2018年7月31日火曜日

852

母親は心配と苦しみのしどおしでしたが、彼女の不安がつのるにつれて、「ダルダネーロフ」はいっそう希望を増していきました。

断わっておかねばなりませんが、「コーリャ」は「ダルダネーロフ」のそうした心の動きを理解し、読みとって、当然のことながら、彼のそんな《思い》を軽蔑していました。

以前は、「ダルダネーロフ」の狙いが何かわかっているのだと遠まわしに仄めかして、自分の軽蔑を母に対してぶちまけるデリカシーのなさを示したものでした。

ところが、鉄道事件以来、この点でも彼は態度をあらためました。

もはやどんな遠まわしの仄めかしさえ、しようとせず、母の前で「ダルダネーロフ」の話をするときにはずっと丁寧な口をきくようになりました。

敏感な「クラソートキナ」夫人はすぐにそれを理解し、限りない感謝を心にいだきましたが、その代り、関係のない客が「ダルダネーロフ」に関して、ほんのちょっと、ごく何気ない言葉を口にしただけで、その場に「コーリャ」がいたりすると、恥ずかしさのあまり、ふいに顔をバラのように赤くするのでした。

「クラソートキナ」夫人はこの求愛に対してまんざらではないのですね。

そんなとき「コーリャ」は、眉をひそめて窓の外を眺めていたり、長靴に穴があいていないかとしらべてみたり、あるいは、ひと月ほど前ひょっこりとどこかから連れてきて、家にひっぱりこみ、なぜか友達のだれにも見せずに家の中でこっそり飼っている、かなり大きな、疥癬だらけのむく犬「ペレズヴォン」を、荒々しくよんだりするのでした。

少年はひどく暴君ぶりを発揮して、この犬にありとあらゆる芸を教えこんだため、ついに哀れな犬は、「コーリャ」が学校に行って留守の間は鳴きつづけているが、帰ってくると、嬉しさのあまり、きゃんきゃん鳴いて、気違いのように走りまわり、サービスにつとめたり、地面にころがって死んだふりをしてみるなど、一口に言うなら、もはや命じられもしないのに、もっぱら感激と感謝の熱烈な気持から、教えこまれた芸を残らず披露してみせるのでした。

あまり賢い犬とは言えないと思いますが、むやみに喜ぶ情景が目に浮かぶようですね。

ついでに、言及するのを忘れていましたが、読者もご存じの退役二等大尉「スネギリョフ」の息子である「イリューシャ」少年が、学校友達に《へちま》とからかわれた父親をかばって、ペンナイフで腿を突き刺した少年こそ、この「コーリャ・クラソートキン」でした。


(442)で「さっき教室でクラソートキンをペンナイフで突いて、血を出したんだよ。クラソートキンは先生に言いつけようとしなかったけど、あんなやつ、のしちゃわなきゃ・・・」と、「コーリャ」は「クラソートキン」という名前で呼ばれて登場していました。


2018年7月30日月曜日

851

彼は少年を愛していました。

もっとも、少年の機嫌をとるのなぞ卑屈なことと見なしたにちがいないし、教室では厳格な口やかましい態度をとっていました。

しかし、「コーリャ」自身も常に一定の距離をおいて接していたし、勉強もきちんとして、クラスで二番の成績をとり、「ダルダネーロフ」に対する応対もそっけありませんでした。

まったくおかしな訳ですね。

世界史にかけては「コーリャ」は当の「ダルダネーロフ」を《やりこめる》くらい強いということを、クラスじゅうの者が固く信じていました。

そして事実、一度「コーリャ」が彼に『トロイを創ったのはだれか?』という質問を発したとき、それに対して「ダルダネーロフ」は、民族のことだの、民族の移動や移住だの、古代だの、神話だのに関して全般的に答えただけで、トロイを創ったのがだれか、つまりどういう人たちだったかという肝心の点には答えることができず、なぜか質問そのものを無益な空疎なものと見なしたほどでした。

しかし少年たちは、トロイを創ったのがだれかを「ダルダネーロフ」は知らないのだと、という確信をそのままいだいてしまいました。

「コーリャ」は父の死後に遺された書棚の中にあった「スマラグドフ」の本で、トロイの創設者のことを知っていたのです。

やがて、ついに、すべての少年たちがトロイの創設者はいったいだれかという関心をいたくようにまでなりましたが、「コーリャ」は自分の秘密を明かさなかったため、物知りという評判はゆるがぬものになりました。

「コーリャは自分の秘密を明かさなかったため、物知りという評判はゆるがぬものになりました」という文章は一体何を言いたいのでしょうか、「自分の秘密」とは、父の本を読んだことだと思いますが、そのことを秘密にすることが物知りという評判をゆるがぬものにするのでしょうか。

鉄道事件のあと、母に対する「コーリャ」の態度にある種の変化が生じました。

息子の手柄話を知ったとき、「アンナ・フョードロヴナ」(クラソートキナ未亡人)は恐怖のあまり気も狂いそうになりました。

彼女は数日間にわたって断続的につづく恐ろしいヒステリーの発作を起したため、もはや本気で肝をつぶした「コーリャ」は、今後あんないたずらは二度としないと、殊勝に誓いました。

聖像の前にひざまずき、「クラソートキナ」夫人の命ずるまま、亡き父の思い出にかけて誓ったのですが、このときは、《男らしい》「コーリャ」自身も六歳の子供のように、《万感胸に迫って》わっと泣きだしてしまい、母も息子もこの日は一日じゅう互いに相手の腕に身を投じては、身体をふるわせて泣いていました。

翌日「コーリャ」は以前どおりの《冷淡な》顔で目をさましましたが、それでも今までより無口で謙虚になり、きまじめな、考え深そうな様子をしていました。

もっとも、ひと月半ほどすると、またもやある悪ふざけをやって捕まりかけ、治安判事にまでその名を知られることになりましたが、今度のいたずらはもうまったく別の性質の、愚にもつかぬ笑止なものでしたし、それに彼自身がいたずらをやったわけではなく、たまたま巻きこまれたにすぎないことがわかりました。


だが、このことはいずれあとで話しましょう。


2018年7月29日日曜日

850

最初のうち、彼は笑いものにされ、嘘つきだの、ほら吹きだのと言われましたが、それは彼をますますむきにならせるばかりでした。

何よりも、これら十五歳の少年たちが彼に対してあまりにも威張ってみせ、最初のうち彼のような《子供》なぞ友達と見なそうとしませんでしたので、それがもう我慢できぬくらい癪だったのです。

「これら十五歳の少年たち」と書かれていますが、「十二から十五くらいの少年」ではないでしょうか、このような曖昧な記述は以前にはなかったのですが。

こうして、汽車が駅を出てから、もうすっかり速力をつけているようにするため、駅から一キロほど離れたところへ夕方から出かけることに決まりました。

(849)で「コーリャ」は「夜、十一時の列車が通るときに、レールの間にうつ伏せに寝て、汽車が頭上を全速力で通りすぎる間、身動きせずに寝ていてみせる、と申し出た」と書かれていましたが、夕方からその場所にでかけたということは、時間の変更があったのでしょうか、それも書かれていません。

月のない夜で、暗いというより、ほとんど闇にひとしいのでした。

しかるべき時間になると、「コーリャ」はレールの間に横たわりました。

賭をした、あとの五人は、心臓のとまる思いで、しまいには恐怖と後悔にさいなまれながら、線路わきの土手下の茂みで待ち受けていました。

やがてついに、駅を離れた列車のひびきが、遠くにしはじめました。

闇の中から二つの赤いライトがきらめきはじめ、近づいてくる怪物の轟音がきこえてきました。

「逃げろ、レールから逃げるんだ!」

恐怖のあまり死にそうになった少年たちが、茂みの中から「コーリャ」に叫んだが、もはや遅かったのです。

列車はみるみる迫り、そして走り去りました。

少年たちは「コーリャ」のところにとんで行きました。

「コーリャ」は身動きせずに横たわっていました。

少年たちは彼を揺さぶり、助け起しにかかりました。

彼はだしぬけに起きあがり、何も言わずに土手をおりて行きました。

下におりると、みんなをびっくりさせるためにわざと気を失ったふりをして寝ていたのだと言いましたが、実は、もうだいぶあとになってから母に打ち明けたように、本当に気を失っていたのでした。

こうして《向う見ず》という評判が永久に定まりました。

彼は布のように青い顔で駅舎に戻ってきました。

翌日、軽い神経性の熱をだしましたが、気分はひどく朗らかで、楽しく、満足でした。

この出来事は、すぐにでこそありませんでしたが、やがてもうこの町にも知れわたり、中学にも伝わって、学校当局の耳に入りました。

が、ここにいたって「コーリャ」の母親がわが子のために学校当局へ哀願しにとんできて、最後には、みなに尊敬されている有力者の教師「ダルダネーロフ」が少年を弁護し、頼みこんでくれたりしたため、この出来事はまったくなかったこととして闇に葬られました。

翻訳がおかしいです、「コーリャ」の母親は学校当局へ哀願しに「とんできて」ではなく、「とんで行って」ではないでしょうか。

この「ダルダネーロフ」という教師は、中年の独り者で、もう何年も前から「クラソートキナ」夫人に熱烈に思いを寄せており、すでに一年ほど前に一度、そら恐ろしさと繊細な心根とから気も遠くなる思いをしながら、いと丁重な態度で、勇をふるってプロポーズしかけたことがありました。

ここでも、翻訳があいまいです、「プロポーズしかけた」とは結局「しなかった」ということでいいのでしょうか。

しかし、いくつかのひそかな徴候から「ダルダネーロフ」が、魅力的ではあるが度はずれに貞淑でやさしいこの未亡人に、自分はまんざらきらわれていないと夢想する、ある程度の権利さえ持っていたかもしれないというのに、夫人は結婚の承諾を息子への背信と考えて、きっぱり断ったのでした。

またここでも翻訳があいまいです、「きっぱり断った」の主語は誰なのでしょうか、「断った」は「たった」とも「ことわった」とも読めます、文脈からは「きっぱり断った」(ことわった)のは「クラソートキナ」夫人のようですが、「ダルダネーロフ」がプロポーズを「断った」(たった)とも読めます、「第四部」に入ってから翻訳が急に変わったように思います。

「コーリャ」の気違いじみたいたずらは、この厚い氷を打ち破ったような感があり、「ダルダネーロフ」はこの弁護のお礼に、希望を仄めかされました。


なるほど、遠まわしなものではありましたが、「ダルダネーロフ」自身、純粋さと繊細さの塊のようなまれに見る人物でしたから、彼の幸福を充たすにはさしあたりこれだけで十分でした。


2018年7月28日土曜日

849

少年はそれがきらいで、まごころの吐露を求められれば求められるほど、まるでいやがらせのように意固地になっていきました。

しかし、わざとそうするわけではなく、知らぬ間になってしまうので、それが性格でした。

へんな翻訳ですが、「それが性格」というのは何をさしているのでしょうか。

母親は誤解していました。

少年は母をとても愛していたのですが、学校言葉で表現したように、《べたべたした愛情》がきらいなだけだったのです。

「学校言葉で表現したように」とは「お母さん子」でしょうか。

父の死後、多少の蔵書の入った書棚が残されました。

「コーリャ」は読書好きで、もうそのうちの何冊かを内緒で読んでしまっていました。

母親はそのことでべつに当惑したりせず、ただときおり、どうして男の子なのに外へ遊びに行こうとせず、まる何時間も書棚のわきに立ちどおしで何かの本を読みふけっているのだろうと、ふしぎがるだけでした。

こうして「コーリャ」は、彼の年ごろではまだ読ませてもらえぬようなものも、何やかや読み終えていました。

もっとも、少年はいたずらでも一定の線を越えることを好かなかったはずなのに、最近では母親を本気で怯えさせるようないたずらをはじめました。

なるほど、べつに不道徳ないたずらではなかったにせよ、その代り、向う見ずな無鉄砲なものでした。

たまたまその夏、七月の休暇に、母親が息子を連れて、七十キロほど離れた隣の郡の、さる遠い親戚の婦人のところへ、一週間ばかりの予定で遊びに行ったことがありました。

その婦人の夫は鉄道の駅に勤めていました(それはこの町からいちばん近い駅で、一カ月後イワン・カラマーゾフはここからモスクワへ向って立ったのである)。

先方へつくと、「コーリャ」はまず、わが家に帰ってから学校友達の間で新知識をひけらかすことができるのをさとったため、さっそく鉄道を詳細にしらべて、列車ダイヤをおぼえこみました。

1866年に皇帝暗殺未遂事件(カラコーゾフ事件)が起こっています、「カラコーゾフ事件」とは、「1866年4月4日,ロシア皇帝アレクサンドル2世が狙撃された事件。カラコーゾフは,サラトフ県の没落貴族の家庭に生まれ,カザン大学入学後退学処分を受け,2年後復学したがモスクワ大学に転じ,1865年秋にはここも退学となった。同地で学生運動を基盤とする,いとこイシューティンの率いる結社〈組織〉に加入。行動方針をめぐり結社は分裂し,カラコーゾフは政治テロを標榜した〈地獄〉へ参加し,皇帝暗殺のテロリズムへと傾斜していった。」とのこと、ドストエフスキーはこの事件に着想を得てこの小説を書いたとも言われていますので、この「コーリャ」の鉄道のくだりは、幻の第二部で書かかれる予定であったとも言われる鉄道爆破による皇帝暗殺のことが頭に浮かびます。

ところが、ちょうどそのころ、ほかにも何人か少年が来ており、彼は親しくなりました。

少年たちの何人かは駅舎に寝泊まりしており、他の者は近所に宿をとっていました。

十二から十五くらいの少年ばかり、全部で六、七人が顔を合わせ、しかもその中にはたまたまこの町の少年も二人いました。

少年たちはいっしょに遊んだり、いたずらしたりしていましたが、駅舎の滞在の四、五日目には無分別な少年たちの間で、およそ信じられぬような二ルーブルの賭が成立しました。

ほかでもない、みなの中でいちばん年下にひとしいため、年上の少年たちからいくぶん見くびられていた「コーリャ」が、自尊心からか、あるいは無鉄砲な勇気からか、夜、十一時の列車が通るときに、レールの間にうつ伏せに寝て、汽車が頭上を全速力で通りすぎる間、身動きせずに寝ていてみせる、と申し出たのです。

たしかに、あらかじめ研究して、事実レールの間に身をのばし、ぴったり伏せていれば、もちろん列車はそのまま通過し、寝ている者にかすり傷一つ負わせぬはずであることはわかっていましたが、それにしても、どうしてずっと伏せていられようか!


「コーリャ」は寝ていてみせると、固く言い張りました。


2018年7月27日金曜日

848

「コーリャ」が小学校に入り、さらにこの町の新制中学(訳注 一八六四年の改革で新たに創設された四年制中学。小学校は三年制。普通の中学は八年制で、この新制中学を終えたあと、さらに進学を希望する者は、普通中学の相当学年に入れた。)に通うようになると、彼女は勉強の手伝いや、いっしょに予習復習をしてやれるように、あらゆる学課を息子といっしょに猛然と勉強しはじめ、すぐさま教師やその細君たちと近づきになり、「コーリャ」をいじめたり、からかったり、ぶったりせぬよう、機嫌をとり結びにかかりました。

このころの歴史をネットで調べると、1861年2月19日(3月5日)に農奴解放令が公布され、都市労働者(プロレタリアート)が供給され、工業が活性化し、ブルジョワジー階級が増加してロシアの資本主義経済が加速されます、アレクサンドル2世の思惑と異なり、農奴解放令によって逆に社会矛盾が激化することになり、革命の緊張は緩和されませんでした、アレクサンドル2世はヨーロッパ・ロシア34県とこれに属する郡に代議制議会を持つゼムストヴォ(地方自治機関)を設置する地方行政改革を行い、さらに司法改革、教育改革そして軍制改革をも実施しており、農奴解放を含めたこれら一連の改革は「大改革」と呼ばれています、(45)で「イワン」の論文に関して1864年の裁判制度改革のことが出てきています。

それが度をすごしたため、ついには本当に子供たちは母親のことで彼をばかにするようになり、お母さん子だと言って、からかいはじめました。

今も昔もよくあることですね。

しかし、「コーリャ」少年は自分を守りぬいてみせました。

彼は勇敢な少年で、クラスじゅうに噂が広まってすぐに定評となったとおり、《おそろしく強いやつ》で、敏捷で、一途な気性で、大胆で、実行力に富んでいました。

成績もよく、数学や世界史なら先生の「ダルダネーロフ」をも負かすだろうという評判さえありました。

勉強と体力の両方が優れていると子供の世界では英雄になれますね。

しかし、少年は得意顔でみんなを見下してはいたものの、友達としては実に立派で、高慢風を吹かすことがありませんでした。

級友たちの尊敬を当然のこととして受けはしましたが、友情にみちた態度を保ちつづけていました。

いちばん肝心なのは、節度をわきまえていることで、場合によっては自分を抑えることもできたし、学校当局に対しても、それを越えたら最後はもはや過失ではすまされなくなって無秩序や、反乱や、不法行為となってしまう、あの最後のぎりぎりの一線を、決して踏みこえはしませんでした。

が、それでも、しかるべき機会さえあれば、いたずらをやってのけるのは大好きで、どうにも手のつけられぬ餓鬼大将のようないたずらをやってのけるのですが、単なるいたずらというよりも、むしろ、ことさらむずかしいことを言ってみたり、とっぴな振舞いをしたり、《胸のすくような仕返し》をしたり、カッコいいことをしたり、いいところを見せたりするのでした。

何よりも、彼はたいそう自尊心が強いのでした。

母親まで目下のような立場に置き、ほとんど暴君のように振舞っていました。

母親も言うなりになっていました。

そう、もう永年言いなりになってきたのです。

ただ、彼女がなんとしても堪えられなかったのは、少年が《あまり愛してくれない》のではないかという思いだけでした。


のべつ「コーリャ」が《冷淡》なように思えて、ヒステリックな涙を流しながら、息子の冷淡さを難じはじめるような場合もしばしばありました。


2018年7月26日木曜日

847

第四部

第十編 少年たち

一 コーリャ・クラソートキン

やっと、下巻です。

しかも、この下巻は少しですが一番分厚いのです。

私は何度か通して読んでいたにもかかわらず、この新潮文庫では上巻と下巻の2巻だというふうにしばらく思い込んでいましたので予定が狂ってしまいました。

このような勘違いはあまりにも間抜けなことで情けないのですが、あとしばらく先を急がず続けたいと思います。

さっそく本文に入ります。

十一月初めでした。

零下十一度の寒さがこの町を襲い、それとともに地面も木立ちも一面の氷に覆われました。

その夜、凍りついた大地にぱさつく雪が少し降り、《身を切るような乾いた風》がそれを巻きあげ、この町のわびしい通りや、特に市の立つ広場を吹きぬけました。

翌朝はどんより曇っていましたが、雪はやみました。

広場からさほど遠くない、プロトニコフの店の近くに、官吏の未亡人「クラソートキナ」のこぢんまりした、内も外もいたって小ぎれいな家があります。

当の十二等官「クラソートキン」はもうだいぶ以前、ほとんど十四年近く前に死んでいましたが、いまだにたいそう器量のよい三十そこそこの未亡人は健在で、この小ぎれいな家に《自分の財産》で暮していました。

やさしいながら、かなり明るい性格の彼女は、正直な、小心な生活を送っていました。

夫とはほんの一年足らず暮しただけで、息子を生むとすぐ、十八の若さで夫に先立たれました。

それ以来、夫の死後ずっと彼女は宝物の「コーリャ」少年の教育に自己のすべてを捧げ、この十四年間わが子を夢中で愛しつづけてきたものの、ほとんど毎日のように、わが子が病気をしはせぬか、風邪をひくのではないか、いたずらが過ぎはせぬか、椅子にはいあがって落ちはしないか、などと気をもみ、恐怖に死ぬ思いでしたので、得た喜びよりは、もちろん苦しみのほうが比較にならぬほど多かったのです。


(442)で少年たちの投石の喧嘩のことが出てきました、その時は「スムーロフ」「クラソートキン」「イリューシャ」の名前が出ていましたが、「イリューシャ」にペンナイフで刺された出血したのが「クラソートキン」、つまり「コーリャ・クラソートキン」ですね。


2018年7月25日水曜日

846

「どうして二台目の馬車なんか要るんです?」

「ミーチャ」が口をはさみかけました。

「一台で行きましょうや、マヴリーキイ・マヴリーキエウィッチ。僕はあばれたり、君から逃げだしたりしないからさ、何のつもりで護衛なんか?」

「まだ教わっていないんでしたら、わたしに対する口のきき方を心得ていただきたいですね。君(一字の上に傍点)とはなんですか、君よばわりはやめてもらいましょう。それに、ご忠告なら、またの機会までとっておかれるんですな」

今までの恩を一瞬で忘れ去り手の平を返したような態度、これが世間というものですね。

まるで癇癪を爆発させるのを喜ぶかのように、突然「マヴリーキイ」がすごい剣幕で「ミーチャ」に言いました。

「ミーチャ」は口をつぐみました。

顔が真っ赤になりました。

一瞬後には、ふいにひどく寒気がしてきました。

雨はやんでいましたが、どんよりした空は一面の雲に包まれ、肌を刺す風がまともに顔に吹きつけました。

『悪寒でもするのかな』

肩をすぼめて、「ミーチャ」は思いました。

ついに「マヴリーキイ」も馬車に乗りこみ、広く場所をとってずしりと腰をおろし、まるで気にもとめぬように、自分の身体で「ミーチャ」をぎゅっとおしつけました。

話は違いますが、電車に座っているときもこんな無神経な人はいますね、いつも思うのですが本人は本当に無神経なのでしょうか、それともわかっていてやっているのでしょうか、そのへんがわかりません、両方の場合があると思うのですが、そのへんの相手の曖昧な気持ちも織り込み済みでそんな態度をとっているのだとしたらなおさら頭にきますね。

たしかに、彼は機嫌がわるかったのです。

自分の与えられた任務が、ひどく気に入らなかったのです。

なぜ彼はこの任務が気に入らなかったのでしょうか。

「さよなら、トリフォン!」

「ミーチャ」はふたたび叫びましたが、今度は好意から叫んだのではなく、憎しみのあまり、思わず叫んだことを自分でも感じました。

微妙な心理を描いていますね。

しかし、「トリフォン」は両手をうしろに組んで、まっすぐ「ミーチャ」を見つめたまま、傲然と立ち、きびしい怒ったような顔つきで、「ミーチャ」にも何一つ答えませんでした。

「さようなら、ドミートリイ・フョードロウィチ、さようなら!」

突然、どこかからふいに走りでてきた「カルガーノフ」の声がひびき渡りました。

大多数が冷ややかな目で「ドミートリイ」を見送る中で「カルガーノフ」のとったこの行動になんだか慰められます。

荷馬車のわきに駆けよると、彼は「ミーチャ」に片手をさしのべました。

帽子もかぶっていませんでした。

「ミーチャ」はやっとその手をつかんで握りしめることができました。

「さようなら、君の寛大さは決して忘れないよ!」

熱っぽく彼は叫びました。

だが、荷馬車が動きだし、二人の手は離れました。

鈴が鳴りだし、「ミーチャ」は連行されて行きました。

「カルガーノフ」は玄関に走りこみ、片隅に坐ると、うなだれ、両手で顔を覆って、泣きだしました。

いつまでもその姿勢で坐ったまま、泣いていました-まるで、すでに二十歳の青年ではなく、まだ幼い少年のような泣き方でした。

ああ、彼は「ミーチャ」の有罪をほぼ完全に信じていたのだ!

「いったいなんて人たちだろう、あんなことのあとで、まだ人間でいられるんだろうか!」

ほとんど絶望にひとしい、悲痛な嘆きに包まれて、彼はとりとめなく叫びました。

この瞬間の彼は、この世に生きてさえいたくありませんでした。

「生きるに値するだろうか、そんな値打ちがあるだろうか!」

まさに大人の世界の嫌らしさに対する純真な子供の嘆きですね、子供はだれもが大人になっていきますが、その中で失うものも多いのです、ただ彼は成長しても純真な心を残していくのではないでしょうか。

悲しみに打ちひしがれた青年は叫びました。


(下巻に続く)


2018年7月24日火曜日

845

「ミーチャ」はさらに何か言いたげでしたが、ふいに自分から話を打ち切り、出て行きました。

彼から目を離さずにいた人々が、とたんにまわりをとり囲みました。

ゆうべ「アンドレイ」のトロイカであんなに賑々しく乗りつけた階下の玄関のわきに、すでに用意のできた荷馬車が二台とまっていました。

顔の皮膚のたるんでいる、小柄ながっしりした男である分署長の「マヴリーキイ」は、何かに苛立ち、何か突然生じた不手際に腹を立てて、どなっていました。

彼はなにやら厳格すぎるほどの口調で、「ミーチャ」に荷馬車に乗るようすすめました。

『前に飲屋でおごってやったときには、まるきり顔つきが別だったくせに』

乗りこみながら、「ミーチャ」は思いました。

「マヴリーキイ」は自分がこの状況でどういう態度をとったらいいのか、わからないの苛立っているのでしょうね。

表階段から「トリフォン」もおりてきました。

門のわきには百姓や、女たちや、馭者などが大勢かたまり、みなが「ミーチャ」を見つめていました。

「さよなら、みんな!」

だしぬけに荷馬車の上から「ミーチャ」は叫びました。

「お気をつけて」

二、三の声があがりました。

「お前もさようなら、トリフォン!」

しかし、「トリフォン」はふりかえりもせず、どうやらひどく忙しようでした。

やはり何か叫んで、あたふたしていました。

「マヴリーキイ」に同行する二人の警吏が乗ってゆくはずの、二台目の荷馬車が、まだ支度がすっかりととのでいないのだとわかりました。

二台目のトロイカに乗せられそうになった小柄な百姓が、皮外套を羽織りながら、行くのはじぶんではなく「アキム」のはずだと、ひどく言い争っていました。

しかし、「アキム」が見当たらないので、探しに人々が走っていったところでした。

小柄な百姓は意固地になって、もう少し待ってくれと頼んでいました。

(769)に書かれていた二人の百姓とは、たぶん彼らのことで、証人としてひとりだけが馬車に乗る予定なのですね。

「なにしろここの百姓どもときたら、まったく恥知らずでございましてね、マヴリーキイ・マヴリーキエウィッチ!」

「トリフォン」が叫びました。

「おい、お前はおとといアキムに二十五カペイカもらったじゃねえか、そいつは飲んじまっといて、今になってわめき立てやがって。こんな卑しい連中に対しても分署長さんがご親切なのには、おどろくほかありませんや、それだけは申しあげておきます!」


二十五カペイカはきのうの宴の席ではなく、おとといもらって飲んでしまったのですね。


2018年7月23日月曜日

844

声がふるえはじめ、彼は本当に片手をさしのべようとしかけましたが、いちばん近くにいた「ネリュードフ」は、なにか突然、痙攣するようなしぐさで、両手をうしろに隠しました。

この「ネリュードフ」の突然の痙攣のようなしぐさはどうしてでしょうか、はっきりわかりませんが、彼は「ドミートリイ」を今まで犯罪の容疑の対象者としてみていたのですが、ここでの握手は「ドミートリイ」が人間としての人間的な握手を求めてきたのであり、「ネリュードフ」の立場としてはその壁は乗り越えてはいけないと感じたのではないでしょうか。

「ミーチャ」はとたんにそれを見とがめ、びくりとふるえました。

さしのべた手を彼はすぐに下ろしました。

「審理はまだ終ったのではなく」

いくらかきまりわるそうに、「ネリュードフ」がもたついた口調で言いだしました。

「町に行ってからもまだつづくわけですし、僕はもちろん、自分としてもあらゆる成功を望むつもりでいます・・・・あなたの無実が立証されるように・・・・もともと、ドミートリイ・フョードロウィチ、わたしは常にあなたを罪人というより、むしろ、いわばその、不幸な人間と考えがちでしたし・・・・われわれここにいる者はみな、あえて一同に代って申しあげるなら、だれもがみな喜んであなたを、本来は高潔な青年と見なしたいのです、しかし悲しいかな! あなたはある種の情熱にやや行きすぎであるくらい惹かれているのです・・・・」

「ある種の情熱」とは何でしょうか、女性に対する情熱なのでしょうか。

「ネリュードフ」の小柄な姿が、この言葉の終りころになると、堂々たる貫禄を示してきました。

「ミーチャ」の頭にふと、今にもこの《坊や》が彼の腕をとって、向うの隅へ連れてゆき、ついこの間の《かわい子ちゃん》の話をむし返すのではないか、という思いがちらとうかびました。

そういうことがあったので、「ネリュードフ」は「ドミートリイ」を女性と結びつける視点で見るのでしょうか。

しかし、死刑台に曳かれてゆく罪人の心にさえ、往々にして、さまざまの、まったく無関係な、場違いの考えがちらとうかぶものなのです。

これは、著者が実際に体験したことであり生々しい説得力がありますね。

「みなさん、あなた方は親切な、人道的なお方です。最後にもう一度、彼女(二字の上に傍点)に会って、別れを告げてもかまわないでしょうか?」

「ミーチャ」はたずねました。

「もちろんですとも、しかし諸般の事情を考えて・・・・つまり一口に言って、今や立会い人なしでは・・・・」

「どうぞ立ち会ってください!」

「グルーシェニカ」が連れてこられました。

しかし、別れは短い、言葉少ないもので、「ネリュードフ」を満足させませんでした。

「ネリュードフ」の満足とは何でしょうか、ここで一悶着でもあって、その中から何か事件に役立つことを収集しようとでも思っていたのでしょうか、いや先ほどからの流れで言うと男女間の愛情に関する何かがはじまることを期待したのかもしれません。

「グルーシェニカ」は深々と「ミーチャ」におじぎをしました。

「あなたのものといったん言った以上、あたしはいつまでもあなたのものよ。あなたがどこへ流されようと、永久にいっしょについて行くわ。さようなら、無実の罪で身を滅ぼしてしまったのね!」

この「無実の罪で身を滅ぼしてしまったのね!」ということが全てですね、客観的で突き放したような言葉ですが、これが真実であって、ぐさりと心に刺さる言葉です。

彼女の唇がふるえ、目から涙が流れました。


「赦しておくれ、グルーシェニカ、僕の愛を。僕の愛で君まで破滅させてしまったことを!」


2018年7月22日日曜日

843

九 ミーチャ連行さる

調書にサインが行われると、「ネリュードフ」はおごそかに容疑者の方に向き直って、何年何月何日、どこそこにおいて、これこれの地方裁判所予審調査官は、これこれの事件に関する容疑者として(あらゆる罪状が丹念に書きたてられていた)、何某を(つまり、ミーチャを)尋問した結果、容疑者が自己に課せられた犯罪容疑を否認しながら、無実を証明すべき事実を何一つ提示しなかったにもかかわらず、これこれの証人やしかじかの状況は完全に容疑者の罪証を示している点を考慮し、《刑法》のこれこれしかじかの条項に照らして、何某(ミーチャ)が審理と裁判を忌避するいっさいの手段を阻止するため、これこれの刑務所に身柄を拘置し、その旨を容疑者に宣告したうえ、この起訴状の写しを検事補に交付する、云々ということを告げる《起訴状》を朗読しました。

一口で言えば、「ミーチャ」はこの瞬間から囚人であり、今すぐ町に連行されて、そこでさるきわめて不愉快な場所へ拘置されることを、申し渡されたのでした。

「ミーチャ」は注意深くきき終り、肩をすくめただけでした。

「しようがありませんよ、みなさん、あなた方を責めるつもりはありません、覚悟はできています・・・・あなた方としてもこれ以外にどうしようもなかったことは、わかります」

私の予想に反して「ドミートリイ」は素直です。

「ネリュードフ」は、たまたま今ここに居合わせた分署長の「マヴリーキイ・マヴリーキエウィチ」が、すぐに彼を連行するからと、穏やかな口調で説明しました。

「ちょっと待ってください」

突然「ミーチャ」がさえぎり、部屋にいる全員に向って、抑えきれぬ感情をこめて言いました。

「みなさん、わたしたちはみんな薄情です、みんな冷血漢ばかりだ、ほかの人たちや母親や乳飲児を泣かしているんです。しかし、その中でも、中でも僕がいちばん卑劣な悪党なんだ、今となったらそう決めつけられても仕方がない! やむをえません! 僕はこれまでの一生を通じて毎日、この胸を打っては、真人間になることを誓いながら、毎日相変らず卑劣な行いをやってきました。今こそわかりました、僕のような人間には打撃が、運命の一撃が必要なのです、縄でひっくくって、外的な力でしめあげなければいけないんです。僕は自分一人では絶対に、決して立ち直れなかったにちがいない! しかし、ついに雷鳴がとどろいたのです。僕はこの告発と、世間全体に対する恥辱との苦しみを甘んじて受け、苦しみたいと思う。苦悩によって汚れをおとします! だって、ことによると、汚れをおとせるかもしれないでしょう、みなさん、え? ところで、最後にきいてください。父親の血に関しては、僕は無実なんだ! それでも刑を受け入れるのは、僕が父を殺したからじゃなく、父を殺したいと思い、また、へたをすると本当に殺しかねなかったからなんです・・・・それでも、僕はやはりあなた方と戦うつもりだし、そのことをはっきり宣言しておきます。僕は最後まであなた方と戦う、その先は神さまが決めてくださるでしょう! さようなら、みなさん、尋問の際にあなた方をどなったりしたのを、怒らないでください、ああ、あのときは僕はまだ愚かだったのです・・・・一分後には僕は囚人だ。だから今、最後に、まだ自由な人間であるドミートリイ・カラマーゾフが、あなたに握手を求めます。あなた方に別れを告げることによって、僕は世間の人々みんなに別れを告げるのです!」


ここで「ドミートリイ」は「・・・・わたしたちはみんな薄情です、みんな冷血漢ばかりだ、ほかの人たちや母親や乳飲児を泣かしているんです・・・・」と言っています、これは先ほどの夢の内容が入り込んでいるのですが、「あなた方は薄情」と言うのではなく「わたしたち」と言っています、「ほかの人たちや母親や乳飲児を泣かしている」のは、自分も含めてここにいる「わたしたち」なのです、これは自分と、知らない町の虐げられた人々を、直接には結びつかないかもしれませんが、その関連を意識した罪意識でしょう、そして彼は、「父親の血に関しては、僕は無実なんだ! それでも刑を受け入れるのは、僕が父を殺したからじゃなく、父を殺したいと思い、また、へたをすると本当に殺しかねなかったからなんです」と重大な発言をしています、これは罪意識による受苦ですが、少しキリストを彷彿させる場面です、それにしても無実の罪を償おうと意識したのはいつからだったのでしょう、そのような様子はあったのですが、実際に公言したのはこれがはじめてです。


2018年7月21日土曜日

842

そして彼は、たしかにこれは気違いじみた、わけのわからぬきき方にはちがいないが、自分はぜひともこういうきき方をしたい、ぜひこうきかねばならないのだと、ひそかに感じています。

さらにまた、いまだかつてなかったようなある種の感動が心に湧き起り、泣きたくなるのを感じます。

もう二度と童が泣いたりせぬよう、乳房のしなびた真っ黒けな童の母親が泣かなくてもすむよう、今この瞬間からもはやだれの目にもまったく涙なぞ見られぬようにするため、今すぐ、何が何でも、カラマーゾフ流の強引さで、あとに延ばしたりすることなく今すぐに、みんなのために何かしてやりたくてなりません。

「あたしもいっしょよ。これからはあなたを見棄てはしない。一生あなたといっしょに行くわ」

感情のこもったやさしい「グルーシェニカ」の言葉が、すぐ耳もとできこえます。

とたんに心が燃えあがり、何かの光をめざして突きすすみます。

生きていたい、生きていたい、よび招くその新しい光に向って、何らかの道をどこまでも歩きつづけて行きたい、それもなるべく早く、一刻も早く、今すぐに、たった今からだ!

「どうした? どこへ行くんだ?」

目を開け、トランクの上に坐り直しながら、まるで意識を取り戻したかのように、晴ればれとした微笑をうかべて、彼は叫びます。

のぞきこむようにして「ネリュードフ」が立っており、調書を一通りきいてサインするよう彼をよんでいます。

「ドミートリイ」は、自分が一時間かあるいはそれ以上眠っていたのだと思い当たりましたが、「ネリュードフ」の言葉に耳をかそうとしませんでした。

それにしても、さっき力なくトランクの上に倒れこんだときにはなかったはずの枕が、頭の下にあてられていることを知って、彼はふいに心を打たれました。

「どなたが枕を持ってきてくださったんです? どなたですか、そんな親切な方は!」

まるでたいへんな好意にでも接したかのように、感激にみちた感謝の気持をこめて、彼は泣くような声で叫びました。

親切な人はその後も結局わからずじまいでした。

証人のだれかが、あるいは「ネリュードフ」書記あたりが同情心から枕をあてがうように配慮してくれたのだろうが、「ミーチャ」は心が涙にふるえるような気持でした。

誰が枕を持ってきてくれたのか私もしりたいですが、このままわからないのでしょうか。

彼はテーブルに歩みより、何にでもサインすると申し出ました。

「ずばらしい夢を見てたんですよ、みなさん」


喜びに照らされたような、何かまったく新しい顔つきを見せながら、彼は異様な口調で言いました。



2018年7月20日金曜日

841

彼は何やら奇妙な夢を見ました。

この場所にも今の場合にもまったくそぐわぬ夢でした。

彼はどこか曠野を馬車で走っています。

ずっと以前に勤務していた土地です。

みぞれの降る中を、二頭立ての荷馬車で百姓が彼を運んでゆきます。

十一月初め、「ミーチャ」は寒いような気がします。

びしょびしょした大粒の雪が降っており、地面に落ちると、すぐに融けます。

百姓は鞭さばきも鮮やかに、威勢よく走らせます。

栗色の長い顎ひげをたくわえていますが、老人というわけではなく、五十くらいでしょうか、灰色の百姓用の皮外套を着ています。

と、近くに部落があり、黒い、ひどく真っ黒けな百姓家が何軒も見えます。

ところが、それらの百姓家の半分くらいは焼失して、黒焦げの柱だけが突っ立っているのです。

部落の入口の道ばたに女たちが、大勢の百姓女たちがずっと一列にならんでおり、どれもみな痩せおとろえて、何やら土気色の顔ばかりです。

特に、いちばん端にいる背の高い、骨張った女は、四十くらいに見えるが、あるいはやっと二十歳くらいかもしれません。

痩せた長い顔の女で、腕の中で赤ん坊が泣き叫んでいます。

おそらく彼女の乳房はすっかりしなびて、一滴の乳も出さないのでしょう。

赤ん坊はむずかり、泣き叫んで、寒さのためにすっかり紫色になった小さな手を、固く握りしめてさしのべています。

「何を泣いているんだい? どうして泣いているんだ?」

彼らのわきを勢いよく走りぬけながら、「ミーチャ」はたずねます。

「童でさ」

馭者が答えます。

「童が泣いてますんで」

馭者がお国訛りの百姓言葉で、子供と言わずに《童》と言ったことが、「ミーチャ」を感動させます。

百姓が童と言ったのが彼の気に入ります。

いっそう哀れを催すような気がするのです。

「ドミートリイ」はこの先どうなるのかまだわかりませんが、当分は惨めで悲惨な状況が待っていることは確かです、そうした沈んだ気持ちがこのような夢を呼び寄せたのでしょうか、彼の幼年期の記憶の中にこの夢のような情景があるのでしょうか。

「でも、どうして泣いているんだい?」

「ミーチャ」はばかみたいに、しつこくだずねます。

「なぜ手をむきだしにしているんだ、どうしてくるんでやらないんだい?」

「童は凍えちまったんでさ、着物が凍っちまいましてね、暖まらねえんですよ」

「どうしてそんなことが? なぜだい?」

愚かな「ミーチャ」はそれでも引き下がりません。

「貧乏なうえに、焼けだされましてね、一片のパンもないんでさ。ああしてお恵みを乞うてますんで」

「いや、そのことじゃないんだ」

「ミーチャ」はそれでもまだ納得できぬかのようです。

「教えてくれよ。なぜ焼けだされた母親たちがああして立っているんだい。なぜあの人たちは貧乏なんだ。なぜ童はあんなにかわいそうなんだ。なぜこんな裸の曠野があるんだ。どうしてあの女たちは抱き合って接吻を交わさないんだ。なぜ喜びの歌をうたわないんだ。なぜ不幸な災難のために、あんなにどすぐろくなってしまったんだ。なぜ童に乳をやらないんだ?」


殺伐とした「ドミートリイ」の夢は彼の心象風景とあらわしていると思います、軍人として各地を回ったときにこのような貧しい人々を見ていろいろと考えるところがあったのでしょうか、そして作者はこの記述については何らかの意図があったのでしょうか。

ずっと先ですが(935)で「ドミートリイ」は「アリョーシャ」に再び《童(わらし)》の話をします。