2018年11月16日金曜日

960

「なんでフランス語の単語なんぞ暗記しているんだ?」

テーブルにのっているノートを、「イワン」は顎で示しました。

どうしたことでしょう、「イワン」は全く話題を変えましたね、彼はモスクワでさんざん進歩的な思想に触れてきていると思うのですが、「スメルジャコフ」に対する今までの言動からみると全くの専制君主のようですね。

「わたしだって、教養を伸ばすために、フランス語の単語をおぼえちゃならんという理由はございませんでしょうが。わたし自身だって、ことによると、そのうちヨーロッパのああいう幸福なところに行けるようになるかもしれない、と思いましてね」

「いいか、悪党」

「イワン」は目をぎらぎらさせ、全身をふるわせました。

「俺はお前の言いがかりなんぞこわくない。俺に関して何とでも証言するがいいさ。俺は今お前を殴り殺さずにおいたのは、今度の犯罪でお前をクロとにらんで、法廷に引きずりだすためにほかならないんだ。この先お前の罪をあばきだしてみせるからな!」

「イワン」は実際のところどう思っているのでしょうか、私は「ドミートリイ」が犯人だと彼は思っていると思うのですが、「スメルジャコフ」も犯罪に何らかの形で加担しており、そのことを法廷で明らかにしたいのでしょう。

「でも、わたしの考えでは、黙ってらっしゃるほうがようございますよ。だって、まったく無実のわたしを、どうして犯人よばわりできますか、それにだれがあなたの言葉を信じてくれます? あなたがはじめたら最後、わたしもすべて話しますからね。なぜって、わたしだってわが身を守らにゃなりませんでしょうが?」

「俺がいまさらお前をこわがる、とでも思ってるのか?」

「今あなたに申しあげたわたしの言葉が、すべて法廷で信用されなくたってかまやしません、その代り世間では信じてくれますから。そうすれば、あなたもいい恥をかくことでしょうよ」

「それもやはり、『賢い人とはちょっと話してもおもしろい』という意味なのか、え?」

ここが、この肝心なところが今ひとつ理解できません、つまり『賢い人とはちょっと話してもおもしろい』とは、言い換えればどういうことを指しているのでしょうか、たとえば、「分かる人には分かる」と言うことでしょうか。

「イワン」は歯ぎしりしました。

「まさにそのとおりですとも。賢くなさってくださいまし」

これは、まったく誰が聞いても「スメルジャコフ」の勝利で「イワン」は完敗ですね、しかし教養も知識もある「イワン」が奴隷の身分である「スメルジャコフ」にここまで言い負かされるというのは、彼自身に疚しいことがあるからでしょうか。

「イワン」は怒りに全身をふるわせながら、立ちあがり、外套を着ると、それ以上「スメルジャコフ」に返事をせず、見ようともしないで、足早に小屋を出ました。

すがすがしい夜気が気分をさわやかにしてくれました。

空に月が明るくかがやいていました。

さまざまな思いと感覚の恐ろしい悪夢が、心の中でたぎり返っていました。

『今すぐスメルジャコフを訴えに行こうか? しかし、何と言って訴えよう。あいつはとにかく無実なんだからな。あべこべに、あいつが俺を訴えることだろう。実際、何のためにあのときチェルマーシニャへ行ったりしたんだ? なぜ、何のために?』

「イワン」はチェルマーシニャに行こうとしていましたが、実際には行っていませんね、(573)で「チェルマーシニャへは行かなくていい。どうだい、七時の列車に遅れないだろうか?」と言っています。

「イワン」は自分に問いかけました。

『そう、もちろん、俺は何事かを期待していたんだ。あいつの言うとおりだ・・・・』と、これでも百遍目にもなるのですが、またしても、あの最後の夜、階段の上から父の様子にきき耳を立てたことが思い起こされました。

ここで書かれている「あの最後の夜、階段の上から父の様子にきき耳を立てたこと」については、(954)でも「つまり、何のために俺はあのとき、出発前の最後の夜、フョードルの家で、泥棒のようにこっそり階段に出て行って、階下で父が何をしているか、きき耳をたてたのだろう、なぜそれをあとで思いだしたとき、嫌悪にかられたのだろう、なぜ翌朝、道中であんなに突然、気が滅入り、モスクワに列車が入る頃になって、『俺は卑劣な人間だ!』と自分自身に言ったのだろう、などとたえず自分に問いかけるようになった、とだけ言えば十分でしょう。」と書かれています、ここの部分は(567)の「ずっとあとになってこの一夜を思いだすたびに、イワンは一種特別な嫌悪とともに思い起したのですが、その夜彼は何度か突然ソファから立ちあがって、まるで監視されてはいないかとひどく恐れるみたいに、そっとドアを開けて、階段の上に出ては、階下の部屋の様子や、フョードルが下の部屋で身動きしたり歩きまわったりしている気配に耳をすまし、永いこと、そのつど五分くらいずつ、何か異様な好奇心を燃やし、胸をどきつかせながら、息を殺してきき入っていたものであり、それでいて何のためにそんなことをしているのか、何のために耳をすましているのか、もちろん、自分でもわからないのでした。この《行為》を彼はそのあと一生の間、《醜悪な》行為とよび、生涯を通じて心ひそかに深く、自分の一生の中でももっとも卑劣な行為と見なしていました。」の部分であり、それに続く(568)で「フョードルそれ自身に対しては、この瞬間なんの憎しみすら感じず、ただなぜか、父が階下の部屋をどんなふうに歩きまわっているだろう、今ごろは大体何をしているはずか、と懸命に好奇心をつのらせ、きっと父は暗い窓から外をうかがったり、ふいに部屋の真ん中で立ちどまったりして、だれかノックしいているのではないかと、ひたすら待ちわびているにちがいないなどと予測したり、想像したりしていたにすぎませんでした。そんなことをするために、イワンは階段の上に二、三度出て行きました。」と書かれています、なんだかすっきりしないわかりにくい書き方だと思います。

しかし、今はそれを思いだすなり、ひどい苦痛をおぼえたため、突き刺されたようにその場に立ちすくんだほどでした。

『そうだ、俺はおのときあの事態を期待していたんだ、たしかにそうだ! 俺はのぞんでいた、殺人を望んでいたんだ! 俺が殺人を望んでいたって? ほんとに望んでいたのだろうか? スメルジャコフのやつを殺さなけりゃいけない! もし今スメルジャコフを殺す勇気もないんなら、これから生きてゆく値打ちもないんだ!」

「イワン」はそのとき、自分の家へ寄らずに、まっすぐ「カテリーナ」のところへ行き、その姿で彼女をびっくりさせました。

まるで狂人のようだったのです。

彼は「スメルジャコフ」との話を、細かい点にいたるまで残らず伝えました。

どんなに彼女が説得しても、「イワン」は気を鎮めることができず、のべつ部屋の中を歩きまわって、きれぎれに異様なことを口走っていました。


やっと腰をおろしたものの、テーブルに肘をつき、両手で頭を支えて、奇妙な警句めいた言葉をつぶやきました。


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