2018年2月14日水曜日

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しばらく考えてから、老人は客を広間に通すように侍僕に命じ、老女中を階下にやって次男にすぐ二階へ来るように言いつけました。

この広間は二階にあるわけですね。

この次男坊は、ひげを貯えず、ドイツ人のようにきちんとした服装で(当のサムソーノフはいつもロシア風の長上衣で、顎ひげを貯えていた)、身長が二メートル近くもある、度はずれな腕力の持主でしたが、文句一つ言わずにすぐ上がってきました。

息子たちは二人とも父親にびくびくしていたのです。

父親はきわめて剛胆な気性だったから、この青年をよんだのもべつに大尉に対する恐怖心からではなく、万一の場合にそなえて、むしろ証人を置いておくためにすぎませんでした。

読者は、ほぼ全員が用心棒代わりにこの息子を呼んだのだと思うでしょうが、まんまと肩透かしをくらってしまいます、しかしよく考えると「サムソーノフ」は病気で一人で歩くことすらできないようですから、いくら「きわめて剛胆な気性」と言っても乱暴者の「ドミートリイ」と対峙するのは不安だと思うのですが。

それに、二人の息子のうちの弟の方を呼んだのであり、わざわざその弟の体格の描写までしているのですから、先ほどの文章はどのような意味を持つのか考えてしまいますね。

息子に腕を支えさせ、さらに侍僕を従えて、やっと彼がふらつく足どりで広間に出てきました。

彼のほうもある種のかなり強い好奇心をおぼえていたと考えなければならなりません。

このさりげない文章があるとないとでは大違いです、まさに異性をめぐる人間の心の動きに想像力を刺激されますが、語り手が一歩ひいた立場からこれを描写しているのが絶妙です。

「ミーチャ」が待たされていたこの広間は、気の滅入るような、とてつもなく大きい、陰気な部屋で、窓が二つあり、中二階風の回廊が設けられ、《大理石を模した》壁を張って、カバーのかかった巨大なシャンデリヤが三つも飾られていました。

「ミーチャ」は入口のわきの椅子に腰かけて、神経質なもどかしさを感じながら自己の運命を待ち受けていました。

「ミーチャ」の椅子から二十メートルほど離れた反対側の戸口に老人が姿を現わすと、彼はふいに跳ね起きて、持ち前のしっかりした軍隊調の大股な足どりで、老人の方に歩みよりました。

なにか陰気そうで面白みにかけ暗そうな印象の屋敷ですが、人家としてはわたしには想像もつかないほどとてつもなく広い家で掃除などは大変だと思ってしまいます。

「ミーチャ」の服装は、二、三日前に修道院で、父「フョードル」や弟たちとの家族の集まりに臨んだときとまったく同じで、礼儀にかなっており、フロックコートのボタンをきちんとかけ、シルクハットを手にして、黒い手袋をはめていました。

ここで語り手が、例の修道院での集まりを二、三日前と書いていますが、いつだったかはっきりしたことがわからなくなったのかもしれませんね。

老人が立ちどまったまま、重々しく厳格な様子で待ち受けていたので、「ミーチャ」はそばへ歩みよるまでの間に、自分が頭から足の先までじっくり見きわめられたのを、いっぺんに感じとりました。

さらに「ミーチャ」をおどろかせたのは、ここしばらくの間に極度にむくみのきた「サムソーノフ」の顔で、それでなくてさえ分厚い下唇が今やホットケーキでもぶらさげたように見えました。

老人は無言のまま重々しく客に会釈して、ソファのわきの肘掛椅子をさし示すと、自分は息子の手にすがり、病人らしい呻き声をたてながら、「ミーチャ」の向い側にのろのろと腰をおろしにかかりました。

そのため、老人の痛々しい努力を見ているうちに、彼はすぐさま、心の内に後悔と、さらにまた、自分が迷惑をかけたこれほど威厳たっぷりな人物に比して、今のわが身の下らなさに対するデリケートな羞恥とを感じたほどでした。

「わたしにどんなご用ですかな?」

やっと腰をおろすと老人は、一語一語はっきり区切りながら、ゆっくりと、いかめしく、しかしいんぎんな口調でたずねました。

いんぎん【慇懃】の意味は、1 真心がこもっていて、礼儀正しいこと。また、そのさま。ねんごろ。「慇懃なあいさつ」2 非常に親しく交わること。「慇懃を重ねる」、とのこと、しかし難しい漢字ですね。


つまり「サムソーノフ」はゆっくりはっきり、威厳があって礼儀正しい話し方で「わたしにどんなご用ですかな?」と言ったのです。


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