2018年4月23日月曜日

753

「やめなさいよ、ミーチャ、その人の言うとおりかもしれないわ。それでなくても、ずいぶん負けたんだし」

「グルーシェニカ」も声に妙なひびきを含ませて言いました。

この一連の状況の描写の中において、この「声に妙なひびきを含ませて言いました」というなにげない表現、これは普通ではなかなかできないような驚くべき表現ではないでしょうか。

ポーランド人は二人とも、ひどく侮辱された顔つきで、ふいに席を立ちました。

「冗談でしょうな、あんた?」

きびしく「カルガーノフ」をにらみつけながら、小柄な男が言いました。

「よくもそんな真似ができるもんだね、あんた!」

「ヴルブレフスキー」も「カルガーノフ」に啖呵を切りました。

「やめなさい、どなるのはやめてちょうだい!」

「グルーシェニカ」が叫びました。

「まったく、七面鳥みたいに!」

「ミーチャ」はみなを順番に眺めていました。

しかし、突然、「グルーシェニカ」の表情の何かに心を打たれ、そのとたん何かまったく新しいものが彼の頭にもひらめきました-奇妙な新しい思いつきでした!

この感嘆符は、地の文についていますので、著者にとっては相当思い入れのある「奇妙な新しい思いつき」のはずです。

「パーニ・アグリッピーナ!」

激怒に顔を真っ赤にして、小柄なポーランド人が言いだしかけたとき、突然「ミーチャ」がそばへ歩みよって、肩をたたきました。

「ポーランドの貴族さん、ちょっと話があるんだ」

「何の用ですか、あんた?」

「あっちの部屋へ、向うの部屋へ行きましょう。ちょっとあんたにいい話があるんだ、耳よりの話がね。あんたもきっと満足しますよ」

小柄なポーランド人はびっくりして、不安そうに「ミーチャ」を眺めました。

それでも、すぐに同意しましたが、「ヴルブレフスキー」もいっしょに行くというのが絶対条件でした。

「ボディガードもかい? かまいませんよ、あの人も必要なんだ。むしろぜひ来てもらいたいな!」

「ミーチャ」は叫びました。

「さ、行こう!」

「どこへ行くの?」

「グルーシェニカ」が心配そうにたずねました。

「すぐに戻ってくるよ」

「ミーチャ」は答えました。

その顔に、ある種の大胆さが、ある種の思いがけぬ生気がかがやきはじめていました。

一時間前、この部屋に入ってきたときとはまるで違う顔でした。

彼はポーランド人たちを右手の小部屋に案内しました。

そこは、娘たちのコーラスが支度したり、食卓の用意をしたりしている広間ではなく、トランクやボストンバッグが積み上げられ、それぞれに更紗の枕を山のように積んだ大きなベッドが二つ置かれている寝室でした。

片隅にある小さな薄板のサイドテーブルの上に、燈明がともっていました。

小柄なポーランド人と「ミーチャ」はそのサイドテーブルの前に向い合って坐り、大男の「ヴルブレフスキー」は両手をうしろに組んでそのわきに立ちました。


ポーランド人たちはきびしい顔で、しかし露骨に好奇心を示して見つめていました。


2018年4月22日日曜日

752

「大尉さん、ポドヴィソツキイの話きいたことありますか?」

「ポドヴィソツキイって?」

「ワルシャワである人が制限つきバンクやっていました。そこへポドヴィソツキイ来て、千ルーブルの金貨見て、自分も賭ける言いました。バンクの親言いましたね。『ポドヴィソツキイさん、あなた金貨賭けますか、それとも名誉賭けますか?』『名誉賭ける』ポドヴィソツキイ言いました。『それなら、なお結構』バンクの親、こう言って、カードくばったです。ポドヴィソツキイ勝って、千ルーブル金貨もらおうとしました。『待ちなさい』バンクの親が言って、引出しをぬくと、百万ルーブル渡したです。『お待ちなさい、これがあなたの取り分です』そのバンク、百万ルーブルの勝負だったですね。『わたし、そんなこと知らなかった』ポドヴィソツキイ言いました。『ポドヴィソツキイさん』バンクの親、言った。『あなた名誉賭けた、わたしたちも名誉賭けました』ポドヴィソツキイ、百万ルーブルもらったです」

この話は「そこへポドヴィソツキイ来て、千ルーブルの金貨見て、自分も賭ける言いました。」が具体的にどういう状況なのかがはっきりしないので何を言いたいのかわかりませんが、たぶん黙っていればわからないものを、ポーランド人は誠実で自分自身に嘘をつかず金払いもよく良心的であるということでしょうか。

「それは嘘だ」

「カルガーノフ」が言いました。

「カルガーノフさん、ちゃんとした集まりで、そういう口はきかぬものですよ」

この「ちゃんとした集まり」というのは、ポーランド人はロシア人と同席している場なのでそれなりの自国の名誉のようなものを背負っていると思っているということでしょう。

「じゃ、君にもポーランドの賭博師が百万ルーブルくれるさ!」

百万ルーブルとは十億円ですね。

「ミーチャ」は叫んだが、すぐにはっと気づきました。

「すみません、また失礼しました。また失礼なことを言ったりして、払いますよね、百万だって払いますよ、名誉に賭けて。ポーランドの名誉に賭けて! どうです、僕のポーランド語は、は、は! さ、十ルーブルを掛けます、よし、ジャックだ」

十ルーブルは一万円です。

「わたしは一ルーブル女王さまに。かわいいハートのクイーンさんに、ひ、ひ!」

「マクシーモフ」がクイーンの札を押しだして、卑しげな笑い声をあげ、まるでみんなから隠そうとでもするかのように、テーブルにぴったりにじり寄って、テーブルの下で手早く十字を切りました。

「ミーチャ」は勝ちました。

一ルーブルのほうも勝ちました。

ここで「バンク」というトランプのゲームについてはよく知られていると思いますが、わたしはやったことがなく、まったくわかりませんでしたのルールについて少し調べました。

「親が銀行員、その他のプレイヤーが預金者となり、賭けたカードの強弱を競うゲームです。親である銀行員が破産したら預金者の勝ち、預金者がすべて破産したら銀行員の勝ちとなります。」
「預金額・・・各プレイヤー手札であるライフとなるカード。 A、K、Q、J以外のカードを「お金」として扱います。A、K、Q、J以外の使用カード36枚のうち、赤いマークのカードは2000円、黒いマークのカードは1000円の扱いになり、合計金額は 54,000円です。このうち、半分の27,000円分のカードを親である「銀行員」が持ちます。残りの27,000円分を参加プレーヤーである「預金者」に金額が均等になるように配ります。」
「勝負札・・・場に裏向きに並べられた7枚のカード。」
「破産・・・「預金額」としていた手持ちの手札が全て無くなった状態。ゲーム途中で「破産」となると、そのラウンドのゲームが終了するまでゲームには参加できません。」
「赤いマークのカードは2000円、黒いマークのカードは1000円」
「親である「銀行員」がこの16枚のカードを毎ゲームごとに切り、場に7枚、そして「銀行員」の手元に1枚裏向きに配置します。「預金者」(プレイヤー)は場にある7枚のうち1枚に預金額を賭け、銀行員側の裏返された勝負札との勝負を行います。」
「お金のカードの合計金額54,000円のうち、半額の27,000円分のカードが銀行員の手持ちカードとなります。残りの27,000円分を、親以外の参加プレイヤーでカードの色で金額が異なることを踏まえて金額が均等になるように分配します。」
「「預金者」全員の賭け終わったら、「銀行員」は自分の勝負札を、預金者は自分が選択したカードを一斉にオモテ向きにして、カードの強さ勝負となります。銀行員の勝負札の方が預金者の選択した札よりも強ければ、預金者の賭け金はすべて銀行員のものとなります。逆に、預金者の選択した札の方が銀行員の勝負札よりも強ければ、銀行員は預金者が賭けた金額分を自分のカードから預金者に払うことになります。引き分けの場合、勝負札に賭けた賭け金は「預金者」に戻ります。」

以上ですがこれを読んでもさっぱりわかりません、他にも細かいルールがたくさんありますが実際にやってみないとわからないと思いますのであきらめます。

「角折り!(訳注 賭金を四分の一ふやすこと。自分の賭ける札の角を折って表示する)」

「ミーチャ」は叫びました。

「わたしはまた一ルーブル。平賭けでね。わたしは少しずつ平賭けでやっていきますよ」

一ルーブル勝ったことをひどく喜んで、「マクシーモフ」が幸せそうにつぶやきました。

「やられた!」

「ミーチャ」が叫びました。

「倍賭けで七!」

その倍賭けも負けました。

「おやめなさいよ」

突然「カルガーノフ」が言いました。

「倍賭け、倍賭けだ!」

「ミーチャ」は賭金を倍にしていきましたが、何に倍賭けしても、みんな負けてしまうのでした。

一ルーブルのほうは勝ちつづけていました。

「倍賭け!」

「ミーチャ」はすっかり頭にきてわめきました。

「二百ルーブル負けたですよ、あなた。もう二百賭けますか?」

ソファの男が念をおしました。

「何だって、二百も負けた? それじゃ、もう二百だ! 二百をそっくり倍賭け!」

こう言ってポケットから金をつかみだし、「ミーチャ」がクイーンの上に二百ルーブルを放りだそうとしかけたとたん、だしぬけに「カルガーノフ」が片手でそのカードを覆いました。

「いい加減になさい!」

持ち前の甲高い声で彼は叫びました。

「それは何の真似です?」

「ミーチャ」は彼を見つめました。

「もういいでしょう。僕は見ていたくない。これ以上、勝負はなさらないことですね」

「なぜ?」

「なぜでもです。唾でもひっかけて、お帰りなさい、これが理由ですよ。これ以上は勝負をさせませんからね」


「ミーチャ」はあっけにとられて彼を眺めていました。


2018年4月21日土曜日

751

「わたしの女神!」

ソファの男が叫びました。

「あなたのおっしゃることは、法律です。ご機嫌がわるいのを見て、わたしまで悲しいのです。わたしはかまいませんよ、あなた」

「ドミートリイ」をかえりみて、彼はこう結びました。

「はじめよう、諸君!」

「ミーチャ」はポケットから札束をつかみだし、その中から百ルーブル札を二枚テーブルの上に置きながら、すかさず言いました。

「僕はね、あなたにうんと負けたいんですよ。さ、カードを取って、賭けてください」

「ドミートリイ」は大金を持って捨て鉢の状態ですから、勝負はどうでもよくむしろ負けた方がいいのでしょう。

「カードはここの主人から借りるいいですね」

小柄なポーランド人が押しつけがましく、真顔で言いました。

まだこのパイプを吸うポーランド人の名前が出てきませんね、一緒に来ている「ヴルブレフスキー」よりは、重要な人物であるはずなのですが。

また、翻訳文の関係でポーランドの訛りが何だか中国語みたいですね。

「それが最良の方法だね」

「ヴルブレフスキー」が相槌を打ちました。

「主人から? いいでしょう、わかりました。主人のでもかまいませんよ、それは立派なもんだ! おい、カードだ!」

「ミーチャ」は主人に命じました。

主人がまだ封を切らぬカードを持ってきて、「ミーチャ」に、もう娘たちは集まっているし、シンバルを持ったユダヤ人たちもおそらく間もなくくるはずだが、食料品を積んだ馬車がまだ間に合わない、と告げました。

「ミーチャ」はテーブルの前からとび離れ、すぐ指図をしに隣の部屋に走りました。

しかし、娘は全部で三人来ているだけだったし、それに「マリヤ」もまだでした。

おまけに彼自身も、どう指図すればよいのか、何しに走りでてきたのか、わからぬ始末でした。

そこで、箱から土産物や、ドロップや、ヌガーを出して娘たちに分け与えるようにと、それだけ言いつけました。

「それから、アンドレイにウォトカをやってくれ。ウォトカをアンドレイにな!」

彼は手早く命令しました。

「アンドレイにわるいことをしたよ!」

このとき、あとを追って走りでてきた「マクシーモフ」が、ふいに彼の肩に手をかけました。

「わたしに五ルーブル貸してくださいませんか」

彼は「ミーチャ」にささやきました。

「わたしもバンクで運だめしをしたいもんで、ひ、ひ!」

「それはいい、上出来だ! 十ルーブル持っていきなさい、ほら!」

彼はまたポケットから札を全部引っ張りだして、十ルーブル札を探しだしました。

「負けたら、またいらっしゃい、またね・・・・」

「わかりました」

「マクシーモフ」は嬉しそうにささやいて広間に駆けこんで行きました。

「ミーチャ」もすぐに戻り、待たせたことを詫びました。

ポーランド人たちはすでに席につき、カードの封を切っていました。

今までずっと愛想よく、やさしいと言ってもよいような顔つきでした。

ソファの男は新しくパイプに火をつけ、カードを切る用意をしていました。

その顔には一種の荘厳さすらあらわれていました。

「席についてください、みなさん!」

「ヴルブレフスキー」が宣しました。

「いや、僕はもうやりませんよ」

「カルガーノフ」が答えました。

「さっき、五十ルーブルも負けたんですよ」

「あなた運わるかったです、今度は運よくなるかもしれません」

ソファの男が彼の方を向いて言いました。

「いくらのバンクです? 制限つきですか?」

「ミーチャ」はかっかしていました。

「いくらでもそうぞ。百でもいいです、二百でもかまいません、いくらでも賭けてください」

「百万だ!」

「ミーチャ」は哄笑しました。


「哄笑(こうしょう)」とは、どっと笑うことですね。


2018年4月20日金曜日

750

「ああ、もうたくさん。そんな話、気色がわるいわ、ききたくもない。楽しい話でも出るかと思っていたのに」

突然「グルーシェニカ」が話の腰を折りました。

「ミーチャ」ははっとして、すぐに笑うのをやめました。

この辺の「ドミートリイ」の「グルーシェニカ」への気の使い方は少し哀れですね。

大男が席を立ち、畑違いの連中といっしょで退屈したと言いたげな尊大な様子で、両手を背中で組むと、部屋を隅から隅へ歩きまわりはじめました。

「あら、歩きだしたわ!」

「グルーシェニカ」がさげすむように男を眺めやりました。

「ミーチャ」は心配になってきました。

おまけに、ソファのポーランド人が苛立たしげな顔つきでちらちらとこちらを眺めているのに気づいたのです。

「あなた(パン)」

「ミーチャ」は叫びました。

「飲みましょうや、あなた! もう一人の方もごいっしょに。飲みましょう、みなさん!」

彼はすかさずグラスを三つ引き寄せ、シャンパンをつぎました。

「ポーランドのために、みなさん、あなた方のポーランドのために乾杯、ポーランドの国のために!」

「ミーチャ」は叫びました。

「それはとても嬉しいことです。みなさん、飲みましょう」

ソファのポーランド人がもったいぶって鷹揚に言い、自分のグラスをとりました。

「そちらの方もどうぞ。何てお名前かな、ねえ、そちらの貴族さん、グラスをとりなさいよ!」

「ミーチャ」が気をもみました。

「パン・ヴルブレフスキーです」

ソファのポーランド人がそっと教えました。

「ヴルブレフスキー」は長身を揺すりながら、テーブルに歩みより、立ったまま自分のグラスを受けとりました。

「ポーランドのために、みなさん。ウラー!」

「ミーチャ」はグラスをかかげて叫びました。

三人はいっせいに飲み干しました。

「ミーチャ」は壜をつかむと、すぐにまた三つのグラスにつぎました。

「今度はロシアのために。みなさん、兄弟の契りを結びましょうや!」

「あたしたちにもついで」

「グルーシェニカ」が言いました。

「ロシアのためになら、あたしも飲みたいわ」

「僕も」

「カルガーノフ」が言いました。

「わたしもひとつ・・・・ロシアのためなら、かわいいお婆さん(訳注 母なるロシアをもじったもの)のためになら」

「マクシーモフ」も卑しげな笑いで応じました。

「みんなだ、みんな!」

「ミーチャ」が叫びました。

「おい親父、もう一壜持ってこい!」

「ミーチャ」の持ってきた分のうち、残っていた三本が全部運ばれました。

「ミーチャ」がみなにつぎました。

「ロシアのために、ウラー!」

彼はまた音頭をとりました。

二人のポーランド人を除いて、全員が飲み干し、「グルーシェニカ」も一息にグラスをすっかり空にしました。

ポーランド人たちはグラスに手もふれませんでした。

「どうしたんです。あなた方は?」

「ミーチャ」が叫びました。

「それじゃあなた方は!」

「ヴルブレフスキー」がグラスをとって、かかげ、よく透る声で言いました。

「一七七二年以前のロシアのために!(訳注 この年に、ロシア、プロイセン、オーストリアの三国がポーランドを分割して、自国領とした)」

「ポーランド分割」のことですが、ポーランドは「18世紀に、ポーランド・リトアニア共和国の領土が3度にわたって周囲の3つの大国に奪われ、最終的に完全に領土を失って滅亡したことを指す歴史用語。その後、ウィーン会議により改めて4度目の分割も行われた。」とのことで、1772年の第1次分割について「ロシアのエカチェリーナ2世は、アウグスト3世が死去した1763年頃から、親露派の貴族である元愛人のスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(スタニスワフ2世、在位1764年-1795年)を王位につけるなど、さまざまな内政干渉を行うようになった。プロイセン王フリードリヒ2世はロシアの動きを見て、ポーランドがロシアに奪われることを警戒、オーストリアの神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世を誘ってポーランド分割を提唱した。ポーランド側に復興への改革の兆しが表れたことに不安を感じたエカチェリーナ2世はプロイセンとオーストリアの提案に応じ、プロイセン・オーストリア・ロシアの3国によって第1回ポーランド分割(1772年)が行われ、3国はそれぞれ国境に隣接する地域を獲得した。ポーランドの第1回分割後、スタニスワフ2世はエカチェリーナ2世の意にそぐわず、ポーランド王国の再興を目指すようになり、国内の民主化勢力を糾合してヨーロッパ初の成文憲法「5月3日憲法」を制定(1791年)し、王権を世襲制とし世界初の立憲君主制に踏み出した。」とのことですが、これ以降もポーランドの歴史は悲劇です。

「そいつは傑作だ!」

もう一人のポーランド人が叫び、二人とも一息にグラスをあけました。

「あんたら、ばか者だね!」

突然「ミーチャ」は口走りました。

「ドミートリイ」の気持ちもわからぬではありませんが、彼らのことを少し考えたら、いくらこの場をわきまえぬ発言であってもそんなことは言うべきではないでしょう。

「なんだと!!」

ポーランド人はどちらも、雄鶏よろしく、凄みをきかせて「ミーチャ」をにらみつけ、叫びました。

特に「ヴルブレフスキー」がいきりたちました。

「自分の国を愛さずにいられると言うのか?」

彼はわめきました。

「お黙りなさい! 喧嘩はやめて! 喧嘩なんぞしないでほしいわ!」

「グルーシェニカ」が高飛車にどなりつけ、片足で床を踏み鳴らしました。

顔が赤くほてり、目がかがやきはじめました。

たった今飲んだ一杯がきいてきたのです。

「ミーチャ」はひどく怯えました。

「みなさん、赦してください! 僕がわるいんです。もう言いません。ヴルブレフスキー、パン・ヴルブレフスキー、もう言いませんから!」

「せめてあなたくらい黙って、坐ってなさいよ、なんてばかな人かしら!」

恨めしげな腹立ちをこめて、「グルーシェニカ」が彼を叱りとばしました。

さっきは、「ドミートリイ」がポーランド人たちを「ばか者」と言ったんですが、今度は自分が「グルーシェニカ」に「ばかな人」と叱られましたね。

みなが腰をおろし、黙りこんで、互いに顔を見合わせていました。

「みなさん、何もかも僕が原因なんです!」

「グルーシェニカ」の叫びの意味を何一つ理解できずに、「ミーチャ」がまた言いだしました。

「ねえ、なんだってぼんやり坐ってるんです? さあ、何かしようじゃありませんか・・・・楽しくなるように」

「ああ、本当にひどく気分が晴れませんね」

「カルガーノフ」がものうげにぼやきました。

「銀行(バンク)でもひとついかがですか、さっきみたいに・・・・」

だしぬけに「マクシーモフ」が卑しげに笑って言いました。

「バンク? 結構ですな!」

「ミーチャ」が相槌を打ちました。

「もし、そちらのお二人さえ・・・・」

「プージノ、パーネ!」

気乗りせぬかのように、ソファのポーランド人が答えました。

「たしかにね」

「ヴルブレフスキー」も同意しました。

「プージノ? プージノって何のこと?」

「グルーシェニカ」がたずねました。

「つまり、遅いいうことです、もう遅いです、時間遅い」

ソファのポーランド人が説明しました。

「この人たちにはどんなことも遅いのよ、何だっていけないんだから!」

「グルーシェニカ」がかっとして、ほとんど悲鳴に近い声で叫びました。


「自分たちが退屈なもんで、ほかの人たちにも退屈させようってつもりなのよ。あなたの来る前だってね、ミーチャ、こんなふうにずっと黙りこくって、あたしに当り散らしてたのよ・・・・」


2018年4月19日木曜日

749

「フランスの有名な作家ですが、そのピロンのせいなんです。そのときわたしらはレストランに大勢集まって酒を飲んでおりました。例のあの定期市でございますよ。わたしはみんなに招かれたので、まず皮切りに寸鉄詩を読みはじめましてな。『これ、ブアロー、その珍妙な服装は何とした』(訳注 クルイロフの寸鉄詩から)ここでブアローが、実は仮面舞踏会へ行くところだ、と答えるのですが、これはつまり風呂屋へ行くということでございましてな、ひ、ひ、ところがみんなはこれを自分たちへの当てつけと取ってしまいましたので、そこでわたしは急いでもう一つ、教養のある人ならだれでも知っている、辛辣なやつをやってのけたんです。
お前はサファ、わたしはフォオン
そのことに異存はないが、
悲しいことに、
お前は海への道を知らぬ。(訳注 バーチュシコフの寸鉄詩から)
すると、みんなはいっそう腹を立てて、わたしを口汚く罵りはじめるじゃありませんか。わたしは雲行きを直すために、たまたま運わるくも、ピロンに関するきわめて含蓄に富んだ一口を披露しちまったんですよ。ピロンがフランス・アカデミーに入れてもらえなかったために、腹癒せのつもりで、墓石に自分の墓碑銘を書いたという一口話です。
C i g î t   P i r o n   q u i   n e   f u t   r i e n
P a s   m ê m e   a c a d é m i c i e n .
(生前何者でもなく、アカデミー会員でさえなかったピロン、ここに眠る)
そうしたら、みんながわたしをつかまえて、殴りつけたというわけでした」

この「カルガーノフ」の発言の中の「例のあの定期市」とは何のことでしょうか。

「寸鉄詩」というのは、「エピグラム(警句、寸鉄詩、epigram)は、結末にひねりを利かせるか、簡潔でウィットのある主張を伴う短い詩。語源はギリシャ語のepi-gramma(~に書かれた)で、文学的修辞技法として長い歴史を持つ。」とのことで、さらに「…古くは墓碑詩で死者と生者の間に交わされる短い,含蓄の深い言葉のやりとりを記すに留まるが,ヘレニズム期に至り詩的技巧の洗練とともに文学性を濃くし,言葉すくなく優雅な情緒や胸深く秘められた思いを告げるものとなる。さらにグレコ・ロマン期には,濃縮された1語2語のことばづかいの中にユーモアや風刺や逆説をこめて読者の心を刺すくふうが凝らされ,ここにエピグラム,すなわち〈寸鉄詩〉あるいは〈格言詩〉という,近世人の抱く概念の基となるジャンルが完成した。ギリシア詩文のエピグラムは《ギリシア詞華集》に集録されて後世に伝えられたが,ラテン詩エピグラムは,カトゥルスをはじめ個々の詩人の詩集に伝わり,特にマルティアリスの《エピグラム集》は機知に富む。…」とのことです。

「クルイロフ」は「イヴァン・クルィロフ」のことで、「19世紀ロシアの劇作家・文学者。『寓話』(Басни)の作者として著名。」そして「軍人の子としてモスクワに生まれる。プガチョフの乱の時には父の赴任によりオレンブルクにいて、プガチョフの包囲を経験する。プーシキンの小説『大尉の娘』はクルイロフの幼時の回想が参考にされたとも、作中のミロノフ大尉のモデルがクルイロフの父であるとも言われる。父の死後、8歳で下級裁判所に雇われ、その後トヴェリの県会に勤め、貧困の中で苦労を重ねる。1783年には母とともにペテルブルクに移り、税務監督局の下級吏員として働きつつ、文学・数学・フランス語・イタリア語を勉強した。1784年、14歳で喜劇『コーヒー挽き』を、1786年から1788年にかけて喜劇『異常な家族』などを書き、上演には到らなかったがジャーナリズムに知己を得て、文学に専念しようと決意した。ヴォルテール・ディドロなどの啓蒙思想家の影響を受け、1789年に『精霊通信』(Почта духов)、1792年に『見物人』(Зритель)、1793年に『ペテルブルク・メルクリー』(Спб. Меркурий)などの雑誌を発刊し、当時の貴族社会の堕落や官僚機構の腐敗を暴いたために、革命的な主張で当時問題とされていたラジーシチェフと同一視され、雑誌は発禁とされた。1794年にペテルブルクを離れ地方に隠れ住んでいたが、1802年に『精霊通信』誌を再開し、1806年にペテルブルクに戻って文学活動に入る。貴族社会のフランス心酔を揶揄する喜劇『服飾品店』『娘教育』はいずれも成功し、1809年から『寓話』を発表し始めた。交流していた官界の大立物オレーニンの推薦で、1812年から1843年まで帝国公衆図書館に勤めた。この間デカブリストの乱が起こった1825年以後2年間沈黙したのを除き、1834年まで彼の名を不朽にした『寓話』が断続的に執筆されている。1841年にはロシア科学アカデミー・ロシア言語・文学部会正会員になり、生涯独身のまま没する。」また「全203編のクルイロフ寓話は、「烏と狐」「二羽の鳩」「ライオンと狐」のようにイソップやラ・フォンテーヌから、「隠者と熊」「潜水夫」のようにインド寓話から題材をかりたものの他は、大半が創作である。1788年にクルイロフが訳したラ・フォンテーヌ3編を読んだ、当時高名な寓話作家ドミートリエフのすすめが、寓話執筆のきっかけとなったらしい。ラ・フォンテーヌ以降の芸術作品としての寓話を発展させ、冬の詳しい描写を加えたクルイロフの物語はロシアの風土に密着し、登場する動物たちさえロシア人の風貌を備えているといわれる。劇作や諷刺雑誌でエカチェリーナ2世の不興を買い、8年間も地方生活を余儀なくされた結果、クルイロフは反体制の思想を「イソップの言葉」で表現し、つまり真実を屈折させ自分の感情を隠す方法を編み出した、と考えられる。1817年からのポーランド語訳を初めとして、英・仏・独・伊の諸国語に翻訳された。国内でもその詩の文体はプーシキンに、ユーモアのある描写はゴーゴリに、鋭い諷刺はシチェドリンに強い影響を与えた。その他、諺のように作品に『寓話』を引用した例は、ドストエフスキーなど枚挙にいとまがない。」とのこと。

『これ、ブアロー、その珍妙な服装は何とした』の出展はわかりませんでした、岩波文庫より『完訳 クルイロフ寓話集』が出版されており、これを読めば出てくるでしょうか、この一連の話の意図がわかりません。

二番目の寸鉄詩の作者「バーチュシコフ」とは、「[生]1787.5.29. ボログダ[没]1855.7.19. ボログダ、ロシアの詩人。フランス啓蒙思想の影響を受け,保守的な文学を風刺する詩『レーテの岸辺の幻』 Videnie na beregakh Lety (1809) で脚光を浴びた。」また「ロシアの詩人。古い家柄の貴族の家に生まれる。対ナポレオン戦争に参加、のち外交官としてイタリアに駐在。早くからアナクレオン風の軽妙な詩風の作品を書き、カラムジンの文章語改革を支持する「アルザマス会」(1815~18)の一員となる。生の悦(よろこ)びと悲哀を繊細に歌い上げた作品が多く、代表的な詩に悲歌(エレジー)『友の影』(1814)、『瀕死(ひんし)のタッソー』(1817)などがある。作品集に『詩と散文の試み』(1817)がある。ギリシア古典詩やバイロンの紹介にも功績があり、プーシキンの直接の先行者として知られる。1822年遺伝性の精神病のため活動を停止。」とのこと、なおこの詩の出展もわかりませんでした。

なお、会話の中にフランス語が出てきますが、アクサンテギュやアクサンシルコンフレクスの入力の仕方がわかりませんでしたので、ここだけはやむをえずKindle版からコピーして貼り付けました、後でわかったのですが、Macの場合アクサンテギュは「option+e を打った後に母音字」、アクサンシルコンフレクスは「option+i を打った後に母音字」で簡単に入力できることがわかりました。→(í)と(î)

会話に戻ります。

「でも、なぜです、どうして?」

これは「ドミートリイ」の言葉だと思います。

「わたしの教養のせいです。世間の人はいろいろな理由をつけて人を殴るものでしてね」

「マクシーモフ」はさとすように、穏やかな口調でしめくくりました。


これは少し肩すかしの「落ち」ですね、でもまあ、私の気づかない何かがあるのかもしれません。


2018年4月18日水曜日

748

「それにゴーゴリの場合、すべてがアレゴリーの形をとっておりますしね。なぜって人の名前がみんなアレゴリーですからな。ノズドリョフにしても、本当はノズドリョフ(訳注 鼻腔をもじった名前)じゃなく、ノーソフ(訳注 鼻をもじった名前)ですし、クフシンニコフ(訳注 水差しをもじった名前)になると、これはもうまるきり似てもいません、本当はシクヴォルネフという名ですからね。フェルナンディはたしかにフェルナンディでしたけれども、イタリア人じゃなく、ロシア人で、ペトロフという名前でございました。マドモアゼル・フェルナンディは美人でして、かわいい足をタイツで包み、金箔をちりばめた短いスカートで、くるくると踊ったものでした。ただ、四時間もなんてことはなく、せいぜいただの四分間くらいでしたけれど・・・・それでもみんなを魅了したものでして・・・・」

この「マクシーモフ」の知的な発言は驚きました、嘘とは思えません、実際にそうであったように思えます。

「アレゴリー」とはウィキペディアでは「抽象的なことがらを具体化する表現技法の一つで、おもに絵画、詩文などの表現芸術の分野で駆使される。意味としては比喩(ひゆ)に近いが日本語では寓意、もしくは寓意像と訳される。詩歌においては「諷喩」とほぼ同等の意味を持つ。また、イソップ寓話に代表される置き換えられた象徴である。アレゴリーの特徴として、教訓や風刺の意味を持つことが多い。またその場合はできる限り普遍的なモチーフに置き換えることによって、その作品に触れた人々が置き換えられた概念を想起し易いようにさせている。例えば寓話にはしばしば「狡猾な狐」が登場するが、実際に狐が他の動物に比べてずば抜けて狡猾であると言う論拠はさほど多くはない。しかし詩文や絵画においては「狐や蛇=狡猾」というイメージが説得力を持つことがしばしばである。これは狡猾という抽象的な概念を狐という動物になぞらえてあらわすものであり、この与えられた抽象を持つもの(あるいはものに与えられた抽象)がアレゴリーである。他の一例として、タロットカードの絵柄に見られるシンボリックなアイテムや宗教絵画などに登場するモチーフがそれに相当する。その他の例:天秤=公正・白色=純潔。歴史的にはギリシアにおいて神話上の人物を哲学的に解釈し始めた頃に生まれた概念であるとされる。その後聖書なども同じアプローチで解釈が行なわれた結果、キリスト教神学と中世の実在論哲学においてこの概念は大きく発展した。チェザーレ・リーパの『イコノロジア(図象学)』で特に頻繁に扱われている。また象徴(シンボル)とは微妙に意味を異にしており、一般に知られた普遍的な概念(「普遍」)と擬人(比喩)表現(「特殊」)が一体化しているシンボルと異なり、「普遍」と「特殊」がある意味においては逆になっても直観として双方に通じる意味を持つ場合をアレゴリーであるとシェリングは説いている。現代美術においてもアレゴリーを用いた表現は自覚・無自覚を問わずに行なわれ続けている。」とのことですが、わかりにくいですね。

また「比喩」とは「物事を説明するとき,相手のよく知っている物事を借りてきて,それになぞらえて表現すること。その方法により,直喩・隠喩・換喩・提喩・諷喩などがある。」とのこと。

さらに、直喩(ちょくゆ、明喩(めいゆ)、シミリー)とは「(まるで・あたかも)~のようだ(ごとし、みたいだ)」のように、比喩であることを読者に対し明示している比喩である。直喩を用いた修辞法を直喩法という。『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…』で知られる『平家物語』の序段は、この直喩の典型例である。日本では現代でも頻繁に用いられてはいるが、近現代の西洋ではあまり洗練された技法とはみなされておらず(ある意味でヤボな技法だと見なされており)、文筆家・作家・詩人・知識人などの文章では、直喩よりも(後述の)隠喩のほうが頻繁に用いられる。用例:赤ん坊の肌はまるで綿飴のようにふわふわだ。/鳥みたいに羽が生えたら自由に空を飛べるのに。/息子は二宮金次郎のごとく、勉学に励んだ。/あいつのいない夏休みなんて真夏のスキー場みたいなものだ。

また、隠喩(いんゆ、暗喩、メタファー)に分けられるものは、比喩であることが明示されていない比喩である。隠喩を用いた修辞法を隠喩法という。用例:夜の帷が静かに幕を下ろす。/この思い出を忘れまいと、心の宝石箱に仕舞い込んだ。/満天の星空が二人の間に降り注ぐ。などで、いずれも「まるで」「ごとし」「ようだ」などといった比喩を明示するための語が用いられていない。直喩に比べて、より洗練された比喩だとされる。「すし詰め状態」「団子レース」「マシンガントーク」などのように定型句となった表現も見られる。

そして、換喩(かんゆ、メトニミー)とは表現する事柄をそれと関係の深い付属物などで代用して表現する比喩である。換喩を用いた修辞法を換喩法という。また「永田町」と言って国会を、「葵の御紋」と言って徳川家を指すのも換喩の一種とされ、『象徴喩』と訳されている。用例:「バッハ」が大好きだ。「バッハ」がバッハの作品を指している。/「そのワインを開けてくれ」実際に開けるのはワインではなく、ワインが入っているボトルの栓である。/象徴喩の用例:ボルドーの赤、ブルゴーニュの白。ここでの「赤」と「白」はワインの種類を指している。/ペンは剣より強し。ここでのペンは弁舌や学問を指し、剣は武力、暴力、戦争などを指している。

さらに、提喩(ていゆ、シネクドキ《Synekdoce》)とは上位概念で下位概念を表したり、逆に下位概念で上位概念に置き換えたりする比喩をいう。換喩との違いは、包含する関係にあるか否かである。提喩を用いた修辞法を提喩法という。用例:全く、情けない男だ。ある人物が相手にこう告げた時、情けないのはその相手(下位概念)だけであって、男全般(上位概念)を指しているわけではない。/豚肉も悪くないけど、どちらかといえば鳥の方が好きだな。まず鳥という上位概念で鶏という下位概念を指している。さらに、鶏という上位概念からさらに下位概念の鶏肉、あるいは鶏肉料理を指している。/このように提喩は上位、下位の概念が階層化することもある。紙もすっかり値上がりしたので、本当に困る。会話の状況によって、この紙がトイレットペーパーを指してるのか、それとも何らかの用箋を指しているのかわからないが、紙という上位概念で、下位概念を想起させるものとなっている。

そして、諷喩(ふうゆ、英: Parable)とは、寓意に使われるようなたとえのみを提示することで,本当の意味を間接的に推察させる比喩を言う。寓言法。寓喩法。用例:「燕雀(えんじゃく)安(いずくん)ぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」小人物に大人物の心はわからない、ということを鳥の話のみをして推察させている。燕雀は小物、鴻鵠は大物という共通認識の上に成立する諷喩。/猿も木から落ちる木登りを得意とする猿でも木から落ちることのみを示し、得意な人でも失敗することがあるという意味を推察させる諷喩。

以上、わかりにくいと思います。

続きに戻ります。

「で、どうして殴られたんです、殴られた原因は何ですか?」

「カルガーノフ」が叫びました。

「ピロンのせいなんですよ」

「マクシーモフ」が答えました。

「ピロンて何です?」

「ミーチャ」はどなりました。


さすがの「ドミートリイ」も「ピロン」を知らないようですね、「ピロン」とは「アレクシス・ピロン(Alexis Piron、1689年7月9日 - 1773年1月21日)」のことで、「フランスの詩人、劇作家。ディジョン出身。オペラ・コミックの台本作家として有名、喜劇『道化師ドゥカリヨン』 Arlequin Deucalion (1722) ,『作詩狂』 La Métromanie (38) で知られる」とのこと、ネット上にはあまり情報がありませんでした。


2018年4月17日火曜日

747

「あのね、いいですか!」

「カルガーノフ」がすっかり熱中して言いました。

「かりに嘘をつくにしても、そりゃこの人はしょっちゅう嘘ばかりついてますけれど、でもこの人の嘘は、もっぱらみんなを楽しませるためなんです。これは卑劣なことじゃないでしょう、卑劣じゃありませんよね? 実は、僕はときおりこの人が好きになるんですよ。この人はとても卑劣ではあるけれど、その卑劣さがごく自然でしょう、え? どう思います? ほかの人なら、何か理由があって、利益を得るために卑劣な行為をするものですが、この人はただなんとなく、天性からそうするんですものね・・・・考えてもごらんなさいよ、たとえばね、この人は(昨日も道中ずっと議論してきたんですが)、ゴーゴリが『死せる魂』の中で自分のことを書いているなんて、言い張るんですからね。おぼえてらっしゃるでしょう、あの中にマクシーモフという地主が出てきますね。ノズドリョフがたたきのめして、『酔いにまかせて地主マクシーモフに靴で個人的侮辱を加えたかどで』裁判にかけられるでしょうが。おぼえてらっしゃるでしょう? どころが、どうです、この人ときたら、あれは俺のことだ、殴られたはこの俺だ、なんて言い張るんですよ! そんなことがありえますか? チチコフが旅行してたのは、いちばん最後のころでも、二十年代はじめでしょう、だから年代がまるきり合わないんです。そんなころこの人が殴られるはずはないじゃありませんか。ありえない話でしょう? ありえませんよね?」

『死せる魂』は、「1842年に出版されたニコライ・ゴーゴリの長編小説である。彼は叙事詩、ロシア版のダンテ『神曲』を作り出すつもりだった。しかし、アレクサンドル・プーシキンの死が伝えられるとショックを受けて何も書けなくなり、イタリアに移ってから少しずつ執筆を再開した。1841年に第1部が完成するが、モスクワでは検閲に通らず、翌年サンクトペテルブルクで出版された。本来は第2部も書かれたが、最晩年になってゴーゴリが暖炉に投げ込んでしまったので、ほとんど残っていない。」
あらすじは「アレクサンドル2世の時に農奴解放令が出されたが、その前まで地主は次の国勢調査まで死亡した農奴の人頭税も支払わなければならなかった。彼らは何とかしてその税を逃れる方法を探していた。そこに注目したチチコフは、死亡した農奴の名義を買い集めて書類を捏造し、中央政府から金を騙し取ろうと計画を練る。それを実現するためにチチコフは、広大なロシア全土を旅して歩き、至る所で一癖二癖持っている人々と出会う。」とのこと。

「カルガーノフ」はこの本を「おぼえてらっしゃるでしょう」と言っているのですが、この長編は当時の誰もが知っていると言うことでしょうか、そんなはずはないですね。

なぜ「カルガーノフ」がこんなにむきになるのか、容易には想像できませんでしたが、彼は本気でいきまいていました。

この「カルガーノフ」がむきになる理由は何でしょうか。

「ミーチャ」は打算ぬきに彼の興味に釣りこまれていきました。

「ほう、でももし本当に殴られたとしたらどうです!」

爆笑しながら、彼は叫びました。

「殴られたというわけじゃございませんが、ただちょいと」

突然「マクシーモフ」が口をはさみました。

「ちょいと、どうしたんです? 殴られたんですか、殴られなかったんですか?」

「何時だい、君(クトウラ・ゴジーナ、パーネ)?」

パイプをくわえたポーランド人が、椅子に坐っている大男に、退屈そうな顔つきで声をかけました。

相手は返事の代りに肩をすくめてみせました。

二人とも時計を持っていなかったのだ。

「どうして話をしちゃいけないの? ほかの人たちにも話させてあげればいいじゃないの。あなたが退屈だから、ほかの人まで話しちゃいけないなんて」

どうやらわざと喧嘩を売るつもりらしく、「グルーシェニカ」がまた食ってかかりました。

「ミーチャ」の頭に、はじめて何かがひらめいたかのようでした。

今度はポーランド人ももう、傍目にもわかるほど苛立たしげに答えました。

「わたしはべつに反対してませんし、何も言っていませんよ(パーニ、ヤー・ニツ・ムヴィーエン・プローチフ ニツ・ニエ・ポヴエジャーウエム)(訳注 ルビで示したポーランド語の中に、ときおりロシア語もまじっている)」

ロシア語まじりでなければ、「グルーシェニカ」にも通じませんからね。

「そう、なら結構だわ、話してちょうだい」

「グルーシェニカ」が「マクシーモフ」に叫びました。

「なんでみんな黙りこんじゃったの?」

「べつにお話しするほどこともないんですよ、みんなばかげたことばかりですので」


明らかに満足の色を見せ、ちょぴり気どって、すかさず「マクシーモフ」が応じました。