2018年9月19日水曜日

902

七 イリューシャ

医者が小屋から出てきたときには、すでにまた毛皮外套にくるまり、帽子をかぶっていました。

ほとんど、怒ったような、うとましげな顔をしており、まるで何かにさわって汚れはせぬかと、のべつ心配しているみたいでした。

彼はちらと玄関を見まわし、そのついでに「アリョーシャ」と「コーリャ」をきびしく眺めました。

「アリョーシャ」が戸口から手を振って馭者に合図し、医者を乗せてきた箱馬車が出口の方に近づいてきました。

二等大尉が医者のあとから大急ぎでとびだしてきて、ほとんど媚びへつらわんばかりに腰を折り曲げ、最後の一言をきくために医者を押しとどめました。

この哀れな男の顔は悲しみに打ちひしがれ、眼差しは怯えきっていました。

「閣下、閣下・・・・まさか?」

彼は言いかけましたが、みなまで言えず、絶望して両手を打ち合せただけでしたが、それでもなお、まるで医者のこの一言で哀れな少年に対する宣告が本当に変りうるかのように、最後の祈りをこめて医者を見つめていました。

「仕方がありませんな。わたしも神さまじゃないんですから」

習慣的な教えさとすような声でこそありましたが、ぞんざいに医者が答えました。

「先生・・・・閣下・・・・そんなに早くですか、もうすぐに?」

「あらゆる事態に、そなえて、おかれる、ことですな」

一音節ごとに区切ってアクセントをつけながら、医者が言い、目を伏せて、馬車に向うため敷居をまたごうとしかけました。

「閣下、おねがいでございます!」

二等大尉がぎょっとして再度引きとめました。

「閣下!・・・・それでは本当にもう、ほんとうに何一つ、今となっては救う手は何一つございませんので?」

「今となっては、わたしの手には負えません」

医者がじれったそうに言い放ちました。

「もっとも、うん」

ふいに彼は足をとめました。

「かりに、たとえば・・・・あの患者を・・・・今すぐ一刻の猶予もなく(この『今すぐ一刻の猶予もなく』という言葉を、医者はきびしいというより、ほとんど怒ったように言ったため、二等大尉はびくりとふるえたほどだった)、シラクサにでも、転地できるとしたら・・・・新しい温暖な気候条件のおかげで・・・・あるいは、ひょっとすると・・・・」

「シラクサですって!」

どうして「シラクサ」なんでしょう、「シラクサ」は「イタリア共和国のシチリア島南東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約12万人の基礎自治体(コムーネ)。シラクサ県の県都である。標準イタリア語の発音に近い表記は「シラクーザ」。古代ギリシャの植民都市シュラクサイに起源を持つ都市で、歴史的な遺跡など、多くの観光スポットがある。2005年には市内および周辺の歴史的建造物や遺跡が「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」の名で世界遺産に登録もされている。」とのことで、「アルキメデス」の出身地、アポロ神殿があり、太宰治の『走れメロス』舞台だそうです。

二等大尉は、まだ何も理解できぬかのように、叫びました。

「シラクサというのは、シシリー島にあるんですよ」

だしぬけに「コーリャ」が、説明のために大声でずけずけと言いました。

医者は彼を眺めやりました。

「シシリー島なんて! とんでもございません、閣下」

二等大尉は呆然となりました。

「なにせ、ごらんのとおりの有様で!」

彼は両手をぐるりとまわして、自分の生活環境を示しました。

「それに、かあちゃんや、家族の者は?」


「いや、家族はシシリーではない。家族はコーカサスへやるんだね、春先にでも・・・・娘さんはコーカサスだ。それから奥さんも・・・・リューマチがあるから、やはりコーカサスで温泉療法をやって・・・・そのあとすぐパリへやりなさい。精神科のレ・ペル・シーチエ先生の病院へね。わたしが紹介状を書いてもいいですよ、そうすれば・・・・あるいは、ひょっとすると・・・・」


2018年9月18日火曜日

901

「すてきだ! 僕はあなたを誤解していなかった。あなたは人を慰める才能を持ってますね。ああ、僕はどんなにあなたに憧れていたことでしょう、カラマーゾフさん、あなたと会う機会をずっと前から求めていたんです! ほんとにあなたも僕のことを考えていてくださったんですか? さっきそうおっしゃったでしょう、あなたも僕のことを考えていたって?」

「ええ、君の噂をきいて、僕も君のことを考えていました・・・・かりに今そんなことをきいたのが、ある程度まで自負心のさせたわざだとしても、それはかまいませんよ」

「あのね、カラマーゾフさん、僕らのこの話合いは、なんだか恋の告白みたいですね」

なんとなく弱々しくなった、恥ずかしそうな声で、「コーリャ」がつぶやきました。

「これはこっけいじゃありませんか、こっけいじゃないでしょうね?」

「全然こっけいじゃありませんよ。また、たとえこっけいだとしても、いいことなんだから、かまわないじゃありませんか」

「アリョーシャ」が明るく微笑しました。

「でもねえ、カラマーゾフさん、そういうあなただって僕と今こうしているのが、少しは恥ずかしんでしょう・・・・目を見ればわかりますよ」

なにかいたずらっぽく、しかしほとんど幸福といえる表情をうかべて、「コーリャ」が薄笑いをうかべました。

「どうして恥ずかしいんです?」

「じゃ、なぜ赤くなったんですか?」

「それは、赤くなるように君が仕向けたからですよ!」

うまい言い訳ですね。

「アリョーシャ」は笑いだし、本当に真っ赤になりました。

「そう、なぜかわからないけど、いくらか恥ずかしいな、どうしてだかわからないけど・・・・」

ほとんど照れた顔にさえなって、彼はつぶやきました。

ほんとうに「コーリャ」が言ったように「恋の告白」と同じではないでしょうか、こういう心情はたしかにあるということはわかりますが、何と言ったらいいのでしょうか、この作者はこのような微妙なところを探すのが好きなようですね。

「ああ、僕はあなたが大好きだし、今この瞬間のあなたを高く評価します、つまり、あなたも僕といっしょにいるのをなぜか恥ずかしがっていることに対して! だって、あなたも僕と同じだからですよ!」

「コーリャ」はまったく感激して叫びました。

頬が燃え、目がかがやいていました。

「あのね、コーリャ、それはそうと君はこの人生でとても不幸な人になるでしょうよう」

このセリフはどうしても、この後の書かれなかった物語の展開を思ってしまいます。

突然どういうわけか、「アリョーシャ」が言いました。

「知ってます、知ってますとも。ほんとにあなたは何もかも前もってわかるんですね!」

すぐに「コーリャ」が相槌を打ちました。

「しかし、全体としての人生は、やはり祝福なさいよ」

このセリフもすばらしいと思います。

「ええ、たしかに! 万歳! あなたは預言者だ! ああ、僕たちは仲よくなれますね。カラマーゾフさん。実はね、何よりも僕を感激させたのは、あなたが僕をまったく対等に扱ってくれることなんです。でも、僕たちは対等じゃない、違いますとも、対等どころか、あなたのほうがずっと上です! だけど、僕たちは仲よくなれますね。実はこのひと月というもの、僕はずっと自分にこう言いつづけていたんです。『僕たちは一遍で永久の親友になるか、さもなければ最初から、墓場までの仇敵として袂を分つか、だ!』って」

このセリフもまた相手と自分との権力関係を理解した上での対等ということを表しています。

「そう言うからには、もちろん僕を好きだったんですね!」

「アリョーシャ」が朗らかに笑いました。


「好きでした、すごく好きでした。好きだったから、あなたのことをいろいろ空想していたんです。それにしても、どうしてあなたは何でも前もってわかるんですか? おや、医者が出てきた。ああ、何て言うだろう、見てごらんなさな、あの顔を!」


2018年9月17日月曜日

900

「そして、まわりの人を苦しめるんですね」

「アリョーシャ」が微笑しました。

「そして、まわりの人を苦しめるんです、特に母を。カラマーゾフさん、言ってください、今の僕はひどくこっけいですか?」

「そんなことを考えるのはおやめなさい、全然考えないことです!」

「アリョーシャ」が叫びました。

「それに、こっけいがどうだと言うんですか、人間なんて、いったい何度こっけいになったり、こっけいに見えたりするか、わからないんですよ。それなのに、この節では才能をそなえたほとんどすべての人が、こっけいな存在になることをひどく恐れて、そのために不幸でいるんです。僕はただ、君がそんなに早くそのことを感じはじめたのに、おどろいているんですよ。もっとも、僕はもうだいぶ前から、そういうのが君だけじゃないことに気づいていましたけどね。この節では子供にひとしい人たちまで、その問題で悩みはじめてますよ。ほとんど狂気の沙汰ですね。悪魔がそうした自負心の形をかりて、あらゆる世代に入りこんだんです。まさしく悪魔がね」

「この節では子供にひとしい人たちまで、その問題で悩みはじめてますよ」という部分はよくわかりませんでした、前に「コーリャ」の会話の中ででてきた「・・・・僕はとても不幸なんです。僕はときおり、みんなが、世界じゅうの人間が僕を笑っているなんて、とんでもないことを想像するんですよ、そうすると、ただもういっさいの秩序をこわしたい気持になるんです」ということなのでしょうか、つまり自分と世界の疎外感のようなことでしょうか。

ひたと見つめていた「コーリャ」がふと思いかけたのとは違って、「アリョーシャ」はまるきり笑いを見せずに付け加えました。

「君もみんなと同じですよ」

「アリョーシャ」はしめくくりました。

「つまり、大多数の人と同じなんです。ただ、みんなと同じような人になってはいけませんよ、本当に」

「みんながそういう人間でもですか?」


「ええ、みんながそういう人間でも。君だけはそうじゃない人間になってください。君は事実みんなと同じような人間じゃないんだから。現に君は今、自分のわるい点やこっけいな点さえ、恥ずかしがらずに打ち明けたじゃありませんか。今の世でいったいだれが、そこまで自覚していますか? だれもいませんよ。それに自己批判の必要さえ見いださぬようになってしまったんです。みなと同じような人間にはならないでください。たとえ同じじゃないのが君一人だけになってもかまわない、やはりああいう人間にはならないでください」


2018年9月16日日曜日

899

「ええ、そうですとも! これからたびたび来れば、あれがどういう人か、あなたにもわかりますよ。ああいう人を知ることは、君にとってとてもためになりますよ。ああいう人との交際から知る、ほかの多くのことを評価できるようになるためにもね」

「アリョーシャ」が熱をこめて言いました。

「それが何よりもよく君を改造してくれるでしょうよ」

「ああ、僕はもっと前に来なかったのが、実に残念だし、そのことで自分を責めているんです!」

悲痛な感情をこめて「コーリャ」は叫びました。

「ええ、とても残念ですよ。君があの気の毒な少年にどれほど喜ばしい印象を与えたか、自分でもわかったでしょう! 君を待っている間、あの子がどんなに嘆き悲しんだか!」

「それを言わないでください! それは僕の泣きどころなんですから。もっとも、自業自得ですよね。僕が来なかったのは、自負心のためなんです。たとえ一生努力しつづけても、終生逃れることのできない、利己的な自負心と、まったくのわがままのせいなんです。今こそ僕にはそれがわかります、僕は多くの点で卑劣漢ですね、カラマーゾフさん!」

「コーリャ」は自分を分析してそこまで自分のことをわかっているのですね。

「いいえ、君は、ゆがめられてこそいるけど、すばらしい天性の持主ですよ。なぜ君が、あの気高い、病的なほど感受性の強い少年に、これほどの影響力を持ちえたのか、僕にはわかりすぎるほどよくわかりますよ!」

「アリョーシャ」が熱っぽく答えました。

「そうまで言ってくださるんですか!」

「コーリャ」が叫びました。

「それなのに僕はどうでしょう、もう何度も、今ここへ来てからも、あなたに軽蔑されていると思っていたんですよ! 僕がどんなにあなたの意見を尊重しているか、わかっていただけたらな!」

「でも、ほんとに君はそんなに疑り深いの? その年で! でも、本当の話、さっきあの部屋で、君が話しているのを見ながら、君はとても疑り深いにちがいないと、たしかに思いましたよ」

「もう思ったんですか? それにしても、すごい能力だな、どうだろう、まったく! 賭けてもいいですけど、それは僕が鵞鳥の話をしたあの個所ですね。たしかあの個所で、僕が自分をえらいやつに見せようとあせっているのを、あなたが心底から軽蔑しているような気がしましたもの、そのためにふいにあなたが憎らしくなって、あんなばか話をはじめたんです。そのあと、今度はもう今ここへ来てからですけど、『かりに神がなかったら、やはり考えださなければならない』なんて言ったあの個所でも、僕は自分の教養をひけらかそうとあせりすぎてるなって気がしました、ましてあの文句は本で読んだものですしね。でも、誓って言いますけど、僕が知識をひけらかそうとあせったのは、虚栄心のためじゃなく、ただ、なぜか知りませんが、喜びのためなんです、本当に嬉しさのあまりと言えそうですね・・・・もっとも、喜びのあまりだれの首っ玉にでもかじりつくなんて、ひどく恥ずべき性質だけど。僕もそれはわかります。だけどその代り、今や僕は、あなたに軽蔑されてるんじゃない、そんなことは僕がひとりでくよくよ考えだしたんだという確信ができましたよ。ああ、カラマーゾフさん、僕はとても不幸なんです。僕はときおり、みんなが、世界じゅうの人間が僕を笑っているなんて、とんでもないことを想像するんですよ、そうすると、ただもういっさいの秩序をこわしたい気持になるんです」


この冷静な自己分析は普通の十三、四歳の少年のものではないですね、「疑り深い」というのはよくわかりませんが、「鵞鳥の話をしたあの個所」というのは、「・・・・カラマーゾフさん、あなたは笑ってらっしゃるようですね?」と聞いたことでしょうか、また、たとえば「僕はときおり、みんなが、世界じゅうの人間が僕を笑っているなんて、とんでもないことを想像するんですよ」という部分などはそうなんじゃないでしょうか。


2018年9月15日土曜日

898

「僕の天性なぞ心配しないでください」

多少の自己満足をおぼえながら、「コーリャ」はさえぎりました。

「僕が疑り深いってことは、たしかにそのとおりです。僕はばかみたいに疑り深い、失礼なほど疑り深いんです。あなたは今笑いましたね、僕の気のせいもしれないけど、あなたはまるで・・・・」

「アリョーシャ」は「コーリャ」が「疑り深い」ということは、言っていないと思いますが。

「ああ、僕が笑ったのは、全然別のことですよ。実はね、僕が笑ったのはこんなことなんです。この間、前にロシアに住んでいて今は外国にいるさるドイツ人の、現代のわが国の若い学生についての批評を読みましてね。その人はこう書いているんです。『ロシアの中学生に天体図を見せてやるといい。その中学生はこれまで天体図に関して何の知識も持っていなかったのに、明日になるとその天体図を修正して返すだろう』何の知識もともなわぬ、一人よがりのうぬぼれ-これがロシアの中学生について、そのドイツ人の言いたかったことなんですよ」

「ああ、だって、まったくそのとおりですもの!」

「アリョーシャ」の言葉は「コーリャ」に対する皮肉ですが。

突然「コーリャ」が笑いだしました。

「どんぴしゃり、まさにそのとおりだ! ドイツ人、万歳ですよ! しかし、そのドイツ野郎はいい面も見てくれなかったんですね、どう思います? うぬぼれ–かまわないじゃありませんか、それは若さゆえです、直す必要が生じさえすれば、そんなものは直りますよ。でも、その代りごく幼いころから、自立の精神だってありますからね。代りに、思想と信念の大胆さがあるんです、権威に対する連中のソーセージ的な奴隷根性じゃなしにね・・・・しかし、それにしても、そのドイツ人はうまいことを言いましたね! ドイツ人、万歳だな! もっとも、やっぱりドイツ人は絞め殺さなけりゃいけませんね。連中が科学に強くたってかまわないけど、やはり絞め殺す必要がありますね・・・・」

「なぜ絞め殺すんです?」

「アリョーシャ」は微笑しました。

「いえ、僕はよた(二字の上に傍点)をとばしたのかもしれません、それは認めます。僕はときおりひどく子供になって、何か嬉しいことがあると、抑えがきがずに、下らないことをしゃべりかねないんです。それはそうと、僕たちはここで下らぬおしゃべりをしてますけど、あの医者はなんだかずいぶん手間どってますね。もっとも、ことによると《かあちゃん》や、足のわるいニーノチカも診察してるのかもしれないな。いや、あのニーノチカは気に入りましたよ。さっき僕が出てくるとき、あの人は突然『なぜもっと早く来てくださいませんでしたの?』って、ささやいたんですよ。おまけに、難ずるようなあの声! あの人はおそろしく善良な、気の毒な人のような気がしますね」


残念なことに「コーリャ」の方から話題を変えましたね、「ニーノチカ」は本心で非難していると思いますが、「コーリャ」はその辺があまりわかっていないようです。


2018年9月14日金曜日

897

「冗談じゃありませんよ、あなたは服従と神秘主義を望んでいるんです。でも、いいですか、たとえばキリスト教の信仰は、下層階級を奴隷状態にとどめておくために、金持や上流階級にだけ奉仕してきたんですよ。そうでしょう?」

「ああ、君がどこでそんなことを読んだのか、僕にはわかりますよ。それに、きっとだれかが君に吹きこんだんだ!」

「アリョーシャ」は叫びました。

「冗談じゃない、なぜ読んだと決めてかかるんですか? それに、だれにも吹きこまれなんぞしませんよ。僕は十分ひとりで・・・・なんでしたら言いますけど、僕はキリストに反対じゃないんですよ。キリストは申し分なく人道的な人物だし、もし現代に生きていたら、すぐさま革命家に身を投じて、ことによると有力な役割を演じてたかもしれませんしね・・・・きっとそうですとも」

「いったいどこで、どこでそんなことを憶えたんです! どこのばか者とかかり合いになったんですか?」

「ばか者」とは、「アリョーシャ」にしては、過激な発言ですね。

「アリョーシャ」が叫びました。

「とんでもない、真実は隠せませんよ。もちろん、あるきっかけから、ラキーチンさんとはよく話をしますけど・・・・でも、このことはベリンスキー老人(訳注 有名な進歩的評論家)も言ったそうですしね(訳注 『作家の日記』の中でドストエフスキーはベリンスキーと交わした会話を引用しているが、そこでベリンスキーはコーリャと同じようなことを言っている)」

「ベリンスキーが? 憶えていないな。そんなこと、どこにも書いていませんよ」

「書かなかったとしても、そう言ったって話ですよ。ある人からきいたんですが・・・・もっとも、どうだっていいけど・・・・」

「じゃ、君はベリンスキーを読んだことがあるんですか?」

「ベリンスキー」がよく登場しますが、彼は「現フィンランドのスヴェヤボルクに退役海軍軍医の子として生まれる。国費給付される学生としてモスクワ大学に在学中、農奴制を攻撃した戯曲『ドミトリー・カリーニン1831年』を書いて、〈能力が薄弱で不熱心〉という名目で放校される。『文学的空想』によって批評活動をはじめ、スタンケーヴィチ、ゲルツェン、バクーニンなどと親交を結んだ。1839年から雑誌『祖国の記録』を中心にいろいろな雑誌に論文・時評・書評を書き続け、1846年に『祖国の記録』を辞し、ネクラーソフなどの雑誌『同時代人』に参加した。肺患が悪化したため、1847年にドイツに転地し、最後の論文『1847年のロシア文学の概観』を口述した後まもなく、サンクトペテルブルクで没する。」とのことです、また「ロシア文学においてベリンスキーは、チェルヌイシェフスキー・ドブロリューボフにより継承発展させられ、ロシア・マルクス主義の〈社会主義リアリズム〉へと連なる文学観・芸術観の伝統を創設した人である。彼は純粋芸術を否定し、芸術は特殊な社会関係を背景とすると考え、この見地から18世紀以来のロシア作家・詩人を評価した。最初の国民詩人としてプーシキンの意義を確定し、それをついだレールモントフを高く評価し、〈現実生活の詩人〉としてゴーゴリを、またはゴンチャロフやコリツォーフ、ツルゲーネフ、ドストエフスキーを発見し、熱烈に紹介した。批評家としてのベリンスキーは、ヘーゲル哲学の影響を受けた、ドイツ・ロマン派の弟子として、「詩はそれを越える目的を持たない。それ自体が目的である」と言い、芸術の機能に関する〈教訓的・功利主義的〉見解をとらなかった。偉大な古典作品は、それが自立して自発的に生み出されたものならば、世界そのものの真の諸関係をあらわし、その読者の道徳・政治への見方を変化させることによって、あらゆる諸問題を解決するであろう、と考えていた。政治的な著作を書かなかったが、ベリンスキーは専制とドグマ、同調主義に対して、生涯をかけて戦った。ゴーゴリが自らの使命に反してロシア正教・農奴制を擁護したことを責めた、ベリンスキー晩年の『ゴーゴリへの手紙』は、彼の情熱・真剣さ・不正への怒りが入り交じった文体の代表であろう。この志の高さと音調が1860年代のロシア左翼の著述家たちに長く続く影響を残し、プレハーノフやレーニンなどの社会主義者にロシア革命の先達として、ゲルツェンと並ぶ地位を与えられた。〈ロシアのレッシング〉という評価は、当たっていなくもない。」とのことです。

「実は・・・・いえ、すっかり読んだわけじゃありませんけど・・・・・タチヤーナを論じて、なぜ彼女がオネーギンといっしょに行かなかったかという個所は、読みました」

「タチヤーナ」は、プーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』の登場人物のことで、この小説は「1820年冬から1825年春のロシア帝国が舞台である。この小説は「ロシア生活の百科事典」と呼ばれる。 サンクト・ペテルブルクの上流社会の夜会から、田園での田舎地主の生活、農奴の娘たちの歌、迷信や占いまで描かれている。 この作品がロシア語に果たした最大の功績は、平易な日常語で、高邁な思想から日常生活まで語ることが可能にする文体を作りだしたことである。」とのこと、内容は「(第一章)この物語は、プーシキンと思われる人物「ぼく」によって語られる。 「ぼく」は主人公たるオネーギンの友人であった。オネーギンは18歳でサンクト・ペテルブルクでの上流社会の遊蕩児となり、恋愛の手練手管に長けていた。何年も無為な暮らしを続けた末、心は冷え『ふさぎの虫』に取り憑かれてしまう。(第二章)オネーギンは叔父の領地を受け継ぎ、田園に隠棲する。そこで、遊学先のプロイセンから帰郷したばかりのレンスキイという純情な詩人と知り合い、友人となる。レンスキイは地元の貴族ラーリン家の姉妹のうち妹のオリガの婚約者であった。オリガの姉タチヤーナは陰気で一人でいることを好む乙女である。フランスの小説に夢中になり、小説のヒロインに感情移入し、魅力的な小説の男性主人公たちに憧れている。(第三章)レンスキイに連れられてオネーギンがラーリン家に現れると、タチヤーナは今まで読んだ小説の男性主人公がオネーギン一人に収斂したように見える。タチヤーナはオネーギンに恋をする。苦しみのあまり小説のヒロインのように、率直な恋情を綴った手紙をオネーギンに届けさせる。だが、当時のロシア貴族社会では、婚前の令嬢が母親の許可もなく男性に手紙を書くのはとうてい許されない行為であった。(第四章)オネーギンはタチヤーナの手紙に心を動かされたが、むしろ年上の分別のある男性として誠実に応対する。自分は結婚に向かず、タチヤーナを幸せにできないと語り、また、男性に手紙を書くといった世間知らずなことはやめるよう厳しく忠告をする。(第五章)降誕祭期間中、タチヤーナは恐ろしい夢を見る。雪に埋もれた森の中を、熊に担がれ、化物でいっぱいの小屋に連れて行かれた。彼らの主はオネーギンだ。オネーギンは怪物たちに対し、タチヤーナを「俺のものだ」と怒鳴る。いっぽうレンスキイはオネーギンを、タチヤーナの名の日(ユリウス暦 1月13日)の祝いに無理に誘う。 オネーギンの予想通り、会は俗っぽい。レンスキイへの意趣返しに、オネーギンは舞踏にオリガを誘い散々戯れる。(第六章)レーピンの手による、オネーギンとレンスキー 嫉妬のあまりレンスキイはオネーギンに決闘を申し込む。決闘の介添人ザレツキイは悪質な人物で決闘を止める義務を怠り、またオネーギンは世間体を気にしてしぶしぶ決闘に臨む。決闘はレンスキイの死で終わる。オネーギンは激しい衝撃を受ける。(第七章)間もなくオリガは別の男性と結婚し、ラーリン家を出て行く。オネーギンも領地を去った。タチヤーナはオネーギンの留守宅に行き、彼の蔵書を読み浸る。タチヤーナは彼を理解し始め、「ぼく」はオネーギンの空虚さを激しく非難する。(第八章)約二年後、オネーギンは相変わらず無為に苦しんでいた。モスクワの社交界で公爵夫人となったタチヤーナと再会する。タチヤーナはすっかり威厳ある貴婦人である。放蕩に飽きた二十六歳のオネーギンであったが、そのとき突然タチヤーナに対し、子供のような恋に落ちる。 彼はタチヤーナの出席する夜会にせっせと出かけ、思いの丈を綴った手紙を何通も書く。思い詰めるあまり、やつれていく。あるとき、彼の手紙を読んで泣いているタチヤーナに会う。 タチヤーナはオネーギンを愛していると言いつつも、彼を拒み、去って行く。」とのこと。

「なぜオネーギンといっしょに行かなかったか、ですって? でも、ほんとに君はそんなことが・・・・もう、わかるの?」

「よしてくださいよ、あなたは僕をスムーロフのチビ扱いしてるようですね」

「コーリャ」が苛立たしげに苦笑しました。

「もっとも、僕がもうちゃんとした革命家だなんて、思わないでください。僕はラキーチンさんと意見が合わないことが始終あるんです。タチヤーナの話をしたからといって、僕はまったく女性解放の味方じゃありませんよ。女性が隷属的な存在で、服従するのが当然であることは、僕も認めます。ナポレオンの言ったように、女の仕事は編物ですよ」

なぜか、「コーリャ」はせせら笑いました。

「少なくともこの点では、僕はあのえせ(二字の上に傍点)偉人の考えに完全に同意しますね。たとえば僕も、祖国を棄ててアメリカに逃れるなんて、卑怯だと思いますよ。卑怯以下だ、愚劣ですよ。この国にいても人類のために多くの利益をもたらしうるというのに、なぜアメリカに行くんですか? それも、まさに今こんな時代に。有意義な活動が山ほどあるというのに。僕はそう答えてやったんです」

「答えてやった? だれに? まさか、もうだれかがアメリカに君を誘ったんじゃないでしょうね?」

「実を言うと、だいぶたきつけられたんだけど、断わったんです。もちろん、ここだけの話ですよ。カラマーゾフさん。いいですね、だれにも洩らさないでください。あなたにだけ話すんですから。僕だって第三課(訳注 ニコライ一世の作った国家秘密警察)の網にかかって、ツェプノイ橋のほとりで勉強するのなんか、まったく望んでいませんからね。
ツェプノイ橋のそばに立つ
あの建物を忘れるな!
ですよ(訳注 十九世紀の詩人ミナーエフの風刺詩の一節)。おぼえてらっしゃるでしょう? 傑作ですよね! どうして笑うんです? 僕が嘘ばかりついてると、思ってらっしゃるんじゃないでしょうね?」

『だけどもし、お父さんの形見の本棚に『警鐘』(訳注 ゲルツェンが亡命地ロンドンで出していた革命的な雑誌)のその号がたった一冊あるきりで、その雑誌の中でも僕がこの詩以外何一つ読んでいないことを、この人が知ったらどうだろう?』

「コーリャ」はちらと思って、身ぶるいしました。

「いえ、とんでもない、僕は笑ってなんかいませんし、君が嘘をついてるなんて全然考えてませんよ。そうですとも、そんなことを考えるもんですか。だって悲しいことに、すべてまぎれもない真実ですからね! それはそうと、プーシキンは読んだんですか、『オネーギン』は?・・・・たった今タチヤーナの話をしてましたね?」

「いいえ、まだ読んでません。でも読みたいと思っています。僕は偏見を持たない人間ですからね。両方の側の意見をきくつもりですよ。なぜ、そんなことをきくんです?」

「べつに」

「あのね、カラマーゾフさん、あなたはひどく僕を軽蔑しているんでしょう?」

突然「コーリャ」が語気鋭く言って、まるで身構えでもするように、「アリョーシャ」の前にまっすぐ身体を起しました。

「君を軽蔑してるって?」

「アリョーシャ」はびっくりして彼を見つめました。


「何のために? 僕はね、君のようなすばらしい天性が、まだ生活もはじめないうちに、もうそんな粗雑なたわごとでゆがめられているのが、悲しいだけですよ」


2018年9月13日木曜日

896

「本当のことを言うと、僕はこういう議論に入るのがやりきれないんです」

彼は話を打ち切るように言いました。

「だって、神を信じなくても人類を愛することはできますしね、あなたはどうお思いになります? ヴォルテールは神を信じなかったけれど、人類を愛したじゃありませんか?」

(『また、また!』と、彼はひそかに思った)

「ヴォルテールは神を信じてはいたけど、それほど深くではないようだし、それにあの人は人類もあまり愛していなかったようですけど」

「人類を愛す」とはどういうことでしょうか、「人が好き」「人間が好き」ということでしょうか、反対に「人が嫌い」「人間が嫌い」という人もいるでしょう、そういう人は植物が好きだったり、本が好きだったり、山登りが好きだったりしますが、「人が好き」「人間が好き」な人であってもそういう人はたくさんいます、この「人が好き」「人間が好き」ということは、言葉としてはありふれた陳腐なものという感じ方もありますが、本当はものすごく重要なことのような気がします。

まるで自分と同い年か、むしろいくつか年上の人とでも話すように、「アリョーシャ」が低い声で、遠慮がちに、まったく自然な口調で言いました。

「コーリャ」は、自己の「ヴォルテール」観に対する「アリョーシャ」の自信なげな様子や、子供の「コーリャ」にこの問題の解決を委ねるかのような態度に、おどろかされました。

「君はほんとにヴォルテールを読んだんですか?」

「アリョーシャ」がしめくくりました。

「いいえ、読んだというほどでは・・・・もっとも『カンディード』は読みました。ロシア語訳で・・・・古いお粗末な訳でしたよ、こっけいな・・・・」

「ヴォルテール」の『カンディード』は、「『カンディード、あるいは楽天主義説』は、1759年に発表されたフランスの啓蒙思想家ヴォルテールによるピカレスク小説である。」とのことであり、あらすじは「ところはドイツのウェストファリア、領主ツンダー・テン・トロンクの城館に、領主の甥にあたるカンディードという若者がいた。家庭教師パングロスによる「すべて物事は、今あるより以外ではありえない」ことが証明されていて、「一切万事は最善である」というライプニッツの楽天主義を信じて幸福に育ったカンディードであったが、領主の娘キュネゴンドと接吻を交わしたために、生まれ育った城から追放の憂き目に遭う。騙されてブルガリア連隊に編入させられたカンディードは、脱走を試みて捕まり、連隊中の兵士から鞭打ちの刑罰を喰らう。ブルガリア(プロイセンのアレゴリー)とアバリア(フランスのアレゴリー)との合戦の際、戦闘の混乱に紛れて再び逃げ出したカンディードは、戦場の至る所で、両軍の兵士により虐殺された市民の死体を目にする。血まみれの乳房を子どもにふくませたまま死んでいく女性や、陵辱後に腹を裂かれて死んでいく娘たちを見る。オランダで仕事にありついたカンディードは、梅毒病みの乞食となった旧師パングロスと再会する。ツンダー・テン・トロンクの城を襲ったブルガリア兵により、キュネゴンドを含む一族郎党が皆殺しにされたことを知らされ、カンディードは悲嘆に暮れる。恩師を治してと善良な雇い主に懇願して、梅毒から回復したパングロスと一緒にカンディードは雇い主の供でリスボンへ向かう。リスボンへ向かう途中で嵐に遭った船は沈没し、カンディードとパングロス、人でなしの水夫だけが生き残る。リスボンでは大地震に巻き込まれる。カンディードとパングロスは地震を止めるための異端審問に掛けられる。パングロスは火炙りの刑ではなく、絞首刑に処される。刑の直前、カンディードは赦免される。カンディードを救ったのは、ブルガリア兵の暴行を生き延び、今は金持ちのユダヤ人と異端審問官の共同の妾となっているキュネゴンドであった。老婆に導かれ、カンディードはキュネゴンドと再会する。キュネゴンドの話を聞いて激昂したカンディードは、ユダヤ人と異端審問官を殺してしまう。カンディードとキュネゴンドは老婆の過去を聞く。老婆は元々教皇の美しい娘で、ふとしたことから母と共に海賊に捕まり、母は殺され、自身は犯され、モロッコからアレクサンドリア、イスタンブール、アゾフ、モスクワ、リガ、ハーグなど時には売られ、時には篭城に巻き込まれ、時には逃げ出し、年を重ね、ついにはユダヤ人の元で働いていたということを語る。カンディードとキュネゴンドは、供の老婆を連れて南アメリカ大陸まで落ち延びるが、ブエノスアイレスで追っ手に追いつかれ、やむなくカンディードは従僕カカンボだけを連れて逃れ去る。逃避行の途中で2人は黄金郷エルドラドーに迷い込む。エルドラドーは、黄金や宝石が石ころのように道端に転がっており、争いも災厄もないユートピアであった。宗教は「必要なものは何でもくださる」神に「たえず」「お礼を申し上げる」というだけ。この国に留まるよう説得するエルドラドーの王を振り切って、キュネゴンドの事を忘れられぬカンディードは、黄金と宝石を羊に積み込んでエルドラドーを離れる。持ち出した黄金や宝石のほとんどは、災厄により失われてしまう。そして旅路の途中で虐待された瀕死の黒人奴隷を目にする事により、ついにカンディードは楽天主義と訣別せざるを得ないことを自覚する。「楽天主義とは、どんな悲惨な目に遭おうとも、この世の全ては善であると、気の触れたように言い張ることなのだ!」キュネゴンドの捜索に送り出したカカンボは、行方知れずになってしまう。待ちきれなくなったカンディードはヴェネツィアまでやってくるが、航海の途中で出会った詐欺や泥棒により、残りの黄金のほとんども失われる。世間に愛想を尽かしたカンディードは、「この国で最も不幸な人間」を自分の同行者として公募する。厭世主義の貧乏学者マルチンが同行者として選ばれる。マルチンと果てしのない議論を繰り返しながら、イタリアやフランス、イギリスといったヨーロッパ諸国を歴訪し、遂にコンスタンチノーブルで、カンディードはキュネゴンドやカカンボ、パングロスと再会する。見る影もなく醜く成り果てたキュネゴンドに、カンディードは百年の恋も覚めてしまうが、約束を守るためにキュネゴンドとの結婚を決意する。エルドラドーから持ち帰った残り少ない黄金でカンディードは地所を購入する。パングロスやマルチンと実りの無い議論を繰り返すだけの毎日は、耐え難いものであった。最後に、小さな農家で悠々自適の生活を送る老人との会話をきっかけにして、カンディードは労働こそ人生を耐え得るものにする唯一の方法であることに思い至り、日々の仕事とその成果の中に、ささやかな幸福を見出すようになる。今でも時おりパングロスは、「もし君がツンダー・テン・トロンクの城を放逐されず、数々の不幸や災厄に見舞われなければ、今の幸福もなかったのだから、やはりこの世のすべてが最善である事は認めざるを得ないだろう」と議論を持ちかけるのだが、カンディードはただこう答えるのだった。「お説ごもっとも。けれども、わたしたちの畑を耕さなければなりません(Cela est bien dit, mais il faut cultiver notre jardin)」。」とのことです、また「イタリアの映画監督グァルティエロ・ヤコペッティが『ヤコペッティの大残酷』として、本作を映画化している。」とのことでした。

(また、またこれだ!)

「で、わかりましたか?」

「ええ、全部・・・・つまり・・・・なぜ僕にはわからないだろうと、お思いになるんですか? そりゃもちろん、あの中には卑猥な個所がたくさんありますけど。でも、僕はもちろん、あれが哲学的な小説で、ある思想を広めるために書かれたものだってことくらい、理解できますよ・・・・」

「コーリャ」はもはやすっかり混乱していました。

「僕は社会主義者なんです、カラマーゾフさん、節を曲げない社会主義者なんですよ」

どういうつもりか、突然彼はふっと言葉を切りました。

「社会主義者?」

「アリョーシャ」が笑いだしました。

「いったいいつの間になったんです? だって君はまだやっと十三でしょう?」

「コーリャ」の顔がひきつりました。

(875)で「アリョーシャ」の質問に対し、「いえ、つまり、数え年で十四、あと二週間すれば満で十四歳になります。もうすぐですよ。あなたには前もって僕の弱点を打ち明けておきますけど、カラマーゾフさん、これはあなたにいっぺんで僕の性質を知っていただけるように、お近づきのしるしに打ち明けるんですが、僕は年齢のことをきかれるのが大きらいなんです、大きらい以上なんですよ・・・・」と言っていました。

「第一、僕は十三じゃなく、十四です。あと二週間で十四なんです」

彼は真っ赤になりました。

「第二に、この場合僕の年齢に何の関係があるのか、さっぱりわかりませんね。問題は、僕がどういう信念を持っているかで、僕がいくつかってことじゃないはずです、そうでしょう?」

「もう少し年がいけば、年齢が信念に対してどんな意味を持つか、君もひとりでにわかりますよ。僕には、君の話しているのが自分の言葉じゃないような気がしたもんだから」

「アリョーシャ」は「コーリャ」の発言に対して自分の意見はあまり述べていませんが、この「年齢が信念に対してどんな意味を持つか」という発言は奥深いですね、変わらぬものが信念であるとすると年齢はその信念自体の意味を変えるということかもしれないです。


「アリョーシャ」が謙虚に穏やかに答えましたが、「コーリャ」はむきになってそれをさえぎりました。