2018年3月31日土曜日

730

「アンドレイ」が馬に鞭をあてました。

鈴が鳴りはじめました。

「お達者でね、ピョートル・イリイチ! 最後の涙を君に贈るよ!」

「酔払ってるわけでもないのに、なんてばかげたことばかりわめいているんだ!」

「ペルホーチン」がそのうしろ姿に叫びました。

彼は店の者が「ミーチャ」を欺して、勘定をごまかしそうな予感がしたため、あとに残って、残りの食料品や酒を荷馬車に(やはり三頭立てだった)積みこむところを監督しようかという気を起しかけましたが、ふいに自分自身に腹が立ち、唾を吐きすてると、行きつけの飲屋へ球を撞きに行きました。

「ペルホーチン」のような正義感の強い性分の人は役人にぴったりだと思いますが、反対に役人だからそういう性格になったのかもしれませんね。

「いいやつじゃあるけど、ばか者だな・・・・」

それは、「ペルホーチン」にもあてはまるのではないでしょうか。

みちみち彼はひとりつぶやきました。

「グルーシェニカの《昔の恋人》とかいう将校の話は、俺もきいたことがある。だが、そいつがやってきたとなると、これは・・・・ああ、あのピストルがな! えい、畜生、べつにあいつの伯父さんてわけじゃあるまいし! 知っちゃいないよ! それに何事も起りゃせんだろう。どなり合うくらいで、それ以上のことは起るまい。酔払って、喧嘩して、喧嘩のあと仲直りすることだろう。実行型じゃあるまい? それにしても《身を引く》だの、《自己を処刑する》だのって、いったい何のことだ-いや、何事も起りゃせんさ! あんな台詞は飲屋で酔払って、千回もわめき散らしてたしな。今は酔っていなかった。《精神的に酔払ってる》か-卑劣な男はこういう台詞が好きなもんだ。俺があいつの伯父さんてわけじゃなし。しかし、あれは喧嘩してきたに決ってる、顔じゅう血だらけだもの。相手はだれだろう? 飲屋に行きゃわかるだろう。ハンカチも血染めだったし・・・・ふう、畜生、うちの床にそのまま置いていきやがった・・・・汚ならしい!」


彼は典型的な小市民的精神の持ち主です、ところで小市民とは何でしょう、プチブルのことを言うらしいのですが、ウィキペディアによると「小ブルジョワ(仏: Petite bourgeoisie,プチ・ブルジョワ)とは、マルクス主義の用語。僅かな生産手段を私有する者を指す。自作農や商店主の他、知識を切り売りする弁護士や医師などの専門家、才能や技能を切り売りする芸術家や俳優も含む。小市民とも書く。」とのこと、ということは彼が小市民的精神の持ち主というのは適切な言い方ではないですが、階級的には間違っているとも言えないですね、とにかく作者が描写する「ペルホーチン」という人物について典型としてはうまく名付けることはできなくても現代でもすぐそこにいるような気がします。


2018年3月30日金曜日

729

「それでどうなった?」

「当然、お仕置きされたさ。じゃ、君はどうなの、そういう君は盗んだことはないの?」

「あるよ」

「ミーチャ」はいたずらっぽくウィンクしました。

「何を盗んだんだい?」

「ペルホーチン」が釣りこまれてたずねました。

「母から二十カペイカ銀貨を失敬したことがあるよ。九つのときだったな、三日後に返したけど」

この会話は何なのでしょう、「ドミートリイ」は「ペルホーチン」をからかってと同じことを繰り返しています、作者はこのやりとりに暗示的な意味をもたせたのかもしれませんが、何か釈然としません、しかしこれは、「ドミートリイ」が誰かのお金を盗んだと自分でずっと考え続けていることの伏線となっています。

こう言うと、「ミーチャ」はだしぬけに席を立ちました。

「ドミートリイの旦那、急いでいただけますか?」

ふいに店先で馭者の「アンドレイ」が叫びました。

「用意できたのか? よし行こう!」

「ミーチャ」が気をもみはじめました。

「もう一つ、これが最後の言いつけだ・・・・出がけの景気づけに今すぐアンドレイにウォトカを一杯やってくれ! それとウォトカのほかに、コニャックも一杯! その箱は(ピストルのケースのことだった)俺の座席の下に置いてくれ。じゃ、お達者で、ピョートル・イリイチ、いつまでもお元気でね」

今ならば酔払い運転ですが、こういうところは「ドミートリイ」のやさしさですね。

「だって、明日帰るんでしょうに?」

「うん、必ず」

「お会計はただいましめさせていただいてよろしいでしょうか?」

「あ、そうか、勘定だったな! ぜひそうしてくれ!」

彼はまたもやポケットから札束をつかみだし、百ルーブル紙幣を三枚ぬいて、売台の上に放ると、急いで店を出ました。

みなが彼のあとにつづき、おじぎしながら、挨拶や餞(はなむけ)の言葉で見送りをしました。

「アンドレイ」は今しがた飲み干したばかりのコニャックに咽喉を鳴らし、馭者台にとびのりました。

ところが、「ミーチャ」が乗りこもうとしかけたとたん、突然、降って湧いたように、「フェーニャ」が姿をあらわしました。

彼女は全身で息をあえがせながら走りよると、悲鳴とともに両手を合わせ、彼の前にがばとひれ伏しました。

「旦那さま、ドミートリイさま、どうか奥さまを殺さないでくださいまし! わたしが何もかも旦那さまに話してしまったのですから! それにあのお方も殺さないでください、とにかくあのお方は奥さまの以前の恋人なんでございますから! 今度、結婚なさるので、そのためにシベリヤから帰ってらしたんですもの・・・・旦那さま、ドミートリイさま、どうか人の命をとらないでくださいまし!」

「なあるほど、そういうわけだったのか! そうか、これから向うでひと騒ぎやらかす気だな!」

「ペルホーチン」がひそかにつぶやきました。

「これですっかりわかったよ、ドミートリイ・フョードロウィチ、これでわからなきゃふしぎだ。さ、もし人間でありたいんなら、今すぐ僕にピストルをよこしたまえ」

彼は大声で「ミーチャ」に叫びました。

「きこえるんだろ、ドミートリイ」

「ピストル? 待てよ、君、あれは途中でどぶにでも棄てるさ」

「ミーチャ」は答えました。

「フェーニャ、立てよ、俺の前にひれ伏したりしないでくれ。このドミートリイは人なんぞ殺さんよ、こんなばか者だって今後は殺したりするもんか。あ、そうそう、フェーニャ」

「今後は・・・・」というのは気になる発言ですね、実際に彼は何を指してそう言っているのかわかりませんが。

もう座席についてから、彼は叫びました。

「さっきお前にひどいことをしたけど、どうか赦しておくれ、この卑劣漢を哀れと思って赦してくれ・・・・赦してくれなくても、どうせ同じことだけど! なぜって、今となっちゃ、もうどうだっていいんだからな! さ、やれ、アンドレイ、思いきりすっとばすんだ!」


こういう時になってまで彼は相手のことを気遣っています。


2018年3月29日木曜日

728

一杯ずつ飲み干しました。

しかし、一刻を争うような状況だったはずですが、こんなところで飲んでいていいのでしょうか。

「ミーチャ」は喜びに気もそぞろといった様子でしたが、なんとなく沈みがちでした。

まるで、何か征服しえぬ重苦しい心配事が心にわだかまっているかのようでした。

「ミーシャだ・・・・あそこへ入ってきたのは、君のとこのミーシャだろ? おい、ミーシャ、ミーシャ、ここへ来て、一杯飲んでくれ、明日の朝の、金髪のポイボスのために・・・・」

「なんだってその子になんぞ!」

「ペルホーチン」が苛立たしげに叫びました。

「いいじゃないか、そうだろう、僕が飲ませたいんだから」

「ちぇ!」

「ミーシャ」は飲み干すと、一礼して走り去りました。

「あの子は末永くおぼえていてくれるだろうさ」

「ミーチャ」が言いました。

「僕は女が好きだ、女が! 女とはいったい何だい? 地上の女王だよ! 僕は悲しい、悲しいよ、ピョートル・イリイチ。ハムレットをおぼえているだろう。『悲しい、実に悲しいよ、ホレーショ・・・・ああ、哀れなヨーリック!」

ことによると、僕はヨーリックかもしれない。

まさしく今の僕はヨーリックだな、髑髏になるのはもう少し先だけれど」

私は「ハムレット」を読んだことがないので、何のことかさっぱりわかりませんので、ネットで調べたあらすじを載せておきます。

「デンマークのエルシノア城では、夜ごと、ものものしい警戒が行われていた。というのも、ノルウェーとの緊張が日増しに高まっていたからである。そんなさなか、衛兵の前に、先王ハムレットの亡霊が現れる。王子ハムレットは留学先から、新王の戴冠式・結婚式に参列するために戻っていたのだが、父王の死からまだ立ち直らないうちに、母の再婚である。もともとメランコリー気質のハムレットはますます陰鬱になり、自殺さえ考えている。そこに、父王の亡霊の知らせである。その知らせを受けたハムレットは胸騒ぎがしてならない。ハムレットはさっそく深夜、城壁に立つ。時刻どおり亡霊は現れ、ハムレットに向かって、現王クローディアスに毒殺されたときの模様を語る。
その日からハムレットは人間がすっかり変わってしまった。王は、いつもと様子の違うハムレットが気掛かりでならない。そこで、学友のローゼンクランツとギルデンスターンを呼びつけ、ハムレットの様子をうかがわせることにするが、ポローニアスは、王子の錯乱は、娘のオフィーリアに失恋したせいだと言いはる。ハムレットは、探りを入れに近づくポローニアスやローゼンクランツたちに、ときには狂人のように、ときには悩める若者のようにふるまい、尻尾をつかませない。
そこに旅役者の一行が到着し、ハムレットは、さっそく好きな悲劇のひとこまを聞かせてもらう。お気に入りの役者が、自分のことでもないのに涙を流し、声を震わせるのを見て、ハムレットは激しくこころを動かされ、父に復讐を誓ったくせに、なにひとつ行動できない自分を責める。王が手を下したというたしかな証拠を掴むべく、亡霊から聞いた殺害の場面を、王の前で旅の一座に演じさせることを思いつく。
恋わずらい説を捨てきれないポローニアスは、オフィーリアをハムレットに会わせ、その様子を壁掛けの陰から立ち聞きしようとする。そこへ王子が、生きること、死ぬことの疑問を自問しながらやってくるが、オフィーリアに気づくと、突然、彼女に向かって毒を含んだことばを投げつけて、走り去る。これを聞いていた王は、狂気の装いの奥に危険なものを感じとり、イギリスへ貢ぎ物の督促にやるという口実で、やっかい払いをしようと決心する。
王宮の広間は、これから芝居が始まるというので、華やいだ空気に包まれている。ハムレットはいつになく上機嫌で、オフィーリアをからかったりする。芝居の内容は、ハムレットがあらかじめ指図しておいたものだ。王殺害の場面になると、王はうろたえ、席から立ち上がり、恐れおののいてその場を去る。証拠を掴んだハムレットは、お祭り気分で歌まで歌い、今ならどんな残忍なことでもやれると言う。にもかかわらず、王妃に呼ばれて部屋へゆく途中、罪の懺悔をしている王を見かけ、剣まで抜いたのに、祈りの最中ではわざわざ天国へ送り届けるようなものだと、復讐を先延ばしにしてまう。
王妃の居間に入ると、ハムレットは母に向かい、情欲のとりことなって、神のような父を忘れ、見下げはてた男へと走ったことを責め立てるが、壁掛けの奥で物音を聞きつけ、王と勘違いして、ポローニアスを刺し殺す。それを聞いた王は、ハムレットを一刻も早くイギリスへやり、そこで暗殺させようと図る。
父を亡くしたオフィーリアは、正気を失い、歌を歌ったり、取り止めもないことを口走ってばかりいる。父の訃報をうけ、フランスから駆けつけたレアティーズを見ても兄と分からず、たわいなく人々に花を配る妹に、レアティーズは激しく取り乱す。そこへ、イギリスで殺されているはずのハムレットから手紙が届いたので、王はレアティーズを利用して、無傷で帰国したハムレットを葬り去ろうと企てる。ふたりが話している最中に、突然、オフィーリアの溺死が知らされる。
ハムレットは、墓地であたらしい墓穴を掘る墓掘りと話すうち、土から掘り出された昔なじみのヨリックの骸骨を見て、人間のいのちのはかなさを思う。墓は溺死したオフィーリアのものだった。妹の死骸を抱いて大げさに嘆くレアティーズを見て、ハムレットは、何万人の兄よりもオフィーリアを愛していたと叫び、つかみ合いの喧嘩になる。
宮廷に戻り、ハムレットがホレイシオに、船旅でのできごとの一部始終を話していると、レアティーズから剣の試合に誘われる。ハムレットは一瞬、いやな予感がするが、すべては天命と割り切り、試合に出かけ、レアティーズと腕試しを始める。この試合はハムレットを葬るため、王によって仕組まれたものだった。切っ先を丸めてない剣で刺されて、初めて策略に気づき、剣を奪って、レアティーズを刺し返す。そこへ、王妃が苦しみだし、ワインに毒が入っていることを告げて、息絶える。次には、レアティーズが、みずから剣先に塗った猛毒で死ぬはめになった、と告白し、王にこそ罪があると訴えて死ぬ。逆上したハムレットは、剣で王を刺し、毒杯を飲ませ、王を殺すが、すでにからだ中に毒はまわり、口も自由にきけなくなっていた。折しも、ポーランドから凱旋中のノルウェー王子を迎える砲声が聞こえる。ハムレットはホレイシオにあとを託し、フォーティンブラスをデンマーク王に推すと、息を引き取る。ハムレットの遺体が高々とかかげられ、弔砲とどろくなか、劇は終わる。」

以上が「ハムレット」のあらすじでした。

この中で「ハムレットは、墓地であたらしい墓穴を掘る墓掘りと話すうち、土から掘り出された昔なじみのヨリックの骸骨を見て、人間のいのちのはかなさを思う。」とあり、「ドミートリイ」はこの骸骨になった「ヨリック」だと言っているのですね。

「ヨリック」の登場するセリフとしては以下のものがあるようです。

HAMLET. Alas, poor Yorick! . . . Where be your gibes now? your gambols? your songs?
(かわいそうなヨリック!おまえの毒舌はどこへいった?おまえの踊りは、歌は、どこへいった?)
どくろを手にしてハムレットがつぶやく、絵になる場面だ。

HAMLET. Imperious Caesar, dead and turn'd to clay, 
Might stop a hole to keep the wind away.
(かの皇帝シーザーも、死して土に還り、穴をふさいで、風を絶つ、か。)
ハムレットはヨリックのどくろを見て、どんなに偉大な人間も土に還れば、ビア樽の栓になりかねないことを知り、人間のいのちのはかなさを苦々しく茶化した。

面白そうですので、いずれ読んでみたいです。

「ペルホーチン」は黙ってきいていました。

「ミーチャ」もちょっと黙りました。

「それは何という犬だい?」

突然彼は、部屋の隅にいた、目の黒い小さなかわいい狆に気づいて、ぼんやりした口調で店員にたずねました。

「あれは店のワルワーラ奥さまの狆でございます」

店員が答えました。

「奥さまが先ほど連れてらして、店に忘れていかれましたので。返しにまいらねばなりませんのです」

「これと同じような犬を見たことがあったな・・・・連隊で・・・・」

考えこむように「ミーチャ」が言いました。

「ただ、そいつは後肢を折っていたっけ・・・・ピョートル・イリイチ、ついでに君にきいておきたいんだけど、君はこれまでに人の物を盗んだことがある、それとも全然ない?」

「なんて質問をするんです?」

私もここでどうしてそんな質問をするのか彼の意図がわかりません。

「いや、ただなんとなくね。つまり、だれかのポケットからとか、人の物をとかさ? 僕の言うのは公金のことじゃないよ、公金ならだれでもくすねるからね。君だって、もちろん、そりゃ・・・・」

「いい加減にしろよ」

「僕の言っているのは、人の物のことなんだ。文字どおりポケットなり、財布なりからさ、え?」

「一度、母から二十カペイカ銀貨を失敬したことがあるよ。九つのときだったな、テーブルの上にあったやつをね。こっそり取って、猫ばばしちまったんだ」

「それでどうした?」


「どうってことはないさ。三日間あっためといたけど、気がとがめたんで、白状して、返したよ」



2018年3月28日水曜日

727

「ミーチャ」は薄汚れたクロースのかかっている小さなテーブルの前の籐椅子に腰をおろしました。

「ペルホーチン」も向かい側に坐りました。

とたんにシャンパンがあらわれました。

「牡蠣なぞいかがでございましょう、入荷したばかりの極上の牡蠣でございますが」と、店の者がすすめました。

「牡蠣なんぞまっぴらごめんだ、僕は食わんよ、それに何も要らん」

「ペルホーチン」がほとんど敵意を示して食ってかかりました。

「牡蠣なんぞ食ってる暇はないんだ」

「ミーチャ」が言いました。

「それに食欲もないし。ねえ、君」

ふいに彼は感情をこめてつぶやきました。

「こういう無秩序なことは、僕は決して好きじゃなかったんだけどね」

過去形で「好きじゃなかった」となっています、前回の豪遊を繰り返そうとしている「ドミートリイ」はそんなことが好きで再びそうしようとしているのではなく、仕方なくというか、それしか思い浮かばないからそうしているのでしょう。

「だれだって好きなもんですか! 百姓どもにシャンパンを三ダースなんて、これじゃだれでも頭にきますよ」

はじめはシャンパンを四ダースだったはずですが、三ダースになっているのは、「ペルホーチン」がそうしたのでしょう。

「僕の言うのはそのことじゃないんだ。僕はもっと高い秩序のことを言ってるんですよ。その秩序が僕にはないんだ、もっと高い秩序が・・・・でも・・・・すべて終りさ、べつに嘆き悲しむことはない。手遅れだよ、勝手にしろってとこさ! 僕の一生が無秩序だったんがから、ここらで秩序を立てなけりゃ。これじゃ語呂合せかな、え?」

「語呂合せ」かどうかはわかりませんが、「ドミートリイ」は自分には「もっと高い秩序」がないと言っています、これは倫理観ということだと思います。

「うわごとですよ、語呂合せじゃない」

「この世の神に栄えあれ、
わが内なる神に栄えあれ!」

この詩はいつだったか僕の心からほとばしりでたんですよ。これは詩じゃなく、涙なんだ・・・・僕自身が作ったんだけど・・・・と言っても、二等大尉の顎ひげをつかんで引きずりまわした、あのときじゃないですよ・・・・」

「どうして突然あの男のことを?」

「どうして突然あの男のことを、だって? 下らない! 何もかもやがて終り、何もかもが帳消しになるんだ。一線を踏みこえりゃ、それでけりがつくんだから」

彼はこれからモークロエに行って、「グルーシェニカ」とポーランド人の将校の門出を祝いどんちゃん騒ぎして、自分はもう死ぬという覚悟ですね。

「本当にあのピストルが目にちらつくな」

「ピストルだって下らないことさ! 飲みたまえよ、妄想にふけらずにさ。僕は人生を愛している、愛しすぎたほどなんだ。あまり愛しすぎて、浅ましいくらいさ。もうたくさんだ! 人生のために、君、人生のために飲もうや、人生のために乾杯! なぜ僕は自分に満足していられるんだろう? 僕は卑劣な人間だけれど、そんな自分に満足しているんですよ。自分が卑劣な人間であることに苦しんではいるが、それでも自分に満足しているんだ。僕は神の創造を祝福するし、今すぐにでも神とその創造を祝福するつもりではいるけれど、でも・・・・とにかく悪臭を放つ一匹の虫けらをひねりつぶす必要があるんだ。そいつがその辺を這いまわって、他人の生活を台なしにしないようにね・・・・さ、君、人生のために飲もう! 人生より尊いものが、ありうるだろうか? あるもんか、何一つありゃしないよ! 人生のために、そして女王の中の女王のために乾杯」

この発言の中の「・・・・とにかく悪臭を放つ一匹の虫けらをひねりつぶす必要があるんだ。そいつがその辺を這いまわって、他人の生活を台なしにしないようにね・・・・」の「一匹の虫けら」とは何でしょうか、「フョードル」のことを言っているようにも思えますが、そうではなく自分の中のカラマーゾフの血のことを言っているのだと思います。


「人生のために乾杯、そして君の女王のためにも」



2018年3月27日火曜日

726

「ミーチャ」はあれこれ指図しながら、せわしげに動きまわりはじめましたが、口のきき方も指図の仕方も順序立っておらず、なにか異様で、まとまりがありませんでした。

何か言いかけては、しめくくりを忘れてしまうのです。

「ペルホーチン」は一役買って手助けしてやる必要を認めました。

彼は本当にいい人ですね。

「四百ルーブル分だぞ、四百ルーブルより少なくせんようにな、あのときとそっくり同じにしろよ」

「ミーチャ」が命じていました。

「シャンパンは四ダース、一本たりと少なくするな」

「なぜそんなに必要なんです、何にするんですか? おい、待て!」

「ペルホーチン」は叫びました。

「これは何の箱だ? 何が入ってる? まさかこれで四百ルーブルじゃあるまいな?」

忙しそうに立ち働いていた店員たちが、すぐさま甘たるい口調で、この最初の箱にはシャンパン半ダースと、前菜のうち《まずさしあたり必要ないっさいの品》、キャンディ、ヌガーなどが入っているだけだと、説明しました。

しかし、主な《食料》はこの前のときと同様、今すぐ別の馬車に積みこんで、やはり三頭立てで発送し、刻限までには届ける、「ドミートリイさまより、せいぜい一時間あとには現地に到着するはずです」ということでした。

「一時間より遅くするなよ。遅くとも一時間以内だぞ。それからゼリーとヌガーはなるべくたくさん詰めておいてくれ。あそこの娘っ子たちが好きだから」

「ミーチャ」は熱心に言い張りました。

「ヌガーは、まあいいとしても、シャンパン四ダースなんてどうするんです? 一ダースで十分なのに」

「ペルホーチン」はもはや腹を立てているにひとしい状態でした。

彼は値段をかけ合いはじめ、明細を要求して、おとなしく引き下がろうとはしませんでした。

それでも、彼が救ったのは全部で百ルーブルにすぎませんでした。

全商品で三百ルーブル分をこえぬということで、話がまとまりました。

「えい、勝手になさい!」

突然、思い直したかのように、「ペルホーチン」が叫びました。

「僕に何の関係がある? どうせ、ただで稼いだのなら、せいぜい撒き散らすといいや!」

「まあ、こっちへ来いや、倹約家さん、こっちへ、腹を立てずにさ」

「ミーチャ」は店の奥部屋に彼をひっぱって行きました。

「今すぐここへ一壜運ばせるから、一杯やろうじゃないか、ええ、ピョートル・イリイチ。いっしょに行かないか。だって、君は実に感じのいい人だものな。こういう人が僕は大好きなんだ」


また、誘っていますね。


2018年3月26日月曜日

725

あのとき、彼は「グルーシェニカ」といっしょにモークロエへ繰りだし、『その一夜と次の一日とでいっぺんに三千ルーブルを使いはたし、一文なしの丸裸で豪遊から戻ってきた』と、後日、町じゅうで噂したものでした。

ここで語り手はこの町の誰かになって町の噂話を共有しています。

あのとき、彼はたまたまこの町に流れてきていたジプシーの一族を総上げにし、その連中が酔払った彼から二日の間に見境なしに金を巻きあげ、高価なぶどう酒を見境なしに飲みまくったのです。

町の人たちは、モークロエで彼が粗野な百姓たちにシャンパンを飲ませたり、田舎娘や百姓女にキャンディだのストラスブール・ピローグだのを振舞ったりしたことを話しては、「ドミートリイ」を笑いものにしました。

また町の、特に飲屋では、その当時の「ミーチャ」自身のあけひろげな、人前かまわぬ打明け話も、やはり嘲笑の種でした(と言っても、もちろん、面と向って笑ったわけではない。彼の目の前で笑うのはいささか危険だったからだ)。

つまり、そんな《気違い沙汰》のお礼として彼が「グルーシェニカ」から得たものと言えば、《かわいい足にキスさせてもらっただけで、それ以上は何も許してもらえなかった》ということだ。

なんだ、そうだったのですね。

鈴をいくつもつけた三頭立て(トロイカ)が用意され、御者の「アンドレイ」が「ミーチャ」を待っているのが、目に入りました。

店の中では品物を納めた一つの箱をほとんどすっかり《まとめ》終り、あとはただ「ドミートリイ」の現われるのを待って、釘を打ち、荷馬車に積みこむばかりになっていました。

「ペルホーチン」はびっくりしました。

「いったいどこからトロイカなんぞ調達したんだい?」

「君のところへ駆けつける途中、このアンドレイに出会ったもんで、まっすぐこの店へつけるように言いつけといたんですよ。何も時間をむだにすることはないしね! この前はチモフェイの馬車で行ったんだけど、チモフェイは僕より一足先に今ごろ、ほいさっさと、さる魔法使のお姫さまを乗せて走ってまさあね。おい、アンドレイ、だいぶ遅れをとるかな?」

「ドミートリイ」は「フェーニャ」の家にいるときにすでに、モークロエでどんちゃん騒ぎすることを決心していたのでしたよね。

「せいぜいあっしらより一時間早く着くぐらいのもんでしょう。それもむりかな。まあ一時間がいいところですね!」

「アンドレイ」が急いで答えました。

「チモフェイの馬車はあっしが支度してやったんだし、奴さんの手綱さばきもわかってますからね。こちとら、奴さんとは腕が違いまさあ、ドミートリイの旦那、あっしに敵うもんですか。一時間早くなんぞ着かせませんや!」

まだ、古顔の馭者ではなく、半外套を着て、ラシャの百姓外套を左腕にかかえた赤毛の、瘦せぎすの若者「アンドレイ」が、むきになってさえぎりました。

「一時間遅れをとるだけですんだら、酒手に五十ルーブルはずむぞ」

「一時間なら請け合いまさあ、ドミートリイの旦那、なに、一時間といわず、三十分も先に着かせやしませんから!」


「アンドレイ」はやけに自信を持って一時間でもどうかと言っていますが、また三十分も先にというのはちょっと言い過ぎではないでしょうか。


2018年3月25日日曜日

724

「ミーシャ」が両替してもらった札束を手に大急ぎで入ってきて、プロトニコフの店では《みんながてんてこ舞い》で、酒壜たの、魚だの、お茶だのをひっぱりだしているから、すぐにも全部用意できるだろう、と報告しました。

「ミーチャ」は十ルーブル札を一枚つかんで、「ペルホーチン」にさしだし、もう一枚の十ルーブル札を「ミーシャ」に投げてやりました。

何度も言いますが、十ルーブルは一万円です。

「いけません!」

「ペルホーチン」が叫びました。

「わたしの家でそれは困ります。それに、わるく甘やかすことになりますしね。お金をおしまいなさい、ほら、ここに入れて。何もお金を粗末にすることはないでしょうに? 明日になりゃ重宝するんですから。いずれわたしのところへ十ルーブル借りにくることもあるでしょうしね。どうしてズボンの脇ポケットになんぞ全部突っこむんです? ええ、失くしますよ!」

「ペルホーチン」がお金を「ほら、ここに入れて」と言っているのですが、どこのことでしょうか、すぐあとで先ほど書いた紙片を納めていた「チョッキのポケット」が出てくるのですが、「チョッキのポケット」は小さすぎますので、上着に大きなポケットが付いていて、そこに入れろと言っているのでしょうか、この三千ルーブルは十ルーブル札が三百枚ですからどのくらいの厚さなのでしょう、今の一万円札のピン札より当時の十ルーブル札は分厚いとすると、三~四センチメートルくらいではないでしょうか、「ペルホーチン」の家に来るまでは、ズボンの後ろポケットに入れていました。

「あのね、君、いっしょにモークロエへ行かない?」

「わたしがあんなところへ何しに?」

「じゃ、よかったら今ここで一壜あけようよ。人生のために乾杯しようじゃないか! 僕は飲みたいんだ、何より君と飲みたいんだよ。まだ一度もいっしょに飲んだことがなかったものね、え?」

「そりゃ、飲屋でやるんならかまわないけど。行きましょう、僕も今から行くつもりだったんだから」

「ペルホーチン」は本当にいい奴ですね、「ドミートリイ」もそう思っています。

「飲屋でやってる暇はないんだ。じゃ、プロトニコフの店の、奥の部屋で飲もう。あのね、君に今一つの謎をかけようか」

「どうぞ」

「ミーチャ」はチョッキのポケットから例の紙片を出し、開いて示しました。

そこには、大きなはっきりした書体でこう書いてありました。

『全生涯に対して自己を処刑する。わが一生を処罰する!』

「ほんとに、だれかに言おう。今すぐ行って、話してこよう」

紙片を読むと、「ペルホーチン」は言いました。

「間に合わないよ、君、さ、行って一杯やろうや、進軍だ!」

プロトニコフの店は、「ペルホーチン」のところからほとんど家一軒へだてたにひとしい町角にありました。

何人かの裕福な商人たちが経営している、この町でいちばん大きな食料品店で、店そのものもきわめて立派でした。

首都のどんな大商店にあるものでも全部置いてありましたし、《エリセーエフ兄弟商会輸入》のぶどう酒から、果物、葉巻、紅茶、砂糖、コーヒーなど、ありとあらゆる食料品が揃っていました。

(275)の「フョードル」のセリフで「エリセーエフ兄弟製造の蜂蜜酒」が出てきていました。

店にはいつも店員が三人控え、配達係の少年が二人とびまわっていました。

この地方は貧しくなって、地主たちも四散し、商業は火の消えたような有様だったにもかかわらず、食料品店だけは相変らず繁昌し、年々よくなる一方でさえありました。

これらの商品には客のとだえることがなかったからです。

店では首を長くして「ミーチャ」を待ち受けていました。


三、四週間前に彼がやはり同じように数百ルーブル分のあらゆる食料品や酒をいっぺんに現金で買いあげてくれたこと(もちろん、付けでは彼になど何一つ売らなかったにちがいないが)は、あまりにも記憶に新ただったし、そのときも今回と同じように百ルーブル札の束がわしづかみにされて、何のためにこんなに多くの食料品や酒などが必要なのかを彼が考えもしなければ考えようともせず、値切りもしないで、やたらに札をばらまいてくれたことも、やはり忘れられませんでした。


2018年3月24日土曜日

723

「酔払っていると思いますか?」

「酔っちゃいないけど、それよりわるいですよ」

「僕は精神的に酔払ってるんですよ、ピョートル・イリイチ、心の酔いどれだ。でも、もういい、たくさんだ・・・・」

「何してるんです、ピストルを装填するんですか?」

「ピストルを装填してるんです」

事実「ミーチャ」は、ピストルのケースを開け、火皿の蓋をはずして、丹念に火薬をつまみ入れて詰めました。

それから弾丸をとり、ピストルにこめる前に、二本の指で蝋燭の上にかざして見ました。

「どうして弾丸なんぞ見てるんです?」

不安な好奇心をおぼえながら、「ペルホーチン」は見守っていました。

「なんとなくね。一つの想像ですよ。もし君がこの弾丸を自分の脳天にぶちこむ気になったとしたら、ピストルを装填する際に、弾丸を見ますか、それとも見ないかな?」

「なぜ見る必要があるんです?」

「自分の脳天に入っていくんだもの、それがどんな代物か見ておくのもおもしろいじゃありませんか・・・・もっとも、たわごとですがね。束の間のたわごと。これで終った」

弾丸をこめ、麻屑をつめて押えたあと、彼は付け加えました。

この当時のピストルの構造は知りませんが、弾丸を麻屑で固定するのですね。

「ピョートル・イリイチ、たわごとですよ。すべて、たわごとなんだ。どれくらい下らぬたわごとか、わかってもらえたらな! さ、それじゃ紙を一枚ください」

「紙ならそこに」

「いや、字を書けるような、すべすべした、きれいな紙がいいな。これでいいや」

そして「ミーチャ」は、テーブルからペンをとり、手早くその紙に二行だけ書くと、紙を四つにたたんで、チョッキのポケットにしまいました。

いったい「ドミートリイ」はこの紙に何と書いたか気になるところですが、たぶんずっと後でわかるでしょう。

ピストルをケースにおさめて、鍵をかけケースを手にかかえました。

そのあと「ペルホーチン」を見つめ、考え深げな長い微笑をうかべました。

「それじゃ行きましょうか」

彼は言いました。

「行くって、どこへ? いや、待ってくださいよ・・・・あなたはどうやら、自分の脳天にぶちこむつもりですね、弾丸を?」

不安の色を見せて「ペルホーチン」が言いました。

「弾丸なんて、たわごとですよ! 僕は生きていたいんだ、人生を愛してるんです! このことは知っておいてほしいな、僕は金髪のポイボスを、その熱い光を愛してるんです・・・・ピョートル・イリイチ、君は身を引くことができる?」

「ポイボス」は「アポロン」のことです。

「身を引くって?」

「道を譲るのさ。愛する人間と、憎らしい人間とに道を譲るんだよ。それも、憎らしい存在まで、愛すべきものに変るようにね、それが道の譲り方ってもんさ! そして、その二人に言うんだ。元気で行けよ、僕のわきを通りぬけて行くがいい、僕は・・・・」

誰が見ても「ドミートリイ」は自殺すると思いますね、そうなると「ペルホーチン」は止めるしかありません。

「あなたは?」

「もういい、行きましょうや」

「ほんとに、だれかに言おう」

「ペルホーチン」は彼を眺めました。

「あなたを行かせないようにしなけりゃ。今ごろモークロエに何しに行くんです?」

「向うに女がいるんですよ、女がね。君の相手はたくさんだ、ピョートル・イリイチ、もう終り!」

「まあ、おききなさい、あなたは野蛮ではあるけど、僕は前々からなんとなく気に入っていたんです・・・・だから心配してるんですよ」


「ありがとう、君。僕が野蛮だと言うんだね。野蛮人、野蛮人か! それだけは僕もくりかえして言いますよ、野蛮人ですとも! あ、ミーシャだ、すっかり忘れてたっけ」


2018年3月23日金曜日

722

「ええ、まったくもう、爺さんだの婆さんだのと・・・・だれかを殺しちまったんですね?」

「仲直りしましたよ。取っ組み合いをしたけど、仲直りしたんです。さる場所でね。仲よく別れましたよ。さるばか者が・・・・そいつは僕を赦してくれたんです・・・・今じゃきっと赦してくれたでしょうよ・・・・もし起き上がってたら、赦してくれなかたでしょうがね」

これは「グリゴーリイ」が頭の中にあっての発言だと思いますが、「ドミートリイ」の依って立つ位置が何かわからなくなってきています、もう自分はあの世に行ってしまっているという発想なのでしょうか。

「ミーチャ」は突然ウィンクしてみせました。

「ただね、いいですか、そんなやつはどうだっていいんですよ、ピョートル・イリイチ、そんなやつはくそくらえだ。いいんです。今は話したくないし!」

「ミーチャ」はきっぱりとはねつけました。

「僕がこんなことを言うのも、あなたはだれにでも好きこのんで突っかかるからですよ・・・・あのときだって些細なことから例の二等大尉とはじめたし・・・・大喧嘩をやらかして、今度はどんちゃん騒ぎに繰りだす-これがあなたの性分なんだ。シャンパン三ダースなんて、そんなにたくさん、どうする気です?」

「ブラーヴォ! それじゃピストルを返してください。ほんとに、時間がないんでね。君とも少し話をしたいところだけど、その暇がないんですよ。それに、そんな必要もないし。話したところで、あとの祭なんだ。あ! 金はどこだ、どこへしまったかな?」

彼は叫んで、あっちこっちのポケットへ手を突っこみにかかりました。

「テーブルの上に置いたでしょうに・・・・自分で・・・・ほら、そこにある。忘れたんですか? まったく、あなたに預けると金も塵か水にひとしいんだから。さ、あなたのピストルです。変だな、さっき五時すぎにはこれを担保に十ルーブル借りたというのに、今は何千もの金を持ってるなんて。二千か三千はあるでしょうが?」

とうとう「ペルホーチン」は「ドミートリイ」にピストルを渡しましたね、危険だと思いますが。

「三千くらいでしょうよ」

金をズボンの脇ポケットに突っこみながら、「ミーチャ」は笑いだしました。

「そんなふうじゃ、失くしますよ。あなたは金鉱でも持ってるんですか?」

「金鉱? 金鉱をね!」

精いっぱいの大声で「ミーチャ」は叫び、笑いころげました。

「ペルホーチンさん、あなたも金鉱志願ですか? だったら、ただ行くだけで、この町のさる貴婦人が即座に三千ルーブルくれますよ。僕ももらったんだけど、その人はそりゃ大の金鉱好きでね! ホフラコワ夫人を知ってるでしょう?」

どうしたんでしょう、「ドミートリイ」はもう嘘だらけになってしまいまた。

「知合いじゃないけど、噂はきいてるし、見たこともあります。ほんとにあの人がその三千ルーブルをくれたんですか? そんなに気前よく?」

「ペルホーチン」は疑わしげな目をしました。

「じゃ明日、太陽が昇ったら、永遠の青年ポイボス(訳注 アポロンの別称で太陽を意味する)が神をたたえ、祝福しながら舞い上がったら、ホフラコワ夫人のところへ行って、三千ルーブルを気前よく僕にくれたかどうか、当人にきいてごらんなさい。確かめてみるといいですよ」

ウィキペディアによると、ポイボスはギリシア神話の神アポローンの別名、あるいは称号で「輝く者」の意と考えられ、「光明神」と訳されるが、正確なところは不明であるとのこと。

「僕はあなた方の関係を知らないから・・・・あなたがそこまで断定的におっしゃるからには、つまりあの人がくれたんでしょう・・・・でも、あなたはその金を手に入れながら、シベリヤへ行く代りに、派手に遊ぶってわけだ・・・・本当にこれからどこへ行くつもりなんです、え?」

「モークロエですよ」

「モークロエ? だってこんな夜中に!」

「何でも持ってたマストリュークも、今じゃ何一つなくなった!」

この「マストリューク」は何かの引用だと思うのですが、ネットで調べてもさっぱりわかりませんでした。

藪から棒に「ミーチャ」が口走りました。

「どうして何一つないんです? そんなに何千もの金を持ちながら、何一つないだなんて?」

「僕の言ってるのは、金のことじゃないんだ。金なんぞくそくらえですよ! 僕の言ってるのは女心のことです。
頼みがたきは女の心
変りやすくて、罪深く(訳注 チュッチェフの詩より)
僕はユリシーズに賛成だな。これは彼の言葉ですがね」

「ユリシーズ」と言えば、ジェイムズ・ジョイスの小説を思い浮かべますが、これは1922年に出版されたものですから違いますね、ということは「ギリシャ神話の英雄オデュッセウスのラテン語名ウリクセス(Ulixes)がルネサンス期にウリッセース(Ulisses)となり、それを英語読みにしたもの。」なのでしょうが、私は知識がありませんので、「僕はユリシーズに賛成だな」という意味がわかりません、ウィキペディアで調べると「オデュッセウスは、ギリシア神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公でもある。ラテン語でUlixes(ウリクセス)あるいはUlysseus (ウリュッセウス)ともいい、これが英語のUlysses(ユリシーズ)の原型になっている。彼はトロイ攻めに参加した他の英雄たちが腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。」とありましたが、やはり彼の意図はわかりません。

「チュッチェフ」の詩は(527)の大審問官の中で「イワン」が別の詩を引用していました。


「あなたの言うことは、さっぱりわからない」


2018年3月22日木曜日

721

「さ、今度は顔を洗いに行きましょう」

「ペルホーチン」がきびしく言いました。

「お金をテーブルに置くなり、ポケットにしまうなりなさい・・・・そう、じゃ行きましょう。それからフロックをぬぐんですね」

そして彼はフロックをぬぐのを手伝いにかかり、突然また叫びました。

「見てごらんなさい、フロックも血だらけじゃないですか!」

「これは・・・・フロックってわけじゃないんです。ただ、この袖口のところがちょっと・・・・この、ハンカチを入れておいたところだけですよ。ポケットから滲みでたんだ。フェーニャのところで、ハンカチの上に坐ったもんだから、血が滲みでたんですね」

ということは、さっきから「ポケット」と言っているのは、ズボンの後ろポケットのことみたいですね。

ふしぎなほどの信頼をこめて、「ミーチャ」はすぐに説明しました。

「ペルホーチン」は眉をひそめて、それをききました。

「魔がさしたんですね。きっとだれかと喧嘩でもしたんでしょうが」

顔や手を洗いにかかりました。

「ペルホーチン」は水差しを持って、水をかけてやりました。

「ミーチャ」はあせっていて、いい加減に石鹸をつけようとしかけました(その手がふるえていたのを、あとになってペルホーチンは思いだした)。

「ペルホーチン」はすぐに、もっと石鹸をたくさんつけてよく洗うよう命じました。

さながらこの瞬間の彼は、「ミーチャ」に対して何か支配力を持ったかのようで、時がたつにつれ、ますますその感が強くなっていきました。

ついでに言っておきますが、この青年は度胸のすわった性格だったのです。

「ごらんなさい、爪の下を洗ってませんよ。さ、今度は顔を洗うんです。ほら、そこのところ、こめかみと、耳のわきと・・・・このシャツで出かける気ですか? いったいどこへ行くんです? 見てごらんなさい、右袖の折返しがすっかり血で汚れてるじゃありませんか」

「そう、血だらけだな」

シャツの折返しを眺めながら、「ミーチャ」が言いました。

「だったら、シャツを取り替えるんですね」

「そんな暇はないんですよ。あ、そうだ、ほら・・・・」

もうタオルで顔や手をぬぐい、フロックを着こみながら、「ミーチャ」がやはり信頼しきった口調でつづけました。

「ここの袖の端を折り込んでしまえば、フロックに隠れて見えませんよ・・・・ほらね!」

「それじゃ今度は話してください、いったいどこでそんなばかな真似をしでかしたんです? だれかと喧嘩でもしたんでしょうが? またあのときみたいに、例の大尉を相手に、殴ったり、ひきずりまわしたりしたんじゃないんですか?」

この退役二等大尉のところには(467)で「アリョーシャ」がお詫び行っていますね。

非難がましく「ペルホーチン」が思いだしました。

「だれをたたきのめしたんです・・・・それとも、ひょっとしたら、殺したんですか?」

「ばかな!」

「ミーチャ」が言い放ちました。

「何がばかなですか?」

「いいんですよ」

「ミーチャ」は言って、ふいに苦笑しました。

「これはね、広場で今、婆さんを轢いちまったんです」

「轢いた? 婆さんを?」

「爺さんだ!」


「ペルホーチン」の顔をひたと見つめ、笑いながら、つんぼにでも話すような大声で、「ミーチャ」は叫びました。