2017年12月4日月曜日

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結婚生活一ヶ月目から彼は『こうして妻は愛してくれるけれど、もし知ったらどうなるだろう?』という思いにたえず心を乱されるようになったのだ。

妻が最初の子を身ごもり、それを告げたとき、彼はふいにうろたえた。

『一方では生命を与えているのに、同じそのわたしが人の生命を奪ったのだ』

次々に子供が生れた。

『このわたしが、どうして子供たちを愛し、教育し、しつけられるだろう。どうして子供たちに善を語れよう。わたしは人の血を流したのだ』

子供たちは愛らしく育ってゆき、思わず愛撫したくなる。

だが『わたしにはその子たちのあどけない、晴れやかな顔を見ることができない。そんな資格はないのだ』

やがてついに、殺された犠牲者の血が、滅ぼされた若い生命が、復讐を叫ぶ血が、不気味に、陰惨に目にうかぶようになった。

恐ろしい夢を見るようにもなった。

だが、もともと気丈だったので、永いことこの苦しみに堪えた。

『このひそかな苦しみですべてを償おう』

しかし、この望みもむなしかった。

自分の一生涯続く苦しみでもって、償うことはできないのでしょうか。

仮に罪を告白した場合はその方が本人にとってはある意味で楽になる場合もあるかもしれません。

死ぬまで苦悩を抱いて日々を送ることと、罪を告白してすっきりすることとは人間にとってどう違うのでしょうか。

彼の場合、死ぬまで苦悩をいだいていてもそれは自分だけの問題解決であり、殺された「ピョートル」の名誉回復にはなりませんので告白するしかないでしょうし、告白したとしても本人の苦悩はずっと続くのかもしれません。

日を追うにつれて、苦悩はますます強くなるばかりだった。

社交界では、だれもが彼のきびしい暗い性格を恐れはしたものの、慈善事業のおかげで尊敬するようになったのだが、尊敬されればされるほど、やりきれぬ思いだった。

いっそ自殺しようという気を起しかけたこともあった、と彼はわたしに告白した。

しかし、自殺の代りに別の夢想がちらつきはじめた–最初はとうていありえぬ気違いじみた夢想と思っていたのだが、やがて心にしっかり食いついてしまい、ふり放すこともできなくなった。

ひと思いに立って、人々の前に行き、自分は人殺しをしたのだとみんなに告げよう、彼はそう夢想したのである。

抽象的に言うと多数の他者の前で、その共同体を構成する一般多数の前で、自らの秘密を打ち明けるということが、ここでは善として考えられていますが、これは決闘の時に思いを吐露した「ゾシマ長老」も同じでした。

このことは、社会に対する信頼があってこそ成り立つのではないでしょうか。

実際には、警察に行って自首するのだと思いますが、彼の発想としては世間の人々に告げるということが第一とされているようです。

三年ほど彼はこの夢想をいだいてすごし、それはたえずさまざまな形をとって目の前にちらついた。

そしてついに、罪を告白してしまえば、間違いなく自己の魂を癒やし、永久に安らげるのだと、心から信ずるにいたった。

しかし、信じてしまうと、心の内に恐怖をおぼえた。

どうやって実行すればよいのか?

そこへ突然、わたしの決闘事件が起ったのだった。

「あなたを拝見しているうちに、今度こそ決心がつきました」

わたしは彼を見つめた。

「ほんとうに」

わたしは手を打ち合せて叫んだ。

「あんな些細な出来事がそれほどの決心をあなたの心に起させたんですか?」

「わたしの決心は三年がかりで生れていたのです」

彼は答えた。

「あなたの事件がきっかけを与えてくれただけです。あなたを見て、わたしは自分を責め、あなたを羨ましく思いましたよ」

むしろきびしいほどの口調で彼は言った。

「でも、あなたの話は信じてもらえないでしょうよ」

わたしは注意した。

「なにしろ十四年もたっているんですから」

「証拠を持っています、重大な。それを出しますよ」

これをきいて、わたしは泣きだし、彼に接吻した。

「ただ一つ、一つだけ解決してください!」

彼は言った。

まるで今や、すべてがわたしの一存できまるかのようだった。

「妻と子供たちのことです! 妻はことによると悲しみのあまり死んでしまうかもしれませんし、子供たちはたとえ貴族の称号や領地を剥奪されぬにせよ、やはり流刑囚の子供になってしまうのです、それも永久に。わたしはなんという記憶を子供たちの心に残すことになるのでしょう!」

妻や子供に何の罪もありませんからね、難しい問題ですね。

わたしは黙っていた。

「妻や子供たちと別れるべきでしょうか、永久に見棄てるべきなのでしょうか? なにしろ永久にですからね、永久ですよ!」

わたしは腰をおろしたまま、黙って心の中で祈りをつぶやいていた。

やがて、ついにわたしは立ちあがった。

恐ろしくなってきたのである。

「どうでしょう?」

彼はわたしを見つめていた。

「行って、人々に告白なさい」

わたしは言った。


「何もかもやがて過ぎ去り、真実だけが残るのです。お子さんたちだって、大きくなれば、あなたの偉大な決意にどれほど広い心が必要だったか、わかってくれますよ」


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