2017年6月30日金曜日

456

「カテリーナ」が「むしろ反対に憎んでいるでしょうし・・・」と言ったことに対して、「イワン」と一緒になってほしいと思っている「ホフラコワ夫人」は我が意を得たようにこう言います。

「それはそうね!そうですとも!」

しかし、そうは簡単に話は進みません。

「ちょっとお待ちになって、奥さま。あたくしまだいちばん大切なことを言ってませんの。ゆうべ決心した最終的な結論を言っていないんです。ことによるとこの決心は、あたくしにとって、恐ろしいものかもしれないとは感じますけれど、でも、もうどんなことがあっても絶対に一生涯それを変えはしない、いつまでもそのままでいるだろうという予感はしますわ。あたくしのやさしい、親切な、常に変らぬ寛大な相談役であり、人の心の深い洞察者で、世界中でたった一人の親友でもあるイワン・フョードロウィチは、全面的にあたくしに賛成してくださって、あたくしの決心をほめてくださいましたのよ・・・この方はもうご存じなんです」

「ええ、僕は賛成ですね」

静かではあるが、しっかりした声で「イワン」が言いました。

「でもあたくし、アリョーシャにも(あら、ごめんなさい、アレクセイ・フョードロウィチ、心やすくアリョーシャなんておよびしたいして)、アレクセイ・フョードロウィチにも、あたくしのお友達がお二人とも揃っていらっしゃる前で今、あたくしの考えが正しいか正しくないか、言っていただきたいんですの。あたくし、本能的に予感がするんです、かわいい弟のアリョーシャが(だってあなたはかわいい弟ですもの)」

彼女は熱い手で彼の冷たい手をつかみ、感激したようにふたたび言いました。

「あらゆる苦しみにもかかわらず、あなたの決定が、あなたの賛同が、あたくしに安らぎを与えてくれるにちがいないって、予感がするんですわ、だってあなたのお言葉をきいてからなら、あたくしも心が静まって、忍従してゆけるはずですもの・・・あたくし、そういう予感がするんです!」

なんということでしょう、この話の展開では「アリョーシャ」は、まだ何だかわからない「カテリーナ」の一生の決心とやらに同意するしかないでしょう。


しかし、その決心には直接の当事者のひとりである「イワン」も賛成しているとなれば。


2017年6月29日木曜日

455

「アリョーシャ」の姿を見ると、「カテリーナ」は、帰ろうとしてすでに席を立っていた「イワン」に早口で、嬉しそうに言いました。

「ちょっとお待ちになって!もうちょっといらしてくださいな。あたくし、心底から信頼しているこの方のご意見を伺いたいんですの。奥さま、あなたもあちらへいらっしゃらないで」

「ホフラコワ夫人」は「あたくし、あなたとごいっしょに入って、もし追いだされなければ、終りまで待っていますから」と言っていましたのでよかったですね。

「ホフラコワ夫人」をかえりみて、彼女は付け加えました。

彼女は「アリョーシャ」を隣に坐らせ、「ホフラコワ夫人」はその向い側に、「イワン」と並んで座りました。

「ここにいらっしゃるのはみなさん、あたくしの親しいお友達ですわ。あたくしがこの世で恵まれた親しい、やさしいお友達ばかりですわ」

「カテリーナ」はなんというか、公明正大ですね、基本的に隠し事などきらいな性格でしょう、もし隠し事などがあったとしても自分の中ではちゃんと整合性をとっているのだと思います。

彼女は熱っぽく話しだしましたが、その声には嘘いつわりない苦痛の涙がふるえていましたので、「アリョーシャ」の心はいっぺんにまた彼女のほうに向いてしまいました。

アレクセイ・フョードロウィチ、あなたは昨日あの・・・恐ろしい場面を目撃なさって、あたくしがどんなだったかをごらんになりましたわね。イワン・フョードロウィチ、あなたはごらんになりませんでしたけれど、この方はごらんになったんです。この方が昨日あたくしのことをどうお思いになったかは存じませんわ。あたくしにわかっているのは、あれとまったく同じことが今日、今この場でくりかえされるとしても、あたくしはやはり昨日と同じ感情を、あれと同じような感情、同じ言葉、同じ行動を示すにちがいない、ということだけですわ。あなたはあたくしの行動をおぼえてらっしゃるでしょう、アレクセイ・フョードロウィチ、あなたご自身、あたくしのそんな行動を止めてくださったんですもの・・・(こう言いながら、彼女は顔を赤らめ、きらりと目を光らせました)。はっきり申しあげておきますけれど、アレクセイ・フョードロウィチ、あたくしはどんなことにも忍従できない性分ですのよ。あのね、アレクセイ・フョードロウィチ、今になるとあたくし、彼(一字上に傍点)を愛しているかどうか、それさえわかりませんわ。彼が哀れ(二字上に傍点)になってきたんです、これは愛情にとって不利な証拠ですわね。もしあたくしが彼を愛しているなら、いまだに愛しつづけているなら、おそらく、今だって彼を憐れんだりせず、むしろ反対に憎んでいるでしょうし・・・」

この発言はふたつの意味で大変おどろきました。

ひとつは、昨日の自分の行動を正当化していること、もうひとつは「ドミートリイ」を愛しているかどうかわからないし、むしろ憎んでいると言ったことです。

昨日「カテリーナ」は「グルーシェニカ」に向かって「恥知らず、出て行け!」だの「出て行くがいい、淫売!」とひどいことを言ったり、叫び声をあげて、とびかかろうとしかけたのですが、そのことを反省もせずに、今でもその状態になれば、同じことを繰り返すというのは何という傲慢でしょう。

「カテリーナ」は、声がふるえはじめ、睫毛に涙が光りました。

「アリョーシャ」は内心ぎくりとしました。『このお嬢さんは正直で、誠実な人なんだ』と彼は思いました。『それに・・・この人はもうドミートリイを愛していない!』


「カテリーナ」は気位が高いが正直で誠実なのですね。


2017年6月28日水曜日

454

「カテリーナ」のような性格にとっては相手を支配することが必要なのであり、しかも彼女が支配しうるのは「ドミートリ」のような相手だけで、「イワン」のような人間は決して支配できないだろうということを、「アリョーシャ」は何かの本能によって感じていました。

なぜなら、「ドミートリイ」であれば、たとえ永い期間がかかるにせよ、最後には《幸福を感じながら》彼女に屈服することもありえようが(アリョーシャはそれを望みさえしたにちがいない)、「イワン」は違います、「イワン」が彼女に屈服するはずはありませんし、それにまたそんな屈服は彼に幸福をもたらさぬにちがいありません。「アリョーシャ」はなぜか心ならずも「イワン」に関して、こんな概念を勝手に作りあげていました。

男女の相性というのでしょうか、誰が誰とうまく行くということは外部からみてわかることもありますが、実際には謎です。

そして、今、客間に足を踏み入れたその瞬間、これらの迷いや思惑が頭の中にちらと浮び、走りすぎていきました。

さらにも一つの考えが、突然、抑えきれぬ勢いで、ちらと浮びました。

『もし彼女がどっちも愛していないとしたら、どうだろう?』

断っておきますが、「アリョーシャ」は自分のこんな考えを恥じるかのように、このひと月のうちにそうした考えがうかぶたびに、自分を非難してきました。

『愛情とか女性に関して、僕に何がわかるんだ、どうしてそんな結論を下せるというんだ』–そうした考えや推測がうかぶたびに、彼は非難をこめて思うのでした。

にもかかわらず、考えずにはいられませんでした。

このへんも作者は、読む者の心理を先読みしてフォローしていますね。

彼は、たとえば今、二人の兄の運命においてこうしたライバル関係があまりにも重大な問題であり、あまりにも多くのことがそれに左右されることを、本能によって理解していました。

『毒蛇が別の毒蛇を食うだけさ』–兄の「イワン」は昨日、腹立ちまぎれに父と兄「ドミートリイ」のことを、こう言いました。

そうすれば、「イワン」の目から見れば兄「ドミートリイ」は毒蛇なのだ、それも、ことによると、もうずっと以前から毒蛇なのではあるまいか?

「イワン」が「カテリーナ」を知ったそのとき以来ではないでしょうか?

あの言葉はもちろん、昨日「イワン」の口から思わずこぼれたのですが、思わず言っただけによけい重大なのです。

もし、そうだとすれば、この場合どんな平和がありえましょう?

むしろ反対に、家庭内の憎しみと敵意の新しいきっかけになるだけではないでしょうか?

が、いちばん肝心なのは、彼「アリョーシャ」が、どちらを憐れむべきか、一人ひとりに対して何を望んでやるべきか、という点でした。

彼は二人の兄のどちらも愛しています。

しかし、こんな恐ろしい矛盾の中で一人ひとりに何を望んでやればよいのでしょう?

この紛糾の中では、まるきり自分を見失ってしまいかねませんでしたが、「アリョーシャ」の愛の性質は常に実行的であったため、彼の心は不明なことに堪えられませんでした。

受身に愛することは、彼にはできず、ひとたび愛したからには、ただちに助けにかかるのでした。

しかし、そのためには、しっかり目的を定め、それぞれの人間にとって何がよいことであり必要であるかを、はっきり知らなければなりませんでしたし、目的の正しさに確信が持てたら、今度は当然のことながら、それぞれの人を助けねばなりませんでした。

ところが、しっかりした目的の代りに、今やすべての面に、曖昧さと紛糾があるばかりでした。

そのうえ今、《病的な興奮》という言葉が発せられました!

しかし、この《病的な興奮》ということでさえ、彼に何が理解しえたでしょう?

この紛糾の中にあって、彼には最初のその一言さえ理解できないのです!

何だか難しいのですが、「アリョーシャ」にとっては、与えられた問題にたいする正しい回答が必要なのですね。

この正しいということが大切なのですが、それがわからないのです。

さらに《病的な興奮》が入ってくれば、今の彼には手も足も出ないでしょう。

もちろん彼は、実行的な愛を望んでいるのですから、それぞれの人がすべて幸せになることならば、身を捧げる覚悟でしょうが、この場合、誰かが不幸になるのは明らかなことですのでどうしようもありません。


おそらく、世の中にはそういったことの方が多いように思います。


2017年6月27日火曜日

453

そればかりでなく、「アリョーシャ」はつい昨夜まで、「カテリーナ」自身は熱烈なほど一途に兄「ドミートリイ」を愛しているのだと、疑いもなく信じていました。

しかし、昨夜までそう信じていたにすぎません。

そのうえ、なぜか彼はかねがね、彼女が「イワン」のような男性を愛するはずがない、彼女の愛するのは「ドミートリ」のような男性で、たとえそうした愛が突拍子もないものであるにせよ、現在のありのままの姿の兄を愛しているのだ、という気がしていました。

ところが昨夜、「グルーシェニカ」とのあの一幕のうちに、ふと彼には別のことが思いうかんだかのようでした。

今しがた「ホフラコワ夫人」の口にした《病的な興奮》という言葉が、彼をほとんど震えあがらせたのです。

この《病的な興奮》ということはどういうことなのか、具体的なイメージがわかりません。《病的》という言葉が社会性をも含んで使われているようにも思いますのでなおさらです。

なぜなら、まさに今日の暁方、半ば目ざめた状態で彼はおそらく自分の見た夢に答えながらだろうが、ふいに「病的な興奮だ、病的な興奮さ」と口走ったからでした。

昨夜は一晩じゅう、「カテリーナ」のところでの昨日のあの一幕を夢に見ていました。

そこへ今ふいに、「カテリーナ」は兄「イワン」を愛しているのに、何かの演技から、《病的な興奮》から、わざと自分を欺き、感謝の念から生じたとかいう「ドミートリイ」への偽りの愛によってみずから自分を苦しめているにすぎないという、「ホフラコワ夫人」の端的な、一本気な断言が、「アリョーシャ」をおどろかせたのです。

『そう、もしかすると、本当にあの言葉にまったくの真実があるのかもしれない!』しかし、それならば、「イワン」兄さんの立場はどうなのだろう?


「カテリーナ」は「イワン」を愛しているのでしょうか、そして「ドミートリイ」への愛は偽りの愛でしょうか、「アリョーシャ」は「ドミートリイ」のような人が「カテリーナ」にはあっていると思っていたのですが、それもわからなくなってきています。


2017年6月26日月曜日

452

五 客間での病的な興奮

しかし、客間での話はもう終りかけていました。

「カテリーナ」は決意を秘めた顔つきをしてはいたものの、たいそう興奮していました。

「アリョーシャ」と「ホフラコワ夫人」が入っていったとき、「イワン」は帰ろうとして立ちあがるところでした。

顔がいくらか青ざめていたので、「アリョーシャ」は不安な気持で兄を眺めました。

ほかでもないが、「アリョーシャ」にとって今この場で疑惑の一つが–ある時期から彼を苦しめつづけてきた一つの不安な謎が、解けようとしているのでした。

すでにひと月ほど前から、「アリョーシャ」はもう何回にもわたってさまざまな方面から、兄の「イワン」が「カテリーナ」を愛しており、特に「ドミートリイ」から本当に彼女を《横取りする》つもりでいるという話を、吹きこまれていました。

この話は「アリョーシャ」をひどく不安がらせはしたものの、ごく最近まで突拍子もないものに思われていました。

彼はどちらの兄も愛していたので、二人の間のそうしたライバル関係を恐れました。

にもかかわらず、当の「ドミートリイ」がだしぬけに昨日、弟「イワン」がライバルであることをむしろ喜んでいるし、そのことは彼「ドミートリイ」をいろいろの面で助けてくれると、率直に告白したのでした。

何の助けになるのだろう?「グルーシェニカ」と結婚するうえでだろうか?だが、「アリョーシャ」はそんな事態を、ぎりぎり最後の絶望的なものと見なしていました。

ここまでは、「アリョーシャ」はそれを認めたくなかったのですが、兄「ドミートリイ」と弟「イワン」とが「カテリーナ」をめぐって三角関係ということではありませんが、一見そのような関係にあることは事実であり、現にこうして今目の前で「イワン」と「カテリーナ」が会って話しているということからしても認めざるをえないように思えてきています。

実際に「ドミートリイ」は「イワン」が「カテリーナ」と結婚することを望んでおり、自分は「グルーシェニカ」と結婚するつもりでいることも「アリョーシャ」は知っています。


しかし、「アリョーシャ」は不本意なのでしょう、納得できないようです。


2017年6月25日日曜日

451

「まあ、結婚だなんて、リーズ。どういうわけでそんなことを。まるきり時と場合もわきまえないで・・・その子供が恐水病かもしれないといういうのにさ」

「あら、ママ!恐水病の子供なんて、本当にいるの!」

「いますともさ、リーズ、まるであたしがばかなことでも言ったみたいね。子供が狂犬に嚙まれると、その子が恐水病になって、今度はまわりの人に嚙みつくのよ。あら、リーズがずいぶん上手に繃帯をしたじゃございませんか、アレクセイ・フョードロウィチ、あたくしにはとてもこんなふうにできませんわ。今でも痛みは感じますか?」

私は「恐水病」という病気は知りませんでしたが、ネットで調べましたら「狂犬病」とともに次のような症状の説明がありました。

「イヌにかまれてから早ければ10日、おそいと半年くらいたって、かまれた傷あとから、からだの中心にむかって放散する痛み、食欲不振、不眠、唾液の過剰分泌(かじょうぶんぴつ)などで発病します。2~3日たつと興奮しやすくなり、風、光、音、水などの刺激に過剰に反応し、のどから胸にかけての筋肉がけいれんをおこします。しまいには、水を見ただけでこわがり、のどの筋肉がけいれんをおこします(恐水病の病名の由来)。やがて、けいれんの発生が少なくなってまひ期に入り、発病後3~5日で呼吸まひで死亡します。」

「今はもう、ほんのちょっとです」

「水はこわくない?」と、「リーズ」がききました。

「いい加減になさい、リーズ、実際のところあたしもひどくあわてたばっかりに、恐水病の子供のことなんか言ってしまったかもしれないけれど、あなたときたら、すぐにそんな結論を出すんだから。あのね、アレクセイ・フョードロウィチ、あなたのいらしたことを知るとすぐ、カテリーナ・イワーノヴナがあたくしのとこへ飛んでらして、そりゃもうお待ちかねですのよ」

「ああ、ママ!あっちへはママ一人でいらしてよ、この人は今すぐなんか行かれないわ、痛みがひどいんですもの」

「全然痛くありませんよ、行かれますとも」と、「アリョーシャ」は言いました。

「まあ!それじゃ行っておしまいになるの?そうなのね?そう?」

「どうなすったんです?だって向うでの話がすんだら、また来ますよ。そしたら、あなたの気のすむまで、またお話できるじゃありませんか。それに僕は、いずれにせよ今日はできるだけ早く修道院へ帰りたいものですから、カテリーナ・イワーノヴナにぜひ、なるべく早くお目にかかりたいと思いますし

「ママ、その人を連れて行って、早く連れて行ってちょうだい。カテリーナ・イワーノヴナのあとであたしのところに寄ろうなんて、ごむりをなさらずに、まっすぐ修道院へお帰りなさいな、アレクセイ・フョードロウィチ、それがあなたにふさわしい道だわ!あたし、眠くなっちゃった、一晩じゅう眠れなかったんですもの」

「ああ、リーズ、あなたときたら悪ふざけばっかり。でも、本当に眠れるといいけど!」と「ホフラコワ夫人」が叫びました。

「わからないな、僕のいったいどこが・・・なんだったら、あと三分ほどここにいましょう、五分だっていいですよ」と、「アリョーシャ」はつぶやきました。

「五分だっていい、ですって!こんな人早く連れて行ってよ、ママこんな人お化けだわ!」

まったくこれではまともに話ができませんね、最後には「お化け」と言われてしまいました。

「リーズ、気でも違ったの。さ、行きましょう、アレクセイ・フョードロウィチ、今日のこの子ときたら、あまり気まぐれがひどすぎますわ、この子を苛立たせるのが、あたしくこわくって。ああ、神経質な女には泣かされますわ、アレクセイ・フョードロウィチ!でも、本当に、あなたが付いていてくださったので、眠くなったのかもしれませんわね。ずいぶん早く眠気を誘ってくださいましたこと、とても助かりましたわ!」

「あら、ママ、ずいぶんやさしいことをおっしゃるようになったのね、ご褒美にキスしてあけるわ」

「あたしもよ、リーズ。あのね、アレクセイ・フョードロウィチ」と、「アリョーシャ」といっしょに部屋を出ながら、「ホフラコワ夫人」が秘密めかして、ものものしげに早口でささやきました。「べつにあなたに暗示を与える気はありませんし、秘密の帷(とばり)を上げるつもりもないんですけれど、今お入りになれば、あそこで起っていることがすべて、ご自分でおわかりになるはずですわ。恐ろしいことですわね、まさに幻想的な喜劇ですわ。あの人はあなたのお兄さまのイワン・フョードロウィチを愛してらっしゃるのに、自分はドミートリイさんを愛しているのだと必死に自分で思いこもうとしているのですもの。恐ろしいことですわ!あたくし、あなたとごいっしょに入って、もし追いだされなければ、終りまで待っていますから」


ホフラコワ夫人」は好奇心旺盛で「あなたとごいっしょに入って、もし追いだされなければ、終りまで待っていますから」と言っていますが、普通は退席すると思いますが何だか興味津々なのですね。


2017年6月24日土曜日

450

「あたしを侮辱なさるつもり?」

「とんでもない。僕は手紙を読み終ると、すぐ、何もかもこのとおりになるだろうと思いましたよ。だって、ゾシマ長老がお亡くなりになったら、僕はすぐに修道院を出なければならないからです。それから僕は学業をつづけて、試験に合格する、そして法に定められた年齢に達したら、すぐに僕たちは結婚しましょう。僕はずっとあなたを愛しつづけます。まだよく考えてみる暇もなかったけれど、あなた以上の妻は見つからぬだろうと思ったんです。それに長老も結婚するようにとおっしゃっていますし・・・」

なかなかのプロポーズの言葉だと思いますが、わからないのは「僕は学業をつづけて、試験に合格する」というところで何の試験なのでしょうか。

「だって、あたしは片輪なのよ、車椅子で運ばれる身なのよ!」と、「リーザ」は頰を真っ赤に染めて笑いだしました。

そういうことだったのですね、「リーズ」は自分が片輪ということで結婚できないと思ったのです。しかし、今は「片輪」と言う言葉は使ってはいけないので、「障害がある」とでも言うのでしょうか。

ところで「リーズ」と「リーザ」はどのように使い分けられているのでしょう。

「僕が自分で車椅子を押してあげますよ、でもそのことまでにはあなたも全快するだろうと、僕は信じているんです」

「それにしても、あなたは気違いだわ」と、「リーザ」が神経質に言い放ちました。「あんな冗談から、いきなりそんな下らない結論を出すなんて!ああ、ママが来たわ、ちょうどいい潮時かもしれないわね。ママ、どうしていつもこんなに遅くなるの、こんなに永いことかかってたらだめじゃないの!ほら、ユーリヤが氷を持ってきたわ!」

結婚話はここで中断しますが、この中途半端はいったいどのように進展するのでしょう。

「ああ、リーズ、大きな声をださないでちょうだい、何よりも、そう大きな声をださないでちょうだい。そんな大声をだされると、あたしはもう・・・だって仕方がないじゃないの、あなたが自分で別の場所にガーゼを突っ込んでおくんですもの・・・さんざ探したのよ・・・あなたがわざとやったんじゃないかって、疑ったくらいだわ」

「だけど、この人が指を嚙まれてくるなんて、あたしにわかるはずがないじゃないの。でなかったら、本当にわざとそうしてたかもしれないけど。ねえ、ママ、ママもずいぶん辛辣なことを言うようになったわね」

「辛辣だっていいでしょうに。リーズ、アレクセイ・フョードロウィチの指のお怪我や何かに対して、どういう気持でいるの?ああ、アレクセイ・フョードロウィチ、あたくしをひどく悲しませるのは、個々の出来事や、ヘルツェンシトーベか何かのことではなくて、それらすべてをひっくるめた全体ですわ。それにあたくし堪えられないんですの」

「たくさんよ、ママ、ヘルツェンシトーベのことなんか、もうたくさん」と、「リーザ」が楽しそうな笑い声をあげました。「早くガーゼをちょうだい、ママ、それにお水と。これはただの酢酸鉛の湿布液よ、アレクセイ・フョードロウィチ、今ごろやっと名前を思いだしたわ。でも、とてもよく効く湿布液なの。ママ、ねえどう思う、この人ったらここへ来る途中、往来で子供たちと喧嘩して、その子供に嚙みつかれたんですって。この人のほうがよっぽど子供じゃなくって。小さな坊やだわ。そんなことのあったあとで、この人が結婚なんぞできると思う?だって、この人ったら結婚するつもりなんですってさ、ママ。この人が結婚したところを想像してごらんなさいよ、こっけいじゃないこと、ぞっとするわよね?」

「リーズ」はママに「カーゼと、それから、切傷用の、とてもしみる濁った水薬」を、「ユーリヤ」には「穴蔵から氷の塊と、新しくうがいコップにお水」を頼んだのでしたね。

そして「リーズ」は、いたずらっぽく「アリョーシャ」を見つめながら、神経質な小刻みな笑い声をたてました。

ここのあたりの「リーズ」と「ホフラコワ夫人」の掛け合いの会話はあれこれといろんなことを言い放ち、支離滅裂で突飛でなかなかついていけません。

たぶん「リーズ」と「ホフラコワ夫人」が常に行動をともにしていて、気心が知れており第三者にはわからないような省略された会話がなされているということもあるのでしょうし、もちろん「アリョーシャ」を迎えてふたりとも興奮状態でもあるのでしょう。


さらに客間には「カテリーナ・イワーノヴナ」と「イワン」いますし。


2017年6月23日金曜日

449

「まあ、それでいいんですの、あなたともあろう方が、それもそんな服装をして、中学生なんぞとかかりあいになったりするなんて!」まるで彼に対して何かの権利でも持っているかのように、彼女は腹立たしげに叫びました。「そんなことをすれば、あなた自身まで子供と同じじゃありませんか、それこそいちばん小さな子供と同じだわ!でも、その生意気な子供のことは、なんとか探りだして、話をきかせてちょうだい。何か秘密がありそうですもの。今度は次のお話ね。でも、その前に伺っておきたいの、傷が痛いでしょうけれど、それでも、ごくつまらないお話をすることができるかしら、理性的にお話しすることができて?」

「リーズ」は落ち着いているのでしょうか、「アリョーシャ」を噛んだ子供のことまで気にしていますが、14歳にしてすでに母親的なことろがあらわれていて驚きますね。

しかし、自己本位ということはなく、自分が話をするにあたって「アリョーシャ」の傷の痛みのことも気にかけるやさしさも持っています。

「十分できますとも、それに今はもう痛みもそれほど感じませんし」

「それは指をお水につけているからよ。お水をすぐに換えなければ。じきに温まってしまうんですもの。ユーリヤ、大急ぎで穴蔵から氷の塊と、新しくうがいコップにお水を入れて持ってきてちょうだい。さ、これであの子も行ってしまったから、用件をお話ししますわ。アレクセイ・フョードロウィチ、昨日さしあげたあたしの手紙を返していただきたいの、今すぐに。だって今ママが来ますし、それにあたし・・・」

「手紙はここに持っていないんです」

「嘘、持ってるくせに。そうお返事なさるってことくらい、ちゃんとわかっていたわ。手紙はそのポケットに入っているんでしょうに。あたし、あんなばかげた冗談をして、一晩じゅう、そりゃ後悔していたのよ。手紙を今すぐ返してちょうだい、ねえ、返して!」

「あっちに置いてきたんです」

「でも、あんなばかげた冗談を書いた手紙をお読みになったあとでは、もうあたしを小さな娘と、ほんのちっぽけな娘と見なすことはできないわね!ばかげた冗談のことは、ほんとにお詫びします、でも手紙は必ず持ってきてちょうだいね。もし本当に今持っていないのなら、今日のうちに持っていらして、必ず、必ずよ!」

昨日自分で書いておきながら、今日になって「あんなばかげた冗談」などと言う女心はわかりませんね。

「今日はとてもだめですよ。修道院に戻ったら、こちらへは二日か三日、へたをすると四日は伺えませんから。なぜってゾシマ長老が・・・」

「四日も?そんなばかな!ねえ、あたしのことをうんと笑ったでしょう?」

「ちっとも笑いませんよ」

「なぜ?」

「だって、何もかも、すっかり信じたからです」


2017年6月22日木曜日

448

「アリョーシャ」は噛まれた指からハンカチをほどきました。

ハンカチはべっとりと血にまみれていました。

「ホフラコワ夫人」は悲鳴をあげて、目をつぶりました。

「まあ、たいへんなお怪我、恐ろしい!」

しかし、「リーズ」は戸の隙間から「アリョーシャ」の指を見るなり、すぐに力いっぱいドアを開きました。

「入っていらっしゃい、こっちへいらっしゃいよ!」と、彼女は有無を言わさぬ命令口調で叫びました。「今度はもう冗談ぬきよ!まあ、大変、どうしてこんなに永い間、ぼんやり突っ立って、黙っていらしたの?出血で参ってしまいかねなかったわ、ママ!いったいどこでこんな目に、どうして?何よりも先に水よ、お水をちょうだい!傷口を洗わなければ。痛みがとまるように、冷たいお水に指を入れて、しばらくそのままにしておくのよ・・・早く、早くお水をちょうだい、ママ、うがいコップに。ねえ、早くったら」

神経質に彼女は言い終えました。

彼女はすっかり肝をつぶしていました。

「アリョーシャ」の傷がひどいショックを与えたのです。

33歳の「ホフラコワ夫人」はただ動転するだけですが、14歳の「リーズ」の方は機転がききますね。

咄嗟の事態に対して、このような行動をとることができるというのは、当たり前のようであっても実際にはなかなかできないことです。

そういった意味では、「リーズ」は「ゾシマ長老」との面会の時には幼さが目立ってとんでもない印象を受けましたが、本当はなかなか優れた女性ですね。

ヘルツェンシトーベ先生をよびにやらなくていいかしら?」と、「ホフラコワ夫人」が叫ぼうとしかけました。

「ママ、あたしをあんまり悲しませないでよ。ママのごひいきのヘルツェンシトーベなんか、やって来ても、わかりませんなと言うだけよ。お水、お水をちょうだい!ママ、おねがい。ご自分で行って、ユーリヤを急がしてらして。あの子、どこかそこらに沈没して、どうせすぐには来やしないんだから!ねえ、早くしてよ、ママ、でないとあたし死んでしまうから・・・」

「いや、こんなのたいしたことないですよ!」と「アリョーシャ」は母娘の怯え方にびっくりして叫びました。

「ユーリヤ」が水を持って駆けつけました。

「アリョーシャ」は指を水につけました。

「ママ、おねがい、ガーゼを持っていらして。カーゼと、それから、切傷用の、とてもしみる濁った水薬があったでしょう、何ていう薬だったかしら!うちにあるのよ、あるわ、あるわ・・・ママ、あの薬瓶がどこにあるか、ママだって知ってるでしょう。ママの寝室の、右側の戸棚よ、あそこに薬瓶とガーゼが入っているわ・・・」

「今みんな持ってきますよ、リーズ、ただそんな大きな声をだして、騒ぎたてないでちょうだい。ごらんなさいな、アレクセイ・フョードロウィチはご自分の不幸を毅然として堪えてらっしゃるじゃないの。それにしても、どこでそんなひどいお怪我をなさったんですの、アレクセイ・フョードロウィチ?」

「ホフラコワ夫人」は急いで出て行きました。

「リーズ」はそれだけを待っていたのでした。

「何よりもまず、あたしの質問に答えてくださいな」と、彼女は早口で「アリョーシャ」に言いはじめました。「どこでそんなお怪我をなさったんですの?それを伺ったあと、全然別のお話しをしますから。さあ!」

「リーズ」は肝心なことをちゃんと相手を思いやりながらも伝えています。

「アリョーシャ」は、母親の戻ってくるまでの時間が彼女にとって大切なのだと本能的に感じとったので、中学生たちとの謎めいた出会いのことを急いで、多くの箇所を省いたり縮めたりしながら、しかし正確にはっきりと彼女に伝えました。


話をきき終ると、「リーズ」は呆れ顔に両手を打ち合わせました。


2017年6月21日水曜日

447

「いったいどうなさったの、ママ?」

「ああ、あなたのその気まぐれですよ、リーズ、そのむら気なのよ。あなたの病気といい、熱にうなされるあの恐ろしい夜といい、あのひどい藪医者の、一生ついてまわるヘルツェンシトーベといい!何よりも、一生ついてまわるってことだわ、いつまでも、いつまでも!それに結局何もかも・・・そのうえあの奇蹟までがね!ああ、アレクセイ・フョードロウィチ、あの奇蹟には本当に心を打たれましたわ、感動しましたわ!そこへもってきて、今あっちの客間では、あたくしにはとても我慢できないような悲劇が起ってますでしょう、たまりませんわ。あらかじめはっきり申しあげておきますけど、あたくし、とても我慢できませんわ。ことによると、悲劇じゃなく、喜劇かもしれませんわね。それはそうと、ゾシマ長老は明日までもつでしょうか、生きのびられますかしら?ああ、恐ろしいこと!あたくし、どうしたのでしょう、ひっきりなしにこうして目をつぶると、何もかもが下らないことに思われてきますのよ」

「まことにすみませんが」と、だしぬけに「アリョーシャ」が話の腰を折りました。「何か指に繃帯するような、清潔な布をいただけませんでしょうか。ひどく怪我をしまして、今やりきれぬほど痛むものですから」

「ホフラコワ夫人」は指を怪我していて痛みをこらえている「アリョーシャ」の様子も気づかずに、興奮状態のままいろいろと話しています。

そして、「リーズ」のことを「気まぐれ」と言って批判していますが、本人も気まぐれなところがあり感情的で支離滅裂ですね。

また、彼女は昨日「ゾシマ長老」と面会したとき、自分には「疑い」があってそれは「来世」についての疑問であることだと言っています。

そして、「ゾシマ長老」から「実行的な愛をつむこと」つまり「自分の身近な人たちを、あくことなく、行動によって愛するよう努めてごらんなさい」と言われています。


このことからも類推できそうですが、彼女の性格は基本的に自己中心的であると言えるのではないでしょうか、それを昨日の「ゾシマ長老」は端的に指摘していると思います。


2017年6月20日火曜日

446

「ママ、ヒステリーを起してるのは、あたしじゃなくて、今のママじゃないの」

ふいに横の部屋のドアの隙間から、リーズの声がさえずるように言いました。

その隙間はごく小さなものでしたが、発作的なその声は、まるで、ひどく笑いたくてならないのに、必死に笑いをこらえているといった感じでした。

「アリョーシャ」はすぐその隙間に気づきましたし、きっと車椅子に座ったリーズがそこから彼を眺めているにちがいなかったのですが、そこまでは見きわめられませんでした。

「むりなくってよ、リーズ、むりもないわ・・・あなたの気まぐれに会っちゃ、こちらまでヒステリーが起りますよ。ですけどね、アレクセイ・フョードロウィチ、あの子はとても加減がわるいんですの。一晩じゅう具合がとてもわるくて、熱は高いし、唸りつづけでしたのよ!朝になってヘルツェンシトーベ先生に来ていただくのが、本当に待ち遠しゅうがざいましたわ。あの先生は、何もわからん、もう少し様子を見なければと、おっしゃってますけど。あのヘルツェンシトーベ先生ときたら、いついらしても、何もわからんとおっしゃるだけですの。あなたがこの家にいらしたとたん、あの子は悲鳴をあげて、発作を起すなり、以前使っていたこの部屋へ自分を移してくれなどと申しましてね・・・」

「ママ、その人がいらしたことなんか、あたし全然知らなかったのよ、その人のためにこの部屋に移りたがったわけじゃないわ」

「そんな嘘ばっかり、リーズ。ユーリヤがあなたのことへ駆けつけて、アレクセイ・フョードロウィチがいらしたと教えていたじゃないの、あの子はあなたの見張り役なんでしょう」

「アリョーシャ」がこの家に来てから「リーズ」は部屋へ移動してくれと言ったようなのですが、時間的になんかへんですね。

「ねえママ、ママにしてはひどく冴えない台詞ね。もし今何かとても気のきいたことを言って、埋め合わせしたかったら、そこに入ってらしたアレクセイ・フョードロウィチにこうおっしゃるといいわ。昨日の今日だというのに、それもみんなに笑いものにされているにもかかわらず、ここへやってくる気になったその一事だけで、才気を持ち合せていないってことを証明するものですって」

「リーズ、あまり度がすぎますよ。はっきり言っておきますけど、いよいよとなればあたしだってきびしい処置を講じますからね。だれがこの人を笑いものにしてるというの。あたしは、いらしてくださったことを、とても喜んでいるのよ。この方はあたしに必要な人なんです。いていただかなくては困るお方なのよ。ああ、アレクセイ・フョードロウィチ、あたくし本当に不幸ですわ!」

「ホフラコワ夫人」も「リーズ」もいらいらしているようで興奮状態ですね。


「アリョーシャ」が修道院を離れて行くところはどこも修羅場のような場所ばかりです。


2017年6月19日月曜日

445

「存じてますわ、何もかも知っています。昨日あの方のところであったことは、詳細にいたるまで全部伺いました・・・あの・・・性悪女との恐ろしいいきさつも全部。悲劇ですわ、もしあたくしがあの方の立場に置かれていたら、あたくしがあの方だったら、何をしでかしたか、わかりませんわ!それにしても、お兄さまのドミートリイさんはいったいなんて人でしょう、ああ、恐ろしいこと!アレクセイ・フョードロウィチ、あたくし混乱してしまいますわ。だってね、今あちらにあなたのお兄さまが、つまり、昨日のあの恐ろしいお兄さまじゃなく、もう一人の、イワン・フョードロウィチがいらして、あの方とお話しなさってらっしゃるんですもの。とても深刻なお話・・・今お二人の間に起っていることを、もし信じられるとしたら、恐ろしいことですわ。あたくしに言わせれば、あれは病的な興奮ですもの。絶対に信ずることのできない恐ろしい物語ですわ。お二人とも、何のためともわからずにわが身を滅ぼそうし、自分でそれを承知していながら、楽しんでいるんです。あたくし、あなたをお待ちしてましたのよ!お目にかかりたくてなりませんでしたの!何より、あたくしにはこんなこと我慢できません。すぐ何もかもお話ししますけれど、今は別の、いちばん肝心な用件を申しあげますわ・・・まあ、あたくしったら、これがいちばん肝心な用件だったことさえ忘れてしまって。教えてくださいましな、どうしてリーズはヒステリーを起したのでしょう?あなたがいらしたときくやいなや、あの子はとたんにヒステリーを起こしましたのよ!」

この家に「カテリーナ・イワーノヴナ」と「イワン」が来ているとは驚きました。

「アリョーシャ」が今日会うことになっている人①「フョードル」②ホフラコワ夫人③リーズ④「イワン」⑤「ドミートリイ」⑥「カテリーナ・イワーノヴナ」の六人のうち、⑤「ドミートリイ」以外の五人にはすでに片付くのですね。

あとは、いちばん肝心な「ドミートリイ」だけです。

ところで、ここで「カテリーナ・イワーノヴナ」と「イワン」はどんな深刻な話をしているのでしょうか。


「ホフラコワ夫人」は「すぐ何もかもお話しします」と言っていますがお二人とも、何のためともわからずにわが身を滅ぼそうし、自分でそれを承知していながら、楽しんでいるんです」とは何のことでしょう。


2017年6月18日日曜日

444

四 ホフラコワ夫人の家で

まもなく彼はホフラコワ夫人の家につきました。

夫人自身のものであるこの家は、美しい石段の二階建てで、この町の最高の屋敷の一つでした。

ホフラコワ夫人はたいてい、領地のある他県か、自分の屋敷のあるモスクワで暮していたのですが、この町にも先祖から伝わった自分の家があったのです。

それに、彼女がこの郡に持っている領地は、三箇所の領地の中でいちばん大きいのですが、それにもかかわらず、これまで彼女がこの県に来ることはきわめてまれでした。

彼女は「アリョーシャ」がまだ玄関にいるうちに走りでてきました。

「受けとってくださいましたか、新しい奇蹟のことをお知らせした手紙は届きまして?」神経質そうな早口で彼女は言いました。

「はい、受けとりました」

「広めてくださったんでしょう、みなさんに見せてくださいましたわね?あの方は母の手に息子を取り戻してくださったんですわ!」

「長老さまは今日亡くなれれるでしょう」と、「アリョーシャ」は言いました。

「伺いましたわ、存じています。ああ、あたくし本当にあなたとお話ししたくてなりませんわ!あなたなり、どなたかなりと、そうしたことすべてについて!いえ、あなたとですわ、あなたとでなければ!それにしても長老さまにどうしてもお目にかかれないのが、本当に残念ですわ!町じゅうが興奮し、みんなが期待しておりますのよ。ですけど、今は・・・ご存じでしたかしら、今あたくしどもにカテリーナ・イワーノヴナがいらしてますのよ」

長老が亡くなることをみんな悲しむよりは期待しているようですが、それは長老という特別の存在だからでしょうか。

「ああ、それは運がよかった!」と、「アリョーシャ」は叫びました。「でしたらお宅であの方にお目にかかれますね。ぜひ今日来るようにと、昨日言われたものですから」


「アリョーシャ」が今日会うことになっている人は①「フョードル」②ホフラコワ夫人③リーズ④「イワン」⑤「ドミートリイ」⑥「カテリーナ・イワーノヴナ」の六人で、「イワン」には一応断ってはいるのですが。


2017年6月17日土曜日

443

「さ、これでいい」と彼は言いました。「見てごらん、こんなにひどく噛んでさ。これで気がすんだかい、え?それじゃ今度は、僕が君に何をしたのか、言ってごらん」

少年はびっくりして見つめました。

「僕は君を全然知らないし、はじめて会ったんだけど」と、相変らずもの静かに「アリョーシャ」はつづけました。「でも、僕が君に何もしていないはずはないよね。君だって理由もなしに僕にこんなひどいことをするはずがないもの。だったら、僕が何をしたの、君にどんなわるいことをしたのか、教えてくれないか?」

返事の代りに少年は突然、大声で泣きだすと、いきなり「アリョーシャ」のそばから逃げだしました。

「アリョーシャ」はそのあとについて静かにミハイロフ通りに向かいましたが、遠くを少年が、足もゆるめず、ふりかえりもせず、そしておそらくやはり声を限りに泣き叫びながら走ってゆく姿が、それからも永いこと見えていました。

「アリョーシャ」は、暇ができしだい、必ずあの少年を探しだして、異常なショックを与えたこの謎を解明しよう決心しました。

今はその暇がありませんでした。


ここで、はじめて「アリョーシャ」は少年たちと接触し、「謎」を残しつつ物語は進行します。


2017年6月16日金曜日

442

「石を投げるのも、ぎっちょだよ」さらに別の少年が言いました。

そのとたん、まさにこのグループめがけて石が飛んできて、左ぎっちょの少年に軽く当って、飛びすぎました。

離れている距離は三十歩と言いますから23~4mです。

野球のバッターとピッチャーの距離は18mちょっとですから、かなり離れてはいるのですね。

とはいえ、力のこもった、鮮やかな投げ方でした。

川向うの少年が投げたのです。

「やっつけちゃえ、あいつにぶつけてやれよ、スムーロフ!」

みんなが叫びたてました。

しかし、左ぎっちょの少年スムーロフは、言われなくとも、おめおめと待ってはおらず、すぐに返礼をしました。

彼は川向うの少年めがけて石を投げましたが、はずれて、石は地面にぶつかりました。

川向うの少年はすぐにまたこっちのグループに、それも今度はまっすぐ「アリョーシャ」めがけて石を投げ、かなりな痛さで肩に命中させました。

川向うの少年はまだ九つくらいだと後に書かれていますが、かなりの確率の投石です。

川向うの少年のポケットには、用意の石がいっぱいつまっていました。

それは、三十歩へだてていても、外套のふくらんだポケットを見れば明らかでした。

「あれはあんたをねらったんだよ、あんたを。わざとあんたにぶつけたんだ。だって、あんたはカラマーゾフだろ、カラマーゾフだものね?」少年たちは爆笑しながら叫びました。「さあ、みんなで一度に投げようぜ、それ!」

そして、こっちのグループから六個の石がいっぺんに飛びだしました。

一つが少年の頭に当りました。

少年は倒れましたが、すぐにははね起き、気違いのようになって応酬しはじめました。

川の両側から絶え間ない投石が開始されました。

こっちのグループも、たいていの者がポケットに用意の石を忍ばせていることがわかりました。

しかし、これはいくら子供どうしでも危険なことですね。

「なんてことをするの!恥ずかしくないのかい、みんな!一人に六人でかかるなんて、あの子を殺す気かい!」と「アリョーシャ」は叫びました。

彼はとびだして行き、川向うの少年を自分の身体でかばうため、飛んでくる石に向って立ちはだかりました。

三、四人が一瞬ひるみました。

「だって、あいつが先にはじめたんだよ!」赤いシャツの少年が、子供らしい、いきり立った声で叫びました。「あいつは卑劣なんだ。さっき教室でクラソートキンをペンナイフで突いて、血を出したんだよ。クラソートキンは先生に言いつけようとしなかったけど、あんなやつ、のしちゃわなきゃ・・・」

「でも、なぜだい?きっと、君たちがあの子をからかったんだろう?」

「あ、ほら、またあんたの背中をねらって石を投げた。あんたを知ってるんだよ」子供たちが叫びました。「今度は僕たちじゃなく、あんたをねらってるんだ。おい、みんな、またやろうぜ、失敗するなよ、スムーロフ!」

そしてふたたび投石合戦がはじまりましたが、今度はひどく敵意のこもったものでした。

川向うの少年の胸に石が当たりました。

少年は悲鳴をあげて、泣きだし、ミハイロフ通りの方へ上り坂を逃げだしました。

グループの中に喚声があがりました。「やーい、意気地なし、逃げだしたぞ、へちま!」

「あんたはまだ知らないんだよ、カラマーゾフさん、あいつがどんなに卑怯なやつか。あんなやつ、殺したってまだ足りないや」

どうやらいちばん年上らしい、ジャンパーの少年が、目をぎらぎらさせて、くりかえしました。

「どういう子なの?」と「アリョーシャ」はきいてきました。「告げ口屋なのかい?」

少年たちは嘲笑をうかべたような感じで、顔を見合せました。

「あんたもあっちへ行くんでしょう、ミハイロフ通りへ?」同じ少年がつづけました。

「だったら追いつくんだね・・・ほら、また立ちどまって、待ってるよ、あんたを見てるんだ」

「あんたを見てらあ、あんたを見てるんだよ!」少年たちが相槌を打ちました。

「だったら、きいてごらんよ。ぼろぼろになった風呂場のへちまは好きかって。わかった?そうきいてごらんよ」

いっせいに笑い声がひびきました。

「アリョーシャ」は少年たちを、少年たちは「アリョーシャ」を見つめました。

「行かないほうがいいよ、怪我しちゃうよ」と「スムーロフ」が警告するように叫びました。

「ねえ、みんな、僕はへちまのことなんかきかないよ。だって、君たちはきっと、そう言ってからかうんだろうからね。でも、僕はあの子から、どうしてこんなに君たちに憎まれてるのか、ききだしてみるよ・・・」

「きくといいよ、きくといいよ・・・」少年たちは笑いだしました。

「アリョーシャ」は橋を渡ると、塀のわきを通って、仲間はずれの少年の方へまっすぐ坂を上って行きました。

「気をつけたほうがいいよ」そのうしろ姿に警告の叫び声がとびました。「そいつはあんただってこわがりゃしないから。いきなりナイフで突くんだ、こっそり隠しててさ・・・クラソートキンのときみたいに」

少年はその場を動かずに、彼を待っていました。

すっかりそばまで行ってから、「アリョーシャ」は気づいたのですが、それはせいぜい九つくらいの、青白い痩せた細長い顔をした、虚弱そうな、背の低い子供で、大きな黒い目に敵意をこめて彼をにらみつけていました。

かなり年代物の古ぼけた外套を着ており、そこから不恰好に身体がはみだしていました。

両袖から裸の手が突き出ていました。

ズボンの右膝に大きなつぎが当っており、右の長靴の爪先、親指のあたりに大きな穴があいていて、どうやらそこにはしたたかインクが塗ってあるらしいのでした。

外套のふくらんだ両のポケットには、石がつめこまれていました。

「アリョーシャ」はいぶかしげに少年を見つめながら、二歩ばかり手前に立ちどまりました。

少年は「アリョーシャ」の目を見てすぐに、相手にぶつ気がないのを察しとると、空元気をすてて、むしろ自分のほうから口を開きました。

「こっちは一人なのに、相手は六人なんだ・・・僕は一人であいつらをみんなやっつけてやる」目をきらりと光らせて、だしぬけに少年は言いました。

「たしか、石が一つ、とてもひどく当ったね」と、「アリョーシャ」は言いました。

「僕だってスムーロフの頭にぶつけてやったもん!」少年が叫びました。

「あの子たちが言ってたけど、君は僕を知ってて、何かわけがあって僕に石をぶつけたんだって?」と「アリョーシャ」はたずねました。

少年は暗い目で彼を見ました。

「僕は君を知らないけど、ほんとに君は僕を知ってるの?」と、「アリョーシャ」は重ねてたずねました。

「しつこいな!」ふいに苛立たしげに少年が叫んだが、それでもまだ何事かを期待するようにその場を動こうとせず、また敵意をこめて目を光らせました。

「じゃいいや、僕は行くから」と「アリョーシャ」は言いました。「ただ僕は君を知らないし、からかいもしないよ。あの子たちはどうやって君をからかうのか、教えてくれたけど、僕はからかうつもりはないんだ。さよなら!」

「坊主のくせに揃いのズボンなんかはいてさ!」少年は相変わらず敵意にみちた挑戦的な眼差しで「アリョーシャ」を見守りながら叫び、今度こそ「アリョーシャ」がきっととびかかってくるものと計算して、タイミングよく身構えましたが、「アリョーシャ」はふりかえって、ちらと眺めやっただけで、そのまま歩きだしました。

だが、ものの三歩と行かぬうちに、少年の投げた、ポケットの中にあったうちでいちばん大きな石がしたたか背に当たりました。

「君はそうやってうしろからぶつけるのかい?だとすると、あの子たちが、君はいつもこっそり闇討ちをかけるって言ったのは本当なんだね?」と、「アリョーシャ」はまたふりかえりましたが、今度は少年は気違いのようにまた「アリョーシャ」めがけて、それもまともに顔をねらって石を投げました。

しかし、「アリョーシャ」がすかさず顔をかばったため、石は肘に当たりました。

「よく恥ずかしくないね!僕が君に何をしたと言うんだい!」彼は叫びました。

少年は無言のまま喧嘩腰に、今度こそ必ず「アリョーシャ」がとびかかってくるだろうと、そればかり待ち受けていました。

相手が今度もかかてこないのを見ると、少年は野獣のようにすっかりいきり立ちました。

いきなりとびだすと、自分のほうから「アリョーシャ」に組みついてゆき、相手が身動きする間もないうちに、怒り狂った少年は頭を下げ、両手で彼の左手をつかむなり、中指にひどく噛みつきました。

歯を立てたまま、十秒ほど放そうとしませんでした。

「アリョーシャ」は力まかせに指を振りきろうとしながら、痛さに悲鳴をあげました。

少年はやっと指を放し、前と同じ距離までとびすさりました。

指は爪のすぐわきのあたりを骨に達するくらい深く、したたか噛まれていました。

血が流れだしました。

「アリョーシャ」はハンカチを取りだし、傷ついた手を固く縛りました。

繃帯するのにほとんどまる一分はかかりました。

少年はその間ずっと立ちどまって、待っていました。


やっと「アリョーシャ」は静かな眼差しを少年にあげました。