「イッポリート」の論告の中の「スメルジャコフ」の言葉の引用部分からです。
「・・・・『あの方は始終わたしを疑っていました。わたしは恐ろしさと不安とで、お怒りを鎮めたい一心から、どんな秘密でも急いでお教えしたのです。それによって、ふたごころないことをお認めいただき、生命だけは助けていただくためでございました』これは当人の言葉であります。わたしはこれを書きとめ、おぼえておいたのです。『あの方にどなりつけられて、わたしはひざまずいたことがよくございました』生れつきとても正直な若者であり、主人の失くした金を返しに行ったとき、その正直さを認められて主人の信頼を博していたため、気の毒なスメルジャコフは、恩人と慕っていた主人を裏切った後悔に、ひどく苦しんでいたと考えねばなりますまい。博学の精神科医たちの証言によれば、癲癇の持病にひどく苦しんでいる者は常に、絶え間ない、そしてもちろん病的な自責にかられる傾向があるとのことです。彼らはだれかに対する何らかの《罪の意識》に苦しみ、良心の呵責に悩んで、往々にして何の根拠もないのに誇大に考え、さまざまな罪や犯罪を自分がやったように考えだすのであります。そしてこのような人物は恐怖と怯えのために、実際に罪人に、犯罪人になってゆくのです。そればかりか、彼は自分の目の前で作られてゆく状況から何か不吉なことが生れかねないと、強く予感したのでした。フョードルの次男イワンが惨劇の直前、モスクワへ発とうとしたとき、彼はとどまってくれるよう哀願したのですが、それでも持ち前の臆病な癖で自分の危惧をはっきりと明らさまに言ってしまう勇気が出なかったのです。彼はほのめかす程度で満足したのですが、そのほのめかしが通じなかったのでした。一つ指摘しておかねばなりませんが、彼はイワンを自分の庇護者のように仰ぎ、イワンさえ家にいれば災難は起らぬという保証のように見ていたのであります。ここでドミートリイの《酔余の》手紙の中にあった、『イワンが出かけさえしたら、親父を殺してやる』という表現を思いだしていただきたい。これでみると、イワンの存在はだれにとっても、家の中の平穏と秩序の保証のように思われていたのです。ところがその彼が出発してしまい、スメルジャコフはとたんに、若主人の出発後ほとんど一時間もたたぬうちに、癲癇の発作で倒れたのです。しかし、これは十分理解できます。ここでついでに触れておく必要がありますが、恐怖と一種の絶望に打ちひしがれていたスメルジャコフは、その数日というもの癲癇の発作の近づく可能性を特に感じていたのであり、それまでにも常に発作は精神的緊張と動揺の瞬間に起っていたのであります。発作の日時を予測することは、もちろんできませんが、癲癇患者はだれでも発作の起りそうな気配をあらかじめ感ずることができるのです。これは医学の告げるところであります。こうしてイワンの馬車が出て行くやいなや、スメルジャコフはいわば天涯孤独と心細さの感を強めながら、家の用事で穴蔵へ行き、階段をおりながら『発作が起りやしないだろうか、もし今起こったらどうしよう?』と考えた。そして、まさしくそうした気分、その懸念、その疑問のために、いつも発作に先立つ咽喉の痙攣が起り、彼は意識を失って穴蔵の底へもんどり打ってころげ落ちたのであります。ところが、このきわめて自然な偶然の中に何らかの疑惑を見いだそうとし、彼がわざと(三字の上に傍点)仮病を使ったのだとほのめかし、指摘する人もいるのです! しかし、もしわざとであれば、いったい何のためにという疑問が生じます。どんな打算から、どんな目的があってか? 医学のことはもうもうしますまい。医学は嘘をつく、科学は間違えることもある、医者が本当の病気と仮病を区別できなかったのだ、などと言われるからです。言わせておけばよろしい。だが、それなら、何のために彼は仮病を使う必要があったのかという、わたしの質問に答えていただきたいものです。まさか、殺人を思い立ったあと、発作を起してあらかじめ、なるべく早く家じゅうの注意を自分に集めておくためではありますまい?・・・・」
ここで切ります。
「イッポリート」は「スメルジャコフ」を「生れつきとても正直な若者」と説明し、またそのように認識していますが、私がここまで読んできた限りでは、その反対で何もかも胡散臭い人物のような気がします、彼は「スメルジャコフ」については、尋問のときの印象しかなくその時にそう思ったのだと思いますが、人を見る目がないのか、「スメルジャコフ」が上手なのかどちらかでしょう。

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