2017年10月31日火曜日

579

「ほら、わたしはこうして坐って、話をしているではないか。この分だと、昨日ヴイシェゴーリエからリザヴェータという女の子を抱いてきた、あの親切なやさしい女が望んでくれたように、あと二十年も生きのびるかもしれんよ。主よ、あの母親にも娘のリザヴェータにもお恵みを! (長老は十字を切った)。ポルフィーリイ、あの女の贈り物をわたしの言ったところへ届けてくれましたか?」

これは、昨日、快活な崇拝者が《わたしより貧しい女性に》やってくれと寄付した六十カペイカのことを言っているのでした。

(117)のことろで、「ゾシマ長老」は「ここから六キロあるヴイシェゴーリエからやってきた」「乳呑児を抱いた健康そうな農婦」に声をかけました。

彼女は、長老が病気だと聞いて、自分で行ってみてこようと思ってきたが、「こうしてさっきから見ていると元気そうで、まだ二十年も長生きしますよ、『本当に。お達者でいてくださいよ!』あなたさまのことを祈ってる人間はたくさんいますから」と長老に伝えたのでした。

そして彼女は「自分はここに六十カペイカもっているから、あなたさまなら、だれに渡すべきか知ってらっしゃるだろうから、わたしより貧しいおなごにあなたさまからあげてください」と言ったのに対して、長老は「ありがとう、お前さんはいい人だね、必ず約束をはたす」と言ったのでした。

この種の寄付は、なんらかの理由で自発的にわが身に課す宗教的懲罰として行われるのであり、必ず自分の勤労によって得た金に限るとされていました。

長老は昨日のうちに「ポルフィーリイ」を、つい最近焼けだされて、火事のあと子供をかかえて乞食をはじめるようになった、この町の後家のところへ向けてやったのです。

「ポルフィーリイ」は、すでに用事をはたしたことや、命じられたとおり《無名の慈善家から》として金を与えてきたことなどを、急いで報告しました。

「さ、立ちなさい」
長老は重ねて「アリョーシャ」に言いました。

「お前をよく眺めさせておくれ。わが家に帰って、兄に会ってきたかの?」

「アリョーシャ」には、長老が二人の兄のうち片方のことだけを、これほどはっきり正確にたずねたのが、ふしぎに思われました。

しかし、どっちの兄のことだろう? つまり、長老が昨日も今日も自分を送りだしたのは、その兄のためにだったのかもしれないのです。

「片方の兄には会いました」

「アリョーシャ」は答えました。

「わたしが言っとるのは、昨日わたしが跪拝して進ぜた、上の兄のことだよ」

「あの兄には昨日会っただけで、今日はどうしても見つけられませんでした」

「アリョーシャ」は言いました。

「急いで見つけるのだ。明日また出かけて、急いで見つけるとよい。何をおいても、急ぐことだよ。たぶん、今ならまだ何か恐ろしいことを未然に防げるだろう。わたしは昨日、あの人の将来の大きな苦悩に対して跪拝をしたのだよ」

長老はふいに口をつぐみ、考えこむかのようでした。

奇妙な言葉でした。

昨日の長老の跪拝を目撃した「イォシフ神父」は、「パイーシイ神父」と目を見交わしました。

ふたりの神父には、長老が重要なことに気づいているらしいことがわかったのでしょう。


「アリョーシャ」はこらえきれなくなりました。


2017年10月30日月曜日

578

四人目の客は、もうすっかり老齢で、貧しい農民の出の、「アンフィーム」というただの修道僧で、ほとんど文盲に近く、もの静かで寡黙でめったに人と話もせず、謙虚な人々の中でもいちばん謙虚な人物でしたが、まるでいつも何か、自分の知力では測りえぬ偉大な恐ろしいものに怯えている人間のような顔つきをしていました。

いつもおどおどしているようなこの人物を「ゾシマ長老」はきわめて愛し、生涯を通じて並々ならぬ尊敬を払ってきたのですが、それでいて、かつて彼と二人で永い年月、聖なるロシア全土をまわったことがあるにもかかわらず、一生の間に彼と交わした言葉は、おそらく他のたれとの場合より少なかったにちがいありません。

それはもうずっと以前、すでに四十年ほど前のことで、そのころ「ゾシマ長老」はコストロマ町のあまり有名でない貧しい修道院で、はじめて修道僧の苦行に入り、そのあと間もなく「アンフィーム神父」に同行して、貧しいコストロマの修道院のために寄付を集めに巡礼の旅に出たのでした。

コストロマは「ロシア連邦の古都であり、コストロマ州の州都でもある。1152年にキエフ大公ユーリー・ドルゴルーキーにより建設されたとする説が有力であり、13世紀半ばにコストロマ公国を形成したが、その後モスクワ公国に統合された。モスクワからは北東へ372km。ヴォルガ川にコストロマ川が流入する地点に建設された。人口は2002年国勢調査で278,750人、1989年の調査では278,414人だった。」とのことです。

「ゾシマ長老」の最後を看取るべく集まった四人の客人はいわゆる偉い人ばかりではなくて好感が持てます。

「イォシフ神父」と「パイーシイ神父」は当然のことで、あとの二人「ミハイル」という司祭修道士と「アンフィーム神父」は普通の修道僧です。

今までに描かれた「ゾシマ長老」はすばらしいので、どういう人物であったか興味があります、彼の生い立ちを詳しく知りたくなりました。

ところで一同は、主人も客も、長老のベッドの置いてある奥の部屋に席を占めました。

すでに述べたように、この部屋はいたって手狭でしたので、ずっと立ったままでいた見習僧の「ポルフォリイ」だけ除いて四人の神父はみな、長老の肘掛椅子を囲んで、手前の部屋から運んできた椅子にやっと腰をおろしました。

すでに仄暗くなりはじめ、部屋は聖像の前の灯明と蠟燭とで照らしだされていました。

入口でどぎまぎして立ちどまった「アリョーシャ」の姿を見ると、長老は嬉しそうに微笑し、片手をさしのべました。

「お帰り、やあ、お帰り。やっと帰ってきてくれたの。きっと戻ってくると知っておったよ」

「アリョーシャ」は長老に歩みより、深々と一礼して泣きだしました。

心臓から何かが引きちぎれ、心がふるえおののいて、大声で泣きだしたいと思いました。

「どうした、別れの涙はもう少しお待ち」


長老は右手を彼の頭に置いて、微笑しました。


2017年10月29日日曜日

577

第六編 ロシアの修道僧

一 ゾシマ長老と客人たち

不安と心の痛みをおぼえながら長老の庵室に入ったとたん、「アリョーシャ」はほとんど愕然として立ちどまりました。

今までの話は「アリョーシャ」と別れた後の「イワン」の話でしたが、ここからは「アリョーシャ」の方です、(553)の場面で「イワン」と別れた彼まで時間を遡ります、「だが、ふいに彼も向きを変え、ほとんど走るようにして修道院に向かいました。すでに日はとっぷりと暮れて、恐ろしいくらいでした。何か、とうてい答えを与えられぬような新しいものが、胸の中で育ちつつありました。昨日と同じように、また風が起り、僧庵の林に入ると、千古の松が周囲で陰鬱にざわめきだしました。彼はほとんど走らんばかりでした。」の続きですね。

ことによるともう意識もないかもしれぬと恐れていた瀕死の病人の代りに、ふいに彼が見たのは、衰弱のためにやつれてこそいるが、元気そうな明るい顔で肘掛椅子に座り、客人たちに囲まれて静かな明るい会話を交わしている長老の姿だったからです。

もっとも、長老が病床から起きたのは、「アリョーシャ」の帰るせいぜい十五分ほど前でした。

客人たちはすでにそれ以前に庵室に集まり、「われわれの師はつい今朝ほどご自分でおっしゃり、約束なさったとおり、心に大切な方々ともう一度お話しするために、必ずお起きになられます」という「パイーシイ神父」の固い保証を頼りに、長老が目ざめるのを待っていました。

瀕死の長老のこの約束だけではなく、あらゆる言葉を、「パイーシイ神父」は固く信じていましたので、たとえ長老がすでにまったく意識を失い、呼吸さえ止ったのを見たとしても、もう一度起きてお別れをすると約束してくださった以上、死にゆく人がきっと目をさまして約束をはたしてくれるだろうといつまでも待ちながら、おそらく死そのものをも信じようとしないほどでした。

今朝早く「ゾシマ長老」は、眠りに沈みながら、はっきりと彼にこう言ったのです。

「心から愛するあなた方との話にもう一度酔い、なつかしいあなた方の顔を眺め、もう一度わたしの心を披瀝せぬうちは、わたしは死なないよ」

おそらく最後になる長老の説話をききに集まったのは、いちばん忠実な永年来の友人ばかりでした。


全部で四人で、司祭修道士の「イォシフ神父」と「パイーシイ神父」、それに僧庵の司祭主任をいている「ミハイル」という司祭修道士、これはまださほど老齢でもないし、およそ学識者というわけでもなく、身分も平民出でしたが、心のしっかりした人物で、ゆるがぬ素朴な信仰をいだき、見たところ峻厳そうですが、心の奥で深い感動に充たされ、そのくせ何か羞恥に近いくらい感動を秘め隠しているのでした。


2017年10月28日土曜日

576

彼は恐ろしい、不安な期待に包まれていました。

ほかでもない、ちょうどこの晩、彼は今度はもうほとんど確実に「グルーシェニカ」の来訪を待ち受けていたからです。

少なくとも、今朝早いうちに「スメルジャコフ」から、『あの方が必ずいらっしゃるとお約束なさいました』という、保証に近い言葉を受けたのです。

エッと、耳を疑います、そういうことだったのか、あんなに勇んで「イワン」を追い立てたのは、それにしても「スメルジャコフ」はどうしてそんな情報を知っているのか、いつ誰に聞いたのか、「イワン」には言っていませんでした、実際に本当のことなのか、嘘だとすると「スメルジャコフ」は相当の覚悟で嘘をついたことになりますが。

落ちつかぬ老人の胸は不安にときめき、彼はがらんとした部屋から部屋を歩きまわりながら、きき耳を立てていました。

耳をそばだてている必要がありました。

癲癇で寝込んでいる「スメルジャコフ」の意識は回復したのでしょうか、あれほど口合わせして練習していたドアのノックの合図は無駄になりましたね。

しかも、「グリゴーリイ」も腰が立たなくなり、寝たきり同然となっていましたから、「フョードル」の見方は誰もいないという訳です。

「ドミートリイ」がどこかで張りこんでいかねなかったから、彼女が窓をノックしたらすぐ(スメルジャコフは、どこをノックすればよいかを彼女に伝えたと、おととい老人に確言していた)、できるだけ早くドアを開けてやり、彼女が万一何かに怯えて逃げだしたりせぬよう、一秒たりとも玄関で彼女にむだな手間をとらせぬことが必要でした。

「フョードル」は気がもめてなりませんでしたが、いまだかつて、これ以上甘い希望に心が浸ったことはありませんでした。

なにしろ、今度こそ彼女はきっと来ると、ほとんど確実に言うことができるからでした!

ここで、第五編が終わっています。

これは、たいへんなことになりました。

「スメルジャコフ」が仮病を使っているとすれば、一般的に言われているように彼が「フョードル」殺しの犯人の可能性が明らかになってきました。

しかし、穴蔵から落ちて、癲癇の発作で痙攣して、意識不明になるという仮病は普通は考えられませんし、そもそも何のために彼が「フョードル」を殺す必要があるのでしょうか。

「スメルジャコフ」は嘘をつく人物でしょうか。

「フョードル」は彼を信頼しきっているようですので、今朝「グルーシェニカ」が来ると思っています。

そうして今か今かと聞き耳を立てて待っているときに、別棟で横になっている「スメルジャコフ」がそっと起き出してきて、おととい「フョードル」に教えていた場所を「グルーシェニカ」のふりをしてノックする、そうすれば何の疑問もなく「フョードル」はドアを開けるでしょう。


このことを知っていたのは「スメルジャコフ」だけです。


2017年10月27日金曜日

575

この厄介な仕事に、つまり「痙攣しながら、のたうちまわり、口から泡をふいている」「スメルジャコフ」を「穴蔵から地上にかつぎだす」ことですね、「フョードル」自身もずっと付き合い、どうやらすっかり肝をつぶして、うろたえた様子で、みずから手を貸しもしました。

しかし、病人は意識を回復しませんでした。

発作は一時おさまりましたが、また再発したため、みなは去年、彼がやはり思いがけなく屋根裏から落ちたときと同じことが起るにちがいないと結論を下しました。

あのときは頭のてっぺんに氷をあててやったことを思いだしました。

氷は穴蔵にまだ残っていましたので、「マルファ」が看病にあたり、「フョードル」は夕方近く医者の「ヘルツェンシトーベ」を迎えにやりました。

医者はすぐに駆けつけました。

病人を丹念に診察したあと(これは県内でいちばん丁寧で注意深い医者で、もうかなりな年配の立派な老人だった)、この発作はきわめて激しく、《危険を生ずるおそれがある》、今のところまだ何とも言えないが、明朝、もし今の薬が利かぬようなら、別の手当をすることにしようと診断を下しました。

病人は離れの、「グリゴーリイ」と「マルファ」の部屋に隣合った小部屋に寝かされました。

このあと「フョードル」は、もはや一日じゅう、不幸につぐ不幸を堪えぬかねばなりませんでした。

夕食は「マルファ」が支度したのですが、「スメルジャコフ」の料理にくらべるとスープは《まるでどぶ水》のような出来ばえでしたし、鶏肉はひからびすぎて、嚙むこともできぬ始末でした。

主人のしごくもっともではありますが、口やかましい非難に、「マルファ」は、鶏はそれでなくても非常に年とっていたのだし、自分は料理を勉強したわけでもないと反論しました。

夕方近く、また別の心配が持ちあがりました。

一昨日から加減をわるくしていた「グリゴーリイ」が、折あしくすっかり寝たきり同然になってしまい、腰が立たなくなったのです。


「フョードル」はお茶をできるだけ早目に切り上げ、母屋にただ一人とじこもりました。


2017年10月26日木曜日

574

晩の七時に、「イワン」は汽車に乗り、モスクワに向かいました。

『今までのことはみんな、さよならだ。これまでの世界とは永久に縁を切って、何の消息もきかぬようにするんだ。新しい世界へ、新しい場所へ、あともふりかえらずに入って行こう!』

しかし、喜びの代りに突然、真っ暗な闇が心を閉ざし、これまでの生涯に一度も味わったことのないような悲しみが胸内でうずきはじめました。

彼は夜どおし考えぬきました。

汽車は走りつづけ、暁方、すでにモスクワに入ることになってやっと、彼はふいにわれに返った心地になりました。

「俺は卑劣な人間だ!」

心ひそかに彼はつぶやきました。

これが「イワン」の自分自身に対する総括ですね。

よく言われるように「スメルジャコフ」が「フョードル」を殺害することを暗に示唆したとか、そうなるかもしれないことを彼は確信していたとか、ここまで読んできても私は気づきませんでした。

ただ、ここでの「俺は卑劣な人間だ!」というつぶやきは、彼が逃げたことの一点にかかる言葉だと思います。

また、(564)で「スメルジャコフ」が「あなたをお気の毒と思えばこそ、申しあげたんでございますよ。わたしが若旦那さまの立場に置かれたら、即座に何もかも放りだしてしまいますがね・・・・こんな事件の巻添えをくよりは・・・・」と言っていますが、これは「イワン」の行動を先取りした発言ですね。

一方、「フョードル」は息子を送りだしたあと、しごく満足でした。

まる二時間というもの、ほとんど幸福に近い気分で、コニャックをちびちびと舐めていました。

ところが突然、屋敷の中に、あらゆる人にとってきわめて腹立たしい不愉快な事態が生じ、一瞬のうちに「フョードル」を極度の困惑におとし入れました。

「スメルジャコフ」が何かの用で穴蔵に行き、いちばん上の段からころげ落ちたのです。

たまたまそのときマルファが中庭にいて、折よく物音をききつけたのが、まだしも幸いでした。

ころげ落ちるところこそ見ませんでしたが、その代り彼女は悲鳴をききました。

一種特別の、異様な、しかし彼女にはもうずっと以前から馴染み深い悲鳴で、発作を起して倒れる癲癇患者の悲鳴でした。

階段を下りようとしかけた瞬間に発作を起し、そのため、当然のことながら、とたんに意識不明になってころげ落ちたものか、それとも反対に、転落とショックとで、有名な癲癇持ちである「スメルジャコフ」に発作が起ったのか、それは判じえませんでしたが、すでに穴蔵の底で全身を海老のように曲げて痙攣しながら、のたうちまわり、口から泡をふいているところを発見されたのでした。

最初みなは、きっと手か足でも折って大怪我したにちがいないと思ったのですが、「マルファ」の言葉を借りるなら、《神さまのお守りがあって》、格別そんなこともありませんでした。

ただ、彼を穴蔵から地上にかつぎだすのがたいへんでした。

しかし、近所の人たちに応援を求め、なんとか運びだしました。

(558)で「スメルジャコフ」は、「・・・・わたしはきっと明日、長い癲癇が起るにちがいないと思ってるんです」と言っていました、さらに「長い発作ですよ。おそろしく長い。数時間か、さもなければ、おそらく一日二日はつづきますですね。一度なぞ、三日つづいたことがございました。そのときは屋根裏から落ちたんです。痙攣がとまるかと思うと、またはじまりましてね。三日間というもの、正気に返れませんでしたよ。あのときは大旦那さまがここの医者ヘルツェンシトーベ先生をよびにやってくだすって、先生が頭のてっぺんに氷をあててくださったうえ、さらに薬を一つ使ってくださいましたんで・・・・危うく死ぬところでございましたよ」と、そして「イワン」が癲癇の予測なんかできないと言ったことに対して、(559)で「屋根裏へは毎日のぼりますからね、明日だって屋根裏から落ちるかもしれませんですよ。屋根裏からでないとすれば、穴蔵へ落ちるでしょうね。穴蔵へも毎日行きますから。自分の用事で」とまで言っています。

不思議なのは、「イワン」に仮病と言われた「スメルジャコフ」は「かりにわたしがそんな芸当までしかねないとしても、・・・・」と言っていることです。


ですから、これは仮病なんでしょうか、症状からいえばそうは思えませんが、はっきりしたことはわかりません。


2017年10月25日水曜日

573

宿場は簡単にやりすごし、馬をつけ替えて、ヴォローヴィヤに突っ走しりました。

宿場というのは、何キロごとにあるのでしょうか、そして馬も変えるのですね。

『なぜ、賢い人とはちょっと話してもおもしろいのだろう、あの言葉で何を言おうとしたのだろう』

突然、息がつまる思いがしました。

『それに、何のつもりで俺はあの男に、チェルマーシニャに行くことを報告なんぞしたんだろう?』

ヴォローヴィヤの宿場につきました。

(571)で「イワン」の行程を「今いる場所(スターラヤ・ルッサ=カラマーゾフの舞台)から馬車で八十キロ走り、鉄道の最寄駅に到着し、そこから50キロちょっとでヴォローヴィヤ駅、それから馬車で「せいぜい十二キロかそこら」でチェルマーシニャに着き、そこで用事を済ませて、神父に馬車でヴォローヴィヤ駅まで送ってもらい、モスクワまで行くということになります。」と書いたのですが、違っていましたね。

鉄道を使ってヴォローヴィヤの駅へ行ったのではなく、ヴォローヴィヤの宿場まで直接馬車で行ったのですね。

「イワン」が幌馬車を出ると、馭者たちが取りかこみました。

チェルマーシニャまで、十二キロの田舎道を個人営業の馬車で行くことに話がつきました。

彼は馬をつけるよう命じました。

宿場に入りかけ、あたりを眺めて、おかみの顔をちらと見るなり、ふいに彼は表階段に引き返しました。

「チェルマーシニャへは行かなくていい。どうだい、七時の列車に遅れないだろうか?」

(569」で「とんでもない、だめですよ。鉄道まで八十キロもあるのに、モスクワ行きの列車が出るのは晩の七時なんですからね。ぎりぎり間に合うのがやっとなんです」との「イワン」の発言がありあしましたが、これは七時にヴォローヴィヤ駅発のモスクワ行きがあるということでしょうか、それによっては考えていた位置関係が変わってきますがよくわかりません。

とにかくここでは、ヴォローヴィヤの宿場からヴォローヴィヤの駅まで七時に着くように馬車を走らせてくれということですね。

「どんぴしゃり、間に合わせますって。馬をつけましょうか?」

「すぐにつけてくれ。君らの中でだれか、町へ明日行く人はいないかね?」

「いますとも。このミートリイが行きまさあ」

この「ミートリイ」は、駅まで「イワン」を運ぶ馭者とは別人物でしょう。

「ひとつ頼みをきいてくれんかな、ミートリイ? 僕の親父のフョードル・カラマーゾフのところへ寄って、僕がチェルマーシニャへは行かなかったと伝えてほしいんだ。やってくれるかい、どうだ?」

この「ミートリイ」のあとの「?」は、「ドミートリイ」を意識したようでおかしいですね。

「いいですとも、お寄りしましょう。フョードルの旦那なら、昔から存じあげてまさ」

「じゃ、これを酒手に。親父はたぶんくれないだろうから・・・・」

「イワン」は快活に笑いました。

「まったくの話、くださいませんよ」

「ミートリイ」も笑いだしました。

「恐れ入りますね、旦那。必ずいたしときますから・・・・」


それにしても、「イワン」の気の変わり様はすさましいですね、こんなことは予想もできませんでした、つまりそれは以前に読んだ時の記憶が残っていないということですが。


2017年10月24日火曜日

572

「イワン」は幌馬車に乗りこみました。

「さよなら、イワン、あまり俺をわるく思うなよ!」

最後に父が叫びました。

ここで「最後に」と書かれているのは、本当の意味での最後になるのですから、「フョードル」の「さよなら、イワン、あまり俺をわるく思うなよ!」というセリフもいろいろな意味が込められており、感慨深いものがあります。

家中の者がみな、送りに出ていました。

つまり、「スメルジャコフ」と、「マルファ」と、「グリゴーリイ」です。

「イワン」はみなに十ルーブルずつ与えました。

このちょっとした気遣いの記述はほっとさせられます。

彼が幌馬車に乗りこむと、「スメルジャコフ」が敷物を直しに駆けよりました。

「どうだ・・・・これからチェルマーシニャへ行くんだぜ」

ふいに「イワン」の口をついて、こんな言葉が出ました。

昨日と同じようにまた、言葉がひとりでに飛びだした感じで、しかも何やら神経質な笑い声までともなっていました。

このことを彼はそのあといつまでもおぼえていました。

あくまでもこの「イワン」と「スメルジャコフ」の間の関係には、神がかった運命じみたようなものを感じさせる書き方となっています。

「してみると、賢い人とはちょっと話してもおもしろい、と世間で言うのは本当でございますね」

ここでの「賢い人とはちょっと話してもおもしろい」という言葉の真意は何でしょう、「スメルジャコフ」はどうしてそう言ったのでしょう、たぶん言葉の意味するところを言葉以外のところで理解し得ていると「スメルジャコフ」は思っているということでしょう。

感に耐えぬように「イワン」を眺めやって、「スメルジャコフ」がしっかりした口調で答えました。

幌馬車がごとんと動き、ひた走りはじめました。

旅行者の心中は混乱していましたが、彼は周囲の野原や、丘や、木々や、頭上高く澄みきった空を渡り過ぎる雁の群れなどをむさぼるように眺めていました。

と、ふいに実に爽快になってきました。

馭者と話してみようと試み、百姓の答えたことのうち何かがひどく興味をそそりましたが、しばらくすると、すべてが耳もとを素通りし、正直のところ、百姓の答えたことなどわからなかったのに思い当たりました。

彼は口をつぐみました。

そのままでも快適でした。

大気は清く、すがすがしく、ひんやりとしており、空は澄みわたっている。

「アリョーシャ」と「カテリーナ」の面影が頭の中にちらと浮びかけました。

しかし、静かに苦笑し、愛すべき幻影にそっと息を吹きかけると、消えとんでしまいました。

『彼らの時代はこれから先まだ来るだろう』

彼は思いました。

「イワン」の思った『彼らの時代はこれから先まだ来るだろう』という言葉、これは意味深長です。

普通はこんな言葉は出てこないと思いますが、おそらく、作者の死によって書かれなかったこの物語の第二部を暗示しているのだと思います。


そして、その中に「イワン」はいないのでしょうか。


2017年10月23日月曜日

571

「フョードル」は「イワン」の憎悪を見きわめられなかったか、あるいは見きわめようとせず、薄笑いにだけ気づきました。

「と、つまり、行ってくれるんだな、行くんだな? じゃ、すぐに一筆書くから」

「行くかどうか、わかりませんよ。途中で決めます」

「途中でなんか言わずに、今すぐ決めてくれよ。なあ、決めちまえ! 話がまとまったら、一筆書いて、神父に渡してくれ。そうすりゃ神父がすぐにお前の手紙を届けてくれるから。そしたら、もう引きとめんよ、ヴェニスへ出発するといい。ヴォローヴィヤ駅までの戻りは、神父が自分の馬車で送ってくれるよ・・・・」

「イワン」の行程はこうなります。

今いる場所(スターラヤ・ルッサ=カラマーゾフの舞台)から馬車で八十キロ走り、鉄道の最寄駅に到着し、そこから50キロちょっとでヴォローヴィヤ駅、それから馬車で「せいぜい十二キロかそこら」でチェルマーシニャに着き、そこで用事を済ませて、神父に馬車でヴォローヴィヤ駅まで送ってもらい、モスクワまで行くということになります。

老人は手放しで喜び、一筆したためました。

馬車をよびに使いが走り、ザクースカやコニャックが運ばれました。

ザクースカとは「ロシア料理の前菜のこと。帝政ロシア時代,宴席に出る前の控室でウォツカとともに供された。この習慣はフランスに伝わり,オードブルとなった。内容は,さけの薫製,イクラ,キャビア,塩にしんの酢漬など。」とのことです。

この「ザクースカやコニャック」は、「イワン」にもたせるのでしょう。

老人は嬉しいことがあると、いつも感情を表にあらわすのが常でしたが、今回は自制しているようでした。

たとえば、「ドミートリイ」のことなど、一言も口にしませんでした。

別離にはまるきり感動していませんでした。

話すことさえ見いだせぬ様子でした。

「イワン」も十分それに気づきました。

『それにしても、ほとほと俺が鼻についたとみえる』

彼はひそかに思いました。

もはや表階段から息子を送りだす段になって、やっと老人はいくらかそわそわしはじめ、接吻しに近づこうとしかけました。

しかし、「イワン」は露骨に接吻を避けて、急いで握手のために片手をさしだしました。

老人はすぐにさとり、とたんに自分を抑えました。

「じゃ、気をつけてな、気をつけて!」

表階段から老人はくりかえしました。

「一生のうちにはまたいつか来るだろう? まあ、出かけてくるといい。いつでも歓迎するよ。それじゃ、気をつけてな!」


つまり、これが「フョードル」と「イワン」父子の一生の別れの場面となるわけですが、肉親通しのある種の親密さは少しはあるものの、お互いの心の中のもどかしさは今までの行きがかり上仕方のないことでしょう。


2017年10月22日日曜日

570

「だったら、その神父に手紙を書くんですね、神父が取りきめてくれますよ」

「あいつにはそんな才覚はないよ、そこが厄介なところさ。あの神父はものを見る目を持たんのだ。人は実によくて、今すぐ受け取りなしに二万ルーブル預けたって平気なくらいだけれど、およそ人間離れしていて、ものを見る目がまるでないから、阿呆にだって欺されかねないよ。それでいて、学はあるんだから、おどろくじゃないか。ところが、そのゴルストキンという男は、青い外套なんぞ着て、一見、百姓みたいなくせに、性質はとことんまで卑劣なやつでな、これがわれわれみんなの頭痛の種なんだ。平気で嘘をつくのが、やつの特徴さ。時には、いったい何のためにと呆れるような嘘を並べたてやがるからな。おととしなんぞ、女房が死んだんで、もう後添えをもらったなどと嘘をつきやがって、実際には何一つそんなことはないんだから、呆れるじゃないか。女房は一度だって死にかけたことなんぞなく、今もぴんぴんしていて、三日に一度ずつは亭主をどやしつけてるんだからな。そんなわけだから、今度もあいつが森を買いたいだの、一万二千出すだのと言っているのが、嘘か本当か、つきとめる必要があるわけさ」

「だったら、僕だって何もできやしませんよ。ものを見る目なんぞ、僕だってありませんからね」

「まあ、待てよ。お前だって役に立つさ、やつの特徴をすっかり教えてやるから、ゴルストキンの。やつとはもう昔から商いをしているからな。いいか、やつの顎ひげを見ていなけりゃいけないんだ。あいつは赤茶けた、貧相な細い顎ひげを生やしている。もし、顎ひげをふるわせて、当人がかっかしながら弁じたてるようなら、つまり幸先よしってわけだ。やつの言葉は本当で、取引を望んでいるのさ。ところが、もし左手で顎ひげを撫でながら、へらへら笑っていたら、ごまかして、一杯食わす肚なんだ。やつの目は絶対に見ちゃいかんよ、目を見たって何一つわかりゃせん、見当もつかんよ、いかさま野郎だからな。顎ひげを見ることだ。俺が一筆書くから、それを見せるといい。相手はゴルストキンだからな。ただ、あいつはゴルストキンなんかじゃなく、セッター(訳注 猟犬の種類)とでも名乗りゃいいのさ。セッターなんて、やつには言うなよ、怒っちまうから。やつと交渉して、話がまとまると見たら、すぐに手紙をくれ。『嘘じゃなさそうだ』とだけ書けばいい。一万一千で粘ってみてくれ、千ルーブルだけは負けてもいいけれど、それ以上は引くなよ。だってさ、八千と一万一千じゃ、三千もの違いだからな。この三千ルーブルはまったく見つけものだよ。すぐに買手が見つかるかどうかわからないし、金は喉から手の出るほどほしいしな。まじめな商談だという知らせがあったら、そのときは俺自身が飛んで行って、けりをつける。時間はなんとか作るさ。しかし今、かりに何もかもが坊主の作り話だとしたら、俺が駆けつけるのもあたるまいが? どうだ、行ってくれるか、だめかい?」

相手の顎ひげを見て本当かどうか決めると言うのは、冗談みたいな話ですね。

「いや、時間がありませんよ、勘弁してください」

「おい、親父のために人肌ぬいでくれよ、恩に着るから! お前らはみんな薄情だな、まったく! 一日、二日がどうだって言うんだい? お前は今度はどこへ行くんだ、ヴェニスだろ? お前のヴェニスは二日の間に廃墟になりゃしないよ。アリョーシャをやってもいいんだが、こういう仕事にはアリョーシャはおよそ向かんしな。俺はもっぱら、お前が賢い人間だから頼んでるんだぜ、この俺にわからんとでも思うのかい。森の商いこそしないけれど、お前にはものを見る目がある。今度の場合、相手の話がまじめなものかどうか、それを見ぬくだけでいいんだ。もう一度言っとくが、顎ひげを見るんだぜ。顎ひげがふるえりゃ、つまり本気なわけだ」

普通の人間ならばそこまで相手に断られれば諦めると思うのですが、「フョードル」はさすがというか、押しが強いというか、根っからの商売人ですね。

「自分からすすんで、そのいまいましいチェルマーシニャへ僕を追いやろうってわけですね、え?」


「イワン」は憎悪の薄笑いをうかべて、叫びました。


2017年10月21日土曜日

569

「おい、お前! なんて男だ、いったい・・・・昨日までおくびにも出さずにいて・・・・しかし、どのみち今からでも話はつくんだ。実は折り入って頼みがあるんだが、チェルマーシニャへ寄ってくれんか。お前にとっちゃヴォローヴィヤ駅からちょいと左に入るだけじゃないか。せいぜい十二キロかそこらで、チェルマーシニャだからな」

このヴォローヴィヤ駅というのも架空の駅のようです。

(565)で書いたように、スターラヤ・ルッサ=カラマーゾフの舞台とノヴゴロドはイリメニ湖を挟んだ対岸どおしで、チェルマーシニャはその中間にあるということですので、「イワン」が行こうとしているモスクワと逆方向になりますがイリメニ湖の右か左か、50キロちょっと鉄道で行ったところにヴォローヴィヤ駅があって、「ちょいと左」にチェルマーシニャがあるということですね。

「とんでもない、だめですよ。鉄道まで八十キロもあるのに、モスクワ行きの列車が出るのは晩の七時なんですからね。ぎりぎり間に合うのがやっとなんです」

「明日にすりゃ間に合うよ。でなけりゃあさってか。今日はチェルマーシニャへ寄ってくれ。それで親を安心させられりゃ、安いもんじゃないか! なにしろ急を要する特別の仕事だから、こっちに用さえなけりゃ、とうの昔に俺が自分で飛んで行ってくるところなんだが、あいにく今はそんなことをしてる場合じゃないんでな・・・・実はあそこのベギチョーヴォとジャーシキノの二地区にわたって、荒野に俺の森がある。商人のマースロフ親子がたった八千ルーブルで伐採させろと言ってるんだけれど、つい去年のことひょっこり買手が現れて、一万二千出そうとしたんだよ。それがこの土地の長者じゃないんだが、そこに問題があるわけさ。なにしろ、ここの連中は今や販売ルートを持たんのでな。百万長者のマースロフ親子があこぎな商売をやって、値段なんぞ思いのままにつけちまうから、ここの連中のうちだれ一人として張り合うような真似はできないんだ。ところが先週の木曜に神父のイリインスキーが、ふいに手紙をよこして、ゴルストキンがやってきたと知らせてくれたんだよ。こいつも商人で、俺のよく知っている男だが、取柄といや、この土地の者じゃなく、ポグレーボヴァの人間てことだ。つまり、ここの人間じゃないから、マースロフ親子を恐れないわけさ。なんでも、あの森に一万二千出すと言ってるそうだ、ええと、神父の手紙によると、奴さんはたったあと一週間しか滞在しないどうなんでな。だから、お前が行って、やつと話を取りきめてくれるといいんだが・・・・」

チェルマーシニャのベギチョーヴォとジャーシキノの二地区について、ネットではわかりませんでしたので仮名かもしれません。

ゴルストキンの生まれのポグレーボヴァもわかりません。

「フョードル」はしつこく「イワン」にチェルマーシニャ行きを頼んでいます。

ということは、「グルーシェニカ」が訪ねてくるかもしれないから「イワン」を追い払うというためだけではなかったのですね。


しっかりと商売のことも考えていて、二兎を追っているわけですね。


2017年10月20日金曜日

568

「フョードル」それ自身に対しては、この瞬間なんの憎しみすら感じず、ただなぜか、父が階下の部屋をどんなふうに歩きまわっているだろう、今ごろは大体何をしているはずか、と懸命に好奇心をつのらせ、きっと父は暗い窓から外をうかがったり、ふいに部屋の真ん中で立ちどまったりして、だれかノックしいているのではないかと、ひたすら待ちわびているにちがいないなどと予測したり、想像したりしていたにすぎませんでした。

そんなことをするために、「イワン」は階段の上に二、三度出て行きました。

二時近く、すべてが静まり返り、「フョードル」も床についたころ、「イワン」はおそろしく疲労を感じていたため、一刻も早く寝入りたいと強く望みながら、横になりました。

そして、実際、急に深い眠りにおち、夢も見ずに眠りましたが、目をさましたのは早く、七時ごろで、もうすっかり明るくなっていました。

ここで新しい朝を迎えたのですね。

一日にたくさんのことが起こりますので、私は日にちの関係がわからなくなりました。

あの教会での会合を一日目とすると、きのうが二日目、今日が三日目ですね。

目を開けるなり、われながらおどろいたことに、ふいに体内に何か異常なエネルギーのみなぎりを感じ、急いで跳ね起き、急いで服を着たあと、トランクを引っ張りだし、ただちにあわただしく荷造りにかかりました。

ちょうど、昨日の朝のうちに、下着はすべて洗濯女から受けとっていました。

何もかもがうまくできすぎて、突然の出発に何一つ妨げがないことを考えて、「イワン」は苦笑したほどでした。

出発はたしかに唐突の感がありました。

昨日「イワン」は、(カテリーナとアリョーシャと、そのあとスメルジャコフとに)、明日は出発すると告げはしたものの、ゆうべ床につくときには、自分がその瞬間、出発のことなど考えてもいなかったことを、非常にはっきりとおぼえていたくらいなのでした。

それよりも、私は住居の世話になっている父親にいち早く出発することを伝えないのが不自然に思いますが。

少なくとも、朝早く目をさますなり、真っ先にトランクの荷造りにとりかかろうとは、まったく思ってもいませんでした。

やがてトランクと旅行バッグも支度できました。

トランクと旅行バッグは違うのでしょうか、現代では同じ意味に使われることが多いのですが、ネットでみると、「トランクとスーツケースの違いとは?」という一文がありました。

それには、「日本ではトランクとスーツケースの呼称が同じように使用されておりますが、本来の意味合いが少し違います。トランクは大型の収納ケースのことで、「車のトランク」やレンタルなどで使う「トランクルーム」などでも使われ、収納箱という意味合いが強いようです。一方スーツケースは、その言葉通りスーツなどの衣類を入れて持ち歩く小型の旅行用かばんのことを指します。・・・・国内メーカーでは業務用のものを「トランク」または「トランクケース」、一般家庭用の旅行用かばんを「スーツケース」と使い分けている場合が多いようです。」と書かれていました。

すでに九時近くなって、「マルファ」が毎日おきまりの「お茶はどこで召し上がりますか。こちらですか、それとも下におりてらっしゃいますか?」とききに着たので、「イワン」は階下におりて行きましたが、心の中にも、言葉にも動作にも、何か焦点の定まらぬような気ぜわしいものがありはしたものの、顔つきはほとんど快活と言ってよいほどでした。

愛想よく父と挨拶を交わし、特に身体具合までたずねたあと、父の返事の終るのも待たず、一時間後にすっかりモスクワへ引き払うつもりだから、ぜひ馬車をよびにやってほしいと、ひと思いに言ってのけました。

ここで、作者は父の安否などについて一切触れずに、平時と同じ様子で書いています。

つまり、「イワン」はそんなことまるきり心配していないようです。

朝が明ければすべてリセットされたようで、わたしが(567)で父の生存を心配したのは杞憂だったという訳です。

老人は少しもおどろかず、失敬にも息子の出発を悲しむことさえ忘れて、この知らせをききました。


その代り、ちょうどおりよく自分の急な用事を思いだして、ふいにひどく気をもみはじめました。


2017年10月19日木曜日

567

もうずいぶん遅かったのですが、「イワン」はまだ眠れずに、考えごとをしていました。

この夜、彼が床についたのは遅く、二時ごろでした。

しかし、今は彼の思考の流れをすべて伝えるのはやめておきましょう。

それに、まだ彼の心に立ち入るべきときではありません。

いずれ彼の心を語る順番がくるのです。

今後の展開を知っている者にとっては、なるほどあのことの伏線がここで書かれているのかと思うことでしょう。

また、かりに何かを伝えようと試みたところで、それはいたってむずかしいのです。

なぜなら、彼の心にあるのは、まだまとまった考えではなく、何かきわめて漠然とした、そして何より特に、あまりにも昂ぶりすぎたものだったからです。

彼自身、自分がすっかり常軌を逸しているのを感じていました。

それにまた、ほとんどとっぴともいえるさまざまの奇妙な欲求に苦しめられもしました。

たとえば、もう真夜中すぎだというのに、突然こらえきれぬほど執拗に、今すぐ下におりていって戸を開け、離れに行って「スメルジャコフ」をたたきのめしてやりたいという気持ちにかられるのでした。

しかし、なぜときかれたら、彼自身も、あの召使は世界じゅうに類のないくらい、およそ鼻持ちならぬ無礼者なので憎くてたまらなくなった、ということ以外に、何一つ正確に理由を述べることはできなかったにちがいありません。

作者はずっと未来から今を眺めて書き進めていることがわかりますが、それだけではなくこの書き方は重要な要素が含まれており、それは「イワン」の無意識を通して語られる、いや語られてもいませんが彼の無意識の中にはある意味彼を超越した普遍的なことが含まれているということを暗示させます。

また一方では、この夜、彼は何か説明のつかない屈辱的な臆病さに一度ならず心を捉えられ、そのために、自分でも感じていたのですが、肉体的な力さえ失くしたかのようでした。

頭が痛み、めまいがしました。

まるでこれからだれかに復讐しに行こうとしているかのように、憎悪の塊が心をしめつめました。

先ほどの会話を思いだすと、「アリョーシャ」さえ憎かったし、時には自分までひどく憎いのでした。

「カテリーナ」のことはほとんど考えるのも忘れており、あとでこのことをひどくふしぎに思ったものです。

まして、つい昨日の朝、「カテリーナ」のところで、明日はモスクワへ行くのだとたいそうな啖呵を切ったとき、一方では内心ひそかに『ばかを言うな、行かれるもんか。今そんな虚勢を張っているほど、未練を断ち切るのはたやすいことじゃないんだぞ』とつぶやいたのを、自分でもはっきりおぼえているだけに、よけいふしぎでした。

ずっとあとになってこの一夜を思いだすたびに、「イワン」は一種特別な嫌悪とともに思い起したのですが、その夜彼は何度か突然ソファから立ちあがって、まるで監視されてはいないかとひどく恐れるみたいに、そっとドアを開けて、階段の上に出ては、階下の部屋の様子や、「フョードル」が下の部屋で身動きしたり歩きまわったりしている気配に耳をすまし、永いこと、そのつど五分くらいずつ、何か異様な好奇心を燃やし、胸をどきつかせながら、息を殺してきき入っていたものであり、それでいて何のためにそんなことをしているのか、何のために耳をすましているのか、もちろん、自分でもわからないのでした。

この《行為》を彼はそのあと一生の間、《醜悪な》行為とよび、生涯を通じて心ひそかに深く、自分の一生の中でももっとも卑劣な行為と見なしていました。

なぜ、「イワン」はこの《行為》を卑劣な行為と思ったのでしょうか、作者がここまで強調するのはそれだけの理由があるからでしょう、あとあとまで記憶しておくべき重要な一文だと思います。

つまり表面上は、これから起る「フョードル」殺害事件の犯人が仮に「スメルジャコフ」であるとするならば、「イワン」はそのことを確信しておきながら、それを食い止める積極的な行動は何もせず、成るがままにまかせたということなのですが、彼が《醜悪な》で卑劣な行為と一生思い続けたのは、「まるで監視されてはいないかとひどく恐れ」るようにと書かれていいるように、たぶん神であり、自分の良心であるものに、「何か異様な好奇心」が打ち勝った過程において、その心の葛藤の中に醜悪で卑劣なものを感じたからなのでしょう。


ただし、この物語の犯人については最後まで、誰であるか書かれていないのですが。