2016年9月30日金曜日

183

その修道僧は、「見るからに、ごく普通の修道僧、つまり、しごくありふれた身分の出で、浅薄な揺るぎがたい世界観をもち、信仰心篤く、ある意味で頑迷な修道僧」のようでした。

この修道僧の場合は一応関係者ですから、祝福を与える順番としては、一番最後なのだと思います。

「ゾシマ長老」は、順番に言うと、①癲狂病みの女の気持ちを落ち着かせ、②息子を亡くした「ナスターシュシカ」に「慰め」を求めることをやめさせ、夫のもとに帰るようとに言い、③音信不通の息子を心配する「プローホロヴナ」に息子の健在を約束し、④病床の夫にしてはならないことをして死を恐れている農婦に恐れることはないと言って聖像をかけてやり、⑤乳呑児を抱いた健康そうな農婦が長老の健康を心配してやってきたので祝福を与え、⑤三日前に面会して二度目になる「ホフラコワ夫人」と娘と会話し、⑥今この遠来の修道僧に声をかけたのです。

彼は、遠い北国のオブドールスクにある修道僧が九人しかいない貧しい修道僧、聖シルヴェステル寺院からやって来たと名乗りました。

この修道僧は、年をとっていると、前に書かれていましたね。

「ゾシマ長老」は、「彼に祝福を与え、都合のいいときに庵室に寄ってくれるよう」招きました。

修道僧は「よくこんなことをなされるもんですね?」といさめ顔で、ものものしい態度で「リーズ」を指さしながらたずねました。

それは、彼女の《快癒》をほのめかしているのでした。

この修道僧は、「ゾシマ長老」を疑っているようですね。

しかし、ここで一般人だけでなく、修道院の関係者も登場させていることは、話に多面的なふくらみを与えていると思います。

長老は、快方に向かうということは、まだ快癒したことではないし、ほかの原因からも起こりうることであるから、今のような話をするのはもちろんまだ早すぎます、「ですが、かりに何かが生じたとすれば、神の御心による以外、だれの力によるものでもござりませんからな。すべて神の御業です。」、どうぞお寄りになってください、神父さん、と言いました。

これは、さりげないが、すばらしい説明の仕方です。

「ゾシマ長老」はさらに続けて、こうしてお招きするのも、いつでもというわけにはゆかず、というのは、自分は病身で、余命いくばくもないことを承知していると言います。


今度は、修道僧の二歩隣にいるという「ホフラコワ夫人」が、そんな話はとんでもない、いつまでも永生きなさいます、とてもお元気で快活でお幸せそうに見えますがどこがお悪いのですか、と聞きました。


2016年9月29日木曜日

182

いきなり笑いくずれたり、もったいぶった顔つきになったりで、少し情緒のはっきりしない「リーザ」は、今度は急に元気づいた様子になって、「まあ、なんてやさしくて立派な行為でしょう」と叫び、自分はママに、あの人は修行中の身なので絶対に行かないと話していたんだ、と言いました。

そして、「・・・あなたって、ほんとうにすばらしい方!あたしいつもあなたはすばらしい方だと思っていたんです。今それを言えて嬉しいわ!」と褒め称えます。

すると「ホフラコワ夫人」は「リーズ!」とたしなめましたが、すぐににっこりしました。

そして、話を続けました。

たぶん、「アリョーシャ」はこの母娘のところを訪れたときに、また行くと口にしたのでしょう、「ホフラコワ夫人」は、「あたくしどものことも、すっかりお忘れですのね」、「リーズは、あなたとごいっしょのときだけ気分がいいなんて、あたくしに二度も言っておりましたわ」と言いました。

「アリョーシャ」はは伏せていた目を挙げ、突然また赤くなり、自分でもなぜかわからぬまま、ふいにまた薄笑いをうかべました。

「リーザ」だけでなく「アリョーシャ」の挙動も情緒不安定なようですね。

ここでは、「リーザ」は「アリョーシャ」に恋心を抱いており、「アリョーシャ」もまんざらではなく、「ホフラコワ夫人」も「アリョーシャ」のことを気に入っていることがわかります。

もっとも、前からずっと書かれていたのですが、「アリョーシャ」は誰にも好かれ、人を惹きつける何がかあるのです。

「ゾシマ長老」はそんな「アリョーシャ」をずっと観察していましたが、今はもう次の人、「リーザ」の車椅子のわきにいる遠来の修道僧の方に気持ちが移って話に入っていました。



2016年9月28日水曜日

181

「ホフラコワ夫人」は「アリョーシャ」に説明しました。

「ドミートリイ」のことや、最近のいろいろな出来事のことで、「カテリーナ・イワーノヴナ」が今ある決心をしたので、詳しくは自分も知らないがとにかく、なるべく早く会いたいと、「キリスト教的な感情」さえ、そう命ずるはずだから、あなたはそうなさいますね、と念をおしました。

「アリョーシャ」は「あの人に会ったのは、たった一度だけなのに」となおも腑に落ちない様子でした。

「ホフラコワ夫人」はあの方は、その苦悩だけをみても本当に気高い人で真似のできない存在であって、今までどんな苦しみに堪えぬき、現に今もどんな苦しみに堪えているのか、そして、あの方を待ち受けているものが何か考えると、何もかも恐ろしくなると、言いました。


「アリョーシャ」は「来てほしいという切なる頼み以外、何の説明もない謎ありげな短い手紙」に目を走らせたあと、「わかりました、行きましょう」と約束しました。


2016年9月27日火曜日

180

娘はなぜか笑っていましたが、母親から「ゾシマ長老」にお礼を言うように言われて、そのかわいい顔が急にきまじめな風になり、車椅子の中で身を起こし、長老を見つめながら小さな両手を組んだのですが、こらえきれずにいきなり笑いくずれました。

「リーザ」はまだ十四歳なので突然笑ったりするのも無理もありませんが、ここですでに彼女の、感情が先走りする性格の一部が描写されています。

彼女は、自分がこらえきれずに笑ったことに対する、自分への稚い憤りをこめて、自分が笑ったのは、あの人のこと、つまり「アリョーシャ」のことだと言って彼を指さしました。

指差された「アリョーシャ」は、一瞬のうちにみるみる頬を赤らめたそうです。

そして、彼の目がきらりとかがやき、伏せられたと書かれていますが、もうここで、「リーザ」と「アリョーシャ」の関係が何となくわかるように思います。

今度は、「ホフラコワ夫人」が喋ります。

「アレクセイ・フョードロウィチ、この子はあなた宛に用事をことづかってますのよ。ご機嫌はいかがですの?」と、そう言って、夫人は「アリョーシャ」に顔を向け、手袋で美しく包んだ手をさしのべました。

長老はふりかえって、ふいに注意深く「アリョーシャ」を見つめました。

「ホフラコワ夫人」は機転をきかせ、娘を助けて、言葉をかけたのでしょう、そして、長老は「ふいに注意深く」「アリョーシャ」を見つめたと書かれてありますので、ふたりのことは見抜いており、「アリョーシャ」の修道院生活の遺憾も考えたのかもしれません。

「ホフラコワ夫人」と「リーザ」はすでに「アリョーシャ」と面識があったのですね。

「アリョーシャ」は「リーザ」に歩みより、なんとなく奇妙な、ばつの悪そうな薄笑いをうかべながら、彼女に手をさしのべました。

「リーズ」はもったいぶった顔になって、「カテリーナ・イワーノヴナ」からことづかってきましたと、小さな手紙をさしだし、「カテリーナ・イワーノヴナ」ができるだけ早くに「アリョーシャ」に来てほしいと、すっぽかさないで、必ず来てくださいとの伝言を伝えました。

「リーザ」と「リーズ」、場所によって呼び方が使い分けられているようです。

一方「アリョーシャ」は、どうして「カテリーナ・イワーノヴナ」が自分に来てほしいというのか、腑に落ちないようです。

「なぜだろう?」と深いおどろきをこめて「アリョーシャ」はつぶやきました。


そして、その顔が急にひどく気がかりそうになりました。


2016年9月26日月曜日

179

「ホフラコワ夫人」は「ゾシマ長老」のおかげで、娘がどのように癒ったのか説明をします。

「ゾシマ長老」が手を娘の頭にあてて祈ったのが木曜日のことで、それからもう二昼夜も夜中の高熱がなくなり、そのうえ、足もしゃんとしてきたし、昨夜はぐっすり眠れて、今朝は元気に起きてきた、頬の赤みや目のかがやきをごらんになってやってください、いつも泣いてばかりいた子が今では笑い声をあげて、明るく嬉しそうにしている、今日はどうしても立たせてみてほしいと言い張って、まる一分間もひとりで立っていた、二週間もするとカドリールを踊れるようになるなんて自分と賭けまでした、ここの医者の「ヘルツェンシトゥーベ先生」を呼んだら、ふしぎだ、信じられんと言っていた、「リーズ(訳注 リザヴェータの愛称をフランス風に発音したもの)」お礼を申しあげるのよ、と。

なんだか、娘の治癒の仕方が信じられないような気がするのですが、このすぐあとの展開から考えると、より眉唾的な感じがしてきます。

そのように思わせるのも作者の意図するところでしょう。

そして、この町の医者「ヘルツェンシトゥーベ先生」を呼んだと言っていますので、この娘はこの医者に診てもらっていることがわかります。

これは、前の章で「・・・むしろ用事ですでに一週間くらいこの町で暮らしているのだが・・・」とありましたが、このことだったのかとここで気づきます。

さらに、「・・・母親はもう春ごろから外国へ連れてゆくつもりでいたのだが・・・」と書かれてあったのは、外国の医者にも診せようという計画があったことが、予想されてはいたのですが、ここでのみごとな伏線となっていて、より読者は確信を得るのではないでしょうか。


そして、「カドリール」というのは、ここでは、一八世紀から一九世紀にかけてフランスを中心として流行した舞踊で、4組の男女のカップルが四角い形を作って踊る活発なダンスだそうですが、フォークダンスの中にもとりいれられていて、活発というより今ではむしろ優雅なダンスです。


2016年9月25日日曜日

178

四 信仰のうすい貴婦人

「遠来の地主夫人」と書かれていますが、これは「ホフラコワ夫人」のことです。

前の章のはじめにこの夫人と娘のことが紹介されていましたが、三日前にも長老に会っており、もう一度会うことを頼みこんでいました。

そして今、長老がやってきたので、宿泊している別室から廊下に出てきているのです。

「ホフラコワ夫人」は長老と民衆のやりとりをずっと眺め、静かな涙を流し、ハンカチでぬぐっていました。

彼女は心底善良で、感じやすい上流婦人でした。

長老が、やっとそばにくると、彼女は、あんな感動的な光景に接して感無量です、あなたが民衆に慕われているのがよくわかるし、わたし自身も民衆を愛しており、愛そうと望んでいる、偉大な中にも純朴なロシアの民衆を、と興奮した様子で言いました。

この夫人は上流階級ですので、言葉使いも今までの農婦たちと違って、丁寧です。

長老は、「お嬢さんの具合はいかがかな?また、わたしと話をなさりたいとか?」と問います。

三日前にも娘と話をしているのですね。

夫人は娘がまた長老と話をしたいと、僧院の誰かに頼み込んでいたのしょう。

夫人は、自分がわかままを言っておねがいした、会えるまで坐りこみを続ける覚悟でいた、「リーザ」をすっかり癒してくれたので自分たちはお礼の気持ちを伝えるために伺った、「木曜日にこの子の前でお祈りをあげてくださって、お手を頭にのせてくださっただけで。」、自分たちはあなたの手に接吻して今のこの気持ちと敬虔の念をあらわそうとやってきた、と。

娘の名前が出てきました。

「リーザ」と言うのですね。

木曜日に長老と会った言っていますので、今日は日曜日ということです。


長老は、お嬢さんは相変わらず車椅子を使っておいでのようだが、癒したとはどういうことですか、聞きます。


2016年9月24日土曜日

177

さて、次はどなたでしょうか、「ゾシマ長老」は腰をあげ、乳呑児を抱いた健康そうな農婦を嬉しそうに眺めやりました。

彼女は、ここから六キロあるヴイシェゴーリエから子供を抱いてやってきたのでした。

彼女は何度かきているのに、長老が自分を覚えてないようなので、あなたさまの記憶力もたいしたことはないね、とずけずけと話します。

長老が病気だと聞いて、自分で行ってみてこようと思ってきたが、こうしてさっきから見ていると元気そうで、まだ二十年も長生きしますよ、「本当に。お達者でいてくださいよ!」あなたさまのことを祈ってる人間はたくさんいますから、と長老に伝えます。

「ありがとう、いろいろと」と長老は言います。

長老が「いろいろ」と言ったのは、彼女の気遣っている、文字どおりいろいろのことを感じたからでしょうが、こういうさりげない表現で作品が生きてきます。

そして、彼女は、自分はここに六十カペイカもっているから、あなたさまなら、だれに渡すべきか知ってらっしゃるだろうから、わたしより貧しいおなごにあなたさまからあげてくださいと言います。

長老は、ありがとう、お前さんはいい人だね、必ず約束をはたすと言って、抱いている子供のことを聞きます。

その子は「リザヴェータ」という名の女の子でした。

「リザヴェータ」という同じ名前の人物は、次の章から頻繁に出てきます。

『罪と罰』にもこの名前の人物は出てきましたね。

長老は、お前さんはすっかりわたしの心を明るくしてくれたよ、と言い、彼女と「リザヴェータ」に祝福を与えました。

そして、みんなにも祝福を与え、深々と一礼しました。


2016年9月23日金曜日

176

罪の意識に恐れる農婦に「ゾシマ長老」は言います。

その後悔がお前さんの心の中で薄れさえしなければ、「何も恐れることはない」し、滅入ったりすることはない、神さまはすべてを赦してくださる、「心底から後悔している者を神さまがお赦しにならぬほど、大きな罪はこの世にないし、あるはずもないのだ。それに限りない神の愛をすっかり使いはたしてしまうくらい大きな罪など、人間が犯せるはずもないのだしね。」絶えざる後悔にのみ心を砕いて、恐れなど追い払うのだ、神さまは、考えもつかないほど、お前さんを愛してくださる、たとえ罪に汚れているお前さんであっても愛してくださる、「それを信じることだね。」「悔い改めた一人に対する天の喜びは、行い正しき十人に対する喜びよりも大きい、と昔から言われているではないか。」「人々を怨まず、侮辱に腹を立てないことだ。死んだ旦那さんから受けた侮辱をすべて赦して、本当に和解しなさい。」「後悔しているなら、愛せるはずだ。愛するようになれば、お前さんはもう神の下僕なのだよ・・・愛はすべてをあがない、すべてを救う。」「お前さんと同じように罪深い人間であるわたしが、お前さんに感動し、憐れんだとすれば、神さまはなおさらのことだ。」「愛というのは、全世界を買いとれるほど限りなく尊い宝物で、自分の罪ばかりか、他人の罪まで償えるのだからの。」と。

浄土教の弥陀の本願と共通するようです。

「ゾシマ長老」はそう言って、女に十字を三度切り、自分の首から聖像をはずして、彼女にかけてあげました。


女は無言のまま、地につくほど低く一礼しました。


2016年9月22日木曜日

175

さて、次は誰でしょう?

「ゾシマ長老」は、「すでに群衆の中でまだ若いとはいえ、やつれきって見るからに結核らしい農婦」が燃えるような目で自分をみつめていることに気づいていました。

農婦は、無言で何かを乞い求めるように見つめていましたが、そばに近づくのを恐れているようでもありました。

「ゾシマ長老」は「どんな悩みかな、お前さんは?」と声をかけました。

農婦は「わたしの魂を赦してください、長老さま」と低い声でゆっくりと言い、ひざまずいて長老の足もとに跪拝しました。

「わたしは罪を犯しました、長老さま。自分の罪がこわいのでございます」

長老が下の段に腰をおろすと、女はひざまずいたまま、いざり寄りました。

「わたしが後家になって、足かけ三年になります」と、身ぶるいするかのように、半ばささやき声で話しだしました。

女は、夫は年寄りでひどくわたしを痛めつけ結婚生活はつらいものでしたが、そのうち夫が病気に床についたのです、そのときわたしは、もし快くなって起きだしたらどうしようと思って、「あの大それた考えが心に湧いたのでございます・・・」と。

「待ちなされ」と長老がいいました。

そして、耳をまっすぐ彼女の口に近づけました。

女は低いささやき声で話をつづけたのでほとんど何一つききとれませんでした。

女はじきに話を終えました。

ここで、女の低いささやき声をほとんどききとれなかったのは、誰でしょう。

この小説の語り手だとすれば、その語り手は「ゾシマ長老」のすぐ近くにいて、物語を見ていることになりますね。

それにしても、この農婦はたいへんなことをしてしまったようで、語り手はききとれなかったと書いていますので詳細は想像するしかありません、

しかし誰もがたぶん、病床の夫を直接的にか間接的にか殺して、そのことを秘密にしていたのではと思うと思うのですが、このあたりの描き方と長老がそれを気遣う様子はなかなかのものですね。

「三年目になるのだね?」と長老がたずねました。

女は、最初のうちは忘れるようにしていましたが、このごろ身体の具合が悪くなって、気が滅入ってならないと言いました。

長老は「遠くから来たのかね?」と聞きます。


女はここから五百キロも向こうですと答えました、そして、長老の質問に答え、この話は懺悔のときに二度話したことがあり、聖餐を受けたこともあるが、自分は死ぬのが恐ろしいと言いました。


2016年9月21日水曜日

174

音信不通の息子を死んだことにして法要をすれば、連絡がとれると聞かされた母に対し「ゾシマ長老」は、強い調子で、そんなことはない、たずねるのさえ恥ずかしいことだ、生みの母親が生きている魂の冥福を祈って法要することは妖術にもひとしい罪悪だ、と言います。

そして、お前さんは無知であったから、それに免じて赦される、それより「機敏な救い主であり守り手である聖母さまに、息子さんの無事息災と、それからお前さんの間違った考えを許してくださることを、祈るほうがよろしい。」と。

ここで出てくる「聖母」について調べました。

「正教会の一員である日本ハリストス正教会では生神女マリヤ(しょうしんじょマリヤ)の表現が多用される。」
「(※日本正教会では、カトリックとは対照的に「マリア」ではなく「マリヤ」と表記する)。」
「正教会では、生神女マリヤに神への転達(執り成し)を求める祈りが頻繁に捧げられる。女宰(じょさい)・女王(にょおう)などとも呼ばれ、第一の聖人とも言われる。また、数ある転達者(てんたつしゃ・聖人)の中でも、直接「救いたまえ」と祈祷文で呼びかけられるのは、生神女マリヤのみである。生神女マリヤの転達は「母の勇み」と形容され、神への祈りに際して特別な恩寵が与えられていると正教会では考えられている。」
「正教会において聖母マリアは「神の母(テオトコス)」として崇拝されています。この呼称は、すでに三世紀から使用されており、431年の第三回公会議(エフェソス)で正式に認められました。マリアはその他にも、「アイパルテノス(永遠の乙女)」(同じくエフェソス公会議より)、「パナギア(全てにおいて聖なる者)」(553年コンスタンティノポリス第五回公会議より)とも呼ばれます。神の母という呼称が公会議で扱われる問題となったのは、マリアが産んだのは神ではなく、キリストの人間としての部分だけだと考える人がいたからです。つまり、マリアはキリストの人間の部分だけを産んだのであり、「人の母」、「キリストの母」であるに過ぎないというわけです。こう考えた人の一人がコンスタンティノポリスの大主教であったネストリオスでした。ネストリオスの反対派であった、アレクサンドリア大主教キュリロスは、ネストリオスはキリストの中に人間と神の二つの位格(persona, hypostasis)を区別していると批判し、キリストの人性と神性は不可分であり、その意味でマリアは「神の母」であるといって正しいというものでした。キュリロスの後にアレクサンドリア大主教となったデォオスコロスは、キリストにはひとつの本性(physis)しかないと主張しました。この考え方は単性論と呼ばれます。この表現は、キリストの人性を否定するように聞こえるため、多くの神学者たちには受け入れがたいものでした。そのため、451年カルケドンの公会議は、キリストは単一の位格(persona, hypostasis)であるけれど、人性と神性の二つの本性において存在しているという表現が採択されます。この考え方は二性論と呼ばれ、正統の教義となりました。しかし、シリア、アルメニア、エジプト、エティオピアの教会は「二つの本性において」という表現を受け入れることができず、いわゆる単性論教会として離れてゆきました。聖母マリアはすべてにおいて神聖であり、地上の罪はまったくありません。しかし、カトリック教会とは異なり、正教会では聖母マリアが原罪なしに生まれてきたとは考えていません。マリアに原罪がないとすると、マリアが完全な意味で人間ではなかったということになり、ひいてはキリストの人間としての側面を損なうことになるからです。カトリック教会の中でも、「無原罪」がドグマになったのは十九世紀半ばのことであり、長い伝統があるわけではありません。聖母マリアは、他の人間とは異なり、「眠りにつかれた(マリアは「死んだ」とは考えられていません)」後、直接天に召されました。したがって、死体も存在しません。聖母マリアの「お眠り」のことは、英語でDormition、ギリシャ語でKoimesis(現代ギリシャ語では「キミシス」と読む)と呼び、八月十五日がその祝日となっています。これに先立つ二週間は断食期間で、告白をして、聖体拝領(コムニオン)を受けなければなりません。」

ここで言われている「機敏な救い主であり守り手である聖母さま」という意味がわかりませんでした。

さらに「ゾシマ長老」は続けて、息子さんは近いうちに当人が帰ってくるか、手紙をよこすから安心してよい、と決定的なこと言います。


息子は健在だと言われた「プローホロヴナ」は長老に感謝の言葉を述べます。


2016年9月20日火曜日

173

「ゾシマ長老」が次に顔を向けたのは、巡礼らしくない都会風の身なりをした、よぼよぼの老婆でした。

彼女の目には何か悩みごとがあり、何事かを訴えにきたことはあきらかでした。

老婆はこの町に住む下士官の未亡人であると名乗りました。

そして、軍の主計局かどこかに勤務していた「ワーセニカ」という息子が、シベリヤのイルクーツクへ行ってしまい、二度そこから手紙をよこしただけで、もうこの一年というもの、ふっつりと音信を断ってしまった、あちこち問い合わせてもわからないという訴えでした。


そして、この間、「ステパニーダ・イリイーニシナ・ベドリャーギナ」という大きな商店のおかみさんが、『ねえ、プローホロヴナ、息子さんの名前を過去帳に書いて、教会に持っていって、法要をしておもらいよ。そうすりゃ、息子さんの魂だって悩みだして、手紙をよこすにちがいないから。これは確かよ、何遍も実験ずみなんだから』と言いましたが、わたしは半信半疑で、こんなことをしていいのかと「ゾシマ長老」に質問しました。


2016年9月19日月曜日

172

「ゾシマ長老」は子供の冥福を祈って法要をするために、亡くなった子供の名前を聞きました。

「アレクセイ」という名前でした。

「立派な名前だ、神の人アレクセイにあやかったのかね?」と「ゾシマ長老」は言いました。

そして、「神の人アレクセイ」について調べると、江川卓『謎解き『カラマーゾフの兄弟』には、以下のように書かれているそうです。

 「神の人アレクセイ」とアリョーシャは小説の中で呼ばれるが、神の人アレクセイとは、4世紀のローマのキリスト教の聖者で、貴族の子であったが乞食同然の生活で神への愛一筋に生きたという。
 江川は、『カラマーゾフの兄弟』はロシアの巡礼歌から大きな影響を受けているというが、19世紀ロシアに流行した巡礼歌「神の人アレクセイ」の主題は、すべての人に対する分け隔てのない愛である。
 (アレクセイは小説の主人公の名前であると同時に、ドストエフスキーの死んだばかりの息子の名前でもある。父親の名前は二人とも同じフョードルだ。)

また、ある人のブログでは、以下のようなことが書かれていました。

研究家ヴェトロフスカヤは、神の人アレクセイ伝説との関連を指摘しているという。神の人アレクセイとは、4,5世紀のローマの苦行者のこと。名門の貴族に生まれ、妻とむつまじく暮らしていたが、思うところあって家出し、荒野で修行を積んで帰宅すると、妻も家族も彼であることに気づかず愚弄し、ついに死ぬ直前に名を明かすという。ヴェトロフスカヤの見解は、この伝説に主人公アリョーシャの運命を重ねようとしたのではないかというもの。

また、別の人のブログです。

 アレクセイという名は「神の人」と呼ばれた5世紀のローマの聖者を指します。昔からロシア人に深く愛されてきましたが、ドストエフスキーもこの聖者を心から敬愛していました。どんな人物だったか簡単に紹介します。-アレクセイは、長い間子どもに恵まれなかったローマの元老院の議員に神が授けた男の子だった。高い教育を受け、花嫁も決められていたが、婚礼の晩にそっと家出して、メソポタミアに向かう。その地で持ってきた金をすべて貧しい人々に与え、自分は乞食のように聖母教会の階段に住んで、お布施を受けた。17年以上こうして過ごしていたが、名が知られるようになってきたことを嫌い、人間的な光栄や尊敬を逃れて別の土地へ向かおうとする。しかし、神の意志によってローマへと連れ戻される。ローマでは、名前を隠して両親のもとに身寄りのない乞食として寄宿し、困難や軽蔑に耐えた。そして、謙虚と忍耐のうちに死を迎える。死後、この貧者がアレクセイであったことが知られる。

「神の人アレクセイ」の説明は、それぞれ微妙に違いがありますが、ドストエフスキー自身の亡くなった末の子供は、アレクセイ(アリョーシャ)と言い、年齢もこの作品の子供と同じように三歳に満たなかったそうです。

「ゾシマ長老」は、子供を供養し、祈りの中で、母親の悲しみや旦那さんの健康も祈ってあげますと言います。

そして、旦那さんを置き去りにするのは罪深いことで、子供があの世から見たら悲しむだろう、子供さんの魂は永遠に生きつづけ、お前さんたちのそばにいるのだから、ふたりが離れていたら帰る場所がなくなる、だから旦那さんのところへ今日にでも行っておやり、と言います。

彼女は、「お言葉に従って帰ります」と涙ながらに答えます。


これで、一件落着です。


2016年9月18日日曜日

171

この子供を亡くして嘆き悲しむ母親に対して「ゾシマ長老」は、子供は天使となって神さまのもとで大勢の天使たちとともにいる、と話しましたが、彼女はそれでも納得できません。

そこで「ゾシマ長老」はどうしたでしょうか。

彼は言います。

『ラケルはわが子らを思って泣き、もはや子らがいないため、慰めを得られない』(訳注 エレミヤ書第三十一章)と同じことで、「お前さん方、母親には、この地上にそうした限界が設けられているのだよ。だから慰めを求めてはいけない。慰めを求める必要はない。慰めを求めずに、泣くことだ。」とひとつの解決策を与えます。

そして、泣くときは「そのたびに、息子が今では天使の一人で、あの世からお前さんを見つめ、眺めておって、お前さんの涙を見て喜び、神さまにそれを指さして教えておることを、必ず思いだすのですよ。母親のそうした深い嘆きは、この先も永いこと消えないだろうが、しまいにはそれが静かな喜びに変ってゆき、お前さんの苦い涙が、罪を清めてくれる静かな感動と心の浄化の涙となってくれることだろう。」と。

以上が、「ゾシマ長老」の話したことです。

ここで、「ラケル」と言う旧約聖書の登場する女性の名前があげられていますが、私にはなかなか理解しがたい文脈です。

「ラケル」を調べてみました。

「ラケル」とは、ネットでは圧倒的に、店の名前です。1963年に開店したオムレツ・オムライスの専門店です。しかし、そのホームページに店名の由来が出ています。「ラケルとは、神話に登場する美しい女性の名前を元にしています。トランプのダイヤのクイーンのモデルにもなっています。英語圏ではレイチェルと発音し、Rachelと書きますが、ラケルは元の発音を再現し、なおかつ日本で馴染みやすいようRAKERUと書きます。」

桑田佳祐の「大河の一滴」という曲に「野暮な躊躇(ためら)いも今はただ、ラケルの横道に埋めました」という歌詞がありますが、これは、「RAKERU 渋谷宮益坂店」です。

ウィキペディアでは、「ラケル(Rachel)は旧約聖書の『創世記』に登場する女性。ヤコブの妻。父はラバン、姉はレア。『創世記』によれば、兄エサウから逃れて伯父ラバンの元へきたヤコブはラケルを見初め、ラバンの「七年働けば結婚を許す」という言葉を信じて働く。ところが結婚式を終えて花嫁を見るとそれは姉のレアであった。ヤコブは怒るが、ラバンの求めでさらに七年働いてついにラケルと結婚することができた。レアには子供が生まれたのに、自分に子供ができないことをあせったラケルは、自分の女奴隷ビルハにヤコブの子を産ませて自分の子とした。それがダンとナフタリである。ラケル自身にも待望の子供がうまれ、その子をヨセフと名づけた。その後、エサウと和解したヤコブは、神の言葉によってベテルからエフラタ(現ベツレヘム)へ向かう。その途上、ラケルは産気づき男子を産むが、難産で命を落とした。その子をラケルはベン・オニ(私の苦しみの子)と名づけたが、ヤコブはベニヤミンと呼んだ。ラケルはエフラタに向かう道の傍らに葬られた。

このレアとラケルには調べればいろいろな話があります。

「ゾシマ長老」が言うこの「ラケル」と同じことで・・・というのはどういうことなのでしょうか、わかりませんが、結局、「ゾシマ長老」は、「慰め」を求めるなと言っています。

ここでいう「慰め」とは何でしょう、辞書では、「何かをして、一時の悲しみや苦しみをまぎらせる。」「いたわってやる。」「なだめる。すかして落ち着かせる。」などと書かれていますが、「ゾシマ長老」はそういうことを求めるなと言っています。

そして、「嘆き」はやがて「静かな喜び」に変わり、心を浄化すると。


このあたりは、私には難しいですね。


2016年9月17日土曜日

170

女は片手を頬にあて、うなだれて、聞いていました、そして、深い溜息をつきました。

「ゾシマ長老」の慰めの言葉にも、残念なことに彼女は癒される様子はありません、そういうことなら夫の「ニキートゥシカ」もあなたさまと同じ言葉で「そっくり同じように慰めてくれました。」と言いました。

「ニキートゥシカ」は『お前もばかだな。どうして泣いたりするんだ。あの子はきっと今ごろ、神さまのもとで天使たちといっしょに賛美歌をうたってるにちがいないよ』と言いながら、自分だって泣いているんですよ、だから、わたしだってあの子は神さまのおそばしか居場所がないってことくらい知っていると言ってやりました、ただ今ここにわたしたちといっしょに、わたしたちの横にいないのです、せめてたった一度でもあの子を一目見られたら、そばに寄らなくても、口をきかなくても、物陰に隠れていてもいいから、ほんの一分でもあの子を見られたら、あの子が外で遊んでいて、帰ってくるなり、かわいい声で『母ちゃん、どこにいるの?』と叫ぶのをきくことができたら、たった一度でいいから、あの子が小さな足で部屋の中をぱたぱた歩くのを、きけさえすればいいのです、あの子はそりゃ気ぜわしくわたしのところに走ってきて、大きな声で叫んだり、笑ったりしたものでした、長老さま、でも、あの子はいない、もう二度とあのこの声をきくことはできないのです!、ほら、これがあの子の帯ですけれど、あの子はもういない、今となっては、もう二度とあの子を見ることも、声をきくこともできないのでございます!と。

女はわが子の小さなモール編みの帯を懐からとりだして、一目見るなり、指で目をおおって嗚咽に身をふるわせました。

その指のあいだから突然、ほとばしる涙が小川となってあふれました。

子供を亡くした母の喪失感がいかほどのものか、ありありと描かれています。

作者も二度小さな子供を亡くした経験があります。

西田幾多郎に「我が子の死」という文章があり、「ドストエフスキーが愛児を失った時、また子供ができるだろうといって慰めた人があった、氏はこれに答えて“How can I love another Child? What I want is Sonia.”といったということがある。」と書かれています。

以下は参考までに、「歴史について」と「歴史と文学」((小林秀雄) の中の文章です。


「子供が死んだという歴史上の一事件の掛け替えの無さを,母親に保証するものは,彼女の 悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも,人間の理智は,物事の掛け替えの無さという ものについては,為す処を知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど,子供の顔 は明らかに見えてくる。恐らく生きていた時よりも明らかに。愛児のささやかな遺品を前 にして,母親の心に,この時何事が起こるかを子細に考えれば,そういう日常の経験の裡 に,歴史に関する僕等の根本の智恵を読みとるだろう。それは歴史事実に関する根本の認 識というよりも寧ろ根本の技術だ。」「歴史事実とは,子供の死ではなく,寧ろ死んだ子供を 意味すると言えましょう。死んだ子供については,母親は肝に銘じて知るところがある筈ですが,子供の死という実証的な事実を,肝に銘じて知るわけにはいかないからです」


2016年9月16日金曜日

169

「ゾシマ長老」は昔の偉い聖人の話からはじめます。

あるとき、お前さんのように、聖堂の中で、神に召された幼い一人息子をしのんで、泣いている母親をごらんになり、こうおっしゃった、『お前はそういう幼な子たちが神さまの前で、どれほどこわいもの知らずにしているのか、知らないのか?天国でこんなにこわいもの知らずは、ほかにいないくらいだよ。幼な子たちは神さまにこんなことまで言う。神さま、あなたはわたしたちに生命を授けてくださりながら、わたしたちが世の中をちらとのぞくかのぞかないうちに、もうお取りあげになったんですか、などとな。そしてまったくこわいもの知らずに、神さまがすぐに天使の位を授けてくれるように、頼んだり、ねだったりするのだ。だから、お前も泣いたりせず、喜んでやりさない。お前の子供もきっと今ごろは神さまのもとで大勢の天使たちの仲間入りしておるだろうよ』と、この聖人は偉い方だから、嘘をおっしゃるはずはない、だから、お前さんの子供もきっと今ごろは神さまの前に立って、喜んだり、楽しんだりして、お前さんのことを神さまに祈ってくれているにちがいないよ、それだから、泣いたりせず、喜んでやりなさい、と。


なかなかすぐれた内容の説明だと思うのですが、彼女はたぶんこのようなことは何度も自分の中で言い聞かせてきたのではないでしょうか、たぶん頭の中では納得しているのでしょうが、悲しみは慰められることはなく、別のところからやってくるのでしょう。


2016年9月15日木曜日

168

「ゾシマ長老」は遠来の女が泣いているところをどこかで見たのでしょうか、それとも女の心の中を察してそう言ったのでしょうか。

女は、悲しみのわけを、ここにやってきた理由を説明します。

自分には、あと三ヶ月で三歳になる息子がいたのですが亡くなってしまいました、不憫でなりません、息子のことを思うとせつなくてなりません、わたしと「ニキートゥシカ」の間には四人の子供がいましたが、みんな亡くなりました、うちでは子供がうまく育ってくれないのです、上の三人をとむらったときはそんなに不憫ではなかったのですが、最後の子は忘れることができず、まるですぐ目の前に立っているようです、離れ去ってくれません、心が疲れはててしまいました、あの子の小ちゃな肌着やシャツや長靴などを見ると泣けてきます、泣き暮らしております、わたしはうちの人に「ニキートゥシカ」に自分を巡礼にだしとくれって申しました、うちの人は辻馬車の馭者ですが貧しくはありません、貧乏ではないのです、一本立ちの馬車屋で馬も馬車も自前です、でも、今となっては、財産なぞが何になりましょう、わたしがいなければ「ニキートゥシカ」はたがが弛んで、前にもそうでしたが、酒に溺れはじめるにきまっています、「でも今ではうちの人のことも思っておりません、家を出てもう足かけ三ヶ月になりますので忘れてしまいました、何もかも忘れてしまいましたし、思いだしたくもございません。いまさらあの人とどうなるというのでしょう?あの人とのことは終ったんです。だれもかれも、もうおしまいです。今じゃ自分の家も財産も見たいとは思いませんし、まるきり何も見る気はございません!」

子供を失った喪失感から深い悲しみに落ちています。

時間が解決するといえば簡単ですが、彼女の場合は違うかもしれません。

彼女は、夫のことも含め、ここには書かれていませんが、他にいろいろなことが背景にあって、それは時間で解決できるようなことではなく、このへんできっぱりと自分の中で納得しなければ、前に進めないのではないでしょうか。


さあ、「ゾシマ長老」はどのような話をするのでしょうか。


2016年9月14日水曜日

167

三百キロも離れた場所からやってきた女に「ゾシマ長老」は、「町民階級のお方でしょうの?」と、興味深そうに、女の顔に見入りながら声をかけました。

「女の顔に見入りながら」というところは読み飛ばしがちなのですが、このような対面に慣れている「ゾシマ長老」の観察眼のするどい様子をさりげなく表現していると思います。

女は、自分は百姓の出であるが、今は町の人間で都会暮らしをしており、あなたさまの噂をきいて、お目にかかりに参りましたと、言いました。

そして、女は幼い息子の葬式をすませて、巡礼に出て、三つの修道院にお詣りし、「ナスターシュシカ」ここへ行くがよい、と教えられてここに来て、昨夜は宿坊に泊まり、今日こうしてあなたさまのところへ伺ったのです、と言いました。

「フョードル」一行を庵室へ案内した修道僧が「身分の高いご婦人方のためには」囲いの外に小部屋が二つ設けてあると説明していましたが、もうひとつは、「ホフラコワ夫人」と娘が泊まっていますね。


長老は、「何を泣いているのだね?」と女に問います。


2016年9月13日火曜日

166

「ゾシマ長老」の下に集まっていた多くの女たちは、この奇蹟の瞬間に感動し、「随喜の涙」にむせび、長老の衣服の端っこでもいいから接吻しようとして前の方へ出てくる者がいたり、何やら唱えている者もありました。

長老はみんなに祝福を与え、何人かには声をかけました。

先ほどの癲狂病みの女は、修道院から六キロくらい先の村の女で、以前にも連れてこられたことがありましたので、長老は知っていました。

「そこに遠来の人がおるな!」と長老は指さして、声をかけました。

その女は、まだ決して年をとっているわけではないのですが、ひどく痩せてやつれはて、日焼けしているのではありませんが、顔全体がどすぐろくなっていました。

女はひざまずき、視線を据えて長老を見つめていましたが、その眼差しには何か乱心したような色がありました。

「遠方でございます、長老さま、遠方からです。ここから三百キロもございます。遠方からでございます。長老さま。はい、遠方からで」と、女は片頬に手をあてたまま、首を左右によどみなく振りながら、うたうように言いました。

それは、涙ながらに訴えるといった口調でした。

「民衆には忍耐強い無言の悲しみがある。その悲しみは心の内に沈潜し、沈黙してしまう。だが、病的なほどはげしい悲しみもある。」


後者の悲しみは、いったん涙となってほとばしでると、その瞬間から哀訴に変わり、これは特に女性に見られるが、これは、無言の悲しみより、この方が楽なわけではなく、「哀訴を癒やすには、いっそう心を苦しめ、張り裂けさせるよりほかにない。このような悲しみは慰めをも望まず、しょせん癒やしえぬという気持ちに養われている。哀訴は傷口をたえず刺激していたい欲求でしかないのだ」と作者は書いています。


2016年9月12日月曜日

165

子供のころの「わたし」は、癲狂病みの女が、一瞬の間におとなしくなる様子を見て、非常に感動し、おどろいたものでした。

しかし、「そこらの地主たちや、特に町の学校の先生など」は「わたし」の質問に答えて、そんなのは働きたくないための仮病を使っているのであり、厳しくしつければ治るんだと言って、その例をいろいろ聞かせてくれました。

こんな話は現在でも、どこかにあるような話ですね。

そして、「わたし」はその後、「専門の医学者たち」から聞いておどろいたのですが、これは仮病ではなくて、わがロシアに多く見られる、恐ろしい婦人病で、「何の医学的な助けもない、正常を欠く苦しいお産のあと、あまりにも早く過重な労働につくために生ずるのであり、いわばわが国の農村婦人の悲惨な運命を証明する病気だ」ということでした。

また、他の原因として、「やり場のない悲しみとか、殴打とか、その他、一般の例から言っても女性の性質いかんではやはり堪えきれぬようなことがあればそうなるとのことです。

このような、「狂乱してもがきあばれている女を聖餐のところへ連れてゆくだけで、ふしぎにもたちどころに癒るのにしても、あれは仮病だとか、《僧権強化論者》たち自身がやってのける」手品とか説明されてきました。

しかし、そんなことも、「おそらく、やはりごく自然に起るのだろうし」、①聖餐のところへ病人を連れてゆく百姓女や、②病人自身が、聖餐のところへ行って礼拝すれば、とりついている悪魔が追い払われるということを、絶対的に信じきっているからなのです。

このことは重要なことだと思います。

「だからこそ、聖餐に跪拝する瞬間」、「心身の組織全体の痙攣とも言うべきものが生ずる(また生ずるのが当然なのだ)のであり、これは必ず起る治癒の奇蹟への期待と、奇蹟が実現することへの完全な信頼とによってひき起こされる痙攣」なのです。

「そして奇蹟は、たとえごく短い間だけによせ、実現」するのです。

「ちょうど同じように、今も長老が病人にストールをかけるやうなや、奇蹟が実現」しました。


このような心の状態は、閉じられた小さな共同体の中で、その構成員全体があることを信じこんでいるということが条件となると思いますが、現れる形は違っていても地球規模の大きな共同体でも知らぬ間にそういうことはあるかもしれませんね。


2016年9月11日日曜日

164

長老が民衆の前に立ち、これから奇蹟がはじまろうとしています。

「アリョーシャ」がなんの疑問も感ずることなく、感動するという場面でしょうか。

誰かが、癲狂病みの女の両手をひいて、長老の方へ連れてきました。

「女は長老をひと目見るなり、何やらわけのわからぬ金切り声をあげて、ふいにしゃっくりをはじめ、ひきつけでも起こしたように全身をふるわせだした。彼女の頭にストールをあてて、長老が短いお祈りを唱えると、女はすぐに鳴りをひそめ、おとなしくなった。」そうです。

そして、ひさしぶりに文中に「わたし」が登場します。

「このごろはどうか知らないが、」と前置きして、「わたし」が子供の頃は、よく村や修道院などでこういう癲狂病みの女を見たり、きいたりした、礼拝式に連れてこられると大きな悲鳴をあげたり、犬のように吠えたりするのだが、「聖餐が運ばれ、そこへ連れていかれると、とたんに《狂乱》がやんで病人はいつもしばらくの間おとなしくなる」のでした。

子供だった「わたし」は、非常に感動し、おどろいたものでした。


日本でも「狐憑き」と言って、修験者や巫者がお祓いをすると治まったりしましたが、これとよく似ています。


2016年9月10日土曜日

163

長老を待っている間、「ホフラコワ夫人」は娘の車椅子のわきの椅子に腰かけていました。

先ほど、この車椅子は長い車椅子と表現されていましたが、ちょと想像がつきません。

その「ホフラコワ夫人」から二歩くらいのところに、年とった修道僧が立っていました。

彼はここの修道院の人ではなく、遠い北国のあまり有名ではない、さる修道院から「ゾシマ長老」の祝福を受けにやってきたのでした。

しかし、「ゾシマ長老」は、彼らのところではなく、まっすぐ行って民衆のところに向かいました。

信者たちは、低い渡り廊下と広場を結ぶ、三段しかない表階段の方に殺到しました。


長老は、一番上の段に立ち、ストールをかけ、つめよせてくる女たちに祝福を与えはじめました。


2016年9月9日金曜日

162

三 信者の農婦たち

「ゾシマ長老」は、数分だけ中座すると言って、囲いの外壁につきだした木造の渡り廊下の方に向かいました。

そこには、このときは女ばかり、農婦が二十人ほど、長老がついにお出ましになると知らされて、期待に包まれながら集まっていました。

そして、身分の高い訪問者のために別室が設けられていましたが、そこにいた地主のホフラコワ家の母と娘の二人も渡り廊下に出てきました。

この別室のことは、道案内の修道僧が、渡り廊下の囲いの外に二つの小部屋があって、ハリコフ県の地主のホフラコワさんが長老を待っていると説明していました。

母の「ホフラコワ夫人」は、33歳で未亡人になって5年、いつも趣味のいい服装をしている裕福な婦人、若々しく、顔色こそやや青白いが、ほとんど真っ黒な目に生気のあふれる愛くるしい人です。

娘は14歳、小児麻痺で足が不自由、半年ほど歩くことができず、長い車椅子で運ばれていました。

彼女は、美しい顔が病気のためにいくらかやつれてはいましたが、快活そうで、睫毛の長い、黒い大きな目に、何かいたずらっぽいものが光っていました。

母親は春ごろから外国へ連れてゆくつもりでいたのですが、夏のうち領地の整備で遅れたのでした。

ということは、今は秋ごろでしょうか。

娘を外国に連れていくというのは、何のためなのでしょうか。

母娘は信仰のためというより、むしろ用事ですでに一週間くらいこの町で暮らしており、三日前に長老を訪ねていました。


そして、長老はもはやほとんどだれにも会うことができないことを承知していながら、今こうして突然やってきて、もう一度《偉大な治療者にお目にかかる幸福》にあずかりたいと、しつこく哀願し、頼みこんでいたところでした。


2016年9月8日木曜日

161

「アリョーシャ」と「見習い僧」は、庵室を出て階段を下りる「ゾシマ長老」を助けるために飛んで行きました。

「アリョーシャ」は息をあえがせていました。

これまでの会合の様子をずっと見ている彼の心中を察すれば無理もないでね。

彼は、ここで部屋をいったん出て行くことになってほっとしましたし、「ゾシマ長老」が別に怒ってもおらず、むしろ快活な様子であることが嬉しく思いました。

「ゾシマ長老」は、面会を待っている人たちを祝福するために渡り廊下に向かいました。

しかし、「フョードル」は、やはりこのままでは終わっていません、庵室の戸口で長老を引きとめたのです。

「聖人さま!」と彼は感情たっぷりに叫び呼びとめました。

そして、もう一度お手に接吻されてください、あなたとなら、話し相手になれる、いっしょにやっていける、わたしはいつも嘘をついたり、道化を演じたりしている訳ではない、わたしはあなたを試すために芝居をしていた、あなたといっしょにやっていけるかどうか探りを入れていた、「あなたの誇りの下で、わたしの謙譲さの住む場所があるかどうかをね。あなたには賞状をさしあげましょう、あなたとならいっしょにやっていけますよ!」そして、もう自分はこれで黙る、今後ずっと口をつぐむ、椅子に座って沈黙する、今度はミウーソフさんがしゃべる番で、主役だ、ただし十分間だけ、と言いました。

彼の言う「いっしょにやっていける」というのは、これから商売でもやるみたいな表現ですね。

そして、「あなたの誇りの下で、わたしの謙譲さの住む場所があるかどうか」という表現も一筋縄では捉えられない内容を含んでいます。


しかし、話の全体としては、とんでもない話には変わりありません。


2016年9月7日水曜日

160

「フョードル」と「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」の嘘と道化の入り混じったような、実のない、なじりあいを聞いていて、「ゾシマ長老」もうんざりしたのかもしれませんね。

彼は急に席をたって「申しわけありませんが、みなさん、ほんの数分だけ中座させていただきます」と訪問者全員をながめやりながら言いました。

この訪問者たちより先にきて、「ゾシマ長老」を待っている人がいるから、とのこと。

「ゾシマ長老」は最後に「それから、やはり嘘はいけませんよ」と明るい顔で「フョードル」に言い添えました。

このあとの部分を読むと、中座時間が「ほんの数分だけ」なんてことはないと思うのですが、「ゾシマ長老」はここで少し時間をおいて、ふたりの頭の冷めることを期待したのでかもしれません。

それにしても「ドミートリイ」は、遅いですね。


この会合は「ドミートリイ」なしでは本題に入るわけにはいきませんので、「フョードル」はあえて、無駄話で時間を稼ごうとしているのでしょうか、しかし、それにしてもこの内容はひどすぎて、時間稼ぎなんぞどうでもいいくらいな混乱状態になってしまっていますね。


2016年9月6日火曜日

159

「なんて下らない、何もかも下らん話だ」と「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」はつぶやきました。

彼はまたしても誰に語るというのでもなく、つぶやいています。

そして、続けて、自分は、ひっとしたら、いつか話したかもしれないが、あなたに話したのではなく、それも人から聞いた話しで、と前言をひっくり返したいいかげんなことを言いだします。

「あれはパリで、さるフランス人から・・・」ロシアでは礼拝式の席で『殉教者列伝』を朗読するということを聞いた、その人は、たいそう学問のある人で、ロシアの統計学を専門に研究し、ロシアの永年暮らしていました、自分自身は『殉教者列伝』なぞ読んだこともないし、読むつもりもない、「だいたい食卓ではいろんな話が出るものでしょうに?わたしらはそのとき、食事をしていたんですからね・・・」と。

「フョードル」は「そう、あんたはそのとき食事をしていた、だけどこっちは信仰をうしなったんですよ!」とからかいました。

「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は「あなたの信仰なんぞ、わたしには関係ないんだ!」とどなり声をあげそうになりましたが、自分を抑え、軽蔑をこめて「あなたって人は文字どおり、手を触れるものをすべて汚してしまうんですな」と言いすてました。


ふたりとも、周りが見えていないというか、場所をわきまえていないひどい会話ですね。


2016年9月5日月曜日

158

「ゾシマ長老」は「フョードル」の質問について「いいえ、正しくありません」と答えました。

図書係の司祭修道士は、どの『殉教者列伝』にも、それに類した話は出ておらず、どの聖者のことをそんなふうに書いてあったのかと問い返しました。

「フョードル」は、人から聞いた話なので、だれのことかは知らない、欺されたのではないかと言う人もいる、そして、その話をした人は、なんと、さっきディドロの件で腹を立てていた「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」なのだ、と。

「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は、あなたと口をきくことなんぞ、全然ないのだからそんな話をしたおぼえはない、と言いました。

「フョードル」は、その話は先おととしのことで、わたしに直接話してくれたわけではなく、わたしがいる席で話したのだ、そのこっけいな話で、わたしは信仰をぐらつかされたので、おくおぼえている、ミウーソフさんはそんなことは知らなかったでしょうが、「わたしは信仰を揺さぶられて家に帰り、それ以来ますますぐらつき放しでさあ。そうですとも、ミウーソフさん、あんたがたいへんな堕落の原因だったんですよ!」それは、ディドロどころの騒ぎじゃないですよと、悲痛に息まいて言いました。

この発言により「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は手ひどく傷付けられましたが「フョードル」がまたしても演技していることは、もはやだれの目にもまったく明らかだったとのことです。

「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」もいい加減な話しをしたものですが、「フョードル」もそんなことを執念深く覚えていて、この席でいろいろと脚色を加えて披露するなど、なかなかたいしたものです。

そして、「フョードル」は信仰を揺さぶられたのは、内心ではたぶん全く堕落と思っていないんじゃないかと思いますが、ここでは悲痛に息まくという演技をしながら「ミウーソフさん、あんたがたいへんな堕落の原因だったんですよ!」と人のせいにしています。


つまり、自分自身にも他者にも嘘をついていますから、「ゾシマ長老」の言う「人々や自分自身に対する絶え間ない嘘」の見本のようですね。


2016年9月4日日曜日

157

書かれていませんが、「フョードル」は「ゾシマ長老」に言われて、ふたたび椅子に腰を下ろしたのでしょう。

そして、今度は跳ね起きて「聖者さま!そのお手に接吻させてくださいまし」と言って、長老の痩せた手にすばやく接吻しました。

「フョードル」は、「まさしく腹を立てるのは楽しいものです。実にうまいことをおっしゃる。今まできいたことがないほどです。」と「ゾシマ長老」の言葉をほめていますが、次に続く発言を聞くと、本当のことをずばりと指摘されて内心は穏やかではなかったのかもしれません。

彼は、自分はこれまでの一生、楽しくなるほど腹を立てつづけてきました、それは美学のために腹を立てていたのであって、つまり、腹を立てるということは楽しいだけじゃなく、格好いいもので、「長老さま、あなたはこれをお忘れでしたよ、格好いいという点を!」と言い、この自分の思いつきに感心したのか、「こいつは手帳に書きとめておこう!」と言います。

もしかすると、「フョードル」は会話の引き出しが多いと思いますが、これは本当に手帳愛好者なのかもしれませんね。

しかし、「フョードル」は「美学」というほどに、腹を立てて怒っている印象はありませんので、こういう発言は不思議に思います。

さらに「フョードル」は続けて言います。

「わたしは、嘘つきでした。文字どおり一生、毎日毎時間、嘘をつきどおしでした。」

これは、先ほどの「人々や自分自身に対する絶え間ない嘘」という「ゾシマ長老」の言葉に対応しています。

「本当に、嘘は嘘の父でございますな!」と言って、すぐにそれを否定して嘘の息子で十分でしょうと言っていますが、ここはどうでもいいところでしょうが、たぶん延々と嘘が連鎖するということなので、下向きに息子と言い直したのでしょう。

そして、先ほど自分が嘘を言ったディドロのことぐらいなら、人に害を与えないから差し支えないが、他の言葉だと「害を及ぼしますですからね」と、全く反省のないマイペースな調子で言います。

さらに、自分はおととしから、おたずねしようと思っていたことがあると言い、『殉教者列伝』のことを持ち出します。

「ミウーソフさんに、話の腰を折らぬようにおっしゃってくださいまし。」と釘をさしておいて、『殉教者列伝』のどこかに、何とかいう奇蹟の聖者について書かれたところがあり、信仰のために迫害を受け、最後に首をはねられたところ、立ち上がって、自分の首を拾い上げ、『やさしく接吻した』そうです。


「それも、首を両手に抱えて永いこと歩きつづけ、『やさしく接吻した』と記してあるのですが、長老さま、あれは本当でございますか?」と「ゾシマ長老」や神父たちに尋ねました。