「また、一杯飲みましたね。もう十分でしょうに」
「待てよ、もうあと一、二杯やったら、それで終りにするから。だめじゃないか、話の腰を折っちゃ。いつぞやモークロエ村で、通りすがりに一人の爺さんにきいたところ、こう言っとったよ。『そりゃもちろんわたしらは、みんなの決定にもとづいて娘っ子たちに鞭打ちの罰をくらわせるのが、なにより楽しみでさあ。鞭打ちの役はいつも若い衆にやらせるんですがね。そのあと必ず、今日鞭でひっぱたいた娘っ子を、明日はその若い衆が嫁にするんでさ。だから、当の娘っ子たちにもそれが楽しみなんですな』たいしたサド公爵ばかりじゃないか、ええ?どうだい、諧謔に富んでいるだろ。われわれも見物に行きたいもんだな、え?アリョーシカ、赤くなったな?そう恥ずかしがるなよ、坊や。さっき院長の食事に出なかったで、モークロエの娘っ子の話を坊さんたちにきかせてやらなかったのが、実に残念だよ。アリョーシカ、お前のとこの院長にさっき恥をかかせちまったけど、怒らんでくれよ。つい、かっとなっちまうんでな。もし神があるなら、神が存在するなら、もちろん俺は罪があるし、責任もとるけれど、もし神がまったく存在しないんだとしたら、お前のとこの神父たちなんぞ、もっとひどい目に会わせてやらなけりゃ。なぜって、やつらは進歩をはばんでいるんだからな。信じてくれるか、イワン、このことが俺の気持ちをかきむしるんだよ。いや、お前は信じてやしない、なぜってお前の目を見りゃわかるよ。お前は世間のやつらの言葉を信じて、俺がただの道化だと思っているんだ。アリョーシカ、俺がただの道化じゃないってことを、お前は信じてくれるかい?」
「ただの道化じゃないと信じています」と「アリョーシャ」が答えるのですが、この言い方はおもしろいですね、酔いがまわっている「フィールド」に話を合わせてやっているようにしか聞こえませんね。
(364)で「フョードル」が「俺が何を好きか、知ってるか?俺が好きなのは諧謔だよ」とわざわざ言っていますが、この「諧謔」という言葉、なかなか説明しずらい言葉なので、少し調べてみました。
ネットで以下のような説明がありました。
「おもしろさと共感とが混り合った状況を描写する,言葉または動作による表現。機知や滑稽と同じく笑いを引起す。 S.フロイトは著作『機知-その無意識との関係』などのなかで,自己の不幸を軽減するような笑いの原因を諧謔とした。」
「ユーモアの利いた洒落や冗談のことである。」
「こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア。」
そして「アンサイクロペディア」は「諧謔とは、一般にはユーモアと同義とされる。ウィキペディアにおいても、諧謔のページはユーモアのページへのリダイレクトとなっている。だが実際には、諧謔はユーモアとは似て異なる概念である。どう違うのか? 具体的な例を示してわかりやすく説明しよう。以下の文章は、ウィキペディアの東郷平八郎のページからの引用である。一般に寡黙、荘重という印象があるが時として軽忽な一面もみせた。晩年学習院に招かれた際、講演中に生徒に「将来は何になりたいか」と質問し「軍人になりたい」と答えた生徒に「軍人になると死ぬぞ」 「なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから」と発言し、陸軍大将であり、諧謔のセンスの乏しい乃木希典院長を激昂させ、同時に半ば呆れさせたというエピソードがある。さて、上記の文章の『諧謔』の箇所を『ユーモア』と書き換えてみよう。将来に希望を抱いている生徒たちに対し、海軍の軍人が、しかも横で陸軍の軍人が居る状況で「軍人になると死ぬぞ。なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから」と言い放つ。これのどこがユーモアだというのか? はっきり言おう。ユーモアのかけらすらない。ただの空気の読めない発言である。だが、ここでユーモアではなく、諧謔という言葉を使うとあら不思議。むしろ「諧謔のセンスの乏しい」とされる乃木希典のほうが、空気が読めない人物というレッテルを貼られてしまう。つまりである。諧謔というのは、「空気の読めない笑えないユーモア」をフォローする時に使う言葉なのである。諧謔という言葉を使った段階で、発言者の笑えない発言は全て免責され、その発言を非難する奴のほうが、空気が読めない馬鹿という事で逆に批判される立場になる。それ以外に諧謔という言葉の使われている具体例を挙げれば、同じくウィキペディアでの近衛文麿のページが挙げられよう。そのページによると、何と近衛文麿は仮装パーティーにおいて、アドルフ・ヒトラーのコスプレをやってのけたという。…はっきり言おう。寒い。これが一国の首相がやるユーモアと言えるのか? だがウィキペディアでの該当ページでは、この近衛文麿の行動が諧謔として紹介されている。おそらく仮装パーティに参加した者たちは、諧謔という言葉を持ち出された時点で、近衛文麿のセンスを認めるという苦行を強いられた事は、想像に難く無い。」
「フョードル」は「ええ?どうだい、諧謔に富んでいるだろ。」と言っているように、モークロエ村で娘を鞭打ちした後、嫁にするという風習を「諧謔」に富んでいると説明します。
これは、「ユーモアの利いた洒落や冗談」という言葉では、十分ではなく、「アンサイクロペディア」で言うように、「『空気の読めない笑えないユーモア』をフォローする時に使う言葉なのである」という説明が近いように思えます。
また、「サド侯爵」について「ウィキペディア」では「マルキ・ド・サド(1740年6月2日~1814年12月2日)は、フランス革命期の貴族、小説家。マルキはフランス語で侯爵の意であり、正式な名は、ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド。サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由(あるいは放逸)と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。サドは虐待と放蕩の廉で、パリの刑務所と精神病院に入れられた。バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1ヶ月、ビセートル病院(刑務所でもあった)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄に1年、そしてシャラントン精神病院に13年入れられた。サドの作品のほとんどは獄中で書かれたものであり、しばらくは正当に評価されることがなかったが、現在その書籍は高い評価を受けている。サディズムという言葉は、彼の名に由来する。」と書かれています。