2019年1月19日土曜日

1024

「どうしてこの金があなたの手に入ったんです・・・・もしこれが例の金だとしたら、の話ですが?」

びっくりして裁判長が言いました。

「ゆうべ、犯人のスメルジャコフから預かったんです。あいつが首を吊る前に寄りましてね。親父を殺したのはあの男です。兄じゃありません。あの男が殺し、僕が殺しをそそのかしたんです・・・・親父の死を望まぬ人間なんかいませんでしたからね」

「イワン」としては正直な発言であり、すべてをひっくり返すような重大発言ではありますが、それをみんなに納得させるためには十分な説明が必要ですね。

「あなたは正気ですか、どうなんです?」

思わず裁判長は口走りました。

「正気にきまってるじゃありませんか・・・・卑劣にも正気なんです、あんたや、ここにいるあの・・・・豚どもとご同様にね!」

こんな発言がだめなんです、状況がわかっていないようですね。

突然、彼は傍聴席をふりかえりました。

「あいつらは親父を殺したくせに、びっくりしたふりをしてやがるんだ」

彼は憎さげな軽蔑を示して歯ぎしりしました。

「お互いにしらを切りやがって。嘘つきめ! だれだって親父の死を望んでいるんだ。毒蛇が互いに食い合いをしてるだけさ・・・・親父殺しがなかったら、あいつらはみんな腹を立てて、ご機嫌斜めで家へ帰るこったろうよ・・・・とんだ見世物さ! 『パンと見世物!』か。もっとも、俺だって立派なもんだ! 水はありませんか、飲ませてください、おねがいだから!」

「パンと見世物」というのは、「パンとサーカス」とも言われ、詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。愚民政策の例えとしてしばしば用いられる名言であり警句である。」とのこと。

彼はふいに頭をかかえました。

廷吏がすぐにそばに歩みよりました。

「アリョーシャ」は突然立ちあがって、叫びました。

「兄は病気なんです、兄の話を信じないでください、兄は譫妄症なんです!」

「カテリーナ・イワーノヴナ」ははじかれたように席を立ったものの、恐怖に身じろぎもせず、「イワン」を見つめていました。

「ミーチャ」は立ちあがり、なにか奇妙にゆがんだ微笑をうかべて、むさぼるように弟を見つめ、耳を傾けていました。

「安心してください。僕は気違いじゃない、人殺しにすぎないんだ!」

「イワン」がふたたび言いはじめました。

「人殺しに雄弁を求めてもだめですよ・・・・」

突然何のためか、こう付け加えると、彼はゆがんだ笑いをうかべました。

検事は傍目にもわかるほどうろたえて、裁判長の方に身を乗りだしました。

裁判官たちがあわただしくささやき合いました。

「フェチュコーウィチ」は耳をそばだてて、きき入っていました。

裁判長は突然われに返ったかのようでした。

「証人、あなたの言葉は不可解で、この席では許されぬものです。できるならば気を鎮めて、もし・・・・本当に言うべきことがあるのなら、話してください。そういう証言を、いったい何によって裏付けられるのですか・・・・かりに、うわごとを言っているのでないとしたら?」

私はずっと思っているのですが、この裁判長をはじめ検事、弁護士等は理性的で常識的な人物ですね。

「証人がいないのが、問題でしてね。あの犬畜生のスメルジャコフだって、まさかあの世から証言を送ってはよこさないだろうし・・・・封筒に入れてね。あなた方はいつも封筒が必要なんだから。一つありゃ十分でしょうに。僕には証人はいないんです・・・・ただ、あいつだけは別だけど」

彼は考えこむように苦笑しました。

「だれです、その証人とは?」

「尻尾のあるやつですよ、裁判長閣下、これじゃ型破りでしょうな! 悪魔は存在しないんだから! 気にしないでください、やくざなチンピラの悪魔なんです」

ふいに笑うのをやめ、秘密めかしく、彼は言い添えました。

「あいつはきっと、この法廷のどこかにいますよ。ほら、その証拠物件のテーブルの下に。あいつの居場所はその辺にきまってますよ。いいですか、僕の話をきいてください。僕はあいつに、黙ってるのはいやだと言ったんです。そしたらあいつは地質の変動のことなんぞ持ちだして・・・・ばかばかしい! さあ、その無頼漢を釈放してやってください・・・・讃歌なんぞうたいはじめて。そうすりゃ、気が楽になるからですよ! 酔いどれの悪党が『ワーニカはピーテルに行っちゃった』とわめき立てるのと同じことなんだ。僕は二秒間の喜びのためになら千兆キロの千兆倍だって捧げますよ。あんた方は、僕って人間を知らないんだ! ああ、何もかも実に愚劣だ! さあ、兄の代りに僕を逮捕してください! 僕は何かをしに来たはずだな・・・・どうして、なぜ、何もかもこんなに愚劣なんだろう・・・・」

そして彼はまた、ゆっくりと、考えこむように、法廷内を見まわしはじめました。


しかし、すべてがもうざわめきはじめていました。


2019年1月18日金曜日

1023

五 突然の破局
断っておきますが、彼は「アリョーシャ」より先によびだされるはずだったのであります。

しかし、そのときは廷吏が、証人は急病か何かの発作で今すぐには出廷できませんが、癒りしだいいつでも証言をするつもりでいます、と裁判長に報告しました。

もっとも、どういうわけかそれはだれも耳にしておらず、あとになってから知ったのでした。

なぜでしょうか、証言の順番についてあとからあれこれと話されたのでしょうか。

彼の出廷は最初のうち、ほとんど目立ちませんでした。

重要な証人たち、特にライバル同士の二人の女性は、すでに尋問を終えていました。

好奇心はさしあたり充たされました。

傍聴席には疲労の気配さえ感じられました。

あと何人かの証人の尋問があることになっていましたが、すでに報じられたすべての事実を考えれば、それらの証人もおそらく特別のことは何一つ伝えるはずがありませんでした。

時はどんどんたっていきました。

「イワン」はだれの方も見ようとせず、まるで不機嫌に何かを思いめぐらすかのように、首さえ垂れて、ふしぎなはどゆっくりと近づいてきました。

一分の隙もない服装をしていましたが、その顔は少なくともわたしには病的な印象を与えました。

土気色のその顔には、どこか死に瀕した人のようなものがありました。

目が濁っていました。

彼はその目をあげて、ゆっくりと法廷内を見まわしました。

「アリョーシャ」がふいに席を立とうとしかけ、ああ、と呻き声をあげました。

わたしはそれをおぼえています。

しかし、それさえ気づいた人は少なかったのです。

裁判長は、彼が宣誓を必要とせぬ証人であることや、証言しようと黙秘しようと差支えないが、証言したことはすべて、もちろん良心に従ったものであらねばならぬこと、などから説き起そうとしかけました。

「イワン」はききながら、ぼんやり裁判長を眺めていました。

しかし、突然、ゆっくりと相好をくずして薄笑いをうかべ、びっくりして見つめていた裁判長が話をやめたとたん、彼はだしぬけに声をあげて笑いだしました。

法廷内がふいにしんとなり、何事かを感じとったかのようでした。

裁判長は心配になりました。

「あなたは・・・・もしかすると、まだあまり加減がよくないんじゃありませんか?」

廷吏を目で探しながら、裁判長が言いかけました。

「ご心配なく、裁判長閣下、僕は申し分ないほど健康ですし、興味のある事実を二、三お話しすることができます」

突然まったく平静に、丁寧な口調で「イワン」が答えました。

「何か特別の情報を提供してくださるおつもりなんですか」

なおも信じかねるように、裁判長がつづけました。

「イワン」は目を伏せ、数秒ためらっていましたが、ふたたび顔をあげると、口ごもるように答えました。

「いえ・・・・べつに。何も特別の情報などありません」

尋問がはじまりました。

彼はまったく気のない態度で、ひどく言葉少なく、ますます強まる嫌悪の気持すら露骨に示しながら答えましたが、それでもその答えは一応筋が通っていました。

たいていの質問は、知らないと言ってはぐらかしました。

父親と「ドミートリイ」の貸借勘定なぞ、何一つ知りませんでした。

「それに、興味もありませんでしたしね」と彼は言いました。

父を殺すという脅し文句は、被告からきいていました。

封筒に入れた金をことは、「スメルジャコフ」からききました。

「どれも同じことの蒸し返しですよ」

ふいに彼は疲れた様子で話を打ち切りました。

「僕はこの法廷に何一つ特別の事実をお伝えできません」

「お見受けしたところ、お加減がわるいようですね、それにあなたのお気持もわかりますし・・・・」

裁判長が言いかけました。

裁判長は検事と弁護人の双方に、もし必要があれば質問を出すよう促して、声をかけようとしましたが、このときだしぬけに「イワン」がぐったりした声で頼みました。

「裁判長閣下、もう勘弁してください。ひどく気分がわるいので」

この言葉とともに、彼は許可も待たずに突然、身をひるがえして法廷を出て行こうとしかけました。

しかし、四歩と行かぬうちに、急に何事か思いついたように立ちどまり、低い薄笑いを洩らすと、ふたたび先ほどの席に戻りました。

「閣下、僕はね、あの百姓娘みたいなもんですよ・・・・ご存じでしょう、例の『立ちたきゃ立つけど、いやなら立たねえ』(訳注 ウールのスカートを敷いた上に娘が立つと、結婚を承諾したことになる)ってやつです。サラファンなり、ウールのスカートなりを持って娘のあとを追いかけまわし、娘は『立ちたきゃ立つけど、いやなら立たねえ』と言うだけでね・・・・これはわが国の民族性ですかな・・・・」

「サラファン」とは、「ロシアの女性がルバシカ(ブラウス)の上に着るジャンパースカートに似た民族衣装である。伝統的なものは、現在はもっぱら伝統・民族芸能などの衣装として用いられる。」とのこと、ところで「イワン」は自分を「百姓娘みたいなもんですよ」と言っていますが、これは話したいことだけを話している尋問の様子のことなんでしょうか。

「あなたは何を言いたいんです?」

裁判長がきびしくたずねました。

「ほら」

「イワン」はふいに札束を取りだしました。

「金です・・・・その封筒に入ってた金がこれですよ」

彼は証拠物件ののっているテーブルを顎でしゃくりました。

「この金のために親父は殺されたんです。どこへ置きますか? 廷吏さん、渡してください」


廷吏が札束をそっくり受けとり、裁判長にわたしました。


2019年1月17日木曜日

1022

「あのときの自分の気持はおぼえていませんけれど」

「グルーシェニカ」が答えました。

「あのときはみんなして、あの人がお父さんを殺したと叫びだしたので、あたしは、これはあたしのせいだ、あたしが原因でお父さんを殺したんだ、と感じたのです。でも、あの人が自分は無実だと言ったとたん、あたしはすぐにそれを信じました。今でも信じていますし、これからも信じつづけます。嘘を言うような人じゃありませんもの」

質問が「フェチュコーウィチ」に移りました。

なかでも、彼が「ラキーチン」のことや、《アリョーシャを連れてきたお礼》の二十五ルーブルのことを質問したのを、わたしはおぼえています。

「あの男がお金を受けとったからといって、べつにふしぎじゃありませんわ」

軽蔑的な憎しみをこめて、「グルーシェニカ」は鼻で笑いました。

「あの男はいつもあたしのところへ金をせびりに来ていたんですもの。月に三十ルーブルずつ持って行ったこともよくありました。たいてい、わるい遊びに使うんです。飲んだり食べたりするお金なら、あたしにもらわなくても、持っていたんですから」

「グルーシェニカ」は全部正直に言ってしまいましたね、「わるい遊び」というのは、(674)で私は「『ラキーチンは裏街へ行ってしまった』というのはどういうことでしょう、「くるりと別の通りに曲りました」と書かれていましたが、それが裏街の方なのでしょうか。」と書きましたが、これも伏線でしたね、また(661)で「グルーシェニカ」は「ラキーチン」のことを「あんたなんか、きのこみたいな存在だけれど」と言っていました。

「どういうわけで、あなたはラキーチン氏にそれほど気前よくなさったんです?」

裁判長がひどくもじもじしているにもかかわらず、「フェチュコーウィチ」はすかさず追討ちをかけました。

「だって、あの男はあたしの従兄ですもの。あたしの母と、あの男の母親とは実の姉妹なんです。ただ、あの男はいつもこの町のだれにもそのことを言わないでくれと、あたしに頼んでいました。あたしのことを、ひどく恥じていたんですわ」

「ラキーチン」の秘密を全部喋りましたね、それにしても、彼は「グルーシェニカ」の家にしょっちゅういたのですから、町の人もそのことには気づいているはずだと思いますが、どう思っていたのでしょう。

この新事実はだれにとってもまったく思いがけぬものであることがわかりました。

町じゅうの者はもとより、修道院でさえ、だれ一人これまでそのことを知りませんでしたし、「ミーチャ」ですら知りませんでした。

しかし「アリョーシャ」だけは知っていましたね、(261)で「アリョーシャ」は「ラキーチン」に「グルーシェニカ」のことを「ああ、そうだ、忘れてたよ、あの人は君の親戚だったね・・・」と言っています、これに対して「ラキーチン」は「親戚?グルーシェニカが僕の親戚だって?おい、気でも違ったのか?頭がイカれたんだな」と答えますが、「アリョーシャ」は「どうして?本当に親戚じゃないの?僕はそうきいてたけど」と言っています。

人々の話では、「ラキーチン」は恥ずかしさのあまり自席で真っ赤になったそうであります。

「グルーシェニカ」は、彼が「ミーチャ」に不利な証言をしたことを、法廷に入る前にどこからかきいて、そのために憎んでいたのでした。

「ラキーチン」氏の先ほどの名演説も、その高尚さも、農奴制やロシア市民社会の無秩序に対する弾劾も、ここにいたって全体の意見の中で、もはや決定的に抹殺され、消滅されてしまいました。

「フェチュコーウィチ」は満足でした。

ふたたび神が力を貸してくださったのです。

概して「グルーシェニカ」に対する尋問はさほど永くかかりませんでしたし、それにもちろん彼女も特に新しいことは何一つ告げられませんでした。

彼女は傍聴人にきわめて不快な印象を残しました。

彼女が証言を終えて、「カテリーナ・イワーノヴナ」からかなり離れた廷内に着席すると、数百の侮辱的な眼差しが彼女に注がれました。

彼女が尋問されている間、「ミーチャ」はまるで化石したように、目を床におとしたまま、終始沈黙していました。


「イワン」が証人として出廷しました。


2019年1月16日水曜日

1021

彼女もやはり黒ずくめの服装をし、例の美しい黒いショールを肩にかけて、法廷に姿を現しました。

太った女性がときおりするように、軽く左右に身を揺すりながら、彼女は一度として右にも左にも目を向けず、ひたと裁判長を見つめたまま、足音のせぬ持ち前の歩き方で軽やかに証言台に近づきました。

わたしに言わせれば、その瞬間の彼女はたいそう美しかったし、あとで婦人たちが力説したように、青ざめてなぞいませんでした。

婦人たちはまた、彼女が何か思いつめた、怒ったような顔をしていた、と言い張ったものであります。

わたしが思うに、彼女は気が立っており、スキャンダルに貪欲な傍聴人の軽蔑的な好奇の眼差しを、苦しいほどわが身に感じていただけなのです。

この傍聴席にいる語り手は、「グルーシェニカ」に好意的なようですね。

彼女は軽蔑を堪えることのできぬ、誇り高い性格で、だれかに軽蔑されていると思っただけで、とたんに怒りと反抗心に燃えあがるタイプの人間でした。

それに加えてもちろん、気おくれも、またその気おくれに対する内心の羞恥もあっただろうから、彼女の話が、ときには怒ったような、ときにはさげすむような、ひどくぞんざいな口調になるかと思うと、またときには自分を責め、自分を非難する、誠実なしみじみした調子がふいにひびいたりしたのも、むりのない話であります。

ときおりは『どんな結果になろうと知っちゃいないわ、とにかく話すけどさ・・・・』と言いだげな、まるで奈落にでもとびこむような話し方をすることもありました。

「フョードル」との交際に関して、彼女は「ばかばかしい。あの人が言い寄ったのが、あたしの罪だとでも言うんですか?」と語気鋭くきめつけました。

が、その少しあとで、「みんな、あたしが悪いんです。あの二人を、あの老人とあの人をあたしがからかって、二人ともこんな羽目に追いこんでしまったんです。みんな、あたしのせいで起ったんです」と付け加えるのでした。

何かのはずみに話が「サムソーノフ」のことに触れると、彼女は「だれにも関係ないことだわ」と、すぐに不遜な口調で食ってかかりました。

「あの人はあたしの恩人です。あたしが両親に家から放りだされたとき、あの人ははだしのあたしを拾いあげてくれたんです」

もっとも裁判長は、きわめていんぎんな口調で彼女に、余計な細部に深入りせず、質問に率直に答えなければいけないと、注意しました。

「グルーシェニカ」は赤くなり、目がきらりと光りました。

金の入った封筒を彼女は見たことはなく、ただ「フョードル」のところに三千ルーブル入った封筒があることを、《悪党》からきいたにすぎませんでした。

「でも、ばかばかしくって。あたし笑ってやりましたわ。あんなところへ絶対に行くもんですか・・・・」

「今あなたが《悪党》とおっしゃったのは、だれのことですか?」

検事がたずねました。

「あの召使です。自分の主人を殺して、ゆうべ首を吊ったスメルジャコフのことです」

もちろん、すぐさま彼女は、それほど断定的に有罪とする根拠は何かと質問されましたが、彼女にも何の根拠もないことがわかりました。

「ドミートリイ・フョードロウィチが自分でそう言ったんです。あの人の言葉を信じてください。あの人を破滅させたのは、生木を裂くような真似をした女性ですわ。そうなんです。あの女一人がすべての原因なんです、そうですとも」

憎悪に全身をふるわせるかのように、「グルーシェニカ」は付け加えました。

その声には憎しみがひびいていました。

それはだれのことをさしているのかと、彼女はまたたずねられました。

「あのお嬢さんです。あそこにいるカテリーナ・イワーノヴナですわ。あのとき、あの人はあたしを家へよんで、チョコレートなんかご馳走してくれて、機嫌をとろうとしたんです。あの人には本当の羞恥心が欠けてるんです、そうですとも・・・・」

今度は裁判長がもはやきびしく彼女を制止して、言葉づかいをつつしむよう要望しました。

しかし、嫉妬深い女性の心はすでに燃えさかっており、彼女はたとえ奈落にでもとびこみかねぬ勢いでした・・・・

「モークロエ村における逮捕の際」検事が思いだして、たずねました。

「あなたが隣の部屋から駆けこんできて、『みんなあたしが悪いんです、あたしもいっしょに懲役に行きます!』と叫んだのを、みんながきき、見ております。


してみると、あの瞬間あなたはすでに、被告が父親殺しであるという確信を持っていたのですね?」


2019年1月15日火曜日

1020

わたしはききながら寒気をおぼえて、ふるえていたし、法廷は一言もききもらすまいと、静まり返っていました。

ここには何かかつて例を見ぬものがありました。

だから、たとえ彼女のような、わがままな、人を人とも思わぬ傲慢な娘からでさえ、これほど率直な証言を、これほどの犠牲を、このような自己犠牲を期待するのは、ほとんど不可能に近かったのであります。

文章の続き具合がよくわかりません、「だから」とは何を指すのでしょう、文章の意味としては、法廷の雰囲気の特殊性はどんな人間からでも内心に正直な証言はむずかしいということでしょうか、それにしても傍聴席にいる語り手は「カテリーナ」のことを「わがままな、人を人とも思わぬ傲慢な娘」と思っているということが意外でした。

それも何のために、だれのために? 自分を裏切り侮辱した男を救うためになのです。

その男を救うためにせめて何かで少しでも役に立ち、その男に有利な印象をもたらそうというのです!

事実また、人生で残されたすべてである最後の五千ルーブルを気前よく与えて、清純な娘の前にうやうやしく一礼した将校の姿は、きわめて共感をよぶ魅力的なものに映じました。

しかし・・・・わたしは痛いくらい胸がしめつけられました!

あとになって中傷が生れかねぬことを感じたからです(そして後日はたして中傷が生れた!)

のちに町じゅうの人が意地わるくせせら笑いながら、おそらくあの話は全部が正確なわけではあるまい、特に将校が《うやうやしく一礼しただけで》生娘を手放したという個所は怪しい、と噂し合いました。

あそこは何かしら《省略されて》いると、人々は仄めかしました。

「かりに省略がなく、すべてが本当だとすると」

もっとも尊敬すべき上流夫人たちまで、こう言うのでした。

「そうなるといっそう腑におちませんわね。たとえば父親を救うためとはいえ、若い娘がそんな振舞いをするなんて、あまりほめた話じゃございませんでしょうに?」

それにしても、あれほどの知性をそなえ、病的な洞察力をそなえた「カテリーナ・イワーノヴナ」が、こんな噂の生ずることを、前もって予測しなかったのだろうか?

きっと予測してはいたのだが、すべてを話そうと決心したのにちがいない!

言うまでもなく、話の真相に対するこうした汚らしい勘ぐりが生れたのは後日のことで、最初の瞬間はあらゆる人が心を打たれました。

裁判官たちに関して言うなら、彼らはうやうやしい、ほとんど恥ずかしそうな沈黙を守って、「カテリーナ・イワーノヴナ」の話をききとりました。

検事はこの話題についてそれ以上、質問一つ発することさえ遠慮しました。

「フェチュコーウィチ」は深々と彼女に一礼しました。

ああ、彼はほとんど凱歌をあげんばかりだった!

収穫は大きかったのです。

高潔な衝動にかられて最後の五千ルーブルを気持よく与える男、同じその男がのちに三千ルーブル奪う目的で、夜中に父親を殺す-これはかなり辻褄の合わぬ話でした。

少なくともこれで「フェチュコーウィチ」は、せめて強盗罪だけでも除くことができたのです。

《事件》は突然、何か新しい光に包まれました。

何かしら「ミーチャ」に有利な、同情的な空気が流れました。

一方、その彼は・・・・彼は「カテリーナ・イワーノヴナ」の証言中に一、二度、席から立ちあがりかけ、それからまたベンチに腰をおとして、両手で顔を覆った、という話でした。

しかし、彼女が証言を終えると、彼は両手を彼女の方にさしのべながら、ふいに泣き声で叫びました。

「カーチャ、なぜ僕を破滅させたんだ!」

これは「ドミートリイ」にしてみれば、恥辱の上塗りをしたということでしょう。

そして、法廷じゅうにひびくほどの大声で泣きだそうとしかけました。

しかし、とたんに自分を抑えて、また叫びました。

「これで僕は判決を受けたんだ!」

この意味は「ドミートリイ」の倫理観ですので、彼だけにしかわかりませんね。

こう言ったあと、歯を食いしばり、両手を胸に十字に組んで、感覚を失ったように坐っていました。

「カテリーナ・イワーノヴナ」はそのまま法廷にとどまり、指示された椅子に坐りました。

彼女は青ざめ、目を伏せて坐っていました。

近くにいた人々の話だと、まるで熱病にかかったように永いこと全身をふるわせていたそうであります。

ついで「グルーシェニカ」が尋問を受けるために出廷しました。

わたしの話はしだいにあの、突然に起った破局に近づいていました。

ことによると、本当にあれが「ミーチャ」を破滅させたのかもしれません。

なぜなら、わたしの確信によると、いや、だれもが、法律家たちまでみな、あとでそう話していたのですが、あのエピソードさえ起らなかったら、被告は少なくとも情状酌量になったにちがいないからです。

しかし、その話はいますぐ述べます。


その前に「グルーシェニカ」について一言しておかねばなりません。


2019年1月14日月曜日

1019

しかし、「カテリーナ・イワーノヴナ」は与えられた質問の一つに答えて、すすんで最初から、自分が被告の婚約者であったことをはっきり申し述べ、「あの人自身があたくしを見棄てたときまで、ではございますけれど」と小さい声で言い添えました。

親戚に郵送するために「ミーチャ」に預けた三千ルーブルのことを質問されると、彼女はしっかりした口調で言いきりました。

「あたくしはすぐに郵送してもらうつもりで、お預けしたのではございません。あのときあたくし、あの人が、あの瞬間、とてもお金が必要だったのを予感しておりました・・・・あたくしはあの三千ルーブルを、よかったらひと月以内に送ってくれるようにという約束で、あの人にお預けしたのです。ですから、あの人があとであんな借金のことでご自分をあれほど苦しめる理由なぞなかったのです・・・・」

この証言の本意はどういうことでしょうか、惨劇が起こったことに対する自己弁護でしょうか、「カテリーナ」の性格からすればそんなことはないと思いますが、それとも、「ひと月以内」にというのは嘘ですので、「ドミートリイ」の責任感の強さを強調する意図でそんなことを言ったというのが本意でしょう。

わたしはすべての質問や、彼女の答えを正確に伝えるつもりはありません。

ただ、彼女の証言の本質的な意味を伝えるだけにとどめよう。

「あの人がお父さまから受けとりしだい、いつでもあの三千ルーブルを送ってくださるものと、あたくしは固く信じておりました」

質問に答えて、彼女はつづけました。

「あたくし、あの人の無欲と正直さ・・・・金銭面での・・・・この上ない正直さとを、かねがね信じておりました。あの人はお父さまから三千ルーブルもらえると固く信じてらして、何度かあたくしにその話をなさったものです。お父さまとの間にいざこざのあったことは、あたくしも存じておりましたし、それまでも常に、あの人がお父さまに煮え湯を飲まされたことを信じていました。あの人がお父さまに言った脅し文句など、全然おぼえておりません。少なくともあたくしの前では、何一つ、どんな脅し文句も言ったことがございませんでした。もしあのときいらしてくださってたら、あたくしのご用立てしたあの不幸な三千ルーブルのためのご心配なぞ、すぐに鎮めてさしあげましたのに、あの人はその後お見えにならなかったんです・・・・それにあたくし自身は・・・・あの人をおよびできないような・・・・立場に置かれていましたし・・・・それにあたくしは、あの人に対して、返済を要求する権利などまったく持っておりませんでした」

だしぬけに彼女はこう付け加えました。

その声に何か決然としたひびきが感じられました。

「あたくし自身、かつてあの人から、三千ルーブルよりずっと多額のお金を拝借したことがあるのです。しかも、そのときは、将来いつかそのお金をお返しできるようになるという予測さえ立たなかったのに、拝借したのです・・・・」

彼女の口調には何か挑戦的なひびきが感じとれました。

まさにその瞬間、質問が「フェチュコーウィチ」に移りました。

「それはまだ、この町での話ではなく、お知合いになった最初のころのことですね?」

「フェチュコーウィチ」がとっさに何か好もしい結果を予感して、慎重な態度で、相手の言葉を引きとりました。

(括弧つきで指摘しておくが、彼はある程度まで当のカテリーナ・イワーノヴナによってペテルブルグから招かれた身であったにもかかわらず、まだ向うの町にいたころミーチャが彼女に与えた五千ルーブルや、《額を地につけるほどの最敬礼》のエピソードを、やはり何一つ知らなかった。彼女はその話を弁護人にしないで、隠していたのだ! これもふしぎな話だった。確信をもって想像しうることだが、彼女自身も最後のこの瞬間まで、自分が法廷でこのエピソードを話すかどうかわからず、何かの霊感を待っていたのであろう)

この括弧書きは、作者が傍聴人である語り手に言わしめているのですが、何を言いたいのか真意が分かりかねます。

(彼はある程度まで当のカテリーナ・イワーノヴナによってペテルブルグから招かれた身)と語り手は言っていますが、(ある程度)とは(921)の「アリョーシャ」と「グルーシェニカ」の会話にある「・・・・だって、三千ルーブルも払ってペテルブルグから招いたというんでしょう」「あの三千ルーブルは、僕と、イワン兄さんと、カテリーナ・イワーノヴナの三人で出したんですが、モスクワの医者はあの人お一人で二千ルーブル出してよんでくれたんです。弁護士のフェチュコーウィチも、もっと多く取りたいところでしょうが、この事件はロシア全土に反響をよんで、どの新聞や雑誌でも書きたてているもんだから、フェチュコーウィチもむしろ名声のために弁護を承諾したんですよ、なにしろあまりにも有名な事件ですからね。僕は昨日会ってきました」というところを正確に捉えての表現ですね。

そう、わたしはあの瞬間を決して忘れることができない! 

彼女は話しはじめました。

彼女は何もかも(四字の上に傍点)話しました。

「ミーチャ」がかつて「アリョーシャ」に物語ったあのエピソードを、《額を地につけるほどの最敬礼》のことも、その原因も、自分の父のことも、「ミーチャ」を訪問したことも、全部話し、「ミーチャ」自身が彼女の姉を介して《金をとりにカテリーナ・イワーノヴナをよこすよう》申し入れたことについては、ただ一言も、ちょっとしたほのめかしによっても触れませんでした。

彼女は深い思いやりからそれを隠したのであり、自分があのとき何事かを予期し・・・・金を借りるために、衝動にかられて自分から若い将校の下宿に駆けつけたことを、明るみに出すのを恥じませんでした。

これは一種ショッキングな出来事でした。


「カテリーナ」は自分のことは考慮に入れず、「ドミートリイ」を助けようとしていますね、まるで「肉を切らせて骨を断つ」ということですね、捨て身の戦いです。


2019年1月13日日曜日

1018

「で、兄上が胸のこの辺をたたいたことを、あなたはたしかにはっきりおぼえているんですね?」

「フェチュコーウィチ」がむさぼるようにたずねました。

「たしかにはっきりおぼえています。それというのも、その時僕は、心臓はもっと下なのに、なぜあんな上の方をたたくんだろうと思いましたし、そのときはそんな考えが愚かしく思えたからです・・・・愚かしく思えたことも、よくおぼえています・・・・ちらとそう思ったんです。だからこそ、今ごろになって思いだしたんです。それにしても、どうして僕は今までこんなことを忘れていられたんだろう! 兄があのお守り袋を指したのは、ちゃんと俺には手段があるんだが、この千五百ルーブルは返さないぞ、という意味だったんです! モークロエで逮捕されたとき、兄はこう叫んだじゃありませんか! 僕は話をきいて知っているんです。カテリーナ・イワーノヴナに負債の半分を(半分をですよ!)返して、あの人に対して泥棒にならずにすむ手段を持ちながら、結局やはり返す決心がつかないで、金を手放すよりはむしろ泥棒と見られたほうがいいと思ったことを、自分の生涯のもっとも恥ずべき行為と見なしているって! 兄はどんなに苦しんだことでしょう、この負債でどんなに苦しんだことでしょう!」

「アリョーシャ」は絶叫によって、話を結びました。

「モークロエで逮捕されたとき、兄はこう叫んだじゃありませんか!」というのは、(825)の「・・・・ひきちぎったとたん、その瞬間に僕はもう、決定的な文句なしの泥棒に、一生涯、泥棒に、恥知らずな人間になってしまったんです。なぜだと思います? なぜって、カーチャのところへ行って『僕は卑劣漢だけれど、泥棒じゃない』と言う夢まで、袋といっしょに引き裂いてしまったからですよ!」というところでしょうか。

もちろん、検事も割りこんできました。

検事は「アリョーシャ」に、そのときの様子をもう一度話してくれるよう頼み、たしかに被告は胸をたたきながら、何かをさし示すようなしぐさをしたか、ひょっとしたら単に拳で胸をたたいたにすぎないのではないかとたずねて、何度も食いさがりました。

「それに、拳でじゃないんです!」

「アリョーシャ」は叫びました。

「本当に指でさし示したんです、ここの辺を、ずっと上の方をさしました・・・・それにしても、どうして僕は今この瞬間まで、このことを忘れていられたんだろう!」

裁判長が「ミーチャ」に、今の証言に関して何か補足することができるかと、質問しました。

「ミーチャ」は、すべてそのとおりで、自分はたしかに頸のすぐ下の胸につけていた千五百ルーブルをさし示したのであり、もちろんこれは恥辱だったと証言を裏付け、「あの恥辱を僕は否定しません、僕の生涯におけるもっとも恥ずべき行為でした!」と叫びました。

「僕は返すことができたのに、返さなかったんです。いっそ彼女に泥棒と思われるほうがいいと思って、返さなかったんですが、いちばんの恥辱は、自分がきっと返さないだろうとあらかじめ承知していたことでした! アリョーシャの言うとおりです! ありがとう、アリョーシャ!」

これで「アリョーシャ」の尋問は終りました。

特徴的な重要なことは、たとえ一つにせよ新事実が発見されたという事態でした。

それがたとえごく些細な証拠であり、ほとんど証拠へのヒントにすぎぬものとはいえ、とにかくこれによってわずかなりとも、本当にお守り袋が存在していたことや、この中に千五百ルーブル入っていたこと、被告がモークロエでの予審のときに、その千五百ルーブルは「僕のものだったんです」と言いきったのが嘘ではなかったこと、などが証明されたのです。

「アリョーシャ」は嬉しいと思いました。

顔を真っ赤にして、彼は指定された席へ引きさがりました。

そのあとも永いこと、彼は一人ひそかにくりかえしていました。

『どうしてあのことを忘れていたんだろう! どうして忘れたりできたんだろう! それに、どうして今になってこんなにふいに思いだしたのだろう!』

たしかにこのことは需要なことですので、私もどうして忘れていたのだろうと思いますが、作者は3回も4回も繰り返して「アリョーシャ」に「どうして忘れていたのだろう」と自問させており、何だか不自然に思われます、この先で忘れていた理由が説明されるのでしょうか、それとも作者自信がそのことを忘れていたからこのような表現になったのでしょうか。

「カテリーナ・イワーノヴナ」の尋問がはじまりました。

彼女が姿を現したとたん、廷内に何か常ならぬ空気が流れました。

婦人たちは柄付き眼鏡(ロールネット)やオペラ・グラスにしがみつき、男たちはざわざわと身動きして、なかにはもっとよく見ようと席から立ちあがる者もありました。

だれもがあとで強調したことでありますが、彼女が入廷したとたん、「ミーチャ」はふいに《ハンカチのように》青ざめました。

黒ずくめの服装をした彼女は、遠慮がちな、ほとんど臆したような態度で、指示された席に近づきました。

その顔からは、彼女が興奮していることは推察できませんでしたが、暗い沈んだ眼差しには決意が光っていました。

指摘しておかねばなりませんが、のちに大多数の人が強調したように、この瞬間の彼女はおどろくばかり美しかったのです。

彼女は低い声で、しかし法廷じゅうにきこえるようにはっきりと話しだしました。

その話し方はきわめて冷静でした。

少なくとも冷静になろうと努めていました。

裁判長はさながら《ある種の琴線》に触れるのを恐れるかのように、大きな不幸を参酌しながら、慎重な、たいそういんぎんな態度で質問をはじめました。


参酌(さんしゃく)とは、「他のものを参考にして長所を取り入れること。斟酌(しんしゃく)。「第三者の意見を参酌して適切な処置をとる」とのこと、ですのでこの使い方はどういうことでしょうか。