2016年4月30日土曜日

30

当時は、結婚のときに女性は持参金などを渡すというのが常識だったのでしょう。

「ソフィヤ・イワーノヴナ」は結婚を反対されましたから、そんなものはありませんでした。

それに、「フョードル」の方は勝手に、首を吊るほどの悪状況から彼女を助け出してやったのだと思い上がっていました。

そんなことで彼は「ソフィヤ・イワーノヴナ」が負い目を感じて《うしろめたい》気持ちでいるのをいいことに、さらに、「めったにみられぬほどの彼女の素直さやおとなしさをいいことに」好き放題をはじめるのです。

なんということか、家へ、それも妻がいるところへ、いかがわしい女たちを呼んで、乱痴気騒ぎをしたのですから驚きます。

以前に「アデライーダ」が男と出て行ったときにも、やけになり「わが家に完全なハレムと、放埓きわまる酒盛りをくりひろげ」ていましたが、今度は新たしい夫人が在宅中にそうのようなことをしたのです。

このとんでもない行為や、一連の一貫した悪を実行してみせる「フョードル」には、何かわかりませんが、自分なりの論理とういうか、言い訳があるのでしょう。

これは人の気持ちを考えないというより、そんな常識や世間体のようなことに対して、楯つく行動です。

彼は、世の中を恨んでいるのでしょうか、それもあるかもしれません。

しかし、自分の妻や子に対する今までの行為をみても、彼の心の中にはもっと別の種類の、深い、暗い何かがあるように思います。


2016年4月29日金曜日

29

作者の言い方では、こうなっています。
「哀れな少女は恩人を女から男に取りかえたのだった」と。

この結婚は当然、「女」の「恩人」である「ヴォロホフ将軍の未亡人」から大反対されました。
彼女は、怒っただけでなく、二人を呪ったほどでしたので、持参金などもちろんありませんでした。

お金に目のない「フョードル」も今回ばかりは持参金などは当てにしていませんでした。
というのは、「ソフィヤ・イワーノヴナ」の清純なすばらしい美貌に魅惑されたのです。

「これまで女性の下品な美しさばかりを背徳的に愛してきた色好みの彼をぎくりとさせた」ほどの「清楚な容姿」に「ひとりやにさがっていた」そうです。

そして、「あの清らかな目が、あのとき、剃刀みたいに俺の心をざくりと切り裂いたんだよ」と「あとになって彼は、彼一流のいやらしい笑いを洩らしながら、よく語った」と書かれており、彼のような「退廃的な人間にとってはそれも好色的な魅力としてしか映らなかった」のかもしれないとあります。

「フョードル」には24歳以上の長男がいますのでこのとき彼はたぶん、50歳前後だと思いますが、16歳の少女と結婚となると少々異様な感がしますね。

ちなみにドストエフスキー自身は、44歳の時に、20歳のアンナと再婚しています。

日本では女性は16歳から結婚可能で、戦前は15歳でしたが、当時のロシアの状況はどうだったのでしょうか。

また、今と違って、未成年者にたいしては、両親または養父母の同意などは、必要なかったのでしょうか。

ここでは、親代わりの「ヴォロホフ将軍の未亡人」が大反対していますので、16歳の「ソフィヤ・イワーノヴナ」が自分の意思だけで結婚したように読めます。


2016年4月28日木曜日

28

「ソフィヤ・イワーノヴナ」は結局、「フョードル」と結婚するのですが、作中で書かれているいくつか理由を簡単にまとめるとこうなります。

(1)「ヴォロホフ将軍の未亡人」のいじめのため。
(2)「フョードル」の強引さのため。
(3)若くて分別がなかったため。

こう書くと、三拍子そろっていて、そうならざるを得ない感じがします。

そして作者も書いていますが、いくら彼女でも、「フョードル」のことをもう少し知っていたら絶対にこんな男のもとに走ったりはしなかっただろうと、その当時のことを書いています。
「フョードル」は相手の弱みにつけこんでまた、「駆落ち」をすすめたりもしているのですね。

「ソフィヤ・イワーノヴナ」にしてみれば、死んでしまいたいくらい嫌で嫌でたまらない今の状態から逃れるためならなんでもよかったのでしょう。
自殺未遂までしているのですから。

精神的に追い詰められて、しかも、そういう状態が長く続いていたので、この時に、生きるか死ぬかの選択を迫られているように思えたのかしれません。


彼女の気持ちを推察することはできませんが、当時の状況では、無理もないことかもしれません。


2016年4月27日水曜日

27

「フョードル」の二度目の妻、そして「イワン」と「アレクセイ」の母親「ソフィヤ・イワーノヴナ」はいったいどんな人だったのでしょうか。

彼女は、素直でやさしく、清純で、清楚な容姿で、すばらしい美貌の持ち主の16歳の少女なのです。

父親はありふれた補祭で、お母さんのことは書かれていません。
両親とも亡くなったのか、離別か、わかりませんが幼いころから「天涯孤独の《みなし児》」だったそうです。

そして、引き取って育ててくれたのは、「ヴォロホフ将軍の未亡人」という人で、名門の裕福な家の老婦人です。

ところが、「ヴォロホフ将軍の未亡人」もかなり問題のある人物で、「ソフィヤ・イワーノヴナ」を育ててくれたのはいいのですが、こういうふうに性格描写されています。

「おそらく根は悪い人間ではないのだろうけれど、無為の生活のためにやりきれぬくらい自分勝手になったこの老夫人のわがままや、絶えまない叱責を堪えぬくのが彼女にとってはそれほどつらかったのである。」

「彼女」というのは「ソフィヤ・イワーノヴナ」のことで、「それほど」というのは、死ぬほどということで、この老夫人の迫害のために、あるとき、物置で首を吊って自殺をはかったことがあったということです。

老夫人の「無為の生活」というのは、なんだかわかりませんが、まあ、よくない精神状態だったので「ソフィヤ・イワーノヴナ」をいじめたのでしょう。

とにかく、哀れな少女「ソフィヤ・イワーノヴナ」は自殺を決行するくらいまで孤独でみじめな生活を送っていたのです。

そこに「フョードル」があらわれたのですから、どうなるかはだいたい予想されます。


2016年4月26日火曜日

26

三 二度目の結婚と二人の子供

さて、この章は「イワン」と「アレクセイ」の紹介です。

その前に、またまた「フョードル」のこと。

以前にも彼は「俗物」「女にだらしがない」「お金のことしか能がない」「意地の悪い道化」「半気違い」「民族的な常識はずれ」「下らなぬ男」などと散々な評判でしたが、ここではさらに彼が、道楽をし、飲みもし、乱暴沙汰もしていたと新たな性格描写が付け加えられています。

しかし、このような「フョードル」でも、お金のことには抜目がなく、自分の資産の活用に心をくばるのを怠ったことは一度もなかったと言います。
ですから、ほとんどいつも卑劣な手口ではありましたが、仕事は常にうまく運んでいたと。

卑劣な手口で金儲けして、資産活用に目がないような人間は、当時のロシアではまだ数少なかったかもしれませんが、お金が神様となった現代ではうじゃうじゃいそうです。

話は、「ドミートリイ」が4歳で引き取られたあとすぐのことです。

「フョードル」は「ユダヤ人かだれかと組んで」ある仕事のためにある県に立ち寄りました。

そこで、知り合ったのが「ソフィヤ・イワーノヴナ」まだ16歳の清楚な少女です。

「フョードル」はさっそく結婚を申し込み、一度は身辺を調査されすげなく断られましたが、いろいろと事情があって結局結婚したのです。

この身辺調査はたぶん将軍夫人が行ったものでしょうが、どういう結果だったのでしょう。

これは、全く書かれていませんが、その内容は「ソフィヤ・イワーノヴナ」にどのように伝えたのでしょう、そして、彼女の反応はどんなものだったのでしょう。

それはともあれ、二度目の結婚は8年間続きました。


2016年4月25日月曜日

25

「ドミートリイ」は、もう貰うべきお金がないと聞いて、驚き、疑い、かっとなり、分別をなくします。

こうなる前に、「フョードル」は知らせてあげるべきですが、彼は時が来ればこんな状態になることが分かっていたのでしょう。

「ドミートリイ」が怒るのも無理はありません。

そして、作者は、「こうした事情がのちに悲劇を呼んだのであり、その悲劇の描出がまた、わたしの第一の導入部的な小説の材料、より正しく言うなら、小説の外面となってもいるのである。」と言っています。

この悲劇は元はと言えば、「フョードル」の底意地の悪さが原因なのです。

ここでは、それは最初は小さな悪意だったのかもしれませんが、それがどんどん大きくなっていき、最後には多くの人を巻き込んで、とんでもないことが起こってしまうのです。

そして、「その小説に移る前に」「フョードル」の腹違いの二人の息子について語り、その出生の由来を説明すると書かれています。


二人の名前はすでに冒頭の「フョードル」の章で、「イワンとアレクセイが二度目の妻の子である。」と紹介されています。


2016年4月24日日曜日

24

それにしても、「フョードル」も「ドミートリイ」もひどい性格に描かれていますね。
ふたりもと悪いのですが、底意地が悪いのは「フョードル」の方で、彼は「ドミートリイ」を手玉に取ります。

彼は、大金を当てにしている「ドミートリイ」に「小額の小遣いや、一時的な仕送り」を与えます。
「いっとき何かを手に入れさえすれば、もちろんほんのしばらくの間だけはとはいえ、すぐにおとなしくなってしまう。」ことを見抜いているから策略的です。

この状態が4年間も続きましたので、しびれをきらした「ドミートリイ」は財産にかんする話をきっぱりとつけるために再度、この町にあらわれます。

そこで、「フョードル」は説明します。
もう「ドミートリイ」に与える財産はないのだと。
もらうべきお金は4年間で底をついたということで、もしかすると渡しすぎているかもしれないと。
そして、以前に交わした協定によって、もはや何一つ要求する権利はないのだと。


何度も言いますが、ここには親子の情などかけらもなく、あるのはお金だけです。


2016年4月23日土曜日

23

「ドミートリイ」は父「フョードル」と「はじめて対面」しましたが、残念なことに、というか私たちにとっては当然のことですが、父のことが気に入らなかったらしく、しばらく家にいましたが、ある程度のお金をもらい、領地からの収益の今後の受け取り方法についてある種の協定を結ぶなり急いで立ち去りました。

そしてこれは括弧書きで注目すべきことであると書かれているのですが、彼は領地の収入額も、価値も聞いていないのです。

ここで「ドミートリイ」の特徴的な性格が推測されるのですが、作者は私の推測を超えてはっきりと書いています。

彼は自分の資産を誇大に考えており「軽率で、気性が荒く、激情家で、せっかちで、遊び人であり、いっとき何かを手に入れさえすれば、もちろんほんのしばらくの間だけはとはいえ、すぐにおとなしくなってしまう。」と。


いや、これは作者が書いているのではなく、「フョードル」が「ドミートリイ」の性格をそのように結論づけたと書いていますので、さすが年の功で人を見る目は父親の方が百歩も千歩も上手です。



2016年4月22日金曜日

22

不幸な幼年期を送った「ドミートリイ」は、「フョードル」の三人の息子のうちでただ一人、自分には財産があるので、青年に達したら自立できるだろうと確信しきって育ったとのことですので、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」が実家から引き取ったときに、そんなことを話したのかもしれませんね。

両親に見捨てられて幼年期を転々とした「ドミートリイ」は、精神的には不安定でしたが、財産があるということはただひとつの心の拠り所だったのでしょう。

そして、彼の少年時代と青年時代は乱脈に流れ去っていきます。

中学校中退→陸軍幼年学校に入学→コーカサスで軍務につき将校に昇進→決闘する→兵卒に降格処分→再度将校に復帰という具合です。

「さんざ遊びの限りをつくし、金づかいもかなり派手だった。」ということですので、無意識が相当に乱れていたのでしょう。

ドストエフスキーはこの章で「フョードル」に続いて「ドミートリイ」もかなり否定的に描いており、いいところは全く見えてきません。

成人に達した「ドミートリイ」は「フョードル」からお金を受けとるようになりますが、それまでに多くの借金を作っていました。

その後「ドミートリイ」は自分の財産に関して話し合いをするため「フョードル」に会いに行きます。

「ドミートリイ」は5歳前後くらいで「フョードル」のもとから出て行ったので、20年前後ぶりに父親に再開ということになります。

「ドミートリイ」が会いに来るまで、「フョードル」は子供に会いに行くこともなかったのです。


その時が「はじめて対面」と書かれており、これが実質的な初対面で、普通は父と子の感動的な場面になるのですが、全くそうでなくて結局、この父子はお金だけのつながりでしかなかったのです。


2016年4月21日木曜日

21

結局、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は、召使小屋にいた「ドミートリイ」を引き取りました。

この時に彼と「フョードル」の間にどのような話がされたのでしょう、それは書かれていませんが、「フョードル」の性格から考えても何かの約束めいたことがあったのではないでしょうか。

そして「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は、この町で相続した領地からあがるお金の受け取り方法を取り決めてから、すぐに長期の予定でパリに行ってしまいました。

そして、パリで例の二月革命が勃発しましたので、そのことに夢中になってしまいます。

そういうわけで「ドミートリイ」は従姉にあたるというモスクワのある婦人に託されます。

そのモスクワの婦人も亡くなり、すでに結婚している娘に引き取られ、さらにその後もう一度、誰かに引き取られたということです。

彼が「ドミートリイ」の面倒を見たのは、どのくらいの期間だったのでしょうか、いろいろと事情はあれ、これでは無責任と言われても仕方がありませんね。

結局、母に捨てられ、父にも捨てられた「ドミートリイ」の幼年時代は「グリゴーリイ」→「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」→(モスクワの婦人)→(娘)→(誰か)と転々とします。


長男「ドミートリイ」はこのような不幸な育ち方をしたのです。


2016年4月20日水曜日

20

「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は「フョードル」に対し、「ドミートリイ」の養育を引き受けたいと申し出ます。

作者はその時の「フョードル」の反応の仕方を詳細に描写しています。

まず、どこの子供の話だろうという顔をし、次に自分の家のどこかに幼い子供がいることをいぶかる様子をしたというのです。

この不可思議な反応について、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は「フョードル」の特徴的な一面としてしばしば話していたそうです。

普通に考えれば、自分の子供のことですので、この対応はありえないと思うのですが、作者は、「ミウーソフの話に誇張がありうるとしても、やはり何かしら真実に近いものはあるにちがいない」と書いています。

そして、作者の秀逸な人間観察は続きます。

「だが、事実フョードルは一生を通じて、演技するのが、それも突然なにか意外な役割を、しかも肝心なことは、たとえば今の場合のようにみすみす自分の損になるとわかっているときでさえ、何の必要もないのに演技してみせるのが好きな男であった。もっとも、こうした性質は、べつにフョードルに限らず、きわめて多くの人につきもので、非常に聡明な人にさえまま見られるものである」と。

人が損得勘定なしに行うというこの動作は、本能と呼ばれてもいいものかもしれません。

もしも、自分はそういうことをしたことはないという人は、その行動を無意識に別の動機と結びつけて、合理的な整合性をとっていて気付かないのかもしれません。

しかしこの場合「演技」というからには、たんに、わかっているのにすっとぼけて時間稼ぎをしているだけではなく、もっと積極的ですね。


相手と自分の複雑な感情のやり取りを想定しているだけでなく、瞬時に自分と自分を分離させて別の人格を作って演技しているわけで、そこには対人関係を解くヒントがあるかもしれません。


2016年4月19日火曜日

19

「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は生涯放浪生活を続け、その多くはパリに住んでいるという設定の人物ですが、たまたま「ドミートリイ」が召使小屋で育てられているときにこの町に帰ってきました。

この町には小説の重要な舞台のひとつとなる有名な修道院があり、若き「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」はその修道院に接する広い領地を相続したときに、修道院の《僧権強化論者》を相手に、河の漁業権とか森林の伐採権とかにかんする訴訟を起しました。

ここでいう《僧権強化論者》とは、訳注に書かれていますが、宗教原理にもとづく国家支配を望む人ということです。
この小説は宗教が大きなテーマになっていますので、後でこのあたりの考え方も物語に関係してきます。

「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は彼の思想から、この宗教原理にもとづく古い考え方に対して、文化的な市民として修道院に対抗する義務があると考えたのです。


そして、「アデライーダ」に関する一部始終を聞き、「フョードル」に対し憤慨したのです。


2016年4月18日月曜日

18

そのような人たちと親交のあったという登場人物「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は、やはり思想的にも影響を受けていて、かなり自由主義的な行動者と言えます。

ドストエフスキー自身も政治思想的なことに、積極的にかかわった人ですから、「プルードン」や「バクーニン」と親しいと設定したこの人物には相当の思い入れがあったと思います。

しかし、ドストエフスキー自身の考え方は当時の思想的な最前線とは少し距離をおいて独特な立場でしたので、この人物も好意的ではありますが、どこか腰の座らぬ新しもの好きという姿に描かれているように思います。

そして、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は、後年は、自分の放浪生活の中の楽しかった思い出話として、1848年のパリの2月革命の時に自分ももう少しでバリケード戦に参加するところだったと回想して物語るのが好きだったそうです。

この歴史的な2月革命で、パリの市民・労働者・学生は三色旗や赤旗を掲げ、労働歌を歌いながらデモ行進し、バリケードを築いたそうです。
そのような革命的な運動に「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は参加しそうだったとの本人の弁ですが、どういう成り行きで参加しなかったのかはここでは書かれていません。

そして、王政が倒れ、共和政が成立しました。この運動は近隣諸国だけでなく全世界に影響を与えました。

この頃まだ日本は鎖国中で、5年後にペリーが黒船でやってきます。


2016年4月17日日曜日

17

「アデライーダ」の従兄、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は「プルードン」や「バクーニン」とも個人的に親しいということは、当時の思想界の最前線だったのでしょう。
訳注で「プルードン」はフランスの社会主義者、「バクーニン」はロシアのアナーキストと書かれています。

なお、「ウィキペディア」で調べると、「プルードン」は、「ピエール・ジョセフ・プルードン(1809年1月15日-1865年1月19日)は、フランスの社会主義者、無政府主義者。無政府主義の父と言われる。」「バクーニン」は「ミハイル・アレクサンドロヴィチ・バクーニン(1814年5月30日 - 1876年7月1日)はロシアの思想家で哲学者、無政府主義者、革命家。元正教徒で無神論者。」と書かれています。

二人とも当時のヨーロッパ思想界のスターとして絶大な人気があり、マルクスとも交流があり侃々諤々の論争を繰り広げておりました。

政治的な立場はどれが正解ということもないと思いますが、この両者とも現代にも影響力をあたえている有名な活動家です。


2016年4月16日土曜日

16

「アデライーダ」の親戚の方はどうだったのでしょう。

彼女の実家では父親のミウーソフ氏はすでに死亡しており、未亡人になった母親はモスクワに引っ越して、身体をこわしてしまい、すぐに「ドミートリイ」を引き取ってくれるような親戚はいませんでした。

ですから、「ドミートリイ」はほとんどまる一年、この家の忠僕「グリゴーリイ」の召使小屋で暮らしました。

そして、ここでもうひとりの登場人物があらわれます。

この当時はまだ若かった「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」です。


彼は亡くなった「アデライーダ」の従兄にあたり、ミウーソフ家の人々の間では別格で、教養が深く、都会的、外国的、終生ヨーロッパ人で通し、「プルードン」や「バクーニン」とも個人的に親しく、晩年には1950年代のリベラリストとなった人物であると紹介されています。


2016年4月15日金曜日

15

二 遠ざけられた長男

ここでは、「フョードル」と「アデライーダ」の長男「ドミートリイ」の紹介です。
「ドミートリイ」は「アデライーダ」が残して出て行った三歳の息子(愛称「ミーチャ」)のことです。

母親に捨てられた哀れな子供ですが、結局はこの家の古くからの忠僕「グリゴーリイ」が自分の小屋で面倒をみました。

「グリゴーリイ」が面倒をみたのは一年という短い期間ではありましたが、この間に「ドミートリイ」は「グリゴーリイ」にたいへんお世話になったのです。

しかし、この先、たとえ気が動転してその時には判断力などなかったとしても「ドミートリイ」はその恩を仇で返すようなことをしているのです。

ここで、大騒ぎした父親「フョードル」は「ドミートリイ」の面倒をみるどころか、自分に子供がいることさえもすっかり忘れていたと書かれています。

そんな馬鹿な、と思いますが。

この忘れ方は、無邪気というか、憎しみや恥をかかされた夫としての何らかの感情からくるのではなく、ということは、そのようなことが原因する無意識から子供のことが憎くなって育児を放棄したのではないということです。
ですから、このあたりのことはなかなか理屈ではすんなりと理解しづらいことですが。

しかし、すぐ後で作者は、括弧書きで、子供のことを忘れていたのは事実ではありますが内心では「(実際のところ、わが子の存在を知らぬはずはなかったのだから)」と書いており、読者が少し前に読んで理解しがたいと思ったことをすぐに解決してくれています。
このような、絶妙なタイミングで行われる疑問→解決は、作中で数多くみられます。

「フョードル」と言う人は、自分のことだけしか考えなくて、非常識で反社会的で犯罪的と思われるようなことを素面でやってしまう人なのです。


2016年4月14日木曜日

14

最初の妻「アデライーダ」の死を知った「フョードル」がとったふたつの正反対の行動のうちの歓喜の方で、彼が叫んだという福音書の一節は、ルカによる福音書第二章二十九節で、「今こそ去らせて下さいます」という言葉ですが、これは注釈によると願いがかなったことを意味するそうですから、「フョードル」は「アデライーダ」にこの世からいなくなってほしいと頭のどこかで願っていたのでしょう。

この「フョードル」の泣き笑いのような滑稽な行動について作者は、「フョードル」が「自分の解放を喜ぶのと、解放してくれた妻をしのんで泣くのとが、いっしょになったのであろう。」と説明しています。

「解放」と言うからには、「フョードル」は、そのような去り方をした妻であっても、彼女のことにどこかで束縛されていたということで、無意識のうちかも知れませんが、余程のプレッシャーを感じていたのでしょう。言葉を変えれば、肩の荷が下りたということでしょうか。

後で出てくるのですが(294)このとき、帽子に喪章をつけたまま飲んだくれたり、乱行の限りをつくしたりしていたそうです。

少々生々しいとは思いますが、相手が生きている、ということはそういうことかも知れませんね。
「フョードル」のようなタイプの人間でもそうなのですから。

しかし、作者の偉いところは、人間はたとえ悪党でさえも、「われわれが一概に結論づけるより、はるかにナイーブで純真なものなのだ」と、私たちがいつも忘れそうになるようなことを正直にかつ勇敢に持ち上げているところです。

ここで、私は疑問を持ってしまいました。

「アデライーダ」が死んだ情報が入ったのは、彼女の実家です。
そして、死因はチフスとか餓死とかはっきりしません。
それに、彼女は喧嘩しても「フョードル」を殴るような「並はずれた体力に恵まれ」ていたということです。

ですから、正解はわかりませんが、これは「フョードル」を来させないための嘘の情報だったのではないでしょうか、しかし、こんな疑問は本筋とはぜんぜん関係のないことなのではありますが。


2016年4月13日水曜日

13

子供を置いて男とペテルブルグへ逃げた「アデライーダ」は、自由奔放な生き方をしたとも言えるかもしれませんが、それも長くは続かず、どこかの屋根裏部屋で死んでしまいます。

死因は、はっきりわからず、チフスとか餓死とかという話が実家に入ったと言いますので、いずれにせよ、みじめな状態ではあったのでしょう。

「アデライーダ」の死を知った「フョードル」は、ペテルブルグへに出発するための「元気づけ」のまっ最中でした。

その際に彼のとった行動にはふたつの噂があります。


ひとつは往来を走り出し、嬉しさのあまり両手を空にかざして、福音書の一節を叫んだという噂、もうひとつは、幼い子供のようにおいおいと泣きじゃくり、いじらしいほどだったという全く正反対で両立しない噂です。


2016年4月12日火曜日

12

妻「アデライーダ」に逃げられた「フョードル」は連日のように自宅に女たちを呼び込んで酒盛りをし、荒れた生活するようになります。というか、そんなことはいつもしていたようなのですが。
そして彼はそんな自分の悲劇を大げさに脚色して面白おかしく周囲に喋りまくります。彼はそんなことが快感であるような変わった人間なのです。
これは「恥をかかされた夫というぶざまな役割」を演じるピエロです。
ある人からは、彼はそのような自分の状況を喜んでいるのであり、笑いをとるために自分の喜劇的な状態に気づかぬふりをしているのだと辛辣な評価をくだされたりしていましたが、作者は「もっとも、ことによると、彼のそんなところは無邪気な点だったのかもしれない」と書いています。これは、かなり微妙な人間の心理をうまく表現していると思います。

そして彼は、逃げた妻「アデライーダ」の居場所を知ることになります。
彼は、なぜそうするか自分でもわからぬまま、妻と師範出の教師が逃げ延びて開放感にひたりながら幸せな生活をしているだろうペテルブルグに出発する決心をします。
作者はこう書いています。「だが、そう決心すると、とたんに、門出にあたって元気づけにとことんまで飲む特別の権利が自分にはあると考えた。」と。
これも、「フョードル」の性格を見事に表していると思いますが、特に「元気づけ」というのは酒飲みの読者には、身に滲みるような言葉ですね。



2016年4月11日月曜日

11

結婚してすぐに、「アデライーダ」(「アデライーダ・イワーノヴナ・ミウーソフ」)は「フョードル」のことをただ軽蔑しているだけなのだということに気付いたのですが、遅すぎました。

彼女の実家の方は、さすがにもっと早くこの結婚が失敗であることを見抜いていました。

「フョードル」は、お金のことに抜け目がないので結婚してさっそく、彼女の結婚の持参金や嫁入り財産の不動産などの名義を、何やらしかるべき証書を作ったりして自分の名義に直そうとしました。

ちなみに持参金は2万5千ルーブルと書かれています。


これは、亀山さんの法則によれば、2千5百万円ですね。

こんなことですから、「アデライーダ」は「フョードル」のことをますます軽蔑し嫌悪します。

そして、なんと、彼女は男を作って出て行きました。

これも、「駆落ち」というなら二度目ですね。

相手は、貧しさゆえに一生を棒にふりかけていた師範出の教師。

その彼との遭遇についてもいろいろと深い事情はありそうですが、説明はありません。

「アデライーダ」は「自由」を求めて、そんなところまで行ってしまいました。

そして、この先、貧しいままに若くして死んでしまうことになるのですが、彼女の生き方についても小説ができそうです。

結局、彼女の残したのは、3歳の息子「ドミートリイ」(愛称「ミーチャ」)だけでした。

この子が、この物語でたいへんなことをやってしまうことになるのです。


2016年4月10日日曜日

10

彼は二度結婚しており、最初の妻は器量がよく利発で裕福な「アデライーダ・イワーノヴナ・ミウーソフ」です。

彼女とは「駆落ち」して一緒になりましたが、その人格的に不釣り合いな結婚の過程が簡潔に述べられています。

これもロシアの特殊性ということが背景にありそうですが、彼女はこの時代背景のもと、女性の自立や社会の制約に対する反発心、さらに、「駆落ち」によって、ことが成就するという点に刺激的な魅力を感じ、《能なし》と呼ばれていた「下らなぬ男」である「フョードル」と結婚したのではないかと。

一方「フョードル」の方は、女ならだれでもよかったし、美人であるし、すぐにとびついた訳で、しかも、誤解かもしれないが、彼女の方からその気をみせてきた訳だし、こんなにうまくいったことは、はじめてで最後だったらしい。

そして作者は、彼女の選択は「疑う余地なく、他人の思想の反映」であり、「自由を奪われた思考の苛立ち」だと言っています。


彼女は家においても社会においても、あまりにも精神的に束縛されていたので未来の「自由」という幻想に賭けてみたのでしょうか。



2016年4月9日土曜日

ここで「フョードル」という人物は、俗物で女にだらしがなくて常識はずれではあるが、自分の財産上の処理については大いにやり手で、それしか能がないという、奇妙ではありますが、そのくせかなりよくあるタイプの人間である、と書かれています。

どこかにそういうタイプの人はいそうに思えてくるから不思議です。

「フョードル」は地主といっても零細な地主であり、ほとんど無一文からはじめて、卑怯なことやあくどいことをして、死んだときには現金で十万ルーブルのお金をためこんでいたそうです。

お金のことがはじめてここで出てくるのですが、当時の十万ルーブルというのは、いったいどのくらいのことでしょう。

これからもお金のことがよく出てきますので、私はずっとその換算率を知りたいと思っていましたが、やっと疑問が解決しました。

それは、光文社古典新訳文庫の「罪と罰1」亀山郁夫訳の「読書ガイド」に書かれていました

「当時のロシアでは、ルーブルとコペイカの単位が用いられていた」「一ルーブルが百コペイカに相当する」「現在の日本の貨幣価値に照らして、一ルーブルを約千円と想定しておおよそまちがいない」と。

ということは、十万ルーブルは約1億円のことです。

実に明快でわかりやすいですね。

これは亀山郁夫さんに感謝です。

また、亀山さんは同じく光文社古典新訳文庫の「カラマーゾフの兄弟2」の「読書ガイド」にも1870年前後の貨幣価値について書かれておりまして、そこでは、「おおおよその目安としては、一ルーブル五百〜千円と考えるのがかなり妥当な線ではないか」となっていますが、千円の方が覚えやすいですね。


(元に戻って)彼は「意地の悪い道化以外の何物でもなく」、周囲の人々にも「常識はずれ」な「半気違い」の一人と思われていました。

ここで使われている差別用語「半気違い」というのは、その大部分がかなり利口で抜目ないものである一面もあると作者は言いますが、これも考えてみると、なるほどと思えてくるから不思議です。

さらに作者は、ここで言う「常識はずれ」というのは、「何か一種独特な、民族的な常識はずれ」と言っていますが、これは当時のロシアの特殊な後進性にたいする批判のようですが、それよりも愛憎という言葉で表現される、と言った方が適切かもしれません。


2016年4月8日金曜日

第一部

第一編 ある家族の歴史

一 フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ

記念すべき本文への第一歩です。が、それにしても、なんとも覚えにくい名前ではありますが、本文では「フョードル」と書かれています。

この章で紹介されている「フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ」のなんと情けないことでしょう。いい歳して金と女しか目がない軽い男。最初から、鼻知らむ。

この方が、わが主人公「アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ」のお父さんなのです。


ちなみに主人公の「アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ」は本文中で「アリョーシャ」という愛称で呼ばれることが多いです。


2016年4月7日木曜日

そして、この「作者の言葉」の中で驚くべきことが表明されているのです。

この「カラマーゾフの兄弟」は二つからなり、今読んでいるのは一つ目で、将来的に二つ目として13年後のことを書く予定だというのです。

そして、そちらの方がもっと重要な小説なのであると。

だったら、ぜひとも二つ目の方も読みたいと思うでしょうが、ドストエフスキーは書く前に死んでしまいました。


1881年1月28日ペテルブルグにて、享年60歳。明治14年。


2016年4月6日水曜日

そして、主人公の「アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ」のことを「いっこうにはっきりせぬ、つかみどころのない活動家」と言っているのです。

「活動家」というのは一体何のことでしょう。わたしはすぐに政治活動、社会活動などを思い浮かべますが、ここでは、積極的に動く人という意味かもしれません。

本文中にも、彼が政治や社会運動の活動家であるという描き方もされてないように思いますし、それらしきことを含ませるような表現もないようなのですが、もしかすると作者の意図は、このあとに続く内容から、将来的な構想を念頭に、わたしの想像できないところを含んでいるのかもしれません。


この「活動家」という言葉についてのわたしの理解は、すべて翻訳からだけの感想でしかないのですが、ロシア語では、どのように読めるのでしょうか。




2016年4月5日火曜日

続いて「作者の言葉」です。

それにしても「作者の言葉」はそんなに長くなくて助かります。

この前半は、私が思うに、奇人の中にこそ、人間の核心があるのではないか、と言っているのではないでしょうか。

いやいや、そうじゃないという読み方をする人もいると思いますが、私は勝手にそう理解したいと思います。

私自身はかりに、ニート的で、引きこもり的ではあっても、別に奇人と言われるほどではないと思っていますが、この言葉をおおいに支持したい気持ちです。



2016年4月4日月曜日

そして、まずはこの文章に行き当たります。

よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネによる福音書。第12章24節)」

一粒の麦?
ヨハネによる福音書?

いきなりですが、これは、私たちは死んだ方がよい、と言っているのかもしれないと一瞬思いました。

しかし、いくらなんでもそんなことは言うわけはないだろうと思い直してみましたが、確かにイエスはそう言っているからそうなのでしょう。

この言葉は、後で本文の中でも出てきますから、よっぽど作者は気に入っているのだと思います。

で、「ヨハネによる福音書」を引用して何を言いたいのか、わかる人にはすぐにわかることだと思いますが、私にはまだわからない。



2016年4月3日日曜日

さっそく、調べるとアンナ・グリゴーリエヴナ・ドストエフスカは「回想のドストエフスキー」という本を出しています。

確か、この本も昔読んだことがあって、内容はほとんど忘れましたが、しかし、写真だけで想像していたドストエフスキーの厳格な印象を天から地上へ降ろしてくれたことは確かです。


それにしても、ドストエフスキーについて、私はあまりにも無知なのですが、こんなことで読み進めてもいいのだろうか心配になります。



2016年4月2日土曜日

目次など、読み飛ばそうとしましたが、素っ気ない文字の羅列の中にも興味深い単語が目の端に映ります。

とくに登場人物の名前などは確かに昔読んだ記憶があります。

アリョーシャ・スメルジャコフ・リザヴェータたち。

新しいことは忘れても、昔のことは、しぶとく頭に残っているから不思議なものです。

しかし、ここでは感傷に耽ることより新しいページ。

とにかく、前へ、ですから。

そして、タイトルが大きく書かれたページ。

このページのことを何とかと言うのだけれど、忘れてしまいました。

そのタイトルの横に、「わが妻アンナ・グリゴーリエヴナに捧ぐ」とあります。