「パイーシイ神父」は相手を見おろすように立ちはだかり、一歩もひかぬ構えで待ち受けました。
「フェラポント神父」はしばらく黙っていましたが、ふいに沈みこみ、右手を頰にあてると、長老の柩を眺めやりながら、詠嘆調で言いました。
「この男は明日、ありがたい讃美歌『われらの庇護者、扶けびと』をうたってもらえるが、わしがくたばっても、せいぜい下らん頌歌『この世の喜び』をうたってもらうのが関の山だ」(原注 普通の修道僧や、スヒマ僧の遺体が、庵室から教会へ、さらに葬儀のあと教会から墓地へ運ばれる際には頌歌『この世の喜び』をうたうが、故人が司祭スヒマ僧の場合は讃美歌『われらの庇護者、扶けびと』をうたう)
なんだかここで「フェラポント神父」の「ゾシマ長老」に対する嫉妬心があきらかになりましたね。
この発言は彼の弱点を端的に表すものとなるのではないでしょうか。
そして、ここで(訳注)でなく、めずらしく(原注)として「スヒマ僧」と「司祭スヒマ僧」の違いの解説が付加されいます。
「讃美歌」とは「世界宗教用語大事典」によると「讃は賛とも。キリスト教で、神や救世主を讃える歌。ギリシア教会やカトリック教会などの旧教では、ふつう聖歌といい、新教(プロテスタント)で讃美歌という。日本の讃美歌は明治初年に新教の教職者が英・米・独・仏などの諸国から輸入翻訳したもの。」とのこと。
また、頌歌(しょうか)とは、「ウィキペディア」によると「(オード、ode, 古代ギリシア語:ὠδή、または頌詩(しょうし)、賦(ふ))は壮麗で手の込んだ抒情詩(韻律)の形式。古典的な頌歌は、ストロペー、アンティストロペー、エポードスの3つの部分から構成される。また、homostrophic odeや不規則な頌歌(irregular ode)といった異なる形式も存在する。」とのこと。
頌歌は「しょうか」と読むのですね。
「フェラポント神父」は讃美歌『われらの庇護者、扶けびと』を「ありがたい」と言い、頌歌『この世の喜び』を「下らん頌歌」などと言っています。
つまり、身分上の格差があるのですね。
私には実際どのような歌かもわかりませんが、どちらでもいいように思いますが、「フェラポント神父」は妙なところにこだわっていますね。
「思いあがって、ふんぞりかえっておったくせに。こんなところは下らん!」
突然、狂人のように叫んで、片手を振ると、彼は急に向きを変え、表階段を早足におりて行きました。
下で待っていた群衆は動揺しました。
すぐに彼のあとにつづく者もありましたが、ためらう者もいました。
なぜなら、庵室は相変らず開け放されたままで、「パイーシイ神父」が「フェラポント神父」のあとから表階段に出てきて、立ったまま見守っていたからです。
だが、激しきった老僧はまだ仕上げを終っていませんでした。
二十歩ほど離れると、彼はふいに夕日の方に向き直り、両手を上にあげ、まるでだれかに足を払われたかのように、けたたましい叫びをあげながら大地に倒れました。
この展開は予想できませんでしたが、新旧の神父の闘いがなんだか壮絶なことになっていますね。

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