「あの方が戻ってらしたとき」
「フェーニャ」が興奮して付け加えました。
「あたしは何もかも白状してから、どうして両手が血まみれなのでございますと、ドミートリイさまにいろいろたずねてみたんです」
すると彼は、この血は人間のだ、自分はたった今人殺しをしてきたのだ、と答えたそうです。
気が動転しているのかでしょう、「フェーニャ」は(771)でも「まだ血がたれていました。ぽたぽたと血がたれていました!」と間違ったことを言いました、そしてここでも彼が「この血は人間のだ、自分はたった今人殺しをしてきたのだ」と言ったというのは違っています、(718)で確かに「これは人間の血だ・・・・」とは言っています、また(729)で馬車に乗ろうとする彼に「どうか奥さまを殺さないでくださいまし!」と声をかけたとき、彼は「フェーニャ、立てよ、俺の前にひれ伏したりしないでくれ。このドミートリイは人なんぞ殺さんよ、こんなばか者だって今後は殺したりするもんか。あ、そうそう、フェーニャ」と言っていますので、勘違いしたのでしょう。
「そう白状なさると、その場であたしにすべてを後悔なさって、突然、気違いのようにとびだしていかれたんですわ。あたしは坐って、考えはじめたんです。いったいどこへ気違いのように走ってらしたんだろう? そうだ、モークロエへ行って、奥さまを殺すおつもりだわ、と思いましたわ。そこで奥さまを殺さないでくれとおねがいしに、あの方の下宿へ走って行く途中、プロトニコフの店をのぞいたら、あの方が今しも出発なさろうとしているのが目に入ったんです。もう手は血だらけじゃございませんでしたわ」
この「その場であたしにすべてを後悔なさって・・・・」というのも、「フェーニャ」の創作ですね。
「フェーニャ」がそれに気づいて、おぼえていたのです。
「フェーニャ」の祖母にあたる老婆も、一生懸命に孫娘の証言を裏付けました。
さらにいくつか質問したあと、「ペルホーチン」は入ったときにもまして興奮と不安に包まれながら、家を出ました。
今やいちばん直接的で手取り早いのは、「フョードル」の家へ、何か起らなかったか、起ったのであればいったい何事なのかをききだしに行き、もはや疑う余地なく確信できた上ではじめて、すでに「ペルホーチン」が固く心に決めているように警察署長のところへ行くことだ、という気がしました。
しかし、暗い夜でしたし、「フョードル」の家の門は頑丈で、またたたかなければならぬうえ、「フョードル」ともほとんど付き合いはありませんでしたから、せっかくたたき起して門を開けてもらったとしても、万一何事も起っていなかったりしようものなら、嘲笑好きな「フョードル」のことだから、真夜中に「ペルホーチン」とかいう見ず知らずの官吏が押し入ってきて、だれかに殺されはしなかったかとたずねたなどという笑い話を、明日にも町じゅうにふれまわるにちがいありません。
「ペルホーチン」は「フョードルの家の門は頑丈で、またたたかなければならぬ」と思ったと書かれていますが、「さっきも門を必死になってたたいたのにまたか、こんなことをするのは自分は得意ではないし似つかわない」と思ったからなのでしょう、細かなことですがなんだかリアリティーがあります。
それこそスキャンダルだ!
「ペルホーチン」はこの世で何よりもスキャンダルを恐れていました。
にもかかわらず、心をとらえた感情があまりにも強かったため、彼は腹立たしげに片足で大地を蹴りつけ、またもや自分を罵ると、すぐさま新しい道に突きすすみました。
今度はもう「フョードル」ではなく、「ホフラコワ夫人」のところへでした。
なぜ、「ペルホーチン」は「ホフラコワ夫人」を選んだのでしょうか、いろいろ考えてまだましだったのでしょうね。
もし、さっきこれこれの時間に「ドミートリイ」に三千ルーブルを与えたかどうかという質問に、夫人が否定の返事をした場合は、「フョードル」のところに寄らないで、ただちに警察署長のところへ行こう、そうでない場合は万事を明日までのばしてわが家へ帰ろう、こう彼は思ったのです。
やはり、三千ルーブルのことにかかわらず「フョードル」のところへは寄った方がいいと思いますが。
もちろんこの場合、若い男が深夜、それも十一時近くに、まるきり一面識もない上流社会の婦人の家をたずね、そんな状況からすれば呆れられるような質問をするために、ことによると寝床に入っているかもしれない婦人をたたき起すなどという決心は、「フョードル」をたずねる場合より、スキャンダルをひき起す可能性がはるかに多いことくらい、すぐに考えられるでしょう。
しかし、往々にして、それも特に今のような場合、きわめて几帳面で慎重な人間の決定でも、ままこういうことがあるものです。
読みながら感じた私の疑問や違和感を作者はここでもすぐにすくい上げてくれていますが、これは感動すらおぼえます、つまり、作者と気持ちが繋がっているという気にさせてくれるのです。
また、この瞬間の「ペルホーチン」は、もはやまったく慎重居士ではなかったのです!
「慎重居士(しんちょうこじ)」とは「軽々しく行動せずに、注意深く慎重な人のこと。「居士」は出家せずに、仏教の修行をする人をからかって呼ぶ名称。」とのこと。
その後、一生の間よく彼は思いだしたものですが、しだいに心をとらえる抑えきれぬ不安が、ついには苦痛にまで達し、意に反してさえ彼をぐいぐい引きずっていったのでした。
もちろん、それでもやはり彼は、その夫人をたずねることに対して、道々ずっと自分を罵りつづけていましたが、『最後までやりぬくんだ、やりとおすんだ!』と、歯がみしながら十遍もくりかえし、自分の意志を貫いて、やりとおしました。
何度も言いますがこの辺の「ペルホーチン」の心理描写は見事としか言いようがありません。

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