「で、どこでその布地を、つまり袋を縫ったぼろ布を手に入れました?」
「からかってるんじゃないでしょうね?」
「とんでもない、こっちはからかうどころじゃないんですよ、ドミートリイ・フョードロウィチ」
「どこでぼろ布を手に入れたか、おぼえてませんね、どこかで拾ったんでしょう」
「なんとかそれを思いだせませんか?」
「ほんとにおぼえてないんですよ、何か下着でも引き裂いたのかもしれませんね」
「ドミートリイ」はひと月前に自分で縫ったのでしたら、おぼえていると思いますが、縫っている間は布に集中するはずですから。
「それは非常に興味深いですな。明日にでもあなたの下宿でその品が見つかるかもしれませんね、もしかしたら、あなたが切れ端を引き裂いたシャツでもね。ぼろ布はどういう布地でした、木綿ですか、麻ですか?」
「布地なんぞ、わかるもんですか。いや、待ってくださいよ・・・・たしか、べつに何も引き裂いたりしなかったはずだな。あれはキャラコでしたね・・・・たしか、下宿のおかみのナイトキャップで縫ったんです」
一応、縫うときに布に集中し、それがキャラコだったことを思い出し、それからの連想で下宿のおかみのナイトキャップだったことを思い出したというふうになっています、たしかに、ナイトキャップであれば引き裂いたりせず、縫うだけで袋になりますね。
「キャラコ」とは、いろいろな定義があるようですが「平織綿織物の一種。キャリコcalicoの俗称。インドで初めて生産され集産地のカリカットCalicutから輸出されたので,この名がある。インド更紗(さらさ)はこのキャラコに捺染(なつせん)したものである。イギリスでは白綿布をキャラコといい,アメリカでは一般の綿布とか捺染した綿布を広義にキャラコと呼んでいる。日本ではイギリスから最初に輸入されたキャラコが漂白品であったので,キャラコすなわち漂白品となっている。」というものもありました、現物を見ないとわかりません。
「下宿のおかみのナイトキャップですって?」
「ええ、おかみのところから、くすねてきたんです」
たとえどんなものでも、くすねるということは良くないことだと思うのですが「ドミートリイ」には、そのような感覚がないのかもしれません、つまり、自分が見てぼろぼろの棄ててもおかしくないようなナイトキャップだからすぬんでもいいと思っているのかもしれません、そして、「下宿のおかみのところから」とは具体的にどこにあったのかも気になります。
「くすねてきたとは?」
「そうだ、たしかにおぼえてます、あのとき、雑巾か、あるいはペン拭きにでもするつもりで、ナイトキャップを一つくすねてきたんです。こっそり失敬したんです。そんなわけで、何の役にも立たぬぼろ布が僕の部屋にころがっていたんですが、そこへたまたまこの千五百ルーブルの件が起ったんで、すぐさま縫いこんだってわけです・・・・たしか、そのぼろ布に縫いこんだはずですよ。千回も洗ったような、古いキャラコのぼろ布でね」
本当でしょうか、自分で雑巾か、あるいはペン拭きにするか目的もはっきりしないぼろ布をわざわざ盗んだりするでしょうか、しかも、千五百ルーブルを縫い込む前からそのぼろ布が部屋の中にあったと言っていますが、そんなことはありえないのではないでしょうか、この辺のところは話に無理があるように思います。
「すると、それはもう、はっきりおぼえているんですね?」
「はっきりかどうか、わかりませんね。たしかナイトキャップでしたよ。しかし、どうだっていいじゃありませんか!」
「すると、下宿のおかみは少なくとも、その品が紛失したことは思いだせるはずですね?」
「いや、全然。気づきもしませんでしたからね。古いぼろ布だと言ったでしょうに。一文の値打ちもない、古いぼろ布ですよ」
「じゃ、針はどこから手に入れたんです、それに糸は?」

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