2019年1月31日木曜日

1036

「イッポリート」の論告が続きます。

「・・・・ところが違うのです、彼はお守り袋には手を触れなかった。それもどういう口実ででしょうか? 第一の口実は、すでに申したとおり、いざ『あたしはあなたのものよ、どこへでも連れて行って』と言われたときに、駆落ちの費用にあてるためであります。しかし、この第一の理由は被告みずからの言葉によって、第二の理由の前に色あせてしまったのです。彼はこう言いました。この金を身につけている間は、『俺は卑劣漢であっても、泥棒ではない』、なぜなら、侮辱したいいなずけのところへいつでも出かけて行って、欺して着服した金を半分さしだて、いつでもこう言えるからだ。『このとおり、僕は君の金を半分使いこんでしまった。これによって、僕が弱い、不道徳な人間であり、もしそう言いたければ卑劣漢であることを証明したわけだ(わたしはあくまでも被告自身の言葉で語っているのです)、しかし僕は卑劣漢でこそあれ、泥棒じゃない、だってもし泥棒だとしたら、残った半分の金を持ってきたりせず、最初の半分と同じように着服しただろうからね』おどろくべき事実の説明ではありませんか! あのきわめて激しやすい、それでいてあれほどの恥辱を忍んでまで三千ルーブルを受けとる誘惑を拒みきれなかった弱い人間が、ほかならぬその男が、突然、これほどストイックな意志の強さを内に感じて、千ルーブル以上もの金を首にかけて持ち歩き、手をつけようともしなかったというのです! これが、せめて多少なりと、われわれの分析している性格と合致するでしょうか? いいえ、そこでわたしは、もし本当の「ドミートリイ・カラマーゾフ」であれば、たとえ実際にその金をお守り袋に縫いこむ決心をしたとしても、こういう場合どう振舞うかを、みなさんにお話ししたいと思うのです。まず誘惑を最初に感ずるなり、まあ、たとえその金を半分をすでに遊興にあてたときの連れである、新しい恋人をふたたび何かで慰めるためにせよ、彼ならばお守り袋を開けて、そこから、そう、仮に最初の場合だからたった百ルーブルだけとしても、取り分けたにちがいない。なぜなら、ぜひとも半分を、つまり千五百ルーブルを返す理由もないからです。千四百ルーブルでも十分なんだ、どうせ結末は同じなんですから。『俺は卑劣漢ではあっても、泥棒じゃない。なぜってとにかくたとえ千四百ルーブルでも、こうして返したからね。泥棒ならみんな猫ばばして、何も持ってこないだろうさ』と彼は言うでしょう。それからしばらくして、またお守り袋を開け、二枚めの百ルーブル札を、さらに三枚目、四枚目とぬいて、その月末にならぬうちに、ついに最後から二枚目の百ルーブル札をぬきとるにちがいない。百ルーブルだけでも返しに行こう、どうせ同じことだ、というわけです。『俺は卑劣漢ではあっても、泥棒じゃない。二千九百ルーブルは使っちまったけど、とにかく百ルーブル返したからね。泥棒ならこれも返さないだろうさ』ところが、ついにもう最後から二枚目の百ルーブル札も消えてしまうと、いよいよ最後の一枚を眺めて、こう言うにちがいありません。『実際のところ、百ルーブルぽっち返してもはじまらんな、えい、こいつも使っちまえ!』われわれの知っている本当のドミートリイ・カラマーゾフなら、きっとこう振舞ったにちがいないのです! お守り袋に関する伝説は、およそ想像できぬほど、現実と矛盾しているのであります。どんなことでも仮定はできるものですが、これだけは不可能です。しかし、この問題にはいずれまた立ち戻ることにしましょう」

ここで会話部分は切られています、ここでは、「ドミートリイ」が常に持参していた千五百ルーブルを使わなかったことの不自然性が述べられていますが、彼の考え方と「イッポリート」の考え方には大きな食い違いがありますね。


財産をめぐる争いや、父と息子の家庭における関係について、すでに予審で判明しているすべてを順序正しく述べたあと、さらにもう一度、遺産分配の問題でだれがだれをごまかし、だれがどっちに余計に計算したかを、判明している資料から判断することはまったく不可能であるという結論を引きだし、「イッポリート」は、固定観念となって「ミーチャ」の頭にこびりついていたこの三千ルーブルに関して、医学鑑定に言及しました。


2019年1月30日水曜日

1035

まだまだ「イッポリート」の論告の続きです。

「・・・・なぜつづいてそんなことになったか、わたしはまたしても推測にあえて深入りせず、分析を控えます。しかし、そうなったのには、それだけの理由があったのです。ほかならぬ令嬢自身が、永い間秘めてきた憤りの涙にかきくれながら、われわれに申し述べたところによれば、彼女の不注意な、あるいは慎みを欠いたかもしれぬにせよ、やはり高潔で思いやり深い衝動的行為に対して、彼がまず第一に軽蔑の念をいだいたということであります。その令嬢の婚約者たる彼が、だれよりも先に嘲りの笑いをちらとうかべたのであり、それが彼であっただけに令嬢は堪えることができなかったのです。青年がすでに自分を裏切ったことを知りながら(青年が裏切ったのは、今後もう令嬢は彼のどんな行為も、心変りさえも我慢して当然だ、と確信していたからです)、それを承知のうえで、彼女はわざと三千ルーブルを提供し、その際、自分への裏切りに使うようこの金を提供するのだということを、明白すぎるくらいはっきりと相手に理解させたのでした。『どう、これを受けとれる、それほど冷笑的(シニカル)になれるものかしら?』-彼女は無言のまま、探るような裁きの眼差しでこうたずねたのでした。青年は彼女を見つめ、その考えを完全に理解しました(彼自身、さっきあなた方の前で、すべてわかっていたと告白したではありませんか)。そして文句なしにその三千ルーブルを着服して、新しい恋人とたった二日間で使いはたしてしまったのです! いったいどちらを信ずればよいのでしょう? 最初の伝説、つまり、最後の生活費をぽんと与えて、善行の前に頭を垂れた、高潔な心の衝動をか、それとも実に嫌悪すべきメダルの裏側をでしょうか? ふつう人生では両極端の中間に真実を求めねばならないのが常でありますが、この場合は文字どおり違います。何より確かなことは、最初の場合に彼が心底から高潔だったのであり、第二の場合には同じように心底から卑劣だったということであります。これはなぜか? ほかでもありません。彼が広大なカラマーゾフ的天性の持主だからであり-わたしの言いたいのは、まさにこの点なのですが、ありとあらゆる矛盾を併呑して、頭上にひろがる高邁な理想の深淵と、眼下にひらけるきわめて低劣な悪臭ふんぷんたる堕落の深淵とを、両方いっぺんに見つめることでできるからであります。ここで、カラマーゾフ家の家族構成を間近で深く見つめてこられた若き観察者、ラキーチン氏が、先ほど述べられたあの卓抜な思想を思い起していただきたいのです。『あの放埓な奔放な気質にとっては、堕落の低劣さの感覚と、気高い高潔さの感覚とが、ともに同じくらい必要なのである』-まさにこれは真実であります。こうした気質にとっては、この不自然な混合が絶え間なく常に必要とされるのです。二つの深淵です、みなさん、二つの深淵を同時に見ること、これがなければ彼は不幸であり、満足できず、彼の存在は不十分なものとなるのです。彼は広大です、母なるロシアと同じように広大であり、すべてを収容し、すべてと仲よくやってゆけるのであります! ついでですが、陪審員のみなさん、われわれは今例の三千ルーブルに言及しましたので、わたしはあえていささか先走りいたしたいと思います。一つだけ考えていただきたい、つまりこのような性格の彼が三千ルーブルの金を、それもあんな形で、あれほどの恥を、あんな恥辱を、最低の屈辱を忍んで受けとって、いいですか、その日のうちに半分だけ取り分けて、お守り袋に縫いこみ、あらゆる誘惑や極度の困窮にもかかわらず、それからまる一カ月もの間、首にかけて持ち歩く固い意志を持っていられたというのです! 酒場で飲んだくれたときにも、さらにはまた、ライバルである父親の誘惑から恋人を連れて逃げるのに必要な金を、だれからともわからず借りるために、町からとびだす羽目になったときにも、彼は敢然としてこのお守り袋には指一本触れなかったというのです。せめて、あれほど嫉妬をいだいていた老人の誘惑に恋人をさらしておかぬ、それだけのためにも、彼は当然お守り袋を破ったはずではないでしょうか? そして、恋人のそばを離れぬ番人としてわが家にとどまり、彼女がついに『あたしはあなたのものよ』と言ってくれる瞬間を待って、現在の宿命的な状況から、彼女といっしょにとこか少しでも遠くへ高飛びするのが当然だったのではありますまいか? ・・・・」

ここで切ります。

「カテリーナ」は三千ルーブルを「ドミートリイ」に渡したことについて「・・・・わざと三千ルーブルを提供し、その際、自分への裏切りに使うようこの金を提供するのだということを、明白すぎるくらいはっきりと相手に理解させたのでした。」そして「・・・・青年は彼女を見つめ、その考えを完全に理解しました」ということになっています、そして「イッポリート」も「(彼自身、さっきあなた方の前で、すべてわかっていたと告白したではありませんか)」と念を押していますが、それは(1026)で「カタリーナ」の「はっきり申しあげますけれど、あたくしがお金を預けるのは、これを受けとるほど恥知らずかどうか、試しているだけだってことも、そのときその人にはわかったんです。あたくしはその人の目を見つめ、その人はあたくしの目を見つめて、何もかも理解したのです。理解したうえで、受けとったんです。」に対して、「ドミートリイ」が「そのとおりさ、カーチャ!」と叫んだことでしょう、しかしここは本当にそうなのか疑問です。


次に「カラマーゾフ」家の血筋のことに言及して、「ラキーチン」の言葉も引用し、広大な母なるロシアのように、天性的に高潔さと卑劣さの混合が常に必要とされると言っています、そして三千ルーブルの半額を持っていたにもかかわらずこれを使わなかったこと対して「イッポリート」は疑問をいだいているのですが、私の知っている「ドミートリイ」の性格から考えるとこれも納得できるのですが。


2019年1月29日火曜日

1034

再び「イッポリート」の論告の続きです。

「ところで、現代的な一家の父のもとに生れた三人目の息子でありますが」

「イッポリート」はつづけました。

「彼は今、被告席に坐り、われわれの前におります。われわれの前には、彼の数々の武勇伝も、生活も、行為もある。ついに時が来て、すべてが明るみに出、すべてが暴露されたのです。二人の弟の《ヨーロッパ主義》と《民衆の原理》とは対象的に、彼はそれ自体あるがままのロシアを表わしているのです。ああ、しかしロシア全体をではありません、全体ではない、これが全体だとしたらとんでもないことです! が、それでもここにはわがロシアがある。母なるロシアの匂いがし、声がきこえるのです。ああ、彼は直截な人間であります。善と悪とのふしぎな混合物です。文明とシラーの愛好者でありながら、同時に居酒屋で飲んだくれ、酔払いの飲み友達の顎ひげを引きむしるのです。そう、彼とて立派な美しい人間になることもある、だがそれは彼自身が立派な美しい気持でいるときに限られています。また反対に、彼はきわめて高潔な理想に燃え、まさに燃えあがることもある、だがそれもやはり、その理想がひとりでに達成され、棚ぼた式に落ちてきてくれるという条件付きの場合に限られており、何よりも、何一つ支払わずに、ただで手に入ることが必要なのであります。彼は支払うのはひどくきらいな代り、もらうのは大好きときている、しかも万事につけてそうなのです。そう、彼にありとあらゆる幸福を(ぜひとも、ありとあらゆる幸福でなければだめです、少しでも値切ったら手をうちませんよ)授け、彼の性質をどんな面でも妨げずにいてごらんなさい、そうすれば彼だって立派な美しい人間になれることを証明してみせるでしょう。彼は貪欲ではない、そうです、それでも、彼に金をなるべく多く、できるだけたくさん与えてごらんになるといい、そうすれば彼がその卑しむべき金属(訳注 金のこと。ゴンチャロフが『平凡物語』ではじめてこの形容を用いた)をどれほど見くだして、どれほど大らかに、たった一晩の無礼講の酒盛りで撒きちらしてしまうか、おわかりになるでしょう。また金をもらえなくとも、彼はたって必要なときにはどうやって手に入れてみせるか、ごらんにいれるでしょう。だが、その話はあとにして、順序を追って話をすすめることにします。何よりもまず、われわれの前に、親に見棄てられたかわいそうな男の子が登場します。先ほど、この町の尊敬すべき立派な、ただ残念ながらご出身は外国の市民がおっしゃった言葉を借りるなら、この子は《長靴もはかずに裏庭に》いたのであります! もう一度くりかえしておきますが、わたしは被告の弁護にかけては人後に落ちぬものであります! わたしは検事であり、弁護人でもあるのです。そうです、われわれとて人間です、血も涙もあります、幼年時代や生家の最初の印象が性格にどのような影響を与えるか、われわれとて理解できるのです。しかし、やがてその男の子も青年になりました。今や若者であり、将校であります。乱暴な振舞いや決闘沙汰がたたって彼は、豊かなロシアの遠い国境の町の一つに流されました。その地で彼は勤務し、その地で派手に遊びました。そしてもちろん、船が大きければ航海も大きいわけで、資金が必要です。何よりもまず資本が必要となり、永い争いの末に彼は父と最後の六千ルーブルで手を打ち、その金が送られたのです。ご記憶ねがいたいのは、彼が一札を入れたという点であります。残額はほとんど放棄し、その六千ルーブルで遺産をめぐる父との争いを打ち切るという旨の手紙が、存在しているのです。このころ、気高い性格と教養をそなえた若い令嬢と彼との出会いが、生れたのでした、ああ、わたしはあえて詳細をくりかえすことはいたしますまい、たった今みなさんがおききになったとおりであります。そこには名誉や、自己犠牲の問題があるので、わたしは口をとざします。軽薄で放埓ではありながら、真の高潔さの前に、高尚な思想の前に頭を垂れた一人の青年の姿が、われわれの前にきわめて共感をこめてちらと見えたはずです。だが、それにつづいて突然、同じこの法廷で、まったく思いがっけなくメダルの裏面が示されたのです。・・・・」

まだまだ続きますのでここで切ります。

ここからの「イッポリート」の論告は圧巻です、まず①「イワン」を《ヨーロッパ主義》、②「アリョーシャ」を《民衆の原理》、③「ドミートリイ」を「善悪が同居するあるがままのロシア」と批判的にまとめています、「文明とシラーの愛好者でありながら」というのは、「アリョーシャ」が「イッポリート」に語ったのかもしれません、(311)で「ドミートリイ」は「アリョーシャ」に「お前だけは笑わないだろうな。俺はこの告白を・・・シラーの歓喜の歌で・・・はじめたいんだ。」と話していました、「酔払いの飲み友達の顎ひげを引きむしる」というのは二等大尉の「スネギリョフ」のことですが「飲み友達」とは言えないのでは。

「ゴンチャロフ」は、「イワン・アレクサンドロヴィチ・ゴンチャロフ(1812年6月18日〔ユリウス暦6月6日〕 - 1891年9月27日〔ユリウス暦9月15日〕)は、ロシアの作家。代表作は小説『オブローモフ』。1812年にシンビルスク(現在のウリヤノフスク)に生まれる。父親は裕福な穀物商であった。1834年にモスクワ大学を卒業した後、30年間、政府の役人として働いた。1834年、貴族層と商人層との対立を描いた最初の小説『平凡な話(ロシア語版、英語版)』が出版される。1848年、自然主義的な心理描写『イワン・サヴィチ・ポジャブリン』を発表。1852年から1855年まで、イギリス・アフリカ・日本に旅し(1853年に長崎に来航)、プチャーチン提督の秘書官としてシベリアを経由して帰国。1858年にその紀行文『フリゲート艦パルラダ号』を刊行。(抄訳は『ゴンチャローフ日本渡航記』講談社学術文庫)1859年、ペテルブルクに暮らす無為徒食の独身貴族、余計者のオブローモフの生涯を描いた小説『オブローモフ』を発表。フョードル・ドストエフスキーに高く評価されるなど、大きな反響を呼び、代表作となった。1869年、謎の女に恋した3人の男を描いた最後の小説『断崖』を発表。晩年、多くの短編・批評・随筆などを書いたが、それらの多くは死後1919年に刊行された。1891年にペテルブルクで肺炎を患い、死去。生涯独身であった。」とのこと。

『平凡物語』については、ネットで誰かがこう書いていました、「永久不変の恋愛を信ずる者も、信じない者も同じことをするのだ。ただそれに気がつかなかったり、気がついても認めようとしないまでだ。われわれはそれよりもっと高尚で、人間ではなくて天使です、などと言うのは、愚劣なことだ!(上巻190ページ)田舎の青年貴族アレクサンドル・アドゥーエフは、栄光を求めてペテルブルグへ赴く。彼が頼ったのは、冷静で打算的な叔父ピョートルであった。ペテルブルグでアレクサンドルはさまざまな挫折と絶望を味わい、ピョートルはいちいちそれに訓戒を加える。経験と叔父との議論とを通して、ロマンチストだったアレクサンドルはゆっくりと変わっていく。ついに復刊とあいなったゴンチャロフの処女長編。60年近く前の訳書の復刊であるが、翻訳は極めて読みやすく、光文社の新訳文庫で出てても不思議ではないくらい。解説の分量が少ないのがやや物足りないところだが。アレクサンドルが章ごとにいろいろと経験をし、それについて叔父ピョートルと議論するというスタイルで、はっきり言って長編小説の構成としては稚拙な印象を受ける(現代の文学どころか、同時代の英仏あたりの一流どころと比べても)。また叔父ピョートルの口から語られるロマン主義批判もちょっと露骨すぎる。でも良いのである。ゴンチャロフだから。そしてゴンチャロフの数少ない長編が復刊されたことを祝おう。冷静なリアリストでありながら、ことあるたびにアレクサンドルに訓戒を垂れる叔父ピョートルは間違いなく世話焼きの善人。で、アレクサンドルは若者として当然のことながら、叔父の言葉なんか受け入れやしないのだけれど、それでまた失敗すると、叔父もまた忠告をするわけである。愛すべき人物としか言いようが無い。そのセリフも、よくもまあこうもぽんぽんと警句が飛び出すものだと感心する。名言のバーゲンセール。会話もユーモラスで、読んでいて楽しい。」と、私もそのうち読んでみたいと思いました。


「乱暴な振舞いや決闘沙汰がたたって彼は、豊かなロシアの遠い国境の町の一つに流されました。」ということははじめて知りましたが、単なる転勤ではなく理由があって左遷させられたのですね。


2019年1月28日月曜日

1033

「イッポリート」の論告の続きです。

「・・・・実は昨夜、ここの町はずれで、本事件に重大な関係を持っていた、かつての召使であり、ことによるとフョードル・カラマーゾフの私生児だったかもしれぬ、病気の白痴、スメルジャコフが自殺いたしました。この男が予審の際、ヒステリックな涙を流しながらわたしに話したのでありますが、このカラマーゾフ青年、つまりイワン・フョードロウィチの精神的奔放さに慄然とさせられたということであります。『あの方の説によりますと、この世ではどんなことでも許される。これからは何一つ禁じられるべきではない、んだそうでして-いつもわたしにそう教えてくださいました』と彼は言ったのです。たぶん、あの白痴は教えこまれたこのテーゼのおかげで、発狂したのでありましょう。もっとも、癲癇と、あの家に起った恐ろしい惨劇とが、彼の精神錯乱に影響したことは、言うまでもありません。ところが、この白痴がきわめて興味深い指摘をちらと洩らしたのです。それは観察者たる彼が自慢するに足る、いくらか気のきいた指摘で、わたしがこの話をはじめたのも、実はそのためなのであります。『ご子息の中で、大旦那さまにいちばん性格の似た方がいるとしたら、それはあのイワン・フョードロウィチでございます!』こう彼は言ったのです。これ以上つづけるのはデリケートと思いませんので、わたしはいったんはじめた性格分析をこの指摘で打ち切ることにします。そう、わたしはこれ以上の結論をひきだして、不吉なカラスのように青年の運命には破滅あるのみだなどと騒ぎたてるつもりはありません。われわれは今日この法廷で、あの青年の心に本質的な真実の力がまだ生きつづけていることを見ました。思想の真の苦悩によってというより、むしろ遺伝によってかち得た、不信仰と、道義的な冷笑癖(シニスム)によっても、家族的な愛情がいまだにかき消されていないことを、われわれは見たのであります。さて次に、もう一人の息子でありますが、そう、これは兄の暗い退廃的な世界観とは反対に、敬虔な謙虚な青年で、いわば《民衆の原理》、あるいはわが国の思索するインテリゲンチャの一部の理論界でこういう難解な言葉でよばれているものに、密着することを求めております。彼はご承知のようにその密着する先を修道院に求め、当人ももう少しで修道僧になるところでありました。彼の内部には、無意識のようではありますが、ごく早くから臆病な絶望があらわれていたように思われます。今日のわが国の貧しい社会においては、きわめて多くの者がこの臆病な絶望におちいり、冷笑的態度(シニスム)と社会の堕落を恐れるために、いっさいの悪がヨーロッパ文明のせいと誤解して、幻影に怯える子供よろしく、彼らの言葉を借りるなら《生みの大地』に、いわば生みの大地の母性的な抱擁に身を投じて、やつれた母親のしなびた胸でせめて安らかに眠りた、身の毛のよだつ恐怖さえ見ずにすむならたとえ一生でも眠りつづけていたいと、渇望しているのであります。青年らしいセンチメンタルな善意と、民衆の原理への志向とか、世間にしばしば見られるように、後日、精神的な面では暗い神秘主義に、市民的な面では愚鈍な排外主義(ショーヴィニズム)に変わったりせぬことを望んでおります-この二つの要素はことによると、彼の兄が憎んでいるヨーロッパ文明よりも、いっそう大きな害悪を国民にもたらすおそれがあるかもしれぬからです」

「イッポリート」は「スメルジャコフ」を「白痴」と何度も言っていますが、本当にそのような認識なんでしょうか、そんなことを言いそうなのは「イワン」か「ドミートリイ」だけですね。

排外主義と神秘主義というくだりで、またしても二、三の拍手が起りかけました。

そして、もちろん、「イッポリート」は夢中になりました。

それにしても、これらすべては、論旨がかなり不明確であることはさておき、当面の事件にほとんど関係ないことばかりだったが、憤懣やるかたない結核の彼としては、せめて一生に一度くらい、思いきり自説をぶちまけたくなったのです。

のちに町の人々は、「イワン」の性格描写をするにあたって彼が粗野な感情につき動かされていた、それというのも前に一、二度「イワン」が議論でおおっぴらに彼をやりこめたことがあり、「イッポリート」はそれを根に持って、今こそ仕返ししようと思ったからなのだ、と噂したものであります。

しかし、はたしてそう結論していいかどうか、わたしにはわかりません。

いずれにせよ、今までのはすべてほんの序論でしかなく、このあと弁論はもっとずばりと事件の核心に近づいていったのであります。


ここまでの「イッポリート」の論告における性格描写は①「フョードル」→嘲笑好きの意地わるい冷笑家と、好色漢、利己的、②「スメルジャコフ」→病気の白痴、「この世ではどんなことでも許される」という「イワン」の考えと、癲癇と、惨劇によって発狂、③「イワン」→「フョードル」に性格が似ている、遺伝によってかち得た不信仰、道義的な冷笑癖、家族的な愛情も残っている、④「アリョーシャ」→「敬虔な謙虚な青年、無意識のでごく早くから臆病な絶望があらわれていた、青年らしいセンチメンタルな善意と、民衆の原理への志向、ということです。


2019年1月27日日曜日

1032

「実際のところ」

彼はつづけました。

「ロシア全体にまで突然かかる悲しむべき知名度をかち得たカラマーゾフ家の家庭とは、どのようなものでありましょうか? ことによると、わたしはあまりにも誇張しすぎているかもしれません。しかしわたしには、この家族の光景に、現代ロシアの知識階級に共通するいくつかの基本的な要素がうかがえるかに思えるのです。そう、それはすべての要素ではなく、《小さな水滴に映る太陽のように》、ミクロ的な形でうかがえるにすぎませんが、それでもとにかく何かしらは反映し、何物かはやはり現れているのです。あの不幸な、放埓な、淫蕩な老人を、あれほど悲惨な最期をとげた《一家の父》を見てください。貧しい居候として人生街道を踏みだし、思いがけない偶然の結婚のおかげで持参金としてわずかばかりの資金をつかんだ親代々のこの貴族は、たしかにかなりすぐれた知的才能の萌芽をそなえていたとはいえ、最初はちっぽけな騙りで、おべっか使いの道化者であり、そして何よりもまず高利貸だったのです。それが年とともに、つまり資金がふえるにつれて、張りきってきました。卑屈さとおもねりは影をひそめ、あとにはただ嘲笑好きの意地わるい冷笑家と、好色漢だけが残ったのであります。精神的な面はすべて抹殺され、生への渇望が異常となって、とどのつまりは、肉欲の喜び以外は何一つ人生に見ぬようになり、自分の子供たちもそのようにしつけたのです。父親としての何らかの精神的義務など、皆無でした。彼はそんなものをばかにして、自分の幼い子供たちを裏庭で育て、子供たちがよそへ引きとられるのを喜んでいたのです。子供たちのことなど、まったく忘れてしまったほどでした。この老人の道義的原則は、『あとは野となれ山となれ(十一字の上に傍点)』でありました。およそ市民の概念に反する、社会からの完全な、敵対的とさえ言える離反であります。『たとえ全世界が火事で燃えようと、俺さえ楽しけりゃいい』という考えだったのです。そして彼は楽しみ、十分に満足し、このままあと二十年でも三十年でも生きのびようと渇望していました。彼は実の息子の金をごまかし、その母親の遺産を渡そうとせずにその金で、息子から恋人を奪おうとしたのであります。そう、わたしは被告の弁護を、ペテルブルグから来られた才能豊かな弁護人に譲るつもりはありません。わたし自身も真実を語るつもりですし、わたしもまた、この老人が息子の胸に積りつもらせた憤りの量をよく理解しております。だが、この不幸な老人に関しては、もうこれで十分でしょう。老人は報いを受けたのです。それにしても、これが父親であったことを、それも現代の父親の一人であることを、思い起していただきたい。これが現代の大多数の父親の一人であると言ったなら、社会を侮辱することになるでしょうか? 悲しいかな、現代の父親の多くは、あの老人ほど冷笑的(シニカル)に自分の考えを表明しないだけにすぎません。なぜなら彼らは、教育も高く、教養もより深いからであり、本質的にはあの老人とほとんど同じ哲学をいだいているのです。しかし、わたしはペシミストでもかまわない。あなた方に赦していただくという約束を、わたしは取り交わしたはずです。あらかじめ約束しておこうではありませんか。あなた方はわたしの言葉を信じなくて結構です、信じないでください。わたしは勝手にしゃべりますから、あなた方は信じないで結構です。でも、とにかくわたしに意見をのべさせてください。そしてやはり、わたしの言葉のいくつかは忘れないでいただきたいのです。ところで、一家の父親だったこの老人の息子たちのことですが、一人はわれわれの前の被告席におり、彼に関してはのちほどくわしく話すつもりでおります。あとの二人のうち、兄のほうはかがやかしい教養と、なかなか非凡な知性とをそなえた、現代青年の一人でありますが、しかしながらもはや何物をも信ぜず、父親とそっくり同じように、人生におけるあまりにも多くのものを否定し、抹殺したのでした。われわれはかねて彼の噂をきいていたので、彼はこの町の社交界で好意的に迎えられました。彼は自己の意見を隠そうとせず、むしろまったく反対でさえあったため、おかげでわたしは今彼に関していささか率直に語る勇気を与えられたのですが、そうは言ってももちろん、一個人としての彼について語るわけではなく、あくまでもカラマーゾフ家の一員としての彼についてにすぎません。・・・・」

ここで一旦区切ります。


まだ「イッポリート」の論告の一部ですが、「フョードル」のことについてはうまくまとめられていると思います、ただ「自分の子供たちもそのようにしつけた・・・・」というのは違っていると思いますが、また、この検事は「彼は実の息子の金をごまかし・・・・」という理解をしていることには少し驚きました、しかし問題は「カラマーゾフ」家の中に「現代ロシアの知識階級に共通するいくつかの基本的な要素」があると言っていることです、このことはどういうことでしょうか、彼は現代ロシアの知識階級の父親は「本質的にはあの老人とほとんど同じ哲学をいだいている」と言い、ただし高い教育と深い教養で本質が隠されているだけだということですね、彼の言いたいことの一つは、利己的であるということでしょうか、つまり自分さえよければいいということですね、他人はもちろん家族でさえどうでもいいということでしょうか、しかしこれは当時のロシアの知識階級の父親像としてはすこし違っていると思いますが、「フョードル」の場合は、利己的ではありますが、それが少し特殊であり、むしろまったくの個人レヴェルでの快楽的なものがあると思います、つまり「フョードル」は典型的な「現代ロシアの知識階級」とは違っており、共通点を探すためには、「現代」ロシア全体の観念というか指向性を対象としなければならないと思います、また「フョードル」の言動を考えると宗教の崩壊ということもあると思います、今までキリスト教によって守られてきた規律や道徳が一変に解放されたために、倫理観が吹き飛んでしまったのかもしれません。


2019年1月26日土曜日

1031

「イッポリート」の論告の続きです。

「・・・・おそらく彼らは、自己の良心と差向いになったとき、ひそかに自分自身に『それなら、恥を知る心とはいったい何か、流血の罪なぞ偏見ではないのか』と問うていることでしょう。ことによると、わたしに反対の声をあげて、わたしがヒステリックな病的な人間であり、おそろしい中傷をし、うわごとを口走り、誇張している、と言う人がいるかもしれません。それならそれで、結構ではありませんか、本当にそうであれば、わたしは真っ先にどれほどそれを喜ぶことでしょう! ああ、わたしの言葉を信じないで、わたしを病人と見なしてくださってもかまいません、だが、やはりわたしの言葉は肝に銘じておいていただきたいのです。たとえ、十分の一、二十分の一なりと、わたしの言葉に真実が存するなら、それこそ恐ろしいことではありませんか! みなさん、よくごらんください、わが国の青年たちがいかに自殺するかを見てください。ああ、そこには『あの世(三字の上に傍点)には何があるのか?』というハムレット的な疑問など、これっぱかりもないのです。まるで、われわれの霊魂とか、死後われわれを待ち受けているすべてのものとかに関する命題なぞ、彼らの本性の中でとうの昔に抹殺され、葬られて、砂をかけられてしまったかのように、そんな疑問の影さえなく、自殺するのです。最後にわが国の頽廃と、わが国の色情狂たちを見てください。本事件の不幸な犠牲者であるフョードル・カラマーゾフなど、彼らのうちのある者に比べれば、無邪気な赤子にもひとしいのであります。とにかく、われわれはみな彼を知っていましたし、《彼はわれわれの間に生きていた》ではありませんか・・・・そう、おそらくいつの日にか、わが国およびヨーロッパの一流の学者が、ロシア的犯罪の心理を研究することでしょう。なぜなら、このテーマはそれだけの値打ちがあるからです。しかし、この研究が行われるのは、後日いつか、もう暇になってからのことであり、それも現在のあらゆる悲劇的な混乱がずっと遠景に退いたときのことでありましょう。したがって、たとえばわたしのような人間がなしうるよりは、もはやずっと聡明かつ公平に観察できるはずであります。現在われわれは、慄然とするか、あるいは慄然としたふりをして、その実むしろ反対に、われわれの冷笑的(シニカル)で怠惰な無為を揺さぶってくれる強烈な異常な感覚の愛好者として、この見世物を楽しんでいるか、さもなければ、幼い子供のように、この恐ろしい幻影を両手で払いのけ、恐ろしい幻影が消え去るまで枕に顔を埋め、そのあとすぐ愉悦と娯楽の中でそれを忘れ去るつもりでいるか、なのであります。だが、やがていずれは、われわれもまじめに慎重に生活をはじめなければならないのです。われわれも社会としての自己に目を向けねばなりません。われわれとて社会問題にせめて何かの理解を持つか、でなければせめて理解を持とうとしはじめねばならないのです。一時代前の偉大な作家(訳注 ゴーゴリ)は、そのもっとも偉大な作品(訳注 『死せる魂』)の結びで、ロシア全体を未知の目的に向ってひた走る勇ましいトロイカに見立てて、『ああ、トロイカよ、鳥のようなトロイカよ、だれがお前を考えだしたのだ!』と叫び、さらに誇らしげに感激に包まれて、がむしゃらに疾走するこのトロイカの前にすべての民族がうやうやしく道をあけると、付け加えたものです。みなさん、これはこれでかまいません。道をあけるなら、うやうやしくだろうと、どうだろうとかまわないのです。しかし、わたしの大それた考えによれば、かの天才的な芸術家がこのように作品を結んだのは、小児のように無邪気なセンチメンタルな善意の発作にかられたためか、あるいは単に当時の検閲を恐れたからにすぎないと思うのです。なぜなら、ソバケーウィチとか、ノズドリョフ、チチコフといった彼の作品の主人公たちに、この馬車を曳かせたりしようものなら、たとえどんな人物を馭者に仕立てようと、そんな馬ではまともなところに行きつけるはずがないからであります! しかも、これは現代の馬には遠く及びもつかぬ、一昔前の駄馬にすぎませんし、現代の馬はもっと優秀なのです・・・・」

ここで「イッポリート」の弁論は、拍手によって中断されました。

この「イッポリート」の弁論はまだ前置き段階ですが、こんなことは本件にあまり関係がないのではないでしょうか、これは傍聴席にいる語り手が書いたものとして物語が進行しているのですが、どうみてもこれは話し言葉ではなく、文字で書かれた内容だと思います、語り手の記憶力がいくら優れていてもここまで描写するというのも不思議ではあります、「ゴーゴリ」の『死せる魂』からの引用がありますが、この作品は(747)で「カルガーノフ」が「マクシーモフ」のことを話す場面でも出てきました、「・・・・ゴーゴリが『死せる魂』の中で自分のことを書いているなんて、言い張るんですからね。おぼえてらっしゃるでしょう、あの中にマクシーモフという地主が出てきますね。ノズドリョフがたたきのめして、『酔いにまかせて地主マクシーモフに靴で個人的侮辱を加えたかどで』裁判にかけられるでしょうが。おぼえてらっしゃるでしょう? どころが、どうです、この人ときたら、あれは俺のことだ、殴られたはこの俺だ、なんて言い張るんですよ! そんなことがありえますか? チチコフが旅行してたのは、いちばん最後のころでも、二十年代はじめでしょう、だから年代がまるきり合わないんです。そんなころこの人が殴られるはずはないじゃありませんか。ありえない話でしょう? ありえませんよね?」と。

ロシアのトロイカという描写のリベラリズムが、みなの気に入ったのです。

「リベラリズム」とは、いろいろな定義があり、現在でもよく使われている言葉ではありますが、いまひとつイメージがわきません、具体的にどう説明されているかネットで見てみました、「リベラリズム(英語: Liberal international theory or Liberalism in IR)とは、現実主義と並ぶ国際関係論の主要な学派のひとつである。多元主義あるいは理想主義とも呼ばれることがある。国家の能力よりも国家の選好が国家行動の主な決定要因であると主張する。国家を単一主体とみる現実主義と異なって、リベラリズムは国家行為における多元性を許容する。それゆえに選好は国家によって変わり、文化、経済体制、政治体制のような要因に依存する。リベラリズムはまた国家間の相互作用が政治レベルに限定されるだけでなく(ハイポリティクス)、企業、国際機構、個人を通じて経済分野(ローポリティクス)にまで及ぶと主張する。したがって協調に向けた多くの機会や、文化資本のような広範な権力概念が含まれる。 もうひとつの前提は、絶対利得が協調と相互依存を通じて得られ、平和が達成されるというものである。リベラリズムには数多くの潮流が存在する。商業的リベラリズム、(ネオ)リベラル制度論、理想主義、レジーム論などが含まれる。」、また「近代社会が不可避的に抱え込む価値対立とその克服のために構想された政治哲学原理。欧州における価値対立の問題は、宗教改革が引き起こしたカトリックとプロテスタントの宗教戦争を起源としている。異質な価値観を持った者同士の共存は個々人の自由を認め合い、共生することでしか解決しないという考えに基づき、ホッブズ、ロック、ルソー、カント、ヘーゲルといった近代哲学者は、『自由』を権利の基本原理とするリベラリズムの立場を深めてきた。ところが現在、リベラリズムに対しては様々な立場からの批判がある。フェミニズムや多文化主義は、その普遍性と公私の区分を批判する。また共同体主義はリベラリズムの想定する人間を、共同体の伝統や慣習から切り離されて具体的な内実を失った抽象的な個人とみなし、批判する。伝統的価値や人種や性別のような具体的な属性なしに、諸個人が『善き生』の構想を持つことはできないとするのである。また現代のリベラリズムは、権利や政治的正当性の基礎となる原理として必ずしも『自由』に依拠するわけではなく、論者によって様々な考え方がある。その意味でリベラリズムの一般的な訳語としての「自由主義」は適切とはいえない。例えば初期のロールズは公正を、ドゥオーキンは平等を基底的理念として提示した。ロールズは初期にはリベラリズムを人類的普遍性を持つものとして基礎付けようとしたが、後に近代市民社会という特殊な社会だけに適応できる政治思想としてその普遍性を否定した。その結果、権利の基礎の哲学的探求を放棄し、ローティやグレイらと同様に『政治的リベラリズム』の立場に立った。このようにリベラリズムの根本原理は何であるのか、またそれは必要なのかを巡っては、現在でも多くの議論がなされている。」とのこと、この時も私は思ったのですが、「ゴーゴリ」の『死せる魂』は当時みんなあたかも読んで知っているように書かれていますが、それはどうなんでしょうか、その前に当時の識字率が気になり、少し調べてみました、「佐々木中」の『切りとれ-あの祈る手を』というアフォリズム的な本がありますがその中に次のようなことが書かれています、勝手に引用させていただきまます、「・・・・今の統計学からいっても正しいであろう識字率の一斉調査がおこなわれるのは1850年です。19世紀の半ばです。19世紀の半ばと言えば、「ああ、偉大なる文学の日々」ということになりますよね。われわれにとっては過ぎ去った文学の黄金時代です。では、1850年の成人文盲率はどれくらいだったか。ちなみにここで成人文盲率というのはいわば文盲の最小限ですよ。識字者とカウントされた人でも、自分の名前が書け、標識が読め、あるいは本の表紙が読めるという位のもので、書物が読めるとは限りません。さて1850年のイングランドはどうだったか。最先進国ですね。成人文盲率は30パーセントです。1850年というとディケンズが『ディヴィッド・コパフィールド』を出版した年です。ではフランスは。40パーセントから45パーセントでした。どういうものが出版されていたか。まずこの年は、バルザックが死んだ年なんです。『谷間の百合』が1853年です。スタンダールの『パルムの僧院』が1839年、フローベールの『ボヴァリー夫人』が1857年、ボードレールの『悪の華』の初版も1857年です。イタリアの文盲率が70パーセントから75パーセント。スペインの文盲率が75パーセントですか。全く、われらがセルバンテスは何を考えていたんだという感じですね。もっと「素敵」なのはロシアです。1850年、ロシア帝国の文盲率はどれくらいだったか。90パーセントです、です。最新の研究だと95パーセントとする文献もある。しかも、ロシアだけ「全文盲」のデータです。まあ、百歩譲って90パーセントということにしましょう。例えばあなたに友達が10人いて、そのなかで一人しか自分の書いたものが読めない。そういう状況です。しかも何しろ「全」文盲が9割ですから、そのたった一人の字が読める友人も、本が読めるかというと、極めてあやしい。先ほど言ったように、暦が読めて標識が読めて自分の名前が書けるぐらいのものかもしれない。絶望的な状況です。夜中にふと窓なんか迂闊に見上げたらまたぞろジブリールが百合を手にして金色に光っているかもしれないくらいの有様ですよ。では、この1850年前後に誰が何を出版していたか。プーシキンが1836年に『大尉の娘』を出す。ゴーゴリが1842年に『死せる魂』を出す。ドストエフスキーが1846年にデビュー作『貧しき人びと』を。トルストイが1852年に『幼年時代』を。ツルゲーネフが1852年に『猟人日記』を。無茶苦茶だ。何なんですかこの人たちは。呆然でしょう。どうしてこのような状況でこんなものが次々と書けるのか。念のため。その当時のロシアの人口も出ています。初のロシア人口調査が1851年に行われましたから。それによると、当時のロシア帝国の人口は4000万人です。大まけにまけて10パーセントの400万人がドストエフスキーが読めていた……なんて思えないですよね。400万人しか自分のサインが書ける人がいないという無体な状況で、『罪と罰』とか次々と書くわけです。一体この連中は何を考えているのか。端的に9割以上読めないんですよ。ロシア語で文学なんてやったって無駄なんです。こんな破滅的な状況で、何故書くことができたのか。はっきり言いますよ。今や文学は危機を迎えていて、近代文学は死んだのであって、そもそも文学なんて終わりで、などという様悪しいことを一度でも公言したことがある人は、フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキーという聖なる名を二度と口に出さないで頂きたい。」と。

もっとも拍手したのは二、三のサクラ(三字の上に傍点)だけだったので、裁判長は『退廷を命ずる』という脅し文句を傍聴人に発する必要すら認めず、サクラたちの方をきびしく見据えたにすぎませんでした。

「二、三のサクラ」にここで拍手するように打ち合わせでもしていたのでしょうか、この辺の常識がわかりませんが。

しかし、「イッポリート」は元気づきました。

これまで拍手されたことなど、一度もなかったからだ!


永年の間、自説をきこうとされなかった人間が、突然、ロシア全土に対して意見を吐露するチャンスに恵まれたのである!


2019年1月25日金曜日

1030

六 検事論告。性格描写

「イッポリート」は額とこめかみに病的な冷汗をうかべ、全身に悪寒と熱気をかわるがわるおぼえて、神経質な震えに身体をこまかくふるわせながら、検事論告をはじめました。

これは当人があとで語ったことであります。

彼はこの論告を自己の傑作と、生涯の傑作であり、白鳥の歌(訳注 辞世の歌の意)であると見なしていました。

(779)で「どうやら、彼の性格の難点は、本当の値打ち以上に、いささか自分を高く評価することでした」と書かれていますが、ちょっとこれは言い過ぎではないでしょうか。

「白鳥の歌」とは訳注でも書かれていますが、「死ぬまぎわに白鳥がうたうという歌。その時の声が最も美しいという言い伝えから、ある人が最後に作った詩歌や曲、また、生前最後の演奏など」とのことです。

たしかに、この九カ月後には彼は悪性の結核でこの世を去ったのですから、もし彼があらかじめ自己の最後を予感していたとすれば、結果的には実際に、最後の歌をうたう白鳥に自分をなぞらえる権利があったのかもしれません。

また(779)で、彼はまだ三十五、六で、検事ではなく検事補であり、「ひどく結核になりやすそうな体格」だとも書かれていました。

この論告に彼は自分の心のすべてと、あらん限りの知性とを注ぎこみ、それによって、少なくともわが哀れな「イッポリート」が抱きうるかぎりにおいての、市民的感情も、《呪わしい》疑問も心の内に秘めていたことを、思いがけなく立証してみたのでした。

「少なくともわが哀れな「イッポリート」が抱きうるかぎりにおいての・・・・・」と書かれていますが、これは傍聴席にいる語り手ではなく、作者が直接語っているのではないでしょうか。

彼の言葉がきく人の心を打った最大の理由は、その真剣さでした。

彼は真剣に被告の有罪を信じていました。

私はこれは彼が検事という立場を考慮してでも良くないことだと思いますが。

被告を糾弾したのは、単に命令や職責からだけではなく、《制裁》を訴えるときには、本当に《社会を救う》願望に身をふるわせていたのであります。

究極においては「イッポリート」に敵意をもつ婦人の傍聴者たちさえ、やはり、異常な感銘を受けたと白状したほどでした。

論告をはじめたときはとぎれがちの、かすれた声でしたのに、やがてすぐその声が張りを帯びて、法廷じゅうにひびき渡り、あとは最後までずっとそうでした。

しかし、論告を終えたとたん、危うく気絶しかねぬばかりでした。

「陪審員のみなさん」

検事は論告をはじめました。

「この事件はロシア全土にとどろきました。しかし、何をおどろくことがあろう、なぜ特に戦慄すべきことがあろう、という気がしないでもない。われわれにとっては、特にそう思われます。なぜなら、われわれはこの種のあらゆることに、きわめて慣れっこになっているからです! この種の陰惨な事件がわれわれにとっては、ほとんど恐ろしいものでなくなっているという、まさにその点にわれわれの恐怖も存するのであります! この点こそ、すなわち、一個人の個々の悪業ではなく、われわれのこうした慣れこそ、恐れなければなりません。好ましからぬ未来を予言する、時代の象徴ともいうべきこの種の事件に対する、われわれの無関心や、生ぬるい態度の原因は、どこに存するのでしょうか? われわれの冷笑的態度(シニスム)が-まだきわめて若いのに、もはや時ならず老いこんだわれわれの社会の、知性と想像力のあまりにも早い消耗が、その原因なのでしょうか? 根底まで揺るがされたわれわれの道徳的原理に、あるいは結局、その道徳的原理すら、ことによるとまったく存在しないという点に、原因があるのでしょうか? わたしはこれらの問題を解決するつもりはありません、ましてそれが苦痛にみちたものであり、すべての市民がその問題に苦悩するのが当然、というより義務であるからには、なおさらのことであります。わが国の新聞は生れて日も浅く、まだ小心翼々としてはおりますが、それでもすでに社会にある程度の貢献をしてきました。なぜなら、新聞がなければわれわれは、野放しの自由と道義的退廃との恐怖を、多少なりとも十分な形では決して知りえないからであります。げに新聞は、現陛下の御代に賜わった新しい公開裁判の法廷を訪れる者ばかりではなく、もはやすべての人に、その紙面を通じてたえずこれらの恐怖を伝えてくれるのです。そして、われわれはほとんど毎日のように、何をそこに読むでしょうか? ああ、そこにはたえず、今度の事件さえその前では色あせ、もはや何かごくありふれたものにすら思われるような、恐ろしい出来事が報じられているのです。しかし、何より重大なのは、わがロシアの、国民的な刑事事件の多くが、まさしく何か普遍的なものを、われわれが麻痺してしまった社会全体の不幸を証明していることであり、社会全体の悪であるその不幸とたたかうことはもはや困難であるという点にほかなりません。たとえば、上流社会に属する一人のかがやかしい青年将校は、自己の人生と出世街道をやっと歩みはじめたばかりの身でありながら、自分の借金の証文を取り返すために、卑劣にも夜半ひそかに、いささかの良心の呵責も感ずることなく、ある意味では恩人にあたる小官吏とその女中を斬り殺し、ついでに『上流社会での楽しみと今後の出世とに役立つだろう』とばかり、官吏の有金まで奪いとったのです。二人を斬殺したあと、この青年はどちらの死体にも頭の下に枕をあてがって、立ち去っております。また、勇敢な行為によって数々の勲章を授けられた別の若い英雄は、恩人である指揮官の母親を、追剥ぎのように街道で殺害し、しかも仲間をそそのかすにあたって、『あの人は俺を実の息子のようにかわいがってくれているから、俺の言葉なら何でもきくし、警戒なんぞするはずがない』と力説しているのです。これが悪党であるにせよ、今この現代においてわたしはもはや、これが一人だけ特殊の悪党であると言いきる勇気はありません。ほかの人間とて、斬り殺しこそしなくとも、この男と同じことを考え、感ずるのであり、心の中ではこの男とまったく同じように恥知らずなのであります。・・・・・」

検事の論告はまだ続きますが一旦ここで切ります。


ここまでは、まだこの事件についての直接の言及はなく、社会分析のようなことを喋っています。


2019年1月24日木曜日

1029

復讐の瞬間が思いがけなく舞いこみ、傷ついた女性の胸に永年にわたって苦痛とともに積りつもっていたすべてが、これまた思いがけなく、一挙にどっとほとばしりでたのでありました。

彼女は「ミーチャ」を裏切りましたが、同時に自分をも裏切ったのである!

そして当然のことながら、胸の内をすっかり吐きだしてしまったとたん、緊張が断ち切れ、羞恥が彼女を圧倒しました。

ふたたびヒステリーが起り、彼女は嗚咽し、叫びながら、崩折れました。

彼女は連れだされました。

彼女が運びだされて行くまさにその瞬間、「グルーシェニカ」が泣き叫びながら、自席から「ミーチャ」の方に突進し、制止する暇もありませんでした。

「ミーチャ!」

彼女は叫びだてました。

「あの毒蛇があなたを破滅させたのよ! ついにあの女が正体を現したのよ!」

憎悪に身をふるわせながら、彼女は法廷に向って叫びました。

裁判長の合図で、彼女はとり押えられ、法廷から連れだされそうになりました。

彼女はひるまず、あばれまわって、必死に「ミーチャ」の方へ戻ろうとしました。

この「あばれまわって」というところが、「グルーシェニカ」らくしていいですね。

「ミーチャ」も叫びだし、これまた彼女の方に突進しようとしました。

二人は押えつけられました。

なかなか派手な裁判になりましたね、三人三様の身体を使った自己表現が法廷を盛り上げていますが、そこには理性など二の次で単なる三角関係のもつれによる感情だけで物事が進行しているようです。

そう、傍聴席の婦人たちはすっかり満足したと思います。

内容豊富な見世物だったからであります。

そのあと、モスクワから来た博士が出廷したのを、わたしはおぼえています。

たしか、裁判長がこれ以前に、「イワン」の手当を指図させるため、廷吏によびにやらせておいたはずです。

博士は、病人がきわめて危険な譫妄症の発作を起しており、ただちに連れて帰る必要があることを、法廷に報告しました。

検事と弁護人の質問に対して博士は、患者がおととい自分から訪ねてきたことや、そのときに急性譫妄症の一歩手前であると警告したのに、患者は治療を受けようとしなかったことなどを、確認しました。

「彼は絶対に、健全な精神状態ではありませんでした。自分でも告白していましたが、うつつに幻覚を見たり、もう死んだはずのいろいろな人に往来で出会ったり、毎晩、悪魔が訪ねてきたりしていたのです」

博士はこう結びました。

証言を終えて、有名な医者は引きさがりました。

「カテリーナ・イワーノヴナ」の提出した手紙は、証拠物件に加えられました。

協議の末、法廷は、このまま審理を続行し、二つの思いがけぬ証言(カテリーナ・イワーノヴナとイワンの)はどちらも調書に記載することを決定しました。

しかし、もうこれ以上、審理の模様を記すのはやめにします。

それに、あとの証人たちの証言は、それぞれ個性的な特徴をそなえていたとはいえ、どれもこれまでの証言のくりかえしや裏付けにすぎませんでした。

しかし、くりかえして言いますが、すべては次に記す検事の論告の中で一点にしぼられてゆくのであります。

だれもが興奮していました。

すべての人が最後の破局によって神経をぴりぴりさせ、焼けつくようなもどかしさをおぼえながら、一刻も早く大詰めを、検事、弁護人双方の論告と判決とを待ちわびていました。

「フェチュコーウィチ」は明らかに「カテリーナ・イワーノヴナ」の証言でショックを受けていました。

その代り、検事は勝ち誇った様子でした。

審理が終了すると、ほぼ一時間近い休廷が宣せられました。

やがてついに裁判長が最終弁論の開始をつげました。

わが検事「イッポリート・キリーロウィチ」が検事論告をはじめたのが、たしかちょうど夜の八時でありました。


その前に今までの法廷の様子を少しまとめてみますと、鑑定医として出廷した三人の尋問の次に、たぶん検察側の証人として「ヘルツェンシトゥーベ」が尋問されたのですが、何だか弁護側に有利な発言になりました、それから次に被告に有利な証人、つまり弁護側の申請した証人の証言がはじまりました、最初は①「アリョーシャ」が宣誓なしに喚問され、次に②「カテリーナ・イワーノヴナ」が、ふたりとも「ドミートリイ」にかなり有利な発言を行いました。そして③「グルーシェニカ」ですが彼女は「ドミートリイ」の言葉を根拠はないのですが、無条件に信じているといい、先ほど彼に不利な発言をした「ラキーチン」を攻撃することによって援護射撃しました、次は④「イワン」です、彼は「スメルジャコフ」が実行犯で、自分も共犯であると言いましたが、発狂状態になってしまい、せっかく証拠の三千ルーブルを提示したにもかかわらず、おそらく彼の発言の信憑性は疑われたと思います、そして突発的に再び④「カテリーナ・イワーノヴナ」が証言をはじめて尋問を受け、決定的な証拠になりうる「ドミートリイ」の手紙を公表し、これが殺人の計画書だと言って「ドミートリイ」が犯人だと言い切りました、「カテリーナ」は二度もヒステリー状態に陥り退廷させられましたが、興奮状態の「グルーシェニカ」も「ドミートリイ」も取り押さえられました、それから再び⑤モスクワからの医師が「イワン」の病状が相当悪いことを証言しています、そして最終弁論がはじまり、まず検事「イッポリート・キリーロウィチ」の検事論告がこれからはじまります。


2019年1月23日水曜日

1028

「あの方はご自分を苦しめてらしたんです」

彼女は叫びました。

「自分も父親を愛していなかったし、ひっとしたら自分も父親の死を望んでいたかもしれないと、あたくしに告白して、いつもお兄さんの罪を軽くしようと望んでらっしゃいました。ああ、あれこそ深い、深い良心ですわ! あの方は両親によってご自分を苦しめたんです! あたくしには何でも打ち明けてくださいました、何もかも。毎日あたくしを訪ねていらして、ただ一人の親友としてあたくしに話してくださったんです。あの方のただ一人の親友になれたことを、あたくし光栄に思いますわ!」

「カテリーナ」は「イワン」が毎日自分を訪ねてくると言っていますが、これは親友を越えていることは誰にも明らかでしょう、そう思われることに彼女は気づいていないのでしょうか。

突然、彼女は目をきらりと光らせ、なにか挑戦的な口調で叫びました。

「あの方は二度スメルジャコフのところにいらしたんです。一度、あたくしのところに戻ってらして、もし犯人が兄じゃなくスメルジャコフだとしたら(というのも、スメルジャコフが殺したというデマを、この町のだれも流していたからです)、僕にも罪があるかもしれない、なぜって僕が父をきらいなことはスメルジャコフも知っていたし、ことによると僕が父の死を望んでいる思っていたかもしれないから、とおっしゃったことがございました。そこであたくしはこの手紙を出して、お目にかけたんです。そしたらあの方も殺したのがお兄さんだったことを、すっかり確信なさって、すっかりショックをお受けになりました。実の兄が父親殺しだったことに堪えられなかったんです! つい一週間ほど前、あの方がそのために病気になられたことに、あたくし気づきました。ここ数日は、あたくしの家に坐ってらしても、うわごとばかり言っておられましたわ。気が変になっているのが、わかりました。歩きながら、うわごとを言っているのです。通りを歩いているときもそうでした。モスクワから見えたお医者さまが、あたくしの頼みで、おととい診察してくださったのですが、譫妄症の一歩手前だとおっしゃっておられました。それもすべて、その男のせいです、その無頼漢のせいなんです! 昨日あの方は、スメルジャコフが死んだことを知って、たいへんなショックをお受けになり、気が狂ってしまったのです・・・・それもみな、その無頼漢のせいですわ、その無頼漢を救おうとなさってのことなんです!」

ああ、言うまでもなく、こんな言葉やこうした告白は、何かのおりに生涯でたった一度、たとえば断頭台にのぼる、死の直前の瞬間ででもなければ、口にできないものです。

しかし、「カーチャ」はそれのできる性格であり、それのできる瞬間にありました。

それは、あのとき父を救うために若い放蕩者のもとにとんで行った、あの一途な「カーチャ」と同じでした。

先ほど全傍聴人を前に、誇り高い純潔な姿で、「ミーチャ」を待ち受けている運命をいくらかでも軽くするために、《ミーチャの高潔な行為》を物語り、わが身と処女の羞恥を犠牲にした、同じあの「カーチャ」でした。

そして今もまったく同じように彼女は自分を犠牲にしたのですが、今度は別の男のためにであり、ことによると、今この瞬間になって彼女はようやく、別なその男が自分にとってどれほど大切な存在であるかを、はじめて感じ、完全に理解したのかもしれなかった!

「はじめて感じ・・・・」まさかそんなことはないと思いますが。

彼女はその人を案ずる恐怖にかられて、自分を犠牲にしました。

犯人は兄ではなく自分だという証言によって、その人が自己の一生を破滅させたことに突然思いあたるや、彼女はその人を救うために、その名誉と評判を救うために、自分を犠牲にしたのだった!

それにしても、「ミーチャ」とのかつての関係を話しながら、自分は彼をおとしめるような嘘をついたのではないか、という恐ろしい疑念がちらとひらめきました-問題はそこです。

いや、そうではない、あの最敬礼のために「ミーチャ」は自分を軽蔑していたのだと叫んだとき、彼女は意図的に中傷したわけではなかった!

彼女自身そう信じていましたし、おそらく、あのおじぎをした瞬間から、そのころはまだ彼女を崇めていた純朴な「ミーチャ」が彼女を笑い、軽蔑しはじめた、と確信していたにちがいありません。

そしてあのとき、彼女がヒステリックな発作的な愛情で自分から彼に結びついていったのも、ただただプライドから、傷つけられたプライドからにすぎませんでしたし、その愛は、愛というよりむしろ復讐に似たものでした。

ああ、ことによるとその発作的な愛は、真の愛情に育ったかもしれないし、おそらく「カーチャ」とてそれ以外の何も望んでいなかったのだろうが、「ミーチャ」が変心によって彼女を魂の奥底まで侮辱したため、魂がもはや赦そうとしなかったのです。


「カテリーナ」の気持ちは複雑ですね、彼女は本当に「ドミートリイ」が犯人だと思っているのでしょうか、「イワン」もそうですが、「ドミートリイ」を犯人だと思いつつも絶対的な確信はないのだろうと思います、そのような気持ちでいるにもかかわらず、「ドミートリイ」を犯人だと証言することについて彼女は大きな罪を犯しているのではないでしょうか、ただ彼女が「イワン」を愛しているということははっきりしていることだと思います、(944)で「イワン」は「あの人殺しに判決が下るまで、待たなけりゃならないんだ。もし今俺が手を切れば、彼女は俺への腹癒せに明日の法廷であの無頼漢を破滅させることだろう、なぜって彼女はあいつを憎んでいるし、自分が憎んでいることを承知しているからな。すべて嘘ばかりさ、嘘の積み重ねだよ! ところが今、俺がまだ手を切らずにいるうちは、彼女もいまだに望みを持っているし、俺があの無頼漢を災難から救いだしたいと思っているのを知っているから、あいつを破滅させるような真似はしないだろう。しかし、いまいましい判決が下った、そのとたんに終りさ!」と言っていました、「イワン」の気持ちも複雑ですが、「カテリーナ」はこの「イワン」の気持ちをも裏切る行為をしてしまいましたね。


2019年1月22日火曜日

1027

彼女はわれを忘れ、そしてもちろん、これから自分にとって生ずるいっさいの結果をものともせずに、こう叫びました。

もっとも、おそらくひと月前から、その結果を予見していたことは言うまでもありません。

なぜなら、そのころはまだ、たぶん憎悪に身をふるわせながら、『法廷でこれを読みあげるべきではないだろうか?』と思案していたにちがいないからです。

今や彼女は断崖からひと思いにとびおりたにもひとしかったのです。

忘れもしませんが、たしか手紙はその場ですぐ書記によって読み上げられ、衝撃的な印象をもたらしました。

「ミーチャ」は「この手紙を認めますか?」という質問を受けました。

「僕のです、僕の手紙です!」

「ミーチャ」は叫びました。

「酔っていなければ書かなかったでしょう! 多くの点で僕らは互いに憎み合っていたね、カーチャ、でも誓って、誓って言うけど、僕は憎みながらも君を愛していた、それなのに君はそうじゃないんだ!」

これは決定的な発言だと思います、「ドミートリイ」と「カテリーナ」のような人との違いなのだと思います、ある意味「カテリーナ」に男女の愛情のもつれによる行き違いを超えた異質な恐怖を感じます、しかし別の視点から見ると単なる男女の愛情の行き違いだけなのかもしれません、また、これは我々に最も近いところの、身近な、自分自身に対する避けることのできない恐怖を思わせもします。

彼は絶望的に手をもみしだきながら、席に倒れこみました。

検事と弁護人がかわるがわる尋問しはじめましたが、それは主として「どういう理由でさっきはこんな文書を隠していたのか、なぜ前にはまるきり違う気分と調子の証言をしたのか?」という意味のことでした。

これは、私が思った疑問と全く同じことが書かれています、そうなのです、その変わり目の原因は何なのでしょうか。

「ええ、そうです、あたくし先ほどは嘘を申しました、名誉と良心に反して、ずっと嘘をついていたんです。でも、さっきまでその人を救おうと思っていました。だってその人はこんなあたくしを憎み、こんなに軽蔑していたんですもの」

「カーチャ」は半狂乱の体で叫びました。

「そう、その人はひどくあたくしを軽蔑していました。いつも軽蔑していたんです。それも、なんと、あのときあのお金のことであたくしがこの人の足もとに最敬礼したあの瞬間から、軽蔑していたんですわ。あたくし、それに気づいていました・・・・あのときすぐに感じたのですけれど、永いこと自分でも信じられなかったんです。何度この人の目に『とにかくお前はあのとき自分からやって来たんだからな』という言葉を、読みとったことでしょう。ああ、なぜあのときあたくしが駆けつけたか、この人はわからなかったんです、何一つわかっていなかったんです。卑しいことしか考えられない人ですもの! 自分の尺度で測って、みんなも自分と同じような人間だと思っていたんですわ」

もはやすっかり狂乱状態におちいって、「カーチャ」は憤ろしく歯を噛み鳴らしました。

「あたくしと結婚する気になったのだって、あたくしが遺産を相続したからにすぎませんわ、そうなんです、それだけの理由ですわ! あたくし、そうじゃないかと、かねがね思っていました! ああ、この人はけだものです! あたくしがあのとき訪ねて行ったことを恥じて、一生この人にびくびくしつづけるだろう、だから自分はそのことで永久にあたくしを軽蔑し、優越感をいだいていられると、いつも思っていたんです、だからこそあたくしと結婚する気になったんですわ! そうなんです、そうですとも! あたくしは自分の愛情で、限りない愛情でこの人に打ち克とうと試みて、心変りさえ堪え忍ふつもりでした。それなのにこの人は何一つ、何一つ理解してくれなかったのです。こんな人に何も理解できるはずがありませんもの! この人は無頼漢です! その手紙を受けとったのは、翌晩のことで、飲屋から届けてきたんです。それなのに、その日の朝まで、朝のうちはまだ、あたくしはその人のすべてを赦そう、心変りさえ赦してあげようという気になりかけていたのです!」

いくら感情的になったからといってもこれは言い過ぎのような気がしますが、このようなこともありうるのでしょうね。

もちろん、裁判長と検事は彼女を落ちつかせにかかりました。

ほかならぬ彼らでさえ、おそらく、彼女の狂乱状態につけこんで、こんな告白をききだしたのが、恥ずかしかったのだろうと、わたしは思います。

今でもおぼえていますが、「どんなにおつらいか、われわれにもわかります。信じてください、われわれとて感情は持ち合せているんですから」などと言っているのが、きこえたものです。

そのくせ、ヒステリーを起して分別を失った女性から、やはり証言を引きだしたのであります。


最後に彼女は、「イワン」がこの二カ月というもの《無頼漢で人殺し》の兄を救うため、ほとんど気も狂わんばかりになっていることを、しばしばこうした緊張状態のさなかに、瞬間的にではありますが、閃光のようにひらめく異常な鮮やかさで描写しました。


2019年1月21日月曜日

1026

「あたくしが受けとったのは犯行の前日ですけれど、その人はさらにその一日前に飲屋で書いたわけですから、つまり犯行の二日前に書いたんです。よくごらんになってください、勘定書か何かに書いてありますから!」

彼女は息をあえがせながら、叫びました。

「そのころその人はあたくしを憎んでいました。それというのも、自分から卑劣な振舞いをして、あの売女に走ったからです・・・・それともう一つ、あたくしに例の三千ルーブルを借りていたからですわ・・・・ああ、その人は自分の卑しい心根のために、あの三千ルーブルがいまいましくてならなかったのです! あの三千ルーブルは、こういうお金でした。どうぞきいてください、おねがいです。父親を殺す三週間ほど前、ある朝、その人はあたくしのところにやってきました。あたくし、その人にお金が必要なことは存じていましたし、何に使うかも知っていました。そう、あの売女をたぶらかして、駆落ちするためなんです。あたくしはそのとき、その人がもう心変わりして、あたくしを棄てる気でいることを知っていました。ですからあたくし、そのとき自分からあのお金をさしだして、モスクワにいる姉に送ってもらうためのようなふりをして提供したんです。お金を渡すとき、その人の顔を見つめて送るのはいつでもいい、『たとえ一カ月後でもかまわない』と、言いました。あたくしが面と向ってはっきり『あなたはあの売女とぐるになってあたしを裏切るために、お金が要るんでしょう。だったらこのお金をあげます。あたしのほうからあげます。これを受けとれるほど恥知らずなら、持っていくといいわ』と言ったにひとしいことを、どうしてその人がわからぬはずがありましょう! あたくしはその人の正体をあばいてやりたかったんです、ところがどうでしょう? その人は受けとったんですわ。受けとって、持って行って、あの売女とあそこで一晩で使いはたしてしまったんです・・・・でも、あたくしが何もかも知っているってことを、その人もわかったんです、わかったんですわ。はっきり申しあげますけれど、あたくしがお金を預けるのは、これを受けとるほど恥知らずかどうか、試しているだけだってことも、そのときその人にはわかったんです。あたくしはその人の目を見つめ、その人はあたくしの目を見つめて、何もかも理解したのです。理解したうえで、受けとったんです。あたくしのお金を受けとって、持って行ったんですわ!」

「カテリーナ」が「ドミートリイ」に託した三千ルーブルのことを詳細に語っていますね、「ドミートリイ」がこの件について「アリョーシャ」に(336)で語っています、「・・・・ちょうど俺がグルーシェニカをぶん殴りに行く前、その日の朝、カテリーナが俺をよんで、当分だれにも知られないようにと、ひどく秘密めかしく(どうしてかは知らんよ、きっとそうする必要があったんだろうな)、県庁所在地の町へ行って、そこからモスクワにいる姉のアガーフィヤに三千ルーブルを書留で送ってくれるように頼んだんだよ。その町へ行くのは、ここで知られたくないからなんだ。その三千ルーブルを懐ろにして、俺はそのときグルーシェニカのところへ行ったんだし、モークロエへ遠征してきたのもその金でなのさ。そのあと俺は、町へ行ってきたふりをしたものの、書留の受取りは示さずに、金は送った、受取りはいずれ持ってくると言ったまま、いまだに持っていってないんだ。忘れちゃった、なんて言ってさ。さて、お前はどう思うね、今日お前が行って、彼女に『よろしくとのことでした』と言えば、彼女は『で、お金は?』ときくだろう。お前はさらにこう言ってもいいんだぜ。『兄は低劣な色気違いです、感情を抑えられない卑しい人間なんです。あのとき、兄はあなたのお金を送らずに、使っていまったんです。それも動物みたいに、自制することができなかったからなんですよ』でも、やはりこう付け加えてもいいところだな。『その代り、兄は泥棒じゃありません、ほら、ここに三千ルーブルあります、兄が返してよこしたんです、ご自分でアガーフィヤに送ってください。兄からは、よろしくとのことでした』ってな。ところが今度は突然、彼女がきくだろうよ。『で、お金はどこにあるんですの?』ってさ」これが彼の認識なのです、つまり先ほど「カテリーナ」が話したような二人の間の裏の共通認識のようなものはなかったということになります、また、モークロエでの尋問の時にも「ああ、やたらにあの人の名を口にしないでください! あの人を引合いにだすなんて、僕は卑劣漢だ。そう、あの人が僕を憎んでいることはわかっていました・・・・ずっと以前・・・・いちばん最初から、まだ向うにいたころに僕の下宿を訪ねてきたあのときからです・・・・しかし、もういい、たくさんだ、あなた方はそんなことを知る値打ちもないんです、こんな話は全然必要ないし・・・・必要なのは、あの人がひと月前に僕をよんで、モスクワにいる姉さんとそれからだれか親戚の女性に送ってくれるようにと、この三千ルーブルを僕に預けたってことだけです(まるで、自分じゃ送れないと言わんばかりにね!)、ところが僕は・・・・それがまさに僕の人生の宿命的なときのことで、そのころ、僕は・・・・つまり、一口に言ってしまえば、僕が別の女性を、彼女を、今の彼女を、ほら今階下に坐っている女性ですが、あのグルーシェニカを好きになったばかりだったんです・・・・僕はそのときこのモークロエへ彼女を引っ張ってきて、二日間でその呪わしい三千ルーブルの半分、つまり千五百ルーブルをここで使い果し、あとの半分をしまっておいたんです。」と言っています。

「そのとおりさ、カーチャ!」

突然「ミーチャ」が叫びました。

「俺に恥をかかせるつもりだってことは、君の目を見てわかってたけど、それでもやはり君の金を受けとったのさ! この卑劣漢を軽蔑してくれ、何もかも軽蔑するがいい、俺はそうされても仕方がないんだ!」

「被告」

裁判長が叫びました。

「もう一言したら、退廷を命じます」

「あのお金がその人を苦しめていたんです」

痙攣的に急きこみながら、「カーチャ」はつづけました。

「その人は返そうと思っていました、その気だったんです、それは本当です。でも、その人には、あの売女のためにもお金が必要だったんですわ。現に父親を殺しても、やはりお金をあたくしに返さないで、あの売女といっしょにあの村へ行って、あそこで捕まったんですもの。その人はあそこでまた、殺した父親から盗んだお金を、みんな遊興に使ってしまったんです。しかも、父親を殺す一日前に、あたくしにその手紙を書いてよこしたんです。酔払って書いたんですわ。その人が憎しみから書いたことくらい、あたくしにはすぐにわかりました。それも、たとえ人殺しをしても、あたくしがその手紙をだれにも見せないってことを、ちゃんと承知のうえで書いたんです。でなければ、書くはずがありませんもの。あたくしが腹癒せをしてその人を破滅させよう、などという気を起さないのを、ちゃんと承知していたんです! でも、お読みになってください、注意深く読んでください、もっと丹念に。そうすれば、その人が手紙の中で何もかも、どうやって父親を殺すか、どこにお金が隠してあるかなどを、すべて前もって書いていることが、おわかりになるはずです。よくごらんになって、読み落さないでください。そこに『イワンさえ出かけてくれたら、きっと殺してやる』という一句がございます。つまり、その人はどうやって殺すかを、あらかじめ考えぬいていたんですわ」

「カテリーナ・イワーノヴナ」は敵意もあらわに小気味よげに、裁判長に告げ口しました。

ああ、彼女がこの宿命の手紙を微細な点まで熟読し、一行一行をそらんじたことは明らかでした。

「酔っていなければ書かなかったでしょう、でも、ごらんになってください。そこには、何もかも、あとで父親したのとそっくり同じように、あらかじめ書かれてありますから。そのまま計画書になっているんです!」

手紙の内容が気になるところですが(961)で「カテリーナ」が「イワン」に手紙を見せた場面で紹介されていました、つまり『宿命の女性カーチャよ! 明日、金を手に入れて、例の三千ルーブルを返す。そしたら、さよならだ-深い怒りに燃える女性よ。だが、さよなら、俺の愛も! これでけりをつけよう! 明日は、だれかれかまわず頼んで金を手に入れるようにする。もし、だれからも借りられない場合には、固く約束しておくが、イワンが出かけさえしたら、親父のところへ押しかけて、頭をぶち割って、枕の下にある金をちょうだいする。懲役に行こうと、三千ルーブルはきっと返す。君も赦してくれ。地面に頭をすりつけてお詫びする。君に対して俺は卑劣漢だったからな。赦しておくれ。いや、赦してくれぬほうがいい。そのほうが俺も君も、気が楽だもの! 君の愛情より懲役のほうがましだ。俺はほかの女を愛しているからだ。その女を君は今日あまりにも深く知りすぎた。それでどうして赦せるだろう? 俺の金をくすねたやつを、俺は殺してやる! だれの顔も見ずにすむよう、俺は君たちみんなから逃れて、極東に行く。あの女(三字の上に傍点)も見たくない。なぜって、俺を苦しめるのは君だけじゃなく、あの女もだからな。さよなら!
追伸。俺は呪いを書いているが、君を崇拝しているんだ! 胸の中できこえる。弦が一本残って、鳴っているんだ。心臓が真っ二つになってくれたほうがいい! 俺は自殺する、だが手はじめはやはりあの犬畜生だ。あいつから三千ルーブル奪って、君にたたきつけてやる。俺は君に対して卑劣漢でこそあったけれど、泥棒じゃないからな! 三千ルーブルを待っていてくれ。犬畜生の布団の下に、バラ色のリボンで結わえてあるんだ。泥棒は俺じゃない。俺が泥棒を殺すんだ。カーチャ、軽蔑の目で見ないでくれ。ドミートリイは泥棒じゃない、人殺しだ! ちゃんと立って、君の傲慢さを辛抱せずにすむよう、親父を殺して自殺したのだ。君を愛さずにすむようにな。
三伸。君の足にキスする。さよなら!
四伸。カーチャ、だれかが金を貸してくれるよう、神さまにお祈りしてくれ。そうすれば、俺は血に染まらずにすむ、借りられなければ、血を見るのだ! 俺を殺してくれ!
奴隷であり仇敵であるD・カラマーゾフ』
以上です。


これは「それは、いつぞやカテリーナの家で、彼女がグルーシェニカに侮辱された例の一幕のあと、修道院に帰る途中のアリョーシャに野原でミーチャが出会った、あの晩、酔いにまかせてミーチャがカテリーナ宛てに書いた手紙でした。」とのことで、「夜中近くに飲屋《都》に姿をあらわし、当然のことながら、ぐでんぐでんに酔いました。酔った彼はペンと紙を求め、この重大な文書を書きなぐったのでした。それは気違いじみた、饒舌な、とりとめのない、まさしく《酔いにまかせた》手紙でした。」「手紙を書くのに飲屋でもらった紙は、粗悪なごく普通の便箋を切りとった汚い紙片で、裏には何かの勘定が記してありました。」「酔払いの饒舌にはどうやら紙面が足りなかったらしく、ミーチャは紙面いっぱいに書きなぐったばかりか、最後の数行などは、前に書いた文章の上に縦に書きつけてありました。」とありました。


2019年1月20日日曜日

1025

「アリョーシャ」は自席から兄のところへとんで行こうとしかけましたが、廷吏がすでに「イワン」の腕をつかんでいました。

「この上何をしようってんだ?」

「イワン」はひたと廷吏の顔を見据えて叫ぶと、いきなり相手の肩をつかんで、すごい剣幕で床にたたきつけました。

しかし、もはや警備が駆けつけ、彼をとり押さえました。

と、今度は彼は気違いじみた叫び声を張りあげだしました。

そして、連れだされる間ずっと、叫んだり、何やらとりとめのないことをわめいたりしていました。

病気ならば仕方がないというふうになりますが、「イワン」はもう少し頑張れなかったのでしょうか、彼の持つ情報だけが「ドミートリイ」の無罪を証明できるかもしれず、彼がうまく説明すればなんとかなったのではないかと思いますが、このままでは「イワン」の社会的な信用もなくなりますね。

大混乱が生じました。

わたしはすべてを順序正しく思いだせません。

わたし自身、興奮してしまい、よく観察できなかったのです。

わたしが知っているのは、のちに、みながもう落ちつきを取り戻し、だれもが事態をさとったときになって、廷吏がひどく叱られたことだけです。

もっとも廷吏が裁判長に行ったしごくもっともな釈明によると、証人はずっと正常でしたし、一時間ほど前に少し気分がわるくなって医師に見てもらいはしましたが、入廷するまで筋道の通った話をしていたので、何一つ予測できなかったばかりか、むしろ反対に、証人自身がぜひ証言したいと望んで、強く言い張った、ということでした。

ところが、みなが多少なりと落ちついて、われに返る前に、今の騒ぎにすぐつづいて、もう一つの騒ぎが起りました。

「カテリーナ・イワーノヴナ」がヒステリーを起したのです。

彼女は金切り声の悲鳴をあげて泣きだしましたが、退廷したがらずに身をもがき、連れださないでほしいと哀願して、突然、裁判長に叫びました。

「あたくし、もう一つ証言しなければなりません、今すぐ・・・・今すぐに! ここに手紙があります・・・・受けとってください、早く読んでください、早く! その無頼漢の手紙です、そこにいるその無頼漢の!」

彼女は「ミーチャ」を指さしました。

「イワン」に負けず劣らず「カテリーナ」の個性も強いですね、しかも彼女は「ドミートリイ」のことを「無頼漢」と公衆の面前で言っています。

「その男が父親を殺したんです。今すぐわかりますわ。父親を殺すと、あたくしに手紙をよこしたんです! あの人は病気なんです、病人なんです、譫妄症なんです! あの人が熱病にかかっていることも、もう三日も前からわかっていました!」

とうとう「カテリーナ」が爆発しましたね、彼女のヒステリーは彼女の正体を表す指標のようなものでしょう、そして、ここで「ドミートリイ」が下手人だと、そしてそれは彼の病気が原因だということです、彼女はそう証言することで「イワン」を救おうとしたのでしょうか、「イワン」は自分が指示して「スメルジャコフ」が手を下したと証言しましたから、このままであれば「イワン」が犯人にされてしまうかもしれませんので、彼を救おうとしたのでしょうか、いまひとつ「カテリーナ」の行動が個人的なものか、正義感からなのかわかりません。

彼女はわれを忘れてこう絶叫しました。

裁判長の方に彼女がさしだしている紙片を廷吏が受けとると、彼女は椅子に崩折れ、顔を覆って、全身をふるわせ、退廷させられる不安からわずかな呻き声も抑えようと努めながら、ひきつるように声もなく泣きはじめました。

この描写は丁寧ですね。

彼女の提出した紙片は、「イワン」が《数学のようにはっきりした》重要さをもつ文書とよんだ、飲屋《都》から出した例の手紙でした。

(961)で「イワン」は「殺したのがドミートリイではなく、スメルジャコフだとすると、もちろんそのときは僕も共犯だ。なぜって僕はたきつけたんだからね。僕がたきつけたのかどうか、まだわからんな。しかし、殺したのがドミートリイではなく、あいつだとしたら、もちろん僕も人殺しなんだ」と言っています、つまり、「ドミートリイ」が犯人でなく、「スメルジャコフ」が犯人だとすると自分も共犯だとはっきり言っています。そして、それを聞いた「カテリーナ」は「黙って席を立ち、自分の書き物机のところに行って、その上にあった手文庫を開け、何やら紙片を取りだして、それをイワンの前に置きました。この紙片こそ、のちにイワンがアリョーシャに、父を殺したのは兄のドミートリイだという《数学のようにはっきりした証拠》として語った、ほかならぬその文書でした。それは、いつぞやカテリーナの家で、彼女がグルーシェニカに侮辱された例の一幕のあと、修道院に帰る途中のアリョーシャに野原でミーチャが出会った、あの晩、酔いにまかせてミーチャがカテリーナ宛てに書いた手紙でした。」とのこと、それは酔っ払って感情的になって書いた文章です。

ああ、この手紙の持つ数学のような明白な意味がついに認められてしまったのです。

この手紙さえなかったら、ことによると「ミーチャ」は破滅しなかったかもしれませんし、少なくともあれほど恐ろしい破滅はしなかっただろう!

「破滅」とはどういうことでしょう、「カテリーナ」は最初の証言で「ドミートリイ」に有利な発言をしており、そのときは、この手紙を公表する意図はなかったのでしょう、しかし、ここで感情的になりすべてぶちまけました、もしかすると彼女の心の中には手紙を公表したいと思っていたのかもしれません、そうでなければ、手紙を処分しているでしょう、少なくとも法廷に持参するはずはありませんから。

くりかえしておくが、細部をそのままたどることはむずかしいです。

わたしには今でもすべてがたいへんな混乱に包まれたまま、思い描かれるのであります。

たしか、裁判長はその場ですぐ、法廷、検事、弁護人、陪審員に、この新しい文書を知られたはずです。

わたしがおぼえているのは、「カテリーナ・イワーノヴナ」が証人として尋問をふたたび受けたことだけです。

気持は落ちつきましたか、と裁判長がもの柔らかに問いかけたのに対して、「カテリーナ・イワーノヴナ」は勢いこんで叫びました。

「あたくしなら大丈夫です、結構ですわ! 十分お答えできますから」

どうやら相変らず何らかの理由で話をすっかりきいてもらえないのではないかと、ひどく心配らしく、彼女は言い添えました。


彼女は、これがどういう手紙か、どういう状況でこれを受けとったか、などをさらにくわしく説明するよう、求められました。