2018年1月11日木曜日

651

しかし、この際わたしは、たとえ束の間にせよ、やはり「アリョーシャ」にとって宿命的な混乱の瞬間に頭の中にうかんだ、ある奇妙な現象についても、黙っているつもりはありません。

たびたび文中にあらわれる「わたし」がわざわざ「黙っているつもり」はないと言いながら書いているのですから、それは重要なことと言わざるを得ませんね。

この新たにちらと現れたものとは、今や「アリョーシャ」の心にたえず思い起される、兄「イワン」との昨日の会話の、一種のやりきれない印象にほかなりません。

まさしく今になって、それが思い起されるのです。

だが、彼の心の中で、根本的な、いわば自然発生的な信仰の何かが揺るがされたというわけではありません。

彼は自分の神を愛していましたし、たとえふいに不平を言いかけたとはいえ、やはり揺るぎなく神を信じていました。

しかし、それでもやはり、兄「イワン」との昨日の会話を思いだすと、なにか漠然としてはいますが、やりきれぬ、うとましい印象が、ふいに今ふたたび心の中でうごめきはじめ、しだいに強く表面に出ようとするのでした。

「アリョーシャ」の頭をよぎったことが「イワン」との会話のことだというのは予想外でしたが、説明者である「わたし」は具体的なことは書いていません。

ただ、それは説明できないことで、事実としてそのことを思い出したということでしょう。

「アリョーシャ」もそれによって信仰が揺らいだということではないのですが、そのことを思い出したという事実は非常に大きな何かがあると思われますし、それを事実として書くことによって人間の複雑さが表現されていると思います。

もうすっかり、暗くなりかけたころ、僧庵から松林をぬけて修道院に行こうとした「ラキーチン」は、突然、木陰の地面に顔を突っ伏して眠ってでもいるように、身じろぎ一つせぬ「アリョーシャ」の姿に気づきました。

彼はそばに行き、声をかけました。

「ここにいたのか、アレクセイ? ほんとに君は・・・・」

びっくりして彼は言いかけましたが、しまいまで言わずに口をつぐみました。

『ほんとに君はそこまで思いつめちまった(十二字の上に傍点)のか?』と言いたかったのです。

「アリョーシャ」は彼を見ようともしませんでしたが、ある程度の動きによって「ラキーチン」は、相手が自分の言葉を耳にし、理解していることを、すぐに見破りました。

「いったいどうしたんだい?」

なおも彼はびっくりしていましたが、そのおどろきはもはや彼の顔で微笑に変りはじめ、それがしだいに嘲りの色を帯びていきました。

「おいおい、僕はもう二時間以上も君を探してたんだぜ。突然あそこから君が消えちまったもんでね。それにしても、こんなところで何をしてるんだい? 深刻ぶってばかな真似をするなよ。せめて僕の顔くらい見ろよ・・・・」

今読んでいる「新潮文庫」の原卓也訳では、「・・・・君を探してたんだせ。・・・・」になっていますが、これは誤植でしょう。

この本ではじめて見つけた誤植です。

「アリョーシャ」は顔をあげ、坐り直すと、木に背中をもたせました。

泣いてこそいませんでしたが、その顔は苦悩をあらわし、眼差しには苛立ちがうかがわれました。

もっとも彼が見ていたのは「ラキーチン」ではなく、どこかわきの方でした。

「おい、すっかり顔つきが変わっちまったぜ。評判の高いこれまでの柔和さがまったく見られないじゃないか。だれかに腹を立てたのかい? 侮辱でもされたのか?」

「放っといてくれよ!」

相変わらず相手を見ずに、ものうげに片手を振って、突然「アリョーシャ」が言いました。


「ほう、こりゃどうだ! まるで俗世のほかの連中と同じようにどなりはじめるなんて! これが天使の仲間とはね! ええ、アリョーシカ、びっくりさせるなよ、本当だぜ。僕はまじめに言ってるんだ。久しくここでは何一つおどろいたことがないってのに。とにかくこっちは君を教養ある人間と見なしていたんだからな・・・・」


0 件のコメント:

コメントを投稿