだろう。
なぜなら、お前でさえそんなに彼を憐れんでやった以上、お前より限りなく慈悲深く愛情豊かな神は、なおさらのことだからだ。
そしてお前に免じてその者を許してくださるにちがいない。
この辺の話は、キリスト教の教義から引用したのかもしれませんが、そんなこととは関係なく見事ですね。
今この瞬間瞬間で亡くなっていく名もない多くの人々のことを地球規模で考えています。
私が今考えるよりもっと深い意味がありそうですのでおいおい考えてみたいと思います。
兄弟たちよ。
人々の罪を恐れてはならない、罪あるがままの人間を愛するがよい、なぜならそのことはすでに神の愛に近く、地上の愛の極致だからである。
神のあらゆる創造物を、全体たるとその一粒一粒たるとを問わず、愛するがよい。
木の葉の一枚一枚、神の光の一条一条を愛することだ。
動物を愛し、植物を愛し、あらゆる物を愛するがよい。
あらゆる物を愛すれば、それらの物にひそむ神の秘密を理解できるだろう。
ひとたび理解すれば、あとはもはや倦むことなく、日を追うごとに毎日いよいよ深くそれを認識できるようになる。
そしてついには、もはや完璧な全世界的な愛情で全世界を愛するにいたるだろう。
「あらゆる物を愛すれば、それらの物にひそむ神の秘密を理解できる」と、ここもすばらしいことを言っています。
動物を愛するがよい。
神は彼らに思考の初歩と穏やかな喜びとを与えているからである。
動物を怒らせ、苦しめ、喜びを奪って、神の御心にそむいてはならない。
人間よ、動物に威張りちらしてはいけない。
動物は罪を知らぬが、人間は偉大な資質を持ちながら、その出現によって大地を腐敗させ、腐った足跡を残している。
悲しいことに、われわれのほとんどすべてがそうなのだ!
特に子供を愛することだ。
なぜなら、子供もまた天使のように無垢であり、われわれの感動のために、われわれの心の浄化のために生き、われわれにとってある種の教示にひとしいからである。
幼な子を辱しめる者は嘆かわしい。
子供を愛することをわたしに教えてくれたのは、アンフィーム神父だった。
心やさしく寡黙な彼は、巡礼の間、喜捨された小銭でよく子供たちに蜜菓子や氷砂糖を買って、分け与えていたものだ。
心のふるえなしに、子供たちのわきを通ることできなかったのである。
彼はそういう人柄なのだ。
ここで切ります。
ここの部分、つまり、人間の出現そのものに罪があるということ、また、子供を愛せよということは現代人にとっても必要で重要な話だと思います。

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