2019年2月7日木曜日

1043

「イッポリート」の論告の続きです。

「・・・・さてスメルジャコフのたくらんだ殺害の当日がやってくる。彼は癲癇の発作という仮病を使って(六字の上に傍点)倒れます。何のためにでしょうか? もちろん、まず第一に、治療を思いたっていた召使のグリゴーリイが、家を番する人間がまったくいないことに気づいて、おそらく治療を延期し、見張り番に立ってくれるためにです。第二はもちろん、当の主人がだれも番をしていないことに気づいて、かねて公言していたとおり息子の来るのをひどく恐れ、不信と警戒を強めてくれるためにです。そして最後に、何より肝心な点ですが、もちろん、発作で倒れた彼、スメルジャコフが、いつもみんなと別に寝起きしている、専用の出入口のある台所から、離れの反対側のはずれにあるグリゴーリイの部屋へ移してもらうためであります。昔から癲癇の発作が起こるとすぐ、主人と親切なマルファとの指図で、グリゴーリイの部屋の、夫婦の寝室から三歩ほどのところにある衝立のかげに寝かされるのが、きまりになっていたからです。そこの衝立の奥に寝ながら、彼はおそらく、なるべく病人らしく見せるために、もちろん呻きはじめる、つまり、夜どおしみんなを起しておこうとしはじめるのです(グリゴーリイとその妻の証言でも、そのとおりでした)。そして、これらすべてが、なんとあとで突然起きだして主人を殺しに行くのに、なるべく都合よくするため、ということになるのであります! しかし、もしかすると、病気の自分に嫌疑がかからぬように仮病を使ったのかもしれないし、金や合図のことを被告に教えたのは、被告が誘惑にのってみずから乗りこみ、殺害するためにちがいない、と言う人もなかにはあるでしょう。しかも、被告が殺人を犯して立ち去り、金を持ち逃げするとなれば、その際におそらく騒々しい物音をたて、証人たちの目をさませるだろうから、そしたらスメルジャコフも起きだして、行ってみるつもりだったのだ、と。しかし、それならいったい何をしに行くのでしょうか? ほかでもない、主人をもう一度殺して、すでに持ち去られた金をあらためて盗みだしに行くことになるのです。みなさん、あなた方は笑っておいでですね? わたし自身もこんな推理をめぐらすのは気がひけます。が、それにもかかわらず、どうですか、まさに被告の主張しているのは、こういうことなのです。自分がグリゴーリイを殴り倒して騒ぎを起してから、もう屋敷を逃げだしたあとになって、スメルジャコフが起きだして、出かけて行き、殺して、金を奪ったのだ、と言っているのであります。いったいどうしてスメルジャコフが事前にそこまですべて計算できたか、すべてを、つまり苛立ち憤った息子がもっぱらうやうやしく窓からのぞくだけの目的で乗りこんで、せっかくの合図を知りながら、獲物をそっくりスメルジャコフに残して退散することを、予見できたのか、などということはもはや申しますまい! みなさん、わたしはまじめに問題を提起します。いったいどこに、スメルジャコフが犯行をやってのける機会があるでしょう? その機会を示していただきたい、なぜならそれなしに彼を有罪にすることはできないからです。『ことによると、癲癇は本物だったかもしれない。病人はふいに意識をとり戻し、叫び声をきいて、出て行ったのだ』と言う人もいるでしょう。それで、どうなったのでしょうか? 様子を見て、よし、行って主人を殺してやろう。と自分に言ったのでしょうか? しかし、どうして彼は屋敷の様子を、屋敷で起ったことを知ったのでしょう? それまで彼は意識不明で寝ていたのではありませんか? しかし、みなさん、空想にも限度があります。・・・・」

一旦切ります。

「治療を思いたっていた召使のグリゴーリイが」とはどういう意味でしょうか、あとの文章を読むと、「治療をしようとしていた」ということですね。

また、「イッポリート」はもって回った言い方ではありますが「スメルジャコフ単独犯説」を否定しています、「スメルジャコフ」が倒れたことによってもたらされた三つのことを述べています、①「グリゴーリイ」を見張番に立たせた、②「フョードル」がより警戒心を持った、③自分の部屋を二人の寝室に移動してもらった、以上によりこれらすべては、「スメルジャコフ単独犯説」を否定する根拠というわけです。

さらにまた「イッポリート」は他に考えられる根拠にも反論しようとします、①病気の自分に嫌疑がかからぬように仮病を使ったのかもしれない、②金や合図のことを被告に教えたのは、被告が誘惑にのってみずから乗りこみ、殺害するためにちがいない→①も②も、お金はすでに被告が持ち去っているのでこれらはありえませんね、しかし①については「スメルジャコフ」が「ドミートリイ」の犯行を確かなことと認識していたならが、ありうることですね。

ここで「スメルジャコフが、いつもみんなと別に寝起きしている、専用の出入口のある台所」とありますが、「スメルジャコフ」の部屋は「台所」だったようですね。

「イッポリート」は「いったいどこに、スメルジャコフが犯行をやってのける機会があるでしょう?」と言い、「それまで彼は意識不明で寝ていたのではありませんか?」と言っていますが、その時「スメルジャコフ」は「聞き耳を立てていた」と自分で言っていました、それは「イワン」との会話しているところですが、(969)に以下のように書きました。

わたしは例の寝床に寝かされました、衝立のかげに寝かされることはちゃんとわかっていたんです。なぜって、わたしが病気になると、マルファはいつも寝る前に自分の部屋のあの衝立のかげに、わたしの寝床を作ってくれてましたからね。あの人はわたしが生れたときからいつもやさしくしてくださっていたんです。わたしは夜中に呻きました、ただ低い声でね。ドミートリイ・フョードロウィチの来るのをずっと待ち受けていたんです」(953)に「グリゴーリイの妻マルファは、イワンの質問に対して、スメルジャコフが夜どおし衝立一つへだてた、《わたしどもの寝床から三歩と離れぬ》ところで寝ていたことや(訳注 前出の個所では隣の小部屋にスメルジャコフが寝かされたことになっていたが、このあと第七章のスメルジャコフの告白から考えても、同じ部屋の衝立の奥に寝かされていたと解釈するほうがよいだろう)、彼女自身ぐっすり眠ってはいたものの、隣で「スメルジャコフ」が呻くのをきいて、何度も目をさましたことを、はっきりと述べました。」とあり、普段「スメルジャコフ」は離れの、「グリゴーリイ」と「マルファ」の部屋に隣合った小部屋で寝起きしているのですね、またこれも(953)に書きましたが、「『小部屋』については、(575)で「病人は離れの、グリゴーリイとマルファの部屋に隣合った小部屋に寝かされました。」、(714)の「癲癇に倒れたスメルジャコフは、隣の小部屋で身動きもせずに寝ていました。」、(781)の「目ざめを促したのは、隣の小部屋に意識不明のまま寝ているスメルジャコフの、恐ろしい癲癇の悲鳴でした。」と「寝ぼけまなこで跳ね起きると、彼女はほとんど夢中でスメルジャコフの小部屋にとんで行きました。」、(782)の「灯をつけて見ると、スメルジャコフはいっこうに発作の鎮まる様子もなく、自分の小部屋でもがいており、目をひきつらせ、唇から泡が流れていました。」、つまり「スメルジャコフ」の寝かされた場所は前に訳注で言われていたとおり作者の間違いですね、ただ訳注には「このあと第七章のスメルジャコフの告白から考えても・・・・」と書かれていますが、このことは「七 二度目のスメルジャコフ訪問」ではなく「八 スメルジャコフとの三度目の、そして最後の対面」で書かれていますね、また、「わたしは夜中に呻きました、ただ低い声でね。」というのは、「ドミートリイ」の来やしないかと聞き耳を立てていたのですね。


以上です。


2019年2月6日水曜日

1042

「イッポリート」の論告の続きです。

「・・・・よろしいですか、陪審員のみなさん、犯行当夜、フョードルの屋敷にいたのは、というより、さまざまな時間に居合せたのは、五人であります。まず第一に当のフョードルですが、彼は自殺したわけではない。これは明らかです。第二に召使のグリゴーリイ、しかし彼自身も危うく殺されそうになっております。第三がグリゴーリイの妻である女中のマルファ、だが彼女を主人殺しの犯人と想像するのは、それだけで恥ずかしいことです。となると、残るのは二人、被告とスメルジャコフということになる。しかし、殺したのは自分ではないと被告が言い張っている以上、犯人は当然スメルジャコフということになってしまう。それ以外に道はないのです。なぜなら、ほかにはだれも見いだせず、ほかに犯人のあげようがないからです。ここです。つまりこれが、ゆうべ自殺した不幸な白痴に対する《老獪な》、とてつもない有罪説の源にほかなりません! ほかにだれ一人あげようがないという、それだけの理由にすぎないのです! せめてだれかほかの人物に、だれか六人目の人物に、疑惑の影なりとあれば、当の被告でさえ、スメルジャコフを名ざすことを恥じて、六人目の人間をあげたにちがいないと、わたしは確信しております。なぜなら、この殺人事件でスメルジャコフに容疑をかけるのは、まったくの不合理だからであります。みなさん、心理学はやめにします。医学もやめましょう。論理そのものもやめて、事実だけを、単に事実だけを取り上げ、事実が何を語るかを検討してみます。スメルジャコフが殺したとすれば、どうやってでしょうか? 彼一人でか、それとも被告と共謀してでしょうか? まず最初の場合、すなわちスメルジャコフの単独犯行である場合を検討してみましょう。もちろん殺すからには、何らかの理由が、何らかの利益があるはずです。しかし、被告がいだいていたような殺人の動機、つまり憎悪や嫉妬などを影ほども持っていないところから、スメルジャコフが殺しうるとすればもっぱら金目当て、すなわち主人が封筒に入れるところを自分の目でたしかに見とどけた例の三千ルーブルを、わがものにするためということになる。ところが殺人を企てると、彼はあらかじめ別の人物、それもこのうえなく利害のからんでいる人物である被告に、金だの合図だのに関して、封筒がどこにあるか、封筒に何と上書きしてあるか、何でゆわえてあるか、などといういっさいの事実を教え、何よりふしぎなことに、主人の部屋に入ることのできる例の《合図》を通報しているのです。これはどういうことでしょう、自分を売るためにこんな真似をしたのでしょうか? それとも、やはり忍び入って封筒を取ることを望んでいそうな競争相手を見つけるためでしょうか? そう、彼は恐怖のあまり教えたのだ、と言う人がいるかもしれない。だが、どうしてそんなことがあるでしょう? こんな不敵な残忍な犯行をためらうことなく思い立って実行した人間が、世界じゅうで自分一人しか知らぬ、そして自分さえ黙っていれば、世界じゅうのだれ一人決して感づかぬような情報を、教えてしまうなんて。そんなはずはない、たとえその男がどんなに臆病であろうと、これほどの犯行を企てた以上、もはやどんなことがあっても、少なくとも封筒や合図のことだけはだれにも言うはずがありません、なぜならそれは何よりも先に自分を売ることになるからです。たって情報を求められたとしても、わざとほかのことをでっちあげて、嘘をつき、このことは黙っていたはずです! くりかえして言いますが、むしろ反対に、せめて金のことだけでも黙っていて、あとで殺してその金を着服すれば、世界じゅうのだれ一人として、少なくとも金目当ての殺人という容疑を彼にかけることはできないでしょう。なぜなら、そんな金など、彼以外のだれも見ていないのだし、そんな金が屋敷に存在することもだれ一人知らなかったからです。たとえ嫌疑をかけられたとしても、必ず何かほかの動機から殺したと見なされるはずであります。ところが事前にはだれも彼にそんな動機を認めていなかったし、むしろ反対に、彼が主人のお気に入りで、主人の信用を得ていたことはだれもが知っていたわけですから、彼に嫌疑が及ぶのはもちろんいちばん最後であり、真っ先に疑われるのは、そうした動機を持っていた人間、俺には動機があるとみずからわめきちらしていた人間、動機を隠そうともせず、みんなに吹聴していた人間、つまり一口に言うなら、被害者の息子ドミートリイが疑われるにちがいないのです。スメルジャコフが殺して金を取ったのに、息子が罪をかぶる-この方がもちろん犯人のスメルジャコフにとっては有利なはずではないでしょうか? ところがスメルジャコフは、殺人を企てたあと、まさにその息子ドミートリイに、金や、封筒や、合図のことを前もって教えているのです-なんと論理的で、明快な話でしょうか!・・・・」

ここで一旦会話を切ります。


「イッポリート」は巷に流布している「スメルジャコフ有罪説」は、「ドミートリイ」の発言を信用することに基づいた単純な消去法での犯人探しを根拠としています、仮に「スメルジャコフ単独犯説」をとるならば、動機は金銭しか考えられず、そうだとすれば「フョードル」の情報を同じく金目当ての「ドミートリイ」に教えるはずはないので、その説は成り立たないとしています、それでは二人の共犯についてはどうでしょうか。


2019年2月5日火曜日

1041

「イッポリート」の論告の中の「スメルジャコフ」の言葉の引用部分からです。

「・・・・『あの方は始終わたしを疑っていました。わたしは恐ろしさと不安とで、お怒りを鎮めたい一心から、どんな秘密でも急いでお教えしたのです。それによって、ふたごころないことをお認めいただき、生命だけは助けていただくためでございました』これは当人の言葉であります。わたしはこれを書きとめ、おぼえておいたのです。『あの方にどなりつけられて、わたしはひざまずいたことがよくございました』生れつきとても正直な若者であり、主人の失くした金を返しに行ったとき、その正直さを認められて主人の信頼を博していたため、気の毒なスメルジャコフは、恩人と慕っていた主人を裏切った後悔に、ひどく苦しんでいたと考えねばなりますまい。博学の精神科医たちの証言によれば、癲癇の持病にひどく苦しんでいる者は常に、絶え間ない、そしてもちろん病的な自責にかられる傾向があるとのことです。彼らはだれかに対する何らかの《罪の意識》に苦しみ、良心の呵責に悩んで、往々にして何の根拠もないのに誇大に考え、さまざまな罪や犯罪を自分がやったように考えだすのであります。そしてこのような人物は恐怖と怯えのために、実際に罪人に、犯罪人になってゆくのです。そればかりか、彼は自分の目の前で作られてゆく状況から何か不吉なことが生れかねないと、強く予感したのでした。フョードルの次男イワンが惨劇の直前、モスクワへ発とうとしたとき、彼はとどまってくれるよう哀願したのですが、それでも持ち前の臆病な癖で自分の危惧をはっきりと明らさまに言ってしまう勇気が出なかったのです。彼はほのめかす程度で満足したのですが、そのほのめかしが通じなかったのでした。一つ指摘しておかねばなりませんが、彼はイワンを自分の庇護者のように仰ぎ、イワンさえ家にいれば災難は起らぬという保証のように見ていたのであります。ここでドミートリイの《酔余の》手紙の中にあった、『イワンが出かけさえしたら、親父を殺してやる』という表現を思いだしていただきたい。これでみると、イワンの存在はだれにとっても、家の中の平穏と秩序の保証のように思われていたのです。ところがその彼が出発してしまい、スメルジャコフはとたんに、若主人の出発後ほとんど一時間もたたぬうちに、癲癇の発作で倒れたのです。しかし、これは十分理解できます。ここでついでに触れておく必要がありますが、恐怖と一種の絶望に打ちひしがれていたスメルジャコフは、その数日というもの癲癇の発作の近づく可能性を特に感じていたのであり、それまでにも常に発作は精神的緊張と動揺の瞬間に起っていたのであります。発作の日時を予測することは、もちろんできませんが、癲癇患者はだれでも発作の起りそうな気配をあらかじめ感ずることができるのです。これは医学の告げるところであります。こうしてイワンの馬車が出て行くやいなや、スメルジャコフはいわば天涯孤独と心細さの感を強めながら、家の用事で穴蔵へ行き、階段をおりながら『発作が起りやしないだろうか、もし今起こったらどうしよう?』と考えた。そして、まさしくそうした気分、その懸念、その疑問のために、いつも発作に先立つ咽喉の痙攣が起り、彼は意識を失って穴蔵の底へもんどり打ってころげ落ちたのであります。ところが、このきわめて自然な偶然の中に何らかの疑惑を見いだそうとし、彼がわざと(三字の上に傍点)仮病を使ったのだとほのめかし、指摘する人もいるのです! しかし、もしわざとであれば、いったい何のためにという疑問が生じます。どんな打算から、どんな目的があってか? 医学のことはもうもうしますまい。医学は嘘をつく、科学は間違えることもある、医者が本当の病気と仮病を区別できなかったのだ、などと言われるからです。言わせておけばよろしい。だが、それなら、何のために彼は仮病を使う必要があったのかという、わたしの質問に答えていただきたいものです。まさか、殺人を思い立ったあと、発作を起してあらかじめ、なるべく早く家じゅうの注意を自分に集めておくためではありますまい?・・・・」

ここで切ります。


「イッポリート」は「スメルジャコフ」を「生れつきとても正直な若者」と説明し、またそのように認識していますが、私がここまで読んできた限りでは、その反対で何もかも胡散臭い人物のような気がします、彼は「スメルジャコフ」については、尋問のときの印象しかなくその時にそう思ったのだと思いますが、人を見る目がないのか、「スメルジャコフ」が上手なのかどちらかでしょう。


2019年2月4日月曜日

1040

八 スメルジャコフ論

「まず第一に、かかる嫌疑の可能性がいったいどこから生じたのでありましょうか?」

「イッポリート」はこの問題から説き起しました。

「スメルジャコフが殺したと最初に叫んだのは、逮捕の瞬間における被告自身でありましたが、それなのに、最初にそう叫んだときから現在の公判にいたるまで、被告はスメルジャコフの容疑を裏付ける事実を、ただの一つも示しておりません。いや、事実だけではなく、多少なりとも人間の常識に合致するような何らかの事実に対するヒントすら、提示していないのです。さらに、この有罪説を肯定しているのは、被告の弟二人と、スヴェトロワ嬢の、わずか三人にすぎません。しかし、上の弟がこの疑いを表明したのは、今日がはじめてであり、それも病気で、まぎれもない精神錯乱と熱病の発作にかられてのことであって、われわれに明確にわかっているところによれば、これまで、二カ月間というものずっと、兄が有罪であるという信念を心からいだいていたのであり、その考えに反論しようとさえしなかったのであります。しかし、この点はいずれのちほどまた検討することにします。次に下の弟は先ほどみずから、スメルジャコフ有罪説を裏付ける事実は、ごく些細なものさえ、まったくないうえ、自分がそう結論したのは単に被告自身の言葉と、《顔の表情》からにすぎないと、われわれに言明いたしました。そう、この由々しい証言を、被告の弟は先ほど二度までも口にしたのであります。また、スヴェトロワ嬢の言葉は、ことによると、いっそう由々しいものかもしれません。『被告の言うことを信じてください。あの人は嘘をつくような人間じゃありません』これが、被告の運命にあまりにも深い関心をいだく三人の、スメルジャコフ有罪説の事実的証明のすべてなのであります。にもかかわらず、スメルジャコフ有罪説は流布し、支持されていたし、現在も支持されております。そんなことを信じうるでしょうか、そんなことが想像できるでしょうか?」

ここで「・・・・自分がそう結論したのは単に被告自身の言葉と、《顔の表情》からにすぎないと、われわれに言明いたしました。そう、この由々しい証言を、被告の弟は先ほど二度までも口にしたのであります」とは、「二度」と言っていますが、一度目は(1017)の「・・・・兄の顔を見て、嘘をついていないことがわかりました」であり、二度目はよくわかりませんが、たとえば「《胸の上部》をたたきながら、自分には名誉を挽回する手段がある、その手段はここに、胸のここのところにあるのだと、何度もくりかえして言ったこと」でしょうか。

ここで「イッポリート」は、《病的な錯乱と狂気の発作にかられて生命を絶った》、故「スメルジャコフ」の性格をざっと浮彫りにする必要を認めました。

検事は彼を、ごくわずかばかりの漠然とした教養を身につけた、知能薄弱な男として、また知力にあまる哲学思想ですっかり混乱し、社会的、道義的義務に関する現代の一部の学説に怯えきった人間として描きだし、その学説を彼は実際面では、亡くなった主人でことによると父親だったかもしれぬ「フョードル」のでたらめな生活によって、また理論面では、主人の次男「イワン」とのさまざまな奇妙な哲学談義によって、広範に教えこまれたのであり、「イワン」はおそらく退屈しのぎか、あるいはもっと適当なはけ口を見いだせなかった嘲笑の欲求から、好んでその気晴らしをやっていた、と述べました。

「彼自身わたしに、主人の屋敷に奉公していた最後の数日間の精神状態を話してくれたのではありますが」と「イッポリート」は説明しました。

「そのことはほかの人々、たとえば被告自身や、その弟や、さらには召使の「グリゴーリイ」まで、つまり彼をきわめて親しく知っていたにちがいない人間はみな、証言しているのであります。そればかりではなく、癲癇の持病に悩む「スメルジャコフ」は、《雌鶏のように臆病》だったのです。『あいつは僕の足もとにひれ伏して、僕の足に接吻したんです』被告は、かかる供述が自分にとってある程度不利になることをまだ意識していなかったころ、われわれにこう語ったものでした。『あいつは癲癇もちの雌鶏ですよ』-被告は持ち前のあく(二字の上に傍点)の強い言葉でこう表現したのであります。その彼を被告は(本人の証言しているとおり)自分の腹心の部下に選び、したたか脅しつけたあげく、ついにスパイとして密告者として働くことを同意させたのです。家庭内のスパイという役割で彼は主人を裏切り、金の入った封筒の存在も、主人の部屋へ入れる合図のことも知らせたのです。それにまた、どうして知らせずにいられるでしょうか? 『殺されます、殺されることがはっきりわかっていました』彼を脅した迫害者はすでにそのころ逮捕されていて、もう仕返しにくるはずはなかったにもかかわらず、彼は予審の際、われわれの前でふるえおののきながら、こう言いました。・・・・」


ここで切ります。


2019年2月3日日曜日

1039

「イッポリート」の論告の続きです。

「・・・・これははっきり言明され、こうして文字になり署名までしてあるのです。被告は自分の署名を否認しておりません。なかには、これは酔払って書いたものだ、と言う人もいるでしょう。しかし、それは何一つ軽減するものではなく、むしろいっそう重要な点であります。なぜなら、被告はしらふのときに考えたことを、酔って書いたのだからです。しらふのときに思いついていなければ、酔ってから書くはずもないでしょう。それなら何のつもりでそんな意図をわめきちらしていたのか、と言う人があるかもしれません。こんな大それたことを計画的(三字の上に傍点)に決意している人間なら、黙って心に秘めているはずだ、と。そのとおりです、しかし被告がわめきちらしていたのは、まだ計画も十分な検討もできておらず、単に願望があるだけで、その意図を考察していた時期だったのです。その後、彼はしだいにそれをわめきちらさぬようになりました。この手紙をかいた晩は、飲屋《都》でさんざ飲んだあと、日ごろの彼らしくもなくむっつりして、玉突きもせず、片隅に坐って、だれもと口をきかずにいたのです。ただ、この町のさる商店の店員を席から追い払ったことはありましたが、これはもうほとんど無意識にしたことで、飲屋に入ったら喧嘩をせずにはおさまらぬ日ごろの癖が出たにすぎません。たしかに、最終的な決意と同時に、被告の頭には当然、前々から町じゅうにあまりにも吹聴しすぎたため、計画を実行した暁にそれが露見と嫌疑に使われる可能性が大きいという懸念も生じたはずであります。しかし、いまさらどうしようもない、吹聴した事実が厳としてある以上、もはや取り返しはつかないし、それにいよいよとなれば、これまでも運がついてくれたように、今度もツキがまわるにちがいない。彼は自分の幸運の星を当てにしたのであります。みなさん! それに加えてわたしは、被告が宿命的な瞬間を回避しようといろいろな手を打ち、流血の結末を避けようときわめてさまざまの努力をしていたことも、認めなければなりません。『明日はあらゆる人に三千ルーブルを頼んでみるつもりだ』被告は彼独特の言葉で書いております。『もし借りなれなければ、血が流れるだろう』またしても酔って書かれたものではありますが、またもや書かれたとおりのことがしらふのときに実行されたのであります!」

「しらふのときに思いついていなければ、酔ってから書くはずもないでしょう」というは、あきらかに間違っていると思います、「イッポリート」は立場上の発言をしているのでしょう。

それから「この町のさる商店の店員を席から追い払ったことはありましたが」と言っていますが、これはその店に店員が喋ったのでしょう、この「手紙」のことが書かれているのは(961)です、「それは、いつぞやカテリーナの家で、彼女がグルーシェニカに侮辱された例の一幕のあと、修道院に帰る途中のアリョーシャに野原でミーチャが出会った、あの晩、酔いにまかせてミーチャがカテリーナ宛てに書いた手紙でした。」「あの晩、アリョーシャと別れたあと、ミーチャはグルーシェニカのところにとんで行きました。」「彼女に会ったかどうかわかりませんが、夜中近くに飲屋《都》に姿をあらわし、当然のことながら、ぐでんぐでんに酔いました。酔った彼はペンと紙を求め、この重大な文書を書きなぐったのでした。それは気違いじみた、饒舌な、とりとめのない、まさしく《酔いにまかせた》手紙でした。ちょうど、酔払った男が家に帰るなり、妻なり家族のだれかなりをつかまえて、俺はたった今侮辱された、俺を侮辱したのは実に卑劣なやつだが、反対にこの俺はきわめて立派な人間なのだ、俺はあの卑劣漢にきっと思い知らせてやる、といった類のことを、酔った目に涙をうかべ、拳でテーブルをたたきながら、いきり立って、とりとめもなく長々と、異常なくらいむきになってしゃべりだすのと同じようなものでした。」「手紙を書くのに飲屋でもらった紙は、粗悪なごく普通の便箋を切りとった汚い紙片で、裏には何かの勘定が記してありました。酔払いの饒舌にはどうやら紙面が足りなかったらしく、ミーチャは紙面いっぱいに書きなぐったばかりか、最後の数行などは、前に書いた文章の上に縦に書きつけてありました。」と、店員を追い払ったことは書かれていません。

ここで「イッポリート」は、犯行を回避するために金を入れようとした「ミーチャ」の必死の努力の、詳細な描写にとりかかりました。

「サムソーノフ」を訪問したことや、「セッター」を訪ねた小旅行などを、すべて記録にもとづいて語ってみせました。

「疲れはて、愚弄され、飢えきって、この小旅行のために時計まで売り払った彼は(それにしても、千五百ルーブルの金を身につけていながら、なのです。まさか、という気がするではありませんか!)、町に残してきた恋人への嫉妬に苦しみ、彼女が留守中にフョードルのところへ行きはせぬかと疑いながら、やっと町に帰りつきました。ありがたいことに、彼女はフョードルのところに行っていませんでした! 彼は自分で彼女をパトロンであるサムソーノフのところへ送り届けたのです(奇妙なことに、彼はサムソーノフには嫉妬していない。これがこの事件のきわめて個性的な心理的特徴です!)。それから被告は《裏庭》の監視所へとんで行き、そこでスメルジャコフが癲癇を起したことや、もう一人の召使も病気であることを知ったのです。行手に何の邪魔もなく、しかも《合図》は握っている-なんという誘惑でありましょうか! にもかかわらず、彼はやはり誘惑に抵抗するのです。この町の一時的な住人であり、われわれすべての深く尊敬するホフラコワ夫人を、被告は訪ねる。かねて彼の運命に同情しているこの貴婦人は、きわめて分別のある忠告を与えます。すなわち、深酒や、みっともない恋や、下らぬ飲屋めぐりや、若い力の無意味な浪費などやめて、シベリヤの金鉱へ行くよう、忠告したのです。『向うへ行けば、あなたの荒れ狂う力や、冒険を求めるロマンチックな気性にはけ口ができますとも』と婦人は言ったのであります」

カッコ書きではありますが、「イッポリート」は(奇妙なことに、彼はサムソーノフには嫉妬していない。これがこの事件のきわめて個性的な心理的特徴です!)と言っていますね、これはどういうことでしょうか、このことと同じように(それにしても、千五百ルーブルの金を身につけていながら、なのです。まさか、という気がするではありませんか!)ということもカッコ書きで書かれています、両方とも「ドミートリイ」が性格的にある一点だけに集中して、周りを見ることができないという偏った特性があるということを言いたいのでしょう。

この会話の結末と、「グルーシェニカ」がてんから「サムソーノフ」のところに行っていなかったという知らせを被告が突然受けた瞬間とを描写したあと、「イッポリート」は、女が自分を欺して今ごろ「フョードル」のところに行っていると考えた際の、神経の疲れきった嫉妬深い不幸な男の、瞬間的な狂乱を語り、この出来事の宿命的な意味に注意を向けて、こう結論しました。

「もしこのときに女中が、彼の恋人は《まぎれもない以前の男》とモークロエにいることを、すかさず告げさえいたら、何事も起らなかったはずであります。しかし、女中は恐怖に気も動転して、何も知らないと神かけて誓ったのでした。被告がその場ですぐ女中を殺さなかったのは、裏切った恋人を大急ぎで追ったからにほかなりません。ところで、注目していただきたいのは、彼がどんなにわれを忘れていても、ちゃんと銅の杵をひっつかんで行った点であります。なぜ何かほかの凶器ではなく、杵でなければいけなかったのでしょう? しかし、彼がすでにまるひと月もの間その光景を検討し、準備していたとするなら、何か凶器として使えるものが目に入るなり、それを凶器としてひっつかむはずであります。何かその種の物が凶器として役立つということを、彼はすでにまる一カ月も思い描いていたのです。だからこそ、あれほどとっさに、文句なく杵を凶器と認めたのです! したがって、彼があの宿命的な杵をひっつかんだのは、決して無意識でもなければ、われ知らずでもありません。そして彼は父の庭に忍びこんだ。邪魔は一つもないし、目撃者もいない。深夜の闇に、嫉妬が燃えさかる。彼女はここにいる、あのライバルの腕に抱かれて、もしかすると今この瞬間、自分を嘲笑っているかもしれないという疑惑に、息もつまるほどです。それに、単なる疑惑ではない、今となってはなんで疑惑ですまされましょう。欺瞞は目に見えており、明白なのです。彼女はそこにいる、灯りの洩れてくるその部屋の、屏風の向うにいる-こう考えて不幸な男は窓に忍びより、うやうやしく中をのぞきこみ、おとなしくあきらめ、道にはずれた物騒な事態が起らぬよう、少しも早く災厄から逃れようと分別豊かに立ち去った-こう被告はわれわれに信じさせようとしているのであります。被告の性格をよく知っており、彼はどんな精神状態にあったかを理解しているわれわれにです、被告の精神状態は数々の事実によってわれわれにわかっているのですが、何よりも被告は、すぐに家に入ることのできたはずの合図を知りながら、そのまま立ち去ったというのです!」

しかし、一カ月も前から計画していたのなら、偶然見つけた杵などよりも、もっと確実な何かを凶器として準備していると思うのですが。

ここでこの《合図》に関して、「イッポリート」は論告を一時中断し、「スメルジャコフ」論を展開する必要を認めましたが、その目的は「スメルジャコフ」に対する殺人容疑という初期の説をすっかり洗いあげ、その考えを永久に葬り去ることにありました。

彼がきわめて詳細にそれをやってのけたので、そんな推測を彼が口では一笑に付したにもかかわらず、やはり非常に重視していたことが、みなにわかったのでした。


「イッポリート」はこのように、曖昧な確証しか得られない部分を、推測でもって言葉を駆使して本当らしく語るのですね、たとえば先ほどの「手紙」は重要な証拠物件だと理解しているので、酔って書いたものであっても信憑性があることをこじつけようと強引な説明をしていますし、突然「杵」をつかんだことも、犯行の計画性がそうさせたのだと、無理のある説明をしています。


2019年2月2日土曜日

1038

「イッポリート」の論告の続きです。

「・・・・この性格描写をきけば、彼女がもっぱらたわむれのために、意地わるいたわむれのために、二人の男をどちらもからかうような真似のできたことが、理解できるのです。そして、絶望的な恋と、道義的頽廃と、いいなずけへの裏切りと、名誉にかけて託された他人の金の使いこみという、このひと月の間に、被告はそのうえ、絶え間ない嫉妬のために、ほとんど狂乱状態に、狂気に達したのです。しかもその嫉妬の相手たるや、自分の父親だったのです! 何より肝心な点は、無分別な老人が被告の情熱の対象を、ほかならぬ例の三千ルーブルでおびきよせ、釣ろうとしていたことでありますが、その三千ルーブルこそ、息子が母から相続すべき遺産と考え、父親を非難していた金にほかならなかったのです。そう、これは堪えがたいことです、わたしも同意します! これでは偏執狂も起りかねません。問題は金ではなく、その金によってあれほど唾棄すべき冷笑的態度(シニスム)で被告の幸福が破壊されようとした点にあるのです!」

「ドミートリイ」が偏執狂だと診断された理由は①絶望的な恋、②道義的頽廃、③いいなずけへの裏切り、④いいなずけのお金の使いこみ、⑤父親への嫉妬とのことです。

ついで「イッポリート」は、被告の心にしだいに父親殺しの考えが芽生えていった話に移り、時事を追ってそれを説明しました。

「最初のうち彼はあちこちの飲屋でわめきちらすだけでした。まるひと月もわめきたてていたのです。そう、彼は好んで人中に出て、きわめて悪魔的な物騒な考えさえすべて吹聴し、自分の肚の内を打ち明けるのが好きで、なぜかわかりませんが、その場ですぐ、人々が心からの共感で答え、彼のあらゆる悩みや心配に同情して相槌を打ち、彼の気質を妨げぬことを要求するのです。そうしないと彼は腹を立て、飲屋をめちゃくちゃにたたきこわすほどの乱暴を働くのであります。(このあとスネギリョフ二等大尉の話がつづいた)。このひと月のうちに被告に会ったり、その話をきいたりした人たちはみな、しまいには、この様子ではもはや父親に対する脅しや怒声だけではすまず、こんな狂乱状態では脅しが実行に移されかねないと、感じたのでした。(ここで検事は、修道院での家族の会合や、アリョーシャとの会話、昼食後に被告があばれこんできた、父の家での乱暴沙汰の見苦しい一幕などを描いてみせた)。この一幕以前に、被告がすでに、父親とのいざこざを殺害によって片づけることを前もって十分に考えぬいていたと、たって主張するつもりはわたしもありません」

「あちこちの飲屋」と言うのですからこの町の飲屋は「都」だけではないのですね、それから彼が「スネギリョフ」に乱暴した理由が今までわからなかったのですが、ここで言われているように彼の意見に同意しなかったからなのでしょうか。

「イッポリート」はつづけました。

「にもかかわらず、この考えはすでに何度か被告の心にうかび、彼は周到にそれを検討していたのです。これを裏付けるいくつかの事実や、証人、そして被告の自白もございます。陪審員のみなさん、正直のところ」

「イッポリート」はさらに付け加えました。

「わたしは本日まで、被告の問われている罪の、完全に意識的な計画性を認めることをためらってさえいたのであります。被告の心があらかじめあの宿命的な瞬間をいくたびとなく検討してはいたものの、それはただ検討し、一つの可能性として想像しただけのことで、まだ決行の時期も手筈も決定していなかったと、わたしは確信していたのです。しかし、わたしがためらっていたのは、本日、カテリーナ・ヴェルホフツェワ嬢があの宿命的な文書を法廷に提出される瞬間までにすぎません。あなた方ご自身、『これは計画書です、殺人のプログラムです!』という彼女の絶叫をおききになった。彼女は不幸な被告のあの不運な《酔余の》手紙を、実にこう定義したのであります。そして事実、この手紙の背後には殺人のプログラムと計画性のあらゆる意味がひそんでいるのです。この手紙は犯行の二昼夜前に書かれました。こうして今やわれわれには、恐ろしい企みを実行する二昼夜前に被告が、もし明日金が手に入らない場合には、《イワンが出発しさえしたら、赤いリボンをかけた封筒》の金を枕の下から奪うために父親を殺してやると、誓いまでたてて明言していることが、はっきりとわかったのです。いいですか、《イワンが出発しさえしたら》と言っているからには、この時すでにすべてが十分考えぬかれ、手筈もきまっていたわけであります。しかも、どうですか、何もかもその後、この手紙に書かれてあるとおりに運んだではありませんか! 計画性と十分な検討は、疑う余地もなく、犯行は強盗を目的として行われたにちがいないのです。・・・・」

「イッポリート」の論告をここで切ります。


やはり、「カテリーナ」が提出した「手紙」が犯行の計画性の重要な証拠となってしまいました、それは彼女もそうする意図で提出したものだと思いますが、彼女の最初の供述では「ドミートリイ」を擁護する内容でした、彼女もそうするつもりで法廷に来たのだろうと思います、ところが、「グルーシェニカ」への嫉妬心から急に心変わりして、「ドミートリイ」を陥れたわけです、これは人間の嫉妬心がどれほどの大きなものかということではないでしょうか、しかし、また、「カテリーナ」がその「手紙」を処分せず、しかも法廷にまでもってきたということは、一旦「ドミートリイ」を擁護したのではありますが、まだそれほど自分の考えがはっきりと決まっていたわけではなく、その場の自分の気持ち次第で「ドミートリイ」の運命を決めようと思っていたのかもしれません、(943)で「カテリーナ」は「アリョーシャ」に「それにあたくしもまだ自分がわからないんです。もしかすると、明日の尋問のあとで、あなたはあたくしを踏みにじりたくなるかもしれませんわ」と言っています、また(944)で「イワン」は「アリョーシャ」に「彼女は今日は夜どおし聖母マリヤにお祈りすることだろうよ。明日の法廷でどう振舞えばいいか、教えてもらうためにな」そして「あの人殺しに判決が下るまで、待たなけりゃならないんだ。もし今俺が手を切れば、彼女は俺への腹癒せに明日の法廷であの無頼漢を破滅させることだろう、なぜって彼女はあいつを憎んでいるし、自分が憎んでいることを承知しているからな。すべて嘘ばかりさ、嘘の積み重ねだよ! ところが今、俺がまだ手を切らずにいるうちは、彼女もいまだに望みを持っているし、俺があの無頼漢を災難から救いだしたいと思っているのを知っているから、あいつを破滅させるような真似はしないだろう。しかし、いまいましい判決が下った、そのとたんに終りさ!」と言っています。


2019年2月1日金曜日

1037

七 時間的な経緯

「各医師の鑑定は、被告の精神が正常でなく、偏執狂であることを立証しようと努めておりました。わたしは、被告の精神はまったく正常であり、まさにその点がいちばん不利であると断言いたします。もし正常でなければ、おそらくもっとずっと利口に立ちまわったにちがいないからであります。被告が偏執狂だったという点に関しては、わたしも同意したいところでありますが、それもただ一点、すなわち医学鑑定の指摘したように、被告が例の三千ルーブルを、父親の未払い分であるかのように見ていたという点に限ります。が、それにもかかわらず、この金に対する被告の日ごろの気違いじみた執念を説明するには、狂気の傾向より、比較にならぬほど適切な視点を見いだすことができるはずです。わたしとしては、被告が完全に正常な知的能力を現にそなえているし、以前もそなえており、ただ憤激して憎悪に燃えていたにすぎぬと指摘した、若い医師の見解に、全面的に賛成するものであります。まさにここが問題なので、被告の日ごろの気違いじみた憤りの対象は、もともと三千ルーブルという金額にあったのではなく、彼の怒りをかきたてる特別の原因がそこに介在していた点にあるのです。その原因とは、嫉妬であります!」

「イッポリート」の言う各医師の鑑定は(1014)に書かれていました、そして彼が「全面的に賛成」だという最後に尋問された医師『ワルヴィンスキー』の見解とは「被告は現在も以前もまったく正常な状態にあり、たしかに逮捕の直前には神経の極度にたかぶった状態にあったはずだとしても、それは嫉妬とか、憤り、ぶっつづけの酩酊状態など、多くの明白な理由から生じうるものであります。しかし、この神経的な状態は、今言われたような特別の《心神喪失》などまったく含んでいるはずがありません。被告が入廷に際して、左右いずれを見るのが当然かという点に関しては、《卑見によれば》、被告は法廷に入るに際して、実際に見ていたように、真正面を見つめるのが当然と思われる。なぜなら真正面には、今や自分の全運命を左右する裁判長と裁判官たちが坐っているからであり、したがって、真正面を見つめていたとすれば、ほかならぬその一事によって被告は、現在の瞬間における知性の完全な正常さを証明したことになるのです」と、しかし、「イッポリート」が言っている「もし正常でなければ、おそらくもっとずっと利口に立ちまわったにちがいないからであります」というのは私には意味がわかりません。

ここで「イッポリート」は、「グルーシェニカ」に対する被告の宿命的な情熱の全景を、詳細にくりひろげました。

被告が《ぶん殴る》つもりで《若い女性》のところに乗りこんだ、あの瞬間から説き起し、被告自身の表現を用いながら、こう説明しました。

「ところが、ぶん殴る代りに被告は彼女の足もとにひれ伏してしまった。これが恋のはじまりです。一方同じころ、被告の父親である老人も、同じこの女性に目をつけました。実におどろくべき宿命的な一致であります。なぜなら、どちらもそれ以前からこの女性を知っていたし、会ったこともあるというのに、突然、同時に二つの心が燃えあがったからです。しかも、どちらの心もとどまることを知らぬ、きわめてカラマーゾフ的な情熱に燃えあがったのであります。ここに彼女自身の告白があります。『あたしはあの二人を、どちらもからかっていたのです』と彼女は言っています。そう、彼女は突然、どっちもからかってやりたくなったのです。それまで、そんな気はなかったのに、ここにきて突然、そんなもくろみが頭にうかんだのでした。その結果、二人とも征服されて彼女の前にひれ伏したのです。金銭を神のように崇めていた老人は、自分の住居を訪ねてくれさえしたら与えると言って、即座に三千ルーブルを用意しましたが、日ならずしてそれは、彼女が正妻になることを承知してくれさえすれば、自分の名前も全財産も彼女の足もとに投げだすことを幸福と思う、という域にまで達したのであります。この点については、たしかな証拠があります。一方、被告について言えば、その悲劇は明白でした。それはわれわれの目の前にあります。しかし、それがこの若い女性の《たわむれ》だったのです。不幸な青年に対して、この男泣かせの美女は希望すら与えませんでした。希望が、真の希望が与えられたのは、被告が自分を苦しめつづけた女性の前にひざまずき、すでにライバルである父親の血に染まった両手をさしのべた、最後の瞬間すぎなかったのです。まさにこうした状態で、彼は逮捕されたのでした。『あたしを、あたしをいっしょに懲役にやってください。あたしがこの人をこんなところにまで追いこんだのです、あたしがだれよりもいちばんわるいんです!』彼の逮捕の瞬間、この女性はもはや心からの悔悟にかられて、みずからこう叫んだのであります。この事件の叙述をすすんで引き受けられた才能豊かな青年、すなわち、すでにわたしが名をあげた例のラキーチン氏は、簡潔な個性的な数行の文章で、このヒロインの性格をこう規定しておられます。『若くして知った幻滅、若くして味わった欺瞞と堕落、彼女を棄てた女たらしの婚約者の裏切り、その後の貧困、真正直な家族の呪詛、そして最後に、彼女自身が今も恩人と見なしている、さる裕福な老人の庇護。おそらく多くのすぐれたものを蔵していたにちがいない若い心に、あまりにも早くから、憤りが秘められたのだ。こうして金をためこむ打算的な性格が形成された。嘲笑癖と、社会への復讐心が作られたのある』・・・・」

「イッポリート」の論告ですがここで切ります。


「ドミートリイ」と「グルーシェニカ」の「恋のはじまり」は(335)での「ドミートリイ」と「アリョーシャ」の会話に書かれています、「・・・・そもそもの最初はあの女をぶん殴りに行ったんだよ。俺が嗅ぎつけて、今じゃ確実にわかっていることなんだが、親父の代理人をしている例の二等大尉がグルーシェニカに俺名義の手形を渡しているんだ。つまり、俺が軟化して、脛かじりをやめることを、彼女に要求させようって寸法だ。震えあがらそうって肚さ。そこでグルーシェニカをぶん殴りに出かけたわけだ。その前にも彼女をちらと見たことはあったんだがね。強烈な印象を与える女じゃないよ。例の年寄りの商人のことも知ってたさ、あの爺さんは今じゃ、そのうえご丁寧にも病気になって、すっかり衰弱して寝たきりだそうだが、それでもやはり彼女にべらぼうな大金を残すらしいよ。それから俺は、あの女が金を溜めるのが好きなことも、知っていた。あのペテン師の悪女め、どえらい利息で貸しつけて、血も涙もなく稼ぎまくるんだよ。ところが、俺はあの女をぶん殴りに行って、そのままあいつの家に尻を落ちつけちまったんだ。雷がとどろいたようなもんさ、ペストにかかったんだよ。感染して、いまだに感染しっぱなしなのさ。もはや何もかも終りで、金輪際ほかの道はないってこともわかっている。時が完全に一巡したんだよ。まあ、こういうわけだ。あのときはたまたま、素寒貧のこの俺の懐ろに、お誂えむきに三千ルーブルあってな。彼女といっしょにモークロエにくりだしたんだよ。ここから二十五キロほどだけどね。そこでシプシーの男女をよんだり、シャンパンをとったり、村の百姓や、はては女や娘たちにまで片端からシャンパンをふるまったりして、何千もの金を撒きちらしたもんだ。三日後には無一文だったが、かっこいいやね。ところで、かっこいい男が望みをとげたと思うだろ?とんでもない、遠くからさえ拝ませてくれないんだよ。お前に教えてやるが、曲線美なんだ。あおのグルーシェニカの悪女は、肉体がすばらしい曲線美で、それがかわいい足にもあらわれてるのさ、左足の小指にまであらわれているんだよ。拝んで、キスして、それでおしまいさ、本当だぜ!『お望みなら、結婚してあげるわ、あなたは素寒貧だけど。あたしを打ったりしない、あたしのやりたいことは何でもさせてくれる、と約束なさい。そしたら結婚してあげるかもしれないわ』こう言って、笑うんだよ。今でも笑うんだ!」と、それにしても「イッポリート」は「ラキーチン」が気に入っているようでここでも彼の分析する「グルーシェニカ」を引用しています、しかし、「ラキーチン」と「グルーシェニカ」はたがいに反目しあっているので正当な意見とは思えませんが。