2018年11月30日金曜日

974

「お前はそんなことまですべて、あのとき、あの場で考えぬいたのか?」

おどろきにわれを忘れて、「イワン」は叫びました。

彼はまた怯えたように「スメルジャコフ」を眺めました。

「とんでもない、あんな急いでいる中でそこまで考えられるもんですか? すべて、前もって考えぬいておいたんです」

「じゃ・・・・じゃ、つまり悪魔の助けがあったんだ!」

「イワン」は「悪魔」という言葉にとらわれているようですね。

「イワン」はまた叫びました。

「いや、お前はばかじゃない。俺が考えていたより、ずっと頭がいい・・・・」

彼は明らかに部屋の中を歩きまわるつもりで、席を立ちました。

恐ろしく気が滅入りました。

しかし、テーブルが道をふさぎ、テーブルと壁の間はやっとすりぬけるくらいの余裕しかなかったので、その席で向きを変えただけで、また腰をおろしました。

うまく歩きまわれなかったことが、おそらく突然に苛立たせたのだろうが、彼はほとんど先ほどと同じくらい狂おしく、ふいに叫びだしました。

何と言う情緒不安定でしょうか、感情がそのまま行動にあらわれています。

「おい、お前は不幸な、卑しむべき人間だな! 俺がいまだにまだお前を殺さずにきたのは、明日の法廷で答えさせるためにとっておくんだってことが、お前にはわからないのか。神さまが見ていらっしゃる」

「イワン」は片手を上にあげました。

「ことによると、俺にも罪があるかもしれないし、ことによると俺は本当に、親父が・・・・死んでくれることを、ひそかに望んでいたかもしれない。しかし、誓って言うが、俺にはお前が考えているほどの罪はないし、ことによると、全然お前をそそのかしたことにならぬかもしれないんだぞ! そう、そうだとも、俺はそそのかしたりしなかった! しかし、いずれにせよ、俺は明日、法廷で自分のことを証言する。決心したんだ! 何もかも話すんだ、何もかもな。しかし、お前を連れて出頭するからな! 法廷でお前が俺に関して何を言おうと、どんなことを証言しようと、俺は甘んじて受けるし、お前を恐れたりしない。こっちこそ、何もかも裏付けてやるよ! しかし、お前も法廷で自白しなけりゃいかんぞ! 必ずそうしなけりゃいけない。いっしょに行くんだ! そうするからな!」

「イワン」は荘重に力強くこう言い放ちました。

光かがやくその眼差しだけからも、きっとそうなることは明らかでした。

「あなたはご病気なんですよ。こうして拝見していても、まったく病人ですもの。目はすっかり黄色くなっているし」

「スメルジャコフ」が言いました。

しかし、まったく嘲笑のひびきはなく、むしろ同情するような口調でした。

「いっしょに行くんだ!」

「イワン」はくりかえしました。

「お前が行かなくたって、どうせ俺が一人で自白するからな」

「スメルジャコフ」は考えこむかのように、少し黙りました。

「そんなことには、なりゃしませんよ。あなただって、いらっしゃりはしませんとも」

その根拠は何でしょうか。

やがて彼は有無を言わさぬ口調で断定しました。

「俺の気持が、お前なんぞにわかるか!」


「イワン」はなじるように言いました。


2018年11月29日木曜日

973

語り手は口をつぐみました。

「イワン」は終始、身じろぎもせず、相手から目をそらしもせずに、死のような沈黙に沈んできいていました。

「スメルジャコフ」のほうは、話の最中ごく時たま相手を眺めるだけで、たいていはわきの方を横目でにらんでいました。

話を終えたとき、彼自身も明らかに興奮しており、苦しげに息をついていました。

その顔に汗がうかびました。

それでも、彼が後悔か何かを感じているのかどうか、判断できませんでした。

「だが待てよ」

思いめぐらしながら、「イワン」が話を引きとりました。

「じゃ、あのドアは? 親父がお前だけにドアを開けたとすると、どうしてお前より先にグリゴーリイが、ドアの開いているのを見るはずがあるんだ? だってグリゴーリイはお前より先に見たんだだろう?」

なるほど、そうですね、私は気づきませんでしたが。

注目すべきことに、「イワン」はこの上なく穏やかな声で、まるでまったく別人のような、怒りを少しも含まぬ口調で、こうたずねました。

だから、もしだれかが今ドアを開け、戸口から二人を一瞥したとしても、きっとその人は、二人がテーブルを囲んで、何か興味深い問題でこそあるが、ごくありふれたことを、仲良く話し合っていると思ったにちがいありません。

「あのドアの件や、グリゴーリイが開いているのを見たという件ですが、あれはあの人の気のせいでしかありませんよ」

「スメルジャコフ」はゆがんだ笑いをうかべました。

「はっきり言って、あれは人間じゃなく、頑固な去勢馬も同然ですからね、実際に見たわけじゃなく、見たような気がしただけなのに、もうテコでもあとへ引きませんや。あの人がこれを思いついてくれたのは、わたしらにとっては願ってもない幸運でしたけどね。なぜって、そうなれば間違いなくドミートリイ・フョードロウィチに嫌疑がかかりますからね」

「気のせい」というのも何だか信憑性がないですね、それに世話になった「グリゴーリイ」のことを「あれは人間じゃなく、頑固な去勢馬も同然ですからね」とひどいことを言っていますね、ドアの件については、(817)で検事が「・・・・あなたには隠さずに申しあげますが、グリゴーリイ自身は、あなたがそのドアから逃げだしたにちがいないと固く断言し、証言しているのです。」と言っていました、これには「ドミートリイ」は「嘘」だと反論していますが、また(913)で「グルーシェニカ」が「スメルジャコフ」に会いに言った時の話を「アリョーシャ」にしたのですが、その時に「それにあのグリゴーリイがね、召使のグリゴーリイがドアは開いていたなんて言い張って、たしかに見たと意地になってるんで、とても話にならないわ。あたし、とんで行って、じかに話してみたんだけど、かえって悪態をつく始末ですもの!」と言っていますので、「グリゴーリイ」の主張は本当なのではないかと思いますが。

「おい」

またしても混乱しはじめ、何かを思いめぐらそうと努めるかのように、「イワン」が言いました。

「おい・・・・もっといろいろききたいことがあったんだが、忘れちまったよ・・・・片端から忘れて、混乱しちまうんだ・・・・そうだ! せめてこの一点だけでも教えてくれ。なぜお前は封筒を開けて、その場で床に棄てたりしたんだ? なぜ、あっさり封筒のまま失敬しなかったんだい・・・・さっき話していたとき、俺は気のせいか、お前はこの封筒に関して、そうしなければならなかったみたいに言っていたな・・・・なぜ、そうする必要があったんだ、俺にはわからんよ」

「ああやったのには、それなりの理由があるんです。だって、もし勝手知った、慣れた人間なら、早い話がこのわたしのように、前もってその金を自分で見て、ことによると自分で封筒に金を入れるなり、あるいは封をして上書きするところを自分の目で見るなりした人間であれば、そういう人間が殺したとしたら、どういうわけで殺人のあと、わざわざ封を開けたりしますか。それも、そんな急いでいる場合に、それでなくたって、封筒に間違いなく金が入っていることを、確実に知っているのにですよ? 反対に、たとえばこのわたしのような人間が強盗であれば、まるきり封など開けもせず、そのまま封筒をポケットに突っこんで、一刻も早くずらかるはずです。ところが、ドミートリイ・フョードロウィチとなると、話はまるきり別です。あの方は封筒のことは話にきいて知っているだけで、実物は見たことがない。ですから、たとえば、かりに布団の下からでも見つけたとしたら、本当に金が入っているかどうかを確かめるために、少しも早くその場で封を切るにちがいないんです。しかも、あとで証拠物件になることなぞ、もはや考える余裕もなく、封筒をその場に棄ててしまうはずですよ。なぜって、あの方は代々の貴族で、常習的な泥棒じゃなく、これまで一度として何一つ盗んだことがありませんからね。それに、今度だってあの方が盗む決心をなさったとしても、それはいわば盗みじゃなく、自分の金を取り返しに来ただけなんですから。だって、前々からそのことは町じゅうに触れまわっておられましたし、前からみんなに、乗りこんで行って親父から自分の金を取り返してくると、おおっぴらに自慢していたくらいですからね。わたしは尋問のときにこの考えを検事さんに、はっきり言ったわけじゃなく、むしろ反対に、自分ではわかっていないような顔をして、ちょいと匂わせておいたんです。検事さんが自分で思いついたことで、わたしが教えたわけじゃない、といった按配にね。だからあの検事さんは、わたしのこのヒントに涎を流していたほどですよ・・・・」


たいへんわかりやすい説明ですね、それにしても「スメルジャコフ」はあざとすぎます。


2018年11月28日水曜日

972

「その先はどうってことないですよ! 横になっていると、大旦那さまが叫んだような声がきこえたんです。グリゴーリイはその前に突然起きだして、出て行ったんですが、ふいにわめき声がして、あとはひっそり静かになって、真っ暗闇です。わたしは横になって、待ち受けていましたけど、胸がどきどきして、とても我慢できなくなりましてね。とうとう起きだして、出て行ったんです、見ると左手の、庭に面した窓が開いている、大旦那さまがまだ生きているのかどうか、様子を探りに、さらに一歩左に踏みだしたところ、大旦那さまがせかせか歩きまわって、溜息をついているのが、きこえるじゃありませんか。してみると、生きているってわけだ。えい、と思いましてね。窓に歩みよって、大旦那さまに声をかけたんです。『わたしでございます』すると、『来た、やつが来て、逃げて行きよった!』とおっしゃるんです。つまり、ドミートリイ・フョードロウィチが来たというわけです。『グリゴーリイが殺られた!』『どこです?』わたしが声をひそめてたずねると、『あそこの、隅の方だ』と大旦那さまも声をひそめて、指さすんです。わたしは『ちょっとお待ちになってください』と言って、庭の隅へ探しに行き、塀のわきに倒れているグリゴーリイにぶつかったんです。全身血まみれで、意識を失っていました。してみると、たしかにドミートリイ・フョードロウィチは来たのだ。とたんに、こんな思いが頭にうかんで、わたしはその場で何もかも一挙にけりをつけようと決心したんです。なぜって、グリゴーリイがたとえまだ生きているとしても、意識不明で倒れているのだから、今のうちなら何一つ気づくはずはありませんからね。たった一つの危険は、マルファがふいに目をさますことでした。その一瞬、わたしはそう感じたのですが、もう矢も盾もたまらぬ気持になって、息もつまるほどだったんです。わたしはまた大旦那さまの窓の下に駆け戻って、こう言いました。『あの方がここにいらしてます。アグラフェーナ・アレクサンドロヴナがいらして、戸を開けてくださるようおっしゃってます』すると大旦那さまは子供のように全身をびくりとさせて、『こことはどこだ? どこにいる?』と息を弾ませはしたものの、まだ信用なさらないんです。『あそこに立っておいでです、ドアを開けてください!』とわたしが言っても、窓からわたしを眺めて、半信半疑の様子で、ドアを開けるのを恐れていらっしゃるんです。これは俺をこわがっているんだな、とわたしは思いましてね。こっけいなことに、突然、例のグルーシェニカがいらしたという、窓枠をたたく合図を、旦那の目の前でやってみようという気になったんですよ。ところが、わたしの言葉は信用なさらなかったようなのに、わたしが合図のノックをしたとたん、すぐさまドアを開けに走ったじゃありませんか。ドアが開きました。私は中に入ろうとしかけたんですが、大旦那さまは立ちはだかって、ご自分の身体で通せんぼをしているんです。『あれはどこだ、どこにいる?』わたしを見つめて、ふるえているんですよ。いや、俺をこんなに恐れてるんじゃ、まずいな、と思いました。部屋に入れてもらえないんじゃないか、大声をたてやしないか、あるいはマルファが駆けつけるとか、何事か起りゃしないかと思うと、わたし自身も恐ろしさで足の力が萎えてしまいましてね。そのときはおぼえていませんが、きっと真っ青な顔で大旦那さまの前に立っていたことでしょうよ。わたしはささやきました。『ほら、あそこに、窓の下にいらしてます、ごらんにならなかったんですか?』『それじゃお前が連れてこい、連れてきてくれ』『でも、こわがってらっしゃるんです。叫び声に怯えて、茂みに隠れていらっっしゃるんです。行ってお部屋からご自分で声をかけてあげてくださいまし』大旦那さまは走って、窓のところに行くと、蠟燭を出窓に置いて、『グルーシェニカ、グルーシェニカ、そこにいるのかい?』と声をかけました。そう叫びながらも、窓から身を乗りだそうとはなさらず、わたしから離れようとしないんです。それというのも、ひどくわたしを恐れはじめていらしたので、その恐怖心から、わたしのそばを離れる勇気が出ないんですよ。わたしは窓に歩みよって、身体をずいと乗りだすと、『ほら、いらっしゃるじゃありませんか、茂みのところに。笑ってらっしゃいますよ、お見えにならないんですか?』と言いました。大旦那さまはふいにそれを信じて、ぶるぶるふるえだしました。なにしろ、ぞっこん参っておいででしたからね。そして、窓からずっと身を乗りだしたんです。そのとたん、わたしはテーブルの上にあった例の鋳物の文鎮を、おばえておいででしょう、あの一キロ以上もありそうなやつを、あれをひっつかんで、ふりかぶるなり、うしろから脳天めがけて打ちおろしました。悲鳴もあげませんでしたよ。ただ、ふいにがっくり崩れ落ちただけでした。わたしはさらに二度、三度と殴りつけました。三度目に、頭蓋骨を打ち砕いたのを感じましたっけ。大旦那さまは突然、身まみれの顔を上に向けて、仰向けにころがったんです。わたしは自分の身体に血がついていないか、返り血を浴びていないかを調べたあと、文鎮をぬぐって元のところに置き、聖像画のうしろへ行って、封筒から金をぬきとると、封筒は床に棄て、例のバラ色のリボンをそのわきに放りだしました。そして全身をふるわせながら、庭におりたんです。わたしはまっすぐ、あの洞のあるリンゴの木のところへ行きました。あの洞をご存じでしょう。わたしはだいぶ前からあれに目をつけていて、あの中にぼろ布と紙をしまっておいたんです。ずっと前から手筈をととのえておいたんですよ。札束を全部紙にくるんだあと、さらに布で包んで、奥深く突っこんでおきました。だから、この札束は二週間以上あそこに置かれていたんですよ。取りだしたのは、退院後の話です。わたしは自分のベッドに戻って、横になると、恐怖に包まれて考えました。『もしグリゴーリイが本当に殺されてしまったとすると、ひどくまずいことになりかねないぞ。しかし、まだこときれずに、息を吹き返してくれたら、もっけの幸いだ。なぜって、そうなりゃ、あの人がドミートリイ・フョードロウィチの来たことの証人になってくれるだろうし、つまり、あの方が殺して金を待ち去ったことになるからな』そこでわたしは一刻も早くマルファを起すために、不安ともどかしさから呻きだしたのです。婆さんはやっと起きだして、わたしのところへとんでこうようとしかけたのですが、ふいにグリゴーリイがいないのに気づいて、とびだして行きました。やがて庭で婆さんの悲鳴がきこえたんです。まあ、それから夜どおし例の騒ぎがつづいたんですが、わたしはすっかり安心していたんですよ」


この「スメルジャコフ」の発言はこの物語の謎を事細かに明かしています、今まであれやこれやと隠されていたことが、突然明らかになったことに私は驚いています、殺害の状況が詳らかにわかったじゃありませんか、そして「フョードル」が「スメルジャコフ」を恐れたのは、彼に殺されるということが動物的な勘でわかったのかもしれません、また「スメルジャコフ」の言葉より、合図のアクションで身体が動いたというのはありうることのような気がします、それにしても「スメルジャコフ」はあざといですね、この殺人は前から計画しており、「フョードル」もそれに気づいていたのかもしれません。


2018年11月27日火曜日

971

「ああ! それじゃお前は、その後も一生の間、俺を苦しめる肚でいたのか!」

「イワン」は歯ぎしりをしました。

「じゃ、もしあのとき俺が出かけずに、お前を訴えてたら、どうだ!」

「あのときに何を訴えることができたでしょうね? あなたにチェルマーシニャ行きを口説いたことをですか? そんなのは、ばかげた話ですよ。おまけに、あの話のあと、あなたはお出かけになってもよかったし、残っていることもできたはずです。もしあなたが残れば、そのときは何事も起らなかったでしょうよ。わたしだって、あなたが事件を望んでおられないと知れば、何一つ企てなかったでしょうからね。しかし、お出かけになった以上、つまり、わたしを法廷に訴えでるような真似はしないし、三千ルーブルも大目に見てやると、約束してくださったも同然です。それに、あなただってあとになってから、わたしを追求できるはずはないんです。だって、そうなればわたしは法廷で洗いざらい、しゃべるでしょうからね。つまり、わたしが盗んだり、殺したりしたということをじゃなく-そんなことは言うはずがありませんよ、盗みや殺しをあなた自身がわたしにそそのかして、わたしは同意したにすぎないってことをです。だからこそ、わたしにはあなたの同意が必要だったんです。あなたが決してわたしを窮地におとしいれたりできぬようにね。だって、あなたは何の証拠も持っていないけれど、わたしのほうは、あなたがお父さまの死をどんなに渇望してらしたかをばらして、いつでもあなたを窮地に追いこむことができるんですから。ほんの一言で、世間の人はみんなそれを信じて、あなたは一生、恥をさらさなけりゃならないでしょうよ」

「スメルジャコフ」と「イワン」は全然噛み合っていないと言えるでしょう、それでも「スメルジャコフ」は「イワン」の無意識を自分勝手に解釈して、それを絶対に正しいと思い込んでいます、そういう意味で彼は正常ではありません。

「それじゃ、俺がそんなことを望んでいたというのか、望んでいたと?」

「イワン」はまたしても歯ぎしりしました。

「疑う余地なく望んでらしたし、あのときの同意でわたしに例の仕事を許可なさったじゃありませんか」

「スメルジャコフ」が「イワン」が父親の殺害を望んでいたと思い込んでいること、それ自体が基本的な勘違いです、もしそう思うなら、なぜ「イワン」が父親を殺したいのかという理由の説明が必要になるんですが、これが「スメルジャコフ」によれば、遺産の金額のことしかないのです、「イワン」がお金に困っているならともかく、そんなことはありませんし、そんなことで危険を犯すことなどありえないと思いますが。

「スメルジャコフ」はびくともせずに「イワン」を見つめました。

彼はひどく衰弱して、疲れきった低い声で話してはいましたが、心の奥に秘めた何かが彼をあおりたてていました。

明らかに、何らかの意図があるようでした。

「イワン」はそれを予感しました。

「先をつづけろ」

「イワン」は言いました。


「あの夜の話をつづけるんだ」


2018年11月26日月曜日

970

「待っていた、お前のところへ来るのをか?」

「わたしのところへ何しに見えるというんです。お屋敷へ来るのを待ち受けていたんですよ。なぜって、あの夜あの人がやってくることは、わたしにとってもはや疑う余地のないことでしたからね。なにしろ、わたしがいなくなって、何の情報もつかめなくなったために、あの人にしてみれば、どうしてもお得意のわざでみずから塀を乗りこえて、何事でもやってのけざるをえなくなったんですよ」

「しかし、もし来なかったら?」

「そうすれば何事も起らなかったでしょうよ。あの方が来なければ、わたしも決心がつかなかったでしょうし」

「よし、わかった・・・・もっとわかりやすく話せ、急がずにな。大事なのは、何一つ言い落さないってことだ!」

「わたしは、あの方が大旦那さまを殺すのを、待っていたんです。これは確実でしたからね。なぜって、わたしがちゃんとお膳立てをしておいたんですから・・・・二、三日前から・・・・いちばん肝心なのは、例の合図をあの方が知ったことなんです。あの数日の間に積りつもったあの方の猜疑心と憤りからしても、必ず例の合図を使ってお屋敷に入りこむにちがいなかったんです。これは間違いないことでした。わたしはだからあの方を待ち受けていたんですよ」

「待て」

「イワン」がさえぎりました。

「だって、もし兄貴が殺したら、金を奪って、持って行くはずじゃないか。お前だって当然そうかんがえるべきじゃないのか? そのあとで、いったい何がお前の手に入るというんだ? わからんね」

「だってあの方には金は決して見つからなかったはずですよ。金は布団の下にあるというのは、わたしが教えこんだだけの話ですからね。ただ、そんなのは嘘なんです。以前は手文庫の中にしまってありました。そうなんですよ。その後、世界じゅうで大旦那さまが信用していたのはこのわたし一人でしたから、わたしが大旦那さまに、例の金包みを部屋の隅の聖像画のうしろに移すように、吹きこんだんです。なぜって、そこならだれも感づかないでしょうし、特にあわててやってきたときならなおさらのことですからね。だから、金の入った例の封筒は、部屋の隅の聖像画のうしろにしまってあったんです。それに金を布団の下に隠しておくなんて、まったくこっけいじゃありませんか。少なくとも手文庫に入れて鍵くらいかけておきますよ。ところが、この町の人たちは今ではみんな、金が布団の下にあったかのように信じきっているんだ。愚かな判断ですよね。というわけで、ドミートリイ・フョードロウィチが例の殺人をやってのけたとしても、何一つ見つけだせぬまま、人殺しの常としてちょっとした物音さえ恐れて、あわてて逃げだすか、でなけりゃ捕まるにちがいなかったんです。そうしたら、わたしは翌日だろうと、その夜のうちにだろうと、いつでも好きな時に、聖像画のうしろに手を忍ばせて、例の金を盗みだし、何もかもドミートリイ・フョードロウィチに押しかぶせられたはずでした。わたしは常にそう期待していられたんです」

「じゃ、もし兄貴が殺さずに、殴り倒しただけだとしたら?」

「もし殺さなかったら、わたしだってもちろん金を取ることはできなかったでしょうから、金はむなしく眠ってたでしょうね。でも、あの方が殴って気絶させたら、その隙にすばやく金を取って、あとで大旦那さまに、これはドミートリイ・フョードロウィチの仕業にきまっています、あの方が大旦那さまを殴り倒して金を奪ったのです、と報告しようという計画もありましたからね」

「待てよ・・・・こんがらがってきたぞ。とつまり、やはり殺したのはドミートリイで、お前は金を取っただけなのか?」

「スメルジャコフ」も事実だけを先に話せばわかりやすいと思いますが、お金の隠し場所という犯人だけが知りうることを喋ったんですから、これは重要な証言だと思います、「ドミートリイ」はどのように証言しているのでしょうか。

「いいえ、あの方は殺しちゃいません。そりゃ、今でもわたしは、あの方が犯人だと、あなたに言うこともできるわけです・・・・でもいまさらあなたに嘘をつく気はないんですよ、なぜって・・・・なぜって、もし本当にあなたが、お見受けしたとおり、いまだに何一つわかっていらっしゃらずに、ご自分の明白な罪をわたしにかぶせようと演技してらっしゃるわけではないとしても、やはりあなたはすべてに対して罪があるんですからね。だって、あなたは殺人のことも知っていらしたし、わたしに殺人を託して、ご自分はすべてを承知のうえでお発ちになったんですから。だからこそ、あの晩わたしは、この場合、殺人事件の主犯はもっぱらあなたで、わたしはたとえ直接に手を下したにせよ、主犯ではないってことを、面と向ってあなたに証明しようとしたんです。あなたは法律上も殺人犯人にほかならないんですよ!」

「スメルジャコフ」は「ドミートリイ」は実行犯ではないと明言しましたね、しかし主犯が「イワン」であるという彼の説明は納得ができません。

「なぜ、なぜ俺が殺人犯なんだ? ああ!」

「イワン」はついに堪えきれなくなり、自分のことは話の終りにまわそうと言ったことも忘れました。

「またしても、例のチェルマーシニャのことか? 待て。かりに俺のチェルマーシニャ行きをお前が同意と受けとったにしても、なぜ俺の同意が必要だったのか、それを言え。それを今どう説明する?」


「あなたの同意を確かめておけば、お帰りになってから、失くなった三千ルーブルのことであなたは騒ぎを起さないでしょうし、また何らかの理由で、お上がドミートリイ・フョードロウィチの代りにわたしに嫌疑をかけるとか、ドミートリイ・フョードロウィチと共犯だと疑ったりしたとしても、あなたはむしろ反対に、みなからわたしをかばってくださるにちがいありませんからね・・・・そして遺産を手に入れたら、そのあと一生の間あなたはわたしに報いていださるはずですし。なぜって、とにかくわたしのおかげで遺産を手に入れることができたわけですからね。でなけりゃ、もし大旦那さまがアグラフェーナ・アレクサンドロヴナと結婚しちたら、あなたなんぞ洟もひっかけられなかったところですよ」


2018年11月25日日曜日

969

「レモネードなんぞ要らんよ」

彼は言いました。

「俺のことはあとだ。どいうふうにやってのけたのか、坐って話してみろ。すっかり話すんだぞ・・・・」

「せめて外套でもおぬぎになったらいかがです。さもないと蒸れてしまいますよ」

「イワン」は今になってやっと思いいたったかのように、外套をぬぎすて、椅子に坐ったまま、ベンチに放り投げました。

「さあ話せ、話してくれ!」

彼は冷静に戻ったかのようでした。

今から「スメルジャコフ」がすべて(三字の上に傍点)を話すだろうと、確信しきって待ち受けていました。

ここで「すべて(三字の上に傍点)」が話されれば、物語が終わってしまいますね、まずそんなことはないと思いますが。

「どんなふうにやってのけたかってことをですか?」

「スメルジャコフ」が溜息をつきました。

「ごく自然な方法でやってのけたんですよ、あなたの例のあの言葉がきっかけで・・・・」

「俺の言葉はあとにしろ」

「イワン」はふたたびさえぎりましたが、もはや先ほどのようにどなったりせず、しっかりと言葉を発音し、まったく自分を抑えたかのようでした。

「ただ、お前がどんなふうにやってのけたのか、くわしく話すんだぞ。何もかも順序立てて。何一つ忘れるな。くわしくな、何より大事なのは細部の点なんだ。頼むよ」

「あなたがお発ちになって、わたしはそのあと穴蔵へ落ちたんです・・・・」

「発作でか、それとも仮病か?」

「もちろん、仮病ですとも。何もかも芝居ですよ。階段をいちばん下までおりて、静かに横になったんです。そして横になるなり、大声でわめきだしたんですよ。担ぎだされる間、もがきまわっていました」

やはり仮病だったんですね、これでこの点については、はっきりしました。

「ちょっと待て! それじゃずっと、そのあとも、病院でも、仮病をつづけていたのか?」

「とんでもない。翌朝、まだ病院に運ばれる前に、本当の発作が起ったんです。それも、もう数年来、なかったようなはげしい発作でした。二日間というもの、まったく、意識不明だったんです」

「よし、わかった。先をつづけろ」

「わたしは例の寝床に寝かされました、衝立のかげに寝かされることはちゃんとわかっていたんです。なぜって、わたしが病気になると、マルファはいつも寝る前に自分の部屋のあの衝立のかげに、わたしの寝床を作ってくれてましたからね。あの人はわたしが生れたときからいつもやさしくしてくださっていたんです。わたしは夜中に呻きました、ただ低い声でね。ドミートリイ・フョードロウィチの来るのをずっと待ち受けていたんです」

ということは、「スメルジャコフ」が寝かされていたのは、「マルファ」の部屋、つまりこれは夫婦の部屋ということでしょうか、その一隅を衝立で仕切って「スメルジャコフ」の寝床にしたということですね。


(953)に「グリゴーリイの妻マルファは、イワンの質問に対して、スメルジャコフが夜どおし衝立一つへだてた、《わたしどもの寝床から三歩と離れぬ》ところで寝ていたことや(訳注 前出の個所では隣の小部屋にスメルジャコフが寝かされたことになっていたが、このあと第七章のスメルジャコフの告白から考えても、同じ部屋の衝立の奥に寝かされていたと解釈するほうがよいだろう)、彼女自身ぐっすり眠ってはいたものの、隣で「スメルジャコフ」が呻くのをきいて、何度も目をさましたことを、はっきりと述べました。」とあり、普段「スメルジャコフ」は離れの、「グリゴーリイ」と「マルファ」の部屋に隣合った小部屋で寝起きしているのですね、またこれも(953)に書きましたが、「『小部屋』については、(575)で「病人は離れの、グリゴーリイとマルファの部屋に隣合った小部屋に寝かされました。」、(714)の「癲癇に倒れたスメルジャコフは、隣の小部屋で身動きもせずに寝ていました。」、(781)の「目ざめを促したのは、隣の小部屋に意識不明のまま寝ているスメルジャコフの、恐ろしい癲癇の悲鳴でした。」と「寝ぼけまなこで跳ね起きると、彼女はほとんど夢中でスメルジャコフの小部屋にとんで行きました。」、(782)の「灯をつけて見ると、スメルジャコフはいっこうに発作の鎮まる様子もなく、自分の小部屋でもがいており、目をひきつらせ、唇から泡が流れていました。」、つまり「スメルジャコフ」の寝かされた場所は前に訳注で言われていたとおり作者の間違いですね、ただ訳注には「このあと第七章のスメルジャコフの告白から考えても・・・・」と書かれていますが、このことは「七 二度目のスメルジャコフ訪問」ではなく「八 スメルジャコフとの三度目の、そして最後の対面」で書かれていますね、また、「わたしは夜中に呻きました、ただ低い声でね。」というのは、「ドミートリイ」の来やしないかと聞き耳を立てていたのですね。


2018年11月24日土曜日

968

「どうです!」

彼は低い声で言いました。

「何だ?」

「イワン」がふるえながら言いました。

「ごらんになってください」

やはり低い声で「スメルジャコフ」が言いました。

「イワン」はテーブルに歩みより、紙包みに手をかけて、ほどこうとしかけましたが、ふいに何かいまわしい恐ろしい毒蛇にても触れたかのように、指を引っこめました。

「指がふるえてますね、痙攣していますよ」

「スメルジャコフ」がすっぱぬき、あわてずに自分で紙包みをひろげました。

包み紙の下は、虹色の百ルーブル札の束が三つであることがわかりました。

一応ですが、ここがこの長い物語のクライマックスと言えるのではないでしょうか。

「全部ここにあります。数えなくとも、三千ルーブルそっくりありますよ。お納めになってください」

札束を顎でしゃくって、彼は「イワン」にすすめました。

「イワン」はへたへたと椅子に腰をおろしました。

白布のように青ざめていました。

「脅かすじゃないか・・・・そんな靴下なんぞで・・・・」

なにか異様な笑いをうかべながら、彼は言いました。

「ほんとに、ほんとに今までご存じなかったんですか?」

「スメルジャコフ」がもう一度たずねました。

「ああ、知らなかった。ドミートリイだとばかり思っていたんだ。兄さん! 兄さん! ああ!」

彼はだしぬけに両手で頭をかかえました。

「おい、お前一人で殺したのか? 兄の手を借りずにか、それとも兄といっしょか?」

「あなたといっしょにやっただけです。あなたといっしょに殺したんですよ。ドミートリイさまは本当に無実なんです」

「わかった、わかった・・・・俺のことはあとだ。どうしてこんなに震えるんだろう・・・・言葉が出てきやしない」

「あのころはいつも大胆で、『すべては許される』なんて言ってらしたのに、今になってそんなに怯えるなんて!」

いぶかしげに、「スメルジャコフ」が言いました。

「レモネードでもいかがです、すぐに言いつけますから。気分がさっぱりしますよ。ただ、その前にこれを隠しておかないと」

こう言って彼はまた札束を顎で示しました。

彼は、「マリヤ」にレモネードを作らせて届けさせようと、立って戸口から声をかけに動こうとしかけましたが、彼女に札束を見られぬよう、金を覆いかくすものを探しにかかり、最初ハンカチを取りだしかけたものの、ハンカチがまたしてもすっかり洟で汚れていることがわかったため、部屋に入るなり「イワン」が目にとめた、たった一冊だけテーブルの上にのっている黄色い本をとりました。

(964)の「テーブルの上に黄色い表紙の分厚な本がのっていましたが、スメルジャコフはその本を読んでいたわけではなく、坐って何もせずにいたようでした。」の黄色い本ですね。

本の表題は『われらの聖者イサク・シーリン神父の言葉』(訳注 イサク・シーリンは七世紀の隠遁者。この書は老僕グリゴーリイが愛読した。第三編の一参照)とありました。

(290)の「グリゴーリイはどこからか《われらが神の体得者イサク・シーリン神父》(訳注 七世紀の隠遁者)の箴言・説教集を手に入れてきて、何年も根気よく読みつづけ、そこに書いてあることはほとんど何一つわかりませんでしたが、たぶんそれだからこそこの本をいちばん大切にし、愛読したのにちがいありませんでした。」という部分で、黄色い本とは書かれていませんでした。


「イワン」はいち早く表題を機械的に読みとっていました。


2018年11月23日金曜日

967

「イワン」はなおも相手を眺めていました。

舌がしびれてしまったかのようでした。

ああ、ワーニカはピーテルに行っちゃった、
あたしは彼を待ったりしない!

突然、頭の中であの歌の文句がひびきました。

前にも出たこの歌ですが、たまたま亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟4」(光文社古典新訳文庫)の該当部分を見ると以下のようになっていました。

「ああ、イワンは都(ピーテル)に行きました
わたし、あの人あきらめます!」

この訳では「ワーニカ」ではなく直接「イワン」になっていますね。

「おい、お前が夢じゃないかと、俺は心配なんだ。俺の前にこうして坐っているお前は、幻じゃないのか?」

もう「イワン」は完全に頭がおかしくなっていますね。

彼はたどたどしく言いました。

「わたしたち二人のほか、ここには幻なんぞいやしませんよ。それともう一人、第三の存在とね。疑いもなく、それは今ここにいます。その第三の存在はわたしたち二人の間にいますよ」

怖いですね、鳥肌が立ちます。

「だれだ、それは? だれがいるんだ? 何者だ、第三の存在とは?」

あたりを眺めまわし、その何者かを探して急いで隅々を見わたしながら、「イワン」は怯えきって叫びました。

「第三の存在とは、神ですよ。神さまです。神さまが今わたしたちのそばにいるんです。ただ、探してもだめですよ、見つかりゃしません」

「お前が殺したなんて、嘘だ!」

「イワン」は気違いのようにわめきました。

「お前は気が狂ったのか、でなけりゃこの前みたいに、俺をからかってやがるんだ!」

「スメルジャコフ」は先ほどと同じように、少しも怯えた様子はなく、なおも探るように相手を見守っていました。

彼はいまだになお自己の猜疑心に打ち克つことがどうしてもできず、「イワン」が《すべてを知って》いながら、《彼一人に罪をかぶせる》ために、演技しているような気がしてなりませんでした。

「ちょっとお待ちくださいまし」

ついに彼は弱々しい声でこう言うと、突然テーブルの下から左足をぬいて、ズボンをたくしあげにかかりました。

その足は白い長靴下に包まれ、短靴をはいていました。

「スメルジャコフ」は落ちつきはらって、靴下留めをはずし、長靴下の中に深々と指をさし入れました。

「イワン」はその様子を眺め、突然ひきつけるような恐怖にふるえだしました。

「気違いめ!」

彼はわめくなり、すばやく席を立って、うしろにとびすさったため、壁に背をぶつけ、そのまま全身を糸のように伸ばして壁に貼りついたようになりました。

気も狂うほどの恐怖にかられて、彼は「スメルジャコフ」を見つめていました。

相手は彼のそんな怯えにもいっこうたじろがず、指で何かをつかんで引きだそうと努めるかのように、なおも靴下の中を探しつづけていました。

そしてついに、つかんで、引きだしにかかりました。

「イワン」は、それが何かの書類か、紙包みらしいのを見てとりました。


「スメルジャコフ」はすっかり引きだすと、テーブルの上に置きました。


2018年11月22日木曜日

966

「わかりませんか?」

非難するように、「スメルジャコフ」が間延びした口調で言いました。

「賢い人がこんな喜劇を自作自演するなんて、もの好きなこった!」

「イワン」は無言で相手を眺めました。

以前の召使が彼に対して今用いた、かつてないほどまったく横柄な、思いもかけぬ口調だけをとっても、異常なことでした。

この前のときでさえ、こんな口調はありませんでした。

「あなたは何も心配なさることはないと、そう申しあげているんですよ。わたしは何一つあなたに不利な証言はしませんし、証拠もありませんからね。おや、手がふるえていますね。どうして指をそんなにひきつらせているんです? 家へお帰りなさいまし。殺したのはあなたじゃない(十二字の上に傍点)んですから」

「イワン」はびくりとふるえました。

「アリョーシャ」の言葉が思いだされました。

(945)で「アリョーシャ」の言った「お父さんを殺したのは、あなたじゃ(五字の上に傍点)ありません」のことですね。

「俺じゃないことくらい、わかってる・・・・」

彼はまわらぬ舌で言いかけました。

「わかっているんですか?」

すかさずまた「スメルジャコフ」が言いました。

「イワン」は跳ね起き、相手の肩をつかみました。

「すっかり言ってみろ、毒虫め! すっかり言え!」

「スメルジャコフ」は少しも怯えませんでした。

狂気のような憎しみをこめた目を、相手に釘付けにしただけでした。

「でしたら言いますが、殺したのはあなたですよ」

「スメルジャコフ」はさっき「・・・・殺したのはあなたじゃない(十二字の上に傍点)んですから」と言ったばかりですが、もう正反対のことを言っています、統一してくれないとわかりにくいですね。

怒りをこめて、彼はささやきました。

「イワン」は何かに思い当りでもしたように、崩れるように椅子に坐りこみました。

彼は憎々しげな薄笑いをうかべました。

「またあのときのことを言ってるんだな? この前と同じことを蒸し返す気か?」

「この前もわたしの前にお立ちになって、何もかも理解なさいましたけど、今もまたわかっておられるんですね」

「お前が気違いだってことだけは、わかってるよ」

「よくまあ飽きないもんですね! 差向いでこうして坐っていながら、なんでお互いに欺し合いをしたり、喜劇を演じたりすることがあるんです? それとも相変らずわたし一人に罪をかぶせたいんですか、面と向ってまで? あなたが殺したくせに。あなたが主犯じゃありませんか。わたしはただの共犯者にすぎませんよ。わたしは忠僕リシャール(訳注 フランスの騎士物語をもとにした『王子ボーヴァ』の中の忠僕)で、あなたのお言葉どおりに、あれを実行したまでです」

「実行した? じゃ、ほんとにお前が殺したのか?」

「イワン」はぞっとしました。

脳の中で何かが動揺したかのようで、全身がぞくぞく小刻みにふるえだしました。

今度は「スメルジャコフ」のほうがびっくりして相手を見つめていました。

どうやら、「イワン」の恐怖の真剣さにやっとショックを受けたようでした。

「それじゃ本当に何もご存じなかったので?」

この「スメルジャコフ」の驚いた様子、そして先ほどの「・・・・あなたのお言葉どおりに、あれを実行したまでです」という発言は自分が殺したことを認めるものですね、やはり「スメルジャコフ」が実行犯ですね、そしてそれを実行させたのは「イワン」だということですね。


「イワン」の目を見つめて、ゆがんだ薄笑いをうかべながら、彼は信じかねるようにねちっこい口調で言いました。


2018年11月21日水曜日

965

「ほんとに病気なのか?」

「イワン」は立ちどまりました。

「永くは邪魔しないから、外套もぬがずにおくよ。どこへ坐ればいいんだ?」

彼はテーブルの向う端からまわって、椅子をテーブルの方に引きよせ、腰をおろしました。

「なんで黙って、見つめているんだ? 俺は一つだけききたいことがあるから、誓ってもいいが、返事をきかぬうちは帰らないぞ。お前のとこにカテリーナ・イワーノヴナが来ただろう?」

なんだ、そんなことが聞きたかったのか、と言いたくなります、結局は自分に関することですね。

「スメルジャコフ」は相変らずひっそりと「イワン」を見つめたまま、永いこと黙っていましたが、ふいに片手を振って、顔をそむけました。

「どうしたんだ?」

「イワン」は叫びました。

「べつに」

「べつにとは何だ?」

「ええ、お見えになりましたよ、でもあなたにとっては、どうだっていいことじゃありませんか。お帰りになってください」

「いや、帰らん! 言え、いつ来たんんだ?」

「あの人のことなんか、思いだすのも忘れちまいましたよ」

「スメルジャコフ」はさげすむようにせせら笑うと、突然また、顔を「イワン」に向け、ひと月前の対面のときに見せたのとまったく同じ、狂おしいほど憎しみをこめた眼差しで見据えました。

「そういうあなたこそご病気のようですね。すっかりおやつれになって、まるでお顔の色がないじゃありませんか」

彼は「イワン」に言い放ちました。

「俺の身体具合のことなんぞ放っといてくれ。きかれたことにちゃんと答えたらどうだ」

「目が黄色くなってしまいましたよ。白目がすっかり黄色になってしまって。ひどく悩んでおられるんですか?」

彼はさげすむようにせせら笑い、だしぬけに大声で笑いだしました。

「おい、返事をきかんうちは帰らないと言ったはずだぞ!」

恐ろしい苛立ちにかられて「イワン」は叫びました。

「どうして、そんなにしつこくなさるんですか? なぜわたしを苦しめるんです?」

「スメルジャコフ」が苦痛の色を示して言いました。

「えい、畜生! お前になんぞ用はないんだ。質問に答えろ、そうすりゃ帰ってやるよ」

「何もお答えすることはありませんよ!」

また「スメルジャコフ」は目を伏せました。

「念を押しておくが、きっと答えさせてみせるからな!」

「どうして、のべつ心配ばかりなさっているんですか?」

突然「スメルジャコフ」がじっと見つめましたが、その目には軽蔑というより、もはやほとんど嫌悪に近い色がうかんでいました。

「公判がいよいよ明日はじまるからですか? でしたら、あなたにとってはべつに何事も起りゃしませんよ、いい加減に安心なさるんですね! 家に帰って、ゆっくりお寝みなさいまし、何一つ心配は要りませんから」

「お前の言葉は、俺にはわからんよ・・・・俺が明日何を恐れなけりゃいけないというんだ?」

「イワン」はびっくりして言いましたが、突然、本当に何かの恐怖が心に冷気を吹きこみました。


「スメルジャコフ」はそんな彼をしげしげと眺めていました。


2018年11月20日火曜日

964

八 スメルジャコフとの三度目の、そして最後の対面

まだ道半ばで、この日の朝と同じように、身を切るような乾いた風が吹き起り、細かいぱさついた雪がさかんに降りはじめました。

雪は地面に落ちても積ることなく、風に巻き上げられ、間もなく本格的な吹雪になりました。

この町の、「スメルジャコフ」がすんでいるあたりには、ほとんど街燈もありません。

「イワン」は吹雪ににも気づかず、本能的に道を選り分けながら、闇の中を歩いて行きました。

頭痛がし、こめかみの辺がやりきれぬくらいずきずきしました。

両の手首が痙攣しているのを、彼は感じました。

吹雪の夜にこんな体調で外出すること自体が正常ではないと思います、当時天気予報などなく、状況によっては危険なんじゃないでしょうか。

「マリヤ」の家までもう少しということろで、「イワン」は突然たった一人でやってくる酔払いに出会いました。

つぎだらけの外套を着た小柄な百姓で、千鳥足で歩きながら、ぶつくさと毒づいていましたが、ふいに悪態をやめると、酔払いのかすれ声で歌をうたいだしました。

ああ、ワーニカはピーテルに行っちゃった、
あたしは彼を待ったりしない!

この歌の歌詞の「ワーニカ」というのは、(278)で「イワン」の愛称と書かれていた「ワーニャ」の女性形なのでしょうか、いや違いますね、次に「あたしは彼を・・・・」とありますので男性ですね、「チェーホフ」の作品に「ワーニカ」というタイトルの作品があるそうです、また、「ピーテル」を調べると「サンクトペテルブルクの名称は、公式にはこれまで三度変わっており、通称となるとたくさんある。「ピーテル」という通り名は、建都後すぐに現れ、「北方のパルミラ」は、初めは、都市そのものではなく、当時、国を治めていた女帝に奉られたものだった。」とありましたので「ピーテル」は「サンクトペテルブルクですね、あるブログでこんな文章を見つけました、つまり「ワーニカはイヴァン、ピーテルは首都ペテルスブルグのこと。「イヴァン(ワーニカ)が去ったの」。で、あたし(スメルジャコフ)はフョードルを殺害したのだ!」の意である。」と。

しかし、百姓はいつもこの二行目で歌をやめて、まただれかを罵り、それからまた同じ歌をうたいはじめるのでした。

「イワン」はもうだいぶ前から、この百姓のことなぞまだ全然考えてもいないのに、恐ろしい憎しみを感じていましたが、突然この百姓を意識しました。

とたんに百姓の頭を拳で殴りつけてやりたい気持を抑えきれぬほど感じました。

たまたまその瞬間、百姓がひどくよろけて、いきなり「イワン」に力いっぱいぶつかりました。

「イワン」は凶暴に突きとばしました。

(278)に同じようなことが書かれていました、「だが、すでに座席についていたイワンが、無言のまま、いきなり力まかせにマクシーモフの胸を突いたので、相手は二メートルもすっとびました。」、その時も「イワン」は馭者台に跳びのろうとした「マクシーモフ」を突き飛ばしています。

百姓はすっとんで、凍りついた地面に丸太のようにころがり、一度だけ「おお!」と病人のように唸って、ひっそりとなりました。

「イワン」はそばに歩みよりました。

百姓は意識を失って、まったく身動きもせず、仰向けに倒れていました。

『凍死するぞ!』

「イワン」はこう思っただけで、ふたたび「スメルジャコフ」の家をさして歩きだしました。

なんだか、このシーンは「ドミートリイ」が倒れた「グリゴーリイ」を見にいったことを思い出します。

まだ玄関にいるうちに、蝋燭を手にしてドアを開けに走りでてきた「マリヤ」が「パーヴェル・フョードロウィチ(つまり、スメルジャコフ)はお加減がとても悪く、お寝みになっているわけではないが、ほとんど正気と言えぬご様子で、お茶も召しあがろうとせず、片づけるようにおっしゃった、とささやきました。

「で、どうなんだ、暴れたりするのか?」

「イワン」はぞんざいにたずねました。

「とんでもない、反対にまるきりお静かなんでございますよ。ただ、あまり永くお話をなさらないでくださいまし・・・・」

「マリヤ」が頼みました。

「イワン」はドアを開けて、小屋に入りました。

この前のときと同じように暖房がひどくきいていましたが、部屋の模様にはいくらか変化が見られました。

壁のわきにあったベンチの一つが取りのけられ、そのあとにマホガニーに似せた古い大きな革張りのソファが置かれていました。

ソファには、寝床が敷かれ、かなりこざっぱりした枕がのせてありました。

寝床に「スメルジャコフ」が、相変らず例のガウンを着て坐っていました。

テーブルがソファの前に移されたため、部屋の中がひどく狭苦しくなりました。

テーブルの上に黄色い表紙の分厚な本がのっていましたが、「スメルジャコフ」はその本を読んでいたわけではなく、坐って何もせずにいたようでした。

無言の長い眼差しで彼は「イワン」を見つめ、明らかに「イワン」の訪問をいささかもふしぎに思っていない様子でした。

すっかり顔が変り、ひどくやつれて、色が黄ばんでいました。


目は落ちくぼみ、下まぶたが青でした。