2017年12月6日水曜日

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『よくよくあなた方に言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる』

わたしは彼の来る前にこの一節を読んだばかりだった。

また、「ヨハネによる福音書の第十二章二十四節」の引用が登場しました。

この「一粒の麦」は(4)(580)(594)で登場しましたが、これだけ繰り返されることはめずらしいですね。

彼は読んだ。

「なるほど」と彼は言ったが、苦い笑いをうかべた。

「そう、この本の中では」

しばらく沈黙したあと、言った。

「実に恐ろしい言葉に出くわしますね。そいつを人の鼻先へ突きつけるのは、たやすいことだ。だれですか、これを書いたのは。人間ですかね?」

「聖霊が書いたのです」

わたしは言った。

「口でしゃべるだけだから、あなたは楽ですよね」

彼はまたせせら笑ったが、もはやほとんど憎しみに近い笑いだった。

わたしはふたたび福音書をとり、別の個所を開くと、『ヘブル人への手紙』第十章三十一節を示した。

『ヘブル人への手紙』とは、『ヘブライ人への手紙』のことで「新約聖書中の一書で、新約聖書中もっとも文学的な書であるといわれる。その理由はギリシア語の流麗さにあり、アレクサンドリアのクレメンスも絶賛していたとエウセビオスが記している。オリゲネスは(当時使徒パウロの手紙とされていた)『ヘブライ人への手紙』は他のパウロ書簡とはギリシア語の見事さにおいて際立った違いがあると分析している。著者は不詳であるが、おそらくパウロ書簡がまとめられたあとの95年ごろに執筆されたと考えられている。本書が『ヘブライ人への手紙』と呼ばれるのはテルトゥリアヌスが『デ・プディチティア』の中でそう呼んで以来のことである。」とのことです。

彼は読んだ。

『生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである』

これは、『ヘブル人への手紙』の十章三十一節にありましたが、前後関係を理解していなければ意味がわからないですね。

彼は読み終えるなり、本を放りだした。

全身をふるわせてさえいた。

「恐ろしい言葉です」

彼は言った。

「一言もありません、よく選びましたね」

彼は椅子から立った。

「じゃ、失礼します」と言った。

「たぶんもう伺わないでしょう・・・・天国でお目にかかりましょう。つまり、十四年間、『わたしは生ける神のみ手のうちに落ちていた』わけですね。この十四年間をそう名づけていいわけですね。明日こそその手に、わたしを放してくれるように頼みますよ・・・・」

わたしはよっぽど彼を抱擁して接吻しようかと思ったが、勇気がなかった。

それほど彼の顔がゆがみ、苦しそうな目つきをしていたのだ。

彼は出ていった。

『ああ、立派な人なのに、どこまで堕ちてしまったのだろう!』

わたしは思った。

わたしはただちに聖像の前にひざまずき、霊験あらたかな庇護者であり救済者である聖母マリヤに、泣きながら彼のことを祈った。

涙ながらに祈りつづけているうちに三十分ほどたった。

すでに深夜で、十二時近かった。

見ると、ふいにドアが開き、彼がまた入ってくるではないか。

わたしはびっくりした。

「どこに行ってらしたんです?」

わたしはたずねた。

「わたしは」

彼が言った。

「わたしは、その、何か忘れ物をしたような気がして・・・・ハンカチでしたかな・・・・いや、何も忘れなかったにせよ、とにかく坐らせてください」

椅子に坐った。

わたしは彼のわきに立っていた。

「あなたも坐りませんか」と彼が言うので、わたしは腰をおろした。

二分ほどそのまま坐っていた。

彼は食い入るようにわたしを見つめ、ふいに皮肉な笑いをうかべた。

わたしはそれをよくおぼえている。

そのあと、立ちあがって、固くわたしを抱きしめ、接吻した・・・・

「おぼえておいてくれたまえ」

彼は言った。

「君のところへ二度も来たってことをね。いいかい、おぼえておいてくれたまえ!」

はじめてわたしに、君(一字の上に傍点)という言葉を使ったのである。

そして出て行った。

『明日だ』

わたしは思った。


この先のことは予想できませんが、ここで切ります。


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