「お前まで迷ったのか?」
突然「パイーシイ神父」は叫びました。
「お前まで不信心者どもといっしょになっているのか?」
嘆かわしげに彼は付け加えました。
「アリョーシャ」は立ちどまり、なにか捉えどころのない目で「パイーシイ神父」を見ましたが、またその目を急いでそらし、地におとしました。
横向きのまま立ち、質問した相手に顔を向けようともしませんでした。
「パイーシイ神父」は注意深く観察しました。
「急いでどこへ行く? 勤行を知らせているではないか」
重ねて神父はだずねましたが、「アリョーシャ」はまた返事をしませんでした。
「それとも僧庵を去るつもりか? 断りもせず、祝福も受けずに?」
「アリョーシャ」はふいにゆがんだ薄笑いをうかべると、そうたずねた神父に-かつての師であり心と知性の支配者であった最愛の長老が、死にのぞんで彼のことを託したほかならぬその人に、奇妙な、実に奇妙な視線を投げ、相変わらず返事をせぬまま、突然、礼儀さえ気にかけぬかのように、片手を振って、僧庵の出口に向かって足早に歩み去っていきまいた。
「また帰ってくることだろう!」
悲しいおどろきをこめて、そのうしろ姿を見守りながら、「パイーシイ神父」はつぶやきました。
二 そんな一瞬
「パイーシイ神父」が、《かわいい坊や》はまた帰ってくると結論したのは、もちろん誤っていなかったし、ことによると、「アリョーシャ」の内心の気持の本当の意味を(完全にではないにせよ、とにかく鋭く)見ぬいてさえいたかもしれませんでした。
作者は「アリョーシャの内心の気持の本当の意味を(完全にではないにせよ、とにかく鋭く)」と書いていますがここではまだ「内心の気持」がどうであったかさえ書かれていません。
にもかかわらず、正直に白状すると、この物語の、まだきわめて若い、そしてわたしの大好きな主人公の人生における、この曖昧な奇妙な一瞬の正確な意味を明確に伝えることは、今のわたし自身にも非常にむずかしそうです。
作者は「この曖昧な奇妙な一瞬の正確な意味」と書いています。
それは、人の心が突然変わる瞬間であり、もしかすると語ることができないのかもしれませんね。
「アリョーシャ」に向けられた「お前まで不信心者どもといっしょなのか?」という、「パイーシイ神父」の悲痛な質問に対して、もちろんわたしは「アリョーシャ」に代って「いや、彼は不信心者といっしょではない」と、きっぱり答えることができるだろう。
それどころか、この場合むしろ正反対ですらあり、彼の動揺はすべて、信仰がきわめて篤かったからこそ生じたのです。
だが、とにかく動揺はありました。
とにかく動揺は生じたのであり、それも、すでに永い歳月をへたのちでさえ、「アリョーシャ」がこの悲しい一日を自己の生涯におけるもっともつらい宿命的な日々のひとつと見なしたくらい、苦しいものでした。

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