2017年2月28日火曜日

334

「どうしたんです?」と「アリョーシャ」が声をかけます。

「それなのに俺は今日、お前に声をかけて、ここへ引っ張りこんだんだ、この今日という日をおぼえとくんだぜ-それも、やはり今日カテリーナ・イワーノヴナのところへお前を差し向けるためになんだ・・・」

「何しに?」

「彼女にこう言ってもらうためにさ、俺は今後もう絶対に彼女のところへは行かないから、よろしくとのことでしたってな」

「そんなことができますかね?」

「できないからこそ、代理としてお前を差し向けるんじゃないか。でなけりゃ、どうして俺が自分の口からそんなことが言えるね?」

「で、兄さんはどこへ行くんです?」

「裏街さ」

「それじゃ、グルーシェニカのところへですね?」と「アリョーシャ」は両手を打って、悲痛に叫びました。

そして「だったら、ラキーチンの言ってたのは本当だったんですか?僕はまた、兄さんはちょっと通っていただけで、おしまいにしたのかとばかり思っていたのに」と。

「ドミートリイ」は「アリョーシャ」を「代理としてお前を差し向ける」と言うのですが、今ここで二人が会ったのも偶然のことですので、話の勢いとしても調子のいい言い方ですね。

彼の頭の中は、いろんなことがぐるぐるとせめぎあっていて、これでなければあれ、あれでなければこれというようにあらゆる可能性が検討されているのでしょう。

そして、「・・・この今日という日をおぼえとくんだぜ・・・」と言うように、今日が「ドミートリイ」の重大な決断の日なのです。

しかし、まだ「ドミートリイ」は「グルーシェニカ」とうまくいくとは限らないわけですし、そもそもまだ今は三角関係の真っ最中なので五分五分といったところに過ぎないわけですので、相手のためにも自分のためにも余計に今の時点で自分の意思を表明しておく必要があったのでしょう。


このように「ドミートリイ」の頭の中は、自分自身に対する嫌悪感とやり切れなさや不安の他に「カテリーナ」に対する憐憫の情、「グルーシェニカ」への愛情と不信、「フョードル」への対抗意識と憎悪などあらゆる感情が渦巻いてものすごいことになっています。



2017年2月27日月曜日

333

「ちょっと待ってよ、兄さん」と、極度の不安になられて、また「アリョーシャ」がさえぎりました。

「それにしてもやっぱり、一つのことをいまだにはっきりさせてくれませんよ。兄さんは婚約者なんでしょう、とにかく婚約者なんですね?じゃ、いいなずけのあの人が望まないのに、どうして破談にしたいなんて言えるんです?」

そうでしたね、まだ肝心のこと、つまり少し前に「待ってください、兄さん。この場合、一つ大事な言葉がひっかかるんですよ。はっきり言ってください、兄さんは婚約者なんでしょ、今だって婚約者でしょう?」と質問しているのですが、「ドミートリイ」の話はずれていっています。

ここで「アリョーシャ」は、「・・・いいなずけのあの人が望まないのに、どうして破談にしたいなんて言えるんです?」とへんな言い回しをしています。

「ドミートリイ」はいろいろと事情があって一方的に結婚の約束をなかったことにしたいというわけであって、これはなにも「カテリーナ」と相談することではないのではと思われますが、「アリョーシャ」としては、両者の合意の上の婚約だから、破談にする場合も両者の合意の上でということです。

ということは、「カテリーナ」が破談に合意しているかどうかということですからこれから彼女の家へ行こうとしている「アリョーシャ」は第一にそのことを聞いておきたいわけです。

「ドミートリイ」は「俺は祝福を受けた正式の婚約者さ。万事はモスクワで、俺の到着後、聖像を前にして晴れがましく、最高の形でとり行われたんだ。将軍夫人が祝福してくれたうえ、本当の話、カーチャにまでお祝いを言っていたよ。お前はいい人を選んだ、この人ならわたしには何もかも見透しだ、と言ってね。ところが、お前には信じられないだろうが、夫人はイワンを毛ぎらいして、お祝いもしてやらないんだよ。モスクワで俺はカーチャといろいろと話し合って、俺という人間のすべてをいさぎよく、ありのまま、誠実に説明したんだ。彼女は全部きいてくれたよ。
愛らしい困惑の色をうかべ、
やさしい言葉をささやき・・・
いや、言葉は自信たっぷりなものだったがね。彼女はそのとき、品行を改めるというたいへんな約束をむりやり俺にさせたんだ。俺は約束した。それなのに・・・」

「ドミートリイ」は馬鹿ですね。


としか言いようがない。


2017年2月26日日曜日

332

「アリョーシャ」は言います。

「でも僕は、あの人が愛しているのは兄さんみたいな人で、イワンのような人じゃないと、信じていますよ」

これは、どういうことでしょうか、なぜなのかその理由を「アリョーシャ」に聞いて見たいものです。

しかし、「ドミートリイ」は言います。

「彼女が愛しているのは自分の善行で、俺じゃないんだよ」と、ふいに口をついて、心ならずも、ほとんど憎悪に近い調子で、こんな言葉がとびだしました。

そして「ドミートリイ」は笑いだしました。

しかし、一瞬後には目がぎらりと光り、顔じゅう真っ赤になって、力まかせに拳でテーブルをたたきました。

「誓ってもいいよ、アリョーシャ」と彼は自分自身に対する恐ろしい、真実の憤りをこめて、彼は叫びました。

そして、「信じようと信じまいと勝手だが、神が神聖であり、キリストがわれらの主であることにかけて誓うよ。俺は今彼女の崇高な感情をせせら笑いこそしたけれど、彼女にくらべて俺の魂が百万倍も下らないってことや、彼女の立派な感情が天上の天使に見られるような真実のものだってことは、俺も承知しているんだ!それをちゃんと承知している点に、悲劇もあるわけさ。人間がちょっとばかり演説口調で話したからといって、それがどうだっていうんだい?ほんとに俺は演説口調じゃないかね?でも俺は真剣なんだ、真剣だとも。ところでイワンのことだが、彼が今どんな呪いをこめて自然を眺めざるをえないか、俺にはよくわかるんだ、おまけにあれほどの知性をそなえていてさ!だって、選ばれたのはいったいどっちだと思う?選ばれたのは、人でなしだ。この町に来ても、すでに婚約者の身でありながら、みなの見守る中で、それもフィアンセの目の前で乱行を抑えることができないような人でなしなんだ、フィアンセの目の前でだぜ!俺みたいな男が選ばれて、イワンは振られたんだ。でも、いったいなぜだ?それは、清純な娘が感謝の念から自分の一生と運命とをむりやり凌辱しようとしているからさ!愚劣だよ!俺はそんな意味のことは、いまだかつてイワンには何一つ話さなかったし、イワンももちろん、このことに関してはついぞ一言半句も、ごく些細なほのめかしも口にしたことはないがね。だが、やがて運命が定まって、ふさわしい人間が地位につき、ふさわしくない者は永久に裏街に姿を消すことになるんだ-汚い裏街に、自分の性に合った大好きな裏街にもぐりこんで、そこの泥濘と悪臭の中で、快楽に包まれながら好きこのんで身を滅ぼしていくのさ。俺はどうも何か嘘っぱちを並べちまったな、まるで口から出まかせみたいに、言葉がみんな陳腐になっちまったけど、でも俺の決めたとおりになるさ。俺は裏街に溺れ、彼女はイワンと結婚するだろうよ」

「ドミートリイ」は力を込めて「誓ってもいいよ」と言うのですが、これは何のことを言っているでしょうか。

「カテリーナ」の崇高で立派な感情が偽物ではなく本当のものであるということでしょうか。

「ドミートリイ」は彼女が恩を返すために自分を犠牲にしていると考えていますが、そうすると二人の関係はもはや対等ではなく歪んだ関係となります。

しかし、そのように考えること自体がこの三角関係を愛という純粋な観点から考えることから遠ざけることがわかっているので、「ドミートリイ」も「イワン」もこのとこに触れることを意識的に避けているのです。

そして、「ドミートリイ」には自分だけにわかっていることがあります。

それは、彼が「カテリーナ」を捨てて「グルーシェニカ」のところに行くと決めていることです。


自分のことを『あなたご自身からあなたを救ってさしあげたいのです』とまで言ってくれている天使のような「カテリーナ」より、たとえそれが身を滅ぼすことがわかっていても、自分の欲望のおもむくままに泥濘と悪臭の中の快楽を選ぶのです。


2017年2月25日土曜日

331

「ドミートリイ」の会話の続きです。

「アリョーシャ、俺はこの文章を俺の卑しい口調で伝えるにさえ値せぬ人間なんだ!この手紙は今日にいたるまで俺の心を突き刺したんだ。いったい今の俺が気楽だと思いかい、今日の俺が楽な気持でいるだろうか?あのとき、俺はすぐ彼女に返事を書いた。どうしても自分でモスクワへ行くことはできなかったんだ、涙ながらに手紙を書いたよ。ただ一つ、永久に恥じていることがある。つまり、彼女は今や持参金つきの裕福な身なのに、俺は乞食同然のがさつ者だなんて、書いたんだよ。金のことに触れちまったんだ!そんなことは控えておくべきだったのに、つい筆がすべっちまったのさ。一方、モスクワにいるイワンにすぐ手紙を書き、その手紙で一部始終をできるかぎり説明してやった。六枚くらいの手紙になったよ。そして、イワンを彼女のところにさし向けたんだ。なんだってそんなに俺を見つめてるんだい、そうしてそんな目で眺めるんだ?そうさ、イワンは彼女に惚れちまった、今でも惚れてるさ、俺は知ってるんだ。お前たち流に世間的に見れば、俺はばかなことをしでかしたわけだが、ことによると、その愚かさだけが今や俺たちみんなを救うことになるかもしれないんだぜ!ああ!彼女がイワンをどんなに敬い、どんなに尊敬しているか、お前にはわからないかね?俺たち二人を比較して、彼女が俺みたいな男を愛せるとでも言うのかい、ましてここであんなことが起ったあとでさ?」

「ドミートリイ」は「カテリーナ」の手紙を「その手紙も今でも手もとにあるよ、いつも身につけているし、死ぬときも持って行くんだ」と言っていますので7~8年もいつも持ち歩いているということになります。

これはちょっと不自然なことですが、彼にとっては余程の影響があったのでしょう。

「ドミートリイ」はその求婚の手紙を受け取りすぐに書いた返事はおそらく断りの手紙だったのでしょうが、そこにお金のことを理由とするというような内容を書いてしまったことを「永久に恥じている」と言っています。

そして、「ドミートリイ」は真意を手紙に書き「イワン」にそれを託して「カテリーナ」に伝えたのですが、結局は婚約しているわけですから、このあたりの詳しいやりとりはどうなっているのでしょうか。

このとき「イワン」はモスクワの大学に通っていたと思います。

ここでは、また「ドミートリイ」が「カテリーナ」を愛しているのかどうかはっきりしません。

本当のことはわかりませんが「ドミートリイ」は自分自身を嫌悪しており、「カテリーナ」がそんな自分を愛すること自体に納得がいかないのでしょう。

「・・・ましてここであんなことが起ったあと」というのは、「グルーシェニカ」をめぐる大騒ぎの一件ですね。


ここまで見てくると、一見「カテリーナ」をめぐる「ドミートリイ」と「イワン」の三角関係と、「グルーシェニカ」をめぐる「ドミートリイ」と「フョードル」の三角関係があるようですが、前者のほうは、「ドミートリイ」の愛がいまひとつ曖昧であり、「カテリーナ」の愛もちょっと人類愛的な愛のようであるので、三角関係と言えるかどうか不明確であり、後者については、完全な三角関係のようではありますが、「ドミートリイ」が「グルーシェニカ」に抱く愛が「カテリーナ」への無意識的な愛の裏返しのような複雑なところがあるため、こちらも完全とは言えないかもしれません。


2017年2月24日金曜日

330

「ドミートリイ」の会話の続きです。

「これから先はごく簡単に説明しよう。モスクワに着くと彼女たちの事情は、稲妻のような早さと、アラビアン・ナイトのような意外さで急転した。彼女の大切な親類にあたる将軍夫人が、いちばん近い相続人である親しい二人の姪を、突然いっぺんに失くしたんだな。二人とも天然痘で同じ一週間のうちに死んでしまったんだ。すっかり、ショックを受けた老夫人は、カテリーナを救いの星のように、実の娘のように喜んで迎え、とびつかんばかりにして、すぐさま遺言状を彼女のために書き改めたものさ、でもこれは先行きの話で、さしあたり当座は、八万ルーブルをぽんと手渡して、さ、お嫁に行くときの持参金だよ、好きなようにお使い、と言ったそうだ。ヒステリー女だよ、俺ものちにモスクワでとくと拝見したがね。ところで突然そのころ、俺は郵便で四千五百ルーブル受けとったというわけだ。もちろん、こっちは狐につままれたみたいで、口もきけぬほどおどろいたよ。その三日後に約束の手紙がきた。その手紙も今でも手もとにあるよ、いつも身につけているし、死ぬときも持って行くんだ。なんなら見せようか?ぜひ読んでくれ。結婚を申し込んできたんだ、彼女のほうから申し出てきたんだよ。『気も狂うほど愛しております。あなたに愛していただけなくとも、かまいません。ただ、わたくしの夫になってくださいませ。でも、お恐れになりませんよう。わたくし決してあなたを束縛いたしませんから。わたくしはあなたの家具に、あなたがお踏みになる絨毯になります・・・永遠にあなたを愛したいのでございます。あなたご自身からあなたを救ってさしあげたいのです・・・』」

「ドミートリイ」の会話の途中ですが一旦切ります。

この「カテリーナ」の事件は、一体いつのことで、場所はどこなのでしょうか、わからなくなりました。

「ドミートリイ」が「フョードル」から最後のお金をもらったときですので、つまり「・・・ちょうどそのころ、俺が正式の権利放棄書を送りつけて、つまりこれで《清算》にするから、今後は何も要求しないと言ってやったのを受けて、親父が六千ルーブル送ってよこしたんだ。・・・」とありましたから、これは、自信がないのですが、7~8年前で「ドミートリイ」が21歳くらいの時で場所はモスクワでしょうか、わかりません。

この会話の部分だけ少し整理すると、「カテリーナ」の母はすでに死んでいますので、両親ともいなくなりました。

そして、母方の祖母というのは亡くなった将軍の妻です。

祖父の将軍はいつ亡くなったのかわかりませんが、娘つまり「カテリーナ」の母親が、中佐と結婚したときには、彼女は偉い将軍の娘であるにもかかわらず持参金がなかったと書いてありました。

もしも、持参金があればこのような事件はなかったかもしれませんが、中佐の浪費癖を見抜いていたから持参金を渡さなかったのかもしれません。

作者は綿密に辻褄の合わせています。


そして、驚くような展開です。


2017年2月23日木曜日

329

五 熱烈な心の告白-《まっさかさま》

ここで、〔小見出し〕と言うのでしょうか、それが変わります。

(熱烈な心の告白-《まっさかさま》)とは変わった〔小見出し〕ですね。

全体の構成を目次で確認すると、ここは、(第一部)の最後の遍である(第三遍好色な男たち)の五番目の章(五 熱烈な心の告白-《まっさかさま》)になります。

「ドミートリイ」の発言は長く、三番目の(三 熱心な心の告白-詩によせて)、四番目の(四 熱心な心の告白-異常な事件によせて)と続いて、これが最後の第五番目《まっさかさま》になります。

続けます。

「じゃ、今や僕は」と、「アリョーシャ」が言いました。

「この事件の前半を知っているわけですね」と。

少し違和感を感じますが、なぜ「アリョーシャ」は「この事件の前半」と言ったんでしょうか。

これから事件の後半が起こるということを確信しているのでしょうが、実際にはこの時点で彼の立場であれば今後事件が起こる可能性はあっても頭の中で否定すると思いますが。

「前半はお前にもわかるよ。これはドラマで、向こうで起こったことなんだ。ところが後半は悲劇で、これからここで起こるのさ」と「ドミートリイ」。

この辺は作者が自分自身と会話しているように思えます。

「アリョーシャ」は「後半のほうはいまだに僕には何もわからないけど」と言います。

「じゃ、俺には?俺にわかるとでも言うのか?」

「待ってください、兄さん。この場合、一つ大事な言葉がひっかかるんですよ。はっきり言ってください、兄さんは婚約者なんでしょ、今だって婚約者でしょう?」

「俺が婚約者になったのは昨日や今日のことじゃなく、あの出来事のわずか三ヶ月後だよ。あの事件があった翌日、俺は、この出来事はこれできれいさっぱり片がついた、続きはないんだ、と自分に言いきかせたもんさ。プロポーズしに行くのは、俺には卑劣なことに思われた。彼女のほうもそのあと六週間くらい町に暮していながら、一言の便りもよこさなかったよ。もっとも一度だけは別だがね。つまり、あの訪問の翌日、彼女のとこの小間使いがこっそりやってきて、一言も口をきかずに、封筒を渡すんだよ。封筒には、これこれこういう人にと、宛名が書いてある。封を切ってみると、五千ルーブル債権のお釣りさ。必要なのは全部で四千五百ルーブルだったし、五千ルーブル債権の売却に際して二百ルーブルなにがしの損金が生じた。だから送り返えしてきたのは、全部でたしか二百六十ルーブルだったかな、よくおぼえちゃいないけど、とにかく金だけで、手紙もなけりゃ、一言の挨拶も説明もありゃしない。封筒に鉛筆で何かのしるしでもないかと探してみたが、何もないんだな!さしあたりその残りの金で豪遊をはじめたもんで、ついには新任の少佐まで俺に譴責を食わさざるをえなくなったほどさ。ところで、中佐は官金を無事に返却して、みんなをびっくりさせた。なぜって、もはやだれ一人、中佐の手もとに金がそっくりしてるなんて予想していなかったからな。返却はしたが、中佐はどっと病の床について、三週間ほど寝たきりでいたあと、ふいに脳軟化症を起して、五日で死んじまったんだ。まだ退役になっていなかったんで、葬式は軍葬だったよ。カテリーナと、姉と、叔母は、父の葬式もそこそこに、十日ほどしてモスクワへ行ってしまった。その出発の直前、出発するその日に(僕は会いもしなかったし、見送りもしなかったんだけれど)、小さな青い封筒を受けとったんだよ。透かしの入った便箋が一枚、そこに鉛筆でたった一行、『お手紙をさしあげます。お待ちくださいませ。K』と書いてあったっけ。それだけさ」


ここで一旦切ります。


2017年2月22日水曜日

328

まだ「ドミートリイ」の話の続きです。

「心配するな、俺は長いこと引きとめたりはしなかったよ。ふりかえって、テーブルのところに行くと、引出しを開けて、五千ルーブルの五分利つき無記名債権をとりだした(フランス語辞典の間にしまっておいたんだ)。それから無言のまま彼女にそれを見せて、二つ折りにし、手渡すと、玄関へ通ずるドアを自分で開けてやって、一歩しりぞき、この上なく丁寧な、まごころのこもった最敬礼をしてやった。本当だぜ!彼女は全身をびくりとふるわせて、一瞬食い入るように見つめ、ひどく真っ青になっちまったよ、まるでテーブルクロースみたいにな。そして突然、やはり一言も言わぬまま、発作的にという感じではなく、実にやわらかく、もの静かに、深々と全身をかがめると、まともに俺の足もとにひれ伏して、額を床につけておじぎするじゃないか、女学生流のおじぎじゃなく、ロシア式にだよ!そして跳ね起きるなり、走り出て行ってしまったんだ。彼女が走り出て行ったとき、俺は軍刀を下げていた。俺は軍刀を引きぬいて、その場で自殺したくなりかけた。なぜかはわからん、ひどく愚劣なことだけど、きっと感激のあまりだろうな。お前にわかるかな、ある種の感激によっては自殺できるもんだよ。しかし、俺は自殺せず、軍刀に接吻しただけで、また鞘におさめたがね。もっとも、こんなことはお前に話さなくともよかったな。それにしても、どうやら今でさえ、こうした内心の葛藤を話す際に、俺は自分をよく見せようと、いささか尾ひれをつけたようだな。でも、かまわんさ、それでいいんだ、人間の心のスパイなんぞ勝手にしやがれだ!まあ、これがカテリーナと俺の過去の《事件》のすべてさ。つまり、今やこれを知っているのはイワンと、それにお前だけというわけだよ!」

ここで「ドミートリイ」の会話は終わりです。

要求された金額は四千五百ルーブルだったはずですが、「ドミートリイ」は気前よく五千ルーブルを渡しています。

「五分利つき無記名債権」というのはよくわかりませんので自信がないのですが、一年後の利率が二百五十ルーブル=25万円でいいのでしょうか。

この債権をフランス語辞典の間にしまっておいたというのです。

当時はフランス語辞典などを持っている人は少ないと思います。

そういった意味でも彼は自分では否定していますが相当なインテリではないでしょうか。

ちなみに、『切りとれ、あの祈る手を』(佐々木中著)の中に、ドストエフスキーがものを書いていた時期、ロシアの文盲率は九〇パーセントを超えていたと書かれていました。

そして、お辞儀の仕方は国によって違いがありますが「女学生流のおじぎじゃなく、ロシア式に」というのは、どのようなお辞儀でしょう。

また、外出の時は軍刀をさげているのですね。


こうして「ドミートリイ」は「カテリーナ・イワーノヴナ」にお金を貸したのですが、お金を貸した状態つまりこのような不均衡な関係の状態が続くことがさまざまな事件を引き起こす要因となったとも言えます。

話し終えて、「ドミートリイ」は立ちあがりました。

そして、興奮して一、二歩踏みだしました。

ハンカチを取りだして、額の汗をぬぐいました。

それからまた坐りました。

しかし、それは今まで坐っていた場所ではなく、別の壁に近い向い側のベンチでした。

そのため、「アリョーシャ」はすっかり向き直らなければなりませんでした。

二人は庭の隅の老朽化したあずまやの緑色のテーブルのまわりの緑色のベンチに坐っています。

そして、「俺は横に坐って、お前を眺めながら、すっかり話してきかせる・・・」と言っていましたから、はじめは90度の角度で話していたのですね。

それが、位置を変えて向かい側に行ったのでしょう。

こういうところの描写は細かいです。



2017年2月21日火曜日

327

「ドミートリイ」の話の続きです。

「いいかい、これらすべてにはいわば上品な仕上げを施し、したがってだれもこのことを知らぬように、また知ることもできぬようにするには、もちろん、翌日プロポーズしに行けばいいんだ。なぜって、俺は卑しい欲望の持主であれ、誠実な人間なんだからな。ところがその瞬間、ふいに何者かが耳もとでささやくじゃないか。『しかし、明日になればこういう女は、お前がプロポーズしに行ったって、出てもこないし、馭者に命じてお前を庭から放りだすにきまってるんだぞ。町じゅうに言いふらしてもけっこうよ、あんたなんかこわいもんですか、なんてぬかすんだ!』俺はちらと彼女を見た。内心の声は嘘をつかなかったよ。もちろん、そうにきまっている。俺は首根っこをつかんで放りだされるんだ、今のこの顔からも判断できる。俺の心の中で悪意がだぎり返り、何かこの上なく卑劣な商人のようなわるさをしてやりたくなった。嘲笑をうかべて彼女を眺め、今、目の前に立っている間に、小商人でなければとても言えぬような口調で彼女の肝をつぶしてやりたくなったんだよ。
『四千ルーブルですって!いや、あれはちょいと冗談を言っただけでさ、それをあなたは?あんまり人がよすぎやしませんか、お嬢さん。そりゃ、二百やそこらなら、喜んでいそいそとさしあげるかもしれないけど、四千となると、これはお嬢さん、こんな薄っぺらなことに投げだせる額じゃありませんからね。むだなご心配をなさいましたな』
こんなことを言えば、もちろん、俺は何もかもふいにして、彼女は逃げ帰るだろうが、その代り悪魔的な復讐ができることになるし、それだけでほかのすべてに相当するだけの値打ちはあるというものだ。そのあと後悔に一生泣くことになっても、今はただこの悪ふざけをやってみたい!本当の話、こういう瞬間に相手を憎悪の目でにらみつけるなんてことは、いまだかって、どんな女のときにもついぞなかったことなんだ。ところが、誓ってもいい、あのとき俺は彼女を三秒か五秒の間、おそろしい憎しみをこめて見つめていたんだよ、恋と、それも気の狂うほどの恋と髪一筋でへだたっているだけの憎しみをこめてな!俺は窓に歩みよって、凍りついたガラスに額をおしつけた。今でも思いだすけれど、額を火のように氷が焼いたっけ。」

ここで一旦切ります。

ここでの内容は、「ドミートリイ」と「カテリーナ・イワーノヴナ」のどちらが精神上の上に立つかを競う心の中での取っ組み合いのようですね。

しかも「ドミートリイ」の妄想というか、それは彼の心の中だけで行われているんですが。

「恋と、それも気の狂うほどの恋と髪一筋でへだたっているだけの憎しみをこめて」とありますが、そうは言ってもそもそも「ドミートリイ」は彼女に本当に恋しているのでしょうか、性格的には合わないように思いますが、しかしそういうことは関係ないとしても、「ドミートリイ」の美意識とはちょっと違うようにも思えますが。

とにかく、「カテリーナ・イワーノヴナ」の気位の高さは「ドミートリイ」をひどくいらいらさせ、自分の中のカラマーゾフ的ともいえる卑劣な部分に目を覚させた彼女をなおさら憎悪したのでしょう。


最後の「俺は窓に歩みよって、凍りついたガラスに額をおしつけた。今でも思いだすけれど、額を火のように氷が焼いたっけ。」は印象的なシーンですね。


2017年2月20日月曜日

326

「アリョーシャ」は「兄さん、僕には兄さんが本当のことをすっかり話してくれるのが、わかっているんです」と胸をどきどきさせながら言いました。

「アリョーシャ」はここまでの「ドミートリイ」の話の内容のことではまったくなく、妙なことを言いますね。

彼は、当然「ドミートリイ」の話は注意深く聞いていたでしょうし、同時にもう一つの視線があって、それは今ここで彼が自分のことを話しているということがどういうことか何を意味しているかを見ていたのではないでしょうか。

それがどのような視線かわかりませんが、「本当のことをすっかり話してくれるのが、わかっているんです」と妙な応対になっていると思います。

「ドミートリイ」が話はじめます。

「本当のことを話すとも。本当のことをすっかり話すとなると、自分を容赦せずに、ありのまま話さにゃならんのだ。最初にうかんだ考えは、いかにもカラマーゾフ的なものだった。俺はね、前に一度、ムカデに刺されて、熱をだして二週間も寝こんだことがあるんだよ。ちょうどそのときみたいに、今も突然、その毒虫のムカデが心臓に噛みつくのを感じたんだ、わかるかい?俺は頭から足の先まで彼女を眺めまわした。お前、あの人を見たことがあるだろう?まさしく美人だろ。ところが、あのときの彼女の美しさは、また違うんだ。あの瞬間の美しさは、彼女が高雅なのに俺のほうは卑劣漢であり、彼女がおおらかな心で父のためにわが身を犠牲にしようとする崇高さに包まれているのに、俺のほうは南京虫にすぎない、ということからきていたんだよ。しかも、彼女のすべて(3文字に上点)、心も身体もひっくるめてすべてが、南京虫であり卑劣漢である、そんな俺しだいでどうにでもなるんだからな。身体の線がはっきりわかったっけ。正直に言うと、その考えが、ムカデの考えが俺の心をしっかりとらえてしまったために、悩ましさだけで心が危うく融けて流れるところだったほどだ。もはや、どんな内心の葛藤もありえないという気がした。南京虫か、獰猛な袋蜘蛛にふさわしく、いささかの憐れみもなしに行動すればいいんだから・・・息がつまるほどだったよ。」

一旦切ります。

「ムカデ」=カラマーゾフ的で、「南京虫か、獰猛な袋蜘蛛」=「ドミートリイ」です。


崇高なものをめちゃめちゃに壊してしまいたいという衝動は三島由紀夫の『金閣寺』の主人公を思い出しました。


2017年2月19日日曜日

325

「ドミートリイ」の会話の続きです。

「ふしぎなこともあるもので、このとき、表のだれ一人、彼女が俺のところに入るのに気づいていないんだ、だから町ではこのことは結局知らずじまいさ。俺は官吏の未亡人だった二人のよぼよぼのお婆さんに部屋を借りていたんだが、これが丁寧な女たちで、俺によくつくしてくれたし、何でも言うことをきいてくれたから、俺の言いつけどおり、二人ともその後、鉄の柱みたいに口をつぐんでいてくれたよ。もちろん俺はとたんにすべてをさとったさ。彼女は入ってくると、ひたと俺を見つめた。暗い目が意を決したように大胆に見つめてはいたけれど、唇や口もとにはためらいの色が見てとれた。
『姉が申したのですが、もしわたくしがこちらへ・・・自分でいただきにあがれば、四千五百ルーブルくださるとか。わたくし、参りました・・・お金をください!』彼女はこらえきれなくなって、息を切らせ、怯えた。声がとぎれ、唇の端や唇のまわりの線がふるえはじめたっけ。おい、アリョーシャ、きいているのか、それとも眠ってるのかい?」

本当にいろいろと配慮された会話の内容で、「カテリーナ・イワーノヴナ」が「ドミートリイ」の部屋に入っていくことを「表のだれ一人」見ていなかったことも言及されています。

紙面の制限がないと言っても、ここまで何もかも気を使うことは相当な集中力のいることです。

この部分を普通に読んでいれば、ここで美人の「カテリーナ・イワーノヴナ」が道を歩いているのですから通行人の誰かが気づくでしょうし、しかも「ドミートリイ」の部屋に入って行くのですから目撃者もいるんじゃないのかと、余計なことが頭に浮かんでくるのですが、そんなことを払拭しています。

しかも、それだけではなく、「俺によくつくしてくれた」という二人のお婆さんの存在ですが、一見どうしようもない飲んだくれで無鉄砲な「ドミートリイ」を彼女たちが信頼しているということで、このことは逆に「ドミートリイ」が彼女たちをどう扱っていたかということが分かりますし、また、一人でなく二人ということは、「ドミートリイ」の扱いの平等さをも示しています。

「ドミートリイ」はここまで話して、「おい、アリョーシャ、きいているのか、それとも眠ってるのかい?」と声をかけますが、「アリョーシャ」はこの会話の肝心なところで一体どうしたのでしょう。


前のどこかに書かれていましたが、「アリョーシャ」の性格によるものですね。


2017年2月18日土曜日

324

「ドミートリイ」の話がさらに続きます。

「ところが突然、新任の少佐が大隊を引きつぎにやってきた。事務引きつぎだ。老中佐は急に発病して、動くこともできず、二昼夜というもの家にこもりきりで、官金を引き渡そうとしないんだな。町のクラフチェンコという医者が、本当に病気だと力説したもんさ。ただ俺だけは真相を詳細にわたって、ひそかに知っていた、それもだいぶ前からだよ。この金はもう四年ばかりずっと、当局の監査がすむと、そのあといつも一時消えていたものなんだ。中佐がきわめて信頼できる筋に貸し付けていたんだよ。町の商人で、金縁眼鏡に顎ひげの、トリフォーノフという男やもめの老人にさ。相手は市場へ行って、その金をしかるべく回転させ、すぐに耳を揃えて中佐に返す、しかも金といっしょに市場から土産を届ける。お土産に利息つきというわけだ。ところが今度に限って(そのころ俺は偶然、トリフォーノフの跡とり息子で、まれにみるくらい堕落しきった洟たれの青二才から、一部始終をきいたんだがね)、トリフォーノフのやつ、市場から帰っても、何の挨拶もないんだな。中佐はすぐとんで行った。『いまだかつて、あなたから何一つ拝借したことなんぞありませんよ、それに拝借できるわけもなし』と、これが返事さ。さあ、中佐は家にひきこもって、タオルで鉢巻をし、三人の女が頭のてっぺんに氷嚢をあてる騒ぎだ。そこへ突然、伝令が帳簿と命令をもって駆けつけてきた。『官金を二時間以内に、ただちに提出せよ』中佐は帳簿にサインした。この帳簿のサインを後日俺も見たがね。それから立ちあがると、軍服に着かえに行くと言って、寝室に駆けこみ、二連発の猟銃をとるなり、歩兵の弾をこめ、右足の長靴をぬいで、胸にしっかり銃をあてがい、片足で引金を探しにかかったんだ。ところが、アガーフィヤがいつか俺の言葉をおぼえていて、怪しいと思っていたので、そっと忍んできて、折りよく見つけたんだな。彼女は部屋に駆けこむなり、うしろから父親にとびつき、抱きとめた。銃は天井を射ちぬいて、だれにも怪我はなかった。ほかの連中もとびこんできて、中佐にむしゃぶりつき、銃をとりあげて、両手をおさえた・・・これはみんな、あとできいたことだぜ。そのとき俺は自分の家にいたんだよ。夕方、外出する気になった矢先で、服を着かえ、髪をとかし、ハンカチに香水をふり、軍帽をとりあげたとき、いきなりドアが開いて、目の前に、俺の部屋に、カテリーナが入ってきたじゃないか。」

ここでまた切ります。

「ドミートリイ」は何でも知っていますね。

短い中にも十分に物語の要素が凝縮されていて面白い内容です。

「ドミートリイ」が「トリフォーノフ」の「跡とり息子で、まれにみるくらい堕落しきった洟たれの青二才から、一部始終をきいた」と言うのですが、こんな人間からこのような大事な話を聞いたということは、普段の「ドミートリイ」の生活がどんなものなのか何となく想像できます。


また、彼が「アガーフィヤ」を怒らせた会話もここで重要な役目を果たしていますし、彼女がそのことを全部、妹の「カテリーナ・イワーノヴナ」に話していたということが肝心なことでこれで物語が厚みを持ち読者を納得させながら進行していきます。


2017年2月17日金曜日

323

「ドミートリイ」の話が続きます。

「ちょうどそのころ、俺が正式の権利放棄書を送りつけて、つまりこれで《清算》にするから、今後は何も要求しないと言ってやったのを受けて、親父が六千ルーブル送ってよこしたんだ。あのころ、俺は何もわからなかったからな。俺はね、今度ここへ来るまで、いや、ごく最近まで、ひょっとすると今日という今日まで、親父との間のこうした金銭上の争いについて何一つわからずにいたんだよ。が、そんなことはくそくらえだ、あとまわしにしよう。ところで、その六千ルーブルを受けとったあと、俺は友人からの一通の手紙で、ふいにきわめて興味ある一つの事実をはっきり知ったんだ。ほかでもない、うちの中佐が経理乱脈の疑いで、不興をこうむっている、というのさ。一口に言や、彼の敵たちの仕組んだお膳立てなんだがね。ところが本当に師団長がのりこんできて、こっぴどく叱りとばしたんだ。それからしばらくして、辞表を出せという命令さ。事のいきさつを、お前にこまごま話す気はないが、たしかに彼には敵があったんだよ。ただ突然、彼とその家族に対する町の態度が極端に冷淡になって、まるでみんながふいに退却したようだったな。俺が最初の手を打ったのは、そのときなんだ。ずっと友情を保ちつづけてきたアガーフィヤにひょっこり出会ったんで、こう言ってやったのさ。『お父さんの手元で、公金が四千五百ルーブルなくなったんですよ』『どうしてそんなことをおっしゃるの?この間将軍がいらしたけれど、全額ちゃんとありましたもの』『あのときはあっても、今はないんです』彼女ひどく肝をつぶしちまってさ。『おどかさないでちょうだい、いったいだれからおききになったんですの』『ご心配なく、だれにも言いませんから。あなたも知ってのとおり、こういうことに関しちゃ、僕は口が固いんです。ただ、この問題でやはりその、いわば《万一の用心》にという形で、言い添えておきたいんですがね。お父さんが四千五百ルーブル要求されたとき、手もとになかったりすると、それだけで軍法会議ものですし、そのあとあんなお年で兵卒に降等処分ということになるでしょうね。だったら、いっそお宅のあの女学生さんをこっそり僕のところによこしたらどうです。僕はちょうど金を送ってもらったところだから、四千ルーブル気前よくさしあげてもいいし、神かけて秘密は守りますよ』『まあ、汚ない人ね、あなたって!(本当にこう言ったんだよ)なんて悪い、汚らしい人かしら!よくもそんなことを!』彼女はひどく怒って行ってしまったけど、俺はそのうしろ姿に向って、秘密は絶対に固く守るからと、もう一度叫んでやったんだ。あらかじめ断わっておくけれど、あの女たちは二人とも、つまり、アガーフィヤも叔母さんも、この一件では清純な天使だったのさ。気位の高い妹のカーチャを本当にあがめ、自分たちは卑下しきって、彼女の小間使いになりきっていたんだよ・・・ただ、アガーフィヤはこのいきさつを、つまり俺との話を妹に伝えてくれさえすりゃいいのさ。あとで俺はすべてをはっきり聞きだしたんだが、彼女は包み隠さず話しちまったんだよ、もちろん、それこそこちらの思うつぼだったがね。」

長いので一旦切ります。

「ちょうどそのころ」というのは、あまり自信がないのですが、7~8年前で「ドミートリイ」が21歳くらいの時でしょうか。

21歳というとかなり若いですね。

六千ルーブルは六百万円くらいですが、その若さでよくいやらしい駆け引きをしたものだと思いますが、「カテリーナ・イワーノヴナ」の態度が気にいらなくてした「仕返し」と言うことですね。

それにしても、友達である「アガーフィヤ」を使ってひどいことをしていると思いますが、これも、「カテリーナ・イワーノヴナ」と「アガーフィヤ」「叔母さん」の関係が気に入らないのでそんなことをしたのでしょう。

「ドミートリイ」は「気位の高い」ことを非常に嫌っており、「カテリーナ・イワーノヴナ」の自尊心をへしおってやろうと思ったのでしょうが、こんなことまでするということは反対にどこか彼女に惹かれるところがあったのだと思います。


それから、中佐の経理乱脈のことで師団長がやってきて辞表を出せと言ったあとで将軍がきて、そのときは全額があったということだと思いますが、師団長の時にはお金がなくて、将軍の時にはあったということになります。


2017年2月16日木曜日

322

「ドミートリイ」の話の続き。

「でも、器量はいかにもロシア風で、なかなかわるくなかったし、背が高く、むっちりと肉づきがよくって、顔はまあいくらかぎすぎすしていたものの、目が実にきれいなんだ。いっこう嫁に行こうとせず、二度も縁談があったのに、断って、快活さをなくさないんだよ。俺はこの娘と仲よくなった-といっても、妙な意味じゃないぜ、そうじゃないんだ。きれいな仲で、ただの友達付合いだよ。俺はよくいろいろな女性と、まったくきれいな、友達としての付合いをしてきたからな。俺はよく彼女を相手に、それこそわっと耳をふさぎたくなるような露骨なことをしゃべったけれど、彼女はけらけら笑うだけなんだ。たいていの女は露骨な話を好むもんだぜ、おぼえとけよ、そこへもってきて相手がまだ娘だってことが、俺にはひどく楽しかったんだな。おまけにもう一つ、彼女をお嬢さんとよぶのは、どうにもむりなんだよ。叔母さんといっしょに父親のもとで暮していたんだが、どういうわけかみずから卑下して、社交界の他の連中と対等に付き合おうとしないんでね。でも、みんなに愛されていたし、腕のいい裁縫師だったから、必要とされてもいた。才能もあるうえ、仕立代をとらずに、好意でやってくれるんだ。もっとも、お礼をあげれば、断わりはしなかったけどね。ところで、当の中佐となると、大違いさ!中佐は町いちばんの名士の一人だったからな。派手な暮しぶりで、やれ晩餐会だ、舞踏会だと、町じゅうを招いたもんだ。俺が赴任して、大隊に入ったころ、ちょうど、もうすぐ首都から中佐の二番目の令嬢がこの町にお見えになるという噂が、町じゅうに流れはじめた。なんでも絶世の美人で、首都のさる貴族女学校を卒業したばかり、ということだった。この二番目の娘というのが、ほかでもない、あのカテリーナで、こっちはこう二度目の細君の子供なんだよ。二度目の細君てのは、もう故人だったけれど、さる名門の偉い将軍の娘だったとかで、もっとも、俺が確実に知っているかぎりじゃ、やはり持参金は全然持ってこなかったそうだ。つまり、いい親戚はあっても、先行きなにがしかの希望を除けば、それだけのことで、現金は何もなかったんだ。ところで、いよいよその女学校出がやってくるや(といっても、すっかり帰ってきたわけじゃなく、遊びにきただけなんだが)町全体がすっかり面目を一新したようになって、いちばんの上流夫人である、将軍夫人ふたりと、大佐夫人ひとりをはじめ、みながそれにつづいてすぐに仲間入りして、彼女をちやほやし、楽しませにかかって、舞踏会だのピクニックだのの女王に祭りあげ、お付きの家庭教師か何かのためには活人画なんぞ催してやる始末さ。俺は口をきこうともせず、遊びまわっていたし、町じゅうが大騒ぎするような、ある突拍子もないことをやってんけたのも、まさにそのころだったよ。気がつくと、ある日、砲兵大隊長の家でだったが、彼女が俺を頭から足の先まで眺めていたことがあった。でも、そのときはこっちはそばにも寄らなかったんだ。お付合いなんぞ願い下げだ、と言わんばかりにね。俺が彼女に近づいたのは、その後もう数日たってからで、やはり夜会の席で話しかけたんだが、相手はろくに見ようともせず、軽蔑するように唇を結んでるじゃないか。今に見ろ、仕返ししてやるから、と思ったね!俺は当時たいていの場合、おそろしく礼儀知らずだったし、自分でもそれを感じていたもんだよ。肝心なのは、《カーチェニカ》(訳注 カテリーナの愛称)が無邪気な女学生というわけじゃなく、気性のしっかりした、気位の高い、事実また品行方正な女性で、なによりも知性と教養をそなえた人間なのに、俺にはそのどちらもないってことを感じた点なんだ。俺がプロポーズする気になったとでも思うかい?とんでもない、俺がこんなイカす若者なのに、彼女が感じてくれないことに、仕返ししようと思っただけさ。が、さしあたりは放蕩三昧と荒くれってわけだ。ついには中佐が営倉に三日間ぶちこんだほどだったよ。」

会話の途中ですがここで切ります。

ここまでの内容は、昔「ドミートリイ」が上司の娘ふたりにどうしたこうしたという話で、うちひとりがあの「カテリーナ・イワーノヴナ」ということです。

この時の任務地はコーカサスだと思うのですが、そこに中佐と叔母さんと「アガーフィヤ・イワーノヴナ」が住んでいて、「カテリーナ・イワーノヴナ」は一時的に遊びに来ているだけですの、彼女はどこに住んでいるのでしょうか。

作者はお金のことは気を使っていて、中佐の二番目の妻が偉い将軍の娘であるにもかかわらず持参金がなかったということをきちんと書いており、ここでも今後の展開から読者がお金のことについてひっかかることを前もって予想しているかの注意深さです。

そして、「カテリーナ・イワーノヴナ」ですが、最初彼女が「ドミートリイ」のことに興味をもったようですが、彼は町じゅうにちやほやされていることが気に入らなかったのか、それ以外の理由からか知りませんが、彼女を無視する態度をとり、その後数日たって「ドミートリイ」の方から声をかけたときに、今度は彼女が無視するような態度をとったことに彼は頭にきたと言っています。

これは、たぶんその数日の間に、父親である中佐からか誰からかが「ドミートリイ」の普段の行状について悪く言ったからなのでしょう。


「活人画」とは、「ウィキペディア」では「活人画(仏: Tableau vivant)とは、適切な衣装を身につけた役者や芸術家の集団が、注意深くポーズをとって絵画のような情景を作ること。しばしば、演劇的な照明を伴う。展示している間は、演者はしゃべったり動いたりしない。したがって、この手法は絵画や写真といった芸術手法と結合し、現代の写真家を惹きつけた。タブロー・ヴィヴァンとも。活人画が最も人気を呼んだのは、19世紀のヌードの活人画であった。」と書かれていました。


2017年2月15日水曜日

321

やっと「ドミートリイ」の話が本題に入ります。

「なにしろ俺は国境守備隊の砲兵大隊でこそあったけれど、監視つきと同じようなもので、まるで流刑囚なみだったんだよ。でも、町の連中はおそろしく歓待してくれたっけ。俺が派手に金をばらまくもんだから、金持だと信じていたし、俺自身もそう信じこんでいたんだ。もっとも、きっとほかにもどこか気に入られるようなところがあったんだろうな。吞込み顔にうなずいてこそいたけど、とにかく目をかけてくれたもの。ところが俺のとこの中佐殿が、もう年寄りのくせに、ふいに俺を毛ぎらいしはじめてさ。難癖をつけやがるんだ。しかし、こっちには後楯があったし、おまけに町じゅうが俺の味方とあって、そうそう難癖をつけるわけにもいかなかったがね。俺のほうもわるかったんだ、当然の敬意をことさら払わなかったんだから。いい気になってたんだな。この頑固爺さんは、人間は実にわるくないし、善良この上もなく客好きで、かつて二度結婚して、二度とも死に別れなんだ。最初の細君は平民かなにかの出で、娘を一人残したんだが、これも庶民的な娘だった。俺のいた当時、すでに二十四、五で、父親と、死んだ母親の妹にあたる叔母さんといっしょに暮していた。叔母さんというのは、口数の少ない素朴な人だったし、姪、つまり中佐の姉娘はきびきびした素朴な娘だった。もともと俺は、思い出話をするときには、いいことばかり言うのが好きな男だけど、この娘ほど魅力的な性格の女性はいないな。アガーフィヤという名でさ、どうだい、アガーフィヤ・イワーノヴナ(訳注 農民などに多い名前)というんだぜ。」

ここで一旦切ります。

作者自身も政治犯としてシベリヤへ送られ、オムスク監獄で四年間苦しい徒刑生活を送り、その後五年間セミパラチンスクで軍務に服したそうです。


「姉娘」は「あねむすめ」と読み、年上の娘のことです。


2017年2月14日火曜日

320

「ドミートリイ」は「黙ってくれ、アリョーシャ、黙るんだ。まったくお前の手に接吻してやりたいよ、感動のあまりな。あの悪女のグルーシェニカは人間を見る目があるな、いつぞや俺に言ってだぜ、そのうちきっとお前を食べちゃうって。いや、黙る、黙るよ!けがれた世界をぬけて、蝿に汚されてた舞台から、俺の悲劇に移ろう、これだってやはり蝿に汚された、つまりありとあらゆる低劣さに汚れはてた舞台なんだがね。要するに、清純な娘を誘惑した一件で、さっき親父がいい加減なことを言いはしたものの、実際、俺の悲劇の中には、たった一度だけ、それも成立しなかったとはいえ、そういうことがあったんだよ。親父はありもせぬ作り話で俺を非難したくせに、この一件は知らないんだからな。俺はいまだかつて、だれにも話したことがないし、今はじめてお前に話すんだ。もちろん、イワンは例外だよ、イワンは何もかも知っている。お前よりずっと先に知っているんだ。でも、イワンは墓石だからな(訳注 口が固いという意味)」と言いました。

「アリョーシャ」が自分も卑しい情欲があると吐露したことで、「ドミートリイ」がいかに感動したかがわかります。

おそらく、「ドミートリイ」も「アリョーシャ」の清廉潔白さには疑問があったのでしょう、正直に話してくれてうれしいと同時にそれ以上聞きたくない気持ちなのですね。

そして「ドミートリイ」が「グルーシェニカ」も「アリョーシャ」に対してそういった意味の性的なことを言っていたことがあると話しはじめてので、「アリョーシャ」はたぶん顔を赤くしてそれ以上の話しを聞くことを拒む様子だったんだと思います。

それにしても、「ドミートリイ」がいかに「イワン」を信頼しているかがよくわかります。

「アリョーシャ」は言います。

「イワンが墓石ですって?」

「うん」

「アリョーシャ」はきわめて注意深くきいていました。

「アリョーシャ」は「イワン」のことをどう思っているのでしょう。

「ドミートリイ」も「アリョーシャ」も今日の修道院での会合を計画したのが「イワン」だということを知りません。

「ドミートリイ」は信頼の置ける「イワン」に何もかも正直に話しているのでしょうが、「イワン」は今日の会合の計画のことも話してないのです。

また、「ドミートリイ」も「アリョーシャ」も「イワン」が「ラキーチン」のことを小馬鹿にしたようなことを言っていたことを知っています。

「アリョーシャ」の発言「イワンが墓石ですって?」は、「ラキーチン」のことを「イワン」がぺらぺら喋っていたことを知っているからでしょう。


「アリョーシャ」は「イワン」が突然のように自分に興味を失ったこともそうですが、親友が非難されたこともあって、「イワン」のことについては、尊敬していると同時に何か引っかかるものがあったと思います。


2017年2月13日月曜日

319

「僕が赤くなったから、そんなことを言うんですね」と、「アリョーシャ」がだしぬけに言いました。

これは、「ドミートリイ」の会話中の「俺は卑しい欲望をいだき、卑しさを愛する男でこそあるけど、恥知らずじゃないんだよ。」の所に対応しており、ここで「アリョーシャ」は「おや、赤くなったな、目がかがやいたぞ」と言われています。

「アリョーシャ」は言います。

「僕が赤くなったのは、兄さんの話のせいでもなけりゃ、兄さんのしたことに対してでもなく、僕も兄さんとまったく同じだからなんです」

「お前がだって?おい、ちょっと無理したじゃないか」と「ドミートリイ」。

ここは、ユーモア精神にあふれていますね。

「アリョーシャ」もそんなことは、ここで言わなくてもいいと思いますが、ここではそれを言った方がいいと判断したのでしょう。

「いいえ、無理してるわけじゃないんです」

しかし、「アリョーシャ」はむきになって言いました(どうやら、この思いはもうだいぶ前から心にあったようだった)。

そして、続けて「しょせん同じ階段に立っているんですよ。僕はいちばん下の段だし、兄さんはもっと上の、どこか十三段目あたりにいるってわけです。僕はこの問題をそういうふうに見ているんですよ、しかしどっちみち同じことで、まるきり同類なんです。いちばん下の段に足を踏み入れた者は、どうせ必ず上の段までのぼっていくんですから」

卑しい情欲の階段というわけですね。

「十三段目あたり」というのは、次は処刑台というような意味でしょうか。

「じゃ、つまり、全然足を踏み入れずにいるべきなんだな?」

「できるなら、まるきり足を踏み入れないことですね」

「で、お前はできるのか?」

「たぶんだめでしょうね」

「ドミートリイ」としては、「アリョーシャ」の予想もしかなった突然の告白に驚いたことでしょう。


まして「ドミートリイ」は、「リーザ」が「アリョーシャ」に恋心をいだいており、「アリョーシャ」もまんざらでもないことを全く知らず、ただ真面目に修道院生活を送っているだけだと思っていたと思いますから。


2017年2月12日日曜日

318

「ドミートリイ」の会話の続きです。

「ところで、俺がそれをだれにも話さず、悪い評判も広めもしなかったことに、注意してほしいんだ。俺は卑しい欲望をいだき、卑しさを愛する男でこそあるけど、恥知らずじゃないんだよ。おや、赤くなったな、目がかがやいたぞ。こんな汚らわしい話は、お前にはもう十分だ。でも、こんなのはまだ、どうってことはないんだぜ、ポール・ド・コック(訳注 十九世紀フランスのメロドラマ作家)流の小手しらべさ、もっとも、残忍な毒虫はすでに育って、心の中でずんずん大きくなってはいたけれどな。これは、お前、完全に一冊の思い出のアルバムになるよ。神さまがあのかわいい娘たちに健康を授けてくださるといいんだがね。俺は女と手を切る際にも、いがみあわないのが好きなんだ。だから、決して秘密は洩らさないし、一度だって悪い評判を広めたことなんぞないよ。しかし、もういいや。まさかお前だって、こんな下らん話のために、わざわざここへよんだなんて、思わんだろう?そうじゃないさ、もっと興味のあることを話してやるよ、だけど俺が恥じ入りもせず、まるで嬉しがってるみたいだからって、おどろかないでくれよ」

ポール・ド・コックは、作者が若いころ愛読していた大衆作家だそうで、『白痴』にも出てきます。

彼は「いつまでも友人でいる最善の方法は、友人に金を貸さず、友人から金を借りないことである」などという言葉を残しています。

「ドミートリイ」は自分で「俺は卑しい欲望をいだき、卑しさを愛する男でこそあるけど、恥知らずじゃないんだよ」と言っていますが、私は前に(313)で「カラマーゾフ」的ということは①厚顔無恥の恥知らず、②色好み、③卑しい情欲、④神がかり行者、⑤愚か、⑥正直、⑦強欲と書きましたが、彼は①ではないようですし、④も⑦もないかもしれません。

ということは彼の性格を勝手に脚色すれば、かなり色好みで内面にはどうしようもない卑しい情欲を持ち合わせているが、ある面では人間としてのプライドが高いところもあり、また逆にある面では愚かなほど自分の気持ちに正直になれるところもある、ということでしょうか。

「ドミートリイ」の自己分析は客観的で徹底しており、今彼が生きるか死ぬかののうな緊迫した状況にいるとしても、それをそのまま相手に表現しているところは、普通の人間にはできないことだと思います。


それにしても「完全に一冊の思い出のアルバムになるよ」というセリフはおもしろいですね。


2017年2月11日土曜日

317

会話の続きです。

「でも、俺はいつも裏街が好きだった。広場の裏の、ひっそりとした暗い横町がさ・・・そこには冒険が、思いがけぬ楽しみがある。泥濘(ぬかるみ)の中に天然の宝がひそんでいるからな。俺は比喩的に言ってるんだぜ。俺のいた町には実際にそんな裏街はなかったけれど、精神的にはあったんだ。しかし、もしお前が俺みたいな人間だったら、これがどういう意味か、わかってくれるだろうにな。俺は頽廃を愛し、頽廃の恥辱をも愛した。残酷さを愛した。これでも俺は害虫じゃないだろうか、毒虫じゃないだろうか?さっき言ったとおり、カラマーゾフだからな!一度、町じゅうでのピクニックがあって、七台のトロイカでくりだしたんだ。冬のこととて、真っ暗な橇(そり)の中で、俺は隣にいた娘の手を握りはじめて、強引にキスまで持っていった。可憐な、いじらしい、おとなしくて素直な、官吏の娘だったがね。させてくれたよ、暗闇の中でずいぶんいろいろなことを許してくれた。かわいそうに、明日にも俺が迎えに行って、プロポーズするものと思っていたのさ(なにしろ、大切なことに、俺は花婿候補として高く買われていたからな)。ところが俺はそのあと一言も彼女と口をきかずだ、五ヶ月もの間ただの一言もかけなかったんだよ。よくダンスなんぞしているとき(あそこじゃ、のべつダンスをしたもんさ)、広間の隅からその子の目がじっと俺を見守っているのに気づいたし、その目が炎に、おとなしい怒りの炎に燃えているのに気づきもした。そういう遊びは、俺が体内に飼っている虫けらの情欲を楽しませてくれるばかりなんだ。五ヶ月後に、その子は役人と結婚して、町を離れていったっけ・・・俺を恨み、それでもやはり、おそらく愛しつづけながらな。今じゃ幸せに暮らしてるよ。」

会話の途中ですが、ここで一旦切ります。

「ドミートリイ」は、まだ本題に入っていないですね。

しかし、近づいています。

これは彼の自己分析です。

人間も精神がなければ動物であって悩むこともないでしょうが、両方を持ち合わせているので、複雑になってきます。

「ドミートリイ」の話も、表面にあらわれた現象だけをなぞれば、そんな人間はいるでしょうし、そんなことは世間ではよくあることと言えるでしょう。

しかし、「ドミートリイ」の自意識は考えつづけ、その考えに今度は自己が規定され、その結果、それを自分の中にある特別な傾向性と捉えるのです。

そう考えるには、相手を理解し、客観性をもたせるための、もう一つの視点が彼の中にあるということです。

人間関係特に男女間においては一筋縄ではいかないのですが、そこに自己をみる機会があるかもしれません。


この会話は、「でも、俺はいつも裏街が好きだった。」からはじまっていて思いつきの無駄話っぽかったのですが、実は全然無駄のところのない、最初から実によく考えられた会話だと思います。


2017年2月10日金曜日

316

四 熱烈な心の告白-異常な事件によせて

「ドミートリイ」は自分で言うように、やっと本題に入ります。

「向うで俺はよく遊んだものさ、さっき親父は、俺が若い娘をたらしこむのに何千ルーブルずつも使ったなんて言ってたな。あれは下劣な妄想で、一度だってそんなことはなかったよ。あったとしても、だいたい《あのこと》に金なんぞ必要としなかったしな。俺にとって金なんぞ、アクセサリーさ、魂の熱気だよ。小道具なのさ。今日、レディが俺の彼女でも、明日は町の売春婦がその後釜という寸法だ。俺はそのどっちも楽しませてやるし、金は湯水のようにばらまく、やれ音楽だ、どんちゃん騒ぎだ、ジプシーだって具合にな。必要なら、女にも金をやるさ。なぜって受けとるからな、こいつは白状せにゃならんけど、目の色を変えて受けとるもんだぜ、それで喜んで感謝するしさ。貴族の奥さんたちも俺を愛してくれたっけ、みんながみんなというわけじゃないが、ちょいちょいそんなことがあったよ。」

「ドミートリイ」の会話はまだ続きますが、長いのでここで一旦切ります。

ここまでは、彼の自慢話です。

「向うで俺はよく遊んだものさ」というのは、軍務につき将校になったコーカサスのことでしょうか。

そして、「さっき」「フョードル」に言われたことを否定しています。

「さっき」と言ってもここまで長い文章が続いていますので、なかなか実感がわかないのですが、あの修道院の騒ぎからわずか二~三時間しかたっていないでしょう。

もしかするともっと短いかもしれません。

とにかく、その時「フョードル」は「ドミートリイ」について「前に勤務していたところでは、清純な娘さんを誘惑するのに、千の二千のと札びらを切ったものだし」なんてことを発言おりますし、さらに「ドミートリイ君、すっかりばれてるのだよ、ごく内緒の細部にいたるまでね。証明してみせようか・・・」とはったりまできかせています。

また、「ドミートリイ」は自らの金銭感覚を披露していますが、生活のために苦労してきた「イワン」が聞いたら驚くことでしょう。

要するにお金のことは、徹底的に馬鹿にして、自分はそんなものには執着していないし、お金がなくても女性にもてたということが言いたいのでしょう。


逆に言えば、金離れがいいから女性にもてていたとも言えるのですが、本人はぜんぜんそんなことには気がついてないようで、「こいつは白状せにゃならんけど」云々などと、一般常識からかけ離れた能天気なことを言っています。


2017年2月9日木曜日

315

「ドミートリイ」はまだまだ会話を続けます。

「だが、詩はもうたくさんだ!つい涙なんぞ流したが、泣かせといてくれ。たとえみんなが笑うような愚かしさだとしても、お前は違うものな。ほら、お前だって目がかがやいているじゃないか。詩はもういい。今度はお前に《虫けら》のことを話したいんだよ、神に情欲を授けてもらったやつらのことをな。

情欲は虫けらに与えられたもの!

俺はね。この虫けらにほかならないのさ、これは特に俺のことをうたっているんだ。そして、俺たち、カラマーゾフ家の人間はみな同じことさ。天使であるお前の内にも、この虫けらが住みついて、血の中に嵐をまき起すんだよ。これはまさに嵐だ、なぜって情欲は嵐だからな、いや嵐以上だよ!美ってやつは、こわい、恐ろしいものだ!はっきり定義づけられないから、恐ろしいのだし、定義できないというのも、神さまが謎ばかり出したからだよ。そこでは両端が一つに合し、あらゆる矛盾がいっしょくたに同居しているからな。俺はひどく無教養な人間だけれど、このことはずいぶん考えたもんだ。恐ろしいほどたくさん秘密があるものな!地上の人間はあまりにも数多くの謎に押しつぶされているんだ。この謎を解けってのは、身体を濡らさずに水から上がれというのと同じだよ。美か!マドンナ(訳注 聖母マリヤのこと)の理想から出発しながら、最後はソドム(訳注 古代パレスチナの町。住民の淫乱が極度に達し、天の火で焼かれた)の理想に堕しちまうことなんだ。それよりもっと恐ろしいのは、心にすでにソドムの理想をいだく人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青春時代のように、本当に心を燃やすことだ。いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね。何がどうなんだか、わかりゃしない。そうなんだよ!理性には恥辱と映るものも、心にはまったくの美と映るんだからな。ソドムに美があるだろうか?本当を言うと、大多数の人間にとっては、ソドムの中にこそ美が存在しているんだよ-お前はこの秘密を知っていたか、どうだい?こわいのはね、美が単に恐ろしいだけじゃなく、神秘的なものでさえあるってことなんだ。そこでは悪魔と神がたたかい、その戦場がつまり人間の心なのさ。もっとも、人間てのは、痛むところがあると、その話ばかりするもんだ。それじゃ、いよいよ本題に入ろうか」

「ドミートリイ」は自分は情欲を与えられた虫けらであり、カラマーゾフ家の人間はみんなそのような虫けらが心に住みついていて、情欲が嵐を起こすのだと言っています。

それから、いきなり美の話になります。

「ドミートリイ」はこう言っていました。

「まさにそういう屈辱的な状態で堕落するのこそ本望だ、それをおのれにとっての美と見なすような人間だからなんだ。」

つまり、「ドミートリイ」にとっての美ということですが、この美は普遍性があるのでしょうか。

もしかりに、あなたにとって美とは何ですかと聞かれればどう答えればいいのでしょうか、そんなことを考えます。

「ドミートリイ」の心の中は坩堝のようですね。


マドンナの理想とソドムの理想、理性と心、美と恥辱、悪魔と神が入り混じっています。


2017年2月8日水曜日

314

「ドミートリイ」の話はまだ続きます。

そして再び詩の引用です。

「神の子なる人の魂を
永遠の喜びはうるおし、
発酵の神秘な力もて
生の杯を燃えあがらせ、
小草を光にいざない、
混沌を育てて太陽となし、
星占いの力にあまる
広大な空間にみちあふれる。

恵み深き自然の乳房より
生あるものすべてこの喜びを吸い、
すべての生きもの、すべての民を
この喜びがひきつける。
不幸に沈むわれわれに友と、
ぶどうの露と、美の女神の冠とをさずける。
情欲は虫けらに与えられたもの、
だが天使は神の御前に立つ。
(訳注 これがシラーの『歓喜の歌』第四節、第三節であるが、詩句はだいぶ異なっている)」

訳注にあるように、これが『歓喜の歌』ですが、「ドミートリイ」が「俺はこの告白を・・・シラーの歓喜の歌で・・・はじめたいんだ。」と言っていたように、これからはじめようとしている告白の前奏曲のようなものです。

シラーの『歓喜の歌』は、ベートーヴェンの第九の歌詞として使われているので有名ですね。

しかし、第九では、ベートーヴェンの創作が入っていますのでかなり違うものになっています。

シラーの詩作品「自由賛歌」(Hymne à la liberté 1785年)がフランス革命の直後ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われており、そこで詩を書き直した「歓喜に寄せて」(An die Freude 1803年)にしたところ、これをベートーヴェンが歌詞として1822年 – 1824年に引用書き直したものとのことです。

また、ベートーヴェンが実際に交響曲第9番ニ短調『合唱付』作品125の第4楽章の歌詞に織り込むにあたって、3分の1ほどの長さに翻案しており、冒頭にバリトン歌手が独唱で歌う“おお友よ、このような歌ではなく…”は、ベートーヴェンが自分で考えたものであり、シラーの原詩にはない。

「ウィキペディア」でシラーの『歓喜に寄せて』は以下のようになっています。

「歓喜に寄せて」
歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての存在は
自然の乳房から歓喜を飲み
すべての善人もすべての悪人も
薔薇の路をたどる

自然は口づけと葡萄酒と 
死の試練を受けた友を与えてくれた
快楽は虫けらのような者にも与えられ
智天使ケルビムは神の前に立つ

神の壮麗な計画により
太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように
兄弟よ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
愛する父がおられるのだ

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう

これは、「ドミートリイ」の引用とはかなり違っています。

ドイツ語のロシア語訳がどのようなものであったかわかりませんが、この詩の言わんとするところはわかりますが、詩句は訳とは言えぬくらい違っています。


これでいいのだろうかと思いますが、「ドミートリイ」の引用として書かれていますので、いいのでしょう。