2017年3月31日金曜日

365

「また、一杯飲みましたね。もう十分でしょうに」

「待てよ、もうあと一、二杯やったら、それで終りにするから。だめじゃないか、話の腰を折っちゃ。いつぞやモークロエ村で、通りすがりに一人の爺さんにきいたところ、こう言っとったよ。『そりゃもちろんわたしらは、みんなの決定にもとづいて娘っ子たちに鞭打ちの罰をくらわせるのが、なにより楽しみでさあ。鞭打ちの役はいつも若い衆にやらせるんですがね。そのあと必ず、今日鞭でひっぱたいた娘っ子を、明日はその若い衆が嫁にするんでさ。だから、当の娘っ子たちにもそれが楽しみなんですな』たいしたサド公爵ばかりじゃないか、ええ?どうだい、諧謔に富んでいるだろ。われわれも見物に行きたいもんだな、え?アリョーシカ、赤くなったな?そう恥ずかしがるなよ、坊や。さっき院長の食事に出なかったで、モークロエの娘っ子の話を坊さんたちにきかせてやらなかったのが、実に残念だよ。アリョーシカ、お前のとこの院長にさっき恥をかかせちまったけど、怒らんでくれよ。つい、かっとなっちまうんでな。もし神があるなら、神が存在するなら、もちろん俺は罪があるし、責任もとるけれど、もし神がまったく存在しないんだとしたら、お前のとこの神父たちなんぞ、もっとひどい目に会わせてやらなけりゃ。なぜって、やつらは進歩をはばんでいるんだからな。信じてくれるか、イワン、このことが俺の気持ちをかきむしるんだよ。いや、お前は信じてやしない、なぜってお前の目を見りゃわかるよ。お前は世間のやつらの言葉を信じて、俺がただの道化だと思っているんだ。アリョーシカ、俺がただの道化じゃないってことを、お前は信じてくれるかい?」

「ただの道化じゃないと信じています」と「アリョーシャ」が答えるのですが、この言い方はおもしろいですね、酔いがまわっている「フィールド」に話を合わせてやっているようにしか聞こえませんね。

(364)で「フョードル」が「俺が何を好きか、知ってるか?俺が好きなのは諧謔だよ」とわざわざ言っていますが、この「諧謔」という言葉、なかなか説明しずらい言葉なので、少し調べてみました。

ネットで以下のような説明がありました。

「おもしろさと共感とが混り合った状況を描写する,言葉または動作による表現。機知や滑稽と同じく笑いを引起す。 S.フロイトは著作『機知-その無意識との関係』などのなかで,自己の不幸を軽減するような笑いの原因を諧謔とした。」

「ユーモアの利いた洒落や冗談のことである。」

「こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア。」

そして「アンサイクロペディア」は「諧謔とは、一般にはユーモアと同義とされる。ウィキペディアにおいても、諧謔のページはユーモアのページへのリダイレクトとなっている。だが実際には、諧謔はユーモアとは似て異なる概念である。どう違うのか? 具体的な例を示してわかりやすく説明しよう。以下の文章は、ウィキペディアの東郷平八郎のページからの引用である。一般に寡黙、荘重という印象があるが時として軽忽な一面もみせた。晩年学習院に招かれた際、講演中に生徒に「将来は何になりたいか」と質問し「軍人になりたい」と答えた生徒に「軍人になると死ぬぞ」 「なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから」と発言し、陸軍大将であり、諧謔のセンスの乏しい乃木希典院長を激昂させ、同時に半ば呆れさせたというエピソードがある。さて、上記の文章の『諧謔』の箇所を『ユーモア』と書き換えてみよう。将来に希望を抱いている生徒たちに対し、海軍の軍人が、しかも横で陸軍の軍人が居る状況で「軍人になると死ぬぞ。なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから」と言い放つ。これのどこがユーモアだというのか? はっきり言おう。ユーモアのかけらすらない。ただの空気の読めない発言である。だが、ここでユーモアではなく、諧謔という言葉を使うとあら不思議。むしろ「諧謔のセンスの乏しい」とされる乃木希典のほうが、空気が読めない人物というレッテルを貼られてしまう。つまりである。諧謔というのは、「空気の読めない笑えないユーモア」をフォローする時に使う言葉なのである。諧謔という言葉を使った段階で、発言者の笑えない発言は全て免責され、その発言を非難する奴のほうが、空気が読めない馬鹿という事で逆に批判される立場になる。それ以外に諧謔という言葉の使われている具体例を挙げれば、同じくウィキペディアでの近衛文麿のページが挙げられよう。そのページによると、何と近衛文麿は仮装パーティーにおいて、アドルフ・ヒトラーのコスプレをやってのけたという。…はっきり言おう。寒い。これが一国の首相がやるユーモアと言えるのか? だがウィキペディアでの該当ページでは、この近衛文麿の行動が諧謔として紹介されている。おそらく仮装パーティに参加した者たちは、諧謔という言葉を持ち出された時点で、近衛文麿のセンスを認めるという苦行を強いられた事は、想像に難く無い。」

「フョードル」は「ええ?どうだい、諧謔に富んでいるだろ。」と言っているように、モークロエ村で娘を鞭打ちした後、嫁にするという風習を「諧謔」に富んでいると説明します。

これは、「ユーモアの利いた洒落や冗談」という言葉では、十分ではなく、「アンサイクロペディア」で言うように、「『空気の読めない笑えないユーモア』をフォローする時に使う言葉なのである」という説明が近いように思えます。


また、「サド侯爵」について「ウィキペディア」では「マルキ・ド・サド(1740年6月2日~1814年12月2日)は、フランス革命期の貴族、小説家。マルキはフランス語で侯爵の意であり、正式な名は、ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド。サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由(あるいは放逸)と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。サドは虐待と放蕩の廉で、パリの刑務所と精神病院に入れられた。バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1ヶ月、ビセートル病院(刑務所でもあった)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄に1年、そしてシャラントン精神病院に13年入れられた。サドの作品のほとんどは獄中で書かれたものであり、しばらくは正当に評価されることがなかったが、現在その書籍は高い評価を受けている。サディズムという言葉は、彼の名に由来する。」と書かれています。


2017年3月30日木曜日

364

「あいつが肚の中で考えてることに関して言や、一般的に言って、ロシアの百姓はたたきのめす必要があるな。俺はかねがねそう唱えてきてるんだ。ロシアの百姓は騙りだよ、憐れむにはあたらん。今でもときおり殴るやつがいるのは、いいことだよ。ロシアの大地は白樺のおかげでしっかりしているんだからな。森をなくしちまったら、ロシアの大地は滅びるさ。俺は賢い人間の味方だ。俺たちは利口すぎて百姓を殴るのをやめちまったけど、やつら自身は仲間うちで殴りつづけているよ。結構なことだ。おのれの裁きでさばかれる、とか何とか言ったな(訳注 マタイの福音書第七章)・・・一口に言や、同じ報いがくるってことさ。それにしても、ロシアは低劣だよ。なあ、俺がどんなにロシアを憎んでるか、わかってくれたらな・・・つまり、ロシアってわけじゃなく、こうしたすべての悪徳をさ・・・しかし、たぶんロシアもだろうよ。そはすべて低劣なりだよ。俺が何を好きか、知ってるか?俺が好きなのは諧謔だよ」

ここで、「おのれの裁きでさばかれる、とか何とか言ったな」というのは、(356)の「もしわたしがキリスト教の迫害者の捕虜になって、神の御名を呪うことや、神聖な洗礼を否定することを強要されたとしたら、わたしは自分の分別でそれを決める完全な権利を持っているんですよ、なぜってこの場合どんな罪もないんですからね」とう「スメルジャコフ」の発言でしょう。

「フョードル」のロシアの農民に関する発言は、1861年農奴解放により、形式上は農民が自由になったことを受けての発言でしょう。

これにより、農民は下からの運動ではなく、上から自由を与えられたことになり、農民の意識は古いままということもあったのでしょう。

マタイによる福音書の第七章は「1なんぢら人を審さばくな、審かれざらん爲ためなり。 2己おのがさばく審判さばきにて己おのれもさばかれ、己おのがはかる量はかりにて己おのれも量らるべし。」とあります。

あるサイトではこの部分は「1節を逐語訳すれば 「あなたたちは裁くな、裁かれないためである」となり、だれに裁かれないためかといえば、神から裁かれないためで、人々からの意味ではありません。ユダヤ人は神のみ名をみだりに口にしない習慣をもっていたので、神の行為を表現するさい、たびたび動詞の受け身の形を用いました。また、あなたがたが人の罪を大目に見れば、神も大目に見て 無罪放免にしてくださる、ということでもないでしょう。むしろ悪人にも善人にも太陽を昇らせてくださる神の寛大さ(5.45参照)に習うようにうながされているのです。」と説明されていました。


これを読んで余計にわからなくなりました。


2017年3月29日水曜日

363

八 コニャックを飲みながら

議論は終りました。

が、ふしぎなことに、あれほど陽気にしていた「フョードル」が、終り近くになるとふいにむずかしい顔になりました。

眉をひそめて、コニャックをあおりましたが、これはもうまったく余分な一杯でした。

「お前らはもう退っとれ、イエズス教徒め」と彼は召使たちをどなりつけました。

「向うへ行け、スメルジャコフ。約束の金貨は今日にでも届けてやるから、向うへ行っとれ。泣くな、グリゴーリイ、マルファのとこへ行くといい、慰めて寝かせつけてくれるから。悪党どもめ、食後静かに一休みもさせてくれやしない」

命令ですぐに召使たちが退散すると、だしぬけに彼は腹立たしそうに言い棄てました。

どうして「フョードル」の態度が急に変わったのでしょうか。

「これはもうまったく余分な一杯だった」とあるように酔いも関係しているでしょうが、いろいろ考えて、このような場の状況そのものが嫌になったのでしょう。

「スメルジャコフはこのごろ、食事のたびにここへ入りこんでくるが、あれはお前にひどく好奇心を燃やしてるんだぞ、どうやってあんなに手なずけたんだ?」

これは、先ほどからの「スメルジャコフ」の発言が「イワン」の考えを反映しているということでしょうか、それとも、ここで全く違う話題として話を切り替えたのでしょうか。

彼は「イワン」に向って付け加えました。

「べつに何も」と相手、つまり「イワン」は答えました。

「僕を尊敬しようって気を起したんですよ。あれはただの召使の、下種野郎です。もっとも、時期がくれば、最前線の肉弾になるでしょうがね」

「最前線?」

「ほかに、もっとましな連中も現れるでしょうが、ああいうのもいるんですよ。最初はああいうのが出てきて、そのあとから、もう少しましなのが現れるんです」

「イワン」のこの発言は何を意味しているのでしょう。

「時期がくれば、最前線の肉弾になる」というのは穏やかではありませんね。

たぶん、神に対する反逆というか、革命のことを言っているのではないでしょうか。

「で、その時期とやらはいつ訪れるんだ?」

「狼火があがったらです、でも燃えきらないかもしれないな。民衆は今のところ、ああした田舎コックの話をきくのをあまり喜びませんからね」

「それはそうさ、お前。ああいうバラムの驢馬が考えに考えて、ついにはどこまで考えぬくか、わからんな」

「思想を貯えることでしょうよ」と「イワン」が苦笑しました。

「あのな、俺にはちゃんとわかっているんだ。あいつはみんなに対するのと同じように、この俺にも我慢できないのさ、お前だって『尊敬しようって気を起した』なんて、いい気になっているけど、同じことだぞ。アリョーシャにいたっては、なおさらだよ。あいつはアリョーシャを軽蔑してるからな。しかし、あいつはものを盗んだりせんよ、そうなんだ。おしゃべりじゃないし、むっつり黙りこんでいて、家の中のごみを外に持ちだすような真似はせん。ピローグの焼き方もうまいしな。そのうえ、何をやらせてもいまいましいくらいだ。まったくの話、あんなやつのことを話題にする値打ちがあるかね?」


「もちろん、ありませんよ」と「イワン」は答えました。


2017年3月28日火曜日

362

これから、「スメルジャコフ」の長い発言です。

そして彼は実際には「フョードル」の質問に答えているのですが、何度も何度も「グリゴーリイ・ワシーリエウィチ!」と呼びかけながら、「グリゴーリイ」に話しかけるように喋っています。

これは、召使としての心得なのだと思いますが、話の内容は主人の「フョードル」に楯突くようなことを言っており、それだからこそ、正面切って主人と話せないのでしょうが、全く話の相手ではない「グリゴーリイ・ワシーリエウィチ!」と何度も何度も話しかけるのは、ちょっと変わっているというか不自然です。

そして、その不自然さが「スメルジャコフ」の心の闇のような、あるいは彼の不気味さのようなものを表していると思います。

「スメルジャコフ」は「フョードル」の言った「お前だって迫害者の前で信仰を棄てるのは、信仰以外に何も考えることがないときだからの話で、本当はそういうときこそ信仰を示さにゃならんはずなんだぞ!そういうことになると思うがね?」を受けて話します。

「なることはなりますがね、でも考えてごらんなさいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、そうなるからこそ、なおのこと気が楽なんですよ。かりにそのときわたしが、信仰の手本みたいに、本当に信仰していながら、自分の信仰のために迫害を受けることをせず、いまわしいマホメット教にでも転向したとすれば、たしかに罪深いでしょうよ。でも、そういう場合なら、迫害を受けるまでにいたりもしないはずです。なぜって、わたしがその瞬間に山に向って、動け、この迫害者を押しつぶしてくれ、と言いさえすれば、山が動きだして、たちどころに迫害者を油虫みたいに押しつぶしてくれるでしょうし、わたしは何事もなかったように、神をたたえ崇めながら帰ってこられるはずですからね。でも、もしわたしが、まさしくそうした瞬間にあらゆることを試みた末、もはや山に向って、この迫害者どもを押しつぶしてくれと、わざわざ頼んでも、山が押しつぶしてくれなかったとしたら、どうしてその場合に疑いをいだかずにいられるでしょう、それも死というたいへんな恐怖を前にした恐ろしいときに、ですよ?それでなくたってわたしは、天上の王国にはとうてい行きつけないことを承知しているのに(なにしろ、わたしの言葉で山は動かなかったんですからね、つまり、わたしの信仰なんぞ天国ではあまり信用してもらえないんだし、あの世でわたしを待っている褒美もたいしたものじゃなさそうですからね)、いったい何のために、そのうえ、何の得にもならないのに、皮を剥がれなけりゃならないんですか?だいたい、背中の皮をすでに半分もひん剥かれたとしても、そのときになったってわたしの言葉や叫びでは山は動きゃしないでしょうからね。そんな時になれば、疑いを起しかねぬどころか、恐ろしさのあまり分別そのものまで失くすかもしれないんです、そうすりゃ判断なんぞ全然できやしませんよ。とすれば、あの世にもこの世にも自分の利益や褒美が見あたらないために、せめて自分の皮くらい守ろうとしたからといって、なぜわたしが特に罪深いことになるんですか?だから、わたしは神さまのお慈悲を大いに当てにして、すっかり赦していただけるだろうという希望をいだいているんですよ・・・」

う~ん、何を言っているのかわかりません。

まず第一に、迫害者に信仰を聞かれてキリスト教を遵守した場合。

彼はキリストに助けを求めるでしょうが、聞き入れてもらえません。

その場合は、神は彼の信仰を足りぬものとしていますから、山は動かず、助けてはくれません。

そして、彼は皮を剥がされて殺され、そのときにキリスト教を遵守したにもかかわらず信仰が足りぬという訳ですので、天上でも迫害されるのです。

これでは、「あの世にもこの世にも」いいことはありませんね。

そして第二に、迫害者に信仰を聞かれて転向した場合。

その瞬間、彼がキリストに助けを求めれば、山は動き彼を助けることでしょう。

つまり、彼がキリストを信じていているということになります。

そして彼は何事もなかったように、神をたたえ崇めながら帰ってきます。

「スメルジャコフ」が熱心に語ったことを以上のようにまとめましたがよくわかりません、違っているかもしれません。


マホメット教とは、イスラム教の俗称で主にヨーロッパで用いられました。


2017年3月27日月曜日

361

ここで、「ちょっと待った!」と「フョードル」がすっかり熱中して金切り声をあげました。

そして、「すると、山を動かすことのできる人間が二人はいるのか。お前もやはりそういう人間はいると思うんだな?おい、イワン、おぼえておけよ、書きとめておくといい。まさにここでロシア人が顔をのぞかせたな!」

「フョードル」は何を言っているのでしょう。

たぶん、「スメルジャコフ」が神を完全に否定せずに中途半端にしていること、つまりロシア人的なお人好しが残っていることを言っているのでしょう。

そして、そのお人好しはロシアのさまざまな場面で悪い影響を与えるのでしょう。

「イワン」も「その指摘はまさに正しいですね、これは信仰における民族的な一面ですよ」と肯定の微笑をうかべて、同意しました。

「お前も同意するか!お前が同意なら、つまり、それにちがいないんだ!アリョーシカ、本当だろう?まさにロシア的な信仰だろうが?」

「いいえ、スメルジャコフのは、全然ロシア的な信仰じゃありませんよ」と「アリョーシャ」が真顔できっぱりと言いました。

「俺はこいつの信仰のことを言ってるんじゃない、こういう一面を言ってるんだよ、二人の隠者という、まさにその一面だけを言っているのさ。どうだ、ロシア的だろう、ロシア的だろうが?」

「ええ、そういう面はまったくロシア的ですね」と「アリョーシャ」は微笑しました。

「おい、驢馬、お前の今の一言は金貨一枚の値打ちがあるよ。今日にも届けてやる。しかし、そのほかのことは、やはり嘘っぱちだよ、そう、嘘っぱちだとも。おぼえておけよ、ばか者、ここにいる俺たちみんなは、軽薄だから信心していないだけなんだ、そんな暇がないからだよ。第一、仕事がしんどいし、第二に、神さまが時間を少ししかくださらず、一日にわずか二十四時間しか割りふってくださらなかったもんだから、悔い改めることはおろか、十分に眠る暇もありゃしない。お前だって迫害者の前で信仰を棄てるのは、信仰以外に何も考えることがないときだからの話で、本当はそういうときこそ信仰を示さにゃならんはずなんだぞ!そういうことになると思うがね?」

ここで「フョードル」は何を言いたいのでしょう。

「スメルジャコフ」がロシアの民族的な特徴について正論を言ったことについては金貨一枚の値打ちがあると言っています。

そして、自分たちの日常においてはきちんと信仰するだけに十分な余裕がなく、ある意味で不信心となっている、しかし、信仰について熱心に考えることができるときは、不信心となってはならないということだと思います。

「フョードル」のこの考えはあくまでも、信仰している者にとっての信仰内部の話でしょう。


「スメルジャコフ」は一歩外に出て行ってはいるのですが完全には行ききれず、まだ片足は信仰内部の場所に乗かっているということだと思います。


2017年3月26日日曜日

360

「自分で考えてごらんなさいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ」と「スメルジャコフ」は勝利を意識しながら、敗れた相手を寛大に扱うといった感じで、まじめくさって淀みなくつづけた。

「自分で考えてごらんなさい、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ。聖書にだって書いてあるでしょうに。せめていちばん小さな穀粒ほどの信仰を持っているなら、この山に向って、海に入れと言えば、山はその命令一つで、少しもためらうことなく、海に入るだろうって。どうですか、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、もしわたしが不信心者で、あなたがのべつわたしを叱りつけるほど信仰が篤いんだったら、ためしに自分であの山に向って、海にとは言わぬまでも(なぜって海はここから遠いですしね)、うちの庭の裏を流れている、あの臭い溝川になりと入るように命じてごらんなさいよ、そうすればそのとたんに、いくらあなたが叫んだところで、何一つ動こうとせず、何もかも今までどおりそっくりしつづけていることが、わかるでしょうから。これはつまり、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、あなただって本当の意味では信仰しておらずに、ほかの者をなんだかと叱りとばしているだけだってことじゃありませんか。あなただけじゃなく、現代ではだれ一人、それこそいちばん偉い人から、いちばんどん尻の百姓にいたるまで、文字どおりだれ一人、山を海に入らせることなぞできやしないんです。もっともこの地上全体に一人か、多くて二人くらいは、そんな人もいるかもしれませんが、それだってどこかエジプトの砂漠あたりで、こっそり行を積んでいるでしょうから、見つかりっこありませんよ。だとすればですね、もし、あとの人たちがみんな、つまり、その二人ばかりの隠者を除いて、この地上の住人がみんな不信心者ということになれば、はたしてその人たち全部を神様が呪って、あれほど慈悲深いことで知られておいでなのに、だれ一人赦してくださらぬ、なんてことがあるもんでしょうか?だからわたしは、いったん疑ったとしても、後悔の涙を流せば、赦してもらえるだろうと期待しているんです」

ここで、「スメルジャコフ」が「聖書にだって書いてあるでしょうに」という信仰の篤い人が山に向って海に入れというとそうなるという話は、「新約聖書 マルコ11章22~25節」に出てきます。

11:22 イエスは答えて言われた。神を信じなさい。
11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。

また、「山」というのは、ユダヤ的慣用句で「解決困難な問題」を意味することばであり、信仰はそういった山をも移す力を持っているということで、これは、信仰者本人にその力があるというのではなく、信じている主なる神が超自然的なみわざを行われるという意味だそうです。人には出来ないことであっても<神にはどんなことでもできる>(マタイ19:26)そうです。

そして、私が山を動かすのではなく、主がなしてくださるのです。◇自分の人生において一度でも山が動いた経験をしている人は、その後の人生においてどんな山が立ちはだかっても、決してひるむことはないでしょう。山が大きければ大きいほど、ますます全能の主に祈り求めることが出来るのです。そうやって私たちは、天の御国に行き着くまで、いくつもの山を動かしてゆくのです。山が動いて海に入ると、行く道は平らになり、また阻んでいた海に道ができます。主の備えてくださる道は<小道>で<恵みとまこと>です(詩25:4,10)。◇戦いは山にではなく私にあります。大切なことは<心の中で疑わず>です。ヤコブは<疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようだ>と語っています(ヤコブ1:6~8)。多くの人が、自分が祈ったことを自分で信じていないのです。主イエスも戒めて<祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。>と言われます。山が動かない理由は、どうやら私の心の中にあるようです。「すでに得たり」と信じる信仰を逞しく、揺るがないものにしたいものです。

以上はネットで「祈りで山が動く」について書かれていることの一部です。


「聖書」の解釈の違いですね。


2017年3月25日土曜日

359

「グリゴーリイ」は呆然となり、目を剥いて弁士を見つめていました。

そして、言われていることはよくわからなかったけれど、わけのわからぬこれらの言葉からふいに何事かをさとり、壁にいきなり額をぶつけた人間のような顔つきで絶句しました。

「フョードル」はグラスを干し、甲高い笑い声を張りあげました。

「アリョーシカ、アリョーシカ、どうだ!いや、お前ってやつは、詭弁家だよ!こいつはどこかイエズス会にでも行ってきたんだな、イワン。まったく、悪臭芬々たるイエズス教徒め、いったいだれに教わったんだ?しかし、お前の言ってることは嘘っぱちだぞ、詭弁家め、でたらめさ、でたらめだとも。泣くな、グリゴーリイ、こんなやつは俺たちが今すぐ木端微塵に打ち破ってやるさ。おい、驢馬、答えてみろ。かりに迫害者たちの前でお前が正しいとしても、やはりお前は心の中でみずから信仰を棄てたわけだし、自分でも言っているとおり、その瞬間に呪われた破門者になっちまったんだ。破門者になった以上、やはり地獄に行ってから、破門された褒美に頭を撫でちゃくれんだろうよ。その点をどう思うんだい、立派なイエズス教徒はさ?」

「フョードル」のこの説明はなるほどと思いました。

つまり、「スメルジャコフ」の言っていることは第三者的な理屈であり、キリスト教徒としては棄教と同時に破門者ということで、すでに立ち位置が最初から違っているのです。

「イエズス会」について、ネットで調べてみましたが、いろいろな見方があり、統一されて簡潔にまとまった記述がみあたりませんでした。

その中で比較的わかりやすくまとめられていると思う説明を以下に転記します。

「対抗宗教改革の一つの運動体。1534年、ローマ教皇への服従を誓い、プロテスタントに対抗してカトリックの世界布教を目指す修道会。ローマ教皇への絶対服従、神と教皇の戦士として伝道に努めることを使命として、1534年にイグナティウス=ロヨラ(スペイン人)らによって結成された修道会。「イエズス会」というのは「イエス=キリストの伴侶」という意味で、「ジェズイット教団」ともいう。日本では「耶蘇会」と言われる。1540年に教皇パウルス3世から認可を受け、対抗宗教改革の先頭に立って、活動を開始した。まずドイツ国内のプロテスタント地域でのカトリックの復興が進められ、ついでアメリカ新大陸、アジアなどの新天地での積極的なカトリックの布教活動を行った。その一環として、フランシスコ=ザビエルは日本伝道を行った。はじめて中国伝道を行ったマテオ=リッチなどもイエズス会員であった。18世紀の中頃まで積極的な海外布教を展開したが、その間、他の修道会との対立(中国における典礼問題など)、絶対主義諸国の国家政策との対立などから問題が生じ、1773年には教皇クレメンス14世によって解散させられた。その後、1814年に再興され、歴代教皇の保護のもと、組織を拡大し、最大の修道会となった。イエズス会の中心思想はロヨラの提唱する『霊操』(宗教的真理に達するための瞑想)にもとずく会則のもと、徹底した教皇への服従と、軍隊的な規律であったと言われる。また布教にあたっては、子供の教育や女性を通じて自然に信仰心を育てるという手段を重視し、各地に学校を設立した。〈Episode カトリックの「新撰組」〉(引用)ロヨラは、あくまで旧教会内の粛正と旧教会の権威の宣揚とを目的とし、新教に対抗するための旧教会の有力な《新撰組》の発案者ないし頭目として登場し、厳格な組織を持つイエズス会を組織するのに成功した。しかし、イエズス会の組織活動は、現世的な権力を掌握することに熱を見せすぎ巧妙でありすぎるという非難を受けかねなかった。フランス語辞書でイエズス会 Jesuite という語を引くと《偽善者・猫かぶり》という意味も出てくる。つまり、イエズス会士が「本心を隠蔽すること」を堅く守ることから生まれた悪口のようである。<渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』 岩波文庫 p.287-288>」

「スメルジャコフ」は言います。

「心の内でみずから棄教したことは、疑う余地もございませんが、それでもべつに特別の罪にはなりませんですね。かりに罪があるとしても、ごく当り前の罪ですよ」

「ごく当り前とは、どういうことだ!」

この発言は「フョードル」でしょうか、それとも「スメルジャコフ」でしょうかわかりません。


「嘘をつけ、罰当たりめ!」と「グリゴーリイ」がかすれ声でわめきました。


2017年3月24日金曜日

358

「スメルジャコフ」は言いました。

「もしわたしがキリスト教徒でなければ、迫害者たちに『お前はキリスト教徒なのか、そうじゃないのか』と質問されたときにも、つまり嘘をつくことにはならないわけですよ、なぜって、わたしがそう考えただけで、まだ迫害者たちに口をきかぬうちに、神みずからの手でわたしはキリスト教徒の資格を剥ぎとられてしまっているんですからね。そこで、すでに資格を剥ぎとられているとしたら、いったいどういうわけで、どんな正義にもとづいて、あの世へ行ってから、信仰を棄てたことに対してキリスト教徒と同じように、責任を問われなけりゃいけないんですか、実際には信仰を棄てる前に、そう考えただけで、わたしは洗礼を剥奪されてしまっているというのに?わたしがすでにキリスト教徒でないとしたら、つまり、キリストを棄てることもできないわけです、だってそうなれば棄てるものもないわけですしね。グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、異教徒のタタール人がたとえ天国に行ったとしても、その男がキリスト教徒として生れてこなかったことに対して、責任を問おうとする者なぞいませんし、一匹の牛から皮を二枚剥ぐわけにいかないってことは、だれだって承知してますから、そのことに対して罰を与えようとする者もいませんよ。それにまた、全能の神ご自身にしても、タタール人が死んでから、かりに責任を問うことがあるとしても、異教徒の両親から異教徒の子供が生れたからといって、それは本人の罪じゃないと判断なさって、まあ、まるきり罰しないわけにもいかないでしょうから、何かごく軽い罰を与えることでしょうよ。いくら主なる神でも、むりやりタタール人を捕えて、この男はキリスト教徒だったなどと言うわけにはいかないでしょう?そんなことすりゃ、全能の神がまったくの嘘をつくことになりますからね。天と地の主たる全能の神が、たとえたった一言なりと、嘘をつくわけにもいかないでしょうが?」

これは、つまり、キリスト教徒→不信の念が生まれる→非キリスト教徒→迫害者に問われる→非キリスト教徒と答える→生き延びる→寿命を全うする→あの世でも責任を問われない、ということです。

そして、これは、キリスト教徒も不信の念が生まれた時点でタタール人と同じだということです。

不信の念が生まれたキリスト教徒は寿命を全うするまで神の存在を否定して生きなければなりませんので、これはこれで大問題だと思いますが。


「タタール人」とは、「ヴォルガ・タタール人は、タタールスタン共和国を中心に、ロシア連邦の各地に住む民族である。統計上の総人口はおよそ550万人で、ソ連崩壊後のロシアにおいてロシア人に次ぐ第2位の人口を有する。ただし、統計上、クリミア・タタール人以外のタタール人はみなヴォルガ・タタール人と同じ「タタール人」として計上しているためヴォルガ・タタール人単独の数値ではない。タタールスタン共和国の人口380万人のうち、50%強がタタール人で、タタールスタンはロシア連邦の非ロシア系民族の国の中では特に高い経済力、政治的発言力を持つ有力な連邦構成主体である。タタール人はスンナ派のムスリムを主体とする。形質的にはまったくのコーカソイドで、外見でロシア人との見分けをつけることは外国人には難しい。」とのことです。


2017年3月23日木曜日

357

「おい、イワン!」と、ふいに「フョードル」が声をかけました。

「ちょっと耳をかせよ。あれはみんなお前のためにやっているんだぞ、ほめてもらおうと思ってさ。ほめてやれよ」

ここには「フョードル」が気付いている「スメルジャコフ」と「イワン」の関係について暗示的に語っています。

「イワン」は父親の悦に入った言葉を、しごく大まじめにききとりました。

「待て、スメルジャコフ、ちょっと黙ってろ」と、また「フョードル」が叫びました。

「イワン、もう一度耳をかせよ」

「イワン」はまた、しごく大まじめな顔で身を傾けました。

「俺はお前を、アリョーシャと同じように好きなんだ。俺がきらってるなんて思わんでくれよコニャックはどうだ?」

「いただきましょう」

『そんなこと言ったって、自分はすっかり酔払ってるじゃないか』と「イワン」はまじまじと父を眺めました。

そして、「スメルジャコフ」のことは、極度の好奇心とともに観察していました。

「お前は今だって呪われた破門者だよ」と、「グリゴーリイ」がかっとなりました。

「あんなことをぬかしたあとで、よくも四の五の理屈をこねられるもんだな、かりに、だよ・・・」

「そう悪態をつくな、グリゴーリイ、悪態はよせ!」と「フョードル」がさえぎりました。

「グリゴーリイ」が「フョードル」に「悪態はよせ!」なんて言われ、立場が逆転したかのようです。

話を振り分けて司会役をつとめようとする「フョードル」としてはここで「イワン」の発言を聞きたいのでしょうが、そうはさせてもらえません。

「ちょっと待ってくださいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、ほんのしばらくの間で結構ですから、話のつづきをきいてください、まだ終ってないんですから。というわけで、わたしがただちに神さまに呪われたとたん、まさにその最高の瞬間に、わたしはもう異教徒と同じになって、洗礼も解かれ、何事にも責任がなくなってしまうんですよ、せめてこの辺くらいは間違っていないでしょう?」


「結論を言えよ、おい、早く結論を言え」と、さもうまそうにグラスを傾けながら、「フョードル」はせっつきました。


2017年3月22日水曜日

356

「人でなしよばわりは、しばらくお控えください、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ」冷静な、控え目な態度で、「スメルジャコフ」が反論しました。

「それより自分で考えてごらんなさい、もしわたしがキリスト教の迫害者の捕虜になって、神の御名を呪うことや、神聖な洗礼を否定することを強要されたとしたら、わたしは自分の分別でそれを決める完全な権利を持っているんですよ、なぜってこの場合どんな罪もないんですからね」

「それはさっき言ったじゃないか、くどくど言わずに、論証してみろ!」と「フョードル」が叫びました。

「フョードル」は読者の言いたいことを代弁してくれていますね。

「田舎コックのくせに!」と「グリゴーリイ」がさげすむようにつぶやきました。

まったく、「グリゴーリイ」はどうしようもありませんね。

しかし、召使の長としての役割がそうさせているのでしょう。

それに対して、「スメルジャコフ」も負けてはいません。

「田舎コックよばわりも、しばらくお控えください。そう罵らずに、自分で考えてごらんなさいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ。だって、わたしが迫害者たちに『いいえ、わたしはキリスト教徒じゃありません、自分の本当の神を呪っているんです』と言うやいなや、そのとたんにわたしは特に最高の神の裁きによって、ただちに呪われた破門者にされ、まるきり異教徒と同じように神聖な教会から放逐されてしまうんですからね。それこそ、言葉を口に出したとたんどころか、言おうと考えるやいなや、その瞬間にですよ。たから、わたしが放逐されるのに、四分の一秒とかかりゃしないんです、そうでしょうが、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ?」

実際にはもっぱら「フョードル」の質問にだけ答え、自分でもそれをよく承知しているくせに、いかにもそれらの質問を発したのが「グリゴーリイ」であるかのようなふりをしながら、彼は露骨に満足の色を示して「グリゴーリイ」に向かって言いました。

作者、いや語り手はここでも読者の気持ちを代弁しています。


「スメルジャコフ」の言いたいことは、信と不信の境界のことだと思います。


2017年3月21日火曜日

355

そのとたん、戸口に立っていた「スメルジャコフ」がふいに薄笑いをうかべました。

「スメルジャコフ」はこれまでもちょいちょい、食事の終りころにテーブルのわきに侍ることを許されていました。

「イワン」がこの町に来たそのときから、彼は昼食にはほとんどいつも姿を見せるようになっていました。

「イワン」がこの町にやってきてから1年も経っていないのではないかと思います。

彼が24歳前後のことでしょう。

確か「スメルジャコフ」は「イワン」の心酔者のようになるのですけど、このことが伏線になっているのですね。

「なんだ?」と「フョードル」が、すかさずその薄笑いを見とがめ、それが「グリゴーリイ」に向けられたものであることをもちろんさとって、たずねました。

「今のお話ですが」だしぬけに大声で、思いがけなく「スメルジャコフ」がしゃべりはじめました。

「その立派な兵士の英雄的な行為が、たいそう偉大だとしましても、ですね。わたしの考えでは、かりにそんな不慮の災難にあって、キリストの御名と自分の洗礼とを否定したとしても、ほかならぬそのことによって苦行のために命を救い、永年の間にそれらの善行で臆病をつぐなうためだとしらた、やはり何の罪もないだろうと思うんです」

「どうして罪にならないんだ?いい加減なことを言うな、そんなことを言うと、まっすぐ地獄に落ちて、羊肉みたいに焼かれちまうぞ」と「フョードル」が合の手を入れました。

ちょうどこのとき、「アリョーシャ」が入ってきたのでした。

すでに見たとおり、「フョードル」は「アリョーシャ」のきたのをひどく喜びました。

「お前むきのテーマだよ、お前のテーマだ!」と「アリョーシャ」をきき手役に座らせながら、彼は嬉しそうに笑いました。

「羊肉などとおっしゃいますが、それは違います。そういうことをしたからといって、べつに地獄でそうなるわけのものでもございませんし、公正に申しますなら、そんな目に会うはずもございませんですよ」と「スメルジャコフ」がしかつめらしく言いました。

「公正に申しますならってのは、どういうことだ」と「フョードル」が膝で「アリョーシャ」とつつきながら、いよいよ楽しそうに叫びました。

「人でなしめ。こういうやつなんだ!」ふいに「グリゴーリイ」が口走りました。

そして、彼は怒りにもえて、まともに「スメルジャコフ」の目をにらみつけました。

「ちょうどこのとき、アリョーシャが入ってきた」と書かれていますが、彼が入って来てすぐに「フョードル」は座るようにうながし、コーヒーやリキュールをすすめ、「バラムの驢馬」が「たいそう弁ずること、弁ずること!」などと言っています。

実は「スメルジャコフ」が弁ずるのは、「アリョーシャ」が席についてからであり、彼も「スメルジャコフ」の話を聞いていることを前提にしていますので、ここでの「フョードル」の発言はおかしいですね。

「スメルジャコフ」は殺すとおどされたらキリストの名を否定してもいいと言っています。


これは、難しすぎる問題です。


2017年3月20日月曜日

354

七 論争

ところが、このパラムの驢馬がふいに口をききはじめたのであります。

もちろん、「パラムの驢馬」とは「スメルジャコフ」のことですね。

たまたま奇妙な話題になったということです。

今朝早く「グリゴーリイ」がルキヤーノフの店に買出しに行って、そこでさるロシアの兵士の話をきいてきたのですが、その兵士はどこか遠い国境で、アジヤ人の捕虜になり、ただちに虐殺すると脅迫されながら、キリスト教を棄てて回教に改宗することを迫られたのですが、信仰を裏切るのをいさぎよしとせずに苦難を甘んじて受け、皮を剥がれ、キリストを讃美しながら死んでいったという-この英雄的な行為はちょうどこの日配達された新聞にものっていました。

その話を「グリゴーリイ」が食事の席ではじめたのです。

「フョードル」は以前から、食後のデザートのときにいつも、たとえ「グリゴーリイ」が相手でも、一笑いしたり、しゃべったりするのが好きでした。

このときも軽やかな、快くくつろいだ気分になっていました。

コニャックをなめながら、伝えられたこのニュースをきき終ると、彼は、そういう兵士はすぐに聖者に祭りあげて、剥がれた皮はどこかの修道院に寄付すべきだ、「そうすりゃ人がわんさと殺到して、賽銭も集まるしな」と感想を述べました。

「グリゴーリイ」は、「フョードル」が少しも感動せず、いつもの癖で冒瀆しはじめそうな気配を見てとり、眉をひそめました。

このエピソードはここまでは、なんと言うこともないのですが、「アジヤ人の捕虜」になったくだりは、驚いたことに現在のイラクとシリア両国の国境付近の状況と同じですね。

アジアのことをアジヤと翻訳文では書かれていますが、ISILとかISISとかでも違和感はありません。

この話に反応する「フョードル」の態度も彼らしいユーモアを交えていますし、それに対して「グリゴーリイ」が批判的な態度をとるということもごく自然なことのように思います。


ここまでは、まだ平穏と言える日常のひとこまでした。


2017年3月19日日曜日

353

「言い添えておかねばならないが」と作者は書いています。

「フョードル」は彼の正直さを信じていただけではなく、なぜか目をかけてさえいたのだけれど、そのくせ青年のほうでは、ほかの者に対するのと同じように冷やかに相手を眺め、いつも黙りこくっていました。

口をきくことなどめったにありませんでした。

かりにそんなとき、だれかが彼を見て、この若者は何に興味をもっているのだろう、どんなことをいちばんひんぱんに頭に思いうかべるのだろうと、たずねてみる気を起したとしても、本当は、彼を見ているだけでは解決できなかったにちがいありません。

ところが実際、彼はときおり家の中や、あるいは庭や往来でさえも、立ちどまって、物思いに沈み、十分くらいそのままだだずんでいることがありました。

人相見なら、彼を見つめて、ここには思索も思考もなく、ただ一種の冥想があるだけだ、と言うことでしょう。

画家の「クラムスコイ」に『冥想する人』という題の傑作があります。

冬の森の絵で、森の中の道に、ぼろぼろの外套に木の皮の靴をはいた百姓がたった一人、ひっそりと淋しい場所で道に迷ってたたずみ、物思いに沈んでいるように見えるのですが、べつに考えごとをしているわけではなく、何かを《冥想して》いるのです。

とんと一突きすれば、その百姓はびくりとして、夢からさめたようにあなたを見つめるでしょうが、何もわからないでしょう。

たしかに、すぐ我に返りはしますが、何をたたずんでかんがえていたのかとたずねても、きっと何一つ思いだせないにちがいありません。

しかし、その代り、冥想の間いだいていた印象はおそらく心の内に秘めていることでしょう。

その印象は彼にとっては貴重なものですし、きっと、意識さえせず知らぬ間にそうした印象を彼は貯えてゆくはずです。

なぜ、何のためにかは、もちろん彼にはわかりません。

永年の間に印象を貯えた末、ことによると、彼は突然すべてを棄てて、巡礼と魂の救いのためにエルサレムへおもむいたり、あるいはふいに故郷の村を焼き払ったりするかもしれませんし、ひょっとすると、その両方がいっぺんに起るかもしれません。

冥想家は民衆の中にはかなり多いのです。

きっと「スメルジャコフ」もそうした冥想家の一人だったのだろうし、おそらく彼もやはり、自分ではまだ理由もほとんどわからないまま、貪婪に印象を貯えていたのにちがいありません。

作者は「スメルジャコフ」についてかなり詳細に性格描写をしています。

彼がどんな人間で何を考えているかなどということは、誰にもわからないということです。

ただ、この作品の語り手はわかっています。

画家の「クラムスコイ」は、「ロシアの画家・美術評論家。1860年から約20年にわたって「移動派」の知的・精神的な指導者であり続けた」とのことです。

(キエフ市ロシア美術館にある『冥想する人』という作品は以下に貼り付けました。)

ここで、作者はかなり熱心に「冥想」について書いています。

「冥想家」は民衆のなかにかなり多いとも書いています。

しかし、「冥想」というのは、「思索」しているわけでもなく、ただ「ボーっとしている」わけでもなく、どういいう心理状態でしょうか、なかなかわかりにくい面があります。

「冥想」は「思索」と「ボーっとしている」との中間にあるものではないことはわかりますが、当人に「冥想」しているという意識がないわけですから、動物的な反応でしょうか、それとも反対に人間的な無意識のあり方なのでしょうか、わかりません。

しかし、通常は面倒臭いので「ボーっとしている」ことの中に「冥想」も含まれていますね。


作者は「冥想家」について、自分では意識しないで思い切ったことをするような、ある意味で危険性があるうるというように書いていますが、「スメルジャコフ」はそのような「冥想家の一人」なのです。


2017年3月18日土曜日

352

「どうして、発作がひんぱんになったのかな?」と、ときおり、彼は新しいコックの顔を見つめて、不機嫌そうに言うことがありました。

そして、「せめて、嫁でももらったらどうだ、なんなら世話しようか?」

しかし、「スメルジャコフ」はそんな言葉に対して、腹立ちのあまり、青ざめるだけで、なんとも答えませんでした。

「フョードル」はあきらめて引きさがるのでした。

肝心なのは、「フョードル」が彼の正直さを信じきっていたことで、何一つ取ったり盗んだりする男ではないと、頭から信じこんでいるのでした。

一度こんなことがありました。

「フョードル」が酔払って、受けとったばかりの百ルーブル札を三枚、わが家の庭の泥濘の中に落し、翌日になってやっと気づいたことがありました。

あわててポケットというポケットを探しにかかったとたん、ふと見ると百ルーブル札が三枚そっくりテーブルの上にのっているのでした。

どこから降って湧いたのだろう?

「スメルジャコフ」が拾って、昨日のうちに届けておいたのでした。

「いや、お前みたいな男は見たことがないよ」

そのとき「フョードル」はきっぱりと言いきって、彼に十ルーブルを与えました。

作者が肝心だというのは、「フョードル」が「スメルジャコフ」の正直さを信じきっていたことですが、もちろんそれは召使として当然にそうあらねばならないことです。


「スメルジャコフ」は料理の腕と正直さ、それ以外のことについては相当な変わり者です。


2017年3月17日金曜日

351

間もなく、「マルファ」と「グリゴーリイ」が、突然「スメルジャコフ」に何やらひどい潔癖さが少しずつ現れてきたと、「フョードル」に報告しました。

スープを飲むとき、匙をとってしきりにスープの中を探ったり、かがみこんでのぞいたり、匙ですくって光にかざしてみたりするというのです。

「油虫でも入ってるのかい?」と、しばしば「グリゴーリイ」はきいてみました。

「蠅じゃないかね」と「マルファ」が注意します。

きれい好きな青年は決して返事をしなかったが、パンでも肉でも、食べものにはすべて同じことが起りました。

フォークで一片を光にかざして、顕微鏡でものぞくようにしげしげと眺め、永いこと決めあぐんだ末に、やっと意を決して口に運ぶのでした。

「どうだい、たいそうな若旦那ぶりじゃねえか」と、それを見て、「グリゴーリイ」はつぶやくのでした。

「フョードル」は、「スメルジャコフ」の新しい一面をきくと、ただちに彼をコックにすることに決め、モスクワへ勉強に出しました。

数年を勉強ですごしたあと、彼はすっかり面変りして戻ってきました。

急に何か並みはずれて老けこみ、年にまるきり似合わぬほど皺が多くなり、顔色も黄ばんで、去勢された男みたいになってしまいました。

精神的にはモスクワへ発つ前とほとんど同じでした。

相変らず人ぎらいで、だれとの交際もまったく必要を感じませんでした。

あとで伝えられた話によると、モスクワでもずっとだんまりだったといいます。

モスクワそのものも、極端なくらいほとんど興味をひきませんでしたので、町のこともごくわずかしか知らず、ほかのものにはすべて注意を払いませんでした。

一度だけ劇場に行ったことがありましたが、むっつりと不満そうな顔で帰ってきました。

その代り、モスクワから帰ってきたときには、小ぎれいなフロックにシャツという、りゅうとした服装で、服には必ず毎日二回ずつ、ひどく念入りに自分でブラシをかけ、子牛の鞣革のハイカラな長靴をイギリス製の特別な靴墨で、鏡のように光るまで磨きあげるのが、おそろしく好きでした。

コックとして彼は優秀であることがわかりました。

「フョードル」は給料を定めてやりましたが、その給料を「スメルジャコフ」はほとんど全額、衣服やポマードや香水などに使ってしまうのでした。

しかし、彼は女性を、男性と同様、軽蔑しているらしく、女性に対してはきちんとした、ほとんど近寄りがたいほどの態度をしていました。

「フョードル」はやや別の観点から彼を眺めるようになりました。

つまり、癲癇の発作がますますはげしくなり、そういう日には「マルファ」が料理を作るのですが、それが「フョードル」にはとんと口に合わないのです。

ここで言っている「スメルジャコフ」の潔癖症は、思春期に一時的に起こることがあると思いますが、その現れ方は人によって違います。

そんなことを大人になってもしっかりと覚えている人もいれば、すっかり忘れてしまっている人もいるでしょう。

自分でその経験を意識化していなければこのようなことは書けないと思いますね。

そして、おそらく「フョードル」は覚えている人だと思います。

彼は、そのことを聞くと「スメルジャコフ」をコックの修行にモスクワに行かせます。

これはなかなか賢明な判断です。

しかし、「フョードル」の期待に反して、「スメルジャコフ」はこの大きなチャンスに大した成長はしなかったようです。

もともとの人間嫌いというか、人間不信が彼の根っこにあるからでしょう。

ただ、おしゃれだけは身につけたようですが、これも他者を意識してするのではなく、自己満足に終わってしまっています。

「フョードル」はやや別の観点から彼を眺めるようになったと書かれていますが、これは、もう「スメルジャコフ」の精神的、性格的なことはどうしようもないと思ったからで、料理のうまさだけに注目して彼を見ようとしたのです。


料理というのは他人の味覚の中に入り込まなければ、うまくできないと思いますが、他人の気持ちなどいっさい考えない「スメルジャコフ」の料理が「フョードル」の味覚に合うというのは、それはふたりが肉親として共通するところがあることを暗示しているようにもみえます。