2017年5月7日日曜日

402

今場面は「カテリーナ」が叫び声をあげて「グルーシェニカ」にとびかかろうとしているのを「アリョーシャ」が全力でとめている最中ですが。

その瞬間、叫び声をききつけて「カテリーナ」の叔母が二人とも部屋に駆けこんできましたし、小間使も駆けつけました。

みなが「カテリーナ」に走りよりました。

「ええ、帰るわ」とソファからケープを拾いあげて、「グルーシェニカ」が言い放ちました。「アリョーシャ、いい子だから送ってちょうだい!」

こんなことを言われて、もしも自分が「アリョーシャ」ならどう言えばいいのか迷います。

しかし、迷っている時間はありません。

「帰ってください、早く帰ってください!」と「アリョーシャ」は祈るように彼女に両手を合わせました。

「ねえ、アリョーシェニカ、送ってよ!途中で一ついいことを教えだげるわ!こんなシーンは、あんたのためにしてあげたのよ。送って、いい子ちゃん、あとで気に入るわよ」

「アリョーシャ」は手をもみしだきながら、顔を背けました。

「グルーシェニカ」はよく透る声で笑いながら、家を走り出ていきました。

やっと、一息つけますね。

「グルーシェニカ」が「いいことを教えだげる」とか「こんなシーンは、あんたのためにしてあげたのよ」とか「あとで気に入るわよ」とか言えば反対に「アリョーシャ」はついて行きづらくなるでしょう。

たぶん、「グルーシェニカ」もわかって言っているのでしょう。


そうでなくとも、今回の問題を引き起こした原因ともいえる「グルーシェニカ」より、そして先ほどの会話で突然の破綻を作り出した彼女より兄の婚約者の「カテリーナ」の方に肩入れするのは当然かもしれません。


2017年5月6日土曜日

401

彼女は、つまり「グルーシェニカ」なのですが、なるほどキスで《おあいこにする》という奇妙な目的はありましたが、その手をそっと唇に持っていきました。

「カテリーナ」は手をひっこめませんでした。

彼女は最後に「グルーシェニカ」の言った、《奴隷のように》仕えるという、これまた実に奇妙な表現の約束を、内気な望みをいだきながらききました。

「内気な望み」とは、心の中でそのような望みの可能性もあるかもしれないと感じた、ということでしょうか。

「カテリーナ」は緊張して相手の目を見つめていました。

その目に彼女が見いだすのは、先ほどと同じく信じきったようなあどけない表情と、かげりのない快活さでした・・・『もしかすると、この人は無邪気すぎるのかもしれない!』と、「カテリーナ」の心を一抹の希望がちらとよぎりました。

「カテリーナ」の心をよぎった「一抹の希望」とは、相手は馬鹿かもしれないということかもしれません、そのあどけない表情から幼子のようにどうとでもなるかもしれないと思ったのでしょう。

一方、「グルーシェニカ」はさも《かわいい手》に感激したように、ゆっくりその手を唇のところに持っていきました。

しかし、唇のすぐそばまで待っていって、彼女はふいに何事か思案するように、一、二秒とどめました。

「ねえ、やさしいお嬢さま」ふいに今度はもう、この上なくやさしい甘たるい声で、彼女はゆったりと言いました。「あの、お嬢さまのお手をとりましたけど、キスはしないことにしますわ」そして、小刻みな楽しそうな笑い声をたてました。

「どちらでも・・・どうなすったの?」と、突然「カテリーナ」はびくりとしました。

「このことをよく憶えといてくださいね、お嬢さまはあたしの手にキスをなさったけど、あたしはしなかったんですから」と、ふいに彼女の目に何かが光りました。

ここで「グルーシェニカ」が「よく憶えといてくださいね」と強調した意味は何でしょう、重要な部分ですが、私はよくわかりません。

相手は自分にキスをしたが、自分はしなかったということは、自分の方が上に立つということでしょうが、そのことがこの三角関係でどのような意味をもつのでしょうか。

彼女は恐ろしくまじまじと「カテリーナ」を見つめました。

「失礼な」と、突然何かをさとったように、だしぬけに「カテリーナ」が口走り、顔を真っ赤にして、席を立ちました。

「グルーシェニカ」はゆっくり立ちあがりました。

「あなたがあたしの手にキスなさったのに、あたしは全然しなかったってことを、さっそくドミートリイさんにも伝えますわ。あの人、さぞ笑うことでしょうね!」

このキスの件を「ドミートリイ」が聞けば、「さぞ笑う」とのことですが、やはりどういう意味で笑うのか、私はわかりません。

あの気位の高い「カテリーナ」が身分の低い「グルーシェニカ」にキスをしたということでしょうか、それならば、「グルーシェニカ」がキスを返そうとしたこと云々は関係がないことになりますので、ここでは私のわからない何かが表現されているのでしょう。

「恥知らず、出て行け!」

「まあ、恥ずかしくございませんこと、お嬢さま、恥ずかしくございませんの、あんまりはしたないじゃありませんか、そんな言葉を口になさるなんて、お嬢さま」

「出て行くがいい、淫売!」と、「カテリーナ」がわめきたてました。

まったく引きゆがんだその顔の、線という線がふるえていました。

「淫売で結構ですわ。自分だって、若い娘の身でお金目当てに男のところへ夕方忍んでいらしたくせに。自分の美しさを売りにいらしたんでしょう、あたし知ってますのよ」

「カテリーナ」は叫び声をあげて、とびかかろうとしかけたが、「アリョーシャ」がありたけの力で押しとどめました。

「相手になっちゃいけません!話しちゃだめです、何も答えないで。この人はもう帰ります、今帰りますから!」

またまた予想を裏切るような展開になってきました。

「アリョーシャ」も大変ですね。


少し前には「ドミートリイ」と「フョードル」の仲裁に入ったばかりだったのですが、ここでもまた仲裁しなければならないのですから。


2017年5月5日金曜日

400

「さっきあなたが言ってらしたのは・・・全然違っていたのに」と、「カテリーナ」がやっとこれだけ言いました。

「ああ、さっきはね!だって、あたしは気が弱くて、ばかなんですもの。あたしのために、あの人がどんなに辛い思いをしたかを考えただけで、とても!でも、ひょっとして、家に帰って、あの人が気の毒になったら、そのときはどうしましょう?」

こんなことを言われればどうしようもないですね、「カテリーナ」もちょっとまともには話せないでしょう。

天国からまっさかさまに地獄に落ちたような気分でしょう。

「意外だったわ・・・」

「ああ、お嬢さま!あなたはあたしに対して、なんて善良に高潔に振舞ってくださるんでしょう。でも、今度こそ、あたしみたいな、こんなばかな女には愛想がつきたでしょうに、こんな性格の女ですもの。あなたのかわいらしいお手を貸してくださいませんこと、お嬢さま」と、彼女はやさしく頼み、さもうやうやしげに「カテリーナ」の手をとりました。「やさしいお嬢さま、あたし、こうしてあなたのお手をとって、あなたがしてくださったのと同じように、キスしますわ。お嬢さまは三回キスしてくださったから、おあいこにするには、お返しに三百回キスしなければなりませんわね。それが当然で、そのあとは神さまのお言いつけしだいで、お嬢さまの完全な奴隷になって、何から何まで奴隷のようにお仕えしたいと思うかもしれませんわ。神さまのお考えどおりにすれば、お互いの間の申し合せだのなくたって、なるようになりますもの。まあ、かわいい手、かわいらしい手ですこと、ほんとにかわいい手!やさしいお嬢さま、信じられないくらいお美しいお嬢さまですわね!」

この「神さまのお言いつけしだいで」というのは、どういうことがわかりませんが、これは、「グルーシェニカ」自身が、神さまならばどう言うかを思い計ることでしょうか。

また、「お互いの間の申し合せだのなくたって、なるようになりますもの。」というのは、いろいろな策を練らなくとも、なるようになるということで、たぶん「カテリーナ」がこれから三角関係を解消するためにどうしたらいいかと彼女と相談して善後策を決めるような面倒なことを否定しているのでしょう、なるようになると言っているのですから。


そもそもふたりは性格がまったく違うということです。


2017年5月4日木曜日

399

「ずいぶんあたしをかばってくださいますのね、やさしいお嬢さま。何事にもたいそうお急ぎになりますわ」と、また「グルーシェニカ」がゆったりと言いました。

「お急ぎになりますわ」と言うのは、要領を得た「カテリーナ」の話のまとめ方ですね。

「かばう?かばうですって、あなたをかばうなんて、そんな大それたことがあたくしにできまして?グルーシェニカ、わたしの天使、手を貸してくださらなこと。このふっくらした、小さな、美しい手をごらんになって、アレクセイ・フョードロウィチ。おわかりになるでしょう、この手があたくしに幸福をもたらして、あたくしを生きかえらせてくれたんですわ。だから、あたくし、今この手にキスしますわ、手の甲にも、掌にも、ほら、ほら、ね!」

そして彼女は感きわまったように、本当に美しい、ことによるとふっくらしすぎているくらいの「グルーシェニカ」の手に、三度キスしました。

ここでの表現なのですが、「本当に美しい」だけでなく「ことによるとふっくらしすぎているくらい」と付け加えて書くのが、なんとも言えないところです。

相手は片手をさしのべたまま、神経質な、よくひびく魅力的な笑い声をたてながら、《やさしいお嬢さま》のしぐさを見守っていました。

そんなふうに手にキスされるのが、どうやら彼女にも嬉しいようでした。

『ひょっとしたら、あまり感激の度がすぎやしないかな』と、「アリョーシャ」の頭をちらとこんな思いがよぎりました。

彼は赤くなりました。

心が終始なにか特に落ちつきませんでした。

「あたしに恥をかかせないでくださいましな、やさしいお嬢さま、アレクセイ・フョードロウィチの前でそんなふうにあたしの手にキスなさったりして」

「じゃ、こんなことで、あたくしがあなたに恥をかかせようとしたと思ってらっしゃるの?」と、いくらかびっくりして、「カテリーナ」が言いました。「まあ、かわいい方、あたくしの気持ちをちっともわかってくださらないのね!」

何でしょうか、ここで「恥」云々と言っているのは。

必要以上に持ち上げている、つまり、褒め殺しということでしょうか。

「いいえ、あなたこそ、それほどすっかりわかってらっしゃるとは言えませんわ、やさしいお嬢さま。あたし、お嬢さまがごらんになっているより、ずっとわるい女かもしれませんのよ。あたし、腹黒い、わがままな女ですもの。かわいそうに、ドミートリイさんだって、あのとき、ほんのからかい心から誘惑したんですわ」

「あたし、腹黒い、わがままな女ですもの。」と言うのは、「カテリーナ」が先に言ったことに対する皮肉なのかもしれませんね。

そして、「あのとき」というのはいつのことでしょうか。

「でも、これからあの人を救ってあげるんでしょう。あなた、約束なさったのよ。あの人の目をさましてあげるって。ずっと前からほかの人を愛していて、その人が今プロポーズしていることを打ち明けるって・・・」

「あら、いいえ、あたしそんな約束はしませんでしたわ。それはみんな、あなたがご自分でおっしゃったことで、あたしは約束なんかしませんわ」

「それじゃ、あたくしの思い違いでしたのね」と、心もち青ざめて、小さな声で「カテリーナ」が言いました。「あたなはちゃんと約束を・・・」

「いいえ、お嬢さま、あたし何一つ約束しませんでしたわ」と、相変らず朗らかな無邪気な表情をうかべたまま、低い声で淀みなく、「グルーシェニカ」がさえぎりました。「今こそおわかりになったでしょう、お立派なお嬢さま、あなたにくらべてあたしがどんなにいやらしい、自分勝手な女かってことが。あたし、何かしたくなると、すぐそのとおり実行するんですの。さっきは何かお約束したかもしれませんけど、今こうしてまた考えると、ふいにあの人がまた好きになるかもしれませんわ、ミーチャが。だって、一度はとっても気に入った人ですもの、ほとんどまる一時間も気に入ってましたわ。だから、ことによると、あたし、今すぐ出かけて行ってあの人に、今日からずっとあたしのところにいたらって言うかもしれませんわよ・・・あたしって、ほんとに気が変りやすくて・・・」

いやまた、さすがに「グルーシェニカ」のこの発言は予想できませんでした。

この「さっきは何かお約束したかもしれませんけど、今こうしてまた考えると、ふいにあの人がまた好きになるかもしれませんわ」という部分はとんでもない発言ですね。

夏目漱石の「則天去私」を思い出しましたがそんなものではなく、的外れでしょう。

そして、「あなたにくらべてあたしがどんなにいやらしい、自分勝手な女かってことが。」というのも、「カテリーナ」の気位の高さを感じ取っての皮肉のように聞こえます。

「ドミートリイ」も「グルーシェニカ」との会話の中で「カテリーナ」のこのような性格のことも話していたのかもしれませんね。


それにしても、いきなり「グルーシェニカ」のこのあまりにも無責任な発言を聞いて「カテリーナ」はどう思ったでしょう。


2017年5月3日水曜日

398

「値打ちがないですって!値打ちがないだなんて!」と「カテリーナ」がまた熱をこめて叫びました。「あのね、アレクセイ・フョードロウィチ、この方はファンタスチックな人で、わがままでこそあるけれど、そりゃプライドの高い心を持ってらっしゃいますのよ!高潔で、寛大で。アレクセイ・フョードロウィチ、そういうことをご存じですの?ただ不幸せだっただけ。ことによるとそんな値打ちのない、でなければ軽薄な男の人に、あまりにも早くあらゆる犠牲を捧げるつもりになってしまわれたのね。やはり将校だったそうですけれど、ある男の人を好きになって、すべてを捧げてしまったんですって。それはもうずっと昔、五年ほど前のことなんですけれど、男の人はこの方を忘れて、結婚なすったのね。それが今、奥さんに先立たれて、手紙をよこして、近くここへいらっしゃるんだそうですの。それでね、この方はその人だけを、いまだにその男の人だけを愛してらっしゃるし、これまでもずっと愛しつづけてらしたんですって!その人が来れば、グルーシェニカはまた幸せになれますわ。でも、この五年間というもの、ずっと不幸せだったんですものね。ですけど、だれがこの方を非難できるでしょう、だれがこの方の好意を受けたと自慢できるでしょう!ただ一人、あの足のわるい、お年寄りの商人だけですわ、でもあの人はむしろこの方の父親であり、友達であり、保護者だったんですものね。あのお年寄りはちょうど、この方があれほど愛していた人に棄てられて、絶望と苦悩に沈んでいるときにめぐり合ったんですの・・・だって、そのときこの方は河に身を投げようと思ってらしたんですもの、それをあの老人が救ったんですわ、援けたんですの!」

ここでまた、驚くべき展開になってきています。

「グルーシェニカ」が「ドミートリイ」か「フョードル」を選ぶかということではなくなり、五年前、つまり彼女が十七歳の時の恋人が浮上してきました。

この恋人は「グルーシェニカ」を棄てて別の女性と結婚し、その相手が死んだのでまた「グルーシェニカ」に会いにくるというとんでもないことをする男ですね。

「グルーシェニカ」が手紙を受け取ったのはいつなんでしょうか。

きのう、きょうのことかもしれません。

それで、興奮してじっとしていられなく「カテリーナ」のところへやってきたのかもしれません。

この会話の中でも「カテリーナ」の上から目線の発言がみられます。

それは、「グルーシェニカ」のことを「わがままでこそあるけれど」とか「ただ不幸せだっただけ」とか言っているところ、また、彼女がいまだに恋しており、今後付き合うことになるかもしれない将軍のことを「値打ちのない、でなければ軽薄な男の人」とか言っているところです。

「カテリーナ」の言う「あの足のわるい、お年寄りの商人」とは「サムソーノフ」のことです。

「カテリーナ」も「グルーシェニカ」の心情を思ってか「サムソーノフ」のことは「父親であり、友達であり、保護者」と言っていますが、実際には彼女は「サムソーノフ」の妾です。

この「サムソーノフ」という名前は修道院の食堂に向かう途中の「ラキーチン」と「アリョーシャ」の会話の中に出て来ました。

以下は、そのときの会話の一部ですが、ここではまだ、五年前の恋人のことはわかりませんでしたからこのような発言になっているのですが、内容はこの物語のあらすじの重要な説明になっています。

《「ドミートリイ」と「フョードル」の間にたった「グルーシェニカ」は「どっちにも色よい返事をせずに、今のところまだのらりくらりと二人を適当にあしらいながら、どっちが得かを観察している状態だよ。」、なぜかというと親父さんからはごっそりお金を搾り取れるだろうが、その代り結婚してくれそうもないし、おそらく最後にはがめつくなって財布を閉ざしてしまうだろうし、そうなれば、「ミーチャ」もすてがたく、お金はないが、結婚はできるだろうから、金持で貴族で大佐の娘で無類の美人であるいいなずけの「カテリーナ・イワーノヴナ」を棄てて、老いぼれ商人で身持のわるい土百姓の町長「サムソーノフ」風情の妾だった「グルーシェニカ」と結婚することになる、「こうしたいっさいのいきさつから、ほんとうに犯罪がおこりかけないんだ。また、それを待っているのが君の兄貴のイワンさ。そうなりゃ濡手で粟だもの。恋こがれているカテリーナ・イワーノヴナもいただける》

「カテリーナ」にとっては、ここにあらたに「グルーシェニカ」の五年前の恋人があらわれたことによって、どっちつかずで事件でも起きなければどうにもならないような三角関係が解消されるかもしれないという見込みが出てきました。


それが、彼女に「平和と喜び」をもたらしたのです。


2017年5月2日火曜日

397

「あたくしたち、初対面ですのよ、アレクセイ・フョードロウィチ」と、「カテリーナ」は感きわまったように口走りました。「あたくし、この人を知りたくなって、お会いしたくなって、お訪ねしようと思いましたの、でも、そうお願いしたらすぐ、この方がご自分から来てくださったんですわ。この方と二人でやれば、何もかも解決できるって、あたくしにはちゃんとわかっていましたわ、何もかも!そんな予感がしてましたの・・・そんな行為は思いとどまるよう、しきりに言われたのですけど、結果は予感していましたし、間違ってもいませんでしたわ。グルーシェニカが何もかも説明してくれたんですの、ご自分の心づもりをすっかり。この方、親切な天使のように、ここへ飛んでらして、平和と喜びをもたらしてくださったんですわ・・・」

「あなたはあたしを軽蔑なさいませんでしたもの、やさしい立派なお嬢さまですわ」

相変わらず例のかわいらしい嬉しそうな微笑をうかべたまま、「グルーシェニカ」がうたうようにゆっくりと言いました。

「あたくしにそんな言葉をおっしゃたりなさらないで。あなたのように魅力にあふれるお方が!あなたを軽蔑するですって?それじゃ、あなたの下唇にもう一度キスしますわ。あなたの下唇はほんとにふっくらしているのね、もっとふっくらするように、ね。もっと、もっと・・・この方の笑顔をこらんなさいな、アレクセイ・フョードロウィチ。この天使をみていると、心が明るくなりますわね・・・」

「アリョーシャ」は顔を赤らめ、目立たないくらい小刻みにふるえていました。

「あたしを甘やかしてらっしゃいますわ、やさしいお嬢さま。でも、あたしはお嬢さまにやさしくしていただく値打ちなんか全然ない女かもしれませんわ」

本来なら敵対する相手同士であるはずの二人ですが、ここではうまくやっているようです。

お互い本心を隠して相手の出方を伺っているのでしょうか、よくわかりません。


ただ、「カテリーナ」はものごとをはっきりとさせたい性格であり、かと言って論理的というのでもなく、むしろ感情的でさえあるような気もします。


2017年5月1日月曜日

396

「グルーシェニカ」はテーブルの方へくるときも、いたって子供らしい、もどかしげな、信じきった好奇心をこめて今すぐ何かを期待するように、《喜んで》いました。

彼女の眼差しは心を楽しくさせました-「アリョーシャ」はそんなふうに感じました。

彼女にはさらに何か、「アリョーシャ」には理解できぬ、というより理解する能力のない、だが無意識のうちに感じとれるものがありました。

それはやはり、身体の動きの柔らかさ、しなやかさであり、猫のように音のせぬその動作でした。

それにしても、みごとな、豊満な肉体でした。

ショールの下に、広いふくよかな肩と、高く張った、まだまったく若々しい乳房とかうかがわれました。

この身体なら、ことによるとミロのヴィーナスの肢体を約束するものかもしれませんでした。

もっとも、間違いなく今でもすでに、やや極端なほどのプロポーションに、それは感じられました。

ロシアの女性美の玄人たちは、「グルーシェニカ」を見て、この新鮮な、まだ若々しい美しさも、三十歳くらいまでには調和を失って、線が崩れ、顔そのものも肌がたるんで、目尻や額にきわめて早く小皺があらわれ、顔の色も濁って赤紫になるかもしれないし、一口に言って、ロシア女性に往々にして見かける、束の間の美しさ、はかない美しさにほかならないと、的確に予言したにちがいないでしょう。

もちろん、「アリョーシャ」はそんなことは思わなかったのですが、すっかり魅せられはしたものの、彼も何か不快な感じで、まるで残念に思うかのように、なぜこの人はこんなに間延びした口調で話すのだろう、どうして自然な話し方ができないのだろうと、自分にたずねてみました。

彼女は明らかに、そういう間延びのした口調や、音節や発音にことさら甘たるい感じを添えることに美を見いだして、そうしているにちがいありませんでした。

もちろんそれは、悪趣味なわるい習慣でしかなく、教養の低さや、幼いことから通俗に体得した礼儀に対する理解を証明するものでした。

それにしても、こうした発音や抑揚が「アリョーシャ」には、あの子供のようにあどけない嬉しそうな表情や、幼な子のように幸せそうな静かな目のかがやきなどとくらべて、ほとんど信じがたいほどの矛盾に思われました。

「カテリーナ」はすぐに彼女を「アリョーシャ」の正面の肘掛椅子に座らせ、笑いをたたえたその唇に感激をこめて何度かキスしました。

まるで彼女に恋したかのようでした。

「グルーシェニカ」は、「フョードル」と「ドミートリイ」を命がけにさせるほど魅力的な女性なのですが、その魅力にリアリティを与えるために、作者はこれでもかこれでもかというようにあらゆる視点から描写しています。

ここで「グルーシェニカ」の魅力をまとめてみます。

まず年齢は二十二歳のロシア的な美人で、善良なかわいらしい女性です。

そして、その年齢にふさわしい顔をしています。

非常に色白で上品な薄バラ色の紅みがさしています。

顔の輪郭は幅がすこし広くて、下顎はほんのちょっと前にじゃくれ気味です。

眉は黒くて濃く、目は睫毛の長い魅惑的な灰色がかった青い目をしています。

その目は、子供のようにあどけなく、幼な子のように幸せそうな静かな目のかがやきは好奇心に満ち、何かを期待するように《喜んで》いるようでした。

口は上唇が薄く、下唇はやや受け口でふっくらしています。

子供のようなあどけない表情です。

髪はすばらしい豊かな栗色です。

背はかなり高いほうで、ミロのヴィーナスの肢体を想像させるみごとな、豊満な肉体です。

真白いふくよかな頸と広いふくよかな肩、そして高く張った若々しい乳房。

身体の動きはやわらかく、なにか一種特別な甘たるい感じのするくらいやさしい感じで、猫のようにしなやかです。

話し方は甘たるくて間延びした話し方です。

以上が、作者によってかかれた「グルーシェニカ」の魅力ですが、やはりわかったようなわからないような曖昧な感じです。


とりあえずは、「カテリーナ」とは違ったタイプの女性だということは確かなようです。