2018年4月14日土曜日

744

「実はあの人が嘘ばかりつくもんで、僕らはずっと笑いどおしなんですよ」

さながら彼の考えを察しとったかのように、「マクシーモフ」を指さしながら、だしぬけに「カルガーノフ」が言いだしました。

「ミーチャ」はすばやく「カルガーノフ」を見つめ、それからすぐ「マクシーモフ」に目を移しました。

「嘘をね?」

彼はとたんに何か嬉しくなって、いつもの短い、ぶっきらぼうな笑い声を張りあげました。

「は、は、は!」

この「ドミートリイ」の笑い方は彼の特徴としてたくさん出てきますが、いまいち実感がわきません。

「ええ。だってね、この人は、二十年代にはわが国の騎兵はみんなポーランド女性と結婚したみたいなことを言い張るんですよ。しかし、ひどくばかげた話ですよね、そうでしょう?」

「ポーランド人とね?」

また、「ミーチャ」はおうむ返しに言い、もはやすっかり有卦(うけ)に入っていました。

「有卦(うけ)に入(い)る」とは「ありそうもない幸運が続くの意で、すべての物事がうまくいくこと。「有卦」とは、陰陽道で幸運が七年間続くという年回りのこと。その後五年間続く凶年は「無掛」という。」とのことですが、今はあまり使わない言葉ですね。

「カルガーノフ」は「ミーチャ」と「グルーシェニカ」の間柄をとてもよく理解していたし、ポーランド人のことも察してはいましたが、そんなことはみな、さほど関心をひきませんでした。

ことによると、まるきり関心がなかったのかもしれません。

いちばん彼の興味をひいたのは、「マクシーモフ」でした。

彼は「マクシーモフ」といっしょに偶然ここへやってきて、ポーランド人たちともこの宿屋で生れてはじめて出会ったのです。

「グルーシェニカ」は以前から知っていましたし、一度だれかに連れられて彼女の家に行ったことさえありました。

そのときは彼女に気に入られませんでした。

これは、いつどういう状況であったかは書かれていませんね。

しかし、ここでは彼女はたいそうやさしく見つめてくれ、「ミーチャ」が来るまでは頭を撫でてさえくれたのですが、彼のほうはさっぱり感じない顔つきでした。

彼はせいぜい二十歳くらいの青年で、しゃれた服装をし、実にかわいい色白の顔に、美しい豊かな栗色の髪をしていました。

しかし、この青年はときおりまるきり子供のような口のきき方や様子をし、自分でもそれを自覚しながら、いっこう平気でいるようなところがあったにもかかわらず、その色白の顔にかがやく美しい、明るい空色の目は、聡明な、ときには年齢に似合わぬほど深遠な表情を宿すことがありました。

概して彼は、いつも愛想がよいとはいえ、ひどくユニークで、気まぐれでさえありました。

相手を見つめて、話をきいてはいるのですが、当人は何か自分のことを執拗に空想しているといった感じなのです。

時によると、生気がなく、ものうげになるかと思えば、だしぬけに張り切りだすこともあり、それも往々にして一見ごく下らない原因からのことがあるのでした。

「カルガーノフ」については、(120)でかなり詳しく説明されています、ここでも再び彼の特徴が書かれています、作者の身近にそういう人物がいて描いて見たかったのかもしれません。

「考えてもくださいよ、僕はもう四日もこの人を連れて歩いてるんですからね」

いくらかものうげに言葉をひきのばし、だが少しも嫌味な感じはなく、ごく自然な口調で彼はつづけました。

「おぼえてらっしゃるでしょう、あの日、あなたの弟さんに馬車から突き落されて、この人がふっとんだとき以来ずっとなんです。あのとき、僕はこの人にとても興味をもったので、田舎へ連れて行ったんですが、今やのべつ嘘ばかりついているもんだから、いっしょにいるのが恥ずかしくなりましてね。送り返すところなんです・・・・」


「イワン」が馬車に乗り込もうとする「マクシーモフ」を突き落とした(278)で描写されている光景ですね、「カルガーノフ」はこの時から「マクシーモフ」を誘って道中を共にしているとのことですが、どういう行きがかりなのか詳しくわかりませんね。


2018年4月13日金曜日

743

「ミーチャ」は相変らず札を片手に握りしめて、みんなの、特にポーランド人たちの注意をひきつけていましたが、照れくさそうに急いでポケットに突っこみました。

彼は赤くなりました。

ちょうどその瞬間、主人が栓をぬいたシャンパンの壜と、グラスを盆にのせて運んできました。

「ミーチャ」は壜をつかもうとしかけましたが、すっかり度を失っていましたので、それをどうすればよいのか忘れてしまいました。

彼から今度は「カルガーノフ」が壜を取って、彼の代りについでまわりました。

「もう一本だ、もう一本持ってこい!」

「ミーチャ」は主人にどなると、さっき親睦の酒を飲もうとあれほどまじめくさって誘ったポーランド人とグラスを合わせるのも忘れ、だれのことも待たずに、いきなり一人でグラスをすっかり空けてしまいました。

「ドミートリイ」は相当気が動転していますね。

顔全体がふいにすっかり変りました。

入ってきたときの荘重な悲劇的な表情にかわって、何か子供のような表情があらわれました。

突然すっかりおとなしくなり、小さくなってしまったかのようでした。

わるいことをした子犬が、また家に入れてもらい、かわいがってもらったときのような感謝にみちた様子で、のべつ神経質な笑い声をたてながら、嬉しそうにおずおずとみんなを眺めていました。

とうとう犬に例えられていますが、何となくわかりやすいですね。

まるで何もかも忘れたみたいに、子供のように笑みをうかべながら、感嘆の目でみなを見まわすのでした。

ひっきりなしに笑いながら、「グルーシェニカ」を見つめ、自分の椅子を彼女の肘掛椅子にぴったり接するくらい引き寄せました。

まだ相手をろくに理解していなかったとはいえ、少しずつ二人のポーランド人の見分けもついてきました。

ソファにすわっているポーランド人は、その堂々とした貫禄と、ポーランドなまりのアクセントと、そして何よりもパイプとで、彼をおどろかせました。

『いったい何の真似だろう、しかしパイプをくゆらすとは立派なもんだ』-「ミーチャ」は観察しました。

いくらか皮膚のたるんだ、ほとんどもう四十近い、鼻のひどく小さなポーランド人の顔も、鼻の下に見える細く尖った、厚かましげな、色を染めた口ひげも、今のところ「ドミートリイ」の心にいささかの疑問もよび起こしませんでした。

鬢の毛を愚かしげに前にとかしつけた、シベリヤ製の、ひどくやくざなかつらさえ、特に「ミーチャ」をおどろかせませんでした。

そのポーランド人は、口ひげを染めており、かつらなのですね、当時のかつらは今と違ってすぐにそれとわかるものだったのでしょう、それにしても外から見てすぐわかるような染めた口ひげというのはわけがわかりません、髪の色と違った明らかに染めたとわかるような色なんでしょうか。

『かつらである以上、つまり、こうでなけりゃいかんのだろう』

幸福そうな様子で彼は観察をつづけました。

「ドミートリイ」は犬にたとえられていましたが、このときは見て感じることが完全に子供の感受性になってしまっています、自分自身の穴の中に入り込んでまるで目だけの存在になったようにすべてを疑問なく受け入れながら何の先入観もなく外の世界を受け入れ観察していますね。

もう一人の、壁際に坐っているポーランド人は、ソファの男よりも若く、喧嘩を売るような小生意気な態度で一同を眺め、無言の軽蔑をこめてみなの話をきいていましたが、この男もやはり、ソファに坐っているポーランド人とはおそろしいほど釣り合わぬ、度はずれの長身という点だけで、「ミーチャ」を感心させました。

『立ちあがったら、二メートルはあるだろうな』-ちらとこんな思いが「ミーチャ」の頭にうかびました。

さらにまた、この大男はおそらくソファの紳士の友人であり、《ボディガード》格の子分にちがいないし、パイプをくわえた小柄な紳士はもちろんこの大男に命令を下す身分なのだろう、という考えもひらめきました。

しかし、それらもすべて「ミーチャ」には、おそろしく立派な、議論の余地ないものに思われました。

小さな子犬の胸の中で、いっさいのライバル意識は消えてしまったのでした。

とうとう「ドミートリイ」は子犬になったようですね。

「グルーシェニカ」の様子や、彼女のいくつかの言葉の謎めいた調子にも、彼はまだ何も理解できませんでした。

心をふるわせながら、彼がやっと理解できたのは、彼女がやさしくしてくれ、自分を《赦して》隣に坐らせてくれたことだけでした。

彼女がグラスの酒を一息に干すのを見て、彼は感激にわれを忘れました。

それでも、一同の沈黙がふいに彼をぎくりとさせたかのようで、彼は何かを期待する眼差しでみなを見まわしはじめました。

『それにしても、僕らはなんだってぽかんと坐ってるんです、そうして何もはじめようとしないんですか、みなさん?』

笑みをたたえたその眼差しはこう語っているかのようでした。


2018年4月12日木曜日

742

ポーランド人はじっと彼を、彼の札束を見つめ、「グルーシェニカ」を眺めて、明らかに思い迷っていました。

「もしわたしのクルレーワ、許してくださるなら・・・・」

彼は言いだしかけました。

このあとポーランド人は何を言おうとしたのでしょう、「グルーシェニカ」にさえぎられてわかりませんが、「じっと彼を、彼の札束を見つめ」と書かれていますからお金に目が眩んで何かを考えたのでしょう。

「クルレーワって何のこと、女王さま(コロレーワ)のことなの?」

ふいに「グルーシェニカ」がさえぎりました。

「あなたの話すのをきいてると、こっけいだわ。お坐りなさいよ、ミーチャ、何を言っているの? 脅さないでちょうだいね。脅さないでしょう、脅さないわよね? 脅さないんだったら、あたしは大歓迎よ・・・・」

「僕が、脅す?」

突然「ミーチャ」は両手を上にあげて叫びました。

「ああ、素通りするといい、通りすぎてゆくといい、僕は邪魔しないから!」

そして突然、だれにとっても、そしてもちろん彼自身にとってもまったく思いがけなく、椅子に倒れこむなり、反対側の壁に頭を向け、両手で椅子の背をまるで抱くように強くかかえて、おいおいと泣きだしました。

「ドミートリイ」はこの場においても完全に自分自身の世界に入ってしまっていて、全く常識的な態度を保つことができないのですね。

「ほらほら、これなんだから、なんて人なの!」

「グルーシェニカ」が非難するように叫びました。

「あたしのところへ来るときも、いつもこうだったわ。いきなりしゃべりだすんだけど、あたしには何一つわからないの。一度こんなふうに泣きだしたことがあったわね、今が二度目、恥ずかしくないの! どうして泣いたりするの? 何かわけでもあるの(九字の上に傍点)?」

ふいに彼女は謎めかしく、何か苛立ちをこめて一語一語を強調しながら、言い添えました。

何か小さな子供をあやす母親のようですね。

「僕は・・・・僕は泣いたりしないさ・・・・ほら、こんばんは!」

彼はとっさに椅子の上で向き直り、だしぬけに笑いだしましたが、それは日ごろのぶっきらぼうな発作的な笑いではなく、何か声のきこえぬ、長い、神経のたかぶった、ふるえる笑いでした。

「ほら、今度はまた・・・・さ、陽気になさいよ、陽気にね!」

「グルーシェニカ」が言い含めるように言いました。

「あなたが来てくれてとっても嬉しいわ。とても嬉しいのよ、ミーチャ。きこえてるの、あたしはとても嬉しいの。この人にはここにいっしょにいてほしいわ」

この言葉は明らかにソファに坐っている男に向けられたものだったにもかかわらず、彼女はみんなに語りかけるかのように、有無を言わさぬ口調で言いました。

「そうしてほしいわ、あたし! もしこの人が帰るんなら、あたしも帰る。それだけの話よ!」

「ドミートリイ」はここまで「グルーシェニカ」に言ってもらえてどんな気持ちでしょうか。

ふいに燃えるような目をして、彼女は付け加えました。

「女王さまのおっしゃること、法律です!」

「グルーシェニカ」の手にいんぎんにキスして、ポーランド人が言いました。

「どうぞ仲間にお入りください!」

彼は愛想よく「ミーチャ」に声をかけました。

「ミーチャ」はどうやらまた長広舌をふるうつもりらしく、勢いよく立ちあがりかけましたが、まるきり違う結果になりました。

「飲みましょう、みなさん!」

演説の代りに、彼はこれだけで言葉をきりました。

みんながどっと笑いました。

「まあ! またしゃべるつもりかと思ってたのに!」

「グルーシェニカ」が神経のたかぶった声で叫びました。

「いいこと、ミーチャ」

彼女は噛んで含めるように言い添えました。

「これからはもう、とびあがったりしないのよ。でもシャンパンを持ってきてくれたのは、大手柄だわ。あたしも飲むわ。果実酒なんて、とても我慢できないもの。何よりいいのは、あなたが駆けつけてくれたことよ、でないと退屈でもう・・・・あなた、また豪遊しに来たってわけ? さあ、お金をポケットにしまいなさいな! どこからそんな大金を手に入れたの?」


当時のシャンパンと果実酒=ワインの関係はそれほどまでも違っていたのでしょうか、「ドミートリイ」結局シャンパンを三ダース用意しています。


2018年4月11日水曜日

741

七 まぎれもない以前の男

「ミーチャ」は大股の早足でテーブルの間近まで歩みよりました。

「みなさん」

彼はほとんど叫ぶような大声で、しかし一言ごとに口ごもりながら、しゃべりだしました。

「僕は・・・・何もしません! ご心配なく」

彼は叫びました。

「べつに何も、何もしませんから」

肘掛椅子の上で「カルガーノフ」の方に身をよけ、ぎゅっとその手にしがみついている「グルーシェニカ」の方へ、彼は突然向き直りました。

「僕は・・・・僕も旅をしてるんです。朝までここにいるつもりです。みなさん、行きずりの旅人が・・・・朝までお仲間入りしてかまわないでしょうか? 朝まで、最後の名残りに、同じこの部屋にいても?」

最後のこの言葉を彼は、パイプをくわえてソファに坐っている太った男に向って言いました。

相手はもったいぶってパイプを口から離すと、きびしい口調で言いました。

「あなた(パーネ)、ここ、わたしたち専用です。ほかに部屋あるです」

かなりなまって翻訳されています、しかし彼の言うことは正論ですね、彼にしてみればかなり大事な場なんですから。

「なんだ、ドミートリイ・フョードロウィチじゃありませんか、どうしたんです?」

だしぬけに「カルガーノフ」が声をかけました。

「ごいっしょにお坐りください、しばらくでしたね!」

「こんばんは、あなたはいい人だ・・・・実に大切な人だ! 僕はかねがねあなたを尊敬していたんですよ・・・・」

すぐさまテーブルごしに片手をさしのべて、「ミーチャ」はひたむきな口調で嬉しそうに言いました。

「あ、なんて痛い握手だ! 指がすっかり折れちゃいましたよ」

「カルガーノフ」が笑いだしました。

「その人の握手はいつもそうなのよ、いつもそうなの!」

まだおどおどした微笑をうかべながら、「グルーシェニカ」が快活に言いました。

彼女はどうやら、「ミーチャ」の様子から、乱暴しそうもないとふいに確信したらしかったのですが、それでもなお不安をいだきながら、おそろしい好奇心をおぼえて彼を見つめていました。

彼の様子には何か極度に彼女をぎくりとさせるようなものがあったし、それにまた、こんな瞬間に彼がこんなふうに入ってきて、こんな話し方をはじめようとは、まるきり思ってもいなかったのです。

「これはようこそ」

左手の方から地主の「マクシーモフ」もへつらうように声をかけました。

「ミーチャ」は彼の方へも飛んでいきました。

「やあこんばんは、あんたもいたんですか。あんたもここにいるとは嬉しいな! ねえ、みなさん、僕は・・・・」

彼はパイプをくわえたポーランド人を、明らかにこの席の主役と見なして、またその方に向き直りました。

「僕はとんできたんです・・・・最後の日を、最後の時をこの部屋ですごしたかったんです・・・・かつての僕の女王を・・・・崇めた・・・・同じこの部屋で! 赦してください、あなた(パーネ)!」

彼は夢中で叫びました。

「ここへとんでくる途中、僕は誓いました・・・・ああ、ご心配なく、これは僕の最後の夜なんです! 飲もうじゃありませんか、あなた(パーネ)、親睦の酒を! 今すぐぶどう酒が来ます・・・・僕はほら、こんなに持ってきたんですよ」

彼は突然なんのつもりか札束を引っ張りだしました。

「失礼、あなた(パーネ)! 僕は音楽が、騒音が、にぎやかさがほしい、何もかもこの前と同じようにしたいんだ・・・・でも蛆虫は、必要のない蛆虫はしばらく地上を這いまわれば、やがて消えるんです! 最後の夜に僕の喜びの日を追想するんです!」

彼はほとんど息を切らしていました。

言いたいことはいろいろありましたが、口をついて出るのは奇妙な叫びばかりでした。


(738)で「ドミートリイ」は二度も「俺がけりを」つけてやると言っていましたが、ここではまだその勢いがみられませんね、ポーランド人の将校をとるか、それとも自分をとるか、「グルーシェニカ」に選ばせるのではないのかもしれませんね、やはり彼は結婚する二人を見送り、自殺するつもりなのでしょうか、「けり」のつけ方がどういうものかわかりません。


2018年4月10日火曜日

740

彼は荷馬車の方に向き直り、座席の下からピストルの入った箱を引っ張りだしました。

「ドミートリイ」はすでに馬車からおりているのでしたね、それで「荷馬車の方に向き直」ったわけです。

「勘定だ、アンドレイ、受けとってくれ! ほら、馬車代が十五ルーブル、それと酒手に五十ルーブル・・・・用意のよさと、親切さとに対するお礼だ・・・・このドミートリイ・カラマーゾフをおぼえててくれよ!」

馬車代が一万五千円、それにチップとして五万円です。

「わたしは心配で、旦那・・・・」

「アンドレイ」が尻込みしはじめました。

「チップに五ルーブルだけいたたきますが、それ以上はいたたけませんや。トリファンが証人でさ。ばかなことを申しあげて、お赦しくださいまし・・・・」

「アンドレイ」は「トリファンが証人でさ」と言っていますから、「ドミートリイ」から多額のお金をもらうことによって仲間として見られることを心配しているのでしょう、それで、このあとに書かれているように「ドミートリイ」は「まじまじ」と「アンドレイ」を眺めて、彼の気持ちに気づいたのかもしれません、いずれにせよ事実を描写しているだけですが、それが複雑で微妙な心理描写になっているところは見事です。

「なにを心配してるんだ」

「ミーチャ」はまじまじと相手を眺めました。

「それなら勝手にするがいいさ!」

五ルーブルを投げ与えながら、彼は叫びました。

「今度はなトリフォン、こっそり俺を案内して、まず最初にみんなの様子を一目のぞかせてくれ、相手に気づかれないようにな。どうこにいるんだ、青い部屋か?」

「青い部屋か?」というのがおもしろいですが、やはり「ドミートリイ」は自信がないのでしょう、先ほども部屋の中の様子を「トリフォン」に聞いたにもかかわらず、卑怯にも、自分が登場する前にその場の雰囲気を覗き見しようとしています。

「トリフォン」は不安そうに「ミーチャ」を眺めましたが、すぐにおとなしく言うことをききました。

彼は用心深く「ミーチャ」を案内して玄関のホールをぬけ、客の陣どっている部屋と隣合った、とっつきの広い部屋へ自分だけ入ってゆき、蠟燭を運びだしてきました。

「とっつき」とは、いくつかあるうちのいちばん手前のことです。

それからこっそり「ミーチャ」を中に入れ、姿を見られずに相手を自由に観察できそうな、片隅の暗がりに立たせました。

この部屋の位置関係がさっぱりわかりません、隣合った部屋で「姿を見られずに相手を自由に観察できそうな、片隅の暗がり」とはどういう構造になっているのでしょうか。

だが、「ミーチャ」はほんのしばらく眺めていただけだったし、それに十分見きわめることなどできませんでした。

彼女の姿を見るなり、胸がどきどきし、目の前がかすんでしまったのです。

彼女はテーブルの横の肘掛椅子に坐っており、その隣のソファには目鼻立ちのととのった、まだ非常に若い「カルガーノフ」が坐っていました。

「カルガーノフ」が登場したのは(120)の「場違いな会合」のときに、「ミウーソフ」と教会にやってきて、「マクシーモフ」らと昼食会に招かれています、そしていろいろ騒動があって(276)で「ミウーソフ」といっしょに教会から逃げ出しました。

彼女は青年の手をとって、笑っているらしかったのですが、青年は彼女を見ずに、テーブルをへだてて「グルーシェニカ」の真向いに坐っている「マクシーモフ」に、何やら気色ばんだように、大声で何事か言っていました。

その「マクシーモフ」はなにかひどく笑っていました。

ソファには彼(一字の上に傍点)が坐っており、ソファのわきの、壁ぎわの椅子に見知らぬ男がかけていました。

ソファに行儀わるく坐っている男はパイプをくゆらしていました。

このでっぷり太った、盤台面(ばんだいづら)の、あまり背の高くなさそうな男は、何かに腹を立てているみたいだな、という思いがちらと「ミーチャ」の頭をよぎりました。

「盤台面(ばんだいづら)」とは、「盤台のように、平たくて大きい顔をあざけっていう語」とのことですが、ポーランド人の将校はそんな人だったんですね。

その友達らしい、もう一人の見知らぬ男は、「ミーチャ」には並みはずれた長身に思われました。

しかし、彼はそれ以上何一つ見きわめることができませんでした。

息がつまりました。

ものの一分と立っていることができず、彼はケースを箪笥の上に置くと、身体が冷たくなって心臓がとまりそうなのを感じながら、まっすぐ青い部屋の客のところに入っていきました。

「あれ!」

「グルーシェニカ」が真っ先に彼に気づいて、怯えた悲鳴をあげました。


まさにこれは修羅場ですね。


2018年4月9日月曜日

739

「ジプシーの話はこのごろとんとききませんですね、ドミートリイの旦那。警察が追い払っちまったんでさ。でも、この辺にはユダヤ人がいて、シンバルをたたいたり、バイオリンをひいたりしています。ロジェストヴェンスカヤ村にいますから、なんなら今から迎えにやってもよろしゅうございますよ。あの連中ならやってきますから」

「よびにやれ、ぜひよぶんだ!」

「ミーチャ」は叫びました。

「それから、いつぞやみたいに娘たちをたたき起してもかまわんぞ。特にマリヤをな。それに、ステパニーダや。アリーナもだ。コーラスに二百ルーブル出すから!」

よく彼女たちの名前を覚えていますね、そして二百ルーブル=二十万円を出すとは驚きます、法外な値段ではないでしょうか。

「そんな大金をいただけるんでしたら、たとえ今ごろもう寝床に入っていようと、村じゅうの者をたたき起してきまさあ。ですが、ここらの百姓どもが、それほど甘やかしていただくほどの値打ちがございましょうかね、ドミートリイの旦那、娘っ子にしても? あんな卑しいがさつな連中に、そんな大金をお払いになるなんて! ここの百姓は葉巻なんて柄じゃないのに、旦那は振舞っておやりになるんだからな。あの盗人どもは、いやな匂いをさせてますしね。娘っ子たちにしたって、何人くるか知りませんが、どいつもこいつも虱たかりだし。わたしゃ、うちの娘どもをただで起してまいりまさあ。そんな大金を目当てにじゃなく、今しがら寝床に入ったばかりですから、背中を蹴とばして、旦那のために歌でもうたわせましょう。この前は百姓どもにシャンパンを飲ませたんでしたっけね、まったく!」

「トリフォン」は要らぬ同情を「ミーチャ」に示しました。

そういう彼自身、この前はシャンパンを半ダースほども猫ばばしたのだし、テーブルの下に落ちていた百ルーブル札を拾いあげて、拳に握りしめました。

その札はそのまま握りっぱなしだったのです。

「なあ、トリフォン、あのときここで俺がばらまいたのは、千ルーブルじゃきかなかったろうが。おぼえてるか?」

「派手にお使いになりましたからね、忘れるはずがございませんよ、旦那。たぶん三千ルーブルはここに落としてらしたでしょうよ」

「今度もそのつもりで来たんだ、ほら」

こう言うと彼は札束をぬきだして、主人の鼻先へつきつけました。

「いいか、よくきいて、呑みこんどけよ。あと一時間もするとぶどう酒がくる。前菜や、ピロシキや、お菓子もだ。そしたら、すぐに全部上に運んでくれ。それから、アンドレイのところにあるあの箱も、今すぐ上に運んで、開けるんだ。そしてすぐにシャンパンを出してくれ・・・・それと、肝心なのは娘たちだぞ、マリヤは必ずよべよ・・・・」


「ドミートリイ」の頭の中には前回のどんちゃん騒ぎのいい思い出があり、それを反復しようとしていますが、うまくいくのでしょうか。


2018年4月8日日曜日

738

「これはドミートリイの旦那、またお迎えできますなんて!」

「まあ待て、トリフォン」

「ミーチャ」が切りだしました。

「何よりもまず、いちばん肝心の点だ。彼女はどこにいる?」

「アグラフェーナ・アレクサントロヴナですか?」

「ミーチャ」の顔を鋭く眺めながら、主人はすぐに理解しました。

「へ、こちらに・・・・いらしてますが・・・・」

「だれといっしょだ、相手はどんなやつだ?」

「旅のお客さまで・・・・一人はお役人で、話しぶりから察するに、ポーランド人に違いありません。その方がここからお迎えの馬車を出されましたんで。いっしょにいるのは、お仲間なのか、ただの道連れなのか、さっぱりわかりませんが、お二人とも平服で・・・・」

「どうだ、豪遊してるか? 金持なのか?」

「何が豪遊なもんですか! みみっちいもんでさ、ドミートリイの旦那」

「みみっちい? で、ほかの連中は?」

「町のお方でさ。お二人とも・・・・チェールニからのお帰りに、お泊りになられましたんで。お一人は若いお方で、ミウーソフさまのご親戚のはずですよ。お名前はちょいとど忘れしましたが・・・・もう一人は旦那もご存知じだと思いますが、地主のマクシーモフさまで、修道院へお参りにいらしたとかで、そのミウーソフさまの若いご親戚とごいっしょにまわってらっしゃるそうです・・・・」

「トリフォン」のこのセリフの設定はすばらしいと思います、ポーランドの将校以外の人物をここで事前に説明しています、仮に直接「ドミートリイ」が乗りこんだとすると彼らが「ドミートリイ」が知っている人物であることが不自然に思えるでしょうし、一人一人の説明も饒舌になるでしょう。

「それで全部か?」

「それだけです」

「ちょいと待て、黙るんだ、トリフォン。今度はいちばん肝心のことを話してくれ。彼女はどうしてる、どんな様子だ?」

「へえ、さっきお着きになって、みなさんとごいっしょにおられますが」

「楽しそうか? 笑い声をたててるか?」

「いいえ、あまり笑い声はきこえないようですよ・・・・むしろすっかり沈んだご様子で、お若い方の髪をとかしてあげておいででしたっけ」

「ポーランド人のか、将校の髪をか?」

「あんな男、何が若いもんですか、それにまるきり将校なんかじゃありませんや。あの男じゃなく、ミウーソフさまの甥御とかいう若いお方の髪をで・・・・お名前は度忘れしましたが」

「カルガーノフだろ?」

「そう、たしかにカルガーノフでさ」

「よし、俺がけりをつけよう。カードをしているんだって?」

「なさってましたけど、もうおやめになりました。お茶もすんで、そのお役人が果実酒をご注文になったところです」

「待て、トリフォン、まあ待て。俺がけりをつけてやる。今度はいちばんの肝心の点を答えるんだ。ジプシーはいないか?」


「ドミートリイ」は二度も「俺がけりを」つけてやると繰り返しています、彼は「グルーシェニカ」の相手のポーランド人がみみっちことと、彼女が楽しそうではないことを知り自分の方が上だと思ったか気持ちが大きく動いたようですね、つまり、二人の門出を祝い、自分は自殺しようと思い乗りこんだのですが、今は気が変わり彼女にポーランド人か自分かを選ばせようと思ったのでしょう、それがけりをつけるということだと思います。