「こいつはコニャックさ!」と「ドミートリイ」は哄笑しました。
つまり、大笑いしました。
「お前は『また飲んだくれてる』なんて目で見ているな?まぼろしを信じちゃいかんよ。
嘘つきの下らぬ俗衆を信ずることなく、
おのれの懐疑を忘れよ・・・
(ネクラーソフの詩『迷いの闇の深い底から』の一節)
俺は飲んだくれてやしないよ、あのラキーチンの豚野郎の言いぐさを借りれば、《賞味している》だけさ、あの野郎はいずれ五等官にでもなって、のべつ《賞味している》をぬかしやがるだろうよ。座れよ。俺はな、アリョーシャ、お前をつかまえて、この胸に抱きしめてやりたいよ、それも押しつぶすくらい、ぎゅっとな。なにしろ俺が世界じゅうで本当に・・・本当の意味で(わかるな!わかるだろ!)愛しているのは、お前一人なんだから!」
「ドミートリイ」は最後の一句を何かものに憑かれたように口走りました。
ここで、「ドミートリイ」は「まぼろしを信じちゃいかんよ」なんて言っていますが、真実は目の前の現実の中にあるとは限らないということでしょうか。
「ネクラーソフ」の詩が続きます。
「ニコライ・アレクセーヴィチ・ネクラーソフ」は、帝政ロシア時代の詩人、雑誌編集者です。
「ネクラーソフ」の『迷いの闇の深い底から』の一部は、ドストエフスキーの『地下室の手記』第二部の冒頭にも引用されています。
この詩の、米川正夫訳・河出書房出版の「ドストエフスキー全集 別巻」による全文です。
『迷いの闇の深い底から』
わたしが迷いの闇の中から 火のごとき信念に満ちた言葉で
その淪落の魂を引き出したとき お前は深い悩みに充ちて
双の手をもみしだきつつ 身を囲んでいる悪趣を呪った
そうして追憶の鞭をふるって 忘れやすき良心を罰しつつ
お前は過ぎこし方の身の上を 残らずわたしに語ってくれた
と、ふいに両手で顔を蔽って 恥と恐れにやるせなく
お前はわっとなきだした 悩みもだえ身をふるわして
信じておくれ、わたしは多少、同情の念をいだきながら
貪るようにお前の言葉を、一つ残らず捕えていた…
すっかりわかった、不幸な女! わたしはすっかりゆるした、なにもかも忘れつくした
どうしてお前は毎時毎分、心の中で 疑いに責められていたのだ?
意味もない大衆のいうことなどに お前は服従したのか?
空虚でしかもうそつきの、大衆などを信じるな 自分の疑いなどは、忘れてしまえ
病的におびえやすい心の中に 身を削るような考えを秘めないがよい!
いたずらに、なんのためにもならないことで わが胸に蛇を暖めないがよい
わたしの家へはばかることなく悪びれず入っておいで
お前は立派な女あるじだ!
そして、「ドミートリイ」は「あのラキーチンの豚野郎の言いぐさを借りれば、《賞味している》だけさ」と言っていますが、この《賞味している》という表現は、気づきませんでしたが、「ラキーチン」の会話の中のどこかで出てきているのでしょうか。