2018年2月5日月曜日

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「イエスは母に言われた。『婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません』母は僕(しもべ)たちに言った。『このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい(ここまでの会話は太字)・・・・』

「ヨハネによる福音書」のこの部分で、イエスが母に「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」というのは、いろいろな解釈が可能な部分だと思いますが、どう捉えればいいのでしょう、定説などあるのでしょうか。

「イエス」と母との関係そして「わたしの時」とは何を指すのでしょう、興味深いところですが、今は立ち入るのはやめておきます。

『なんでもしてください、か・・・・なにか貧しい、非常に貧しい人たちの喜びの席なのだろう・・・・婚礼にさえぶどう酒が足りなくなったくらいだから、もちろん貧しい人たちに決まっている・・・・歴史家の書いたものによると、ゲネサレの海(訳注 新約聖書でこうよばれており、現在の名はガリラヤ湖。イスラエル北東部にある。旧約ではキンネレテの海とよばれる)の付近や、その周辺一帯に、当時、およそ想像しうるかぎりでいちばん貧しい住民が住んでいたとうからな・・・・そして、その場に居合わせたもう一人の偉大な人、つまりイエスの母の偉大な心は、イエスがそのとき降りてきたのが単に恐ろしい偉業のためだけはないことを、さらにまた、愛想よくイエスを貧しい婚礼の宴に招いてくれた、そこらの無知な、無知ではあるがずる賢くない人たちの素朴で単純な楽しみも、イエスの心には理解できることを、知っていたのだ。「わたしの時は、まだきていません」イエスは静かな微笑をうかべて、こう言った。きっと彼は柔和な微笑をうかべたに決まっている・・・・実際、イエスは貧しい婚礼の宴でぶどう酒をふやしてやるために、この地上に降りてきたわけではあるまい? だが彼は出かけて行って、母の頼みを容れたのだ・・・・ああ、また朗読している』

この『』は「アリョーシャ」が入眠状態で朦朧としているときに頭に浮かんだことだと思いますが、ガリラヤ湖周辺はそんなに貧しい人びとが住んでいたのでしょうか。

ウィキペディアで「ガリラヤ湖」に書かれている部分の抜粋ですが、「福音書によると、イエスの布教活動はほとんどガリラヤ湖周辺で行われた。当時、湖の周辺には多数の都市が存在し、湖の上を多くの船が行き来していた。『マルコによる福音書』(1:14-20)と『マタイによる福音書』(4:18-22)にはイエスが漁師だった使徒たち(ペトロと兄弟アンデレ、ヨハネとヤコブの兄弟)にどのように声をかけたかが描かれている。有名なイエスの山上の説教はガリラヤ湖を見下ろす丘の上で行われ、湖の上を歩く、嵐を鎮めるなどのイエスの行ったとされる奇跡もガリラヤ湖畔で行われたものが多かったと推測されている。」ということです。

「イエスは彼らに『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
そこで彼らに言われた。『さあ、くんで、料理頭のところに持って行きなさい』すると彼らは持って行った。
料理頭は、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕(しもべ)たちは知っていた)花婿を呼んで言った、
『どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました』(ここまでの会話は太字)・・・・」


『それにしても、これは何だ、どうしたのだ? なぜ部屋がひろがってゆくのだろう・・・・ああ、そうか・・・・婚礼だものな、祝宴なんだ・・・・そうだとも、もちろん。ほら、客たちもいるし、新郎新婦も坐っている、陽気な群衆もいる・・・・賢い料理頭はどこにいるのだろう? だが、あれはだれだ? だれだろう? また部屋がひろがった・・・・あの大テーブルの向うから立ったのはだれかな? まさか・・・・あの方もここに? だってあの方は柩の中のはずでは・・・・でも、ここにも来ておられるんだ・・・・立ちあがって、僕を見つけた。こっちへ歩いてくる・・・・ああ!』


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