2019年3月31日日曜日

1095

「そうです、そうです、永遠の思い出が」

少年たちが感動の面持で、甲高い声を張りあげていっせいに叫びました。

「あの子の顔も、服も、貧しい長靴も、柩も、不幸な罪深い父親も、そしてあの子が父親のためにクラス全体を敵にまわして、たった一人で立ちあがったことも、おぼえていようではありませんか!」

「そうです、おぼえていますとも!」

少年たちがまた叫びました。

「あの子は勇敢でしたね、気立てのいい子でしたね!」

「ああ、僕はあの子が大好きだった!」

「コーリャ」が叫びました。

「ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません! 何かしら正しい良いことをすれば、人生は実にすばらしいのです!」

「そうです、そうです」

感激して少年たちがくりかえしました。

「カラマーゾフさん、僕たちはあなたが大好きです!」

どうやら「カルタショフ」らしい、一人の声がこらえきれずに叫びました。

「僕たちはあなたが大好きです、あなたが好きです」

みんなも相槌を打ちました。

多くの少年の目に涙が光っていました。

「カラマーゾフ万歳!」

「コーリャ」が感激して高らかに叫びました。

「そして、亡くなった少年に永遠の思い出を!」

感情をこめて、「アリョーシャ」がまた言い添えました。

「永遠の思い出を!」

ふたたび少年たちが和しました。

「カラマーゾフさん!」

「コーリャ」が叫びました。

「僕たちはみんな死者の世界から立ちあがり、よみがえって、またお互いにみんなと、イリューシェチカとも会えるって、宗教は言ってますけど、あれは本当ですか?」

「必ずよみがえりますとも。必ず再会して、それまでのことをみんなお互いに楽しく、嬉しく語り合うんです」

半ば笑いながら、半ば感激に包まれて、「アリョーシャ」が答えました。

「ああ、そうなったら、どんなにすてきだろう!」

「コーリャ」の口からこんな叫びがほとばしりました。

「さ、それじゃ話はこれで終りにして、追善供養に行きましょう。ホットケーキを食べるからといって、気にすることはないんですよ。だって昔からの古い習慣だし、良い面もあるんだから」

「アリョーシャ」は笑いだしました。

「さ、行きましょう! 今度は手をつないで行きましょうね」

「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう! カラマーゾフ万歳!」

もう一度「コーリャ」が感激して絶叫し、少年たち全員が、もう一度その叫びに和しました。


突然ですが、これでこの小説は終了です。
ここで絶筆です。

この最後を書いた著者の心境はどのようなものだったのでしょうか、「アリョーシャ」が先生のようになって、子供たちに話をする場面は、今までと違って妙な具合の文章だと思います、いくら子供だからといって「カラマーゾフ万歳!」はないと思いますがこれが二度も繰り返されています、しかし、あまり考えないことにしましょう。


このブログをはじめたのは2016年4月1日です、そして今日が2019年3月31日、ぴったりまる3年です、実は今年の1月下旬ごろ、いつ頃終わるか調べました、残りのページ数を3月末までの日数で割ったらちょうど3で割り切れたので、気分をよくしてその日から今まで2ページだったのを3ページを目処にして書き進めてきたのです、しかしその頃からそろそろルーティンにも飽きてきて、なぜそうするのか今更ながらですが疑問がわいてきて、そういうふうに自ら自分を規制する自分が、そうすること自体が嫌だと思いはじめました、幸いにももう終わりに近づいていましたので最後までたどりつけましたが、たしかに、成果は計り知れないほど大きい、しかし・・・・ということです、まったく満足できる出来ではありませんが、まあこんなものか、です、毎日、朝起きてすぐに読み書きしましたので、これは全体がある意味で朝のぼんやした思考と言えるかもしれず、キレのいいものではありません、たくさんいろんな意味での間違いがあると思いますので、それを直したいのですが、今はそれをするだけの気力がないので、そのままにしておくかもしれません。




2019年3月30日土曜日

1094

「アリョーシャ」の話のつづきです。

「・・・・いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。もしかすると、僕たちはわるい人間になるかもしれないし、わるい行いの前で踏みとどまることができないかもしれません。人間の涙を嘲笑うかもしれないし、ことによると、さっきコーリャが叫んだみたいに『僕はすべての人々のために苦しみたい』と言う人たちを、意地わるく嘲笑うようになるかもしれない。そんなことにはならないと思うけれど、どんなに僕たちがわるい人間になっても、やはり、こうしてイリューシャを葬ったことや、最後の日々に僕たちが彼を愛したことや、今この石のそばでこうしていっしょに仲よく話したことなどを思いだすなら、仮に僕たちがそんな人間になっていたとしても、その中でいちばん冷酷な、いちばん嘲笑的な人間でさえ、やはり、今この瞬間に自分がどんなに善良で立派だったかを、心の内で笑ったりできないはずです! そればかりではなく、もしかすると、まさにその一つの思い出が大きな悪から彼を引きとめてくれ、彼は思い直して、『そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった』と言うかもしれません。内心ひそかに苦笑するとしても、それはかまわない。人間はしばしば善良な立派なものを笑うことがあるからです。それは軽薄さが原因にすぎないのです。でも、みなさん、保証してもいいけれど、その人は苦笑したとたん、すぐに心の中でこう言うはずです。『いや、苦笑なぞして、いけないことをした。なぜって、こういうものを笑ってはいけないからだ』と」

「アリョーシャ」はここでいろいろな悪い人間のタイプを不自然なくらいしつこく具体的に列挙しています、それはまるで人が大人になると悪い人間になるのが当たり前のことだと言っているようにも聞こえます、そして彼の言いたかったことは「子供のときのいい思い出が将来自分を救うだろう」だから「勇気を持っていいことをしよう」ということです、私は何かキリスト教的な感動的な言葉を最後の言葉として、またこの小説の締めくくりの言葉としてみんなに送るのだろうと期待していましたが、肩透かしをくらわされました、しかし「いいことをしよう」というのは当たり前のことだからこれでいいのかもしれませんね、つまり「いい思い出」が大人になって役立つと言っているわけですから言われている子供たちは「いい思い出」を作ろうとするでしょう、それは子供たちの現在にとっては、「いいこと」をするようにということですから。

「きっとそうなりますとも、カラマーゾフさん、あなたの言葉はよくわかります、カラマーゾフさん!」

目をきらりとさせて、「コーリャ」が叫びました。

少年たちは感動して、やはり何か言いたそうにしましたが、感激の目でじっと弁士を見つめたまま、我慢しました。

「僕がこんなことを言うのは、僕らがわるい人間になることを恐れるからです」

「アリョーシャ」はつづけました。


「でも、なぜわるい人間になる必要があるでしょう、そうじゃありませんか、みなさん? 僕たちは何よりもまず第一に、善良に、それから正直になって、さらにお互いにみんなのことを決して忘れないようにしましょう。このことを僕はあらためてくりかえしておきます。僕は君たちのだれ一人として忘れないことを約束します。今僕を見つめている一人ひとりの顔を、僕はたとえ三十年後にでも思いだすでしょう。さっきコーリャがカルタショフに、『彼がこの世にいるかどうか』を知りたいとも思わないみたいなことを言いましたね。でも、この世にカルタショフの存在していることや、彼が今、かつてトロイの創設者を見つけたときのように顔を赤らめたりせず、すばらしい善良な、快活な目で僕を見つめていることを、はたして僕が忘れたりできるでしょうか? みなさん、かわいい諸君、僕たちはみんな、イリョーシャのように寛大で大胆な人間に、コーリャのように賢くて大胆で寛大な人間に(もっとも、コーリャは大人になれば、もっと賢くなるでしょうけど)、そしてカルタショフのように羞恥心に富んだ、それでいて聡明な愛すべき人間に、なろうではありませんか。それにしても、どうして僕はこの二人のことばかり言っているのだろう! みなさん、君たちはみんな今から僕にとって大切な人です。僕は君たちみんなを心の中にしまっておきます。君たちも僕のことを心の中にしまっておいてください! ところで、これから一生の間いつも思いだし、また思いだすつもりでいる、この善良なすばらしい感情で僕たちを結びつけてくれたのは、いったいだれでしょうか、それはあの善良な少年、愛すべき少年、僕らにとって永久に大切な少年、イリューシェチカにほかならないのです! 決して彼を忘れないようにしましょう、今から永久に僕らの心に、あの子のすばらしい永遠の思い出が生きつづけるのです!」


2019年3月29日金曜日

1093

「あれがイリューシャの石です。あの下に葬りたいと言ってたんですよ!」

みなは無言で大きな石のそばに立ちどまりました。

「アリョーシャ」は石を見つめました。

すると、「イリューシェチカ」が泣きながら父に抱きついて、『パパ、パパ、あいつはパパにひどい恥をかかせたんだね!』と叫んだという話を、いつぞや「スネギリョフ」からきかされたときの光景が、一時に記憶によみがえってきました。

胸の中で何かが打ちふるえたかのようでした。

彼は真剣な、重々しい様子で、「イリューシャ」の友達である中学生たちの明るいかわいい顔を見渡し、だしぬけに言いました。

「ねえ、みんな、僕はここで、ほかならぬこの場所で、みんなに一言話しておきたいんだけど」

少年たちは彼をとりかこみ、すぐに期待にみちた食い入るような眼差しを注ぎました。

「みなさん、僕たちは間もなくお別れします。僕はさしあたり今、もうしばらくの間は二人の兄についていてあげるけど、一人の兄は流刑に行くし、もう一人は死の床についています。でも、もうすぐ僕はこの町を立ち去ります。たぶん非常に永い間。だから、いよいよお別れなんです、みなさん。このイリューシャの石のそばで、僕たちは第一にイリューシャを、第二にお互いにみんなのことを、決して忘れないと約束しようじゃありませんか。これからの人生で僕たちの身に何が起ろうと、たとえ今度二十年も会えなかろうと、僕たちはやはり、一人のかわいそうな少年を葬ったことを、おぼえていましょう。その少年はかつては、おぼえているでしょう、あの橋のたもとで石をぶつけられていたのに、そのあとみんなにこれほど愛されたのです。立派な少年でした。親切で勇敢な少年でした。父親の名誉とつらい侮辱を感じとって、そのために立ちあがったのです。だから、まず第一に、彼のことを一生忘れぬようにしましょう、みなさん。たとえ僕たちがどんな大切な用事で忙しくても、どんなに偉くなっても、あるいはどれほど大きな不幸におちいっても、同じように、かつてここでみんなが心を合わせ、美しい善良な感情に結ばれて、実にすばらしかったときがあったことを、そしてその感情が、あのかわいそうな少年に愛情を寄せている間、ことによると僕たちを実際以上に立派な人間にしたかもしれぬことを、決して忘れてはなりません。僕の小鳩たち-君たちをそうよばせてください。なぜなら、今この瞬間、君たちの善良なかわいい顔を見ていると、あの美しい灰青色の鳥にみんな実によく似ているからです。かわいい子供たち、ことによると僕が今から言うことは、君たちにはわからないかもしれない。僕はひどくわかりにくい話をよくしますからね、だけどやはり僕の言葉をおぼえていてくれれば、そのうちいつか同意してくれるはずです。・・・・」

ここで「アリョーシャ」の言葉をいったん切ります。


あと、この小説も残り数ページになりましたが、これから続く「アリョーシャ」の最後の言葉が小説全体の集約というわけではないでしょう、なにしろこれは作者の絶筆であり、しかも第二部が書かれていない未完の小説なんですから、それにおそらく集約などという言葉自体がこの長大な小説ではあり得ないでしょう、比喩的に言えば、太陽のように黄金の光を周囲に放ちつつ無限に反復しながら、未来に向けて航行しているかのようです。


2019年3月28日木曜日

1092

「アリョーシャ」と「コーリャ」が彼を抱き起し、頼んだり言いきかせたりしました。

「大尉さん、いい加減になさいよ、男らしい人間だったら我慢しなけりゃ」

「コーリャ」がつぶやきました。

「花をつぶしちゃいますよ」

「アリョーシャ」も言いました。

「《かあちゃん》が花を待ってるんでしょう。じっと坐ったままで、泣いていますよ。あなたがさっきイリューシャの花をあげなかったんで。お家にはイリューシャの寝床もまだ敷いてあるし・・・・」

「そう、そうだ、かあちゃんのところへ行ってやらなけりゃ!」

「スネギリョフ」はふいにまた思いだしました。

「あの子の寝床が片づけられちまう、片づけられちまう!」

本当に片づけられてしまうのを怯えるかのように、彼は付け加えると、跳ね起きて、またわが家に向って走りだしました。

しかし、もうすぐ近くだったので、みんながいっしょに走りつきました。

「スネギリョフ」は勢いよくドアを開け、さっきあんなに薄情に言い争った妻に向って叫びました。

「かあちゃん、イリューシェチカがこの花をお前によこしたよ、お前は足がわるいんだものね!」

今しがた雪の上にころがったときに、花弁がちぎれ、凍りついた花束をさしだして、彼は叫びました。

しかし、まさにその瞬間、彼は片隅にある「イリューシャ」のベッドの前に、家主のおかみが片づけてくれたばかりの「イリューシャ」の小さな長靴が、二つ並んできちんと揃えてあるのに気づきました-古ぼけ、赤茶けて、ごわごわになった、つぎだらけの長靴でした。

それを見るなり、彼は両手を上げて、そのまま長靴にとびつき、ひざまずいて、長靴の片方をかかえこんで、唇を押しあて、「坊主、イリューシェチカ、かわいい坊主、小さなあんよはどこにあるんだ?」と絶叫しながら、むさぼるように接吻しはじめました。

「あの子をどこへ連れて行ったの? どこへ連れて行ったのさ?」

張り裂けるような声で狂女が泣き叫びました。

これをきいて、「ニーノチカ」もわっと泣きくずれました。

「コーリャ」が部屋をとびだし、少年たちもあとにつづきました。

最後に「アリョーシャ」も出ました。

「気のすむまで泣かせておきましょう」

彼は「コーリャ」に言いました。

「こんなときには、もちろん、慰めることなどできませんからね。しばらく待って、戻りましょう」

「ええ、むりですね、悲惨だな」

「コーリャ」が相槌を打ちました。

「あのね、カラマーゾフさん」

ふいに彼は、だれにもきこえぬように声を低くしました。

「僕はとても悲しいんです。あの子を生き返らせることさえできるなら、この世のあらゆるものを捧げてもいいほどです!」

「ああ、僕だって同じ気持ですよ」

「アリョーシャ」は言いました。

「どうでしょう、カラマーゾフさん、僕たち今晩ここへ来たほうがいいでしょうか? だって、あの人はきっと浴びるほどお酒を飲みますよ」

「たぶん飲むでしょうね。君と二人だけで来ましょう、一時間くらいお母さんとニーノチカの相手をしてあげれば、それで十分ですよ。みんなで一度に来たりすると、また何もかも思いださせてしまうから」

「アリョーシャ」が忠告しました。

「あそこじゃ今、家主のおばさんが食卓の支度をしてますよ。追善供養って言うんですか、神父さんも来るそうです。僕たちもすぐに戻るべきなんでしょうか、カラマーゾフさん、どうなんですか?」

「ぜひ行くべきです」

「アリョーシャ」は言いました。

「なんだか変ですよね、カラマーゾフさん、こんなに悲しいときに、突然ホットケーキか何かが出てくるなんて。わが国の宗教だとすべてが実に不自然なんだ!」

「鮭の燻製も出るんだって」

トロイの創設者を見つけた少年が、突然、大声ですっぱぬきました。

この少年は(891)で「カルタショフ」と紹介されていますが、ここでは「トロイの創設者を見つけた少年」ですね。

「僕はまじめに頼むけどね、カルタショフ、ばかみたいな話で口出ししないでくれよ、特に君と話してるんでもなけりゃ、君がこの世にいるかどうかさえ知りたくもないような場合には、なおさらのことさ」

「コーリャ」がその方を向いて苛立たしげにきめつけました。

少年は真っ赤になりましたが、何一つ口答えする勇気はありませんでした。


その間にも一同は小道を静かに歩いて行きましたが、突然「スムーロフ」が叫びました。


2019年3月27日水曜日

1091

型どおりの儀式のあと、墓掘り人夫たちが柩をおろしました。

「スネギリョフ」は両手に花をかかえたまま、口を開けている墓穴の上へ思いきり身を乗りだしたため、少年たちがぎょっとして彼の外套をつかみ、うしろに引きもどしたほどでした。

しかし、彼はもう何が起っているのか、よくわからないようでした。

墓穴に土を撒き入れる段になると、彼はふいに気がかりそうな様子で落ちてゆく土を指さして、何やら言いはじめましたが、だれにも何のことやらわかりませんでしたし、それに彼自身も急に静かになりました。

ここでパンの耳をちぎってまくよう注意を促されると、彼はひどく気をもみはじめ、パンの耳をつかみだし、細かくちぎって墓の上に撒きはじめました。

「さ、飛んできておくれ、小鳥たち、飛んできておくれ、雀たち!」

彼は気がかりそうにつぶやいていました。

花を両手にかかえていてはパンをちぎりにくいだろうから、一時だれかに花を預けたらと、少年たちのだれかが忠告しかけました。

しかし彼は花を渡そうとせず、かえって突然、まるでだれかに花を全部取られそうになったみたいに、怯えた様子を見せ、墓を眺めて、もうすべてが終ってパン屑もまいたことを確かめると、突然、意外なくらいまったく平静に向きを変え、のろのろとわが家に向って歩きだしました。

ところが、その歩調がしだいに小刻みに気ぜわしくなってゆき、ほとんど走らんばかりに急ぎだしました。

少年たちと「アリョーシャ」は遅れぬようにあとにつづきました。

「かあちゃんに花をやるんだ、かあちゃんに花を! かあちゃんに気の毒なことをしちまった!」

だしぬけに彼は叫びだしました。

帽子をかぶりなさい、でないともう寒いからと、だれかが声をかけましたが、それをきくなり、彼は怒りにかられたように帽子を雪の上にたたきつけ、「帽子なんぞ要るもんか、帽子なんぞ要るもんか!」と口走りはじめました。

「スムーロフ」少年が帽子を拾いあげて、あとにつづきました。

少年たちは一人残らず泣いていました。

いちばんはげしく泣いていたのは「コーリャ」と、トロイの創設者を知っていた例の少年で、大尉の帽子を腕にかかえた「スムーロフ」も、やはりおいおいと泣いてはいましたが、それでもほとんど走らんばかりに急ぎながら、小道の雪の上に赤く映えていた煉瓦の破片を拾いあげて、すばやく飛びすぎた雀の群れめがけて投げつけるだけの余裕はありました。

もちろん、石は当らず、少年は泣きながら走りつづけました。

道のりの半分ほどまでくると、「スネギリョフ」が突然立ちどまり、何かショックでも受けたように三十秒ほど立ちつくしていましたが、いきなり教会の方に向き直ると、今あとにしてきたばかりの墓をさして突進しようとしました。

しかし少年たちがすぐに追いつき、四方からしがみつきました。

彼はがっくりしたように力なく雪の上に倒れ、身もだえして、泣きわめきながら、「坊主、イリューシェチカ、かわいい坊主!」と叫びはじめました。


「スネギリョフ」は正常ではないですね、帽子を投げ捨てたことや、墓の方に引き返そうとしたことについては、怒りの表現でしょうか、彼は普通なら背負わなくていいような多くの事を背負いすぎているのでしょう。


2019年3月26日火曜日

1090

教会まで運ぶと言っても、さほど遠くはなく、せいぜい三百歩くらいでした。

澄みきった静かな午後でした。

寒さはきびしくなっていましたが、たいしたことはありませんでした。

ミサの鐘がまだ鳴りひびいていました。

「スネギリョフ」は古ぼけた、つんつるてんの、ほとんど夏物のような外套を着て、頭には何もかぶらず、鍔の広い古いソフトを手にしたまま、放心したようにそわそわと柩のあとについて走っていました。

何か解決しえぬ心配事をかかえているみたいに、だしぬけに柩の頭の方を支えようと手をのばして、運んでいる人たちの邪魔をしてみたり、そうかと思うと、柩の横に駆けよって、せめてその辺にでもどこか割りこむ場所はないかと探してみたりするのでした。

花が一つ雪の上に落ちると、まるでその花をなくすことに何か重大事でもかかっているみたいに、とんで行って拾いあげるのでした。

「あ、パンの耳を、パンの耳を忘れてきた」

ふいに彼はひどくぎょっとして叫びました。

しかし、少年たちが、パンの耳はさっきもうかき集めて、ポケットに入っていると、すぐに思いださせてやりました。

彼はとたんにポケットからパンの耳をつかみだし、確かめて、安心しました。

「イリューシェチカの言いつけでしてね、イリューシェチカの」

彼はすぐに「アリョーシャ」に説明しました。

「夜中にあの子が寝ているわきに、わたしが坐っていましたら、だしぬけにこう申したんですよ。『パパ、僕のお墓に土をかけるとき、雀たちが飛んでくるように、お墓の上にパンの耳を撒いてやってね。雀がとんでくるのがきこえれば、お墓の中に一人で寝ているんじゃないことがわかって、僕、楽しいもの』って」

「それはとてもいいことですね」

「アリョーシャ」は言いました。

「せいぜいこまめに持ってきてあげなければ」

「毎日来ますよ、毎日来ますとも!」

二等大尉は全身に気合いが入ったように、もつれる舌で言いました。

とうとう教会に着き、中央に柩を据えました。

少年たちは全員で柩のまわりを囲み、葬儀の終るまでそのまま行儀よく立ちとおしていました。

古い、かなり貧弱な教会で、金属の飾りのすっかりとれてしまった聖像がたくさんかかっていましたが、お祈りをするにはこういう教会のほうがなんとなく落ちつくものです。

礼拝式の間、「スネギリョフ」はいくらかおとなくしなったようでしたが、それでもやはりときおりは、例の無意識の、混乱しきったような苦労性が突発的にあらわれるのでした。

覆いや花輪を直しに柩に歩みよるかと思えば、燭台の蝋燭が一本倒れたときには、やにわにそれを立てにとんで行き、ひどく永いことかかずらっていました。

そのあとはもう落ちつき、鈍い不安そうな、なにか腑におちぬような顔で、柩の頭に辺に神妙に立っていました。

使徒行伝の朗読のあと、彼は隣に立っていた「アリョーシャ」に、使徒行伝の読み方が違う(二字の上に傍点)と、だしぬけに耳打ちしましたが、そのくせ自分の考えは説明しませんでした。

小天使の讃美歌のときには、いっしょにうたいかけたのですが、最後まではうたわず、ひざまずくなり、教会の石畳に額をすりつけ、かなり永い間そのままひれ伏していました。

いよいよ、お別れの讃美歌に移り、蝋燭が配られました。

分別をなくした父親はまたそわそわしかけましたが、心を打つ感動的な葬送の歌が、彼の魂を目ざめさせ、打ちふるわせました。

彼はなにか急に全身をちぢこめて、最初は声を殺しながら、しまいには大声にしゃくりあげて、短く小刻みに泣きはじめました。

最後のお別れをして柩に蓋をするときになると、彼はまるで「イリューシェチカ」の姿を隠させまいとするみたいに、両手で柩に抱きつき、離れようとせずに何度もむさぼるように、死んだわが子の唇に接吻しはじめました。

やっとそれを説き伏せ、もう階段をおりかけたのですが、ふいに彼はすばやく片手を伸ばして、柩の中から花を何本かつかみとりました。

その花を見つめ、何か新しい考えがうかんだために、肝心のことを一瞬忘れてしまったかのようでした。

彼はしだいに物思いに沈んでゆき、柩を担ぎあげて墓に運びだしたときにも、もはや逆らいませんでした。

墓は教会のすぐわきの柵内にあり、高価なものでした。

「カテリーナ・イワーノヴナ」がお金を出してくれたのです。

このような人に援助された高価な墓はこの一家には似つかわしくないように思われますが
、「スネギリョフ」は残された家族のために将来的にも「カテリーナ」に生活の援助を受けざるをえないので彼としては不本意であっても仕方がないのでしょう。


ここでは、一般人の葬式の様子がくわしく描かれていますね、主に「スネギリョフ」の落ち着かない様子をとおしての描写なのですが、それでも全体の雰囲気がよくわかります、世にある諸々の物事と違ってやはり葬式というのは特別なもので、読むものに、何か表現できぬ重苦しくて何者かに有無を言わさぬ強い力で自分の存在をぎゅっと掴まれたような感情を抱かせます。


2019年3月25日月曜日

1089

「パパ、お花をママにあげて!」

突然「ニーノチカ」が涙に濡れた顔を上げました。

「何一つやるもんか、かあちゃんにはなおさらだよ! かあちゃんはこの子をきらっていたんだ。あのときだってこの子から大砲を取り上げたじゃないか、この子がプレゼントしたんだぞ」

あのとき「イリューシャ」が母に大砲を譲ったことを思いだし、ふいに二等大尉は声を張りあげて泣き崩れました。

哀れな狂女は両手で顔を覆って、低くむせび泣きはじめました。

少年たちは、父親が柩をはなそうとしないのにやっと気づいて、突然、柩のまわりをびっしり取りかこみ、持ちあげにかかりました。

「墓地に葬るのなんかいやだ!」

だしぬけに「スネギリョフ」がわめきました。

「石のそばに葬るんだ、わたしらのあの石のそばに! イリューシャがそう言ったんだ。運ばせるもんか!」

彼はこれまでも、三日間ずっと、石のそばに葬ると言いつづけてきたのでした。

しかし、「アリョーシャ」や、「クラソートキン」をはじめ、家主のおかみや、その妹、少年たち全員が横槍を入れました。

「へえ、なんてことを考えだすのさ、あんな汚ない石のそばに葬るなんて、首吊り死体じゃあるまいしさ」

家主の老婆がきびしい口調できめつけました。

「教会の構内には十字架の立った墓地があるんだよ。あそこならお祈りもしてもらえるしさ。教会から讃美歌もきこえてくるし、補祭さんの読んでくださる美しいありがたいお言葉も、そのつどこの子のところに届いてくるから、まるでこの子の墓前で読んでくれるようなものじゃyないかね」

これは「家主の老婆」の発言なのですね、やけに詳しいですけれど、それにしてもなぜ作者は「イリューシャ」が死ぬという設定にしたのでしょうか、「ゾシマ長老」の死であれほど死が記憶づけられているというのに、またこのようなシーンなのです、二つの「死」は規模がまったく違うとは言え等価なのですね。

二等大尉はついにあきらめて手を振り、「どこへでも運ぶがいいや!」と言いました。

少年たちは柩を担ぎあげましたが、母親のわきを運びすぎる際、「イリューシャ」とお別れができるよう、ちょっとの間立ちどまって、柩をおろしました。

しかし、この三日間というものいくらか離れたところからだけ眺めていた、なつかしいわが子の顔をいきなり間近に見ると、彼女は突然、全身をふるわせ、柩の上でヒステリックに白髪の頭を前後に振りはじめました。

「ママ、十字を切って、祝福してやって。接吻してやってちょうだい」

「ニーノチカ」が叫びました。

しかし、母親は自動人形のように頭を振りつづけ、ふいに焼きつくような悲しみに顔をゆがめて、言葉もなく、拳で胸をたたきはじめました。

柩はさらに運ばれて行きました。

「ニーノチカ」は、柩がわきを運ばれて行くとき、最後にもう一度、死んだ弟の口に唇を重ねました。

「アリョーシャ」は家を出しなに、あとに残った人たちの世話を家主のおかみに頼もうとしかけましたが、おかみはみなまで言わせませんでした。

「わかってますとも、ついていてあげますよ、これでもキリスト教徒ですからね」


こう言いながら、老婆は泣いていました。


2019年3月24日日曜日

1088

「アリョーシャ」は部屋に入りました。

襞飾りのある白布で覆われた青い柩の中に、小さな両手を組み合せ、目を閉じて、「イリューシャ」が横たわっていました。

痩せ衰えた顔の目鼻だちはほとんどまったく変っていませんでしたし、ふしぎなことに遺体からほとんど臭気も漂っていませんでした。

顔の表情はまじめで、物思いに沈んでいるかのようでした。

十字に組んだ、大理石で刻んだような両手が、とりわけ美しいのでした。

その両手に花が握らされていましたし、それに柩全体が外側も内側も、今朝早く「リーザ・ホフラコワ」から届いた花ですでに飾られていました。

しかし、そこへさらに「カテリーナ」からも花が届けられたので、「アリョーシャ」がドアを開けたとき、二等大尉はふるえる両手で花束をかかえ、いとしい子供の上に新たに花をふりかけているところでした。

彼は入ってきた「アリョーシャ」をほんのちらと見ただけでした。

それに、だれのことも見ようとせず、泣いている気のふれた妻さえ、あの大事な《かあちゃん》の顔さえ、見ようとしませんでした。

一方彼女は痛む足を必死にふんばって身を起し、死んだわが子をもっと近くで見ようと努めていました。

「ニーノチカ」は、少年たちが椅子ごと担ぎあげて、柩の近くにぴったり寄せてやりました。

彼女は柩に頭を突っ伏して坐り、どうやら、やはりひっそり泣いているようでした。

「スネギリョフ」の顔は生気を取り戻したような表情をしていましたが、それでいてなにか呆然としたような、同時にまたひどく怒ったような感じでもありました。

動作にも、口をついて出る言葉にも、何か乱心したようなものがありました。

「坊主、かわいい坊主!」

「イリューシャ」を見つめながら、のべつ彼は叫んでいました。

ただ「イリューシャ」が元気だった時分から、さもいとしそうに「坊主、かわいい坊主!」と言う癖があったのです。

「お父さん、わたしにも花をおくれよ、その子の手にあるのをちょうだい、ほら、その白い花よ、ちょうだい!」

これは(887)で「コーリャ」が病床の「イリューシャ」にあげた「車輪のついたブロンズの大砲」を《かあちゃん》がほしがったことと同じですね。

気のふれた《かあちゃん》がしゃくりあげながら、頼みました。

「イリューシャ」の手に握られている小さな白いバラがひどく気に入ったのか、それともわが子の手にしている花を思い出にほしくなったのか、とにかく彼女は両手を花の方にさしのべて、身もだえはじめました。

「だれにもやらんぞ、何一つやるもんか!」

「スネギリョフ」が薄情に叫びました。


「あの子の花なんだ、お前のものじゃない。みんな、あの子のものだよ。お前のなんか何一つあるもんか!」


2019年3月23日土曜日

1087

三 イリューシェチカの葬式。石のそばでの演説

たしかに遅刻でした。

みんなは彼をさんざ待ち、とうとう彼が来なくとも花で飾られた美しい小さな柩を教会に運ぶことに決めたほどでした。

それはかわいそうな少年「イリューシェチカ」の柩でした。

少年は「ミーチャ」の判決の二日後に、この世を去ったのであります。

「アリョーシャ」は家の門のあたりでもう、「イリューシャ」の友達の少年たちの嘆声に迎えられました。

少年たちはみな、しびれを切らして彼を待っていたので、やっと彼が来たのを見て大喜びしたのです。

全部で十二、三人集まっており、どの子もランドセルを背負ったり、肩から鞄を下げたりしていました。

『パパが泣くだろうから、パパについていてあげてね』

死ぬ間ぎわに「イリューシャ」がこう言い残したので、少年たちはそれをおぼえていたのであります。

先頭にいるのは、「コーリャ・クラソートキン」でした。

「あなたが来てくださって、とても嬉しいですよ、カラマーゾフさん!」

「アリョーシャ」に片手をさしのべながら、彼は叫びました。

「ここは恐ろしい有様です。ほんとに、見ているのがつらくって。スネギリョフさんは酔っていないし、あの人が今日は何も飲んでいないのを、僕たちもちゃんと知ってるんですけど、まるで酔払ってるみたいなんですよ・・・・僕はいつもはしっかりしてるんだけど、これはひどすぎますよ。カラマーゾフさん、もしちょっとの間だけ差支えなければ、家にお入りになる前に、一つだけおききしておきたいんですけど」

「何をです、コーリャ?」

「アリョーシャ」は足をとめました。

「お兄さんは無実なんですか、それとも罪を犯したんですか? お父さんを殺したのは、お兄さんですか、それもと召使なんですか? あなたのおっしゃることを、そのまま信じます。僕はそればかり考えて、四晩も眠れずにいるんです」

「殺したのは召使で、兄は無実ですよ」

「アリョーシャ」は答えました。

「ほら、僕の言ったとおりだ!」

突然「スムーロフ」少年が叫びました。

「それじゃお兄さんは、真実のために無実の犠牲となって滅びるんですね!」

この「スムーロフ」少年が言う「ドミートリイ」が「真実のために無実の犠牲」になったということはどういう意味でしょうか、むずかしいですね、ここでいう「真実」とは理想とか理念とかのことでしょうか、それとも「スメルジャコフ」が犯人だという真実のことでしょうか、もし後者であれば「スメルジャコフ」の名誉を守るために自分が犠牲になったということですが、それとも前者として考えればもっと広大な意味づけが考えられますが。

「コーリャ」が叫びました。

「たとえ滅びても、お兄さんは幸せだな! 僕は羨みたいような気持です!」

「何を言うんです、よくそんなことが、いったいなぜです」

「アリョーシャ」はびっくりして叫びました。

「ああ、僕もせめていつの日か、真実のためにこの身を犠牲にできたらな」

ここで「コーリャ」の言う「真実のためにこの身を犠牲」というのは、「革命」を意識が含まれる広い意味がありますね。

「コーリャ」が熱狂的に言い放ちました。

「でも、こんな事件でじゃなくたって、こんな恥辱やこんな恐怖なぞなくたっていいでしょう!」

「アリョーシャ」は言いました。

「もちろんですよ・・・・全人類のために死ねればとは思いますけど、恥辱なんてことはどうだっていいんです。僕らの名前なんか、滅びるにきまってるんですから! 僕はお人さんを尊敬しますよ!」

「僕も!」


突然、もはやまったく思いもかけず少年たちの群れの中から、いつぞやトロイの創設者を知っていると言ってのけた、ほかならぬあの少年が叫び、叫んでしまってから、ちょうどあのときと同じように耳まで芍薬のように真っ赤になりました。


2019年3月22日金曜日

1086

「カーチャ」

突然「ミーチャ」が叫びました。

「君は僕が殺したと信じているの? 今は信じていないことはわかるけど、あのときは・・・・証言をしたときには・・・・ほんとに信じていたのかい?」

「あのときだって信じていなかったわ? 一度も信じたことなんかなくってよ! あなたが憎くなって、ふいに自分にそう信じこませたの、あの一瞬だけ・・・・証言していたときには、むりにそう思いこんで、信じていたけれど・・・・証言を終ったら、とたんにまた信じられくなったわ。それだけは知っておいて。あたし忘れていたわ、自分を罰するために来たのに!」

私は、彼女の本心が全くわかりません、一瞬の嘘の証言をしたなら、証言が終ってから本当のことを申し出るべきだと思います。

つい今しがたまでの愛のささやきとはおよそ似通ったところのない、なにやら突然まるきり新しい表情になって、彼女は言いました。

「君もつらいよな、女だもの!」

だしぬけに、なにかまったく抑えきれぬように、「ミーチャ」の口からこんな言葉がほとばしりでました。

「もう帰らせて」

彼女はささやきました。

「また来るわね、今はつらいの!」

彼女は席を立とうとしかけましたが、突然、甲高い悲鳴をあげて、あとずさりました。

ごく静かにではありましたが、ふいに部屋に「グルーシェニカ」が入ってきたのです。

だれも予期せぬことでした。

「カーチャ」はすばやく戸口に向いましたが、「グルーシェニカ」とすれ違うときになって、ふいに立ちどまり、白墨のように顔を青ざめさせて、ほとんどささやきにひとしい小声で呻くように言いました。

「あたくしを赦して!」

相手はひたと彼女を見つめ、一瞬待ってから、憎悪のこもった毒のある声で答えました。

「憎み合っている仲じゃないの! どっちも憎しみに燃えてるのよ! あんたも、あたしも、赦す余裕なんかあって? 彼を救ってくれたら、一生あんたのことを神さまに祈ってあげるわ」

「赦そうとは思わないのか!」

はげしい非難をこめて、「ミーチャ」が「グルーシェニカ」をどなりつけました。

「安心なさい、あなたのために救ってあげるから!」

「カーチャ」は早口にささやくと、部屋を走りでました。

「よく赦さずにいられたもんだな、あの人のほうから『赦して』と言ったのに!」

「ミーチャ」がまた大声で叫びました。

「兄さん、その人を責めちゃいけない、そんな権利はないはずです!」

「アリョーシャ」がむきになって兄に叫びました。

「傲慢な女が口先で言っただけじゃないの、心が言った言葉じゃないわ」

なにか汚らわしげに「グルーシェニカ」が言いすてました。

「あなたを救いだしたら、何もかも赦してやるわ・・・・」

彼女は胸の内で何かを押し殺したかのように、口をつぐみました。

彼女はまだ自分に返ることができませんでした。

あとでわかったのですが、彼女はこんな事態に出くわそうとはまったく予期せず、何一つ疑ってもみずに、偶然、入ってきたのです。

「アリョーシャ、あの人を追いかけてくれ!」

「ミーチャ」が大急ぎで弟をふりかえりました。

「あの人に言ってくれ・・・・どう言えばいいかな・・・・とにかく、このまま帰らせちゃいけない!」

「晩までにまた来ます!」

「アリョーシャ」は叫んで、「カーチャ」を追いました。

追いついたのは、もう病院の塀を出てからでした。

彼女は足早に歩き、急いでいましたが、「アリョーシャ」が追いついたとたん、早口に言いました。

「いいえ、あの女の前で自分を罰するなんて、あたくしにはできないわ!『あたくしを赦して』と言ったのは、とことんまで自分を罰したかったからなのよ。でも、赦してくれなかった・・・・あの女のああいうところが好きなの!」

ゆがんだ声で「カーチャ」は言い添えました。

その目がはげしい憎悪にきらりと光りました。

「兄はまったく予期していなかったんです」

「アリョーシャ」がつぶやきかけました。

「てっきり来ないものと思っていたので・・・・」

「そうでしょうとも。その話はやめましょう」

彼女はぴしりと言いました。


「ねえ、あたくし今はごいっしょにお葬式へ行くことはできませんわ。ご霊前にお花を届けておきました。お金はたぶんまだあるはずですわ。もし必要になったら、今後も決してあの人たちを見すてはしないとお伝えになって・・・・じゃ、ここでお別れしましょう。どうか、あたくしを一人にしてください。あなただって遅れたでしょうに。もう午後の礼拝の鐘が鳴っていますもの・・・・あたくしを一人にしてください、どうか!」