2018年6月30日土曜日

821

「ああ、やたらにあの人の名を口にしないでください! あの人を引合いにだすなんて、僕は卑劣漢だ。そう、あの人が僕を憎んでいることはわかっていました・・・・ずっと以前・・・・いちばん最初から、まだ向うにいたころに僕の下宿を訪ねてきたあのときからです・・・・しかし、もういい、たくさんだ、あなた方はそんなことを知る値打ちもないんです、こんな話は全然必要ないし・・・・必要なのは、あの人がひと月前に僕をよんで、モスクワにいる姉さんとそれからだれか親戚の女性に送ってくれるようにと、この三千ルーブルを僕に預けたってことだけです(まるで、自分じゃ送れないと言わんばかりにね!)、ところが僕は・・・・それがまさに僕の人生の宿命的なときのことで、そのころ、僕は・・・・つまり、一口に言ってしまえば、僕が別の女性を、彼女を、今の彼女を、ほら今階下に坐っている女性ですが、あのグルーシェニカを好きになったばかりだったんです・・・・僕はそのときこのモークロエへ彼女を引っ張ってきて、二日間でその呪わしい三千ルーブルの半分、つまり千五百ルーブルをここで使い果し、あとの半分をしまっておいたんです。ほら、これが僕のしまっておいた、その千五百ルーブルですよ、僕はお守り袋の代りにそれを頸にかけて持ち歩いていたんですが、ゆうべ封を切って、どんちゃん騒ぎをやってしまったんです。今あなたの手もとにある残金八百ルーブル、それがゆうべの千五百ルーブルの残りですよ、ニコライ・パルフェーノウィチ」

「ニコライ・パルフェーノウィチ」は「ネリュードフ」のことです、ここではじめて明らかになったのは、あの自尊心の強い「ドミートリイ」がどうして「カテリーナ」の三千ルーブルを盗ってしまったかということです、彼はそういう卑劣な行為はしない人物だと思いますが、なぜそんなことをしてしまったのかということです、ここで「僕の人生の宿命的なとき」と言っているように「グルーシェニカ」を好きになってしまい理性をなくしていたのが主な理由でしょう、浮かれすぎて衝動的にモークロエに行ったのかもしれませんし、その背景には彼の「カテリーナ」に対する嫌悪感など複雑な気持ちもあったかもしれません、また、三千ルーブルは「フョードル」からもらうことのできる当然の金額であると思っており、それを実行するためにも自分を追い込もうとしたのかもしれません。

また、「ドミートリイ」が頼まれた送り先は「モスクワにいる姉さんとそれからだれか親戚の女性」とのことです、それは「ドミートリイ」が国境守備隊のときの中佐の娘で裁縫師の「アガーフィヤ・イワーノヴナ」ですね、また「だれか親戚の女性」とはわかりませんが、カテリーナの二人の叔母さんかもしれません。

「失礼ですが、それはどういうことですか。だってひと月前にあなたがここで使ったのは、千五百ルーブルじゃなく、三千ルーブルじゃありませんか。それはだれでも知っているでしょうに?」

あれほど三千ルーブルと言っていましたのでやはり、そこのところは疑問に思いますね。

「だれが知っているんです? だれが数えました? 僕がだれに数えさせたというんです?」

「冗談じゃありませんよ、あのときはちょうど三千ルーブル使ったと、あなた自身がみなに言ってらしたでしょうに」

「たしかに言いましたよ。僕は町じゅうに言いふらしたし、町じゅうの人もそう言って、このモークロエでもみんながそう思いこんでいたんです。みんなが三千ルーブルだと思いこんでいました。ただ、それでもやはり僕が使ったのは三千じゃなく、千五百ルーブルだけで、あとの半分はお守り袋に縫いこんでおいたんです。事実はこうだったんですよ、みなさん、これがゆうべのこの金の出どころです・・・・」

「ドミートリイ」はなぜ自分で町じゅうの人に三千ルーブルと言っていたのか、その質問にはこたえていませんね。

「奇蹟に近い話だ・・・・」

「ネリュードフ」が舌足らずに言いました。

「一つうががわせていただきますが」

ついに検事が言いました。

「あなたはこれまでにその事情を、せめてだれかに告げておかれなかったんですか・・・・つまり、ひと月前のそのとき、千五百ルーブルを手もとに残しておいたことをですね?」


「だれにも話してません」


2018年6月29日金曜日

820

七 ミーチャの大きな秘密-一笑に付される

「みなさん」

なおも動揺しながら、彼は口を開きました。

「この金は・・・・僕はすっかり打ち明けるつもりですが・・・・この金は僕の(三字の上に傍点)だったんです」

検事と予審調査官は失望の顔色さえうかべました。

彼らが期待していたのは、まったく違うことだったのです。

「あなたのとは、どういうわけです」

「ネリュードフ」が舌足らずな口調で言いました。

「あなたご自身の供述では、当日の五時にはまだ・・・・」

「えい、当日の五時だの、本人の供述だのなんて、どうだっていいんだ、今や問題はそんなことじゃないんですよ! この金は僕のだったんです、僕の、つまり僕の盗んだ金なんです・・・・つまり、僕のじゃなく、僕の盗んだ金で、千五百ルーブルありました。その金を僕は身につけていたんです、いつも身につけていました・・・・」

「で、どこから取りだしたんです?」

「頸から取ったんですよ、みなさん、頸から。僕の頸の、ほら、ここから・・・・頸のここのところに、ぼろ布に縫いこんで、さげておいたんです。もうだいぶ前から、もう一ヶ月もの間、僕は羞恥と恥辱といっしょにこの金を持ち歩いていたのです!」

具体的な状況がわかりません、千五百ルーブルを「ぼろ布に縫いこんで」頸からさげていたというのですが、ぼろ布にお金を包んで丸めて縫って紐をつけて頸からぶら下げていたのでしょうか。

411で「ドミートリイ」は「アリョーシャ」に話しています、「俺を見てくれ、じっと見てくれ。ほら、ここに、ここのところに、恐ろしい破廉恥が用意されているんだ(『ほら、ここに』と言いながら「ドミートリイ」は拳で自分の胸をたたいたが、それもまるで胸のどこかそのあたりに破廉恥がしまわれ、保たれているかのような、ことによるとポケットに入れてあるか、でなければ何かに縫いこんで首にでも下げているみたいな、奇妙な様子だった)。俺と言う人間はお前にももうわかったはずだ。卑劣漢さ、衆目の認める卑劣漢だよ!だけど、いいか、俺が過去、現在、未来にわたってどんなことをしようと、まさに今、まさしくこの瞬間、俺が胸のここに、ほら、ここにぶらさげている破廉恥にくらべたら、卑劣さという点で何一つ比較できるようなものはないんだ。この破廉恥は、現に着々と成就されつつあるんだし、それを止めるのは俺の気持一つで、俺はやめることも実行することもできるんだよ、この点をよく憶えといてくれ!でも、俺はやめずに、そいつを実行すると思ってくれていい。さっきお前に何もかも話したけれど、これだけは言わなかったんだ、俺だってそれほどの鉄面皮は持ち合わさんからな!今ならまだ俺はやめることができる。思いとどまれば、失われた名誉の半分をそっくり明日返すことができるんだ。しかし、俺は思いとどまらずに、卑しい目論見を実行するだろうよ、お前にはいずれ、俺があらかじめ承知のうえでこの話をしたという証人になってもらうよ!破滅と闇さ!べつに説明することもないよ、いずれわかるだろうからな。悪臭にみちた裏街と、魔性の女だ!さよなら。俺のことを祈ったりしてくれるなよ、そんな値打ちはないんだから。それに全然必要ないしな、まるきり必要ないよ・・・全然要らないことだ!あばよ!」と。

つまり、もうここで、作者は(・・・・でなければ何かに縫いこんで首にでも下げているみたいな、奇妙な様子だった)と書いてありますし、「・・・・失われた名誉の半分をそっくり明日返すことができる」と千五百ルーブルという金額のことも書いてあります。

(709)で「ホフラコワ夫人」から三千ルーブルを借りられないことがわかり、拳で力まかせにテーブルを殴り、唾を吐き棄て、足早に部屋を、家を出て、真っ暗な通りにとびだしたのですが、「彼は狂ったように腕を、二日前の夕方、「アリョーシャ」と暗い通りで最後に会ったときにたたいて見せた、他ならぬ胸のあの場所をたたきながら、歩いていきました。」ともあります。

しかし、(706)で「ホフラコワ夫人」はキエフの紐にさげた小さな銀の聖像をみずからの手で彼の頸にかけました、そして彼はすっかりどぎまぎして身をかがめ、彼女に協力して、やっとネクタイとワイシャツのカラーをくぐらせて聖像を胸にかけたのですが、この時にはその千五百ルーブルのボロ布も頸からかけられていたはずですが、そのことは触れられていませんね、そして彼女を家を飛びたしたときに先ほどの(709)描写になるのです。

「しかし、いったいだれから、その・・・・失敬したんです?」

「《盗んだ》と言いたかったんでしょう? これからは言葉を率直におっしゃってください。そう、僕はこの金を盗んだも同然と見なしていますが、なんなら、たしかに《失敬した》と言っても結構です。しかし、僕の考えでは、盗んだのです。ゆうべ、すっかり盗んでしまったんですよ」

「ゆうべ? しかし、あなたはたった今、そのお金を・・・・手に入れてからもう一ヶ月になると、おっしゃったじゃありませんか?」

「ええ、でも親父からじゃありませんよ、親父からじゃない、ご心配なく。親父からじゃなく、彼女からです。邪魔しないで話させてください。実にやりきれないことなんだから。実はね、ひと月前に僕は、かつてのいいなずけだったカテリーナ・イワーノヴナ・ヴェルホフツェワによばれたんです・・・・あの人をご存じでしょう?」

「もちろん、存じあげてます」

「ご存じなことはわかっています。この上なく高潔な心の持主で、高潔な人の中でももっとも高潔な女性ですが、もうずっと以前から僕を憎んでいましてね、ええ、ずっと以前から・・・・それに、むりもないんだ、憎むのが当然なんです!」

「カテリーナ・イワーノヴナが?」

予審調査官がびっくりして、きき返しました。


検事もひどくまじまじと見つめました。


2018年6月28日木曜日

819

「そんなばかな。ナンセンスだ! 枕の下だなんて、全然知らなかったんです。それに、ひょっとしたら、まるきり枕の下でなんぞなかったかもしれないし・・・・枕の下だなんて、僕はあてずっぽうを言ったんですよ・・・・スメルジャコフはどう言ってます? どこに隠してあったか、あいつにきいてみましたか? スメルジャコフは何と言ってるんです? そこが大事ですよ・・・・僕はわざとでたらめを言ったんです・・・・よく考えもせずに、枕の下にあるなんて、でたらめを言ったんだ、それをあなたは今になって・・・・そうでしょう、つい口がすべって、でたらめを言うことはあるでしょうが。知っていたのはスメルジャコフ一人です、スメルジャコフだけなんだ、ほかにはだれもいません! あいつは隠し場所を僕にも明かさなかったんですからね! しかし、これはあいつだ、あいつの仕業だ。疑いもなくあいつが殺したんです。今こそ僕にははっきりわかりましたよ」

これは完全にでたらめを言った「ドミートリイ」が悪いですね、しかし彼の言うように「スメルジャコフ」に聞けばわかることだと思いますが、彼が「枕の下」と言えばアウトです、また彼が本当のことを言うという保証もありません。

ますます熱狂し、とりとめのないことをくりかえしたり、むきになって、息まいたりしながら、「ミーチャ」は叫びました。

「わかってください、そしてあいつを早く、一刻も早く逮捕してください・・・・あいつは、僕が逃げ去ったあと、グリゴーリイが意識不明で倒れている間に、殺したんです、今こそはっきりしたぞ・・・・あいつが合図をしたんで、親父はドアを開けたんです・・・・なぜって、合図を知っていたのはあいつだけだし、合図がなけりゃ親父はだれにも戸を開けやしないでしょうからね・・・・」

ここで「合図がなけりゃ親父はだれにも戸を開けやしないでしょうからね・・・・」と言っています、「ドミートリイ」の言うことを信じれば、彼は合図をし、それを聞いて「フョードル」が窓から身を乗り出しました、しかしドアは開けませんでした、「グルーシェニカ」の気配があればドアは開けるでしょう、いずれにせよ「フョードル」はドアを開ける態勢にあったということは確かです。

「しかし、またあなたは例の状況を忘れておいでですね」

この検事は一体何を言っているんでしょう、「例の状況」とはドアがすでに開け放されていた状況のことで、このことについてはまだ意見が分かれているのですが。

相変らず感情を表に出さないで、しかしすでに勝ち誇ったような顔で、検事が指摘しました。

「ドアがすでに開け放されていたとすれば、合図をする必要もなかったわけですよ、それもまだあなたがいるとき、あなたが庭におられるときに開いていたとすれば・・・・」

すでに開け放されていたとすれば、それは合図を聞いた「フョードル」が中から開けたのであり、「ドミートリイ」が中に入って殺害し、三千ルーブルを盗んだ後で庭の方へ逃げ去ったことになります、つまり「ドミートリイ」がその時ドアが閉まっていたと嘘をついているということを前提にしての推論ですね。

「ドアね、ドアか」

「ミーチャ」はつぶやき、言葉もなく検事を見つめました。

彼はふたたび力なく椅子に腰をおろしました。

みなが沈黙しました。

「どうか、ドアか! こいつは化物だな! 神さまが僕に反対なさってるんだ!」

もはやまったく考えもなく目の前を眺めたまま、彼は叫びました。

「いいですか」

検事が重々しく言い放ちました。

「今度はご自分で考えてごらんなさい、ドミートリイ・フョードロウィチ。一方には、ドアが開いていて、そこからあなたが逃げだしたという、あなたをわれわれをもがっくりさせる証言がある。その一方にはまた、あなた自身の供述によれば、つい三時間前にたった十ルーブルの金を作るために、ピストルを担保に入れたほどだというのに、忽然としてあなたの手の中に現われた大金の出所に関して、理解に苦しむ、頑な、強情と言ってもよいくらいの沈黙がある、というわけです!」

これらのすべてをお考えのうえ、ご自分で決めてください。われわれは何を信じ、何を結論とすればいいんです? われわれがあなたの魂の高潔な叫びを信ずることのできぬ、《冷酷な皮肉屋で、嘲笑好きな手合い》だなどと腹を立てないでください・・・・むしろ反対に、われわれの立場も理解していただきたいものですね・・・・」

「ミーチャ」は想像もできぬほど動揺していました。

顔が蒼白になりました。

「いいでしょう! 突然、彼は叫びました。

「あなた方に僕の秘密を打ち明けましょう、金も出どころを明かします! あとになってあなた方のことも、自分自身も責めないでいいように、恥辱を打ち明けます・・・・」

「それから、ぜひ信じてください、ドミートリイ・フョードロウィチ」

なにやら感動したような嬉しげな声で、「ネリュードフ」がすかさず言いました。

「まさに今のような瞬間にあなたが誠実な完全な告白をしてくだされば、それは後日、あなたの運命をずっと軽くするのに影響を及ぼすはずですし、そのほかにも・・・・」

しかし、検事がテーブルの下で軽くつついたので、相手は潮時よく言葉を切ることができました。

「そのほかにも・・・・」の続きは何なんでしょうか、想像もつきません。


もっとも、「ミーチャ」は彼の言葉など、きいてもいませんでした。


2018年6月27日水曜日

818

「そう、しかし老人が開いているドアに気づいたのは、負傷から意識を取り戻したときではなく、それよりももっと以前、離れから庭に入ったばかりのときですのでね」

検事はよくわかっていますね。

「しかし嘘です、嘘だ、そんなことはありえませんよ! あいつは僕への恨みから中傷しているんです・・・・あいつが見るはずはないんだ・・・・僕はドアから逃げだしたんじゃありませんからね」

「ミーチャ」は息を切らせていました。

検事が「ネリュードフ」をふりかえり、もったいをつけて言いました。

「出してごらんなさい」

「この品物に見おぼえがありますか?」

突然「ネリュードフ」が厚紙の大きな事務用の封筒をテーブルの上に出しました。

封筒には、まだそっくりしている三つの封印が見えました。

「そっくりしている」とはどう言う意味でしょう、「そっくり」の副詞的用法に「欠けることのないさま。そのまま。残らず。全部。」というのがありました。

封筒そのものは空っぽで、一方の横を破られていました。

「ミーチャ」は目を見はりました。

もし「ドミートリイ」が犯人でお金を盗んでいたなら、そのようにはじめて見たような演技はできないでしょう。

「これは・・・・これは、してみると、親父の封筒ですね」

彼はつぶやきました。

「三千ルーブル入っていた例のやつだな・・・・上書きがあれば、ちょっと拝見。《ひよこちゃんへ》か・・・・なるほど。これが三千ルーブルだ」

ちなみに《ひよこちゃんへ》は、亀山郁夫訳では『ひな鳥さんへ』になっていました。

彼は叫びました。

「三千ルーブルですよ、おわかりですか?」

「もちろん、わかっています、しかし金はもうこの中にはなかったんですよ。封筒は空で、屏風のかげの、ベッドのわきの床の上に落ちていたのです」

数秒間、「ミーチャ」は呆然と立ちつくしていました。

「みなさん、これはスメルジャコフです!」

だしぬけに彼はあらん限りの声で叫びました。

「あいつが殺したんだ、あいつが金を奪ったんです! 親父がどこにこの封筒を隠しているかを知っていたのは、あの男だけなんですから・・・・あいつの仕業だ、これではっきりしましたよ!」

「しかし、あなたもこの封筒のことや、封筒が枕の下にあったことは、知っておられましたね」

「絶対に知りません。僕はまるきり一度もこの封筒を見たこともないんです、今はじめて見るんですよ。これまではスメルジャコフからきかされていただけで・・・・親父がどこへ隠していたが、知っていたのはあいつだけです、僕は知らなかった・・・・」

「ミーチャ」はすっかり息を切らせていました。

「それでも、さっきあなたは自分から、封筒は亡くなったお父上の枕の下にしまってあったと、供述なさったんですよ。たしかに枕の下とおっしゃった。とすれば、あり場所を知っていたんじゃありませんか」

「記録にもそう記してあります!」

それは(790)ですね、「ドミートリイ」は「「六千以上、おそらく一万以上でしょうね。僕はみんなに言ったし、みんなに叫びまわりました! でも、仕方がないから、三千で折り合うことに決めたんです。僕にはその三千がどうしても必要だったもんで・・・・だから、三千ルーブル入ったあの封筒が、グルーシェニカのために用意されて、親父の枕の下にあることも知ってましたが、僕は自分の金が盗まれたように思っていたんです。そうなんですよ、みなさん。僕の金も同然だ、自分の金だと、見なしていたんです・・・・」と供述しています、そしてその時、「検事が意味ありげに予審調査官と顔を見合せ、気づかれぬようにすばやく目くばせしました。」とあります。

「ドミートリイ」は三千ルーブル入った封筒が「枕の下」にあったということをどうして知っていたのでしょうか、もちろん犯人なら当然知っていますが、彼が犯人ではないとしたらいつ知ったのでしょう。

(713)で庭に侵入した「ドミートリイ」は「フョードル」が「ここへおいで。おみやげを用意しといたんだよ。さ、おいで、見せてあげるから!」と言うのを聞いており、『あれは例の三千ルーブルの包みのことだな』と思っています、しかし、封筒の場所については何も書かれていません、無理やり想像すると、「フョードル」は喋りながらその封筒を枕の下から一旦出したのかもしれず、それならば「ドミートリイ」も枕の下にあることがわかったと思います、しかし、そのことは書かれていません。

340)で「ドミートリイ」は「アリョーシャ」に「・・・・実はな、五日ほど前に親父は三千ルーブルとりわけて、百ルーブル札にくずしたうえ、大きな封筒に入れて、封印を五つも押し、しかもその上から赤い細引きで十字に縛ったもんだ。どうだい、実にくわしく知っているだろう?封筒の上には、『わが天使グルーシェニカへ。来る気になったら』と書いてある。親父が内緒でこっそり、自分で書いたのさ、だから、親父のところにそんな金があることは、召使のスメルジャコフ以外、だれも知らないんだよ。・・・・」と言っていますが、ここでも「枕の下」とは言っていません。

そして(563)で「スメルジャコフ」が「イワン」に「・・・・それに、大旦那さまの手もとに大きな封筒が支度されていることは、ドミートリイさまも十分承知していらっしゃいますし。その封筒には三千ルーブル入っていて、封印を三つも押した上にリボンをかけて、大旦那さまご自身の手で『わが天使グルーシェニカへ。来る気になってくれたら』と書いてあるんです。その後三日ほどして、さらに『ひよこ(三字の上に傍点)ちゃんへ』と書き足されましたがね。」と話していますが、「枕の下」という言葉はありません、ということは、三千ルーブルの封筒が「枕の下」にあることを知っているのは犯人だけだと思われても当然ですね、
これは「ドミートリイ」にとって相当不利な展開です。


「ネリュードフ」が裏付けました。


2018年6月26日火曜日

817

検事はその間ずっと彼の様子を見守っていましたが、彼が口をつぐんだとたん、きわめて冷静な、きわめて淡々とした様子で、さもしごくありふれたことでも話すように言いました。

「まさにあなたが今おっしゃった、その開いていたドアのことですがね、ちょうどついでですから、あなたに傷を負わされたグリゴーリイ老人の、きわめて興味深い、そしてあなたにとってもわれわれにとってもこの上なく重要な証言を、今ここでお伝えしてかまわんでしょう。意識を取り戻したあと、われわれの質問に対して老人がはっきり、くどいくらいに語った話によると、表階段に出て、庭になにやら物音をききつけたので、開け放されたままになっている木戸から庭に入ってみようと決心した段階で、庭に入るなり、あなたがすでに供述なさったように、開け放した窓ごしにお父上の姿を見て暗闇の中を逃げてゆくあなたの姿に気づく前に、グリゴーリイ老人は左手に目をやって、たしかにその窓が開いているのを見たそうですし、同時に、そのずっと手前にあるドア、つまり庭にいた間ずっと閉ったままだったとあなたが主張なさっておられる例のドアが開け放されているのに気がついたそうです。あなたには隠さずに申しあげますが、グリゴーリイ自身は、あなたがそのドアから逃げだしたにちがいないと固く断言し、証言しているのです。と言っても、もちろん彼は、あなたが走りでるところを自分の目で見たわけではなく、老人がはじめてあなたを見つけたのは、もうだいぶ離れた庭の中で、塀の方に逃げてゆくところを・・・・」

「ミーチャ」はまだ話の半ばごろに椅子から跳ね起きました。

「そんなばかな!」

突然、気違いのように彼はわめきたてました。

「よく平気でそんな嘘を! あいつが開いているドアを見るなんてはずがない。だって、あのときドアは閉まってたんですからね・・・・嘘をついてるんだ!」

(802)で「このドアは(781)で「そこで女二人と「フォマー」とが旦那のところへ行ったのですが、庭に入るなり、今度は窓だけではなく、家の中から庭へ出るドアも開け放しになっていることに気づきました」と書かれているドアですね、そしてすでにまる一週間というもの、毎晩、旦那が宵のうちから自分で錠をおろし、「グリゴーリイ」にさえどんな理由があってもノックすることを許さなかったドアなのです、「ドミートリイ」のいる間、このドアは「閉まった」ままで、「フョードル」の殺害を確認した三人によると「開いていた」ということです、「ドミートリイ」の証言を真実だとすれば、彼が出て行った後に「フョードル」を殺害した犯人は部屋から出て行ったということになりますね。」と書きました、ここで「グリゴーリイ」が「はっきり、くどいくらいに語った」と検事は言っているのですから、たぶん本当の話である可能性が高いと思います、そして彼の証言が正しいとすると「ドミートリイ」が見たのは閉まっていたドアであり、彼が庭の塀の方に向かった時から、「グリゴーリイ」が部屋から出てそのドアが開いているのを見るまでのほんの僅かな時間に、真犯人が部屋に入り「フョードル」を殺害し、隙を見て、ドアを開け放したまま出て行ったということになります。

「もう一度申し上げるのが義務と思いますが、老人の証言はしっかりしたものでした。少しもぐらつかずに、自説を主張しつづけるのです。何度も質問してみたのですが」

「そのとおりです、わたしが何度か質問してみたのです」

「ネリュードフ」も熱っぽく相槌を打ちました。

「嘘だ、嘘です! それは僕に対する中傷か、でなけりゃ狂人のたわごとですよ」

「ミーチャ」は叫びつづけました。


「それはうわごとにすぎませんよ。怪我をして血まみれになったんで、意識を取り戻したときにそんな気がしただけの話です・・・・うわごとですよ」


2018年6月25日月曜日

816

「いや、いや、はずさなくていいです!」

突然われに返り、自分自身に腹を立てて、「ミーチャ」は猛然とどなりました。

「はずさなくていいですよ、そんな必要はないんです・・・・畜生・・・・みなさん、あなた方は僕の心をすっかり穢してくれましたね! かりに本当に親父を殺したとしても、この僕がしらを切ったり、のらくら言い逃れをしたり、嘘をついたり、隠れたりするなどと、本気であなた方は思ってるんですか? とんでもない、ドミートリイ・カラマーゾフはそんな人間じゃない。そんなことに堪えられるような男じゃありませんよ。かりに僕が罪を犯したとしたら、誓ってもいいけれど、あなた方がここへ乗りこむのや、最初に考えていたように日の出なんぞを、おめおめと待たずに、もっと早く、夜明けを迎えぬうちに自殺していたでしょうよ! 僕は今自分の気持に照らしてそう感ずるんです。僕は二十年かかっても学びえないほどたくさんのことを、この呪わしい一夜で知りましたよ!・・・・もし本当に僕が父親殺しだったとしたら、こんなふうにしていられますかね、この一夜にしても、今この瞬間あなた方の前に坐っているときでも、こんな態度でいられるもんでしょうかね、こんなふうに話したり、こんなふうに動いたり、あなた方や世間をこんなふうに眺めていられますかね、もののはずみでグリゴーリイを手にかけてしまったことでさえ、夜どおし僕を落ちつかせてくれなかったというのに。それも恐怖からじゃない、そう、あなた方の罰がこわいためだけじゃないんです! 恥辱ですよ! それなのにあなた方は、あなた方みたいな、何も見えず何一つ信じない嘲笑屋に向って、盲のもぐら同然の皮肉屋に向って、この上さらに僕の新しい卑劣な行為を、新しい恥辱を打ち明けさせ、話させようと言うんですか、たとえそれが僕をあなた方の追求から救うかもしれぬとしてもですよ? それなら、いっそ懲役に行くほうがましだ! 親父の部屋のドアを開けて、その戸口から入った人間、そいつが親父を殺し、金を奪ったんです。そいつがだれか、僕も途方にくれて苦しんでいるんですが、しかしそれはドミートリイ・カラマーゾフじゃない。それだけは知っておいてください。僕があなた方に言えるのはそれだけです。もうたくさんだ、しつこくきかないでください・・・・流刑にしようと、死刑にしようとかまわないけど、これ以上僕を苛立たせるのはやめてもらいましょう。僕はもう口をつぐんだんです。勝手に証人をよべばいいでしょう!」

「ミーチャ」は、もはやこれからは絶対にしゃべるまいと決心したかのように、このだしぬけのモノローグを言い放ちました。


「ドミートリイ」は「この上さらに僕の新しい卑劣な行為を、新しい恥辱を打ち明けさせ、話させようと言うんですか、たとえそれが僕をあなた方の追求から救うかもしれぬとしてもですよ? それなら、いっそ懲役に行くほうがましだ!」と言いました、たとえ、この物語が今後、彼の不利なように展開して行くとしても、このモノローグによっても、何度も何度も言うように彼が犯人などというのはありえないと思います。


2018年6月24日日曜日

815

「あの人はとてもよく理解して、残念だと言っています・・・・つまり、服を惜しがっているんじゃなく、そもそも今度の事件全体をですがね」

「ネリュードフ」が煮えきらぬ口調で言いかけました。

「あいつの同情なんぞまっぴらでさあ! さ、今度はどこへ行くんです? それとも、ずっとここに坐ってるんですか?」

彼はまた《あっちの部屋》へ行ってほしいと頼まれました。

「ミーチャ」は憎悪に眉をくもらせ、だれのことも見ぬように努めながら、出て行きました。

他人の服を着ているので、この百姓たちや、宿の主人「トリフォン」に対してさえ、まったく面を上げられぬような気持でした。

「トリフォン」は何のためか戸口にふいにちらと顔をのぞかせ、すぐに消えたのです。

『こんな格好をした俺を見にきやがったんだ』

「ミーチャ」は思いました。

彼は前と同じ椅子に坐りました。

何か悪夢のような、ばかげたことが頭にちらつき、自分が正気でないような気がしました。

「さあ、今度は鞭で僕を殴ろうってわけですか。だって、ほかにはもう何も残っていないでしょう」

検事をかえりみて、彼は歯ぎしりしました。

「ネリュードフ」に対しては、口をきくのももったいないとでも言いたげに、もはや顔を向けようともしませんでした。

『俺の靴下をしつこすぎるくらい調べやがったうえに、裏返せなんて命令しやがって、卑劣漢め。あれは俺がどんな汚ない下着をつけてるか、みんなにさらしものにするために、わざとやりやがったんだ!』

「そう、今度は証人の尋問に移らなけりゃなりませんね」

「ミーチャ」の質問に答えるかのように、「ネリュードフ」が言いました。

「そうですな」

検事がやはり何事か思案するように、考え顔で言いました。

「ドミートリイ・フョードロウィチ、われわれはあなたのために、できるだけのことはやりました」

「ネリュードフ」がつづけました。

「しかし、身につけておられた金額の出所をわれわれに明かすことを、あなたがあれほど全面的に拒否なさった以上、今となっては・・・・」

「あなたのその指輪の石は何ですか?」

突然、何かの瞑想からぬけだしたように、「ネリュードフ」の右手を飾っている三つの大きな指輪のうち、一つを指さしながら、「ミーチャ」が話をさえぎりました。

(785)で「ミーチャは突然、彼の大きな指輪にひどく興味をそそられたことをおぼえています。一つは紫水晶で、もう一つは何やら鮮やかな黄色の、透明な、実に美しいかがやきの宝石でした。その後も永いこと彼は、あの恐ろしい尋問の間でさえずっと、指輪が強い力で眼差しをひきつけ、そのためになぜか目を離すことができず、自分の置かれた立場にまるきりそぐわぬ品物として忘れることでもできなかったのを、ふしぎな気持で思いだしました。」と書かれていました、その時「ネリュードフ」の右手の指輪は二つのようでしたが、ここでは三つになっています。

「指輪?」

「ネリュードフ」はびっくりして、きき返しました。

「ええ、それですよ・・・・その中指にはめている、細い筋の入ったの、それは何て石ですか?」

まるで駄々っ子のように、何やら苛立たしげに、「ミーチャ」はこだわりました。

「これは煙色トパーズです」

「ネリュードフ」が微笑しました。

「ごらんになりますか、はずしますから・・・・」


彼はまだまだ友好的ですね。


2018年6月23日土曜日

814

「まだどこか探したいんじゃないですか、恥ずかしくさえなけりゃ?」

「いえ、さしあたり必要ありません」

「どうなんです、僕はこうして裸のままでいるんですか?」

彼は憤然として付け加えました。

「ええ、今のところやむをえませんね・・・・とりあえずここにお坐りください、ベッドの毛布をとって、くるまっていてもかまいませんよ、わたしは・・・・わたしはこれをみんな整理しますから」

品物は全部、立会人に示され、検査の調書が作成されて、やがて「ネリュードフ」が出て行き、そのあとから衣服も運び去られました。

検事も出て行きました。

「ミーチャ」のわきに残ったのは百姓たちだけで、彼から目を離さずに黙って突っ立っていました。

「ミーチャ」は毛布にくるまりました。

寒くなってきました。

むきだしの足がにょっきりのぞいているのですが、隠そうとしても、どうしても毛布で覆うことができませんでした。

「ネリュードフ」はなぜかいつまでも、《拷問のように永い間》帰ってきませんでした。

『人を犬ころなみに思ってやがる』

「ミーチャ」は歯噛みをしました。

『あのやくざな検事も出て行きやがった。きっと軽蔑の念からだろう。裸の俺を見ているのが、けがらわしくなったんだ』

「ミーチャ」はそれでもやはり、どこか向うで衣服を調べたら、持ち帰るだろうと思っていました。

ところが、「ネリュードフ」が突然、まるきり別の服をかかえた百姓を従えて戻ってくるにおよんで、彼の憤りはその極に達しました。

「さ、服をどうぞ」

見るからに自分の奔走の成功にたいそう満足した様子で、予審調査官が狎れなれしい口をききました。

「これはカルガーノフさんが、この興味深い出来事のために寄付してくださったのです。きれいなシャツも同様にね。運のいいことに、ちょうどトランクに一式入っていたんですよ。下着と靴下はご自分のを使ってもかまいません」

もし「カルガーノフ」の提供がなければどうしたのでしょうか、本当に運が良かったんじゃないでしょうか。

「ドミートリイ」は恐ろしくかっとなりました。

「ひとの服なんぞいやなこった!」

すごい剣幕で彼はどなりました。

「僕のを返してください!」

「それはできません」

「僕のを返してください、カルガーノフなんぞ消えて失せるがいい、あいつの服も、あいつ自身もくそくらえだ!」

永いこと彼を説得し、それでもどうにか気持を鎮まらせました。

彼の服は血に汚れているので、《証拠品の中に含め》ねばならないし、今や自分たちもこのまま彼にあの服を着せておくことは《権利すら持っていない・・・・なにぶん事件がどう決着するかわからないので》と、教えさとされました。

「ミーチャ」も最後には、なんとか納得しました。

納得するのも早い「ドミートリイ」ですね。

彼は暗い顔で黙り込み、急いで服を着にかかりました。

服を着ながら、こいつは自分の古ぼけた服より贅沢だから、《使わせてもらう》のは気がすすまないと、感想を洩らしただけでした。

そのほか、「屈辱的なくらい窮屈だな。こんなものを着て道化の役を演じろというんですか・・・・あなた方を楽しませるために!」とも言いました。

彼はまた、それはおおげさすぎる、「カルガーノフ氏」は背丈こそ彼より高いが、それもほんの少しだから、ズボンが長目なだけだと、たしなめられました。

しかし、フロックは本当に肩が窮屈であることがわかりました。

「畜生、ボタンがなかなかかかりゃしない」

また「ミーチャ」が文句を言いました。


「おねがいだから、今すぐ僕の伝言をカルガーノフ君に伝えてくれませんか。服なんぞ頼んだのは僕じゃないし、僕自身は道化の仮装をさせられたんだって」


2018年6月22日金曜日

813

「失礼ですが」

「ドミートリイ」のシャツの袖口が内側に折りこまれ、すっかり血に染まっているのに気づいて、だしぬけに「ネリュードフ」が叫びました。

「失礼ですが、これはどういうわけです、血ですか?」

「血です」

「ミーチャ」は乱暴に答えました。

「と、つまり、どういう血ですか・・・・それに、なぜ、袖口を中に折りこんであるんです?」

「ミーチャ」は、「グリゴーリイ」にかかずらっているうちに袖口を汚したことや、「ペルホーチン」の家で手を洗うときに、内側に折りこんだことを話しました。

(721)で「ペルホーチン」の指示のもと血を洗い流しました、右袖の折返しの血を洗おうとしたとき「ドミートリイ」は「ここの袖の端を折り込んでしまえば、フロックに隠れて見えませんよ・・・・ほらね!」と言ってそうしたのでした。

「このシャツも押収せねばなりません、物的証拠として・・・・非常に重要ですから」

「ミーチャ」は真っ赤になり、憤慨しました。

「じゃ僕はどうするんです、裸でいろと言うんですか?」

彼はどなりました。

「ご心配なく・・・・なんとか格好をつけますから。とりあえず靴下もぬいでいただきましょうか」

「ふざけてるんじゃないでしょうね? 本当にそれほど必要なことなんですか?」

「ミーチャ」は目を光らせました。

「こっちは冗談どころじゃないんですよ」

「ネリュードフ」がきびしくやり返しました。

「そりゃ、必要とありゃ・・・・僕は・・・・」

「ミーチャ」はつぶやき、ベッドに腰をおろすと、靴下を脱ぎにかかりました。

堪えられぬほどきまりがわるい状態でした。

みんなが服を着ているのに、自分だけ裸なのです。

そして、ふしぎなことに、裸にされると、なんだか自分まで彼らに対して罪があるような気持になってきましたし、何よりも、本当にふいに自分が彼らすべてより卑しい人間になってしまい、今では彼らはもう自分を軽蔑する完全な権利を持っているのだということに、彼自身もほとんど同意しそうになっていました。

『みんなが裸なら、恥ずかしくないんだが、一人だけ裸にされて、みんなに見られているなんて、恥さらしだ!』

こんな思いが何度も頭の中にちらつきました。

『まるで夢でも見てるみたいだ。俺はときおり夢の中で、自分のこんな醜態を見たことがあるな』

このような夢の深層心理は表には出てこない人間の本質をあらわすことがありますね。

それにしても、靴下を脱ぐのは苦痛でさえありました。

靴下はひどく汚れていたし、下着も同様だと言うのに、今やみんなにそれを見られてしまったのです。

「ドミートリイ」の人間の尊厳というものが侵されているのですね。

何よりも、彼はわれながら自分の足がきらいで、なぜかかねがね両足の親指を奇形のように思っていました。

特に右足の親指の無骨な、平べったい、なにか下に折れ曲ったような爪がそうで、それを今やみんなに見られてしまうのだ。

「なにか下に折れ曲ったような爪」というのがわかりませんでしたが、亀山郁夫訳では「へんに内側にめり込んだ爪」となっていましたので、たぶん巻き爪のことでしょう。

やりきれぬ恥ずかしさに、彼は突然今まで以上に、もはやわざと乱暴な態度になりました。


彼は自分でむしりとるようにシャツをぬぎました。


2018年6月21日木曜日

812

六 検事、ミーチャの尻尾をつかむ

「ミーチャ」にとっては、まるきり思いもかけぬ、おどろくべき事態が生じました。

以前であれば、いや、たとえこの少し前の彼でさえ、何者にせよ「ミーチャ・カラマーゾフ」にこんな扱いをなしうるなどとは、絶対に想像できなかったであろう!

何より特に、屈辱的な、いくら彼でも《尊大で、侮蔑的な》事態が生じたのでした。

フロックを脱ぐくらいなら何でもありませんでしたが、さらに脱ぐよう頼まれました。

それも、頼むなどというものではなく、実際には命令でした。

彼にはそれがよくわかりませした。

プライドと軽蔑から、彼は文句も言わずに、そのまま従いました。

「プライドと軽蔑から、彼は文句も言わずに」とは、彼の複雑な気持ちをよく表していますね。

カーテンの中には「ネリュードフ」以外に検事も入ってきましたし、数人の百姓も立ち会いました。

『もちろん、暴力にそなえてだ』

「ミーチャ」は思いました。

彼は自分か暴力をふるって抵抗するのではないかと、尋問者側が考えていることがわかったのですね。

『しかし、ほかにも理由があるのかもしれないな』

「ほかにも理由がある」とは、たとえば裁判の時の証人にしようとしているとかでしょうか。

「どうなんです、シャツもぬぐんですか?」

ぶっきらぼうに彼は質問しかけましたが、「ネリュードフ」は答えませんでした。

検事といっしょにフロックや、ズボン、チョッキ、帽子の検査に熱中しており、二人とも検査にひどく興味をいだきはじめたことは明らかでした。

『まるきり遠慮もしないんだからな』と「ミーチャ」はちらと思いました。

『最低必要な礼儀さえ守らないんだ』

「もう一度うかがいますがね。シャツは脱がなけりゃいけないんですか、どうなんです?」

彼はいっそう語気鋭く、苛立たしげにたずねました。

「ご心配なく。われわれが指示しますから」

なんとなく命令口調で、「ネリュードフ」が答えました。

少なくとも「ミーチャ」にはそう思えました。

一方、予審調査官と検事の間では、小声で念入りな協議が行われていました。

フロックの、それも特にうしろの左裾に、乾いてごわごわになってはいるが、まださほどもみくちゃになっていない、大きな血のしみが発見されたのです。

ズボンにもありました。

「ネリュードフ」はそのうえ、明らかに何かを、というよりもちろん金を探して、襟や袖口や、フロックとズボンの縫目という縫目を、証人立会いのもとにみずから指でなぞってみました。

何より不快なことに、彼らは「ミーチャ」が金を衣服に縫いこんでいるかもしれないし、それくらいやりかねないという疑念を隠そうともしませんでした。

しかし、縫い込むということが、このこの興奮状態の中で、しかも短い時間のうちにそのような緻密な細工が可能なのでしょうか。

『これじゃまるで泥棒扱いだ、将校に対する態度じゃない』

彼はひそかに不平を鳴らしました。

彼らは「ミーチャ」のいる前で、ふしぎなくらい開けっぴろげに自分らの考えを互いに交わし合っていました。

たとえば、やはりカーテンの中に入ってきて、こまめに手伝っていた書記は、もう調べ終った帽子に、「ネリュードフ」の注意を向けさせました。

「書記のグリジェンカをおぼえておいでですか」

書記は言いました。

書記は何人もいるのでしょうか。

「この夏、役所全体の俸給を取りに行って、帰ってくると、酔払ってなくしたと申し立てたんですが、いったいどこから見つかったと思います。

帽子の、ほら、こういう縁飾りの中からでございましたよ。百ルーブル札をこより(三字の上に傍点)のように丸めて、縁飾りの中に縫いこんでいましたので」

百ルーブルは十万円ですが、「役所全体の俸給」とは一体何人分で月額なのでしょうか、書記の「グリジェンカ」はどこに取りに行ったのでしょうか、帰りに「都」に寄って飲んだのでしょうか。

「グリジェンカ」に関する事実は、予審調査官も検事もよくおぼえていましたので、「ミーチャ」の帽子も脇へのけられ、あとで本格的に調べ直すことに決まりました。


服も全部です。