三 医学鑑定とくるみ四百グラム
医学鑑定もさほど被告の助けになりませんでした。
それに、「フェチュコーウィチ」自身も、あまり当てにしていなかったらしく、そのことはあとでわかりました。
もともとこの鑑定は、もっぱらモスクワからわざわざ有名な博士を招いた「カテリーナ」のたっての希望によって行われたものでした。
弁護側はもちろん、これによって何一つ損をするはずはありませんでしたし、うまくすれば何かしら得するかもしれませんでした。
しかし、医師たちの意見の相違から、ある程度むしろ喜劇的な結果すら生れた感がありました。
鑑定医として出廷したのは、遠来の有名な博士と、この町の「ヘルツェンシトゥーベ」博士、そして最後が若い医師「ワルヴィンスキー」でした。
あとの二人は、ともに検事に召喚された普通の証人としても出廷しました。
最初に鑑定医として尋問されたのは、「ヘルツェンシトゥーベ」博士でした。
これは禿げあがった白髪頭の、七十になる老人で、中背のがっちりした体格でした。
この町のだれもが彼を高く買い、尊敬していました。
良心的な医者で、敬虔な立派な人柄であり、ヘルンフート派か《モラヴィアの同胞》派(訳注 清教徒の一宗派。ともにきわめてストイックな敬虔な宗派)の信者でしたが、確かなところはわかりません。
「ヘルンフート」は「1722年ツィンツェンドルフ伯爵の領地にモラヴィアから逃れてきたフス派、兄弟団の群れが、ヘルンフート(主の守り)と呼ばれる共同体を形成した。各地で迫害されていた敬虔派やアナバプテストも逃れてきたが互いに権利を主張しあって問題が絶えなかった。しかし、1727年8月13日の聖餐式で全員が聖霊の力を経験して、その結果として財産共同体が発足した。1737年にニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフが監督となる。」とのことですが、《モラヴィアの同胞》のことはよくわかりません。
この町での生活もすでに非常に古く、きわめて毅然とした態度を持していました。
親切で情に厚く、貧しい病人や百姓を無料で治療してやり、彼らのバラックや小屋へみずから足を運んでは、逆に薬代を置いてきてやるほどでしたが、一面、騾馬のように頑固でもありました。
一つの考えが頭に根づいたら、それを追い払うことは不可能でした。
ついでに言っておきますが、遠来の有名な医者がこの町へきてたかだか二、三日しかたたぬというのに、「ヘルツェンシトゥーベ」博士の才能に関して、不遜にもいくつかきわめて侮辱的な批評を加えたことは、もはや町じゅうのほとんどすべての人に知れ渡っていました。
というのは、モスクワの医者の往診料は二十五ルーブルを下らぬというのに、やはりこの町の一部の人々は名医の来訪の機会を喜び、金に糸目をつけずに、診察を仰ぎに殺到しました。
この病人たちはみな、それまでもちろん「ヘルツェンシトゥーベ」博士にかかっていたのでありますが、有名な医者はいく先々で博士の治療をひどく手きびしく批判しました。
しまいには、患者のところに行くと、いきなり、「え、だれがこんなに病気をこじらせちまったんです、あの「ヘルツェンシトゥーベ」ですか? へ、へ!」と、たずねるようにさえなりました。
「ヘルツェンシトゥーベ」博士は、もちろん、それらすべてをきき知りました。
そして今や、その三人の医者が尋問のために次々に出廷したのであります。
「ヘルツェンシトゥーベ」博士は、「被告の知的能力の異常はおのずと窺い知れる」と、率直に言明しました。
それから、ここでは省略しますが自分の考えを披露したあと、その異常は何よりも、被告のこれまでの数々の行為からだけではなく、今この瞬間にさえ見てとれると付け加え、今この瞬間どういう点にそれが見られるかと説明を求められると、老博士はお人好しの頑固さをそのまま示して、こんな指摘をしました。
つまり、被告が法廷に入るとき、「この場の状況からみて普通でない、奇妙な様子をしていました。あの人はたいへんな女好きで、婦人たちがこれから自分のことをどう噂するだろうと、大いに考えるのが当然ですから、婦人たちの坐っている傍聴席の左手の方を見てしかるべきだというのに、あの人は兵隊のようにずんずん歩いて、目を正面に向けたままだったからです」と、老人は独特の言葉づかいで結びました。
この「ヘルツェンシトゥーベ」博士の発言は説得力がありませんね。
一言付け加えておかねばなりませんが、彼は好んで大いにロシア語で話すのですが、彼が話すと一句一句がドイツ語風になるのでした。
もっとも、そんなことに当人は決して気おくれしませんでした。
それというのも、彼は終生、自分のロシア語を模範的な、《ロシア人よりも上手な》ものと見なす欠点を持っていたからで、ロシアの諺を用いるのを非常に好み、しかもそのたびに、ロシアの諺は世界じゅうのどんな諺よりも立派で、表現力に富んでいることを力説するのでした。
もう一つ指摘しておくなら、彼は話の最中、うっかりするのかどうか、ごく普通の単語を度忘れすることが多く、その言葉はよく知っているのに、なぜかふいに頭から抜けてしまうのであります。

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