2018年12月31日月曜日

1005

二 危険な証人たち

検事側と弁護側の証人が裁判長によってグループ分けされていたのか、またどういう順番で喚問する予定になっていたのか、わたしは知りません。

おそらく、そうなっていたのでしょう。

わたしにわかっているのは、最初に検事側の証人が喚問されたことだけであります。

くりかえしておきますが、わたしはすべての尋問を逐一ここに記すつもりはありません。

おまけに、わたしの記述はある意味で余分のものになってしまうにちがいありません。

なぜなら、検事と弁護人が弁論にとりかかるに及んで、それまでに供述し聴取されたすべての証言の経過と意味とが、それぞれの弁論の中で、鮮明な特徴的な照明をあてられて、さながら一点に集約された感があるからです。

この双方の卓抜な弁論をわたしは、少なくとも部分的には完全に書きとめておいたので、いずれお伝えするつもりでいますし、また弁論のはじまる前に突然起り、裁判の宿命的な恐ろしい結末に疑いもなく影響を与えた、ある異常な、まったく思いもかけぬエピソードも、同様にいずれお伝えします。

またここで作者は語り手に託して話を盛り上げますね、つまり、この裁判の内容は集約された一点にしぼられるということ、そして、これからすぐに、この裁判の結果に影響をあたえるほどの異常な、思いがけないことが起るということです、何のことやら全く想像がつきませんので興味が湧いてきますね。

ここではただ、裁判のごく最初の瞬間から、この《事件》のある一種特別な特徴がくっきりと浮きだし、だれもがそれに気づいたということだけ、指摘しておきます。

ほかでもない、弁護側の持っている材料にくらべて、検事側の方が度はずれに力を持っていたのです。

この恐ろしい法廷でさまざまな事実が濃厚さを増しながら集まりはじめ、いっさいの恐怖と血潮とがしだいに表面に浮きあがってきた最初の瞬間に、だれもがそのことを理解しました。

ことによるとすべての人が最初の一歩から、これはまるきり争う余地のない事件であり、ここには何の疑点もないのだから、実際には弁護人などまったく必要なさそうなものだが、単に形式上弁論を行うだけであり、被告は有罪なのだ、それも明白に決定的に有罪なのだ、ということを納得しはじめたにちがいありません。

この興味深い被告の全面的な有罪をあれほどやきもきして待ち望んでいた婦人たちも、一人残らずみな、一方では被告の全面的な有罪を心から確信していたとさえ、わたしは思います。

ここのところはよくわかりません。(1000)で「概してはっきり断言できることでありますが、婦人たちとは反対に、男性側はすべて被告に反感を持っていました。」と書かれていたように、婦人たちは「ドミートリイ」に対して好意をもっているわけですので、ここで「被告の全面的な有罪をあれほどやきもきして待ち望んでいた」という表現はおかしいのではないでしょうか。

そればかりではなく、もし被告の有罪がさほど立証されなかったとしたら、婦人たちはがっかりしたのではないか、という気さえします。


なぜなら、そうなると被告が無罪放免になるというハッピーエンドに、それほどの効果がなくなってしまうからです。


2018年12月30日日曜日

1004

「ミーチャ」に対する裁判長の最初の質問、つまり姓名、身分等に関する質問を、わたしはおぼえています。

「ミーチャ」がぶっきらぼうに、だが何か思いもかけぬ大声で答えたため、裁判長はびくりと首をふるわせ、ほとんどおどろきに近い表情で彼を見つめたほどでした。

次に審理に召喚された人々、すなわち証人や鑑定人のリストが朗読されました。

リストは長いものでした。

証人のうち四名が出廷していませんでした。

現在はすでにパリに行っていますが、予審の段階で証言をとっておいた「ミウーソフ」と、病気のために来られぬ「ホフラコワ」夫人と地主の「マクシーモフ」、それに急死した「スメルジャコフ」で、これに関しては警察の死亡証明書が提出されました。

「スメルジャコフ」に関する知らせは、廷内に強いざわめきとささやきをよび起しました。

もちろん、傍聴人の大部分はこの突然の自殺のエピソードを、まだ全然知らなかったのです。

しかし、とりわけ人々をおどろかせたのは、「ミーチャ」のだしぬけの言動でありました。

「スメルジャコフ」の死が報告されたとたん、彼はふいに自分の席から法廷じゅうにひびくほどの声で叫んだのでした。

「畜生は畜生らしい死に方をするもんだ!」

弁護人が彼のところにとんで行き、裁判長が、もしもう一度この種の言動をくりかえすなら、厳重な措置を講ずると彼に警告したのを、わたしはおぼえています。

「ミーチャ」はうなずきながら、しかしまるきり反省していないかのように、とぎれがちの小声で何度か弁護人にくりかえしました。

「もう言いません、言いませんよ! 口がすべったんです! もう言いません!」

そして、当然のことながら、この短いエピソードは陪審員や傍聴人の判断の中で、彼に不利な働きをしました。

性格がおのずから現われ、自己紹介をしたようなものでした。

出だしから最悪ですね。

裁判所書記による起訴状の朗読は、まさにこういう印象のもとで行われたのであります。

起訴状はなかり短いものでしたが、詳細をきわめていました。

述べられているのは、これこれの者がなぜ拘引され、いかなる理由で裁判に付されねばならなかったのか、等々のもっとも主要な理由だけでした。

が、それにもかかわらず、この起訴状はわたしに強烈な印象を与えました。

書記はよく透る声で、歯切れよく、はっきりと朗読しました。

あの悲劇全体が、宿命的な容赦ない光を浴びて、鮮明に、集中的にみなの前に再現されたかのようでありました。

忘れもしませんが、朗読が終るとすぐ、裁判長が胸にこたえるような大声で「ミーチャ」に質問しました。

「被告は自己を有罪と認めますか?」

「ミーチャ」はふいに席から立ちあがりました。

「深酒と放蕩の罪は認めます」

またしてもなにやらとっぴな、ほとんど気違いじみた声で彼は叫びました。

「怠惰と乱暴狼藉の罪も認めます。運命に足をすくわれた、まさにあの瞬間、わたしは永久に誠実な人間になろうと思っていました! しかし、わたしの敵であり、父親であるあの老人の死に関しては無実です! そして、父の金を強奪したという件に関しては、とんでもない、無実です、また罪のあるはずなどありません。ドミートリイ・カラマーゾフは卑劣漢ではあっても、泥棒ではありません!」

「運命に足をすくわれた」とは「グルーシェニカ」とのよりが戻った件でしょうか。

こう叫び終ると、彼は傍目にもわかるほど全身をふるわせながら、席に坐りました。

裁判長がふたたび彼に向って、質問にだけ答えるようにし、関係のない気違いじみた絶叫は慎むよう、短いが噛んで含めるような注意を与えました。

それから、審理にとりかかるよう命じました。

宣誓のために全証人が中に入れられました。

このときわたしは全部の証人を一度に見たのであります。

もっとも、被告の弟二人は宣誓をせずに証言することを許されました。

司祭と裁判長の訓告のあと、証人たちは連れ去られ、できるだけ離ればなれにすわらされました。


ついで証人が一人ずつ喚問されることになりました。


2018年12月29日土曜日

1003

二人の商人はもっともらしい顔つきこそしていましたが、なんとなく異様に黙りこみ、身動き一つしませんでした。

この描写は作者が、緊張している人はこのように不自然な態度をとることがあるということをよく知っているからでしょう、注目すべきはこのようなことを作中で書き込むという作品への集中力なのです。

そのうち一人は顎ひげを剃りこんで、ドイツ人のような服装をしており、もう一人の白い顎ひげをたくわえたほうは、何かのメダルを赤いリボンで首から下げていました。

町人や農民については語るまでもありません。

先に「土地の百姓と町人が六名」と書かれていましたが、ここでは順番が逆で「町人や農民」となっていますね。

わがスコトプリゴーニエフスク町の町人は、ほとんど農民と同じで、畑仕事さえしているのであります。

この町の名前は(918)で「スコトプリゴーニエフスク市(訳注 家畜を追いこむ町といった意味)」と書かれて以来二度目の登場です。

そのうち二人はやはりドイツ人のような服装をしており、おそらくそのためでしょうが、あとの四人より、見た目に薄汚なく見苦しく映りました。

この時代のロシアのドイツ感というものはこのようなものだったのですね。

そんわけで実際、早い話がこのわたしにしても、陪審員たちをつくづく眺めたとたん、『こんな連中がこういう事件の何を理解できるのだろうか?』という思いがうかんだものであります。

確かに、そのようなことは現代の日本の裁判員制度にも言えることですが、人間を裁くという最も重大なことですので、それなりの修養を積んだ人間でなければ物事の本質を見ることができないと思います(完璧主義ということではなく、少なくともベターであるということですが)、選挙人名簿からの無作為抽出というのは一見平等であるように見えますが間違っていると思います、ただこれは現代社会全般に言えることですが、何と言ったらいいか、適切な言葉がないのですが、(しかし、この適切な言葉がないということ自体を見越している狡猾さだけはある)事なかれ主義のようなことなのではないでしょうか。

それにもかかわらず、彼らの顔はなにか異様なほど威圧感のある、ほとんど不気味なばかりの印象を与え、きびしく、険しいものでした。

このような表現に作者の人間に関するするどい批判性があらわれています。

ついに裁判長が、退役九等官「フョードル・カラマーゾフ」殺害事件の審理に入る旨を宣言しました-そのときどういう表現をしたか、完全にはおぼえていません。

被告を連れてくるよう廷吏が命じられ、いよいよ「ミーチャ」が姿をあらわしました。

法廷内はひっそりと静まり、蠅の羽音さえきこえるほどでした。

ほかの人はいざ知らず、わたしには、「ミーチャ」の姿がきわめて好ましくない印象を与えました。

「わたし」は「ほかの人はいざ知らず」と書いてはいますが、「わたし」が思っていることはみんなも思っていることなのでしょう。

何よりも、彼は仕立ておろしの真新しいフロックを着こんで、ひどく伊達男気どりで入廷してきたのでした。

あとで知ったのですが、彼はこの日のためにわざわざ、自分の寸法書きの残っているモスクワの昔馴染みの仕立屋にフロックを注文したのでした。

彼は真新しい黒のキッドの手袋をはめ、しゃれたシャツを着ていました。

そして微動だにせず、まっすぐ正面を見つめたまま、歩幅七十センチほどもある例の大股で通りぬけ、きわめて落ちついた態度で自分の席に腰をおろしました。

同時にすぐ有名な弁護士「フェチュコーウィチ」も入廷し、なにか押し殺したどよめきのようなものが廷内を流れました。これは、細くて長い足と、度はずれに長い青白い指をした、痩せたひょろ長い男で、顔を綺麗に剃り、かなり短い髪をつつましく撫でつけ、ときおり嘲笑とも微笑ともつかぬ笑いに薄い唇をゆがめていました。

見たところ四十前後でした。

彼の目それ自体は小さくて表情にとぼしいものでしたが、珍しいほど両眼に間隔がくっついているので、やや長目の細い鼻の細い鼻梁だけでやっと隔てられているにひとしく、目がこんなでさえなかったら、その顔は感じのよいものだったにちがいありません。

一口に言うと、その容貌は何かびっくりするくらい鳥に似たところがありました。


彼は燕尾服に白ネクタイという服装でした。


2018年12月28日金曜日

1002

裁判官が入廷するずっと以前に、法廷はもはや超満員でした。

一段高いところにある裁判官席の右手に、陪審員たちのためのテーブルと二列の肘掛椅子がならんでいました。

左手は被告と弁護人の席でした。

裁判官席に近い法廷中央に、《証拠物件》をのせたテーブルが置かれていました。

その上には、「フョードル」の白い絹の、血まみれになったガウン、殺害に使用されたと推定される例の運命的な銅の杵、袖口が血で汚れた「ミーチャ」のシャツ、あのとき血でぐっしょり濡れたハンカチをつっこんだために、うしろのポケットに血のしみがついたフロック、血糊でごわごわになり、今では真黄色になっているそのハンカチ、「ペルホーチン」の家で「ミーチャ」が自殺のために装填し、モークロエで「トリフォン」がこっそり取りあげたピストル、「グルーシェニカ」のための三千ルーブルが用意されていた、上書きのある封筒、封筒を結んでおいた細いバラ色のリボン、その他おぼえきれぬくらい、いろいろの品がのっていました。

《証拠物件》のテーブルの上は、何と言ったらいいのでしょう、殺伐とした状況ですね、《証拠物件》がたくさんありすぎて「おぼえきれぬくらい」と書かれておりますので、語り手は傍聴席に座っているということになります、ということは何でも知っている全能の作者から離れた場所にいるのですね。

そこから少し離れて、法廷の奥の方にかけて傍聴席がはじまっていましたが、その手すりの手前に、証言を終えたあと法廷にさらに残らねばならぬ証人たちのために、肘掛椅子がいくつか置いてありました。

「法廷の奥の方にかけて」ということは、裁判長の視点から法廷を見ているのでしょうか。

正十時に、裁判長と、陪席判事、名誉治安判事、各一名からなる裁判官が入廷しました。

もちろん、ただちに検事も姿を現しました。

裁判長は中背よりやや低い、がっしりした、五十くらいの男で、痔のわるそうな顔をし、白いもののまじった黒い髪を短く刈り上げ、赤い大綬をつけていましたが、何の勲章だったかはおぼえていません。

検事は、わたしには、いや、わたしだけではなく、だれの目にもそう映ったのですが、ひどく青ざめた、ほとんど緑色と言ってもよい顔をし、おそらく一夜のうちになぜか突然痩せこけたかのようでした。

それというのも、つい一昨日わたしが会ったときには、まだまるきりふだんと同じ顔つきをしていたからです。

「わたし」がたびたび登場しますが、ここでは登場人物と会ったと言っていますので、この町の確固とした構成員という想定でしょう。

さて、裁判長は、陪審員が全員出席しているかという、廷吏に対する質問から開始しました・・・・しかし、これ以上こんな調子でつづけるわけにゆかぬことは、わたしにもわかっています。

なぜなら、ききとれなかったことも多いし、ききもらした個所もあり、記憶しておくのを忘れたこともあるうえ、何よりも、すでに述べたとおり、言われたことや起ったことを全部思い起していたら、文字どおり時間も紙数も足りなくなってしますからです。

わたしにわかっているのは、双方、つまり弁護人と検事とで委嘱した陪審員の数があまり多くないことだけであります。

十二人の陪審員の構成をわたしは思いだしましたが、この町の官吏が四名、商人が二名、土地の百姓と町人が六名でした。

まだ裁判になるずっと以前から、この町の社交界では、特に女性たちがある種のおどろきをこめてしきりにこう質問していたのを、わたしはおぼえています。

「ほんとうにこんな微妙な、複雑な、心理的な事件を、そこらの小役人や、あげくの果ては百姓たちなんぞの抜き差しならぬ決定に委ねる気なんでしょうか、そこらの小役人やまして百姓なぞにいったい何がわかるというのでしょう?」

ロシアの陪審員制度のことがネットにありました。「ロシアでは、1864年にアレクサンドル2世による司法改革の一環として陪審制度が導入されました。その後、ボルシェビキにより1917年、陪審制度は廃止され、人民参審制に変わりました。陪審制度は、旧ソ連のペレストロイカ時代に復活が検討され、1993年から一部の地域で導入されました。2001年には刑事訴訟法典が陪審制度を規定し、2010年には陪審制度がロシア連邦全体へ拡大されました。」とのこと、この物語の現時点、つまり「フョードル」が殺害されたのを1866年と考えると、少し前に制度が確立したのですね、また、少し詳しい内容の次のようなこともネットにありました、「ロシアは陪審制である。陪審制から参審制へ、参審制から陪審制へと移行した。  現在の陪審制は1993年に開始された制度であるが、元々の陪審制は帝政ロシア時代まで遡る。 ピョートル1世の時代(1682~1725年)に糾問的訴訟が確立されていたが、アレクサンドル 2世によって実施された1864年の大司法改革により陪審制が導入された。しかし、1917年の 10月革命により、アレクサンドル2世が設けたすべての裁判所が廃止され、陪審制も廃止された。  陪審制に代わって導入されたのが、裁判官1名と交替制の参審員2名からなる参審制であった。 1922年には、刑事事件も民事事件もすべての裁判が、裁判官1名と人民参審員2名の構成によ る参審制で行われるようになり、1936年制定のソ連憲法に参審法は規定されるようになった。 しかし、参審制は形骸化していった。人民参審員の法律知識の欠如と裁判長の参審員軽視行動に よるようである。  ソ連崩壊後、1993年のロシア共和国の司法改革により陪審制が復活した。当初は、全国89地 域のうち9地域のみで開始されたが、チェチェン共和国を最後に2010年に全国で実施されるよ うになった。ロシアの陪審制の対象事件は、法律に列挙された州級裁判所の管轄に属する重大な犯罪である。 裁判体の構成は、陪審員が12名、裁判官は1名である。少なくとも2名の予備陪審員が選出さ れることになっている。陪審制は、被告人の請求にもとづく裁判である。選任方法は、選挙人名 簿から無作為抽出で、陪審員の任期は、事件毎の選任である。評決方法は、全員一致が原則で、 全員一致が得られないときは多数決(7/12票以上)で決める。陪審員の権限は、「行為が存在 したか」「被告人がそれを実行したか」「被告人は有責か」の三つの基本的設問を審理し、情状酌 量の可否が追加的設問としてある。」とのこと、当時も今も基本は12名ということで同じですね、ただ構成員の選出については選挙人名簿などから無作為に選ぶのでしょうか、よくわかりません、日本では裁判員制度は2009年導入されました。


実際また、陪審員のメンバーに入った四人の官吏は、どれもみな、官位の低い、白髪の小役人で-一人だけいくらか若かった-この町の社交界でもほとんど知られておらず、安月給でしがない生活を送り、おそらく人前にはとうてい出せぬ年とった細君と、たぶん素足で走りまわっているような大勢の子供とをかかえ、余暇はどこかでカードの勝負を楽しむくらいがせいぜいで、もちろんいまだかつて一冊の本も読みとおしたことがないにきまっています。


2018年12月27日木曜日

1001

だれもが裁判の成行きに心を奪われ、大多数の男性は断然、犯人に厳罰を望んでいました。

もっとも法律家たちは別で、彼らにとって大切なのは事件の道徳的な側面ではなく、いわば現代的な法解釈の面だけでした。

有名な「フェチュコーウィチ」の到着が、みなを興奮させていました。

「フェチュコーウィチ」については、(912)で「アリョーシャ」は「あの三千ルーブルは、僕と、イワン兄さんと、カテリーナ・イワーノヴナの三人で出したんですが、モスクワの医者はあの人お一人で二千ルーブル出してよんでくれたんです。弁護士のフェチュコーウィチも、もっと多く取りたいところでしょうが、この事件はロシア全土に反響をよんで、どの新聞や雑誌でも書きたてているもんだから、フェチュコーウィチもむしろ名声のために弁護を承諾したんですよ、なにしろあまりにも有名な事件ですからね。僕は昨日会ってきました」と言っています。

この男の才能はいたるところに知れ渡っていましたし、それに世間を騒がせた刑事事件の弁護に彼が田舎に乗りこむのは、これがはじめてではありませんでした。

そして、彼が弁護に立ったあと、そういう事件は常にロシア全土に知れ渡り、末永く記憶されるものになっていました。

この町の検事や裁判長に関しても、いくつか噂話が流れていました。

検事が「フェチュコーウィチ」との対決にびくびくしているとか、この二人はすでにペテルブルブ時代、法曹界に入った最初からの宿敵であるとか、自分の才能が正当に評価されぬため、ペテルブルブ時代から常にだれかに侮辱されたように思ってきた自尊心の強い検事「イッポリート」は、カラマーゾフ事件で精神的に立ち直りかけ、ぱっとせぬ検事生活にこの事件で活を入れよう夢みてさえいるのですが、その彼も「フェチュコーウィチ」にだけは怯えているとか、取り沙汰されていました。

しかし、「フェチュコーウィチ」に対するおののきという判断は、あまり正しいとは言えませんでした。

わが検事は、危険に直面してしゅんとなるような性格ではなく、むしろ反対に、危険が増大するにつれて自尊心がますます強まり、勇気づく性質の人間でした。

概して、この検事があまりにも直情すぎ、病的なくらい感受性が強かったことは、指摘しておかねばなりません。

ある種の事件には、彼は全身全霊を打ちこみ、まるで自己の運命や価値全体がその事件の解決にかかっているかのように、その事件を追求するのでした。

司法界ではそれをいくらか笑いものにしていました。

なぜなら、この検事がロシア全体とまではとうていいかぬにせよ、この町の裁判所におけるつつましい地位から予想しうるよりは、ずっと有名になれたのも、まさしく彼のそういう性質によるものだったからです。

心理分析に対する彼の熱情は、特に物笑いの種でした。

しかし、わたしに言わせれば、みんなは誤解していたのであり、わが検事は人間としても、性格としても、多くの人が考えていたよりずっとまじめてあったような気がします。

しかし、この病気がちの男は結局、検事生活初期のそもそもの振りだしから、その後、一生を通じて、自己の真価を認めさせることができなかったのであります。

裁判長に関しては、彼が教養ある、人道的な、実務に精通した、きわめて現代的な思想の人間であったことしか言いえません。

彼はかなり自尊心が強いのでしたが、出世にはさほど心を砕きませんでした。

人生の最大の目的は、進歩的な人間になることでした。

それに、顔も広く、財産も持っていました。

あとでわかったことですが、彼はカラマーゾフ事件をかなり熱心に見ていましたが、それも一般的な意味においてでしかありませんでした。

彼の関心をひいたのは、こうした現象やその分類であり、わが国の社会的基盤の所産として、またロシア的要素の特徴的な現われとして、この現象をとらえる見方でした。


この事件の個人的な性格や、その悲劇に対して彼は、被告をはじめ各関係者たちの個性に対するのと同様、かなり無関心な、抽象的な態度をとっていましたが、ことによるとそれがむしろ当然だったかもしれません。


2018年12月26日水曜日

1000

各地から馳せ参じた法律家たちだけでも、たいへんな数にのぼったため、どこへ収容すればよいのか、それさえわからぬほどでした。

なにしろ、傍聴券はとうの昔にもう、懇望や泣き落しにかかって一枚残らず出払っていたからです。

法廷の端の雛壇の奥に急場の間に合せに特別の仕切りを設け、馳せ参じた法律家を全員そこへ収容したのを、わたしもこの目で見ましたが、場所を広くするためその仕切り内からは椅子を全部運びだしてしまったので、ずっと立っていなければならなかったのに、法律家たちはそこに立っていられるだけでも幸せと考え、つめこまれた傍聴人は肩と肩を接し、密集した群れとなって、《審理》の最後まで立ちとおしていました。

婦人たち、それも特に遠来の婦人の中には、極端にめかしこんで傍聴席にあらわれた者もいましたが、大半の婦人は服装のことさえ忘れていました。

婦人たちの顔にはヒステリックな、貪欲な、ほとんど病的とさえ言える好奇の色が読みとれました。

この法廷に集まった人々全体の特徴の一つは、ぜひとも指摘しておかねばなりませんが、のちに多くの観察によって証明されたように、ほとんどすべての婦人、少なくとも圧倒的多数の婦人が、「ミーチャ」の肩を持ち、無罪を支持したことであります。

このへんが作者のおもしろいところですね、しかも「ぜひとも指摘しておかねばなりませんが」とまで言っています、「圧倒的多数の婦人が、ミーチャの肩を持」っていたということです、これはどういうことでしょう、たぶんこの町のほどんどの人が犯人は「ミーチャ」と思っているはずです、また彼は町の飲み屋などでいろいろと乱暴を働いたことも知っているでしょう、さらに婚約者を裏切ったこともわかっているにもかかわらず、彼女たちは彼の肩を持つのです、私は一瞬彼女たちは「ミーチャ」を悪者だと思い、罰せられるべきだと考えたのかと思いましたが、そうではありませんでした、ということは彼女たちは、奔放な愛、一途な愛、相手を殺すほどの情熱的な愛に惹かれたということです、逆にそういうロマンに飢えていたということなのかもしれませんね。

おそらく、その最大の理由は、彼に関して、女心の征服者といった観念が作られていたためでありましょう。

先ほど私がいろいろと書いたことを、作者は見事に「女心の征服者」という一言であらわしています、なるほど、女としての自分の心をわかってくれることが第一なのですね。

ライバル同士の二人の女性がいずれ出廷することは、わかっていました。

その一人、つまり「カテリーナ・イワーノヴナ」は、特にみなの興味をそそりました。

彼女については異常な噂がひどくいろいろと語られ、犯罪までやってのけた「ミーチャ」に寄せる彼女の情熱に関しても、呆れるような一口話がいくつも流れていました。

特に話題になったのは、彼女の傲慢さや(彼女はこの町でほとんどだれの家も訪問したことがなかったのだ)、《貴族社会における顔の広さ》でした。

彼女は罪人について流刑地に行き、どこか地下の炭鉱で結婚することを許可してくれるよう、政府に陳情するつもりらしい、という噂もありました。

一方、「カテリーナ・イワーノヴナ」のライバルである「グルーシェニカ」の出廷も、これに劣らぬほどの興奮をもって待たれていました。

人々は、プライドの高い貴族の令嬢と《高級淫売》という二人のライバルの法廷での対決を、苦しいほどの好奇心で待ち受けていました。

もっとも、この町の婦人たちには、「カテリーナ・イワーノヴナ」より「グルーシェニカ」のほうが有名でした。

《フョードル・カラマーゾフとその息子とを破滅させた女》を、この町の婦人たちはこれまでにも見たことがあるので、どうしてあんな《ごくありふれた、まるきり不器量でさえあるロシアの町人娘》に親子そろってあれほどまで入れあげることができたのかと、ふしぎがっていました。

ここはまたおもしろいですね、作者が作り上げてきた「グルーシェニカ」のイメージは読者にとっても大変に魅力的なものでした、しかしここで客観的な場所に立ちそのイメージを突き放し、《ごくありふれた、まるきり不器量でさえあるロシアの町人娘》と表現したのは、この町の婦人たちの嫉妬と羨望の入り混じった心理を言い表しているようであり、なるほどと納得させられます。

一口に言って、噂はたくさんありました。

わたしもたしかに知っていますが、実際にこの町では「ミーチャ」のことが原因で、いくつかの深刻な家庭争議さえ起ったほどでした。

またここもおもしろいところです、この特殊な個人的な事件が、一般的な家庭争議になり、さらに男性対女性の戦いという普遍的な問題にもなっています。

多くの婦人たちが、この恐るべき事件に対する見解の相違から、夫たちとむきになって喧嘩し、その結果、当然のことながら、それらの婦人の夫たちはみな、法廷に来たときにはすでに、被告に対して好意的でなかったばかりか、敵意すらいだいていました。

そして、概してはっきり断言できることでありますが、婦人たちとは反対に、男性側はすべて被告に反感を持っていました。

眉をひそめたきびしい顔がいくつも見受けられたし、そうでないものは敵意を露骨に示しており、しかもそれが大部分でした。

また「ミーチャ」がこの町に滞在している間に、その人たちの多くを個人的に侮辱したことも事実であります。


もちろん傍聴人の中には、ほとんど楽しそうな顔さえして、もともと「ミーチャ」の運命になどまったく無関心な人たちもいましたが、その人たちとてやはりこれから審理される事件に対して、無関心なわけではありませんでした。


2018年12月25日火曜日

999

第十二編 誤審

一 宿命の日

今書いた出来事の翌日、午前十時にこの町の地方裁判所の法廷が開かれ、「ドミートリイ・カラマーゾフ」の裁判がはじまりました。

前もってくれぐれも念を押しておきますが、わたしは、この法廷で起ったことをすべて、しかるべき完全さはおろか、しかるべき順序でさえ、お伝えできるとはとうてい思っていません。

すべてを記憶にとどめて、きちんと説明するとなったら、優にまる一冊の、それも大部の本が必要になると思います。

だから、わたしのお伝えするのが、個人的にショックを受けたことや、特に記憶に残ったことに限られていても、責めないでほしいのです。

わたしは二義的なことをいちばん重要な点と思いこんだり、逆にいちばん肝心なはっきりした点をすっかり見落としたりしたかもしれません・・・・もっとも、どうやら、言い訳などせぬほうがよさそうです。

自分にできるかぎり、やってみよう、そうすれば読者もおのずから、わたしが力の及ぶかぎりやったことを理解してくれるでしょう。

このあたりはずっと「わたし」がしゃべっていますね、「わたし」はこの裁判の傍聴席のどこかに坐っており、そこで起ったことや思ったことを記憶し、記述したと言うわけです、また「読書」と言う言葉も出現していますので、この小説の作者としての自分が「わたし」という語り手となり裁判を傍聴しているということですね。

まず第一に、法廷に入る前に、この日わたしを特におどろかせたことに触れておきます。

もっとも、おどろいたのはわたしだけでゃなく、あとでわかったことですが、だれもがそうでした。

ほかでもありません。

この事件があまりにも多くの人々の関心をひいたことや、だれもがいつ裁判がはじまるかともどかしさにじりじりしていたことや、世間ではもうまる二ヶ月もの間いろいろと語られ、予想され、叫ばれ、空想されていたことは、周知の事実でした。

また、この事件が全ロシア的な評判になったことも、だれもが知っていたのですが、しかし、この日の法廷で明らかになったように、この町だけではなく、あらゆるところで、この事件がすべての人の心を、こんなにも熱っぽく苛立たしいくらいに揺るがせたとは、やはり予想していなかったのです。

この日までに、県庁のある都市からはもちろん、ロシアの他のいくつかの都市からも、そしてついにはモスクワやペテルブルグからさえも、われわれの町へぞくぞくと客が乗りこんできました。

法律家たちもやってきましたし、何人かの有名人も、さらには貴婦人たちまでやってきました。

傍聴券はまたたく間に全部なくなってしまいました。

男性のうち特に地位の高い人や知名な人たちのために、裁判官の坐るテーブルのうしろに、まったく異例の傍聴席が設けられました。

そこにはさまざまな名士たちの坐る肘掛椅子がずらりと一列に並びましたが、こんなことはこれまで一度も許されたことがありませんでした。

とりわけ多いのはこの町や遠来の貴婦人たちで、全傍聴人の半分は下らなかったと思います。


事実を事実として描写しているというよりは、まだこれからも続くのですが、作者が思い切りこのクライマックスを盛り上げようとしているのがひしひしと伝わってきます。


2018年12月24日月曜日

998

「兄さん!」

恐怖にすくみながら、それでもなお「イワン」を正気づかせる期待をすてずに、「アリョーシャ」がさえぎりました。

「僕が来る前にそいつがスメルジャコフの死を、どうして兄さんに話せるというんです、まだだれ一人知らなかったんだし、それにだれ一人感づく時間もなかったというのに?」

「あいつが言ったんだ」

疑念も許さずに、「イワン」がきっぱりと言いました。

「なんなら教えてやるけど、あいつはその話ばかりしていたよ。『君が善を信じたのは結構なことさ。話を信じてもらえなくたってかまわない、俺は主義のために行くんだから、というわけか。しかし、君だってフョードルと同じような子豚じゃないか、君にとって善が何だというんだ? 君の犠牲が何の役にも立たないとしたら、いったい何のためにのこのこ出頭するんだね? ほかでもない、何のために行くのか、君自身もわからないからさ! ああ、何のために行くのか自分にわかるなら、君はどんな値でも払うだろうにね! まるで君は決心したみたいだな? まだ決心していないくせに。君は夜どおし坐って、行こうか行くまいかと、迷いつづけることだろうよ。でも、とにかく君は行くだろうし、自分が行くってことも知っている。君がどう決心しようと、その決心が君の意志によるものじゃないってことも、自分で承知してるはずだよ。君が行くのは、行かずにいる勇気がないからさ。なぜ勇気が出ないか、これは自分で推察するんだね。これは君に与えられた謎だよ!』こう言うと、あいつは立って、出て行ったんだ。お前が来たもんで、逃げて行ったのさ。あいつは俺を臆病者よばわりしやがったぜ、アリョーシャ! 俺が臆病者だというのが、あの謎の答えなんだ! 『そんな鷲は、大空高く舞うことはできないよ!』あいつはこう付け加えやがった、こう付け加えたんだよ! スメルジャコフもいう言いやがったっけ。あんなやつは殺さなけりゃ! カーチャは俺を軽蔑してるんだ、俺にはもう一カ月も前からわかっている。それにリーザまで軽蔑しはじめるだろうさ! 『ほめてもらいに行く』こんな残酷な嘘があるかい! お前も俺を軽蔑してるんだな、アリョーシャ。これからはまたお前を憎むぜ。あの人でなしも憎い、俺はあの人でなしも憎んでいるんだ! あんな人でなしを救いたくはないさ、流刑地でくたばりゃいいんだ! 讃歌なんぞうたいだしやがって! ああ、明日は行って、みんなの前に立って、みんなの面に唾をひっかけてうやる!」

このようなことを「悪魔」は言ったんでしたか、また、「スメルジャコフ」は『そんな鷲は、大空高く舞うことはできないよ!』というようなことをどこで言ったのかわからなくなりました。

彼は狂ったように跳ね起き、タオルをかなぐりすてると、また部屋の中を歩きまわりはじめました。

「アリョーシャ」は兄の先ほどの『うつつに眠っているみたいなんだ・・・・歩きまわって、話して、見えているんだけど、眠っているんだよ』という言葉を思いだしました。

まさしく今それが生じたかのようでした。

「アリョーシャ」は兄のそばを離れませんでした。

医者に駆けつけて、連れてこようかという考えが、ちらとうかびかけましたが、兄を一人残してゆくのを恐れました。

兄を託すべき人はまったくいませんでした。

ついに「イワン」は少しずつ、意識をすっかり失っていきました。

なおもしゃべりつづけ、休みなく話してはいましたが、もはやまったくとりとめがありませんでした。

発音さえ怪しくなり、突然その場でひどくふらつきました。

しかし、「アリョーシャ」がすかさず支えました。

「イワン」が寝床に運ばれるままになっていたので、「アリョーシャ」はどうにか服をぬがせ、寝かせつけました。

そしてさらに二時間ほど枕もとに付き添っていました。

病人は静かな安らからな寝息を立てながら、身動き一つせず、ぐっすり眠っていました。

「アリョーシャ」は枕をかかえて、服を着たまま、ソファに横になりました。

うとうとしながら、「ミーチャ」と「イワン」のことを神に祈りました。

「イワン」の病気が彼にはわかってきました。

『傲慢な決心の苦悩なのだ、深い良心の呵責だ!』

兄の信じていなかった神と、真実とが、いまだに服従を望まぬ心を征服しようとしているのです。

「イワン」は神を信じていないのでしょうか、とうよりは信じているのかいないのか自分でもわからないのではないでしょうか、自分では信じていないと思っているのですが、無意識ではそう言い切れない自分があるのではないでしょうか、「スメルジャコフ」は神がいなければ善もないと考え、行動に移したのですが「イワン」はそれができないために病気になったのではないかと思います。

『そう』

すでに枕に横たえた「アリョーシャ」の頭の中を、こんな思いがよぎりました。

『そう、スメルジャコフが死んでしまった以上、もはやイワンの証言なぞ、誰も信じないだろう。でも兄はきっと行って、証言してくれる!』

「アリョーシャ」は静かに微笑しました。

『神さまはきっと勝つ!』

彼は思いました。

『真実の光の中に立ちあがるか、それとも、自分の信じていないものに仕えた恨みを自分やすべての人に晴らしながら、憎悪の中で滅びるかだ』


「アリョーシャ」は悲痛に付け加えると、また「イワン」のために祈りました。


2018年12月23日日曜日

997

「兄さん」

「アリョーシャ」がさえぎりました。

「しっかりなさい! 殺したのは兄さんじゃない。そんなの嘘です!」

「あいつがそう言うんだよ、あいつが。あいつはそれを知ってるんだ。『君は善の偉業をなしとげに行こうとしているが、そのくせ善を信じちゃいない。それが君を怒らせ、苦しめるんだ。だからそんなに復讐心を燃やしてるのさ』俺のことをこんなふうに言うんだぜ、しかも自分が何を言ってるかを承知のうえで・・・・」

「イワン」は自分の矛盾した行動に対して我慢できないのですね。

「それはあいつじゃなく、兄さんが言ってるんですよ!」

「アリョーシャ」が悲痛に叫びました。

「病気で、うなされて、自分を苦しめながら、言ってるんです!」

「いや、あいつは自分が何を言ってるか、承知しているんだ。だってこう言うんだぜ、君が行くのはプライドからさ、君は立ってこう言うだろうよ。『殺したのは僕だ、どうしてあなた方は恐怖に縮みあがっているんです。あなた方は嘘をついてる! 僕はあなた方の意見を軽蔑する、あなた方の恐怖を軽蔑します』俺のことをこう言うかと思うと、今度はいきなり、『あのね、君はみんなにほめてもらいたいのさ。あいつは犯人で、人殺したけど、なんて高潔な感情の持主だろう、兄を救おうとして自白したんだ、って!』なんて言いやがる。そんなの嘘だよ。アリョーシャ!」

「悪魔」の言うことはすべて「イワン」の思っていることであり、彼は自分で自分の内面を説明していますね。

突然「イワン」が目をぎらぎらさせて、叫びました。

「あんな百姓どもにほめてなんぞもらいたくないよ! あいつは嘘をついたんだ、アリョーシャ、嘘をついたのさ、誓ってもいい! だから俺はあいつにコップをぶつけてやったよ。あいつの面に当って粉々に砕けたっけ」

「兄さん、落ちつきなさい、もうやめなさいよ!」

「アリョーシャ」が哀願しました。

「いや、あいつは苦しめるのが上手だよ、あいつは残酷だ」

耳もかさずに、「イワン」はつづけました。

「あいつが何のために来るのか、俺はかねがね予感していたよ。『君がプライドから行ったとしても、そこにはやはり、スメルジャコフが有罪になって懲役に送られ、ミーチャが無罪になり、そして君は精神的(三字の上に傍点)に裁かれるだけで(ここで、あいつは笑いやがったんだ!)、ほかの人たちからは賞讃されるだろうという希望が、ちゃんとあったのさ。ところが、スメルジャコフが首を吊って、死んじまった-こうなったら、だれが法廷で君一人の言葉を信じてくれるだろう? それでも君は行こうとしている。やはり行くだろうよ。行くと決心したんだから。でも、こんなことになったあと、何のために君は行くんだい?』なんて言うんだよ。恐ろしいじゃないか、アリョーシャ。俺はこんな質問には堪えられない。こんな質問を俺に投げつけることができるのは、いったい何者なんだ!」


ここで「君一人の言葉」というのは、「イワン」が主犯で、それを忖度したのが「スメルジャコフ」だということだと思いますが、「スメルジャコフ」が死んだ今となっては、忖度させたのが自分だなどとわざわざ法廷で言うのは、どんな意味があるのかということですね、現実には手を下した犯人がわかればそれで一件落着です、動機もわかっていますし、それ以上のことは関係ないのです、しかし「イワン」の悩みは自分の良心の問題であり、「悪魔」はそこを問題にしているのですね。


2018年12月22日土曜日

996

「さっきリーザのことで俺に何て言ったんだい?」

ふたたび「イワン」が話しだしました。

(彼はひどく饒舌になっていた)

「リーザは好きだよ。俺はあの子のことで、何かいやらしいことをお前に言ったな。あれは嘘さ、あの子は気に入ってるよ・・・・俺は明日、カーチャが心配だよ、何より心配なんだ。今後のことがな。彼女は明日、俺を棄てて、踏みつけにするだろうよ。俺が嫉妬からミーチャを破滅させると、彼女は思っているのさ! そう、彼女はそう思っている! とんでもない話さ! 明日は十字架で、絞首台じゃないんだ。いや、俺は首を吊ったりしないぞ。知ってるかい、俺は決して自殺できない人間なんだよ、アリョーシャ! 卑劣なためと思うか? 俺は臆病者じゃない。生きていたいという渇望のためさ! なぜ俺は、スメルジャコフが首を吊ったことを知っていたんだろう? そうか、あいつ(三字の上に傍点)が俺に言ったんだ・・・・」

(944)で「イワン」は「リーザ」からの手紙を引き裂き、「まだ十六にもならないんだろうが、もう媚びを売ってやがる!」とか「きまってるじゃないか、淫らな女がやるのと同じさ」とかひどいことを喋っていましたね、しかし、なぜ突然また「リーザ」のことを話し出したのでしょう、たぶん気にはなっていたのでしょう、それにしても「あれは嘘さ」のひとことで、以前の内容があっさりとひっくり返ってしまいました。

「じゃ兄さんは、だれかがここに坐っていたと、確信しているんですね?」

「アリョーシャ」がたずねました。

「その隅のソファにな。お前ならあいつを追い払えたろうにさ。いや、お前が追い払ったんだ。お前が現れたとたんに、あいつは姿を消したもの。俺はお前の顔が好きだよ、アリョーシャ。俺がお前を顔を好きだってことを、知っていたか? でも、あいつ(三字の上に傍点)は俺なんだ、アリョーシャ、俺自身なんだよ。俺の卑しい、卑劣な、軽蔑すべきもののすべてなのさ! そう、俺は《ロマンチスト》だ。これはあいつが指摘したんだ・・・・もっとも、中傷だけどな。あいつはひどくばかだよ、でもそれがあいつの強味なのさ。ずるいやつだ、動物的に狡猾だ、どうすれば俺を怒らせることができるか、知ってやがったぜ。俺があいつの存在を信じているといって、のべつからかっては、その手で自分の話をきかせてしまうんだ。俺を子供みたいに騙しやがった。しかし、俺に関していろいろと本当のことを言ったよ、俺なら決してあそこまで自分に言えないだろうがね。なあ、アリョーシャ、実はね」

(991)で「悪魔」は「すでにベリンスキーによってあれほど笑い物にされた、あのロマンチックなムードが、やはり君にはあるんだよ」と言っていました。

おそろしく真剣に、秘密めかしく「イワン」は付け加えました。

「あいつが本当に俺じゃなく、あいつ(三字の上に傍点)であってくれたらと、俺は切に願いたい気持だよ!」

「兄さんをひどく苦しめたんですね」

同情をこめて兄を見つめながら、「アリョーシャ」が言いました。

「俺をからかいやがったんだ! しかも、みごとにな。『良心! 良心とは何だい? そんなものは自分で作りだしてるのさ。じゃ、なぜ苦しむのか? 習慣さ。世界じゅうの人間の七千年来の習慣でだよ。だから習慣を忘れて、神になろうじゃないか』あいつがそう言ったんだ、あいつがそう言ったんだよ!」

「じゃ、兄さんが言ったんじゃないんですね、兄さんじゃないんですね?」

澄んだ目で兄を見つめながら、こらえきれずに「アリョーシャ」が叫びました。

「それなら、そんなやつにはかまわずに、放っといて、忘れてしまうことですよ! 兄さんが今呪っているものすべてをそいつが持ち去って、二度と来させなければいいんです!」

「アリョーシャ」は信頼できる人物でその発言もおそらく正解だろうと思いますが、自分の中の「悪魔」に対しては放っておいて忘れることが解決策なのでしょうか、つまり相手にしないで無視せよということですね。

「そうだな、しかしあいつは陰険だからな。俺をあざ笑いやがったんだ。厚かましいやつなんだよ、アリョーシャ」

怒りにふるえながら、「イワン」は言い放ちました。


「でも、あいつは俺を中傷しやがった。いろいろと中傷したぜ。俺に面と向って、俺のことをぬけぬけと中傷しやがって。『ああ、君は善の偉業をなしとげに行こうとしている。父親を殺したのは自分だ、下男をそそのかして父親を殺させたんだ、と申し立てるつもりだね・・・・』なんて」


2018年12月21日金曜日

995

「ここにはありませんよ。ご心配なく、どこにあるか知ってますから。ほらね」

部屋の向う側にある「イワン」の化粧テーブルのわきで、まだきちんと畳んだまま使っていない、きれいなタオルを見つけて、「アリョーシャ」が言いました。

「イワン」は妙な顔をしてタオルを見つめました。

とたんに記憶が戻ったかのようでした。

「待てよ」

彼はソファから半身を起しました。

俺はさっき、一時間ほど前に、そのタオルをそこから取って、水で濡らしたんだぞ。頭に当てたあと、ここへ放りだしたんだ・・・・どうして乾いてるんだろう? ほかにタオルはないのに」

(980)に「イワンは片隅に行って、タオルをとり、言ったとおりに実行すると、濡れたタオルを頭にのせたまま部屋の中を行ったり来たりしはじめました。」とありましたね。

「このタオルを頭に当てたんですか?」

「アリョーシャ」がたずねました。

「そうさ、そして部屋の中を歩きまわっていたんだ、一時間前に・・・・なぜ蝋燭がこんなに燃えつきちまったのかな? 何時だ、今?」

「もうすぐ十二時です」

「そんな、そんなはずはない!」

突然「イワン」が叫びました。

「あれは夢じゃなかったんだ! あいつはたしかに来て、ここに座っていた、ほら、そのソファにさ。お前が窓をたたいたとき、俺はあいつにコップをぶつけてやったんだから・・・・ほら、このコップだよ・・・・待てよ、この前も俺は眠ってたっけな、でもこの夢は夢じゃないぞ。前にもこんなことがあったんだ。アリョーシャ、俺はこのごろよく夢を見るんだよ・・・・しかし、それは夢じゃなく、うつつなんだ。俺は歩いたり、話したり、見たりする・・・・でも眠っているんだ。しかし、あいつはそこに坐っていたんだからな、たしかにいたんだ、そのソファに・・・・あいつはひどくばかだぜ、アリョーシャ、ひどくばかだよ」

だしぬけに「イワン」は笑いだし、部屋の中を歩きはじめました。

「だれがばかなんです? だれのことを言ってるの、兄さん?」

「アリョーシャ」がまた悲しそうに言いました。

「悪魔さ! 悪魔がよく現れるようになったんだ。もう二度も来たよ。三度と言えるくらいさ。自分がただの悪魔でしかなく、轟音と閃光を放つ、翼を火傷した魔王(サタン)じゃないことを俺が怒っていると言って、からかいやがったんだ。しかし、あいつは魔王じゃないよ、嘘をついてやがるんだ。自分でそう名乗ってるだけさ。あいつはただの悪魔だ、やくざなチンピラ悪魔だよ。銭湯に通うんだとさ。あいつを裸にすると、きっと、尻尾が見つかるぜ。グレート・デンのみたいな、長い、すべすべした、七十センチくらいもある茶色の尻尾が・・・・アリョーシャ、すっかり凍えただろう、雪の中にいたんだもの。お茶を飲むか? どうだ? 冷めてるか? なんなら、支度させるぜ。こんな天候じゃ、犬だって外に放すわけにはいかないよ・・・・」

「サタン」とは、「ユダヤ教、キリスト教では神の敵対者、イスラム教では人間の敵対者とされる。
キリスト教神学においては、サタンは、かつては神に仕える御使いであったが堕天使となり、地獄の長となった悪魔の概念である。罪を犯して堕落する前のサタンは御使いであったが、神に反逆して『敵対者』としての悪魔に変化したとみなされている。キリスト教ではサタンは人格性を有する超自然的存在であると信じられているが、自由主義神学(リベラル)ではサタンが人格的存在であるとは必ずしも考えられていない」とのこと。

「魔王(サタン)」や「悪魔」については諸説あり複雑でもあってなかなか理解できません。

この物語を1866年の出来事だとすると、有名な「シューベルト」の「魔王」は1815年に作られ、「ゲーテ」の作詞は1782年くらいのものですので、ずいぶん前のことになりますね。

「アリョーシャ」は急いで洗面台に走って、タオルを濡らすと、また坐るように「イワン」を説き伏せ、濡れたタオルを頭にのせてやりました。


自分もならんで坐りました。