「ホフラコワ夫人」の家に入ったのは、ちょうど十一時でした。
屋敷内にはかなり早く入れてもらえたものの、奥さまはもうお寝みか、それともまだ起きていらっしゃるかという質問に対して、門番はたいていこの時刻にはお寝みになっておられるということ以外、正確には答えられませんでした。
「二階にいらして、取次ぎをお頼みになってごらんなさいまし。お会いになる気があれば、お通しするでしょうし、その気がなければ、お通ししないでしょうから」
「ペルホーチン」は二階に上がりましたが、こっちはもっと面倒でした。
召使が取り次ごうとせず、しまいには小間使をよびだしてきました。
この取り次ごうとしなかった召使は、指を怪我した「アリョーシャ」が来た時に水を持ってきた「ユーリヤ」でしょうか。
「ペルホーチン」はいんぎんではありますが、推しの強い口調で、この町の官吏「ペルホーチン」が特別の用向きで伺った、もしこんなに重要な用件でなかったら、失礼をもかえりみず伺ったりしないだろう、と奥さまに取り次ぐよう頼みました。
「ちゃんと、ちゃんとこの言葉どおり取り次いでください」
「ペルホーチン」は小間使に頼みました。
小間使は引きさがりました。
彼はそのまま玄関で待っていました。
当の「ホフラコワ夫人」はまだ横になってはいなかったものの、もう寝室に入っていました。
先ほどの「ミーチャ」の来訪にひどく心を乱されて、今夜はこういう場合にいつも起る偏頭痛は逃れられそうもないことを、すでに予感していました。
小間使の取次ぎをきいて、びっくりした彼女は、見ず知らずの《この町の官吏》とやらの、こんな時刻の思いもかけぬ来訪に、社交界の婦人の好奇心を極度にそそられたにもかかわらず、苛立たしげな口調で断るよう命じました。
ところが、今度は「ペルホーチン」もらば(二字の上に傍点)のように頑固でした。
断わりの返事をきき終ると、彼はもう一度取次を頼み、「非常に重大な用件で伺ったので、もし今お会いくださらないと、あとで当の奥さまが悔まれることになるかもしれない」ことを、ちゃんと《この言葉どおり》伝えてほしいと頼みました。
「あのときはまるで崖からとびおりるような気持だった」と、当人はのちに語ったものです。
小間使は呆れたように彼をじろじろ眺め、再度取次ぎに行きました。
「ホフラコワ夫人」はびっくりして、しばらく考え、どんな様子の人かとたずねて、《とてもきちんとした身なりの、お若い方で、たいそういんぎんである》ことを知りました。
ついでにちょっと記しておきますが、「ペルホーチン」はかなりの美青年で、自分でもそれを承知していたのです。
それで、女性に対しては自信がありげなのですね。
「ホフラコワ夫人」は出て行くことに決めました。
すでにガウンを着て、スリッパにはきかえていましたが、肩に黒いショールを羽織りました。
《官吏》が案内されたのは、さきほど「ミーチャ」の通された例の客間でした。
夫人はいぶかしげなきびしい顔つきで客のところに出てくると、椅子をすすめようともせず、いきなり「ご用件は?」という質問から切りだしました。
「ご迷惑とは存じながらお伺いする気になりましたのは、奥さま、わたしくどもの知人ドミートリイ・カラマーゾフのことに関しまして」と「ペルホーチン」は言いだしかけましたが、この名前を口にしたとたん、突然、夫人の顔にこの上なくはげしい苛立ちがあらわれました。
彼女は危うく悲鳴をあげそうになり、憤然と彼の言葉をさえぎりました。
「いったいいつまで、いつまでわたくしを、あの恐ろしい男のことで苦しめるつもりですの?」
半狂乱の様子で彼女は叫びました。
「あなただって、一面識もない婦人の家を、こんな時刻に騒がせるなんて、よくそんなことができますわね・・・・それも、つい三時間前に同じここの客間で、わたくしを殺しに来て足を踏み鳴らしたあげく、出て行った男の話をしに見えるなんて。れっきとした家からあんな出て行き方をする人間なんて、一人もありませんわ。わたくし、あなたを訴えますから、そのおつもりで。このままにはしておきませんからね。今すぐ出て行ってください・・・・わたくしも一児の母です、わたくし今すぐ・・・・わたくし・・・・もう・・・・」
「れっきとした家からあんな出て行き方を・・・・」というのは、「ドミートリイ」が三千ルーブルを借りに「ホフラコワ夫人」を訪ねた時のことです、彼女は熱心に金鉱の話をしました、その挙句肝心のお金は手元にはないということがわかった時の彼の行動のことです、(709)の冒頭になりますが、「ええ、畜生め!」と突然わめき、拳で力まかせにテーブルを殴りつけました、夫人は「あ、あれ!」と怯えきって悲鳴をあげ、客間の向う端までとびすさりました、「ドミートリイ」は唾を吐き棄て、足早に部屋を、家を出て、真っ暗な通りにとびだしましたというところですね、それにしても「ペルホーチン」を訴えるとは「ホフラコワ夫人」も偏頭痛が起るほど心が苛立っているとはいえ相当気が強いですね。

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