「その人はだれのことも軽蔑しません」
「アリョーシャ」はつづけました。
「ただ、だれのことも信じないだけです。しかし、信じないとすると、もちろん、軽蔑しているわけですね」
「とつまり、あたしのことも? あたしもね?」
「あなたのことも」
「すてきだわ」
「リーザ」はなにか歯ぎしりをしました。
「あの人が笑って出て行ったとき、あたし、軽蔑されるのもすてきだって感じたわ。指を斬りおとされた子供もすてきだし、軽蔑されるのもすてきだわ・・・・」
こう言うと彼女は、妙に敵意のこもったような、感情の激した笑いを、「アリョーシャ」にぶつけました。
「ねえ、アリョーシャ、あたし、ほんとは・・・・アリョーシャ、あたしを救ってちょうだい!」
突然、彼女は車椅子から跳ね起き、アリョーシャにとびついて、両手でひしと抱きすがりました。
「あたしを救って」
ほとんど呻きに近い声でした。
「今あなたに話したようなことを、世界じゅうのだれかに言えると思って? だってあたし、本当のことを、本当のことを話したのよ、本当のことを! あたし自殺するわ、何もかもけがらわしいんですもの! 生きてなんかいたくない、何もかもけがらわしいんだもの! 何もかもいや、けがらわしいわ! アリョーシャ、なぜあたしをちっとも、ちっとも愛してくれないの!」
(929)で「リーザ」は「あの人」つまり「イワン」に「・・・・その人が来ると、あたし、男の子の話や砂糖漬のことをふいに話してきかせたの。何もかも(四字の上に傍点)話したわ、何もかも(四字の上に傍点)。《すてき》だってことも言ったのよ。・・・・」と言っていますが、感情的すぎてよくわかりません。
彼女は狂ったようにこう結びました。
「違う、愛してますよ!」
「アリョーシャ」はむきになって答えました。
「じゃ、あたしを思って泣いてくださる、ねえ?」
「泣くでしょうね」
「あなたの奥さんになろうとしなかったことじゃなく、ただあたしを思って泣いてくださる、ただあたしを思って?」
「泣くでしょうね」
「ありがとう! あたしに必要なのはあなたの涙だけよ。あとの人はみんな、あたしを罰して、足で踏みにじったってかまわないわ、だれ一人(四字の上に傍点)省かずにみんなが、みんながそうしてもいいの! だってあたし、だれも愛していないんですもの。そうなの、だれのことも! 反対に、憎んでいるわ! もう行くといいわ、アリョーシャ、お兄さまのところへ行く時間よ!」
彼はふいに彼から身をはなしました。
「あなたを残して行くんですか?」
「アリョーシャ」はほとんど怯えて言いました。
「お兄さまのところへいらっしゃいよ、刑務所が閉ってしまうわ。早くいらして、はい、あなたの帽子! お兄さまにキスしてあげて。早く行って、早く!」
そして彼女は力いっぱい、アリョーシャを戸口から追いだしました。
アリョーシャは悲しげな不審の表情で見つめていました。
しかし、ふと自分の右手に、しっかりとたたんだ封をした小さな手紙が握らされたのを感じました。
ちらと見て、彼はとっさに、イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ様という宛名を読みとりました。
彼はすばやく「リーザ」を眺めやりました。
彼女の顔がほとんど恐ろしいほどになりました。
「渡してちょうだい、必ず渡してね!」
全身をふるわせながら、彼女は狂ったように命じました。
「今日、すぐによ! さもないと、あたし毒を飲むから! あなたをよんだのも、このためだったの!」
この「イワン」宛ての手紙が何のことかわかりません、どういう内容でしょうか、愛する対象が「アリョーシャ」から「イワン」に変わったのでしょか。
そして急いでドアを閉めました。
掛金の音がしました。
「アリョーシャ」は手紙をポケットにしまうと、「ホフラコワ夫人」のところには寄らずに、まっすぐ階段に向かいました。
夫人のことなど、忘れてさえいました。
一方「リーザ」は、「アリョーシャ」が遠ざかるやいなや、すぐに掛金をはずして、ドアをほんの少し開け、その隙間に指を一本はさむと、ぴしゃりとドアを閉めて、力まかせに指を推しつぶしました。
十秒ほどして手をぬくと、静かにゆっくりと車椅子に戻り、身体をまっすぐ起したまま坐って、くろずんだ指と、爪の下からあふれでる血とを、食い入るように眺めはじめました。
唇がふるえていました。
彼女は早口につぶやきました。
「恥知らず、恥知らず、恥知らず!」

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