この会合は、とんだ騒ぎになり、怒って帰ってしまったり、参加しないと言う人も出現した予想以上にめちゃくちゃな会合となってしまったわけですが、昼食会には「それでも、みんなで向った。」とのこと。
「みんな」とは「ミウーソフ」と「イワン」と「カルガーノフ」と案内の修道僧です。
修道僧は道々、「ミウーソフ」と「イワン」のする内輪話を黙ってきいていました。
もっともこのふたりとも修道僧が近くにいて聞こえることがわかっていながら無神経に会話しているだけですが。
林をぬけてゆく途中、たった一度、修道僧が言いました。
それは、もうだいぶ前から修道院長がお待ちかねで、三十分以上も遅れているということでした。
修道僧も二人が自分たちの保身のための言い訳のことばかり考えていて、ずっと待っている修道院長たちのことを何も思いやることもしないので忠告の意味をこめて言ったのでしょう。
それでも、ふたりは返事をしませんでした。
ふたりとも自分のことしか考えてなくて、修道院長もこの修道僧のことも無視しているのですね。
「ミウーソフ」は憎しみをこめて「イワン」を眺めやりました。
そして、『まるで何事もなかったような顔で、食事に行くんだからな!』と彼は思いました。
『よほど鈍いし、カラマーゾフ的良心てやつだな』
「ミウーソフ」が「イワン」のことをこのように思っていることは驚きました。
同じカラマーゾフの一族でも「イワン」は「フョードル」と全く性格が違っており、「ミウーソフ」は以前に何度か「イワン」と話もしており、ある程度は親近感があるように想像していましたが、ここでは「カラマーゾフ的良心」と言う言葉で一族を同類視しています。
ここで「カラマーゾフ的」というのは、カラマーゾフの一族、「フョードル」と「ドミートリイ」と「イワン」と「アリョーシャ」の四人ですが、この四人に共通する負の面での特徴のことで、これは、いろいろな要素があると思いますが、「ミウーソフ」の言うこの「カラマーゾフ的良心」というのは、いろいろある中で、厚顔無恥つまり恥知らずということを意味していると思われます。