2017年5月31日水曜日

426

「フェラポンド神父」は礼拝式に顔を見せることはめったにありませんでした。

訪れる礼拝者たちは、彼が時によるとまる一日じゅう、膝立ちの姿勢のまま、わき目もふらずに祈りつづけている姿を目にしました。

かりに礼拝者たちと話をすることがあっても、この言葉は簡潔な、断片的な、奇妙なもので、常にぞんざいと言ってもよいほどでした。

しかし、ごくまれには訪問者と話しこむような場合もありましたが、たいていの場合、常に訪問者に大きな謎を投げかけるような、何か奇怪な言葉をぽつりと一言発するだけで、そのあとはどんなに頼まれても、何一つ説明しようとしませんでした。

彼は司祭の位を持たず、一介の修道僧にすぎませんでした。

もっとも、ごく無学な人たちの間にではありましたが、「フェラポンド神父」は天の精霊と交わりがあり、精霊たちとだけ話をしているため、人間とは口をきかないのだという、きわめてふしぎな噂が流れていました。

オブドールスク修道僧は、これまたきわめて無口で気むずかしげな修道僧である蜂飼いの教えてくれたとおりに養蜂場にたどりつくと、「フェラポンド神父」の庵室のある一隅に向かいました。

「ことによると、遠来のお人ということでお話しになるかもしれませんし、ことによると最後まで一言もお言葉を得られないかもしれません」蜂飼いが釘をさしました。

修道僧は、のちに本人が伝えたところによると、この上ない恐怖をいだきながら、庵室に近づきました。

「のちに本人が伝えたところによると」ということは、この物語の書き手はこんなことまで知っているのですね。

もうかなり遅い時刻でした。

「フェラポンド神父」はこのとき、庵室の戸口のわきの低いベンチに腰かけていました。

頭上で巨大な楡の老樹がかすかに騒めいていました。

夕方の冷気が迫ってきていました。

オブドールスク修道僧は高僧の前にひれ伏し、祝福を乞いました。

「このわしにも、ひれ伏せというのか?」と、「フェラポンド神父」が言いました。「立ちませい!」

修道僧は立ちました。

「祝福を授け、祝福を受けたのだから、隣に座るがいい。どこからござった?」

哀れな修道僧を何よりびっくりさせたのは、「フェラポンド神父」が、疑いもなくたいへんな精進生活を送り、しかもこれほどの高齢であるにもかかわらず、見た目にはまだ逞しい長身の老人で、背もますぐしゃんとしており、顔つきも痩せてこそいるが、生きいきして健康そうなことでした。

まだ相当な体力を内に秘めていることは、疑いありませんでした。

レスラーのような体格でした。

これほどの高齢にもかかわらず、まったく白髪というわけでもなく、以前は真っ黒だったにちがいない毛が頭にも顎にもまだ房々としていました。

灰色の大きな目は鋭い光を宿していましたが、ぎょっとするほど極端とびだしていました。

話し方にはOの字に強いアクセントをおくなまりがありました。

ひと昔前まで囚人ラシャとよばれた、目の荒い、赤茶けた長い百姓外套を着て、太い縄をベルトの代りにしめていました。

首と胸があらわにのぞいていました。

何ヶ月も脱いだことのない、ほとんど真っ黒に煮しめたようになった、厚い麻地のシャツが、百姓外套の下からのぞいていました。

この外套の下に、十二キロもある鎖帷子をつけているという話でした。

ほとんど原型をとどめない古い短靴を素足につっかけていました。

以上が、「フェラポンド神父」の外貌ですが、それほど好意的とは思えないですが、やけに詳しく書かれていますね。

オブドールスク修道僧は、この「フェラポンド神父」に心惹かれるものがあるようです。

ある意味「フェラポンド神父」は、修行の極限にある人物で、「精霊」と交わりがあるとも言われる神秘性があります。

「フェラポンド神父」は「ゾシマ長老」と違って宗教のあちら側に行ってしまった人間です。

「ゾシマ長老」はあちら側に行って、帰ってきた人間だと思います。

「アリョーシャ」は「ゾシマ長老」にオブドールスク修道僧は「フェラポンド神父」傾倒しているというわけですね。

囚人ラシャとよばれた目の荒い、赤茶けた長い百姓外套に太い縄をベルトをつけ、その下にほとんど真っ黒に煮しめたような厚い麻地のシャツと十二キロもある鎖帷子、ほとんど原型をとどめない古い短靴といういで立ちはすさましいですね。


たぶん、臭いもすさましいものがあったのでしょうが、ここでは全くふれられていません。


2017年5月30日火曜日

425

彼は、それ以上ということはないにしても優に七十五くらいにはなっており、僧庵の養蜂場の裏の塀の一隅にある、ほとんど崩れかかった古い木造の庵室で暮らしていたが、この庵室はずっと以前、まだ前世紀のうちに、これもやはり偉大な斎戒と無言の行者で、百五歳まで生き永らえ、その偉業に関して多くのおもしろい話が今日まで修道院の中や近在一円に語り伝えられている「ヨナ神父」のために建てられたものでした。

「フェラポンド神父」の望みがかなって、やっとこのきわめて淋しい庵室に住めるようになったのは七年ほど前のことで、庵室といってもただの小屋にすぎませんでしたが、それでも小さな礼拝堂にそっくりで、寄進された聖像画が数多く安置されており、その前に寄進された燈明がいつもともされていたから、なんのことはない、「フェラポンド神父」は聖像画の番をし、燈明に火をともすためにここに置かれたようなものでした。

話によると(それはまた事実でもありましたが)、彼は三日間にせいぜい一斤半(訳注 約八百グラム)のパンを食べるだけでした。

斤(きん)は、尺貫法の質量の単位であり、伝統的には1斤は16両と定義されるが、その値は時代と地域により異なる、とのことです。

日本では、通常は1斤=16両=160匁とされる、とのこと。

グラムでいうと、1斤=600グラムだそうです。

現在の日本では「斤」は、食パンの計量の単位としてのみ使われており、これはパンが英斤を単位として売買された歴史に由来する、ただし、1斤として売られたパンの質量は時代とともに少なくなり、現在、公正競争規約は、食パンの1斤=340グラム(以上)と定めている、とのこと。

そのパンは三日に一度、この養蜂場に住む蜂飼いが届けてくれるのですが、よく仕えてくれるこの蜂飼いとも「フェラポンド神父」はめったに言葉を交わしませんでした。

三斤のパンと、日曜の午後の礼拝式のあと修道院長から正確に届けてよこす聖餅とが、彼の一週間の食料でした。

聖餅は「せいへい」と読み、キリスト教各教派によって、違いがあるようです。

神学用語というものがあり、その理解がなければよくわからないようですが、簡単に言えば、聖別(せいべつ)と言って、司教(主教)や司祭などの聖職者の祈りによって特化されて、聖変化、つまりぶどう酒とともにキリストの体と血の実体に変化する前の状態のパンのことでイーストを用いた発酵パン「プロスフォラ」のことらしいのですが、やはりよくわかりません。


そして、「フェラポンド神父」は、水については、大きなコップで毎日取りかえてもらっていました。


2017年5月29日月曜日

424

問題は、この修道僧が現在すでにある種の懐疑におちいっていて、何を信じたらよいのか、ほとんどわからずにいる、という点にありました。

まだ、昨夜のうちに彼は、養蜂場の裏にある離れ家の庵室に「フェラポンド神父」をたずね、その対面からそら恐ろしくなるような異常な感銘を受けて、心を打たれたのでした。

この「フェラポンド神父」については、「ゾシマ長老」の、そして特にまた有害で軽薄な新制度と見なしている長老制度そのものの反対者としてすでに前に述べたことがあるが、斎戒と無言の行とを固く守っているいちばん高齢の修道僧でした。

(109)で「もっとも古い修道僧の一人で、偉大な無言の行者であり、まれに見るほどの斎戒精進者である高僧のように、きわめて著名な、修道院での重要な顔ぶれも何人か入っていた」と書かれていました。

無言の行者である彼はほとんどだれとも言葉を交わさなかったにもかかわらず、反対者としてきわめて危険な存在でした。

彼が危険である最大の理由は大勢の修道僧たちが心から彼に共鳴しているばかりか、礼拝にくる俗世の人たちの大多数も、彼を疑いもなく神がかり行者と認めていながら、偉大な苦行者、教義の実行者として敬っていたからです。

もっとも、神がかり的なところが魅力にもなっていました。

「フェラポンド神父」は「ゾシマ長老」のところへは一度も足を運んだことがありませんでした。


僧庵の規律にさほど束縛されていませんでしたが、これもやはり彼がまるきり神がかり行者のように振舞っているためでした。


2017年5月28日日曜日

423

「同じことが、また見られるのではあるまいか?」ふと口をすべらしたかのように、「パイーシイ神父」は言いました。

「同じことがまた見られるぞ、同じことがまたみられるぞ!」周囲の修道僧たちがくりかえしました。

しかし、「パイーシイ神父」はまた眉をひそめ、せめてしばらくの間なりとこのことはだれにも他言せぬよう、みなに頼んだうえ、「もっと裏付けができるまで、言わずにいてほしい。なにせ世間には軽薄なことが多いし、それに今度のことはひとりでにそうなったのかもしれないからの」と、言質をとられぬためのように注意深く付け加えたが、そんな言いわけを自分でもほとんど信じていないことくらい、きいてきる人たちにも実に明白に見てとれました。

ここでは、「パイーシイ神父」は「アリョーシャ」から「ホフラコワ夫人」の手紙を見せられて「同じことが、また見られるのではあるまいか?」と言っているのですが、その「同じこと」というのは何らかの奇蹟ということですね。

そして、「もっと裏付けができるまで、言わずにいてほしい。」と言いましたが、何のことかわかりませんし、「それに今度のことはひとりでにそうなったのかもしれないからの」というのもどういうことなのでしょうか。

もちろん、この《奇蹟》はたちまち修道院じゅうはもとより、修道院の礼拝式に来た大勢の信者たちにまで、知れ渡りました。

実現したこの奇蹟に、だれよりもショックを受けたのは、どうやら、昨日遠い北国にあるオブドールスクの《聖シルヴェステル》という小さな修道院からはるばるやってきた修道僧らしく思われました。


これは昨日、「ホフラコワ夫人」のわきに立って、長老に一礼し、《病気を直してもらった》夫人の娘を指さしながら、「よくこんなことがなされるもんですね?」と、思い入れたっぷりに詰問した、あの修道僧でした。


2017年5月27日土曜日

422

「ホフラコワ夫人」は、この新たに実現した《予言の奇蹟》を修道院長はじめ修道士たち全員にただちに伝えてくれるよう、熱っぽい調子で強引に「アリョーシャ」に頼んでいました。

『これは一人残らずみんなに知らせなければなりません!』–手紙の結びで、彼女はこう絶叫していました。

手紙は心せくまま大急ぎで書かれたため、書き手の興奮がどの行にもひびいていました。

だが、もはや「アリョーシャ」が修道士たちに知らせるべきことは、何もありませんでした。

みながもう一部始終を知っていたからです。

それというのも「ラキーチン」が、「アリョーシャ」の呼びだしを修道僧に頼んだとき、それ以外にさらに、「まことに恐縮ですが、パイーシイ神父に、僕、つまりラキーチンが、ちょっと用があるとお取次ぎいただけないでしょうか、ただ、きわめて重大なことなので、一刻もご報告を遅らせるわけにはいかないのです。失礼の段は深くお詫びいたします」と、頼んだのです。

そして修道僧が「ラキーチン」の頼みを、「アリョーシャ」より先に「パイーシイ神父」に取り次いだため、自席に戻った「アリョーシャには、ただ手紙に目を通して、すぐにその内容を単なる参考資料という形で「パイーシイ神父」に伝えるくらいしか、やることは残っていませんでした。

ということは、「ラキーチン」は手紙の内容を「ホフラコワ夫人」から知らされていたのですね。

「ホフラコワ夫人」はその手紙を「ラキーチン」にたくして「アリョーシャ」に届けようとしたのですから、それがどういう意味を含むかは「ラキーチン」はわかっていると思うのです。

つまり、このおめでたい知らせを「アリョーシャ」から「パイーシイ神父」や修道士たちに知らせるようにしたかったのです。

そうでなければ、わざわざ「アリョーシャ」に手紙を書く必要もなく、「ラキーチン」にそのことを口頭で修道院に伝えるように頼んだはずです。

しかし、目立ちたがり屋の「ラキーチン」は、そうはさせなかったのですね。

だが、この峻厳な、容易に人を信じない神父でさえ、眉根をよせて《奇蹟》の知らせを読み終えると、ある種の内心の感慨を抑えることができませんでした。


目がきらりと光り、口もとがふいに重々しい、感に堪えぬような微笑にほころびました。


2017年5月26日金曜日

421

もっとも、長老の話しぶりは、ここに記されている、のちに「アリョーシャ」がまとめたものより、ずっと断片的でした。

ときおり、長老は気力をふりしぼるかのように、ぴたりと口をつぐみ、息をあえがせていたが、しかし歓喜に包まれているかに見えました。

みなが感動してきいていたものの、それでも多くの者が長老の言葉におどろき、そこに曖昧さを見た・・・これらの言葉に思い当ったのは、のちのことです。

この「・・・」は何でしょうか。

判読不明でしょうか、それともこの部分の詳細はのちに思い当たったことなので意図的に書かなかったのでしょうか。

「アリョーシャ」はたまたましばらくの間、庵室から離れたとき、庵室の中やまわりにつめかけている修道僧たちに共通する興奮と期待とにおどろかされました。

その期待はある人々の間ではほとんど不安に近く、他の人々の間では厳粛なものでした。

だれもが長老の死後ただちに何か偉大なことの生ずるのを期待しているのでした。

こんな期待は見方によればほとんど軽薄と言ってもよいものでしたが、もっとも厳格な老僧たちさえ、影響されていました。

いちばん厳格なのは、司祭修道士「パイーシイ」老僧の顔でした。

「アリョーシャ」が庵室を離れたのは、「アリョーシャ」にあてた奇妙な手紙を「ホフラコワ夫人」からことづかって町からやってきた「ラキーチン」に、さる修道士を介してひそかに呼びだされたからにほかなりませんでした。

夫人は「アリョーシャ」に、きわめてタイミングよく舞いこんだ興味深い知らせを教えてよこしたのでした。

ほかでもない、昨日、長老に挨拶して祝福を受けるために来た信心深い平民の女たちの間に、一人、町の老婆で、「プローホロヴナ」という下士官の未亡人がいました。

彼女は、遠いシベリヤのイルクーツクへ赴任したきり、もう一年も音沙汰のない息子「ワーセニカ」を、死者として教会で法要を行なっていいかどうかを、長老にたずねたのでした。

これに対して長老は、その種の法要を妖術にひとしいときめつけて固く禁じ、きびしい口調で答えました。

しかし、そのあと長老は彼女の無知を赦し、「ホフラコワ夫人」の手紙の表現によれば、《まるで未来の本でものぞき見るかのように》、「倅のワーセニカは疑いもなく達者でおって、近く本人が帰ってくるなり、便りをよこすなりするはずだから、お前さんは家に帰って、待っているがいい」と慰めを付け加えました。

このへんのくだりは(173)(174)の部分です。

『ところが、どうでしょう?』と「ホフラコワ夫人」は感激して書き加えていました。

『この予言が文字どおり的中したのです、いえ、それ以上ですわ』老婆は家に帰るなり、すでに待ち受けていたシベリヤからの便りをすぐさま渡されたのです。

しかも、それだけではありません。

旅の途中、エカテリンブルグから書いたその手紙で、「ワーセニカ」は自分は今ある役人といっしょにロシア本土へ帰る旅の途上にあり、この手紙がついて三週間ほどのちには『母を抱擁するつもりでいる』ことを、知らせてよこしたのです。

エカテリンブルグという地名はやはり『女帝エカテリーナ』に由来しているそうです。


2017年5月25日木曜日

420

「アリョーシャ」はあとになって、このとき長老の言ったことのうち、いくつかを思いだしました。

しかし、話しぶりは明瞭でしたし、声もなかなかしっかりしてはいたものの、話そのものはかなり脈絡のないものでした。

彼はいろいろのことを話しました。

まるで、死の瞬間を前にして、一生のうちに言いつくせなかったことを、全て言っておきたい、もう一度何もかも話しておきたい、それも単に説教のためだけではなく、自分の喜びと感動をみなと分ち合い、生あるうちにもう一度心情を吐露しておきたいと渇望するかのようでした・・・

「互いに愛し合うことです、みなさん」のちに「アリョーシャ」の思いだしたかぎりでは、長老はこう説きました。「神の民を愛しなされ。わたしらは、ここに入ってこの壁の中にこもっているために、世間の人たちより清いわけではなく、むしろ反対に、ここに入った人間はだれでも、ここに入ったというそのことによってすでに、自分が世間のすべての人より、この世の何よりも劣っていると、認識したことになるのです・・・だがら修道僧たる者は、この壁の中で永く暮せば暮すほど、ますます身にしみてそのことを自覚せねばなりません。でなかったら、ここに入る理由もないわけですからの。自分が世間のだれより劣っているばかりか、生きとし生けるものすべてに対して、さらには人類の罪、世界の罪、個人の罪に対して、自分に責任があると認識したとき、そのときはじめてわたしたちの隠遁の目的が達せられるのです。とにかく、われわれの一人ひとりがこの地上に生きとし生けるものすべてに対して疑いもなく罪を負うていることを、それも世界全体の一般的な罪というだけではなく、各人一人ひとりが地上のあらゆる人たち、すべての人に対して罪を負うていることを、わきまえねばなりません。この自覚こそ、修道僧の修業の、そしてまた地上のあらゆる人の栄誉にほかならないのです。なぜなら、修道僧とは何も特別な人間ではなく、地上のすべての人が当然そうなるべき姿にすぎんのですからの。そうなってこそはじめて、われわれの心は満つることを知らぬ、限りない、世界の愛に感動することでしょう。そのときこそ、あなた方の一人ひとりが愛によって全世界を獲得し、世界の罪をおのが涙で洗い清めることが可能になるのです・・・だれも自分の心のまわりを歩み、たゆみなくおのれに懺悔することです。自分の罪を恐れることはありませぬ。たとえそれを自覚しても、後悔しさえすればよいので、神さまと取りきめごとなどしてはなりませぬぞ。くりかえして言いますが、おごりたかぶらぬことです。あなた方を斥ける者、辱しめる者、そしる者、中傷する者を憎んではいけません。無神論者、悪を説く者、唯物論者など、彼らのうちの善き者だけではなく、悪しき者をさえ憎んではいけない。とりわけ今のような時代には、彼らのうちにも善い人はたくさんいるのですからね。その人たちのことは、こんなふうに祈ってやるのです。主よ、だれにも祈りをあげてもらえぬ人々をお救いください、主に祈りを捧げようと思わぬ人々をもお救いください、とな。そして、さらにこう付け加えるといい。主よ、わたしはおごれる心からこう祈るのではございません。何となればわたし自身、だれよりも汚れた人間だからです、と・・・神の民を愛して、侵入者に羊の群れを略奪されぬようにするのです。もし、怠惰や、いまわしいおごりの心や、そして何よりも物欲などにひたって眠っていれば、四方から侵入者がやってきて、あなた方の群れを奪ってゆくでしょうからの。たゆまず人々に福音書の教えを説いてやりなさい・・・賄賂を受けてはなりませぬ・・・金銀を愛したり、貯えたりしてはなりませぬ・・・信仰を持ち、旗をかかげ持つことです。その旗を高くかかげてゆくのです・・・」

これは「アリョーシャ」があとになってまとめたとのことですが、「ゾシマ長老」が修道僧のみんなにぜひとも伝えたかった最後の大事な言葉ですね。

永く修道院の生活を続けていると、ついおろそかになってしまいそうなことを戒めの意味を含めて言っているようです。

つまり、一言で言えば、おごらないで謙虚になれということですが、おそらく誰もがわかっている普通の忠告でしょうが、わかっているようでもわかっていないことに気づかせるための言葉だと思います。

ひとつわからなかったのは、「・・・だれも自分の心のまわりを歩み、たゆみなくおのれに懺悔することです。自分の罪を恐れることはありませぬ。たとえそれを自覚しても、後悔しさえすればよいので、神さまと取りきめごとなどしてはなりませぬぞ。」という部分です。


「神さまと取りきめごと」とはどういうことを言っているのでしょうか。


2017年5月24日水曜日

419

第二部

第四編 病的な興奮

一 フェラポンド神父

朝早く、まだ夜明け前に、「アリョーシャ」は起されました。

長老が目をさまし、非常な衰弱を感じてはいたものの、それでもベッドから肘掛椅子に移りたいと望んだのです。

意識ははっきりしていました。

顔はきわめて疲労の色が濃いとはいえ、ほとんど嬉しそうにさえ見えるほど晴れやかでしたし、眼差しも楽しそうで、愛想よく、よびかけているかのようでした。

「ことによると、今日一日は持ちこたえられぬかもしれないよ」と長老は「アリョーシャ」に言いました。

普通は、「今日一日は持ちこたえらるかもしれないよ」だと思うのですが。

そのあと、ただちに懺悔と聖餐式とを望みました。

懺悔聴聞僧は「パイーシイ神父」ときまっていました。

どちらの秘儀も終ると、塗油式がはじめられました。

ここでは、「懺悔」「聖餐式」「塗油式」と言う宗教用語が出てきますが、教派ごとにやり方が違っており、ロシア正教ではどのようなものであったのでしょうか、また、このような場ですので、短時間で簡素に行われたと思うのですが、実際のことろは想像もつきません。

司祭修道士が集まり、庵室はしだいに修道僧たちでいっぱいになりました。

とかくするうち、日がのぼりました。

修道院からも人々がつめかけはじめました。

儀式が終ると、長老はみなに別れを告げることを望み、一人ひとりに接吻しました。

ここで言っている「儀式」とは「塗油式」のことですね。

庵室が狭いため、先に来た者は出て、ほかの者に席を譲りました。

「アリョーシャ」は、ふたたび肘掛椅子に移った長老のわきに立っていました。

長老は力の許すかぎり話し、説教しました。

その声は、弱々しくはありましたが、まだかなりしっかりしていました。

「あまり永年の間みなさんに説教しつづけてきたので、つまり永年の間大きな声でしゃべりつづけていたため、しゃべっているのが、また、口さえ開けばみなさんに説教するのが習慣のようになってしまって、今みたいに弱っているときでさえ、沈黙しているほうが、しゃべるよりむずかしいほどになりましたよ」

周囲に集まった人々を感動の目で眺めやりながら、長老は冗談を言いました。


やはり「ゾシマ長老」は偉いですね。


2017年5月23日火曜日

418

「リーズ」の手紙文の途中からです。

あたしの秘密はあなたに握られてしまいました。明日、おいでになるとき、どんなふうにあなたを見ればよいのか、わかりません。ああ、アリョーシャ、もしまた、ばかみたいに我慢しきれずに、あなたを見てさっきのように笑いだしたりしたら、どうすればいいのでしょう?あなたはきっと、あたしをいやらしいからかい屋とおとりになって、この手紙なぞ信じてくださらないでしょうね。ですから、おねがいです、もし、あたしに同情してくださるのでしたら、明日入っていらっしゃるとき、あまりまともにあたしの目を見つめないでください。だって、あなたの目と合うと、きっとあたし、ふいに笑いだすかもしれませんもの。おまけにあなたはあの長い僧服を着てらっしゃるでしょうし・・・それを思うと、今でさえ身体じゅう冷汗が出る思いです。ですから、入っていらっしゃるときには、しばらく全然あたしを見ないで、お母さまか窓をごらんになっていてください・・・
とうとうあたし、ラブ・レターを書いてしまいました。ああ、なんということをしてしまったのでしょう!アリョーシャ、あたしを軽蔑しないでください。もし、あたしが何かとてもいけないことをして、あなたを悲しませたとしても、どうか赦してください。今や、あたしの、ことによると永久に台なしになったかもしれない評判の秘密は、あなたに握られているのです。
あたし、今日はきっと泣いてしまいます。さようなら、恐ろしい(4文字の上に黒点)ご対面のときまで。リーズ。
追伸 アリョーシャ、ただ、必ず、必ず、必ずいらしてください!リーズ』

これで手紙は終りですがこの手紙はいつ書かれたのでしょう。

「ゾシマ長老」が「アリョーシャ」同席のうえ「ホフラコワ夫人」と「リーズ」に祝福を与えたのが正午ごろです。

夕方過ぎ「アリョーシャ」が「カテリーナ」の家を出てから、お昼にあずかっていたというこの手紙を渡されました。

ここでは書かれてはいませんが、「ホフラコワ夫人」と「リーズ」は「カテリーナ」の家で遅めの昼食をとったと仮定すれば、「リーズ」がこの手紙を書く時間はないのではと思いますが、手紙の文中には「あなたを見てさっきのように笑いだしたりしたら・・・」という文章がありますので前日に書いたのではないですし、短い時間でさっと書いたのかもしれません。

それにしても、「リーズ」は僧服を見てさえおかしいのですね。

この様子だとまた笑ってしましそうに思います。

「アリョーシャ」はおどろきとともに読み終え、二度通読してから、ちょっと考え、ふいに静かに楽しそうに笑いだしました。

びくりと身ぶるいしそうになりました。

今の笑いが罪なものに思えたのです。

だが、一瞬して彼はまた同じように静かに、幸せそうに笑いました。

ゆっくり手紙を封筒にしまい、十字を切って、横になりました。

心の動揺がふいに去りました。

「アリョーシャ」は手紙を読んで何か思い、そして笑い、その笑いが罪なものだったので動揺しています。

彼は一体何を思ったのでしょう、この手紙を読む限りでは「リーズ」の気持ちの一途さ、率直さ、無邪気さ、子供っぽさのようなことが伝わりますが、彼女は彼女なりに一生懸命なわけですので、その気持ちの切実さを笑うことではないと思ったのでしょうか。

それとも、隣の部屋で昏睡状態の陥っている「ゾシマ長老」のことを思い、笑うこと自体を反省したのでしょうか。

『神さま、先ほどの人たちをみな、お憐れみください。不幸な、落ちつかぬあの人たちを守って、道をお示しください。あなたは道をご存じです。あの人たちに道を示して、お救いください。あなたは愛です。みなに喜びをお授けください!』


十字を切り、安らかな眠りに沈みながら、「アリョーシャ」はつぶやきました。


それにしても、「リーズ」は明日は「必ず、必ず、必ずいらしてください」と書いており、「明日は修道院から一歩も出ずに、息を引きとるその時まで長老の枕辺に付き添っていようと、熱っぽい気持で固く決心」した「アリョーシャ」はどうするのでしょう。


これでともかく、「フョードル」一行の修道院訪問からはじまった長い、長い、長い一日が終わりました。




2017年5月22日月曜日

417

『アレクセイ・フョードロウィチ』と彼女、つまり「リーズ」は書いていました。

『みんなに、お母さまにも内緒でお手紙を書いています、いけないことだとは知っています。でも、あたしの心に芽生えたものをあなたに打ち明けずには、これ以上生きていかれないのです。このことは当分あたしたち二人以外の、だれにも知られてはなりません。でも、こんなにお話ししたいと思っていることを、どうやって言えばよいのでしょう?紙は顔を赤らめないなどと言いますけれど、本当のことを言って、それは嘘です。紙も今のあたしと同じように、真っ赤になっていますもの。いとしいアリョーシャ、愛しています。まだ子供のころ、あなたがまるきり今みたいではなかったモスクワ時分からお慕いしていましたけれど、今は終生あなたを愛します。あなたと結ばれ、年をとったらいっしょに人生を終えるため、あたしの心があなたを選んだのです。もちろん、あなたが修道院を出るという条件付きで。二人の年齢のことは、法律で定められた年まで待ちましょう。そのころまでには、あたしもきっと快くなって、歩いたり、ダンスをしたりできることでしょう。その点は言うまでもありません。
あたしがすべてをどれほど考えたか、おわかりのことでしょう。でも、一つだけ、どうしても考えつかないことがあります。この手紙をお読みになって、あなたはあたしのことをどうお思いになるでしょうか?あたしはいつも笑ったり、ふざけたりばかりしていますし、さっきもあなたを怒らせてしまったくらいですもの。でも、本当のことを言って、今ペンをとる前に、あたしは聖母さまの像にお祈りしました。今もお祈りをして、もうちょっとで泣きだしそうになっています。

まだ、手紙の途中ですが。

これはラブレターですが、メールで気持ちのやりとりをするようになった今ではほとんど存在しなくなったのではないでしょうか。

メールならば、かりに一定期間保存しておいたとしてもいずれ消去されるでしょうが、手紙はそのまま残ります。

しかも、文章もメールよりはるかに長いですから、書いた方の意思がそのまま反映されています。

この時代はロシアでは女性からラブレターを送ることは一般的だったのでしょうか、日本ではあまりないことだと思いますが。

「リーズ」はかなり「アリョーシャ」を愛していると思いますが、結婚するにあたっては「あなたが修道院を出るという条件付きで。」という一文があります。

このへんは、「アリョーシャ」が修道院を出るということについてのなんらかの確証を「リーズ」は持っているのでしょうか。


「アリョーシャ」からそういう話はされていないと思いますので、ホフラコワ夫人を経由してどこかからそのような情報が巡りきたのかもしれません。


2017年5月21日日曜日

416

隣の部屋に–今朝、長老が客たちを迎えたあの部屋に戻ると、「アリョーシャ」はほとんど服もぬがず、長靴だけとって、もうだいぶ前から毎晩、枕だけ持ってきて寝場所にしている皮張りの、固い窮屈なソファの上に横になりました。

先ほど父が叫んでいた例の布団は、もう久しく敷くことを忘れていました。

僧服だけぬいで、布団代りにかけるのでした。

が、寝る前に彼はひざまずいて、永いこと祈りました。

熱心な祈りの中で彼は、自分の迷いを解いてくれることを神に乞うのではなく、もっぱら、いつも寝る前の祈りの内容となっている神への賛美と賞賛のあと必ず心を訪れる、あの喜ばしい感動を、以前と変わらぬ感動を渇望しているのでした。

心を訪れるこの喜びは、軽やかな安らかな眠りをもたらしてくれました。

今もそうして祈っているうちに、彼は突然ふと、先ほど道で追いついた「カテリーナ・イワーノヴナ」の女中から渡された、あの小さなバラ色の封筒を、ポケットの中で探りあてました。

彼はドギマギしましたが、お祈りを最後まで終えました。

それから、いささかのためらいののちに、封筒を開けました。

中は彼宛の手紙で、「リーズ」と署名してありました–今朝、長老の前で彼をさんざからかった、ホフラコワ夫人の令嬢です。

「アリョーシャ」はこのところ長老の隣の部屋のソファで寝ているのですね。


これは、長老の具合が悪いからということでしょうが、この役割というのは修道僧ではないでしょうか、修道院の中のことはわかりませんので何とも言えないのですが、こんなことでも「アリョーシャ」は特別な存在のようです。


2017年5月20日土曜日

415

「パイーシイ神父」は出ていきました。

たとえあと一日が二日生きのびるかもしれぬにしても、長老が世を去ろうとしていることは、「アリョーシャ」にとって疑念の余地もありませんでした。

「アリョーシャ」は、父や、ホフラコワ家の人たちや、兄や、「カテリーナ・イワーノヴナ」と会う約束をしたものの、明日は修道院から一歩も出ずに、息を引きとるその時まで長老の枕辺に付き添っていようと、熱っぽい気持で固く決心しました。

心が愛に燃えました。

明日「アリョーシャ」が会わなければならないのは、①父、(380)で例の実家での大騒動の後、「アリョーシャ」が「フョードル」と二人になった時の会話で「・・・明日の朝早くぜひ俺のところへ寄ってくれ。明日お前に話しときたいことがあるんだ。寄ってくれるな?」と「フョードル」は言い、「アリョーシャ」は「寄ります」と答えています。

②ホフラコワ家の人々は、196)「ゾシマ長老」はリーズ」に「必ず行かせますよ」と断を下しました。

③兄は「イワン」と「ドミートリイ」のふたりと約束しています。
「イワン」とは(382)で門のわきのベンチに座っている兄の「イワン」から「アリョーシャ、明日の朝早くお前に会えると、実に嬉しいんだがね」と言われています。

その時に「アリョーシャ」は「明日はホフラコワさんにお宅に伺うもんで」と言って一応断ってはいますが。

「ドミートリイ」は(411)で突然去っていく「ドミートリイ」に「アリョーシャ」は『そうだ、明日必ず会って、ききだそう。いったい何のことを言っているのか、ことさら探りを入れてみよう!・・・』と思います。

④「カテリーナ・イワーノヴナ」は(403)で「お帰りになって、アレクセイ・フョードロウィチ!あたし恥ずかしい、恐ろしい!明日また・・・おねがいですから、明日いらしてください。あたしを咎めないで、許してください。このうえ自分の身に何をしでかすか、わかりませんもの!」と言っています。

このように「アリョーシャ」は少なくとも明日四人と会う約束をしていたのですね。

この世のだれよりも敬っている人を、修道院で臨終の床に置き去りにし、たとえ一瞬とはいえ、町の中でその人のことを忘れていられた自分を、彼は苦々しく責めました。

彼は長老の寝室に行き、ひざまずくと、眠っている長老に対して、額が地面につくほど深々とおじぎしました。


長老はほとんどわからぬくらいの、規則正しい寝息をたてながら、身じろぎもせず、静かに眠っていました。


2017年5月19日金曜日

414

「すっかり衰弱なさって、昏睡状態に陥られた」

「パイーシイ神父」は「アリョーシャ」に祝福を与えたあと、小声で告げました。

「お起こしするのもむずかしいほどだ。もっとも、お起こしする必要もないが。先ほど五分ばかりお目ざめになって、修道僧たちに祝福を伝えてくれるようお頼みになったうえ、ご自分のために夜の祈りを捧げてくれるよう、みなにお頼みになっておられた。明朝、もう一度、聖餐を受けるおつもりだそうだ。お前のことを思いだしておられたぞ、アレクセイ、お前がもう出ていったかと、おたずねになられたから、町に行っているとお答えしたところ、『そのためにこそ、あれに祝福を授けたのだ。あれの居場所は向うだ、今のところここではない』と、こうおっしゃっておられた。お前のことをいとしげに、心配そうに思いだしておられたぞ、身にあまる光栄だ、わかるね?ただ、どうして当分俗界にいるようにお定めになられたのかな?つまり、お前の運命に何事か予見なさったのだろう!よいかな、アレクセイ、たとえ俗界に戻るにせよ、それは長老さまがお前に課された修業のためであって、決してはかない軽はずみや、俗世の享楽のためではないのだからね・・・」

「ゾシマ長老」は「アリョーシャ」に彼の「居場所は向こうだ」と言っています。

そして、「今のところここではない」と言っています。

「パイーシイ神父」も「どうして当分俗界にいるようにお定めになられたのかな?つまり、お前の運命に何事か予見なさったのだろう!」と言っています。

そして「今のところ」「当分の間」という条件が付いています。

少なくとも「ゾシマ長老」はカラマーゾフ家の揉め事が抜き差しならぬところまで行くことを予見しているかのようです。

「アリョーシャ」を送り出したのは、万が一の場合を回避させることを期待したからでしょうか、それとも「パイーシイ神父」が言うように本人の修行のためでしょうか。

そして、「ゾシマ長老」は「アリョーシャ」が戻ってくると信じています。


それは、この一件が片付いてからか、それとももっとはるか何十年も先のことであるかわかりませんが最終的には神のもとに戻ってくるということでしょうか。


2017年5月18日木曜日

413

いつもは毎晩、勤行のあと就寝前に、修道僧たちが長老の庵室に集まり、各人がその日犯した罪や、罪深い空想や考え、誘惑、またかりにそういうことあった場合には仲間うちの口論などまで、声にだして長老に告白することになっていました。

なかにはひざまずいて懺悔する者もありました。

長老はそれらを解決し、和解させ、訓戒を垂れ、反省を求め、祝福を与えて、退出させるのでした。

こうした修道僧たちの《懺悔》に対して、長老制度の反対者たちは、実際にはまるきり違うのに、それが秘事であるべき懺悔の俗化であり、冒涜にもひとしいと言って、攻撃していました。

なかには、こんな懺悔はいい目的をはたさぬばかりか、実際にはことさら罪と誘惑に導くものだと、監督区長に言いつける者さえありました。

修道僧たちの多くは長老のところへ行くのを重荷に感じているのですが、みなが行くため、自分だけ傲慢な反乱分子と思われたくないばかりに、仕方なく集まるのだ、と言うのでした。

修道僧たちの中には、晩の懺悔に行くにあたって、何か話す材料を作って、厄のがれをするために、あらかじめ仲間うちで『俺は今朝君に腹を立てたというから、話を合わせてくれよ』と取りきめておく者もある、などと話すのでした。

また、修道僧たちの受けとる肉親からの手紙さえ、しきたりによって最初は長老のもとに届けられ、受信人より先に長老が開封することに対して、ひどく憤っている者がいることも、彼は承知していました。

もちろん、本来こうしたことはすべて、自発的な謙譲と有益な訓戒とのために、本心から自由に行われねばならないのが建前なのですが、実際にいざ蓋を開けてみれば、時としてきわめてふまじめに、それどころかむしろ、わざとらしく偽善たっぷりに行われるのでした。

しかし、修道僧の中でも経験豊かな年長の人たちは、『おのれを救うために、本心からこの囲いの中に入ってきた者にとっては、こうした修行や献身的行為は疑いもなく有益であって、きっと大きな利益をもたらしてくれる。反対に、重荷に感じたり、不平をこぼしたりする者は、修道僧でないも同然で、修道院に入ったことが、むだなのだから、そういう者のいるべき場所は俗世間にしかない。俗世間のみならず、聖堂にいてさえ、しょせん罪悪や悪魔からおのれを守りぬくことはできないのだし、したがって罪悪を見のがす必要はまったくない』と考えて、自説を固守していました。

ここは、長老制度の賛否についての一般論となっています。

反対する者は反対するということで、理由はさまざまです。


しかし、この修道院では「ゾシマ長老」のもとでこの「晩の対話」は続けられていたということです。


2017年5月17日水曜日

412

修道院を彼はぐるりとまわり、松林をぬけてまっすぐ僧庵に行きました。

この時間にはもうだれも入れぬことになっていましたが、彼には戸を開けてくれました。

長老の庵室に入ったとき、心がふるえました。

『なぜ、なぜ自分は外に出て行ったのだろう、なぜ長老は自分を《俗世間》へ送りだしたのだろうか?ここには静寂があり、ここは聖地なのに、向こうは混乱と闇で、入っただけですぐ自分を失い、道に迷ってしまうんだ・・・』

まだ、今日の長い一日は終ってないのですね。

長老が「アリョーシャ」を《俗世間》へおくりだした理由は語られてはいませんが、彼に試練を与えるためというようなことではないでしょう。

このことはよくはわからないのですが、長老自身が宗教の世界とそれ以外の現実の世界とを超越したようなところがあると思います。

もちろん宗教の世界を絶対的に信じていることは確かですが、「フョードル」もたぶん感じていると思うのですが、それだけではないようなところがあります。

確かに修道院の外部におけるたった半日あまりで「アリョーシャ」は、とんでもない生々しい、見方を変えれば、きらきらして生き生きして、どろどろした経験に身を晒しました。

平和で静寂で繭の中でしっかりと守られた世界から荒れ狂う大波の航海に出て行く小舟のようでした。

長老は「アリョーシャ」のことを、修道院の内部にだけの人間ではなく、外の世界で何かするべき使命をおびた人物だと判断したのでしょう。

庵室には見習い僧の「ポルフィーリイ」と、終日「ゾシマ長老」の容態をききに一時間おきに寄っているという、司祭修道士の「パイーシイ神父」がいました。

「アリョーシャ」はきいて慄然をしましたが、容態はますます悪化する一方ということでした。


修道僧たちとの恒例の、晩の対話さえ、今日は行うことができませんでした。


2017年5月16日火曜日

411

「待ってくれ、アレクセイ、もう一つ告白があるんだ、お前だけにな!」

ふいに「ドミートリイ」が引き返してきました。

「俺を見てくれ、じっと見てくれ。ほら、ここに、ここのところに、恐ろしい破廉恥が用意されているんだ(『ほら、ここに』と言いながら「ドミートリイ」は拳で自分の胸をたたいたが、それもまるで胸のどこかそのあたりに破廉恥がしまわれ、保たれているかのような、ことによるとポケットに入れてあるか、でなければ何かに縫いこんで首にでも下げているみたいな、奇妙な様子だった)。俺と言う人間はお前にももうわかったはずだ。卑劣漢さ、衆目の認める卑劣漢だよ!だけど、いいか、俺が過去、現在、未来にわたってどんなことをしようと、まさに今、まさしくこの瞬間、俺が胸のここに、ほら、ここにぶらさげている破廉恥にくらべたら、卑劣さという点で何一つ比較できるようなものはないんだ。この破廉恥は、現に着々と成就されつつあるんだし、それを止めるのは俺の気持一つで、俺はやめることも実行することもできるんだよ、この点をよく憶えといてくれ!でも、俺はやめずに、そいつを実行すると思ってくれていい。さっきお前に何もかも話したけれど、これだけは言わなかったんだ、俺だってそれほどの鉄面皮は持ち合わさんからな!今ならまだ俺はやめることができる。思いとどまれば、失われた名誉の半分をそっくり明日返すことができるんだ。しかし、俺は思いとどまらずに、卑しい目論見を実行するだろうよ、お前にはいずれ、俺があらかじめ承知のうえでこの話をしたという証人になってもらうよ!破滅と闇さ!べつに説明することもないよ、いずれわかるだろうからな。悪臭にみちた裏街と、魔性の女だ!さよなら。俺のことを祈ったりしてくれるなよ、そんな値打ちはないんだから。それに全然必要ないしな、まるきり必要ないよ・・・全然要らないことだ!あばよ!」

そして彼はふいに去ってゆき、今度はもう本当に行ってしまいました。

「アリョーシャ」は修道院に向かいました。

『どうして二度と兄さんに会えないなんてことがあるだろう、兄さんは何を言っているのかな?』

ふしぎな気がしました。

『そうだ、明日必ず会って、ききだそう。いったい何のことを言っているのか、ことさら探りを入れてみよう!・・・』

ここで「アリョーシャ」はまた「ドミートリイ」を引き止めもせず返していますね。

この会話で「ドミートリイ」はいくつかの謎めいた発言をしていますが、もし「アリョーシャ」が「ドミートリイ」を引き止めて話をしていれば、これから先の展開も大いに変わっていたと思うのですが、そうする機会を「アリョーシャ」は二度も逃しています。

あしたじゃ、遅すぎるのです。

彼は胸をたたいて、ここに「恐ろしい破廉恥が用意されているんだ」と言っているじゃないですか、そして、今なら「俺はやめることも実行することもできるんだよ」と言っているじゃないですか。

カッコ書きの中は、後から思ったことかもしれませんが、(・・・何かに縫いこんで首にでも下げているみたいな・・・)と書かれています。

これは、十数年前に作者が書いた『罪と罰』の「ラスコーリニコフ」の斧を思い出さずにはいられません。

『彼は枕の下へ手を突っ込んで、その下に填め込んである肌着類の中から、ひどくぼろぼろになった洗濯もしてない古シャツを一枚さがし出した。そのぼろから幅一尺、長さ八寸ぐらいの紐を裂きとると、その紐を二重に合わせ、分厚な木綿で作った丈夫なゆったりした夏外套を脱いで、内側の左腋下へ紐の両端を縫いつけにかかった。』こうして、輪を作って台所から斧を盗んでその穴にさせば『斧を手に下げて町を歩」けるし、『斧の刃を差し込みさえすれば、斧は内側の腋の下に、途中ずっと安全にぶら下がっているわけだ』と、これは米川正夫訳『罪と罰』新潮文庫の(上)にあります。

「ドミートリイ」の会話を聞くとどうしても、彼が胸のあたりに凶器を隠し持っていて、話の成り行きから「フョードル」を殺しに行くのだろうと思ってしまいます。

これはそのように作者が仕込んでいるわけであって、「アリョーシャ」が何も気づかないのはおかしいです。

また、「ドミートリイ」は「ほら、ここに、ここのところに、恐ろしい破廉恥が用意されているんだ」というように「破廉恥」という言葉を多用しています。

その「破廉恥」とは、「人として恥ずべきことを平気ですること。人倫・道義に反すること。また、そのさま。恥知らず。」と『大辞林』で説明されています。


通常、破廉恥が用意されているなんていう使い方はされませんが、ここでは、彼が隠し持っているだろう凶器あるいは、別の何ものか、それはまだここではあきらかにされていませんが、彼がそれを使ってこれから実行することが人として恥ずべきことだということですね。