2018年9月7日金曜日

890

「僕らはみんなで治安判事のところへ行ったよ、鵞鳥をぶらさげてね。見ると、例の若い衆は臆病風に吹かれて、泣きだすじゃないか。女みたいに泣いてるんだ。一方、鵞鳥屋は『あんなふうに鵞鳥をやられたんじゃ、何羽いたってみんな轢き殺されちまわあ!』って、わめきたてるしね。もちろん、証人もいる。治安判事はすぐ決着をつけてくれたよ。鵞鳥の代金として一ルーブル鵞鳥屋に払い、鵞鳥は若者が引きとる。今後は決してこんないたずらはしないこと、というわけさ。例の若い衆はそれでもまだ女みたいに泣いて、『俺がわるいんじゃない。あいつが知恵をつけたんだ』なんて言いながら、僕を指さすじゃないか。僕はきわめて冷静に、知恵をつけたおぼえはない、僕は基本的な発想を話しただけで、それも計画として述べたにすぎない、と答えてやったよ。治安判事のネフェードフは苦笑したけど、すぐに自分が苦笑したことに腹を立てて、『君が今度こんな計画に熱中せず、代りに本の前に向って勉強をするように、学校当局に通告するからね』なんて、おどかしたよ。判事は学校へ通告なんぞしなかったさ。冗談なんだ。でも、この一件は本当に噂が広まって、学校当局の耳に入っちまったんだ、なにしろ早耳だからね! 古典語のコルバスニコフが特にいきりたったし、ダルダネーロフはまたかばってくれたよ。あのコルバスニコフのやつ、このごろじゃ、まるで若い驢馬みたいに僕たちみんなに当り散らすんだ。あ、きいたかい、イリューシャ、あいつ結婚したんだぜ。ミハイロフ家から千ルーブルの持参金をもらったんだけど、その花嫁たるや、まさにこれよりひどいのはないってほどの、おかちめんこでさ。三年生の連中はすぐにこんな替え歌を作ってやったんだ。
不精なコルバスニコフが嫁をとる、
あっとおどろく三年生。
まだこの先があって、実にこっけいなんだ。今度持ってきてあげるよ。ダルダネーロフに関しては、僕は何も言わない。学識のある人さ、学識は断然豊かだよ。ああいう人なら僕は尊敬するな、べつにかばってもらったから言うわけじゃないけど・・・・」

一ルーブルは約千円ですので、この首のない鵞鳥の代金は千円以下なのでしょうか。

「それでも、トロイを創ったのがだれかということで、あの先生をへこませたものね!」

突然、「スムーロフ」が、この瞬間「クラソートキン」を自慢したくてたまらずに、口をはさみました。


今の鵞鳥の話がひどく気に入ったのです。


2018年9月6日木曜日

889

「いえ、べつに!」

「コーリャ」は無造作に言ってのけました。

「この町で僕の悪評をいちばん広めたのは、あのいまいましい鵞鳥の一件なんだよ」

彼はまた「イリューシャ」をかえりみました。

だが、話す際に彼は無造作な様子を見せようとしてはいたものの、やはり自分を抑えることができず、なにか調子が狂いつづけていました。

ここで次の流れに行きたい気持ちを押し殺し、立ち止まってこのような何気ない細かい描写することはなかなかできるものではありませんね。

「ああ、鵞鳥の話もきいたっけ!」

顔をかがやかせて、「イリューシャ」が笑いだしました。

「話はきいたけど、よくわからなかった。ほんとに裁判官に調べられたの?」

「およそばかげた、ごく下らないことだったのに、この町の人が例によっておおげさな事件にでっちあげたのさ」

「コーリャ」はくだけた口調で話しだしました。

「あるとき僕がここの広場を歩いていたら、ちょうど鵞鳥を追ってきたんだ。僕は立ちどまって、鵞鳥を眺めていた。するとふいに、この町のヴィシニャコフって若い衆が、こいつは今プロトニコフの店で配達をしてるけどね、僕をにらんで、こう言うんだよ。『どうして鵞鳥なんぞ眺めてるんだい?』って。見れば、まんまるい間抜け面でさ、二十歳くらいの若い衆なんだ。君たちも知ってるとおり、僕は決して民衆を避けたりしないよ。民衆と接するのは好きなんだ・・・・われわれは民衆から立ちおくれてるからね。これは自明の理だよ。カラマーゾフさん、あなたは笑ってらっしゃるようですね?」

(864)の「スムーロフ」の「ただ、からかうのはやめてよ。頼むからさ。でないとまた、いつかの鵞鳥のときみたいな騒ぎになるよ」というセリフで出たところですね。

「いいえ、とんでもない、ちゃんときいてますよ」

「アリョーシャ」がきわめて正直な様子で答えましたので、疑り深い「コーリャ」もとたんに元気づきました。

「僕の理論はね、カラマーゾフさん、明快かつ単純なんです」

彼はすぐにまた嬉しそうに急いで言いました。

「僕は民衆を信じてるし、いつだって喜んで民衆は正当に認めすけれど、決して甘やかしはしません、これがSine qua(絶対条件)です・・・・そうだ、鵞鳥の話だっけね。そこで僕はそのばか者に向って、こう答えたんだよ。『僕は、鵞鳥が何を考えてるんだろうって考えてたのさ』そいつは僕をまるきり愚かしげに眺めて、『じゃ、鵞鳥は何を考えてるんだい?』なんて言うのさ。だから僕は言ってやった。『ほら、あそこに燕麦を積んだ馬車がとまってるだろ。袋から燕麦がこぼれ落ちるもんで、鵞鳥が車輪の下に首をのばして、殻粒をついばんでるじゃないか、見えるだろ?』『それくらい、よく見えらあ』と言うから、僕は『それじゃね、もし今あの荷馬車をちょっと前に動かしたら、鵞鳥の首は車輪で切れちまうだろうか、どうかね?』って言ったんだ。そしたら『きっと切れちまうだろう』って言って、大口を開けて笑って、すっかりでれでれしてるじゃないか。『それじゃ行こうぜ、やってみよう』『よしきた』ってな調子でさ。そんなに手間もとらずにすんだよ。そいつが気づかれぬように馬の口綱のわきに立つし、僕は横から鵞鳥を追い込む役さ。ところが、ちょうどそのとき百姓がぼやっとして、だれかと話してたもんだから、追いこむ手間なぞ全然ないんだ。鵞鳥のやつ、燕麦をつっつくために自分から荷馬車の車輪の真下へ首を伸ばしたからね。僕が目くばせして、そいつがぐいと引くと、くわっと一声たてて、鵞鳥の首はころりさ。と、当然のことながら、とたんに百姓たちがみんなで僕らを見つけて、いっせいにがなりたてるんだ。『こいつがわざとやったんだ!』『違うよ、わざとじゃないよ』『いいや、わざとだ!』しまいには『さ、治安判事のとこへ連れて行け』って騒ぐ始末さ。僕も捕まっちまった。『貴様もここにいたのか。貴様がそそのかしたんだな。貴様のことは市場じゅうが知っているんだ』実際また、どういうわけか市場じゅうの者が僕を知ってるんだよ」


「コーリャ」は得意顔で言い添えました。


2018年9月5日水曜日

888

「それから、いちばんやさしい若い人は、この親切な坊ちゃんだわ!」

恩に着た夫人は、「コーリャ」を指さして言いました。

「火薬はこれからいくらでも持ってきてあげるよ、イリューシャ。今じゃ自分たちで火薬を作ってるんだよ。ボロヴィコフが成分をきいてきたんでね。硝石二十四、硫黄が十、白樺の炭が六の割合で、それをみんないっしょに挽いて、水を入れて、どろどろに混ぜ合わせてから、太鼓の皮で濾すと、火薬ができるんだぜ」

本当かどうかわかりませんが、「コーリャ」の火薬に対する興味は書かれなかった「皇帝暗殺」にかかわる伏線として読めば、そう読めますね。

「もうスムーロフが君の火薬のことを話してくれたけど、ただ、パパが言うには、それは本物の火薬じゃないってさ」

「イリューシャ」が答えました。

「どうして本物じゃないんだい?」

「コーリャ」は赤くなりました。

「ちゃんと燃えるよ。もっとも。僕はわからないけど・・・・」

「いいえ、わたしはべつに、その」

ふいに二等大尉がすまなさそうな顔で駆けよってきました。

「たしかに、本当の火薬はそういう成分じゃないなんて申しましたが、そんなことはどうでもよござんすよ、それだって作れますとも」

「僕は知らないんです、あなたのほうがよくご存じですよね。僕たち、ポマードの瀬戸物の壜に入れて火をつけたら、すごくよく燃えましたよ。すっかり燃えつきて、ほんのちょっと煤が残っただけでした。でも、これはどろどろした液でしかないから、それを皮で濾せば・・・・もっとも、あなたのほうがよくご存じですよね。僕は知らないんです・・・・ところでブールキンは、この火薬のことでお父さんにひどく叱られたんだよ、きいたかい?」

二等大尉は軍人ではありますが、軍人だからと言って火薬の作り方を知っている訳ではないですね。

ふいに彼は「イリューシャ」に顔を向けました。

「きいた」

「イリューシャ」が答えました。

彼はつきない興味と楽しみをおぼえながら、「コーリャ」の話をきいていました。

「僕たちでまる一壜も火薬を作って、それをあいつがベッドの下に隠しといたんだ。そしたらお父さんに見つかってさ。爆発するかもしれんじゃないかって言って、その場でひっぱたいたんだって。僕のことを学校へ言いつけようとしたらしいよ。このごろじゃ、僕といっしょだと出してもらいないんだよ。このごろはだれも僕とは遊ばせてもらえないんだ。スムーロフだって、出してもらえないんだから。みんなの間に悪名を広めちゃったからな。僕は《手に負えない》んだってさ」

「コーリャ」はばかにしたように、せせら笑いました。

「それもみんな、鉄道の一件からだよ」

「ああ、あの思いもよらぬ出来事の話なら、わたしらもききましたですよ!」

二等大尉が叫びました。

「ずっと寝てらしたときはどんなでした? 汽車の下に伏せている間、ほんとに全然こわくなかったんですか? さぞ恐ろしかったでしょうに?」


二等大尉はひどく「コーリャ」の機嫌をとっていました。


2018年9月4日火曜日

887

撃つ許可を求められると、彼女は一も二もなく同意しましたが、そのくせ何をたずねられたのか、わかっていないのでした。

「コーリャ」が火薬とばら弾を示しました。

旧軍人である二等大尉がみずから装填の指揮にあたり、ほんのちょっぴり火薬をつめて、ばら弾のほうはまたの機会まで延ばしてくれるよう頼みました。

さすがに元軍人ですね、いろいろと気を配っているのでしょう。

何もない場所へ砲口を向けて、床の上に大砲を据え、点火孔に火薬を三粒入れて、マッチで火をつけました。

この上なくみごとな砲撃が行われました。

かあちゃんはびくりとしかけましたが、すぐに嬉しさのあまり笑いだしました。

少年たちは無口な厳粛な様子で見守っていましたが、いちばん幸せそうなのは、「イリューシャ」を見つめている二等大尉でした。

「コーリャ」が大砲を拾いあげ、ばら弾や火薬ともども、さっそく「イリューシャ」に進呈しました。

「これは君のためにもらったんだよ、君のために! ずっと前から用意しといたんだ」

完全な幸福感にひたって、彼はもう一度くりかえしました。

「あら、わたしにちょうだい! だめよ、その大砲はわたしにくれるほうがいいのよ!」

女性はそんなものは興味がない人が多いと思いますが、彼女はなぜそんなものがほしいのでしょうか。

突然、まるで幼い子供のように、かあちゃんがせがみはじめました。

もらえないのではないかという心配に、その顔が悲痛な不安の色をうかべました。

「コーリャ」はうろたえました。

二等大尉は落ちつかぬ様子でそわそわしはじめました。

「かあちゃん、かあちゃん!」

彼は妻のそばに駆けよりました。

「あの大砲はお前のだよ、お前のだとも。だけど、イリューシャに持たせておこうじゃないか、あの子がもらったんだから。でも、お前のものも同然さ、イリューシャはいつでも貸してくれるからね。あれは二人のお仲間にするといいよ、お仲間に・・・・」

「いやよ、お仲間なんていや。イリューシャのじゃなく、すっかりわたしのものでなけりゃいやだ」

かあちゃんは、もはやすっかり泣きだすばかりになって、ごねつづけました。

「ママ、あげるよ、ほら、あげるってば!」

だしぬけに「イリューシャ」が叫びました。

「ねえ、クラソートキン、ママにこれあげてもいい?」

せっかくのプレゼントを他人にやったりして、気をわるくせぬかと案ずるように、突然彼は祈るような顔つきで「コーリャ」に話しかけました。

「いいとも、もちろんさ!」

「コーリャ」はすぐに同意し、「イリューシャ」の手から大砲をとると、この上なく丁寧なおじぎをしながら、みずからかあちゃんに手渡しました。

彼女は感動して泣きだしたほどでした。

「イリューシャ、いい子だね、ほんとにこの子は母さんを愛してくれるんだね!」

感激して叫ぶと、彼女はすぐにまた膝の上で大砲をころがしにかかりました。

「かあちゃん、お前の手にキスさせておくれ」


夫が駆けより、すぐさまその意図を実行しました。


2018年9月3日月曜日

886

「まさにそのためです」

こういうことを言うということは「コーリャ」は全く「アリョーシャ」の意なぞまったくくまず、反省なんか全然していないのですね、むしろいいことをしてあげていると思っているようで意気揚々ですね。

「コーリャ」はいたって無邪気に叫びました。

「完全に仕上がったところを見せたかったんですよ!」

「ペレズヴォン! ペレズヴォン!」

突然「イリューシャ」が細い指を鳴らして、犬を招きました。

「どうしたの? こいつを君のベッドへ上がらせりゃいいよ。こい、ペレズヴォン!」

「コーリャ」が掌でベッドをたたくと、ペレズヴォンは矢のように「イリューシャ」のところにとびこみました。

「イリューシャ」はやにわに両手で犬の首をかかえこみ、「ペレズヴォン」はそのお返しにすぐさま頰を舐めまわしました。

「イリューシャ」は犬を抱きよせて、ベッドに身を伸ばし、顔を房々した犬の毛に埋めてみなから隠しました。

「あれ、まあ!」

二等大尉が叫びました。

そういえば、マスチフの子犬はかわいそうですね。

「コーリャ」はまた「イリューシャ」のベッドに腰をおろしました。

「イリューシャ、もう一つおもしろい物を君に見せてあげられるんだ。僕は君に大砲を持ってきてあげたよ。おぼえてるだろ、あのころ僕がこの大砲の話をしたら、君は『わあ、ぜひ見たいな!』って言ったじゃないか。だから今持ってきたんだ」

そして「コーリャ」は急いで鞄からブロンズの大砲を取りだしました。

急いだのは、彼自身も非常に幸福な気持だったからです。

これがほかのときなら、「ペレズヴォン」のひき起した効果のおさまるのを待ったにちがいありませんでしたが、今はあらゆる自制を軽蔑して、急ぎました。

『これだけでも君たちは幸福だろうが、もう一つおまけに幸福をあげよう!』と言わんばかりでした。

彼自身もすっかり陶酔していました。

「僕はもうずっと前から、官吏のモロゾフのところでこれに目星をつけていたんだよ、君のためにさ、爺さん、君のためにだよ。あそこにあっても宝の持ち腐れだからね。あの人は兄さんからせしめたそうだけど、僕はパパの書棚にあった『マホメットの親戚、または霊験あらたかな愚行』という本と取り換えたのさ。百年も前の、いかがわしい本でね、まだ検閲のなかったころ、モスクワで出版されたものなんだ。モロゾフはそういうものに目がないんでね。お礼まで言われたくらいさ・・・・」

「コーリャ」は大砲を片手にのせてみなの前にかざしていたので、みんなが見て楽しむことができました。

「イリューシャ」は半身を起し、右手でなおもペレズヴォンを抱きかかえたまま、惚れぼれと玩具を眺めていました。

「コーリャ」が火薬もあるから、《ご婦人方さえご心配でなければ》、今ここで撃つこともできると言いだすにおよんで、効果は頂点に達しました。

《かあちゃん》がすかさずもっと近くで玩具を見せてほしいと頼み、頼みはただちにきき入れられました。


彼女は車輪のついたブロンズの大砲がひどく気に入り、膝の上でころがしはじめました。



2018年9月2日日曜日

885

「こうなったいきさつを、今話すからさ。問題はほかのことじゃなく、こうなったいきさつにあるんだから! 僕はね、こいつを探しだすと、家へ引っ張ってきて、すぐに隠したんだ。家には鍵をかけて、最後までだれにも見せずにいたのさ。ただ一人、スムーロフだけは二週間ほど前に嗅ぎつけたんだけど、これはペレズヴォンだって僕が思いこませたもんで、見破れなかったんだよ。そこで僕は合間をみてはジューチカにあらゆる芸を仕込んだってわけさ。今すぐ見せるよ、こいつがどんな芸を知ってるか、見てやってくれよ! 僕はね、爺さん、すっかり芸を仕込んで、艶々と太ったこいつを君のところへ連れてくるために、教えていたんだよ。どうだい、爺さん、君のジューチカは今こんなに立派になったぜ、と言うつもりでさ。あの、お宅に牛肉の細片か何かありませんか、こいつが今すぐ傑作な芸を見せますからね、みんな笑いころげちまいますよ。あの、牛肉は、細片でいいんですけど、お宅にございませんか?」

二等大尉は玄関をぬけて家主の家へまっしぐらにとんで行きました。

二等大尉のところの食事もそこで作るのです。

一方「コーリャ」は、貴重な時間をむだにせぬため、やけくそに急いで、「ペレズヴォン」に「死ね!」と叫びました。

犬はとたんにくるくるまわって、仰向けに倒れ、足を四本とも上にあげたまま身動き一つしなくなりました。

少年たちが大笑いし、「イリューシャ」も先ほどと同じ苦痛にみちた微笑をうかべて眺めていましたが、だれよりも「ペレズヴォン」の死に真似がお気に召したのは、《かあちゃん》でした。

彼女は犬を見て笑いころげ、指を鳴らしてよびはじめました。

「ペレズヴォン、ペレズヴォン!」

「絶対に起きませんよ、どんなことがあったって」

得意満面で、しごく当然の自慢をしながら、「コーリャ」が叫びました。

「世界じゅうの人がよんだってだめです、でも僕が声をかければ、とたんに跳ね起きますよ! こいペレズヴォン!」

犬が跳ね起き、嬉しさにきゃんきゃん鳴きながら、とびまわりはじめました。

二等大尉が牛肉の煮たのを一片さげて走りこんできました。

「熱くないですか?」

肉を受けとりながら、「コーリャ」がせかせかと事務的にたずねました。

「いや、熱くないですね。でないと、犬は熱いものがきらいだから。さ、みんな見ててよ。イリューシャ、見ろよ、なあ見てろよ、爺さん、どうして見ないんだい? せっかく連れてきたのに、見てくれないなんて!」

新しい芸というのは、じっと動かずに立って鼻を突き出した犬の、それこそ鼻の上へうまそうな牛肉の片をのせるのでした。気の毒な犬は上に牛肉をのせたまま、身じろぎもせず、主人の命令があるまでたとえ三十分でも、じっと動かずに立っていなければなりませんでした。

しかし、「ペレズヴォン」がお預けをさせられたのは、ごく短い間だけでした。

「よし!」

「コーリャ」が叫ぶと、肉片は一瞬のうちに「ペレズヴォン」の鼻から口へとびこみました。

見物人はもちろん、有頂天なおどろきを示しました。

「それじゃ、ほんとに君は、犬に芸を仕込むだけのために、今までずっと来なかったんですか!」

「アリョーシャ」が不満げな非難をこめて叫びました。


たしかに「コーリャ」は「イリューシャ」の病状の報告を受けているはずですので、そんなことで時間を使っている暇はなかったのです、本当ならいち早く「ジューチカ」の無事を知らせて病人を安心させるべきですから「アリョーシャ」の不満ももっともだと思います。


2018年9月1日土曜日

884

「こいつはフェドートフの裏庭にいて、あそこに住みつこうとしかけだんだけど、あの家じゃ食べ物をやらなかったし、こいつは野良犬なんだよ、村から逃げてきたんだ・・・・それを僕が探しだしたってわけさ・・・・あのね、爺さん、こいつはあのとき、君のパン片を呑みこまなかったんだよ、つまり、呑みこんでたら、もちろん、死んでたろうさ、それなら終りだ! 今ぴんぴんしてるとこを見ると、つまり、すばやく吐きだしたんだよ。ところが君は、吐きだすとこを見なかった。吐きだしはしたものの、やはり舌を刺したんだね、だからあのとききゃんきゃん鳴いたんだよ。逃げながら、きゃんきゃん鳴いたもんで、君はてっきり呑みこんだと思ったのさ。そりゃひどく悲鳴をあげるのが当然だよ、だって犬は口の中の皮膚がとても柔らかいからね・・・・人間より柔らかいんだ、ずっと柔らかいんだよ!」

喜びの顔をかがやかせ、燃えあがらせて、「コーリャ」は興奮しきった口調で叫びました。

これは、驚きの展開ですね、それにしてもそのことを「スムーロフ」や家族や「アリョーシャ」に嘘まで言ってこの瞬間までずっと隠しとおしていた「コーリャ」はなんて孤独で陰険な少年でしょう。

「イリューシャ」は口をきくこともできませんでした。

布のように青ざめ、口を開けたまま、大きな目をなにか不気味に見はって、「コーリャ」を見つめていました。

何の疑念もいだかなかった「コーリャ」も、病気の少年の容態にこんな瞬間がどれほど苦痛な、致命的な影響を与えうるかを知ってさえいたら、今やってみせたような愚かな真似は絶対にする気にならなかったにちがいありません。

そうです、この瞬間の苦痛だけでなく、本当ならすぐにでも事実を「イリューシャ」に知らせてあげるべきだったでしょう、「コーリャ」のしたことは、自分のヒロイン的欲望を第一に考えたあまりにも浅はかな行為だったといえます。

しかし、部屋の中でそれをわかっていたのは、おそらく、「アリョーシャ」だけだったでしょう。

二等大尉となると、まさにごく幼い子供に返った感がありました。

「ジューチカ! じゃ、これがあのジューチカかい?」

世にも幸せな声で彼は叫びたてました。

「イリューシャ、これがジューチカだってさ、お前のジューチカだよ! かあちゃん、これがジューチカなんだよ!」

彼は危うく泣きださんばかりでした。

「僕は見ぬけなかったな!」

「スムーロフ」が情けなさそうな声を出しました。

「これでこそ、クラソートキンだ。この人ならきっとジューチカを見つけるって、僕は言ってたけど、やっぱり見つけたね!」

「ほんとに見つけたね!」

さらにだれかが嬉しそうに応じました。

「えらいや、クラソートキンは!」

さらに別の声がひびきました。

「えらいぞ、えらいぞ!」

「アリョーシャ」以外のみんなはやけに単純そうに見えますね。

少年たちがみんなで叫び、拍手をしはじまました。

「まあ、待ってくれ、待ってくれよ」


「コーリャ」はみなの叫び声に打ち克とうと努めました。