一週間後に彼は死んだ。
町じゅうの人が彼の柩を墓地まで送った。
司祭長がまごころのこもった弔辞を述べた。
だれもが彼の人生を断ち切った恐ろしい病気を嘆き悲しんだ。
だが、葬儀が終ると、町じゅうがわたしを白い目で見るようになり、自分の家に招ずることさえやめた。
もっとも、最初はごくわずかだったが、彼の自白の真実性を信ずる者もいて、その数はしだいに増えてゆき、わたしを訪ねてきては、たいそうな好奇心と嬉しさを示しながら、あれこれと質問するようになった。
それというのも、人間は正しい人の堕落と恥辱を好むからである。
だが、わたしは沈黙を守り、間もなくすっかり町を離れて、五ヶ月後には、これほどはっきりと道を示してくれた、目に見えぬ主の御指を祝福しながら、主の思召しによって揺るぎない荘厳なこの道に踏みこむ栄に浴した。
しかし、苦しみ多かった神のしもべミハイルのことは、いまだに毎日、お祈りの中で思い起しているのである。
ここで切ります。
「苦しみ多かった神のしもべミハイル」とは誰のことでしょうか。
今までに登場した人物では、「ラキーチン」と「大天使ミハイル」と「ゾシマ長老」の最後の説話に集まった四人のうちのひとりの司祭修道士が「ミハイル」ですが、これから登場する人物でしょうか。

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