そのときは、彼は即座に決心したような態度で帰って行った。
だが、その後も二週間以上たてつづけに毎晩わたしを訪れ、いつも覚悟を決めながら、やはり踏み切ることができないのだった。
彼はわたしの心をすっかり疲れさせた。
時にはしっかりした態度でやってきて、感動をこめて言うこともあった。
「わたしにとって楽園が訪れることはわかっています。告白すれば、すぐに訪れることでしょう。十四年というものは地獄の暮しでした。わたしは苦しみたい。苦悩を背負って、真の人生をはじめますよ。嘘でこの世を渡りぬいたら、あと戻りはできませんからね。今のままでは、身近な人はおろか、自分の子供さえ、愛する勇気がないのです。ああ、おそらく子供たちだって、わたしの苦悩がどんな値を払ったものかを理解してくれ、わたしを責めないでしょう! 神は力の中にではなく、真実の中に在るのですから」
「あなたの偉大な行為は、だれもが理解しますとも」
わたしは言った。
「今すぐにではなくとも、いずれわかってくれます。なぜなら、あなたは真理に仕えたのですからね。この地上のではない、最高の真理に・・・・」
ここでは、「地上の真理」と「天上の真理」は別になっているのですね。
「地上の真理」というのは世間一般の常識的なものであり、「天上の真理」とは自分が神と交わした真理でしょう。
そして彼は慰めを得たかのように帰ってゆくのだが、翌日になると突然また、憎しみにみちた蒼白な顔でやってきて、嘲るように言うのだった。
「わたしがこちらへ伺うたびに、あなたはさも『また告白しなかったな?』と言いたげな好奇の目で眺めるんですね。もう少し待ってください、あまり軽蔑しないでくれませんか。実行するのは、あなたが考えてるほど、たやすいことじゃないんですから。ひょっとしたら、まだ全然やるつもりがないのかもしれませんよ。そしたら、わたしを密告しに行くんじゃないでしょうな、え?」
ところがわたしは、そんな愚かな好奇の目で眺めることはおろか、彼に目を向けることさえ恐れていたくらいなのだ。
わたしは病気になりそうなほど疲れきってしまったし、わたしの心は涙にあふれていた。
夜の眠りさえ失っていたのである。
「わたしは今」
彼はつづけた。
「妻のところから来たのです。妻というのが、どんなものか、おわかりになりますか。わたしが出てくるとき、子供たちは『行ってらっしゃい、パパ、早く帰ってきて《子供のお話》をいっしょに読んでね』と叫んでましたっけ。いや、こんなこと、あなたにわかるはずがない! 他人の不幸は知恵を授けず、と言いますからね」
「他人の不幸は知恵を授けず」というのは、よくわかりませんが、「マタイによる福音書」27:42の「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。」というところからなのでしょうか。
彼は目をぎらぎらさせ、唇がふるえだした。
ふいに拳でテーブルを殴りつけ、テーブルの上の物がとびあがったほどだった。
あんなに穏やかな人なのに、こんなことははじめてだった。
「それに、そんな必要があるでしょうか?」
彼は叫んだ。
「必要ですかね? だって、だれひとり有罪になったわけじゃなし、わたしの代りに流刑になった者もいないんですよ。召使は病気で死んだのです。流した血に対して、わたしは苦しむことによって罰せられたのです。それに、わたしの話なぞ全然信じてもらえませんよ、わたしのどんな証拠だって信じてくれるものですか。それでも告白する必要があるでしょうか、必要なんですか? 流した血に対してわたしはこれからも一生苦しむ覚悟です、ただ妻や子供たちにショックを与えたくないのですよ。妻子を道連れにするのが、はたして正しいことでしょうか? われわれは間違ってやしませんか? それならどこに真理があるのです? それに、世間の人たちにその真理がわかるでしょうか、その真理を正しく評価し、尊敬してくれるでしょうか?」
『ああ!』
わたしはひそかに思った。
『こんな瞬間に、まだ世間の尊敬などを考えているのだ!』
そう思うと、あまりにもこの男が哀れになり、苦しみを軽くしてやれるものなら、みずから運命をともにしてもいいような気さえした。
見ると、彼は半狂乱だった。
こういう決意がどれほどの値につくものかを、わたしはすでに理性だけではなく、生きた心によってさとり、慄然とした。
「わたしの運命を決めてください!」
ふたたび彼は叫んだ。
「行って告白なさい」
わたしはささやいた。
声がかすれたが、しっかりした口調でささやいたのである。
そこでわたしはテーブルの上から福音書のロシア語訳をとり、ヨハネによる福音書の第十二章二十四節を彼に示した。
ここで切ります。

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