2018年1月13日土曜日

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「アリョーシャ」は無言で立ちあがり、「ラキーチン」のあとについて歩きだしました。

「こいつを兄さんのイワンが見たら、さぞおどろくことだろうな! それはそうと、兄さんのイワンは今朝モスクワへずらかったな、君は知ってるのかい?」

「知ってるよ」

「アリョーシャ」は無関心に言いました。

と、突然、頭の中に兄「ドミートリイ」の面影がちらと浮びましたが、ちらと頭の中をよぎっただけで、何かもはや一刻も猶予できない火急の用事を、ある種の義務を、恐ろしい責務を思い起させはしたものの、その思い出さえべつに何の印象ももたらさず、心にも入りこまず、次の瞬間には記憶から飛び去り、忘れ去られていました。

だが、そのあと永いこと、「アリョーシャ」はこのことをおぼえていました。

物語は時間が行ったり来たりするのですが、このとき「アリョーシャ」の頭をよぎった「ドミートリイ」の面影についてはこれから大変なことが起こるのであり、この部分の描写はそのことの伏線でもありますね。

「君の兄さんのワーネチカがいつだったか、僕のことを《無能な自由主義の鈍物》と評したことがあったよ。君も一度こらえきれなくなって、僕が《恥知らず》だってことを、さとらせようとしたっけね・・・・なに、かまわんさ! 今度はこっちが君らの有能ぶりと誠実さを拝む番だ(この最後の言葉を、ラキーチンはもはやひとりごとのようにつぶやいた)。ちぇ、なあ君」

そうですね、「イワン」が「ラキーチン」を批判したことが書かれていましたね。

彼はまた大声で言いはじめました。

「修道院は避けようや、小路を通ってまっすぐ町に行こうじゃないか・・・・うん。ちょうどホフラコワ夫人のとこへも寄らなけりゃならないし。あのね、僕はこの出来事をすっかりあの夫人に知らせてやったんだ、そしたらどうだい、とたんに鉛筆で走り書きした返事をよこして(あの夫人は手紙を書くのがおそろしく好きでね)、『ゾシマ神父のような立派な長老から、このような仕打ち(八字の上に傍点)は予期していませんでした!』だとさ。まったく、君らは揃いも揃って! あ、待てよ!」

「ホフラコワ夫人」の中では「ゾシマ長老」の立場はそんなにも落ちているのでしょうか。

だしぬけにまた叫んで、ふいに立ちどまると、彼は「アリョーシャ」の肩をおさえて、やはり立ちどまらせました。

「そうだ、アリョーシャ」

ふいにひらめいた思いがけない新しい考えにすっかり心をとらえられ、うわべこそ笑っていましたが、どうやらこの新しい突然の考えを口に出すのがこわいと見えて、彼は探るように相手の目をのぞきこみました。

それほど、今の「アリョーシャ」がおちこんでいる、彼にしてみればまったく予想外のふしぎな気分を、いまだに信ずることができなかったのです。

「アリョーシャ、今からどこへ行けばいちばんいいか、わかるかい?」

やっと彼は探りを入れるように、おそるおそる言いました。

「グルーシェニカのところへ行こうか、え? 行くかい?」

臆病な期待に全身をふるわせながら、ついに「ラキーチン」は言ってのけました。

「行こう、グルーシェニカのところへ」

「アリョーシャ」は動ずる色もなく、すぐさま答えました。

これは、つまり、これほどすみやかな平静な同意は、「ラキーチン」にしてみればあまりにも意外でしたので、危うくうしろにとびすさりかねぬくらいでした。

「え、え! ・・・・そうか!」

彼はびっくりして叫びかけましたが、突然「アリョーシャ」の腕をしっかりつかむと、せっかくの決意が消え失せることをひどく恐れながら、ぐいぐいと小路を引っ張って行きました。

二人は黙って歩きました。

「ラキーチン」は口をきくことさえ恐れていました。

「彼女、きっと大喜びするだろうよ、喜ぶとも・・・・」と、つぶやきかけて、また口をつぐみました。

それに、「アリョーシャ」を連れて行くのは、「グルーシェニカ」を喜ばせるためではまったくありませんでした。

彼は手堅い男でしたから、自分に有利な目的なしには何事も企てたりしませんでした。

今の彼には、二重の目的があり、第一は復讐の目的、つまり、《行い正しき人の恥辱》を、「アリョーシャ」の《聖人から罪びと》への確実な《堕落》を見ることで、その楽しみに彼は今からもう酔っていました。

第二に、彼にとってきわめて有利な、ある種の物質的な目的も念頭にあったのだが、それについてはあとで語ることにしよう。

『つまり、そんな瞬間が訪れたってわけだ』

彼はひそかに意地わるく、楽しく考えました。

『とすれば、こっちはそいつの、そういうチャンスの首根っ子をつかまえてやるまでさ。なにしろ、もってこいのチャンスだからな』


まったくどうしようもない男ですね、「人の弱みにつけこむ」とはこういうことです。


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