2018年5月6日日曜日

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彼女は肘掛椅子から立ちあがり、ふらりとしました。

「ミーチャ、これ以上あたしにお酒を飲ませないで。あたしがほしいと言っても、くれちゃだめよ。お酒は心を落ちつかせてくれないわ。何もかもまわっている。ペチカも何もかもまわっているわ。踊りたい。あたしの踊るところを、みんなに見てもらいたいわ・・・・あたし、とっても上手に、きれいに踊るんだから・・・・」

踊るという気持は本物でした。

後から付け加えたようなこの一文は不要な気がしますが、仮にこの一文がないとするとどうなのか、文章はそれはそれで繋がりはするのですが、読むものにとっては何かが若干違ってくるように思います、それを言葉で表現するのはむずかしいのですが、頭の中を猛烈な勢いで「本物」とか「嘘」とか「疑問」とか、他にも言葉にできないたくさんのことが頭のどこかとどこかを行き来し、交流する作用がこの一文の作用としてあるのかもしれません。

彼女はポケットから、踊りの中で振るために白い上麻のハンカチを取りだし、右手でその端をつまみました。

「ミーチャ」はこまめに世話をやき、娘たちは合図のありしだい、踊りの歌をコーラスでうたいだす態勢をとって、鳴りを静めました。

なんだか「ドミートリイ」は「グルーシェニカ」の付き人のようになっていますね、彼はうれしさのあまり舞い上がっており、普通の状態ではないのですが、物語の中でもこのあたりでは彼の存在感が希薄になっているような感じがします、つまり彼の心理や行動が詳細に書かれていなくて、ただ無心に彼女にかしずく黒子のような存在になっており、それは描かれないことによってその存在の希薄さと同調しているように思います。

「グルーシェニカ」がみずから踊るつもりでいることを知ると、「マクシーモフ」は感激のあまり金切り声をあげ、歌を口ずさみながら彼女の前をとびはねようととびだしかけました。

足はほっそり、お腹はポンポコ、
尻尾はくるりと一ひねり。

しかし、「グルーシェニカ」はハンカチを振って、彼を追い払いました。

道化役の「マクシーモフ」はハエのように追い払われたのですね。

「しィ! ミーチャ、どうしてみんな来てくれないの? みんなに来てもらって・・・・見物に。閉じこめたあの人たちもよんでやって・・・・なぜ閉じこめたりしたの? あたしが踊るからって、言ってちょうだい。あたしの踊るところを、あの二人にも見せてやるわ・・・・」

ドアの向こうに閉じこもったままの二人のポーランド人がどうなっているのか、気になっていましたが、やっとここで「グルーシェニカ」によって呼び出されました。

「ミーチャ」は酔った勢いで閉めきった戸口に歩みより、拳でドアをたたきはじめました。

「おい、お前ら・・・・カードの名人! 出てこいよ、彼女が踊るそうだ。お前らをよんでるぜ」

「ドミートリイ」も酔っているからでしょうが、ひどい態度ですね、これが「ドミートリイ」の本心であるとするなら、むしろ「グルーシェニカ」の方の本心がまだましかもしれないと思ってしまいます。

「ろくでなし!」

どっちかのポーランド人がどなり声で応じました。

「そんなら手前はしちでなし(五字の上に傍点)だ! チンピラの卑怯者め、手前はそういうやつさ!」

ロシア語でもこのシャレは通用するのでしょうか、信じ難いのですが、たまたま手元にあった「亀山郁夫訳」でもそうなっていて驚きました。

「ポーランドの悪口はやめといたほうがいいですよ」

これも抑えのきかぬほど酔っ払った「カルガーノフ」が、説教めかしく注意しました。

「黙ってな坊や! あいつに卑怯者と言ったからって、ポーランド全体を卑怯者と言ったことにはならないんだから。一人のろくでなしだけで、ポーランドが成り立ってるわけじゃないんだ。黙ってなよ、かわいい坊や、飴でもなめといで」

これは、誰の発言がわかりにくいのですが、「ドミートリイ」の言葉です。

「まあ、なんて人たちなの! まるで人間じゃないみたい。どうして仲よくしようとしないのかしら?」

「まるで人間じゃないみたい」という表現はおもしろいですね。

「グルーシェニカ」は言って、踊るためにすすみでました。

コーラスがひびきわたりました。

「ああ、なつかしき、わが家の戸口」

これは、彼女の踊りのためのコーラスの出だしですが、踊りのための歌合はできていたのでしょうか。

それにしても「グルーシェニカ」は自分の踊りをすべての人に見てもらいたいようですが、なかなか個性的な性格ですね、まるで舞台女優か何かみたいです、よほど自分の容姿や踊りに自信があるのでしょうが、客観的に見れば一般女性では現実にはあまりいないタイプだと思います、女性性から言えば、祭祀を司る巫女のような存在です。

「グルーシェニカ」は首をぐいと反らしかけ、唇を軽く開いて、ほほえみ、ハンカチを振りおろしかけましたが、突然、その場で強くよろけ、けげんな表情で部屋の真ん中に棒立ちになりました。

「力が出ないわ・・・・」

彼女はなにか疲れきったような声でつぶやきました。

「ごめんなさい、力がぬけてしまって、踊れないの・・・・すみません・・・・」

彼女はコーラスに一礼したあと、四方に順ぐににおじぎしにかかりました。

「すみません・・・・ごめんなさい・・・・」

「少しお酔いになったんですわ、奥さま、お酔いになったのね、おきれいな奥さま」

人々の声がしました。

「奥さまはお酒がすぎたようで」


卑しい笑い声をたてながら、「マクシーモフ」が娘たちに説明しました。


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