「親殺し!」
老人はあたり一面にひびくような大声で叫びましたが、それだけ叫ぶのがやっとでした。
突然、雷に打たれたように老人は倒れました。
「ミーチャ」の手には銅の杵が握られており、彼は機械的にそれを草の中に投げすてました。
この場面は詳しく描かれていませんが、塀に駆け上ろうとした「ドミートリイ」が「グリゴーリイ」に足をつかまれて引き摺り下ろされたのですね、そして「ドミートリイ」は銅の杵で「グリゴーリイ」の頭を叩き、彼はその杵を「機械的に」投げ捨てたのです。
杵は「グリゴーリイ」から二歩ばかり離れたところに落ちましたが、草の中ではなく、小道のいちばん目立つ場所にでした。
先ほどの文章では、「彼は機械的にそれを草の中に投げすて・・・・」とありましたが、ここでは「草の中ではなく、小道のいちばん目立つ場所」と書かれています、この違いはどういう意味があるのでしょうか。
数秒の間、彼は目の前に倒れている老人をしげしげと眺めました。
老人の頭は血まみれでした。
「ミーチャ」は片手をのばし、さわってみました。
あとになってはっきり思いだしたことですが、彼はその瞬間、老人の頭をたたき割ってしまったのか、それとも杵で頭頂部を殴って《昏倒させた》だけなのかを、《十分に確かめ》たくてならなかったでした。
ということは、その瞬間に「ドミートリイ」は反射的に「グリゴーリイ」を殴ったのであり、少なくとも殺意のようなものはなかったということですね、そこには本人の意志は存在しなかったのです。
だがしかし、血がおそろしい勢いでどんどん流れ、一瞬のうちに「ミーチャ」のふるえる指を熱い流れが浸しました。
彼は、「ホフラコワ夫人」をたずねるときに用意した新しい純白のハンカチをポケットから出し、額や顔の血を拭こうと無意味な努力を重ねながら、老人の頭に押しあてたことをおぼえています。
しかし、ハンカチもたちまち血でずぶ濡れになってしまいました。
『冗談じゃない、何のためにこんなことをしているんだろう?』
ふいに「ミーチャ」はわれに返りました。
『たたき割ったとすりゃ、いまさら確かめてもはじまらない・・・・それに今となっては、どうせ同じことじゃないか!』
突然、絶望的に彼は付け加えました。
「殺したものは殺したんだ・・・・爺さんもわるいところへ来たもんだ、じっと寝てるがいい!」
彼は大声で言い放つと、いきなり塀にとびつき、路地にとびおりて、まっしぐらに走りだしました。
ぐっしょり濡れたハンカチは右の拳に丸めて握っていましたが、彼は走りながらそれをフロックの尻ポケットに突っこみました。
彼は一目散に走りつづけたため、町の通りの闇の中ですれ違った何人かの数少ない通行人は、後日、その夜、狂ったように走ってゆく男に出会ったことを思いだしたものでした。
彼はふたたびモロゾワの家をめざしてとんで行きました。
先ほど「フェーニャ」は、彼が帰るとすぐ門番頭の「ナザール・イワーノウィチ」のところへ駆けつけ、『後生だから、今日も明日も大尉さんを二度と通さぬよう』懇願しはじめました。
「ナザール・イワーノウィチ」は話をききとると、承知しましたが、間のわるいことに急によばれて二階の奥さんのところに行っており、その途中、ごく最近に田舎から出てきたばかりの二十歳くらいになる甥に出会ったので、門番をするよう言いつけたのですが、大尉の件を言っておくのを忘れていました。
門に駆けつけると、「ミーチャ」は扉をたたきました。
若者はすぐに相手を見分けました。
「ミーチャ」はこれまでに一度ならず、この若者に酒手を与えていたからです。
「酒手」(さかて)は、「酒を買う金。さかだい。」のこと。
若者はすぐくぐり戸を開けて、中に入れ、陽気に笑いながら、「アグラフェーナ」さまはただいま留守でございます」と前もって急いで知らせました。
「どこに行ったんだ、プロホル?」
突然「ミーチャ」は立ちどまりました。
「さっきお出かけになりました。二時間ほど前に、チモフェイの馬車でモークロエに」
「チモフェイ」というのはモークロエから迎えにきた馭者ですね。
「何しに?」
「ミーチャ」は叫びました。
「それは存じませんが、どこかの将校さまのところへいらしたので。どなたか、あちらから迎えの馬車をおまわしになったんでございますよ・・・・」
全部言ってしまいましたね。
「ミーチャ」は若者を放りだし、気違いのように「フェーニャ」のところに駆けこみました。

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